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追録6の目録
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追録6-No.1722 松平輝高書状(炙鮎一箱献上返礼)
今朝、炙鮎一箱が献上され、披露したところ格別の仕合せであった旨を伝える返礼書状。安永九年十二月十八日、松平右京大夫輝高判、松平薩摩守宛。
追録6-No.1723 徳川家治御内書(歳暮祝儀小袖一重到来)
歳暮の祝儀として小袖一重が到来したことを喜び、詳しくは田沼主殿頭意次が述べるとした徳川家治の御内書。安永九年十二月二十七日、家治公御黒印、薩摩中将宛。
追録6-No.1724 島津重豪譜中記事(今上皇帝即位祝賀使節派遣)
後桃園院皇子祐宮が即位し、今上皇帝と称されたことを受けた島津重豪譜中の記事。祐宮は安永八年十一月二十五日に践祚し、御諱を兼仁といい、安永十年正月朔日に御首服を加えたと記す。来院隼人定馨を正使、津留八左衛門正表を副使として京師へ派遣し、慶礼を待って三月十九日、禁裏御所へ太刀一腰・馬代白銀三十枚、仙洞御…
追録6-No.1725 松平康福書状(若菜祝儀鯛一折献上返礼)
若菜の祝儀として鯛一折が献上され、披露したところ格別の仕合せであった旨を伝える返礼書状。安永十年正月七日、松平周防守康福判、松平薩摩守宛。
追録6-No.1726 島津重豪吉書(社寺修造・勧農・年貢徴納三箇条)
年頭の吉書として、第一に神社仏閣の修造を興行すること、第二に農事を専ら勧めること、第三に諸国の年貢を徴納することの三箇条を命じた文書。安永十年正月十一日、島津重豪御判。包紙には、丑二月二十一日に帯刀殿から川上平右衛門へ渡されて納置され、白木御文書五番箱に入れたと記す。
追録6-No.1727 松平康福書状(年頭祝儀太刀・馬代黄金献上返礼)
年頭の祝儀として、使者により太刀一腰と馬代黄金十両が献上され、披露したところ格別の仕合せであった旨を伝える返礼書状。安永十年正月十一日、松平周防守康福判、松平薩摩守宛。
追録6-No.1728 島津重豪譜中記事(御鷹の鶴拝領)
安永十年正月十九日、将軍家から御使番竹中監物が芝邸へ遣わされ、島津重豪が御鷹の鶴を拝領した記事。当日は重豪が病気であったため、秋月佐渡守種茂を名代として受け取らせた。
追録6-No.1729 島津重豪譜中記事(台徳廟百五十回忌香奠銀献上)
安永十年正月二十四日、将軍家が増上寺で台徳廟の百五十回忌法事を営み、翌日、島津重豪が番頭を使者として香奠銀十枚を献上した記事。
追録6-No.1730 松平康福書状(鯛一折献上返礼)
今朝、鯛一折が献上され、披露したところ格別の仕合せであった旨を伝える返礼書状。安永十年正月二十八日、松平周防守康福判、松平薩摩守宛。
追録6-No.1731 家老覚書(拝領御鷹を道中行列に据える願)
前年冬に拝領した御鷹を、道中の行列内に据えたいとの島津重豪の意向について、留守居を介して田沼主殿頭意次へ内意を伝えた家老覚書。松平図書頭が御鷹を拝領した先例と、松平右京大夫が取り扱った際の差図を問い合わせ、別紙の先例書を三浦庄二へ渡して、一度限りではなく以後の道中でも据える内願として取り次ぐよう求め…
追録6-No.1732 御鷹拝領例書(帰路道中の据置・捉飼)
田沼主殿頭の用人から留守居へ渡された、拝領御鷹を帰路の道中に据える際の覚書写。道中で差し支えのない場所では捉飼してよいこと、通過する領主方へ拝領御鷹を据えて適所で捉飼したい旨を通達すること、松平図書頭の先例どおりに行うことを示す。一方、次回の参府では御鷹を据える必要はないとする。安永十年二月朔日。
追録6-No.1733 島津重豪譜中記事(天明改元の伝令・簿籍改記)
二月十三日に天明へ改元され、江府で伝令を受けて薩府へ告げた記事。同日以後の簿籍は、年号を天明として記すこととした。
追録6-No.1734 奥女中連署返書(国元で捕えた鶴の献上方法照会)
島津重豪が前年冬に拝領した御鷹で国元において鶴を捕え、公方へ献上したいと望んだ件について、内証から献上するのがよいか、表向から献上するのがよいかを照会した返書。照会内容を老女衆へ申し入れ、平野へ返答した。天明元年、富野・たみの・菊野・岩野・小山の連署。
追録6-No.1735 奥女中連署返書(鶴を女使で奥へ献上する指示)
鶴献上の照会について、老女衆へ申し入れた結果、女使を用い、内証から奥へ祝意をもって献上するようにとの回答を平野へ伝えた返書。天明元年、富野・たみの・菊野・岩野・小山の連署。
追録6-No.1736 平野伺書(鶴献上許可への礼の申上方法)
鶴を女使によって献上するよう命じられたことへの礼を、どのように申し上げればよいかを平野が伺った書状。女使で礼を申し上げるのがよいかを問い、相手方に指図を求めた。天明元年、平野から富野・民野・菊野・岩野・小山宛。
追録6-No.1737 小やま外四名連署消息(鶴献上礼の女使不要回答)
鶴を女使によって献上するよう命じられたことへの礼について、女使を立てて礼を申し上げるには及ばないとの意向を、ひら野へ伝えた返書。国元で御鷹により鶴を捕えて献上するに至った経緯と、その献上を女使で行うよう指示されたことを振り返り、上方の機嫌と慶事を祝う。天明元年、富野・たみの・菊野・岩野・小やまの連署…
追録6-No.1738 田沼意次書状(御檜重一組献上返礼)
田沼意次が島津重豪へ、同日朝に献上された御檜重一組を披露したところ、格別の首尾であった旨を伝えた返礼の書状。天明元年二月二十一日付。
追録6-No.1739 島津重豪譜中記事(本府市人助八夫妻の孝行褒賞)
本府の市人助八夫妻が母に尽くした孝行を褒賞した記事。助八は魚を売り、妻は織物に励んで、貧窮のなか七十歳の母を養った。母が失禁するようになっても、妻は夫に知らせず衣類を洗い、助八の外出中も姑の側を離れず、鼓・三味線・俗謡で慰めた。その情愛が近隣を感動させて役人へ伝わり、天明元年二月に有司から金品を与え…
追録6-No.1740 田沼意次書状(歳暮御内書受領の家来差出通知)
田沼意次が島津重豪へ、歳暮の御内書を渡すため、翌日五半時に家来を御城へ差し出すよう通知した書状。天明元年二月二十八日付。
追録6-No.1741 島津重豪譜中記事(暦官水間良実の修暦・五星測量)
暦官水間喜八良実の修暦と五星測量への従事を記す記事。明和二年、江府で暦正佐々木氏に修暦を命じた際、良実はその補佐として八年間勤務した。天明元年、吉田靱負に五星の推歩が命じられると、三月五日に老中松平右京大夫輝高の書状で良実も江府へ再召喚され、補佐を務めた。天明四年八月、老齢により帰国を許され、城下の…
追録6-No.1742 島津重豪伺書(伏見・西宮間の山崎道通行)
国元への暇を許された島津重豪が、伏見から西宮まで通人馬で山崎道を通行したいと伺った書付。天明元年三月六日付。同日、留守居を介して御用番松平右京大夫へ提出し、付紙によって願いどおり許可された。
追録6-No.1743 島津重豪伺書(転任祝儀の老中招請)
転任祝儀として老中方を招く件について、在府中は準備が整わないため、後日あらためて伺い出たいとした島津重豪の書付。転任と兼任の際には招請の先例があるが、転任だけの例がないため、三月三日に留守居から御用番へ指図を求めたところ、転任の格式は格別なので招請すべきとされた。帰国前は日程がなく、天明三年春にも奥…
追録6-No.1744 島津重豪譜中記事(帰国暇と参勤時期変更)
天明元年三月十三日、将軍徳川家治が老中松平周防守康福を芝邸へ派遣し、島津重豪に帰国を命じて例どおり恩賜品を与えた。十五日、重豪は留守家老喜入主馬久福を伴って登城し、帰国許可への礼を述べた。通常は四月帰国・三月江戸参勤であったが、重豪は宿疾が治らず暑熱期の遠行が適さないため、回復するまで三月帰国・二月…
追録6-No.1745 老中三名連署状(帰国暇礼の登城通知)
田沼意次・松平康福・松平輝高が島津重豪へ、翌十五日五時に登城し、帰国の暇を与えられたことへの礼を申し上げるよう通知した連署状。天明元年三月十四日付。
追録6-No.1746 登城令書(家来一人の御目見許可・召連登城)
家来一人に御目見が命じられたため、その者を連れて出るよう通知した短い令書。前後の記事から天明元年三月頃の文書とみられるが、本文中に日付・差出人・宛名はない。
追録6-No.1747 松平輝高書状(御即位祝儀献上品の披露)
御即位の祝儀として、島津重豪が使者を通じて目録どおりの品を献上した件について、関係者で相談して披露したところ、格別の首尾であったと松平右京大夫輝高が伝えた書状。天明元年三月二十七日付。
追録6-No.1748 島津重豪譜中記事(江戸発国・山崎道経由の帰国行程)
天明元年三月二十八日、島津重豪が江戸を発って帰国した行程記事。家老島津左中久金、側用人平田平太左衛門位就、側役二階堂弥行充、市田勘解由貞英らが従行した。四月三日に駿州藤枝へ至ったが、大井川増水のため島田駅に滞在し、五日に渡河して遠州袋井へ進んだ。十三日に伏見へ着いて三日間滞在し、十七日に山崎道から中…
追録6-No.1749 喜入久福・宮之原通直連署書状(御養君の件)
御養君の件について、喜入久福と宮之原通直が島津左中へ報じた連署書状。江戸での風聞を受け、有川勇馬を通じて田沼主殿頭方などへ内々に事情を探り、正式な沙汰に先立つ軽率な申立てや風説の流布を避けようとした。御城での取扱い、関係者への相談、御手寄せや贈物に要する費用、国元と江戸の連絡についても検討し、今後の…
追録6-No.1750 島津重豪届書(桜島噴火の被害報告)
島津重豪が桜島の噴火を幕府へ届けた書付。前年からの異変に続き、天明元年三月十八日に島の海中付近から火が燃え出し、地震、砂石・灰の降下、死失者や田畑の損失が生じた。いったん火勢が弱まった後、四月八日に再び燃え出したが、前のような勢いには至らなかったという。四月二十六日付の届書を、五月十五日に留守居矢野…
追録6-No.1751 桜島噴火死失覚書(死者・行方不明者・負傷者・船)
桜島噴火の被害を列記した覚書。死者八人、行方不明者七人、負傷者一人、大小の船六艘と記す。天明元年四月二十六日付で、島津重豪の届書 No.1750 に付属するが、独立した番号の文書として整理する。
追録6-No.1752 徳川家治御内書(端午祝儀の贈物への礼)
将軍徳川家治が薩摩中将島津重豪へ、端午の祝儀として届けられた帷子・単物への礼を伝えた御内書。詳細は田沼主殿頭が申し述べると記す。天明元年五月二日付、家治の黒印がある。
追録6-No.1753 島津久起申渡書(御鷹匠頭の役名設置)
御本丸で御鷹匠頭の役名を立てることになったため、その旨を大進へ通達する島津久起の申渡書。本文は役名の設置と通知を伝える短文で、天明元年五月の記載がある。
追録6-No.1754 有川貞厚伺書(島津重豪の参勤時期)
島津重豪は近年、暑気で持病が障り、暖かい時期の道中が難しいため、全快まで三月に帰国の暇を得て二月に参府したいと願い、前年八月十一日に許された。有川貞厚は、この変更のもとで来年の参勤時期を従来どおり前年十一月に伺う必要があるか、また国元へ早めに指示を伝えるため、天明元年五月二日に御用番田沼主殿頭へ伺っ…
追録6-No.1755 田沼意次書状(将軍の近況・改元に関する返答)
田沼主殿頭意次が島津重豪へ、将軍が健やかに過ごしていることへの慶賀と、改元を承知した旨を受け取ったと伝えた書状。重豪の書面の趣旨は関係者と相談して上聞に達すると述べる。天明元年五月十八日付。
追録6-No.1756 郡奉行見習申渡書(二階堂主計の任命)
郡奉行見習の役を新たに立て、二階堂主計をこれに任じると申渡した書付。役順については御裁許方見習の次とし、奥向の係へも伝えるよう指示する。天明元年閏五月の記載がある。
追録6-No.1757 喜入久福・宮之原通直連署書状(御養君・茂姫の件)
御養君となる豊千代と茂姫の一橋家への引取りをめぐり、喜入久福・宮之原通直が国元の家老らへ内々に知らせた書状。閏五月七日の急飛脚や佐藤彦之丞から矢野清右衛門への手紙などで、十八日の沙汰、翌十九日の引取り、島津重豪の参府命令が見込まれることを聞き、発駕の準備を進めるよう伝える。茂姫に付き添う女中や田沼・…
追録6-No.1758 御養君の件に関する家老五名返書の記録(本文未確認)
目録は、閏五月二十八日付の島津久金ほか家老四名による連署返書を掲げる。対応する原本箇所では、喜入久福・宮之原通直の閏五月十一日付書状の末尾に「閏五月廿八日」の朱書があり、五名は同書状の宛名として記される。返書の独立した本文と差出連署は確認できないため、その内容は推定しない。
追録6-No.1759 松平輝高書状(東叡山御霊前参詣の慶賀)
松平右京大夫輝高が島津重豪へ、将軍が健やかであり、四月二十日に東叡山の御霊前へ参詣したことを聞いて慶賀する重豪の書状を受け取ったと伝える。書面の趣旨は関係者と相談して上聞に達すると記す。天明元年閏五月十一日付。
追録6-No.1760 喜入久福・宮之原通直連署書状(御養君と茂姫の件)
豊千代が御養君に決まったことや、茂姫が民部卿方へ移る件について、喜入久福・宮之原通直が国元の家老らへ知らせた書状。御付使者の派遣、御養君任命に伴う祝い、虎寿丸らへの連絡、茂姫の縁組先からの迎えに関する通達を述べる。留守居有川勇馬が松平右京大夫方に呼び出され、翌十九日の移動予定を口達と書付で聞いた経緯…
追録6-No.1761 御養君の件に関する家老五名返書の記録(本文未確認)
目録は、六月十六日付の島津久金ほか家老四名による連署返書を掲げる。対応する原本では、前の喜入久福・宮之原通直書状の末尾に「六月十六日」の朱書があり、次の短い欄に「全上」「扣正文在家老座」と記される。返書の独立した本文・差出連署・宛名は確認できないため、返答の内容は推定しない。
追録6-No.1762 喜入久福・宮之原通直連署書状(茂姫の民部卿邸への移動)
茂姫が十九日に民部卿邸へ移ることになったため、喜入久福・宮之原通直が国元の家老らへ報じる書状。民部卿側の迎えと年寄らによる応対、一橋からの知らせ、松平右京大夫が留守居の有川勇馬に告げた移動予定と家老・目付への照会を記す。主馬は一橋へ出向いて通達を確認し、御三家などへの通知と使番の手配を指示した。両殿…
追録6-No.1763 茂姫の件に関する家老四名返書の記録(本文未確認)
目録は、六月十六日付の島津久金ほか家老三名による連署返書を掲げる。対応する原本の次の短い欄には「全上」「扣正文在家老座」とだけ記され、返書の独立した本文・差出連署・宛名は確認できない。返答の内容は推定しない。
追録6-No.1764 喜入久福・宮之原通直連署書状(参府・茂姫移動の報告)
太守の参府について、奉書の到着の有無がまだ分からないことと日程の見通し、茂姫の一橋への移動について、喜入久福・宮之原通直が国元の家老らへ報じる。田沼方から聞いた参府の見込みと、松平右京大夫から留守居の有川勇馬に伝えられた茂姫移動の件を記す。家来の名の書付や奉書の取扱い、国元への通知をめぐるやり取りを…
追録6-No.1765 参府・茂姫の件に関する家老五名返書の記録(本文未確認)
目録は、六月十六日付の島津久金ほか家老四名による連署返書を掲げる。対応する原本の次の短い欄には「全上」「扣正文在家老座」とだけ記され、返書の独立した本文・差出連署・宛名は確認できない。返答の内容は推定しない。
追録6-No.1766 喜入久福・宮之原通直連署書状(茂姫移動に伴う供人数・書付)
茂姫の一橋への引取りと、その後の住まいの移動に備える供人数・役人の手配について、喜入久福・宮之原通直が国元の家老らへ知らせた書状。留守居の有川勇馬が田沼方で聞いた内容を踏まえ、一橋へ出す供人の人数や名書き、奥向の役人・医師、年少の茂姫に付き添う者の扱いを検討する。関係先へ提出する書付や、国元から知ら…
追録6-No.1767 茂姫の供人数の件に関する家老五名返書の記録(本文未確認)
目録は、六月十六日付の島津久金ほか家老四名による連署返書を掲げる。対応候補の原本では、前の喜入久福・宮之原通直の閏五月十八日付書状の末尾に「六月十六日」と朱書される。返書の独立した本文・差出連署・宛名は確認できないため、返答の内容は推定しない。
追録6-No.1768 有川勇馬貞厚願書(茂姫の輿脇に付く供人)
茂姫の行列に際し、輿の脇へ付き添う者の配置を有川勇馬が願い出た書状。前日に承知した行列書では広敷番の頭が輿の左右に一人ずつ付くが、茂姫は幼いため、日頃から気心の知れた側用人一人と奥頭役一人も輿の脇に添えるよう求める。用事が生じた際にその場で応じられることを理由に挙げる。閏五月十八日付。
追録6-No.1769 茂姫に附添う女中の身元・居所の書上
御縁女に附添う女中として浪江・多賀・千さ・きその身元を列記する。浪江は石川阿波守の組与力松山忠左衛門の妹で居所は弁橋、多賀は松平志摩守の支配に属する日野小左衛門の娘で居所は本所石原、千さは石川阿波守の組与力松山忠左衛門の娘で居所は弁橋と記す。きそは氏名だけが見え、続く身元欄はこの切出しでは確認できな…
追録6-No.1770 御縁女が一ツ橋御屋形に入る際の行列・儀礼の指図
御縁女が一ツ橋御屋形へ入る当日の行列を指図する。薩摩守の屋敷に御本丸向の迎えが来る時刻を一時早くし、供方の衣服は染帷子・麻上下とする。出立時の徒方による人払い、道筋に人を留めないこと、門の主人の応対を指示する。広敷や見通しの屋敷で門・建窓蓋などの見え方を整え、七八歳までの男子の扱いと女中の配置にも触…
追録6-No.1771 御縁女引取り時の迎え・供役人数についての問合せ
御縁女の引取りに際し、迎えに来る御老女をはじめ各役と女中の人数、御供被成の際に直に供となる役の扱い、広敷の役方それぞれの人数を問い合わせる。末尾は御先拂の御徒について、差越しと事前の拂の手順を確認する。原本の書き込みには、回答を受けた役名や人数に関する傍注が付くが、本文の問合せと区別して扱う。
追録6-No.1772 御縁女引取り時の供役人数と担当者の書上
御縁女引取りの際に御供を勤める面々を列挙する。一ツ橋家老一人、留守居番一人、広敷御用人一人、御目付二人、御徒頭一人、御先拂御徒頭一人、広敷番之頭二人、御用達一人など、役目別の人数を記す。続く名書には川田安右衛門・宮田十左衛門・平嶋西右衛門・金井定四郎・山本九太夫・増田藤四郎を掲げる。御供揃えを一時早…
追録6-No.1773 茂姫附添女中の人数・花川らの扱いを家老に伺う書状
茂姫に附添う女中の人数について、確定の差図がない中で先に五人を内々に手当てした経過を伝え、別紙とともに家老五名へ判断を求める。老女衆の差配、花川と茂姫の関係、一ツ橋への入輿後に必要となる女中や用人の取計らいを詳述し、差し出した書付の扱いも確認する。原本の印刷1773は「扣正文在家老座」とだけ記し、実…
追録6-No.1774 茂姫附添女中の件に関する家老五名返書の記録(本文未確認)
目録は、茂姫に附添う女中の件に対する島津久金ほか家老四名の連署返書を六月十六日付で掲げる。原本では前の閏五月十八日付書状の末尾近くに「六月十六日」と朱書されるのみで、返書の独立した本文、差出連署、宛名は確認できない。したがって返答の内容は推定しない。
追録6-No.1775 御養君引取り時の参府・御礼について有川勇馬が伺う書状
御養君の引取りが命じられ、御縁女が当日一ツ橋御屋形へ引き取られると聞いた有川勇馬が、薩摩守の参府と御礼をどのように申し上げるべきか伺う。閏五月十九日付で「松平薩摩守内 有川勇馬」と署す。続く原本下段には、田沼主殿頭からの内意と松平右京大夫・関係者のやり取りを付記し、参府は通常どおりにすべき旨が示され…
追録6-No.1776 重豪の花尾山権現社・墓所・平等王院参詣記事
重豪が閏五月十九日に花尾山権現社へ参詣し、太刀・馬代を献じた。続いて丹後局と永金阿闍梨の墳墓に詣で、平等王院で休息する。帰途、一宮大明神(鎮座地は原本注記に東俣村とある)に白銀一両を献じたことを『重豪君御譜中』から記す。
追録6-No.1777 茂姫の一ツ橋入輿後の引渡し・御祝儀・御供について家老へ報告と伺い
茂姫が閏五月十九日に一ツ橋御屋形へ引き取られた経過を家老五名に報じる。薩摩守の使者や迎えの女中衆、出輿時刻、行列・御供と引渡しの儀礼、家中からの祝物や挨拶の扱いを詳述する。御役女中衆をはじめ公儀方の人々への祝儀と、虎寿丸・敬姫らとの関係について、先例・現場の判断と食い違う点を挙げて取計らいを求める。…
追録6-No.1778 茂姫入輿の儀礼・祝儀についての家老五名返書記録(本文未確認)
目録は、茂姫の一ツ橋入輿に関する閏五月二十日付の書状に対し、島津久金ほか家老四名が六月十六日に返した連署書状を掲げる。原本では前書の末尾近くに「六月十六日」と朱書されるだけで、返書の独立した本文、差出連署、宛名は確認できない。返答内容は推定しない。
追録6-No.1779 御養君の呼称・西丸移居に伴う琉球中山王の祝儀について家老に伺う書状
御養君を若君と称し、西丸へ移ることに伴い、琉球中山王から祝儀を申し上げるべきかを家老五名に伺う。甲府の御養君家宣や家千代の誕生、長福の御披露の際の先例を引き、当時は中山王の祝儀を不要としたことを記す。一方、この御養君披露では同様に祝儀を申し上げるよう命じられているため、先例と現状を比較して判断を求め…
追録6-No.1780 琉球中山王の祝儀についての家老五名返書記録(本文未確認)
目録は閏五月二十三日付書状に対する島津久金ほか家老四名の連署返書を六月十六日付で掲げる。原本では前書の末尾近くに六月十六日の朱書があるだけで、独立した返書本文、差出連署、宛名は確認できない。返答内容は推定しない。
追録6-No.1781 将軍の増上寺参詣に関する薩摩守の報礼への松平輝高返書
松平輝高が薩摩守からの書状を受け取り、将軍の機嫌がよいことと、四月二十九日に増上寺の御霊前へ参詣した件についての報礼を確認する。薩摩守の書状の趣旨をそれぞれ申し伝えたと知らせる。閏五月二十八日付で松平右京大夫輝高が判を付し、松平薩摩守宛とする。原本は重豪公御譜からの収録で、正文は文庫にあると注記する…
追録6-No.1782 松平康福が薩摩守の暑中見舞いと琉球産品の献納を受領する書状
松平康福が薩摩守の書状を受領し、酷暑の折に将軍の機嫌を尋ねたことに応じ、公方はますます安泰なので安心するよう伝える。献納された琉球布一箱、砂糖漬天門冬一器、赤貝塩辛一器、琉球泡盛酒二壺について、それぞれ申し伝えて披露したところ喜ばれたと知らせる。六月三日付、松平周防守康福判、松平薩摩守宛。重豪公御譜…
追録6-No.1783 重豪への下賜と国許到着後の礼について水野忠友が返す書状
水野忠友が薩摩守の礼状を受け取り、将軍の機嫌がよいことを伝える。帰国の暇を得た際に白銀と巻物を頂戴し、さらに馬を下賜されたことへの謝意と、五月十五日の国許到着後に島津登を通じて目録の品を献じた旨を承知したと記す。六月六日付、水野出羽守忠友判、松平薩摩守宛。重豪公御譜からの収録で正文は文庫にある。
追録6-No.1784 老中二名による帰国後の礼と芭蕉布・樽献納の受領書状
松平輝高・松平康福が薩摩守の書状を受け取り、将軍の機嫌がよいことを伝える。帰国の暇に際して白銀・巻物と馬を下賜された礼として、国許到着後に島津登を通じて琉球芭蕉布二十端と樽を献じたことを承知し、披露すると将軍の御前へ召し出され、喜ばれたと知らせる。六月七日付、輝高・康福の判を付す。
追録6-No.1785 山崎金左衛門の母への孝養と継母への態度を褒賞する記事
城下の市人山崎金左衛門が父母への孝養に力を尽くしたことを記す。母が血症を患って床に伏すと、十年にわたり自ら早朝から世話をし、薬湯を調えてから進め、衣服にも汚れが見えないほど行き届いていた。母の死後は家が貧しく葬送の資金がなかったが、近隣の人々が金左衛門の孝行に感じて資金を贈った。厳しい継母にも恨みを…
追録6-No.1786 上下時に用いる六十人・三十人の備えの規定を役方へ申渡す
上下の際に六十人または三十人の備えを持つ取扱いを定めた申渡し。家督後初めての上下、琉人を召し連れる場合など、これらに準じる節目には六十人の備えを召し列ねるとする。その他の上下時の六十人・三十人の備えは、その時々の判断によって定めるため、この趣旨を役方に申し渡すよう命じる。六月付、大進の記名があり、目…
追録6-No.1787 豊千代の御養君決定・若君呼称・西丸移居を祝う重豪書状
重豪が、先月十八日に徳川豊千代を御養君とし、若君と称して西丸へ移ると命じられたことを承知し、喜ばしいと祝う。祝儀を申し上げるため使者を送ると記す。六月十三日付で、老中の松平右京大夫・松平周防守・田沼主殿頭、若君方の久世大和守、側用人の水野出羽守にそれぞれ宛てた取扱いを列記する。重豪公御譜の収録で、正…
追録6-No.1788 御養君決定と茂姫引取りに伴う参府・御礼を重豪が申し上げる書状
豊千代を御養君とする命と、先月十九日に御縁女が徳川民部卿の屋形へ引き取られた件を受け、重豪が自ら参府して礼を申し上げてよいか家来を通じて伺った経過を記す。通常どおり参府すべき旨の書付を受け取ったことをありがたく思い、まず書状で礼を述べ、適当な折に将軍の御前へ取り次ぐよう求める。六月十五日付。老中三名…
追録6-No.1789 桜島噴火による蜜柑損耗に伴い炙鮎のみの献上を伺う書状
例年十二月に桜島蜜柑と炙鮎を献上していたが、桜島の噴火により蜜柑が損なわれ、前年から炙鮎だけを献じていると説明する。噴火がなお収まらず蜜柑の木も多く失われたため、当年も炙鮎一種だけを献上したいと伺い、差図を求める。六月十八日付。付記は、この願書を留守居から御用番松平右京大夫へ差し出し、七月二十六日に…
追録6-No.1790 重豪の江戸参府と茂姫の一橋入邸に伴う将軍への賀礼の記事
重豪が六月二十一日に城を発ち江戸へ向かった経過を記す。家老島津久金、側用人市田貞英、側役鎌田愛太夫政誼らが従い、西海・山陽、美濃・東海道を経て大坂を通過し、七月二十七日に江戸へ着く。八月四日には将軍が老中松平輝高を重豪の芝邸へ遣わし労をねぎらう。背景として、茂姫が豊千代と婚約し、閏五月十九日に一橋邸…
追録6-No.1791 二男別立ての家格・買地持高・隠居家督時の取扱いを定める申渡しと副書
寄合以上の二男が別立てを願う際、現高の附属がなく、買地による持高を附けたいと願った場合の扱いを定める。家格は実情を見合わせて認め、持高については当代の隠居・家督などの際に申出を求める。代を重ねても当初願った高が整わない家があるため、その時点で買地高や附属が整わない場合には事情を申告させる。副書は御記…
追録6-No.1792 端午の御内書交付のため薩摩守留守居を登城させる通知
端午に関する御内書を渡すため、翌日の五半時に城へ出るよう、松平薩摩守の留守居へ命じる。六月二十四日付で「松 右京」と記す。重豪公御譜に収録され、正文は文庫にあると注記する。
追録6-No.1793 生見玉の祝儀として献じた黄金十両を老中二名が受領する書状
生見玉の祝儀として献じられた黄金十両を披露し、たいへん喜ばれたと薩摩守へ知らせる。七月六日付で松平右京大夫輝高と松平周防守康福が判を付す。重豪公御譜の収録で、正文は文庫にあると注記する。
追録6-No.1794 久世大和守の連判列加入・西丸勤に関する薩摩守の祝意を伝えた返書
松平輝高が薩摩守の書状を受け取り、将軍の機嫌がよいことを伝える。久世大和守が連判の列に加わり西丸勤を命じられた件について、重豪の書状の趣旨をそれぞれ申し伝えたと知らせる。七月七日付、松平右京大夫輝高判、松平薩摩守宛。
追録6-No.1795 郡奉行見習設置の記事
天明元年辛丑七月二十七日に郡奉行見習を置いたと記す記事。原本は日付と設置の一文のみで、人名、人数、具体的な職務や任用理由は記載しない。
追録6-No.1796 将軍への八朔祝儀として太刀一腰・馬代黄金十両を献じた件の老中返書
八朔の祝儀として使者を通じて献じた太刀一腰と馬代黄金十両を披露し、たいへん喜ばれたと薩摩守へ知らせる。八月四日付で松平右京大夫輝高、松平周防守康福、田沼主殿頭意次が判を付す。正文は文庫にあるとの注記が付く。
追録6-No.1797 若君への八朔祝儀として太刀一腰・馬代黄金十両を献じた件の返書
八朔の祝儀として若君へ、使者を通じて太刀一腰と馬代黄金十両を献じたことを記す。披露するとたいへん喜ばれたと薩摩守へ知らせる。八月四日付、松平周防守康福判、松平薩摩守宛。前の将軍宛祝儀の受領書状と品目・数量は同じだが、祝儀の対象は若君と明記する。
追録6-No.1798 参府の礼のため翌日五半時に登城するよう薩摩守へ命じる通知
薩摩守に、翌日の五半時に登城して参府の礼を申し上げるよう命じる。八月五日付で、本文に田沼主殿頭と松平周防守、続く下段に松平右京大夫を列記し、松平薩摩守宛とする。原本は正文が文庫にあると注記する。
追録6-No.1799 家来二人を御目見のため召し連れて登城するよう命じる通知
家来二人が御目見を命じられたため、二人を召し連れて城へ出るよう通知する。本文には日付、差出人、宛名、二人の氏名を記載しない。続く八月六日の登城記事とは別の文書として扱う。
追録6-No.1800 重豪と島津久金・宮之原通直の登城と西城での朝礼の記事
八月六日、重豪が従行の家老島津久金と宮之原主膳通直を連れて登城し、旧例どおり朝礼と賀礼を行ったと記す。田沼主殿頭意次が取り次ぎ、将軍から懇ろな言葉を賜った。久金と通直も拝謁し、重豪はさらに西城で朝礼する。奏者の青山大膳亮が随行者にも朝礼させ、献納を行って退いたと記す。
追録6-No.1801 御縁女引取りに伴い重豪が御目見を願う書状
御縁女が引き取られたことを受け、可能であれば御目見を願いたいと申し上げる。八月七日付。付記は、この願書を当日田沼主殿頭へ提出し、九月五日に同人から付札で御目見を仰せ付ける旨の指示を受けたと記す。願いの本文と、後日付記された指示を区別する。
追録6-No.1802 御養君決定に際する琉球中山王の使者献上・祝儀について先例を伺う書状
御養君決定と若君の呼称が命じられた件について、琉球中山王が薩州へ使者を送っているため、当地から次便の使者による献上物と祝儀を申し上げたいと伺う。宝暦十二年の若君誕生時の中山王献上に倣い、差図を求める。八月十三日付。付記には九月四日に宮之原主膳から付紙が下されたことと、九月十四日に田沼主殿頭の留守居澁…
追録6-No.1803 御養君決定の祝儀として将軍・若君へ献じた太刀・馬代を受領する返書
御養君が決定した祝儀として、薩摩守が使者を通じて将軍と若君へ太刀・馬代を献じたことを記す。披露するとたいへん喜ばれたと知らせる。八月十八日付、田沼主殿頭意次判、松平薩摩守宛。太刀や馬代の数量はこの書状に記載しない。
追録6-No.1804 御養君祝儀に伴う翌日の能見物と田沼宅での礼を薩摩守へ通知する書状
御養君決定の祝儀として、翌日に能を見物するよう上意があったことを薩摩守へ知らせる。長袴を着用し五時に登城するよう命じる。なお礼のため当夜に登城する必要はなく、田沼主殿頭の宅へ来るよう伝える。八月二十四日付で田沼主殿頭・松平周防守と、次の上段に続く松平右京大夫の三名を記し、薩摩守宛とする。
追録6-No.1805 当朝献じた折一合を披露した田沼意次の返書
当朝に献じられた折一合を披露し、たいへん喜ばれたと薩摩守へ知らせる。八月二十五日付、意次判、松平薩摩守宛。裏面に田沼主殿頭意次の名があるとの朱書注記を伴う。折の中身は本文に記載しない。
追録6-No.1806 大慈寺住持に先例どおりの職務執行を命じる重豪の公帖
重豪が大慈寺住持の職務について、先例に従って執務するよう命じる。天明元年九月朔日付で中将重豪の御判を記し、「天領西堂」宛とする。正文は志布志大慈寺にあると注記する。
追録6-No.1807 御養君祝儀と琉球継使者の献上準備・先例確認を指示する書状
御養君決定と若君の呼称を受け、琉球中山王からの祝儀を先例に従い準備するよう指示する。宝暦十二年の継使者による祝儀献上の先例について、留守居へ照会し書付や覚書を取り寄せた経過を記す。古い帳面が類焼で失われた事情にも触れ、献上品や書翰・目録、老中や若君方への進上物の取扱いを調べるよう求める。継使者と辛領…
追録6-No.1808 琉球継使者祝儀準備についての喜入久福ら四名返書記録(本文未確認)
目録は、九月二日付の琉球継使者祝儀準備に関する書状に対し、喜入久福ほか三名の連署返書を十月十五日付で掲げる。原本には前書末尾近くの十月十五日の朱書だけが見え、独立した返書本文、差出連署、宛名は確認できない。返答の内容は推定しない。
追録6-No.1809 重陽祝儀の小袖一重を受け取った徳川家治の御内書
重陽の祝儀として届けられた小袖一重を受け取り喜んだと、家治が薩摩中将へ知らせる。詳しいことは松平周防守が述べるとする。九月七日付、家治の印の図が掲載される。原本は正文が文庫にあると注記する。
追録6-No.1810 重陽祝儀として小袖一重を披露した久世廣明の返書
重陽の祝儀として使者を通じて献じた小袖一重を披露し、たいへん喜ばれたと薩摩守へ知らせる。九月七日付、久世大和守廣明判、松平薩摩守宛。本文は祝儀を披露した対象の名を明記しない。
追録6-No.1811 御縁女への御目見時の献上品と内証からの贈物について伺う書状
先に願った御縁女への御目見が認められたことに謝意を述べ、その際に御縁女へ献上品を出し、国元から持参した品を内証からも献じたいと伺う。品の選び方について差図を求め、欄外には巻物十、二種一荷という数量の書き込みがある。九月八日付。後日付記は、本文に用いる「様」「孫」の使い分けを説明し、田沼の指示により以…
追録6-No.1812 若君の初めての浅草方面への御成を祝い、若君方へ取次ぎを頼む書状
若君が安全に過ごし、昨日初めて浅草方面へ出掛けて機嫌よく帰ったと聞いて喜んだと述べる。若君の御前へ折を見てよく取り次いでほしいと、若君方の大さき・高はしへ頼む仮名交じりの書状。後の朱書付記は、初御成の際の礼状と内証からの機嫌伺いについて、表向きの廻状、鳥居丹波守宅への使者、御本丸と西丸の取扱いを説明…
追録6-No.1813 桜島の三月十八日・四月八日の噴火と田畑損失を幕府へ届ける書状
領内の桜島が当年三月十八日と四月八日に噴火し、田畑が損なわれた件について、詳しくは後日報告すると既に届けていたところ、国元の家来が来て別紙の情報を伝えたため届け出る。九月十三日付、松平薩摩守。付記は当日御用番松平周防守へ、矢野清右衛門が持参し、取次の安達平六を通じて提出したこと、同人から受領の旨を知…
追録6-No.1814 桜島噴火による当損高・作物・家屋・土木施設の被害一覧
前の桜島噴火届に伴う被害一覧。九月十三日付で、当損の高1,503石余、米雑穀11,980石余、汐揚屋敷273か所、汐揚家672軒、潰家23軒、土手道7,349間、石垣1,190間、川筋1,625間、橋6か所を列記する。屋敷と家、汐揚家と潰家は別項目であり、石・軒・間・か所の数値は合算しない。本文に個…
追録6-No.1815 琉球からの年始賀礼の書簡と別録の贈物を受領した重豪書状
年始の賀儀として送られた書簡と、別録に記す贈物を受け取り、念入りな取計らいを喜んだと述べる。後の喜ばしい時を待つと結ぶ。九月二十一日付、中将重豪御判。正文は琉球国司にあると注記する。贈物の品目や数量は本文に載らない。
追録6-No.1816 中山王へ平安を伝え縮布五端の贈与を謝する重豪回章
中山王の書状を読み、平安の報せを喜ぶとともに、重豪自身も無事なので安心するよう伝える。贈られた縮布五端を過分なものとして謝する。九月二十一日付、薩摩守重豪御判。原本には中山王回章と記す。
追録6-No.1817 中山王母への香奠の謝礼と安否の書状・贈物を受領する重豪書状
二通の書状を受け取り、中山王の母が亡くなった際の香奠と安否伺いの件を記す。謝礼のため遣わされた松嶋親方と、別録の表・目録に記す贈物を受け取り、丁重な取計らいに謝意を示す。九月二十一日付、中将重豪御判、謹上中山王宛。母の死亡日と贈物の詳細・数量は本文に記載しない。
追録6-No.1818 清国進貢使久志親雲上の帰帆報告と贈物を受領する重豪書状
去戌年に大清国へ遣わされた進貢使久志親雲上が、北京での務めを終え当三月に帰帆したとの書状を受け取り、内容を承知したと記す。久志を通じて別録の表に記す贈物も受け取り、その丁重さを過分として謝する。九月二十一日付、中将重豪御判、謹上中山王宛。派遣年は原文の去戌年を保持し、前年とは解さない。
追録6-No.1819 清からの賜物である龍紋緞子・色緞子各一巻を中山王から受領する回章
中山王の書状を読み、清からの賜物である金入龍紋緞子一巻と色緞子一巻を贈られたことを承知し、その丁重さを喜び謝する。九月二十一日付、薩摩守重豪御判。原本は中山王回章と記す。
追録6-No.1820 御鷹拝領の祝儀として天久親方を通じ受け取った太刀・馬代白銀百両への謝状
去冬に鶴を捕る御鷹を拝領したことへの祝儀として、中山王が天久親方を遣わし、太刀と馬代白銀百両、さらに目録の贈物を届けた件に謝意を示す。九月二十一日付、中将重豪と記し、謹上中山王宛とする。太刀の本数や目録の詳しい品目はこの本文に載らない。本文は時期を「去冬」と記す。
追録6-No.1821 御縁女への御目見後の将軍・若君・御縁女・御部屋への礼を伺う書状
御縁女への御目見が済んだ際、将軍と若君へ礼を申し上げる品をどう扱うべきか、また御縁女と御部屋への礼についても差図を求める。九月二十九日付。付記は御用番田沼主殿頭へ有川勇馬から提出し、付紙の指示を受けたと記す。朱書には本丸へ登城して礼を申し上げることや、御縁女・御部屋への礼のため月番の留守居宅へ行く旨…