重豪、参勤の途次に御鷹の鶴を拝領す
安永九年庚子正月九日発駕~三月朔日(本文)、賜鶴は正月十八日・頂戴は二月朔日/原整理番号 1665/整理ID 1665
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概要
御譜の記事。安永九年庚子春正月九日、重豪は本府を発って江戸へ向かい、家老島津仲久健、側用人川上頼母久品、近習役市田勘解由盛常ら諸司が供奉した。九州の驛路を通り、二十日に豊前大里へ着き、翌日に長州赤間関へ渡り、中国路を取って晦日に備前片上驛へ着いた。先に正月十八日、大樹家治公が宿次奉書をもって御鷹の鶴一隻を重豪へ賜い、月直老中松平右京大夫輝高が家臣矢野清右衛門清香を召して鶴・奉書・宿次証文を託し、新番中島直八利容と中小姓亀澤八兵衛安村を護送に遣わしたと記す。附足軽二人の注がある。利容・安村はその夜に芝邸を発ち、東海道を取って二月朔日に片上驛へ到着し、重豪は同日の客舎で頂戴した。直ちに足軽二人に礼の返書と宿次証文を持たせて江府へ向かわせ、謝恩使の番頭赤松造酒も遣わしたが、当時は大坂にいたとの注がある。十一日に足軽二人が江府へ着き、宿次証文等を芝邸へ届け、留守居が月直老中板倉佐渡守勝清の宅へ行って礼の返書と証文を呈した。利容らは大坂から東海道を通って十二日に江戸芝邸へ着き、孝恭院殿の中陰法事に当たったため、十五日に勝清の邸へ行って趣旨を述べ、連署等を呈したとする。重豪は二月五日に片上驛から大坂へ至り、翌日に枚方筋を取って伏見へ行き、東海道の驛路を通り、十八日に江府の芝邸へ入った。直ちに留守居を勝清へ遣わして参府を報じ、翌十九日には重豪自身が勝清を訪ねて大家の安否を問い、他の老中にも同様に述べた。二十九日、上使阿部豊後守正允が芝邸へ来て労問し、諸老中もそれぞれ礼を述べたという。この年の朝覲が早いのは前年に予め請うたことによるもので、七年の朝覲の例に従ったとする。三月朔日には勝清が留守居を召し、重豪はすでに朝覲しているので賜鶴の礼使は大家へ拝謁するに及ばず、奉書も下されないと伝えたという。正月十八日の宿次奉書による賜鶴と、二月朔日の旅中頂戴、その後の証文返納・謝恩使、二月の参府と三月の礼使取扱いを分けて示す。
登場人物
重豪、家老島津仲久健、側用人川上頼母久品、近習役市田勘解由盛常、大樹家治公、月直老中松平右京大夫輝高、家臣矢野清右衛門清香、新番中島直八利容、中小姓亀澤八兵衛安村、附足軽二人(注)、斎乙の足軽二人、礼使番頭赤松造酒、板倉佐渡守勝清、留守居、孝恭院殿、阿部豊後守正允、諸老中
宛先
記事につき独立宛名なし
キーワード
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冊子頁
591~592頁
読込量
中
面白さ
★★★★★
(4)451~615頁(安永4~天明元).pdf