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追録6の目録
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追録6-No.706 松平輝高書状
八朔の祝儀として、使者をもって御太刀一腰・御馬代黄金十両を献上したことを披露したところ、一段の御仕合であると知らせる。八月七日付、年は明和七年の朱注で、輝高の判と松平薩摩守殿宛を備え、口裏に松平右京大夫輝高を記すとの朱注を伴う。正文は文庫にあるという。
追録6-No.707 阿部正允書状
八朔の祝儀として、使者をもって御太刀一腰・御馬代黄金十両を献上したことを披露したところ、一段の御仕合であると知らせる。八月七日付、年は明和七年の朱注で、正允の判と松平薩摩守殿宛を備え、口裏に阿部豊後守正允を記すとの朱注を伴う。
追録6-No.708 島津重豪書状
年始の祝いのため使簡を差し渡し、とくに目録のとおり贈給されたことは入念であるとして、喜びと礼を述べる。八月十三日付、年は明和七年の朱注、中将重豪の御判と「謹上 中山王」を備える。正文は琉球國司にあるという。
追録6-No.709 島津重豪書状
慈照院の卒去に伴い、悔みのため伊江按司を差し渡し、また見舞いとして同使者に別録のとおり贈物を持たせ、二通の書簡を送られたことは入念であるとして、礼を述べる。八月十三日付、年は明和七年の朱注、中将重豪の御判と「謹上 中山王」を備える。
追録6-No.710 島津重豪書状
書札を披見し、中山王がますます平安であるとの知らせを喜び、自分にも変わりなく安心してほしいと伝える。さらに紕縮緬五巻を贈給されたことについて、懇篤の至りとして礼を述べる。八月十三日付、年は明和七年の朱注、薩摩守重豪の御判を備え、中山王への回章と記す。
追録6-No.711 家譜編集心得書
家譜では記事を詳しく記す一方、人物の言行が省略され、口碑だけで実録が伝わらないものもあるので、祖先の遺風・余徳が埋もれることを憂える。そこで去年の在国中、郡山次郎左衛門へ別立ての撰集を命じたという。体裁は記事の大要を採って小節を省き、代々の為人と言論・行事の実を拾い、「華を抜て」記すとする。集めた内…
追録6-No.712 喜入久福申渡書
御家譜編集について、別紙のとおり江戸で命じられたので、承知するよう記録奉行へ申し渡す。明和七年の朱注、十月付、主馬の署と記録奉行宛を備える。写の正文は文庫にあるという。二通の包紙には、白木御文書五番箱にあること、朱で五十と記すこと、家譜編集について江戸で命じられた横切御書付一通と、それに付く主馬の添…
追録6-No.713 敬姫二女系譜抄
大信公(重豪)の二女敬姫を、宇都宮領主奥平大膳太夫昌男の縁女として記す。明和七年庚寅八月二十一日、江戸で出生し、幕府には五年戊子の出生として告げたという。実母は市田喜内貞行の女で名は於登世、母は甘露寺前大納言矩長卿の女と記す。母甘露寺氏の注は安永四年乙未十月二十六日の死去と法名玉貌院殿華山妙巌大姉を…
追録6-No.714 徳川家治御内書
重陽の祝儀として小袖一重が到来したことを喜び、詳しいことは松平右京大夫が述べると伝える。九月七日付、年は明和七年の朱注、家治公の墨印と薩摩中将殿宛を備える。正文は文庫にあるという。
追録6-No.715 阿部正允書状
重陽の祝儀として、使者をもって小袖一重を献上したことを披露したところ、一段の御仕合であると知らせる。明和七年の朱注、九月七日付、阿部豊後守正允の判と松平薩摩守殿宛を備える。
追録6-No.716 島津重豪疏
禅寺と師祖の法統を称え、寂明和尚の徳と力量を讃えて、法会・伝燈と法運の興隆を願う漢文の疏である。恕廟の威徳、石屋の妙智と曹溪の真如を掲げ、妙谷禅寺寂明和尚について、名高い碩徳、金粟から親しく受けた法、敦厚・沈静・清浄な操履、博弁と宏才を讃える。言語の三昧、神通、妙密の指導、晨昏の鐘鼓などを述べ、大匠…
追録6-No.717 島津久般届書
公方様から鷹の雁を松平薩摩守の妻へ賜ったことをありがたく思い、薩摩守に疾気があるため、名代として自分をもって礼を申し上げたと届ける。十月十五日付、年は明和七年の朱注、嶋津式部の署と久般の人物注を備え、正文の控は江戸家老座にあるという。朱注は、この日、文をもって鷹の雁を御前様へ初めて賜ったことを記す。…
追録6-No.718 松平輝高書状
重陽の御内書を渡すので、明日五半時に御城へ家来を差し出すよう命じる。十月十二日付、年は明和七年の朱注、松平右京大夫の署と松平薩摩守殿宛を備える。正文は文庫にあるという。
追録6-No.719 松平輝高書状
今朝、蜜柑二箱・炙鮎一箱を献上したことを披露したところ、一段の御仕合であると知らせる。十二月二日付、年は明和七年の朱注、輝高の判と松平薩摩守殿宛を備え、口裏に松平右京大夫輝高を記すとの朱注を伴う。正文は文庫にあるという。
追録6-No.720 阿部正允書状
今朝、蜜柑二箱・炙鮎一箱を献上したことを披露したところ、一段の御仕合であると知らせる。十二月二日付、年は明和七年の朱注、正允の判と松平薩摩守殿宛を備え、口裏に阿部豊後守正允を記すとの朱注を伴う。
追録6-No.721 島津重豪願書
私領は長崎に近い呉國口にあり、別紙のとおり他国より格別の手当てを行い、「国役同意」として内々に勤めてきたという。しかし長崎に非常事態が起こり、公儀の下知によって人数を差し向ける時、長崎を知らない者では役に立たないので、平時から手当てしておく必要があるとする。非常時の場所の様子を心得、派遣される者の配…
追録6-No.722 島津重豪届書
私領は呉國口にあり、東・南・西の三方、数十里の大洋海を抱えるため、毎年のように唐船が漂着し長崎へ送ると述べる。以前にも白帆の船が領内の沖に見え、前年には屋久島・甑島に呉國人を囲い置いて長崎へ送ったことがあり、平時から呉國方を堅固に守ることを主要な奉公としているという。海上を見渡せる津・浦・島の各所に…
追録6-No.723 島津重豪願書
私領は長崎と関わる事が多く、長崎で異変が起これば、常の手当ての人数を除いて、指図があり次第、遅滞なく人数を差し出す立場にあると述べる。しかし自分をはじめ家来も長崎の様子を心得た者がいないので、当年、暇を賜って国元へ行く際、長崎へ立ち寄り見分したいと願う。正月十三日付、署名欄は「御名」と記す。朱書の付…
追録6-No.724 樺山久智申渡書
長崎への立寄り・見分について願い、別紙二通によって松平右近将監の内意を得たところ、考えがあって簡略な願書を出すよう指図があったと記す。表向きに別紙のとおり同じ御用番へ差し出し、願いのとおりに申し渡されたので、その経過を記録所に記すよう命じる。後年、紛らわしくならないように記し置く旨を備え、五月付、左…
追録6-No.725 重豪、御鷹の鶴を拝領する記事
同年の冬十二月十九日、上使建部荒次郎廣般によって、鷹が捕えた鶴一隻を重豪が賜ったことを記す。重豪には微恙があったため、島津式部久般が代わって恩旨を奉じ、老中の邸へ赴いて拝謝したという。出典は重豪公御譜中。
追録6-No.726 徳川家治御内書
歳暮の祝儀として小袖一重が到来したことを喜び、詳しいことは松平右近将監が述べると伝える。十二月二十七日付、年は明和七年の朱注、家治公の墨印と薩摩中将殿宛を備える。正文は文庫にあるという。
追録6-No.727 阿部正允西丸書状
歳暮の祝儀として、使者をもって小袖一重を献上したことを披露したところ、一段の御仕合であると知らせる。十二月二十七日付、年は明和七年の朱注、阿部豊後守正允の判と松平薩摩守殿宛を備える。
追録6-No.728 松平武元書状
若菜の祝儀として鯛一折を献上したことを披露したところ、一段の御仕合であると知らせる。正月七日付、年は明和八年の朱注、武元の判と松平薩摩守殿宛を備え、口裏に松平右近将監武元を記すとの朱注を伴う。正文は文庫にあるという。
追録6-No.729 阿部正允書状
若菜の祝儀として鯛一折を献上したことを披露したところ、一段の御仕合であると知らせる。正月七日付、年は明和八年の朱注、正允の判と松平薩摩守殿宛を備え、口裏に阿部豊後守正允を記すとの朱注を伴う。
追録6-No.730 島津重豪吉書
吉書として、神社・仏閣の修造興行、農事を専ら勧めること、国々の年貢の徴納の三箇条を掲げ、その旨に従って沙汰するよう命じる。明和八年正月十一日付、重豪の御判を備える。付注は、この吉書が卯二月十五日に主馬殿から本田文蔵へ渡され、白木御文書五番箱に納められているとし、五十一の表示を伴う。正文は文庫にあると…
追録6-No.731 松平武元書状
年頭の祝儀として、使者をもって太刀一腰・馬代黄金十両を献上したことを披露したところ、一段の御仕合であると知らせる。正月十一日付、年は明和八年の朱注、武元の判と松平薩摩守殿宛を備え、口裏に松平右近将監武元を記すとの朱注を伴う。
追録6-No.732 阿部正允書状
年頭の祝儀として、使者をもって太刀一腰・馬代黄金十両を献上したことを披露したところ、一段の御仕合であると知らせる。正月十一日付、年は明和八年の朱注、正允の判と松平薩摩守殿宛を備え、口裏に阿部豊後守正允を記すとの朱注を伴う。
追録6-No.733 島津重豪願書
私領は長崎に関わる事が多く、長崎で異変が起これば、常の手当ての人数を除き、指図があり次第、遅滞なく人数を差し出す立場にあると述べる。しかし自分をはじめ家来に長崎の様子を心得た者がいないので、当年、暇を賜って国元へ行く際、長崎へ立ち寄り見分したいと願う。年は明和八年の朱注、正月十三日付、松平薩摩守の署…
追録6-No.734 樺山久智申渡書
長崎への立寄り・見分について願い、別紙二通で松平右近将監の内意を得たところ、考えがあって簡略な願書を出すよう指図があったと記す。表向きに別紙のとおり同じ御用番へ差し出し、願いのとおりに申し渡されたので、その経過を記録所に記すよう命じる。後年、紛らわしくならないよう記し置く旨を備え、年は明和八年の朱注…
追録6-No.735 島津重豪請書
公方様・大納言様の御機嫌がよいことを喜び、当年、暇を賜って帰国する際、長崎へ立ち寄り見分したいと願ったところ、願いのとおりに申し渡されたことをありがたく思うと伝える。その旨を知らせる書状で、明和八年の朱注、正月十八日付、夏目和泉守様、人々御中宛を備える。宛所には長崎奉行・信政との人物注がある。正文の…
追録6-No.736 島津重豪伺書
先の願いのとおり長崎へ行く際、奉行の屋敷へ赴いて御機嫌を伺い、阿蘭陀屋敷・唐人屋敷も見置きたいので、長崎奉行に相談するようにしたいと伺う。二月十五日付、年は明和八年の朱注、署名欄は「御名」とし島津重豪との人物注を伴う。朱書の付紙には、長崎奉行と相談するようにせよ、とある。正文の控は右筆所にあるという…
追録6-No.737 松平武元書状
歳暮の御内書を渡すので、明日五半時に御城へ家来を差し出すよう命じる。二月二十日付、年は明和八年の朱注、松平右近将監の署と松平薩摩守殿宛を備える。正文は文庫にあるという。
追録6-No.738 島津重豪書状
公方様・大納言様がますます御勇健であることを喜ぶ。先に知らせたとおり、当年、暇を賜って帰国する際に長崎へ立ち寄り見分することが願いどおり許され、当地での挨拶と阿蘭陀屋敷・唐人屋敷を見置きたい旨を伺ったところ、手前方で相談するよう申し渡されたので、その旨を知らせる。二月二十一日付、年は明和八年の朱注、…
追録6-No.739 重豪、帰国の途中に長崎を巡遊する記事
明和八年の任官・拝領・服章と、帰国途中の長崎見学、帰国後の役職変更を日付順に記す。二月二十五日、島津栄女を若御年寄とし、新納次郎四郎久儔を大御目付として内蔵の称を賜った。四月十六日、大家の使松平周防守が物を賜り、公は邸で受け、帰国を命じられ、西丸からも阿部豊後守を使いとして例どおり物を賜った。十九日…
追録6-No.740 喜入久福・小松清香家老連署申渡書
百姓に子が多く生まれた時、出生の子を産所ですぐに殺す行為があると聞き、国柄に関わる不仁の至りであるとして、以後このようなことのないよう、公儀から申し渡された旨を示す。子の出生は国中の繁栄、郷村の余勢につながるので、領国で同様の行為があると聞くのは甚だ不仁であり、命令の趣旨を心得て守るよう求める。末々…
追録6-No.741 読谷山朝恒起請文前書
霊社神文前書として五箇条を誓う。去歳、今帰仁王子の跡役を命じられたことへの謝意、重豪様に逆意を抱かず忠義に励むこと、国王へ疎略の志を抱かず国中・属島の政道を正し、邪欲によって国法を猥りにしないことを掲げる。悪逆の者がいて国中が同意しても自分は同意せず、必ず披露するとする。自分について聞き召された事が…
追録6-No.742 重豪、忠時の五百年忌法事と帰国の暇を賜る記事
明和八年辛卯四月十日、修道佛公(島津忠時)の五百年忌法事を淨光明寺で一日行い、下二組頭島津直衛久中を使いに香奠銀五枚を納め代拝させた。同年四月十六日、上使松平周防守康福が芝邸へ来て帰国の暇を賜り、恩賜は先規どおりだった。同日、大納言家基公からも阿部豊後守正允をもって恩旨を伝え、先例の饗待を行った。翌…
追録6-No.743 松平武元外三名幕府老中連署状
明日五半時に登城して暇の礼を申し上げるよう命じる。四月十八日付、年は明和八年の朱注、板倉佐渡守・松平周防守・松平右京大夫・松平右近将監の四名連署と松平薩摩守殿宛を備える。正文は文庫にある。
追録6-No.744 登城令書
家来一人の御目見を命じられたので、召し連れて出るよう命じる。年は明和八年の朱注で、独立した差出署名・宛所・月日は記さない。
追録6-No.745 拝領馬目録
御馬一疋を列記し、鹿毛・八歳と注す。年は明和八年の朱注で、月日、差出署名、宛所はない。
追録6-No.746 喜入久福申渡書
先の家格寄合について、庶流の二階堂源太夫は先代の事情で連名の頭に置かれていたが、庶流の格式の先例にも触れ、同じ上座では嫡庶の別が立たず専実を失うため、そのままにできないとする。連名の順を仁礼仲右衛門、その次に源太夫と命じる。背道理の意味合いは捨て置き難いので、心得違いなく承知して申し渡すべき旨を示す…
追録6-No.747 島津重豪願書
暇を賜って国元へ行くが、まだ男子がないため、在国中に不慮の事があれば、国元に置く嶋津杢(久峯注)、当年四十歳を相続人として跡職を違いなく継がせるよう願う。続柄は「私大叔父、実叔父之続」と記す。明和八年の朱注、四月二十五日付、署名表示は御名御書判で、松平右近将監殿・松平右京大夫殿・松平周防守殿・板倉佐…
追録6-No.748 重豪、将軍の自筆画を拝領する記事
同年四月二十八日、家治の自筆画二幅を一橋徳川治済卿の邸で賜った。二幅には太公望・「傳説」の題の注がある。老女松島が治済卿へ伝え、重豪へ伝達すべき旨を述べ、翌日、治済卿が田沼能登守意誠を使いとして芝邸へ届け、拝領したという。同五月二十一日、親戚・知己を招き慶筵を開いて饗応したと記す。出典は重豪公御譜中…
追録6-No.749 家治自筆二幅対拝領祝儀次第書
家治自筆画二幅一対の拝領に伴う五月二十一日の祝儀の手順と手当てを定める。画は左太公望、右「傳説」で表具なしと記す。序の書付は四月二十八日に一橋の老女松島が持ち下り、民部卿から田沼能登守をもって二十九日に届けられたこと、右近将監・田沼主殿頭へ留守居使者で内々に知らせ、五月三日登城前に見廻って礼を述べた…
追録6-No.750 島津久健申渡書
家治御筆画の左太公望・右「傳説」、二幅一対を表具なしと記し、記録奉行へ伝える。先月二十八日、民部卿の老女松島が持ち下り、民部卿から伝えるとされたため、翌二十九日に田沼能登守が届けて頂戴した。民部卿へ見廻って礼を述べ、右近将監・田沼主殿頭にも留守居使者で内々に知らせ、礼は追って対客の際に述べるとした。…
追録6-No.751 徳川家治御内書
端午の祝いとして帷子・単物が到来したことを喜び、委細は板倉佐渡守が述べると伝える。五月二日付、年は明和八年の朱注、家治公の墨印表示と薩摩中将殿宛を備える。正文は文庫にある。
追録6-No.752 阿部正允書状
端午の祝いとして使者をもって帷子・単物を献上したことを披露し、一段の御仕合であると伝える。五月二日付、年は明和八年の朱注、阿部豊後守正允の判と松平薩摩守殿宛を備える。
追録6-No.753 島津重豪内意書
吉貴公以来の歴代の家譜編集が済んだことに伴い、系図・系り方について申し出があり、書付と系図二通を御覧に入れたところ、家例のとおり天倫の筋を記し、家督の圈を掛け置く件はすべて申し出どおり命じられたので、承知して国元の同役中へ伝えるよう知らせる。五月付、仲の署を備え、日・年と独立した宛所はない。白木御文…
追録6-No.754 重豪、天皇(後桃園)の即位を賀す記事
明和八年辛卯夏四月二十八日、桃園院第一皇子が即位し、今上皇帝と称したため、重豪が使者義岡左平太久賢、副使志岐兵藤次親興を京都へ遣わした記事。御諱英仁、宝暦八年戊寅七月二日降誕、母后一条故関白兼香公女・恭礼門院との注を伴う。五月四日、禁裏御所へ太刀一腰・御馬代金三十枚、仙洞御所へ太刀一腰・同二十枚、女…
追録6-No.755 島津重豪届書
国元へ帰る暇を賜り早く発足する予定だったが、故障があるためしばらく延引し、当月末に発足する予定であると届ける。五月十二日付、年は明和八年の朱注、署名表示は御名で、宛所はない。控の正文は右筆所にある。
追録6-No.756 松平武元書状
即位の祝いとして使者をもって目録のとおり献上した件を、各々申し談じて披露し、一段の御仕合であると伝える。五月十五日付、年は明和八年の朱注、松平右近将監武元の判と松平薩摩守殿宛を備える。正文は文庫にある。
追録6-No.757 阿部正允書状
即位の祝いとして使者をもって目録のとおり献上した件を披露し、一段の御仕合であると伝える。五月十五日付、年は明和八年の朱注、阿部豊後守正允の判と松平薩摩守殿宛を備える。
追録6-No.758 島津重豪伺書
先に願い出たとおりこのたびの帰国途中に長崎へ立ち寄って見分し、それが済んで同地に滞在している旨を飛札で報告すればよいかと伺う。付紙に「可為伺之通候」と朱注し、伺いどおりとする返答を伴う。五月二十一日付、年は明和八年の朱注、署名表示は御名で、独立した宛所はない。控の正文は右筆所にある。
追録6-No.759 重豪、途次長崎を巡遊し帰国する記事
帰国の暇を賜った重豪が五月二十八日東都芝邸を発ち、家老樺山久智、大目付格赤松則正・二階堂行旦、側用人關山金郷・島津久連、近習役村上範村らが従った。東海道(伊勢路の注)を経て六月十五日伏見の仮館へ着き、二十一日早朝に発ち川船でその夜大坂へ着いた。二十七日大坂を発ち播州路を経て七月朔日坂越へ着き、同日乗…
追録6-No.760 於栄(綱貴女)卒の記事
大玄公(綱貴)の女で、初名から於栄へ改称したことを注す。松平隠岐守定英(伊予松山城主)に嫁ぎ一男を生んだ後に絶婚し、本府西田の亭へ帰って長年住み、後に剃髪して信解院と称した。付注は夫の死後に妻が某院と称する習俗を説明し、於栄はそれとは異なり剃髪して初めて信解院と称したという。この年六月八日、西田の亭…
追録6-No.761 島津重豪届書
亡高祖父同氏上総入道(吉貴)の妹で、故松平隠岐守定英の妻だった者が離縁して国元に住んでいたところ、去る八日に病死したと知らせ、忌服はない旨を届ける。六月付、年は明和八年の朱注、署名表示は御名で、独立した宛所はない。控の正文は家老座にある。
追録6-No.762 届書例書
六代前薩摩守綱貴の妻信證院が国元に住み、宝暦六年子正月晦日に病死したため、忌服はないものの届けるという例書。末尾には明和八年六月の朱注があり、さらに「此六月トアルハ宝暦六年正月ノ誤カ」と疑問を示す朱注を伴う。署名・宛所はない。
追録6-No.763 有川貞厚留守居首尾書
信解院の去月八日の死去についての書付一通と、信證院が死去した際の届出の例書一通を掲げ、当朝の取次の首尾を報告する。まず松平右近将監方の公用人佐々木と面談し、淨國院(吉貴)の妹が先月八日に死去したが忌服はない件を届けるべきか尋ねた。信解院は享保二年に国元へ下向し、その後の伊勢参宮も太守から願い出ており…
追録6-No.764 重豪、孝子を褒賞する記事
本府士木場四郎左衛門貞矩の僕善丞の孝養を褒賞した記事。善丞は幼くして父を失い、母と二人で南林寺の傍に住み、菓子を売って暮らし、母に滋味を尽くした。老母は性急で時に怒ったが、善丞は腹を立てず常に傍に付き、歌や踊り・戯れで慰め、その孝養には老莱子の遺風があったと記す。この年夏六月、廩米十五苞を与えて褒賞…
追録6-No.765 松平康福書状
御札を披見し、酷暑の折に使者をもって公方・大納言の御機嫌を伺ったことについて、御安全であるので安心するよう伝える。琉球布一箱、砂糖漬天門冬一器、干椎茸一箱、琉球泡盛酒二壺を献上した件を、各々申し談じて披露したと知らせる。六月十三日付、年は明和八年の朱注、松平周防守康福の判と松平薩摩守殿宛を備える。正…
追録6-No.766 阿部正允書状
御札を披見し、酷暑の折に使者をもって公方・大納言の御機嫌を伺ったことについて、ますます御安全であるので安心するよう伝える。琉球布一箱、砂糖漬天門冬一器、赤貝塩辛一器、琉球泡盛酒二壺を献上した件を披露し、一段の御仕合であると知らせる。六月十三日付、年は明和八年の朱注、阿部豊後守正允の判と松平薩摩守殿宛…
追録6-No.767 田沼意次書状
御札を披見し、酷暑の折に使者をもって公方・大納言の御機嫌を伺ったことについて、御安全であるので安心するよう伝える。目録のとおり献上したこと、紙面の趣旨を承知したと知らせる。六月十五日付、年は明和八年の朱注、田沼主殿頭意次の判と松平薩摩守殿宛を備える。
追録6-No.768 重豪、徳川吉宗の忌に献銀する記事
この年夏六月二十日、大家が東叡山で有徳院殿(徳川吉宗)の二十一回忌法事を営んだため、二十一日に重豪が番頭兼用人菱刈孫兵衛實祐を遣わし、香奠銀十枚を献納して拝礼した記事。出典は重豪公御譜中。
追録6-No.769 松平康福書状
御札を披見し、田安中納言殿(徳川宗武)の逝去を聞いて言葉もないとの意向を理解したと述べ、それに伴う公方の安否の伺いには、変わったことはないので安心するよう伝える。紙面の趣旨を各々申し談じて上聞したと知らせる。六月二十五日付、年は明和八年の朱注、松平周防守康福の判と松平薩摩守殿宛を備える。正文は文庫に…
追録6-No.770 田沼意次書状
御札を披見し、田安中納言殿の逝去を聞いて言葉もないとの意向を理解したと述べ、それに伴う公方の安否の伺いには、変わったことはないので安心するよう伝える。紙面の趣旨を承知したと知らせる。六月二十九日付、年は明和八年の朱注、田沼主殿頭意次の判と松平薩摩守殿宛を備える。
追録6-No.771 松平武元外三名幕府老中連署状
「生見玉」の祝いとして黄金十両を献上した件を披露し、一段の御仕合であると伝える。七月六日付、年は明和八年の朱注、板倉佐渡守勝清・松平周防守康福・松平右京大夫輝高・松平右近将監武元の四名の判と松平薩摩守殿宛を備える。正文は文庫にある。
追録6-No.772 阿部正允書状
「生見玉」の祝いとして黄金十両を献上した件を披露し、一段の御仕合であると伝える。七月六日付、年は明和八年の朱注、阿部豊後守正允の判と松平薩摩守殿宛を備える。
追録6-No.773 板倉勝清書状
御札を披見し、有徳院の二十一回忌法事に際し、松平薩摩守の妻女の香奠献上について伺ったところ、伺いのとおりになったことをありがたいとする意向を理解したと述べる。紙面の趣旨は各々一覧したと知らせる。七月九日付、年は明和八年の朱注、板倉佐渡守勝清の判と松平薩摩守殿宛を備える。正文は文庫にある。
追録6-No.774 田沼意次書状
御札を披見し、有徳院の二十一回忌法事に際し、松平薩摩守の妻女の香奠献上について伺ったところ、伺いのとおりになったことをありがたいとする意向を理解したと述べる。紙面の趣旨を承知したと知らせる。七月十一日付、年は明和八年の朱注、田沼主殿頭意次の判と松平薩摩守殿宛を備える。
追録6-No.775 板倉勝清書状
有徳院の二十一回忌法事の執行に際し、使者をもって香奠を献上した件は東叡山へ奉納したと伝え、その趣旨を言上したと知らせる。七月二十日付、年は明和八年の朱注、板倉佐渡守勝清の判と松平薩摩守殿宛を備える。正文は文庫にある。
追録6-No.776 板倉勝清書状
御札を披見し、公方はますます御機嫌よいと伝える。有徳院の二十一回忌法事が東叡山で済み、去月二十日に公方が霊前へ参詣したことを聞いて恐悦とする意向はもっともであると述べる。紙面の趣旨を各々申し談じて上聞したと知らせる。七月二十二日付、年は明和八年の朱注、板倉佐渡守勝清の判と松平薩摩守殿宛を備える。
追録6-No.777 田沼意次書状
御札を披見し、公方はますます御機嫌よいと伝える。有徳院の二十一回忌法事が東叡山で済み、去月二十日に公方が霊前へ参詣したことを聞いて恐悦とする意向はもっともであると述べる。紙面の趣旨を承知したと知らせる。七月二十五日付、年は明和八年の朱注、田沼主殿頭意次の判と松平薩摩守殿宛を備える。正文は文庫にある。
追録6-No.778 松平武元外三名幕府老中連署状
八朔の祝いとして使者をもって太刀一腰・御馬代黄金十両を献上した件を披露し、一段の御仕合であると伝える。八月四日付、年は明和八年の朱注、板倉佐渡守勝清・松平周防守康福・松平右京大夫輝高・松平右近将監武元の四名の判と松平薩摩守殿宛を備える。正文は文庫にある。
追録6-No.779 阿部正允書状
八朔の祝いとして使者をもって太刀一腰・御馬代黄金十両を献上した件を披露し、一段の御仕合であると伝える。八月四日付、年は明和八年の朱注、阿部豊後守正允の判と松平薩摩守殿宛を備える。
追録6-No.780 徳川家治室閑院氏薨の記事
この年八月二十日、大樹家治公の正妃閑院氏が薨じた記事で、閑院宮直仁親王女・従二位などの注を伴う。九月十日未刻、遺骸を東叡山へ移して葬り、同二十三日に中陰の梵儀を行ったため、番頭菱刈孫兵衛實祐を上野へ遣わして香奠銀五枚を献じた。十月二十日、心観院殿の遺命により古今和歌集一匣を賜ったと記し、光廣卿の親筆…
追録6-No.781 松平武元書状
干菓子一箱を献上した件を披露したと伝える。九月二日付、年は明和八年の朱注、松平右近将監武元の判と松平薩摩守殿宛を備える。正文は文庫にある。
追録6-No.782 阿部正允書状
干菓子一箱を献上した件を披露したと伝える。九月二日付、年は明和八年の朱注、阿部豊後守正允の判と松平薩摩守殿宛を備える。
追録6-No.783 松平武元書状
御札を披見し、公方・大納言は御安全であり、恐悦とする意向はもっともと伝える。松平薩摩守が七月十六日に長崎へ到着し、奉行と対話し、同地を見分したことをありがたいとする意向を理解したと述べ、去月九日に同所を出立した旨を承知したと知らせる。紙面の趣旨は各々一覧したという。九月六日付、年は明和八年の朱注、松…
追録6-No.784 阿部正允書状
御札を披見し、公方・大納言は御安全であり、恐悦とする意向はもっともと伝える。松平薩摩守が七月十六日に長崎へ到着し、奉行と対話し、同地を見分したことをありがたいとする意向を理解したと述べ、去月九日に同所を出立した旨を含む紙面の趣旨を承知したと知らせる。九月六日付、年は明和八年の朱注、阿部豊後守正允の判…
追録6-No.785 田沼意次書状
御札を披見し、公方・大納言は御安全であり、恐悦とする意向はもっともと伝える。松平薩摩守が七月十六日に長崎へ到着し、奉行と対話し、同地を見分したことをありがたいとする意向を理解したと述べ、去月九日に同所を出立した旨を含む紙面の趣旨を承知したと知らせる。九月九日付、年は明和八年の朱注、田沼主殿頭意次の判…
追録6-No.786 有川貞厚伺書
このたびの法事に際し、薩摩守の妻から香奠を献上する件をどのようにすればよいか伺う。張紙の朱注は、来る二十三日朝六時、上野本坊へ使者をもって香奠白銀一枚を献上するよう指示する。九月十五日付、年は明和八年の朱注、松平薩摩守内有川勇馬の署を備え、宛所はない。控の正文は江戸家老座にある。
追録6-No.787 幕府指図書
九月十一日、表御使生駒からの達しの書付写として掲げる。心観院への香奠白銀一枚を使者によって献備するよう指示し、日取りは表向きに問い合わせ、「同日」に差し上げるよう示す。年は明和八年の朱注で、目録の日付は同年九月十五日。独立した署名・宛所はない。写の正文は江戸家老座にある。
追録6-No.788 重豪、女敬の出府を官に告ぐ記事
重豪の娘は於敬といい、明和七年庚寅八月二十一日に府城で生まれたと記す。その後、東都の邸で育てようとして、あらかじめ官へ告げ、その届書を次に掲げるとの記事。出生の記録と東都での養育予定を述べ、独立した署名・宛所はない。
追録6-No.789 島津重豪届書
国許で妾腹に出生した女子を来年中に出府させる予定なので、聞き置くよう届ける。九月二十五日付、年は明和八年の朱注、署名表示は御名で、宛所はない。写で、控の正文は家老座にある。
追録6-No.790 有川貞厚首尾書
於敬が来年中に出府する旨の届出の書付一通を掲げ、当朝の首尾を報告する。松平右近将監方の公用人河鰭七郎左衛門へ持参して内見を願ったところ、先例ではどの名義で提出したかを尋ねられた。相当する例はないが類例があり、手控を持参したので、尋ねがあれば例書を見せてほしいと申し伝えた。於敬は幼年で、来年の出府の時…
追録6-No.791 徳川家治御内書
重陽の祝いとして小袖一重が到来したことを喜び、委細は松平右京大夫が述べると伝える。九月二十七日付、年は明和八年の朱注、家治公の墨印表示と薩摩中将殿宛を備える。正文は文庫にある。
追録6-No.792 松平武元書状
御札を披見し、公方・大納言の御機嫌を伺った件には、ますます御安全なので安心するよう伝える。原に「干鱠残魚」と記す品一箱を献上した件を、各々申し談じて披露し、一段の御仕合であると知らせる。九月二十七日付、年は明和八年の朱注、松平右近将監武元の判と松平薩摩守殿宛を備える。
追録6-No.793 田沼意次書状
御札を披見し、公方・大納言の御機嫌を伺った件には、ますます御安全なので安心するよう伝える。肴一種を献上したことを含む紙面の趣旨を承知したと知らせる。九月二十九日付、年は明和八年の朱注、田沼主殿頭意次の判と松平薩摩守殿宛を備える。
追録6-No.794 阿部正允書状
御札を披見し、公方・大納言の御機嫌を伺った件には、ますます御安全なので安心するよう伝える。原に「干鱠残魚」と記す品一箱を献上した件を披露し、一段の御仕合であると知らせる。十月朔日付、年は明和八年の朱注、阿部豊後守正允の判と松平薩摩守殿宛を備える。正文は文庫にある。
追録6-No.795 阿部正允書状
重陽の祝いとして使者をもって小袖一重を献上した件を披露し、一段の御仕合であると伝える。十月五日付、年は明和八年の朱注、阿部豊後守正允の判と松平薩摩守殿宛を備える。正文は文庫にある。
追録6-No.796 松平康福書状
御札を披見し、御台が不例で養生が叶わず薨去したことを聞き、言葉もないとする意向を理解したと述べる。それに伴い使者をもって公方の御機嫌を伺った件には、変わったことはないので安心するよう伝える。紙面の趣旨を各々申し談じて上聞したと知らせる。十月十日付、年は明和八年の朱注、松平周防守康福の判と松平薩摩守殿…
追録6-No.797 阿部正允書状
御札を披見し、御台が不例で養生が叶わず薨去したことを聞き、言葉もないとする意向を理解したと述べる。それに伴い使者をもって大納言の御機嫌を伺った件には、変わったことはないので安心するよう伝える。紙面の趣旨は言上する予定と知らせる。十月十日付、年は明和八年の朱注、阿部豊後守正允の判と松平薩摩守殿宛を備え…
追録6-No.798 田沼意次書状
御札を披見し、御台が不例で養生が叶わず薨去したことを聞き、言葉もないとする意向を理解したと述べる。それに伴い使者をもって公方・大納言の御機嫌を伺った件には、変わったことはないので安心するよう伝える。紙面の趣旨を承知したと知らせる。十月十三日付、年は明和八年の朱注、田沼主殿頭意次の判と松平薩摩守殿宛を…
追録6-No.799 松平康福書状
心観院(家治の室)の中陰法事の執行に際し、使者をもって献上した香奠を東叡山へ奉納したと伝える。その趣旨を言上したと知らせる。十月二十日付、年は明和八年の朱注、松平周防守康福の判と松平薩摩守殿宛を備える。正文は文庫にある。
追録6-No.800 島津重豪加冠仮名書出
新納万太郎の加冠に際し、仮名を次郎四郎とするよう定める書出。明和八卯十月二十八日付、重豪公の御墨印表示、新納万太郎と次郎四郎の名を備える。正文は新納次郎四郎にある。
追録6-No.801 重豪、家臣の忠僕を褒賞する記事
加治木家臣市来太次兵衛の僕清八が、太次兵衛に仕えて力を尽くしたので、この年冬十月、青銅三百匹を与えて褒賞した記事。加治木家臣に続く注は、圓徳公の大統入承後に嗣なく、今は加治木家跡と称する旨を説明する。出典は御譜中。
追録6-No.802 松平康福書状
国許到着の礼の使者末川織衛を、明朔日五時に御城へ差し出すよう命じる。あわせて末川自身の礼も申し上げてよいので、その趣旨を心得るよう伝える。十月二十九日付、年は明和八年の朱注、署は「松周防」の略記で、松平薩摩守殿留守居宛を備える。正文は文庫にある。
追録6-No.803 新納久儔大目付達書
御預犬以外の大犬・中犬を飼い置かないよう、前々から申し渡されていたが、この頃雑犬が多く見えるので捕方を申し渡す。中犬以上の犬を置いている場合には、早速遠方の外城へ差し遣わすよう示し、捕えにくい犬があれば目付方へ申し出るよう求める。この旨を支配中へ漏れなく申し渡すよう通達する。明和八年卯十月付、日と独…
追録6-No.804 阿部正允書状
御札を披見し、公方・大納言はますます御機嫌よく、恐悦との意向はもっともと伝える。帰国の暇に白銀・巻物を頂戴し、さらに馬を賜り、大納言からも拝領物があって重ね重ねありがたいとする意向を理解したと述べる。国許到着の礼として末川織衛をもって目録のとおり献上した件を披露し、喜色があったと知らせる。十一月四日…
追録6-No.805 板倉勝清書状
国許到着の礼の使者末川織衛を、明日四時に御城へ差し出すよう命じる。十一月四日付、年は明和八年の朱注、署は「板佐渡」の略記で、松平薩摩守殿留守居宛を備える。