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追録6の目録

暫定版です。原文との照合により、概要や文書の区切り等を修正する場合があります。

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  1. 追録6-No.1 宝暦十四年間公辺記事

    宝暦十四年の重豪の公辺動静を月日順に記す。正月元日に五社を参詣して受賀し、二・三日にも規式と外朝での受賀を行い、二十七日には慈照夫人が登営して将軍家治・御臺・儲君・萬壽君らへ旦を賀した。重豪は秋に琉球人を伴って江戸へ朝参する予定だったが、自身に寒疾があるため春の暖かい時期に先発することを願い、閣老の…

  2. 追録6-No.2 重豪在国シテ年首ノ規式ヲナス

    宝暦十四年正月の重豪の年首規式を記す。朔朝に五社・護摩所・看経所を参詣し、家老・若年寄・大目附らの太刀進上を受けて新年を賀し、盃を賜う。一門、諸地頭、族・嫡子・季子、諸有司、府下士、三町年寄らも各々の場で太刀を進上し、内座配・暮の謡初を行った。二日は一門の太刀進上と歳旦の賀、三日は諸地頭の進上・盃と…

  3. 追録6-No.3 島津重豪吉書

    重豪の吉書。「長生殿裏春秋留、不老門前日月遲」と、君が代・千世・八千世・さざれ石・苔を詠む歌を記し、宝暦十四年正月元日付で「重豪御判」とある。正文の宛名は記されない。包紙には、白木御文書五番箱へ納める文書で、正月四日に島津矢柄から市来瀬兵衛へ渡して納置した旨が記される。

  4. 追録6-No.4 松平輝高書状

    松平右京大夫輝高が松平薩摩守(島津重豪)に宛て、若菜の祝儀として鯛一折を献上したことについて、披露したところ「一段之御仕合」であったと伝える。正月七日付で、宝暦十四年の年記は朱注による。

  5. 追録6-No.5 松平康福書状

    松平周防守康福が松平薩摩守に宛て、若菜の祝儀として鯛一折を献上したことについて、披露したところ「一段之御仕合」であったと伝える。正月七日付で、宝暦十四年の年記は朱注による。

  6. 追録6-No.6 島津重豪吉書

    重豪の吉書。神社仏閣の修造・興行、農事への専励、国々の年貢徴納の三箇条を掲げ、その旨に従って沙汰するよう命じる。宝暦十四年正月十一日付で「重豪御判」とある。独立した宛名は記されない。

  7. 追録6-No.7 松平武元外二名連署状

    松平康福・輝高・武元が松平薩摩守に宛てて連署し、公方様と若君様がともに機嫌よく過ごしていることを知らせ、安心するよう伝える。さらに御鷹の鶴を拝領することになったため、宿次で差し越す旨を通知する。正月十六日付で、宝暦十四年の年記は朱注、公方様を徳川家治、若君様を家基とする同定は人物注による。

  8. 追録6-No.8 幕府老中宿継証文

    松平右京が宿中に宛て、書状箱と鶴(原文に「鶴壱」とある)を江戸から薩摩国鹿児嶋の松平薩摩守のもとへ急いで持参し、届けた後に江戸月番老中へ返札するよう命じる宿継証文。申正月十六日付で、右京を松平輝高とする人物注がある。独立した宝暦十四年の年記は本文にない。

  9. 追録6-No.9 重豪御鷹ノ鶴拝領ヲ謝ス

    宝暦十四年正月十六日、将軍家治が御鷹の捕らえた鶴一隻を奉書とともに下賜し、老中松平輝高が家臣佐久間新左衛門村央に鶴・奉書・宿次証文を渡した経緯を記す。使者の鮫島次左衛門員良・中村喜八兵衛盛衛は東海・山陽・西海を経て二月十五日に麑城へ到着し、重豪は対面所で拝領した。調所八左衛門恒堅・掛橋五百右衛門輝置…

  10. 追録6-No.10 松平康福書状

    松平周防守康福が松平薩摩守に宛て、年頭の祝儀として使者を通じて太刀一腰と馬代黄金十両を献上したことについて、披露したところ「一段之御仕合」であったと伝える。正月二十七日付で、宝暦十四年の年記は朱注による。

  11. 追録6-No.11 酒井忠寄外三名連署状

    松平康福・輝高・武元と酒井忠寄が松平薩摩守に宛てて連署し、年頭の祝儀として使者を通じて太刀一腰と馬代黄金十両を献上したことについて、披露したところ「一段之御仕合」であったと伝える。正月二十七日付で、宝暦十四年の年記は朱注による。

  12. 追録6-No.12 重豪稲荷社ニ詣デ祝文ヲ納ム

    重豪が正月二十八日に斎戒して府下の稲荷大明神へ親しく参詣し、拝礼後、祝文を宝殿へ納めたことを記す。二月五日には法楽能を催し、翌六日に結願のため再び親しく参詣した。稲荷大明神には五社内との注がある。

  13. 追録6-No.13 島津重豪祝文

    宝暦十四年甲申正月二十八日庚辰、従四位下少将・薩摩守源重豪が群臣を率いて稲荷大明神に告げた祝文。稲荷神が太祖に祥瑞を示して三州の創業を助け、相公に威霊を貸して八道の功勲を支えたこと、歴代の祭祀と万民への加護を讃える。徳の薄い自身が家の困難に遭いながら神の恵みによって継承を失わずに済んだとして、厚い加…

  14. 追録6-No.14 町田久連・喜入久福連署証状

    寺社奉行の喜入主馬久福・町田主計久連が別当宝持院に宛て、太守重豪が稲荷大明神へ寄進した御筆御額一枚について、日常粗末にせず、住替の際には確実に次へ引き渡すよう命じる。額は「光明」の文字を記したもので、地は紺青、文字は金箔と明記される。宝暦十四年申正月二十八日付で両名が判を据える。

  15. 追録6-No.15 松平武元書状

    松平右近将監武元が松平薩摩守に宛て、年が改まった慶賀と、公方様・若君様の機嫌がよく年始の規式も済むであろうことを喜ぶという来書の意を承知したと伝える。若君様に献上された樽肴を披露したところ「一段之御仕合」であったとも知らせる。二月四日付で、宝暦十四年の年記は朱注による。

  16. 追録6-No.16 松平康福書状

    松平周防守康福が松平薩摩守に宛て、改年の慶賀と、公方様・若君様の機嫌がよく年始の規式も済むであろうことを喜ぶという来書の意を承知したと伝える。献上された樽肴については、各々申し談じて披露したところ「一段之御仕合」であったと知らせる。二月四日付で、宝暦十四年の年記は朱注による。本文では樽肴の献上先を若…

  17. 追録6-No.17 法楽能組

    宝暦十四年甲申二月五日の法楽能の組。翁に可助、三番叟に仙兵衛を記し、嵐・田村・羽衣・安宅・祝言の弓八幡にはそれぞれ重豪の名を配する。各番の欄には虎齋・八郎次・與左衛門・長四郎や、甚五兵衛・市郎治・彌兵衛・政右衛門、喜六郎・喜藤太・大之進、善兵衛・傳兵衛、織右衛門・珍阿彌、源五左衛門・良右衛門・貞右衛…

  18. 追録6-No.18 法楽狂言組

    宝暦十四年甲申二月五日の法楽狂言の組。麻生、繩綯、福之神、嵐山之間、猿聟を並べ、麻生に萬次、繩綯・福之神の欄に直右衛門・太郎右衛門、猿聟に伊兵衛の名を記す。嵐山之間の担当者名は独立して記されていない。正文は稲荷社内にあるとの注がある。能組とは別の狂言の組であり、重豪を出演者として記す本文はない。

  19. 追録6-No.19 松平武元書状

    松平右近将監武元が松平薩摩守に宛て、公方様・若君様の機嫌がよいことを恐悦するという来書の意に応じる。さらに御即位の儀が首尾よく行われたと聞いて喜んだ旨を承知したとし、差し越された使者の紙面の趣旨を若君様へ言上したと伝える。即位した人物は本文に明示されない。二月七日付で、宝暦十四年の年記は朱注による。

  20. 追録6-No.20 松平武元書状

    松平右近将監武元が松平薩摩守に宛て、公方様・若君様の機嫌がよいことを恐悦するという来書に応じる。徳川宮内卿の婚姻が済んだと聞いて喜んだ旨を承知したとし、紙面の趣旨を若君様へ言上したと伝える。宮内卿には家治の弟・重好との人物注がある。二月七日付で、宝暦十四年の年記は朱注による。

  21. 追録6-No.21 松平康福書状

    松平周防守康福が松平薩摩守に宛て、公方様・若君様の機嫌がよいことを恐悦するという来書の意を承知したと伝える。徳川宮内卿の婚姻が済んだと聞いて喜んだ旨にも応じ、紙面の趣旨を各々申し談じて上聞に達したと知らせる。二月七日付で、宝暦十四年の年記は朱注による。

  22. 追録6-No.22 松平康福書状

    松平周防守康福が松平薩摩守に宛て、公方様・若君様の機嫌がよいことを恐悦するという来書の意を承知したと伝える。御即位の儀が首尾よく行われたと聞いて喜んだ旨にも応じ、差し越された使者の紙面の趣旨を各々申し談じて上聞に達したと知らせる。即位した人物は本文に明示されない。二月七日付で、宝暦十四年の年記は朱注…

  23. 追録6-No.23 松平康福書状

    松平周防守康福が松平薩摩守に宛て、公方様・若君様の機嫌がよいことを恐悦するという来書に応じる。旧臘に公方様が寒中の御尋として妻女に御肴を与えたことへの謝意を承知し、紙面の趣旨は各々一覧したと伝える。二月十五日付で、宝暦十四年の年記は朱注による。出典注には重豪公御譜中・正文在文庫とある。

  24. 追録6-No.24 松平武元書状

    松平右近将監武元が松平薩摩守に宛て、公方様・若君様の機嫌がよいことを恐悦するという来書に応じる。公方様から妻女に寒中の御尋として御肴を拝領したことへの謝意を承知し、紙面の趣旨を承知したと伝える。二月十五日付で、宝暦十四年の年記は朱注による。

  25. 追録6-No.25 島津重豪書状

    少将重豪が中山王に宛て、自身の婚姻が整ったことへの祝儀として豊見城王子を遣わし、太刀一腰・馬代白銀百両と目録に記した品々を贈られたことに謝意を述べる。芳札を披見し、心を尽くした贈り物を祝着に思うと伝える。二月十八日付で、宝暦十四年の年記は朱注による。出典注には重豪公御譜中・正文在琉球国国司とある。

  26. 追録6-No.26 島津重豪書状

    少将重豪が中山王に宛て、御肴を拝領したことへの祝儀として、前年、仲田親方を通じて太刀一腰・馬代白銀百両と別録に記した品々を贈られたことを喜び、謝意を伝える。二月十八日付で、宝暦十四年の年記は朱注による。御肴を与えた人物と御肴を拝領した人物は本文に明示されない。

  27. 追録6-No.27 島津重豪書状

    少将重豪が中山王に宛て、若君様誕生の祝儀として、前年、豊見城王子を遣わして二通の紙面と別録に記した品々を贈られたことへの謝意を述べる。江府への献上品は首尾よく済み、目録のとおり下賜されたので頂戴するよう伝える。二月十八日付で、宝暦十四年の年記は朱注による。若君様の実名は本文に明示されない。

  28. 追録6-No.28 島津重豪書状

    少将重豪が中山王に宛て、万寿姫君誕生の祝儀として、前年、玉川王子を遣わして二通の紙面と別録に記した品々を贈られたことへの謝意を述べる。江府への献上品も首尾よく済み、目録のとおり下賜されたので頂戴するよう伝える。万寿姫君には家治の娘との人物注がある。二月十八日付で、宝暦十四年の年記は朱注による。

  29. 追録6-No.29 島津重豪書状

    少将重豪が中山王に宛て、惇信院の薨去について、前年、豊見嶺親方を遣わして二通の紙面と別録に記した品々を贈られたことに謝意を述べる。惇信院には徳川家重との人物注がある。二月十八日付で、宝暦十四年の年記は朱注による。冒頭の「全上」は前文書に続く出典の表示である。

  30. 追録6-No.30 島津重豪書状案

    中山王に宛て、琉球国伊平屋島の者が逆風に遭って肥前国五嶋へ流着した際の取り計らいへの謝礼として、前年、宜野湾親方を通じて目録に記した品々を贈られたことに謝意を述べる書状案。二月十八日付で、宝暦十四年の年記は朱注による。差出人欄は「御官名御名乗」のままで、少将重豪との人物注が付く。出典注は重豪公御譜中…

  31. 追録6-No.31 島津重豪書状案

    琉球国の船が難風に遭って土州へ漂着した際の取り計らいへの謝礼として、前年、宜野湾親方を通じて別録に記した品々を贈られたことに謝意を述べる書状案。二月十八日付で、宝暦十四年の年記は朱注による。差出人欄は「御官名御名乗」のままで実名がなく、目録は島津重豪書状案とする。出典注は扣正文在右筆所とある。正文の…

  32. 追録6-No.32 島津久金・高橋種寿連署書状

    御代替に伴う中山王の祝儀使者を従来の例に従ってこの秋に召し連れ、参勤を行う予定であったが、寒湿の痛みで参勤が延び、冬の病と療養が続き、秋の発駕も寒中にかかる見込みとなったことを述べる。道中や江戸で病が出れば勤めが難しくなるとして、この春に国元を発ち、琉人は秋に跡から出立する案を願い出たと記す。使者応…

  33. 追録6-No.33 島津久金・高橋種寿連署書状

    願いのとおりに認められ、翌月十二日に発駕し、琉人は秋に当地へ差し立てることになったので、その趣旨を承知し取り計らうよう伝える書状。二月付で此面・左中が連署し、藏人殿に宛てる。朱書には、藏人殿に直接渡し、御勝手方にも本文のとおり直接渡す旨がある。注によれば本書状はNo.32の行間朱書で、前文は同文書の…

  34. 追録6-No.34 島津重豪加冠仮名書出

    加冠の仮名を「七郎」とする書出。宝暦十四年申二月廿八日付で御判を据える。出典注には全御譜中・正文在樺山権左衛門とあり、目録は島津重豪加冠仮名書出とする。本文には受給者の宛名や加冠の経緯を記さない。

  35. 追録6-No.35 高橋種寿申渡書

    一乗院尊盈が末寺智恵光院の由緒を理由に願い出た件について、願いのとおり御目見寺とする旨を申し渡す。進上物は御茶五袋と定め、その証文を寺へ渡すこと、申し渡しの手続きを首尾よく行うことを命じる。本文末尾は此面、年記・日付は朱注で宝暦十四年申二月廿八日。別の朱注は包紙に宝暦十四年申二月十八日・取次堀甚左衛…

  36. 追録6-No.36 酒井忠寄書状

    酒井左衛門尉忠寄が松平薩摩守に宛て、公方様・若君様の機嫌がよいことを恐悦するという来書に応じる。歳暮の祝儀として公方様・御台様から妻女が品物を拝領したことへの謝意を承知し、紙面の趣旨は各々一覧したと伝える。三月二日付で、宝暦十四年の年記は朱注による。

  37. 追録6-No.37 松平康福書状

    松平周防守康福が松平薩摩守に宛て、公方様・若君様の機嫌がよいことを恐悦するという来書に応じる。歳暮の祝儀として公方様から時服と御肴を拝領したことへの謝意を承知し、紙面の趣旨を言上したと伝える。三月二日付で、宝暦十四年の年記は朱注による。

  38. 追録6-No.38 酒井忠寄書状

    酒井左衛門尉忠寄が、公方様・若君様の機嫌がよいことを恐悦するという来書に応じる。旧臘の歳暮祝儀として時服と御肴を拝領したことへの謝意を承知し、紙面の趣旨を各々申し談じて上聞に達したと伝える。三月二日付で、宝暦十四年の年記は朱注による。この書状には宛名を独立して記さない。

  39. 追録6-No.39 松平康福書状

    松平周防守康福が松平薩摩守に宛て、公方様・若君様の機嫌がよいことを恐悦するという来書に応じる。歳暮の祝儀として公方様・御台様から「其方妻女」が品物を拝領したことへの謝意を承知し、紙面の趣旨を承知したと伝える。三月二日付で、宝暦十四年の年記は朱注による。

  40. 追録6-No.40 松平輝高書状

    松平右京大夫輝高が松平薩摩守に宛て、公方様の機嫌がよいことを伝え、正月十日に東叡山の御霊前へ参詣した旨の来書を承知して恐悦したと述べる。紙面の趣旨を各々申し談じて上聞に達したとも伝える。三月九日付で、宝暦十四年の年記は朱注による。出典注は重豪公御譜中・正文在文庫とある。

  41. 追録6-No.41 近衛内前書状

    近衛内前が薩摩少将に宛て、来書を披見したことと、自身は弥々無事であることを伝える。この秋には琉人を召し連れて参府する予定であったが、寒湿の痛みにより春に当地を発駕したいとの願いについて、願いのとおりに認められたという厳命を喜び、早く知らせてもらったことに丁寧な謝意を述べる。三月九日付で、宝暦十四年の…

  42. 追録6-No.42 松平康福書状

    松平周防守康福が松平薩摩守に宛て、公方様・若君様の機嫌がよいことを恐悦するという来書に応じる。この秋に琉球中山王の使者を召し連れて参府する予定であったが、寒湿の痛みにより先に参府する願いが認められたことへの謝意を承知したと伝える。その御礼のため差し越された使者の紙面の趣旨を言上したとも知らせる。三月…

  43. 追録6-No.43 松平輝高書状

    松平右京大夫輝高が松平薩摩守に宛て、公方様・若君様の機嫌がよいことを恐悦するという来書に応じる。この秋に琉球中山王の使者を召し連れて参府する予定であったが、寒湿の痛みにより先に参府する願いが認められたことへの謝意を承知したと伝える。その御礼のため差し越された使者の紙面の趣旨を各々申し談じて上聞に達し…

  44. 追録6-No.44 松平輝高書状

    松平右京大夫輝高が松平薩摩守に宛て、公方様・若君様の機嫌がよいことを恐悦するという来書に応じる。若君様誕生の祝儀として琉球中山王が使者を通じて薩州へ送った献上品について、継使者による披露を受け、公方様・若君様から中山王への品々の下賜と、使者豊見城王子への拝領品の授与を申し渡したことへの謝意を承知した…

  45. 追録6-No.45 松平輝高書状

    松平右京大夫輝高が松平薩摩守に宛て、公方様・若君様の機嫌がよいことを恐悦するという来書に応じる。万寿姫君誕生の祝儀として琉球中山王が薩州へ遣わした使者玉川王子に、公方様・万寿姫君からの拝領品を申し渡したことへの謝意を承知し、紙面の趣旨は各々一覧したと伝える。万寿姫君には徳川家治の娘との人物注がある。…

  46. 追録6-No.46 松平輝高書状

    松平右京大夫輝高が松平薩摩守に宛て、万寿姫君誕生の祝儀として琉球中山王の使者が薩州へ送った献上品について、継使者による披露を受け、公方様・万寿姫様から中山王への品々の下賜と、使者玉川王子への拝領品の授与を申し渡したことへの謝意を承知し、紙面の趣旨を各々申し談じて上聞に達したと伝える。三月十六日付、年…

  47. 追録6-No.47 松平輝高書状

    松平右京大夫輝高が松平薩摩守に宛て、公方様・若君様の機嫌がよいことを恐悦するという来書に応じる。若君様誕生の祝儀として琉球中山王が薩州へ遣わした使者豊見城王子に、公方様・若君様からの拝領品を申し渡したことへの謝意を承知し、紙面の趣旨は各々一覧したと伝える。三月十六日付で、宝暦十四年の年記は朱注による…

  48. 追録6-No.48 拝領鶴御披之次第

    三月十九日に拝領した鶴を料理して祝う際の次第。書院の床に立花一瓶と掛物一幅を置き、御剛押板に飾りを設ける。朱注は、この次第に従って臨むことを求め、御前五通酒肴は御剛五之間の書請申付に従うとする。書院での出座時に御支度として熨斗目半上下を着用することを申し合わせ、御用人・御近習役・御納戸奉行・月番御目…

  49. 追録6-No.49 高橋種寿書状

    高橋此面が、来る十九日に拝領の鶴を料理して祝うため、四半時に出座する旨を知らせる。吸物と御流を下すので、当日は熨斗目上下で出席するよう案内する。三月七日付で、宛先は嶋津杢殿・左中殿、菱刈藤馬殿、川田伊織殿、鎌田藏人殿、嶋津大藏殿、小松式部殿、嶋津仲殿、河野八郎左衛門殿の九名。各人には人物注が付き、川…

  50. 追録6-No.50 松平康福書状

    松平周防守康福が松平薩摩守に宛て、公方様・若君様の機嫌がよいことを恐悦するという来書に応じる。万寿姫君誕生の祝儀として琉球中山王が使者を通じて薩州へ送った献上品について、継使者による披露を受け、公方様・万寿姫君から中山王への品々の下賜と、使者玉川王子への拝領品の授与を申し渡したことへの謝意を承知し、…

  51. 追録6-No.51 松平康福書状

    松平周防守康福が松平薩摩守に宛て、公方様・若君様の機嫌がよいことを恐悦するという来書に応じる。若君様誕生の祝儀として琉球中山王の使者が薩州へ送った献上品について、継使者による披露を受け、公方様・若君様から中山王への品々の下賜と、使者豊見城王子への拝領品の授与を申し渡したことへの謝意を承知したと伝える…

  52. 追録6-No.52 松平康福書状

    松平周防守康福が松平薩摩守に宛て、公方様・若君様の機嫌がよいことを恐悦するという来書に応じる。若君様誕生の祝儀として琉球中山王が薩州へ遣わした使者豊見城王子に、公方様・若君様からの拝領品を申し渡したことへの謝意を承知し、紙面の趣旨を承知したと伝える。三月廿二日付で、宝暦十四年の年記は朱注による。

  53. 追録6-No.53 松平康福書状

    松平周防守康福が松平薩摩守に宛て、公方様・若君様の機嫌がよいことを恐悦するという来書に応じる。万寿姫君誕生の祝儀として琉球中山王が薩州へ遣わした使者玉川王子に、公方様・万寿姫君からの拝領品を申し渡したことへの謝意を承知し、紙面の趣旨を承知したと伝える。三月廿二日付で、宝暦十四年の年記は朱注による。

  54. 追録6-No.54 重豪、琉使ニ先ンジ参府ス

    将軍家治が新たに大統を継いだことに伴い、重豪が宝暦十四年に琉球国司尚穆の聘使を率いて江府へ赴く予定であったが、寒疾を憂慮して許可を求め、琉使に先立って三月廿二日に国を発った経緯を記す。家老島津久金・高橋種寿、側用人福山安都・宮之原通直、近習役二階堂諸等が供奉した。九州路を経て四月六日に大里へ着き、翌…

  55. 追録6-No.55 松平輝高書状

    松平右京大夫輝高が松平薩摩守に宛て、公方様の機嫌がよいことを伝える。正月廿四日に増上寺の御霊屋へ参詣した旨の来書を承知して恐悦したとし、紙面の趣旨を各々申し談じて上聞に達したと知らせる。三月廿八日付で、宝暦十四年の年記は朱注による。出典注は重豪公御譜中・正文在文庫とある。

  56. 追録6-No.56 川田国福申渡書

    川田伊織が琉仮屋守に申し渡す文書。芝の御屋敷が類焼したため中山王から加勢銀を差し上げたことを以前に伝え聞き、手元の苦しい折であったので満足に思うという意向を、中山王に承知されるよう伝えることを求める。末尾は「右如例可申渡」。出典注は正文在琉球国国司、川田伊織には国福の人物注がある。本文には年日を記さ…

  57. 追録6-No.57 松平康福書状

    松平周防守康福が松平薩摩守に宛て、公方様・若君様の機嫌がよいことを恐悦するという来書に応じる。正月廿七日に妻女が大奥へ登城したことについて、登城の旨を仰せ出されたことへの謝意を承知したと伝える。その御礼のため差し越された使者の紙面の趣旨を承知したとも知らせる。四月九日付で、宝暦十四年の年記は朱注によ…

  58. 追録6-No.58 松平武元書状

    松平右近将監武元が松平薩摩守に宛て、公方様・若君様の機嫌がよいことを恐悦するという来書に応じる。このたび妻女が登城する予定であると伝えられたことへの謝意を承知したとし、その御礼のため差し越された使者の紙面の趣旨は各々一覧したと伝える。四月九日付で、宝暦十四年の年記は朱注による。

  59. 追録6-No.59 松平康福書状

    松平周防守康福が松平薩摩守に宛て、公方様・若君様の機嫌がよいことを恐悦するという来書に応じる。正月廿七日に妻女が大奥へ登城した際、懇意の上意があり、公方様・御台様・若君様・万寿姫君様から品物を拝領したことへの謝意を承知したと伝える。その御礼のため差し越された使者の紙面の趣旨を承知したとも知らせる。四…

  60. 追録6-No.60 松平武元書状

    松平右近将監武元が松平薩摩守に宛て、公方様・若君様の機嫌がよいことを恐悦するという来書に応じる。このたび妻女が登城し、公方様・御台様・若君様・万寿姫君様に御目見したうえ、拝領品があったことへの謝意を承知したと伝える。その御礼のため差し越された使者の紙面の趣旨は各々一覧したと知らせる。四月九日付で、宝…

  61. 追録6-No.61 松平武元書状

    松平右近将監武元が松平薩摩守に宛て、公方様・若君様の機嫌がよいことを喜ぶという来書に応じる。二月廿日夜の御曲輪内の出火が早速鎮まったことを承知し、恐悦するとの趣旨を受け取ったと伝える。紙面の趣旨を各々申し談じて上聞に達したとも知らせる。四月十六日付で、宝暦十四年の年記は朱注による。

  62. 追録6-No.62 松平康福書状

    松平周防守康福が松平薩摩守に宛て、公方様・若君様の機嫌がよいことを喜ぶという来書に応じる。二月廿日夜の御曲輪内の出火・類焼が早速鎮まったことを承知し、恐悦するとの趣旨を受け取ったと伝える。紙面の趣旨を言上したとも知らせる。四月十六日付で、宝暦十四年の年記は朱注による。

  63. 追録6-No.63 松平武元書状

    松平右近将監武元が松平薩摩守に宛て、御香具一箱と丸熨斗一箱の献上を披露し、たいへんよい仕合わせであったと伝える。四月十九日付で、宝暦十四年の年記は朱注による。本文は献上先の名を明記しない。

  64. 追録6-No.64 松平康福書状

    松平周防守康福が松平薩摩守に宛て、御香具一箱と丸熨斗一箱の献上を披露し、たいへんよい仕合わせであったと伝える。四月十九日付で、宝暦十四年の年記は朱注による。本文は献上先の名を明記しない。

  65. 追録6-No.65 松平武元書状

    松平右近将監武元が松平薩摩守に宛て、公方様の機嫌がよいことを伝える。二月廿六日に東叡山の至心院様御霊前へ参詣した旨の来書を承知し、恐悦したと伝える。紙面の趣旨は各々申し談じて上聞に達したとも知らせる。四月廿五日付で、宝暦十四年の年記は朱注による。至心院には家治生母・梅渓氏の人物注がある。

  66. 追録6-No.66 松平武元書状

    松右近が松平薩摩守の留守居に宛て、御鷹の鶴を拝領した御礼のため差し越された使者嶋津玄蕃を、翌廿八日五時に御城へ差し出すよう通知する。あわせて自分の御礼も申し上げるべき旨を知らせる。四月廿七日付で、宝暦十四年の年記は朱注による。署名は「松 右近」、目録表題は松平武元書状。

  67. 追録6-No.67 松平康福書状

    松平周防守康福が松平薩摩守に宛て、使者によって若君様に献上された菖蒲御兜一飾を、首尾よく披露したと伝える。四月廿八日付で、宝暦十四年の年記は朱注による。宛名は次頁に続く。

  68. 追録6-No.68 重豪、朝鮮信使来聘ヲ賀ス

    今年、朝鮮信使が江戸に到着し、春三月二十七日に登営して聘礼を修め、将軍が厚く遇して饗宴を賜ったことを記す。重豪は朝覲の途上でこれを聞き、直ちに東武へ使者を遣わして祝意を奉じ、老中が奉書で答えた。出典は重豪公御譜中。目録は記事として掲げ、年月日欄は空欄である。

  69. 追録6-No.69 松平康福書状

    松平周防守康福が松平薩摩守に宛て、公方様・若君様の機嫌がよいことを喜ぶという来書に応じる。このたび朝鮮信使の御礼と饗応が済んだことを承知して恐悦するという趣旨を受け取り、そのために差し越された使者の紙面の趣旨を言上したと知らせる。四月廿八日付で、宝暦十四年の年記は朱注による。

  70. 追録6-No.70 松平武元書状

    松平右近将監武元が松平薩摩守に宛て、公方様・若君様の機嫌がよいことを喜ぶという来書に応じる。このたび朝鮮信使の御礼と饗応が済んだことを承知して恐悦するという趣旨を受け取り、そのために差し越された使者の紙面の趣旨を各々申し談じて上聞に達したと知らせる。四月廿八日付で、宝暦十四年の年記は朱注による。

  71. 追録6-No.71 徳川家治御内書

    家治公黒印の御内書。薩摩少将に宛て、端午の祝儀として帷子・単物が到来したことを喜んだと伝える。詳しいことは松平右近将監が述べるとして、同人からの伝達に委ねる。五月二日付。宝暦十四年は目録による。出典注は重豪公御譜中・正文在文庫。

  72. 追録6-No.72 阿部正右書状

    阿部伊予守正右が松平薩摩守に宛て、端午の御祝儀として使者を通じて献上された帷子・単物を披露し、たいへんよい仕合わせであったと伝える。五月二日付で、宝暦十四年の年記は朱注による。

  73. 追録6-No.73 松平康福書状

    松平周防守康福が松平薩摩守に宛て、公方様の機嫌がよいことを伝える。去月廿日、すなわち四月廿日に東叡山の御霊前へ参詣した旨の来書を承知し、恐悦したと伝える。紙面の趣旨は各々申し談じて上聞に達したとも知らせる。五月九日付で、宝暦十四年の年記は朱注による。

  74. 追録6-No.74 松平康福書状

    松周防が松平薩摩守の留守居に宛て、嶋津玄蕃を翌日四時に御城へ差し出すよう通知する。五月十日付で、宝暦十四年は目録による。指定日は五月十一日となる。署名は「松 周防」。

  75. 追録6-No.75 松平康福書状

    松周防が松平薩摩守の留守居に宛て、嶋津玄蕃を翌日九時に「我等宅」へ差し出すよう通知する。五月十日付で、宝暦十四年は目録による。指定日は五月十一日となる。署名は「松 周防」で、日付・署名・宛名は次段に続く。

  76. 追録6-No.76 松平康福書状

    松平周防守康福が松平薩摩守に宛て、公方様の機嫌がよいことを伝える。去月晦日、すなわち四月晦日に増上寺の御霊前へ参詣した旨の来書を承知し、恐悦したと伝える。紙面の趣旨は各々申し談じて上聞に達したとも知らせる。五月十一日付で、宝暦十四年の年記は朱注による。

  77. 追録6-No.77 松平康福書状

    松平周防守康福が松平薩摩守に宛て、公方様・若君様の機嫌がよいことを恐悦するという来書に応じる。宿次奉書によって公方様から御鷹の鶴を拝領したことへの謝意を承知したとし、その御礼として嶋津玄蕃を通じて若君様に献上された御樽肴を披露し、たいへんよい仕合わせであったと伝える。五月十一日付で、宝暦十四年の年記…

  78. 追録6-No.78 松平武元外二名連署状

    松平康福・輝高・武元の三名が連署して松平薩摩守に宛て、公方様・若君様の機嫌がよいことを恐悦するという来書に応じる。宿次奉書によって御鷹の鶴を拝領したことへの謝意を承知し、その御礼として嶋津玄蕃を通じて献上された御樽肴を披露したと伝える。玄蕃が御前へ召し出され、入念であるとして御喜色があったとも知らせ…

  79. 追録6-No.79 松平康福書状

    松平周防守が松平薩摩守に宛て、去年の御暇の際に左衛門尉へ差し出された当分相続願書を返進すると伝える。五月十四日付で、宝暦十四年の年記は朱注による。左衛門尉には酒井忠寄の人物注がある。署名は松平周防守で、康福の実名は目録表題による。

  80. 追録6-No.80 島津久金申渡書

    浄岸院から悟姫に贈られた牡丹御紋について、別紙絵形の通りであることを関係する御役々へ申し渡し、絵形を御記録奉行が格護して置くよう申し渡すことを命じる。署名は左中で、島津久金の人物注がある。本文の日付は五月、張紙には宝暦十四年申五月廿八日にこの旨を仰せ渡したとある。外包の朱書「十三」に続き、悟姫へ浄岸…

  81. 追録6-No.81 島津重豪書状

    重豪書状。一筆申し上げるとして、公方様・御台様・若君様・万寿姫君様の機嫌がよいことを恐悦する旨を述べる。このたび朝鮮国から公方様への献上物のうち品々が浄岸院へ贈られ、自分にも及んだことをありがたく思い、その御礼を申し上げたいと伝える。御台様・若君様・万寿姫君様へも申し上げ、機会の折に御前でよろしく取…

  82. 追録6-No.82 拝領物目録

    浄岸院へ六月六日に御文で贈られた品物の目録。人参一きん、白苧布二ひき、生苧布二ひき、黒麻布二ひき、白綿紬三ひき、色かみ一まき、真墨二笏を列記する。宝暦十四年の年記は朱注による。出典注は写正文在右筆所・中奉書切紙。贈り主の実名は本文にない。

  83. 追録6-No.83 明和改元

    宝暦十四年を明和と改元し、明和元年甲申六月十三日に江府でその旨が伝令され、翌七月五日に薩府へ達したことを記す。出典は重豪公御譜中。改元伝令日と薩府での受領日を分けて記した記事である。目録の年月日欄は空欄。

  84. 追録6-No.84 琉使、将軍ニ謁ス

    改元・重豪の朝覲と琉球使節の来聘を記す。宝暦十四年六月十三日に明和と改元、七月朔日に例どおり朝覲し、翌日大圓寺の先廟に謁した。八月三日、将軍の使番が鷹で捕えた雲雀を邸へ届け、重豪は松平本次郎を通じて謝恩した。九月廿七日には有馬・酒井・上杉・伊達の諸侯を芝邸へ招き散楽を催し、十月五日には南部両侯と散楽…

  85. 追録6-No.85 松平輝高書状

    松平右京大夫輝高が松平薩摩守に宛て、今朝献上された琉球布一箱、砂糖漬天門冬一器、赤貝塩辛一器、琉球泡盛酒二壺を披露し、たいへんよい仕合わせであったと伝える。六月廿五日付で、明和元年の年記は朱注による。献上先の実名は本文にない。

  86. 追録6-No.86 阿部正右書状

    阿部伊予守正右が松平薩摩守に宛て、今朝献上された琉球布一箱、砂糖漬天門冬一器、赤貝塩辛一器、琉球泡盛酒二壺を披露し、たいへんよい仕合わせであったと伝える。六月廿五日付で、明和元年の年記は朱注による。献上先の実名は本文にない。

  87. 追録6-No.87 松平武元外二名連署状

    松平周防守・松平右京大夫・松平右近将監の三名が松平薩摩守に宛て、翌朔日五時に登城し、参勤の御礼を申し上げるべき旨を通知する。六月晦日付で、明和元年の年記は朱注による。指定日は七月朔日となる。本文の署名は三名の官称のみで、目録は松平武元外二名連署状とする。宛名は次頁冒頭に続く。

  88. 追録6-No.88 登城令書

    家来二人の御目見を仰せ付けられたので、召し連れて出るよう命じる登城令書。出典注は正文在文庫。本文には年日・差出人の署名・宛名・家来二人の実名を記さない。

  89. 追録6-No.89 重豪、将軍家治ニ見ユ

    同年七月朔日、重豪が命令に応じて登営し、白書院で先例の品を献じて将軍家治に謁見したことを記す。懇意の旨を受けて退出し、そのまま西営へ登って献上品を差し上げ、退いて老中各人の邸を訪れ謝意を表した。儀礼を勤める者は先格の通りで、家老島津左中久金と高橋此面種寿も、それぞれ献上品を捧げて謁見した。出典は重豪…

  90. 追録6-No.90 松平武元書状

    松平右近将監武元が、生見玉の御祝儀として献上された黄金十両を披露し、たいへんよい仕合わせであったと伝える。七月六日付で、明和元年の年記は朱注による。本文の本書状には宛名と献上先の実名を記さない。

  91. 追録6-No.91 阿部正右書状

    阿部伊予守正右が松平薩摩守に宛て、生見玉の御祝儀として献上された黄金十両を披露し、たいへんよい仕合わせであったと伝える。七月六日付で、明和元年の年記は朱注による。献上先の実名は本文にない。

  92. 追録6-No.92 松平武元書状

    松平右近将監武元が松平薩摩守に宛て、献上された御馬二匹を披露し、たいへんよい仕合わせであったと伝える。七月十一日付で、本文に年記はない。明和元年は目録配列による。出典注は重豪公御譜中・正文在文庫。献上先の実名は本文にない。

  93. 追録6-No.93 阿部正右書状

    阿部伊予守正右が松平薩摩守に宛て、献上された御馬一匹を披露し、たいへんよい仕合わせであったと伝える。七月十一日付で、明和元年の年記は朱注による。献上先の実名は本文にない。日付・署名・宛名は次頁に続く。

  94. 追録6-No.94 川田国福申渡書

    浄岸院から悟姫に贈られた牡丹御紋について、別紙絵形の通りである旨を江戸から知らせて来たので、御記録所へ納め置くよう御記録奉行に申し渡すことを命じる。七月、伊織署名。外包の朱書「十四」には、悟姫へ浄岸院から贈られた牡丹紋の絵形一枚と、川田伊織から御記録奉行へ仰せ渡された御書付一通を列記する。出典注は白…

  95. 追録6-No.95 重豪御鷹ノ鶴拝領ス

    同年八月三日、将軍家治が使番遠藤源五郎常住を遣わし、御鷹所で捕えた雲雀を下賜したことを記す。重豪は先格の通り、その恩旨を拝した。出典は重豪公御譜中。本文は「同年」で、目録は記事として年月日欄を空欄とする。目録表題は鶴の拝領とするが、本文は雲雀と記す。

  96. 追録6-No.96 松平康福書状

    松平周防守康福が松平薩摩守に宛て、八朔の御祝儀として使者を通じて献上された御太刀一腰と御馬代黄金十両を披露し、たいへんよい仕合わせであったと伝える。八月四日付で、明和元年の年記は朱注による。献上先の実名は本文にない。

  97. 追録6-No.97 阿部正右書状

    阿部伊予守正右が松平薩摩守に宛て、八朔の御祝儀として使者を通じて献上された御太刀一腰と御馬代黄金十両を披露し、たいへんよい仕合わせであったと伝える。八月四日付で、明和元年の年記は朱注による。献上先の実名は本文にない。

  98. 追録6-No.98 重豪、忠治ノ法事ヲ修ス

    同年八月廿五日、蘭窓公の三百五十年遠忌の法事を吉田の津友寺で二日間修し、香奠銀五枚を納め、番頭鎌田典膳政為が代参したことを記す。注は、このような遠忌の際には恒例として寺役が修し、以後もこれに準じるとする。蘭窓公には島津忠治の人物注がある。出典は重豪公御譜中。目録は記事として年月日欄を空欄とする。

  99. 追録6-No.99 徳川家治御内書

    家治公黒印の御内書。薩摩少将に宛て、重陽の祝儀として小袖一重が到来したことを喜んだと伝える。詳しいことは松平周防守が述べるとして、同人からの伝達に委ねる。九月七日付で、明和元年の年記は朱注による。出典注は重豪公御譜中・正文在文庫。

  100. 追録6-No.100 松平輝高書状

    松平右京大夫輝高が松平薩摩守に宛て、重陽の御祝儀として若君様に使者を通じて献上された小袖一重を披露し、たいへんよい仕合わせであったと伝える。九月七日付で、明和元年の年記は朱注による。