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追録6の目録
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追録6-No.2653 将軍の東叡山参詣を喜ぶ重豪の意向を上聞に達したと伝える
重豪の書状を拝見し、公方の機嫌がますますよいこと、去月十日に東叡山の御霊前へ参詣したことを聞いて喜んでいる旨を了承する。書状の趣旨を将軍へ申し上げたと伝える。六月二十七日付、井伊直幸から松平上総介への返書である。
追録6-No.2654 豊後守の初めての御座間での御目見への重豪の謝意を了承する
重豪の書状を拝見し、公方の機嫌がますますよいことへの喜びを了承する。先月三日の袖留祝儀に同氏豊後守が登城し、初めて御座間での御目見を命じられたことへの謝意を承知し、書状の趣旨を一覧したと伝える。六月二十七日付、井伊直幸から松平上総介への返書である。
追録6-No.2655 豊後守の御座間での御目見への謝意を一同で一覧したと伝える
重豪の書状を拝見し、公方の機嫌がますますよいことへの喜びを了承する。先月三日の袖留祝儀に同氏豊後守が登城し、初めて御座間での御目見を命じられたことへの謝意を承知し、書状の趣旨を各々一覧したと伝える。六月二十七日付、水野忠友から松平上総介への返書である。
追録6-No.2656 将軍の東叡山参詣への重豪の祝意を一同で相談して上聞に達する
重豪の書状を拝見し、公方の機嫌がますますよいこと、去月十日に東叡山の御霊前へ参詣したと聞いて喜んでいる旨を了承する。書状の趣旨を各々相談して将軍へ申し上げたと伝える。六月二十七日付、水野忠友から松平上総介への返書である。
追録6-No.2657 増上寺参詣の日付を掃部頭の返礼状で誤記したことを詫びる
四月晦日の増上寺参詣について、掃部頭の返礼状に「去月晦日」と記したのは、まったく右筆の書き誤りであったと詫びる。当番の同役佐野郷蔵も大いに恐れ入っているとして、適切な取り計らいを頼む。六月二十九日付、表御右筆組頭の前田左兵衛による詫状である。
追録6-No.2658 斉宣が元服時に拝領した刀の仕様を記し、譲物として保管・記帳を命じる
家斉から斉宣へ与えられた刀一腰の写しを掲げ、象眼銘は一文字、長さ二尺三寸一部、代金二十枚、折紙があると記す。拵えは、三所物が赤銅七子・色絵根引松・裏哺金、二重金の金具と金の切羽、縁が赤銅七子、鍔が赤銅磨、柄が鮫に白糸巻、鵐目が金、鞘が黒塗、下緒が紫、小刀が寿命、袋が紺緞子で結紫糸の打房付きという。こ…
追録6-No.2658-1 刀の拵書写一通を安房から受け取り御記録所へ納めたことを記す
上包の書付写は、太守が元服の際に拝領した刀の拵書写一通であると記す。外包の朱書は、天明六年十二月七日に斉宣が元服した際の拝領刀の拵書写を、天明七年七月六日に安房殿から渡され、御記録所へ納め置く旨を平山五郎右衛門が承知して収納したと記す。刀そのものの保管命令とは別に、仕様を書いた文書の受渡し・収納を伝…
追録6-No.2659 生身玉の祝儀として黄金十両を献じた重豪へ連署で返答する
生身玉の祝儀として黄金十両を献上したことを披露したところ、まことに結構なことであったと伝える。七月六日付、阿部正倫・鳥居忠意・水野忠友・牧野貞長・松平康福・松平定信の六名が松平上総介へ宛てた連署返書である。
追録6-No.2660 重豪が隠居後初めて座の間・書院・対面所で家臣に接見する
七月七日、重豪は座の間に出て、一門・家老・若年寄・大目付および奥向近習通の諸司に接見した。続いて書院で大身分寄合以上・惣寄合ならびに表方の諸有司に会い、さらに対面所へ出て府下の諸士に接見した。重豪が隠居してから初めて出座してこの礼を行ったため、ここに記すと編者は説明する。小注では、大身分とは寄合以上…
追録6-No.2661 家重二十七回忌の香奠を増上寺へ納め、言上したと報じる
惇信院(徳川家重)の二十七回忌法要に際し、重豪が使者をもって献じた香奠を増上寺へ納め、その旨を言上したと報じる。七月十二日付、鳥居丹波守忠意から松平上総介への返書である。
追録6-No.2662 重豪の子女の出生・母附と系図記載に関する問合書一巻
白木御文書六番箱中三十六ノ上。蓋紙の題は御子様方御誕生年月・御母附之儀付、御内々奉伺置候趣帳留書抜、江戸御記録所。一巻に七枝の問合・返書・覚書を収め、明姫・富之進・亀五郎・感之介・雄五郎の出生年月日、実母、養子・養女の扱い、公辺届出と内密な記録の差、系図・家譜への記載方針を照会する。末尾朱記は寛政元…
追録6-No.2662-1 子女の出生と実母の照会を江戸へ送り、指示の連絡を依頼する
明姫から雄五郎までの出生月日と実母について系図・家譜編纂の参考となる命令がないため、同役で相談し七月十三日に川上が主計へ内々に照会した。八月十六日に勘解由から問いがあり、当地ですぐ分からない件もあるので、照会覚書を江戸へ持参して江戸詰記録奉行へ伝えるよう指示された。国元からも各方へ問い合わせることを…
追録6-No.2662-2 問合書と帳留書抜の受領を知らせ、沙汰があれば連絡すると返す
照会は届いた。何らかの指示があれば早々に知らせると返答し、帳留書抜一通は同役中で確かに受け取ったと報ずる。
追録6-No.2662-3 五人の子女の出生・実母・系図への記載方法を逐条照会する
系図・家譜の編集に必要な子女の生年月日と母の記し方を五項目で問う。明姫は兵庫の娘として中将の養女となり、本丸大奥で養育、又之進との縁組予定、牧姫の次の順序とされたが、生年・実母・その父姓が未詳で、加治木留守居へも照会した。安永二年六月八日江戸で山岡市正から兵庫へ、加治木家の血筋相続のため妊婦を預け男…
追録6-No.2662-4 於房の母附について前年の書留を提出し、国元の記載状況を報告する
寛政元年六月二十一日、河口転の用件で本田休兵衛が出頭した際、於房に関する母附の理解について、先に勘解由へ照会した書留の写しを提出するよう求められた。先の記録では、雄五郎が天明二年五月十九日卯上刻、亀五郎が天明四年二月二十八日夜子上刻、感之介が天明五年八月十七日朝辰上刻に生まれ、実母はいずれも式部少輔…
追録6-No.2662-5 母附を養女と記す可否と明姫・富之進の記録方法を再照会する
前年三月に受けた書付だけでは系図の出生年月日・母附が定まらず、追って回答を受けることになっていたため、改めて内々に問う。雄五郎・亀五郎・感之介の生年月日・実母表記を再掲する。三人の母について、内々には養女と心得る一方、表立って養女とはできないと聞いており、式部少輔密子と系図に書けば後年疑念が生じるの…
追録6-No.2662-6 子女の母附照会を口上書と張紙で補い、実親と記載方針を確認する
前枝と同旨の母附照会を、河口の口達と付札を受けた別稿として記す。雄五郎・亀五郎・感之介の出生日時と母の記載を再掲し、密子と記すと後年疑いを生じるため養女と記してよいかを問う。亀五郎・感之介の朱注は、実際は式部少輔の娘で妾腹、表向き出生の届出がないため女と書くよう説明する。感之介欄では、系図本文の形式…
追録6-No.2662-7 明姫の出生と加治木家への養子取決めの経緯を記す
明姫出生に関する加治木留守居への照会内容を記す。安永二年六月八日江戸で山岡市正から兵庫へ、惟新以来の加治木家の血筋を維持し、嫡子がないので妊婦の子が男子なら養子として与える趣旨が伝えられた。婦人は妾として預け、千萬殿とともに国元へ送り、到着後加治木屋敷で引き取るよう命じ、同年十二月二十七日午刻に鹿児…
追録6-No.2662-8 子女三人の母附書付を受け取ったことと出生日時を記録する
勘解由からの用件で篠原善兵衛が出頭したところ、かねて照会していた子女の母附書付三通を受け取り、ここに留めたと記す。雄五郎は天明二年五月十九日卯上刻出生、公辺へは天明七年に八歳として届出。亀五郎は天明四年二月二十八日夜子上刻、感之介は天明五年八月十七日朝辰上刻出生とする。三人の実母はいずれも島津式部少…
追録6-No.2662-9 今後の出生年月・実母は廣敷用人へ照会して月番家老に届けるよう命じる
面高善右衛門からの用件で篠原善兵衛が出頭し、勘解由から渡された書付一通を留める。書付は、これまで子女が出生する際の年月・実母等を記録奉行から廣敷用人に問い合わせてきたと聞くので、今後はその都度月番家老へ申し出て承知を受けるよう命じる。三月二十日付、勘解由から御記録奉行への書付である。朱の張紙は、天明…
追録6-No.2663 重豪の早い帰府を望み、雄五郎の届出と於明の出府予定を喜ぶ
残暑の折の安泰を喜び、こちらも皆障りなく、自身も無事に勤めていると述べる。重豪の出立日が内定したと聞き早い帰府を望む。雄五郎の届出が済み、於明も出府する予定なので楽しみに待つとし、諸般の世話を察しつつ機嫌を伺う。
追録6-No.2664 斉宣に増上寺の鎮火番を命じる
七月二十八日、閣老の奉書によって斉宣に増上寺の鎮火を担当するよう命じたと記す。
追録6-No.2665 近衛家養女縁組の京都での交渉・朝廷への願いと接遇を報告する
重豪の娘を近衛家の養女とする熟談の使者として江戸から京都へ向かった伊賀が、交渉と接遇の首尾を報じる。十四日に京着し、十五日に留守居を通じて届出・内談、十九日に正式の使者役を勤めた。贈物は国元から変更があり京都留守居が準備し、目録は伊賀が調えた。近衛家では今大路と会い、春以来の内談と松平周防守からの内…
追録6-No.2666 茂姫を近衛家の養女に迎える願いについて伝奏衆の沙汰を求める
近衛家の今大路内蔵権頭が伝奏衆へ申し入れた口状。松平上総介の息女茂姫を近衛家の養女に迎えたいとの意向を伝える。薩州とは格別の由緒があるためにこのとおり願い出るとして、よろしく沙汰されるよう取り計らいを依頼する。七月二十二日付で、差出人の実名は孝廉と注記される。
追録6-No.2667 斉宣・重豪からの時候見舞いと贈物に対する近衛家の返答を記す
松平豊後守への返答として、健勝を喜び、今回使者を上京させて時候の見舞いとして目録の品々を贈られたことへの満足を伝える。泰宮からも同様の返答があり、通君も見舞いを受けたことへの返答をする。続いて松平上総介への返答を記し、右府・泰宮・通君がそれぞれ同様に見舞いへの返答をしたとする。年月は天明七年七月で、…
追録6-No.2668 茂姫養女の申入れと関白への内談を了承し、許可後の使者派遣を知らせる
茂姫を右府の養女とする件について、取り結びのため今回使者を通じて申し入れられた趣旨を了承したと伝える。関白へ内談したところ、差し支えあるまいとの意向だったので、十分に承知したとする。この養女の願書は二十二日に提出した。願いが許可され次第、早速今大路内蔵権頭を関東へ派遣する考えであると知らせる。
追録6-No.2669 今大路の関東下向に際して桜田屋敷の留守居付役宿を宿所とする案を伝える
今大路内蔵権頭から、今回の関東下向では島津家の屋敷内に滞在できれば都合がよいと、留守居を通じて内談があったことを報告する。この件に伴う滞在である以上、いずれかの屋敷内に宿泊させなければ島津家側から世話をすることも難しいとして、桜田屋敷の留守居付役宿を整えて滞在させるのがよいか、本城源七郎に検討させた…
追録6-No.2670 養女縁組の交渉報告への返答と、近衛家使者の宿所手配に関する指示を伝える
御縁女を近衛家の養女とすることが済み、内談の使者として伊賀自身が上京して諸事を整えた旨を七月二十六日の飛脚で報じた書状が到着したので、逐一上へ申し上げたと伝える。近衛家側の願いが済んだ上で、諸大夫が其元へ到着したならば、何事にも手抜かりのないよう詳しく調べて取り計らうよう伝達せよとの指示があったと知…
追録6-No.2671 花尾山・長年寺への参詣経路、装束・供揃と道中の贈物を記録する
八月三日と七日の重豪の参詣を記す。三日は六半時に供揃、二本道具で桜の間中門・矢来門を通り、平坂水茶屋で小休、平等王院で長袴に着替え、花尾山の宮と廟へ参詣した。再び平等王院に寄って愛染堂へ参詣し、半袴に着替えて大乗院と坊舎で目見を行い、帰途に一之宮へ参詣して、元の道筋を戻り暮時前に帰宅した。平等王院か…
追録6-No.2672 重豪と斉宣の明細書二枚をまとめた包紙と年次注記
白木御文書六番箱中上に収められた明細書二枚。外包に太守様・中将様御明細書控二枚、上包に御明細書二枚と記す。本文は重豪の身分・年齢・生国を記す一枚と、斉宣の身分・年齢・領知高・居城等を記す一枚からなる。刊注は記載の未年を天明七年に当てる。各明細書は枝1・2に分けて整理する。
追録6-No.2672-1 重豪の本国・生国、官位、父との続柄と四十三歳の年齢を記す
松平上総介の明細書。本国と生国をともに薩摩とし、薩摩守の嫡子、従四位上中将、未年四十三歳と記す。未年は刊注によって天明七年とされる。もう一枚の豊後守明細書にある領知高・居城は、本書には記されない。
追録6-No.2672-2 斉宣の官位・十九歳の年齢、薩隅日と琉球の石高・居城を記す
松平豊後守の明細書。本国は薩摩、上総介の嫡子、従四位下侍従、未年十九歳、生国は武蔵、居城は薩州鹿児島と記す。領知は薩摩国一円・大隅国一円・日向国の内、高六十五万五千石余とし、その外に琉球国十二万三千七百石を掲げる。未年は刊注によって天明七年とされる。
追録6-No.2673 重豪の帰国御暇・羽織拝領への謝意と献上を将軍へ伝えたと報じる
重豪の書状を拝見し、公方の機嫌がよいことを喜んでいる旨、今回御暇を与えられ、その上羽織も拝領して重ね重ねありがたく思っている旨を了承したと伝える。国元への到着に伴う御礼として島津矢柄を通じて目録の品々を献上したことと書状の趣旨を上聞に達したところ、御前へ召し出され、行き届いた心遣いを将軍が喜んだと報…
追録6-No.2674 帰国御礼の縮緬五巻・樽肴の献上と重豪の謝意に対する将軍の喜びを伝える
重豪の書状を拝見し、公方の機嫌を喜ぶ趣旨と、今回御暇を与えられ、羽織も拝領したことを重ねてありがたく思う旨を了承する。国元到着の御礼として、島津矢柄を通じて縮緬五巻と樽肴を献上したことを披露したところ、御前へ召し出され、念の入った心遣いを将軍が喜んだと伝える。八月六日付、阿部正倫・鳥居忠意・水野忠友…
追録6-No.2675 父の出立前を見舞い、増上寺火之番の初任と道中用品の贈呈を知らせる
秋暑の中で父の健勝を喜び、出立前で諸事多忙であろうと気遣う。自分は今回初めて増上寺の火之番を命じられ、ありがたく思っていると報告する。こちらは一同支障なく、自分も間違いなく勤めているという。道中で用に立つだろうと品を進上したので、その旨を知らせると結ぶ。八月六日付で、宛所は御尊父様。贈った品の品名・…
追録6-No.2676 家重二十七回忌と将軍の増上寺参詣を喜ぶ重豪の書状を上聞に達したと伝える
重豪の書状を拝見し、公方の機嫌がよいこと、惇信院の二十七回忌法事が増上寺で執行され、六月十二日に将軍が霊前へ参詣したことを聞いて喜んでいる旨を了承する。書状の趣旨を将軍へ申し上げたと伝える。八月十三日付、井伊直幸から松平上総介への返書である。
追録6-No.2677 家重二十七回忌と六月十二日の参詣への祝意を、同役と相談して上聞に達したと伝える
重豪の書状を拝見し、公方の機嫌がよいことを伝える。惇信院の二十七回忌法事が増上寺で執行され、六月十二日に将軍が霊前へ参詣したと聞いて喜ぶ趣旨を了承し、書状の内容は各々申し談じて上聞に達したと知らせる。八月十三日付、鳥居忠意から松平上総介への返書で、井伊直幸の同日付書状と同じ法事・参詣に対する応答であ…
追録6-No.2678 六月二十日の将軍の東叡山参詣への祝意を上聞に達したと伝える
重豪の書状を拝見し、公方の機嫌がよいこと、六月二十日に東叡山の霊前へ参詣したことを聞いて喜んでいる旨を了承する。書状の趣旨について各々申し談じ、将軍へ申し上げたと伝える。八月二十一日付、鳥居忠意から松平上総介への返書である。
追録6-No.2679 将軍の東叡山参詣を喜ぶ重豪の書状を上聞に達したと知らせる
重豪の書状を拝見し、公方の機嫌がよいことを伝える。六月二十日に東叡山の霊前へ参詣したと聞いて喜ぶ趣旨を了承し、書状の内容を将軍へ申し上げたと知らせる。八月二十一日付、井伊直幸から松平上総介への返書で、同日付の鳥居忠意書状と同じ参詣に関する応答である。
追録6-No.2680 重豪が国元の湯治で快方となり、翌月初旬に参府へ出立する予定を届ける
同氏上総介が国元で入湯し、痛むところが快方に向かったので、参府のため来月初旬に出立する予定であると知らせてきたため、この旨を届けると記す。八月二十七日付、松平豊後守の届書。上総介は重豪、豊後守は斉宣に当たり、予定される出立は九月初旬である。
追録6-No.2681 若君の院号を孝順院と称する旨を記録奉行へ通知する
若君の院号を孝順院と称する旨が江戸から知らせてきたので、そのとおり記録しておくよう命じる。八月付、久馬から御記録奉行への申渡しである。包紙にも、若君を孝順院と称する旨を伝える久馬の書付一通と記す。若君は家斉の男子竹千代と注記される。一方、刊注は孝順院が寛政五年六月二十四日に死去したことを挙げ、この記…
追録6-No.2682 将軍の健勝を知らせ、重豪の献上と書状を上聞に達したと返す
将軍の機嫌を伺う重豪の書状を拝見し、公方はますます健勝なので安心するよう伝える。これに伴って目録の品々を献上したことと書状の趣旨を、将軍へ申し上げたと知らせる。九月朔日付、井伊直幸から松平上総介への返書。献上品の具体名と数量は本文に記されない。
追録6-No.2683 将軍の健勝と、干鯛一箱の献上を披露した結果を知らせる
将軍の機嫌を伺う重豪の書状を拝見し、公方はますます健勝なので安心するよう伝える。干鯛一箱を献上したことについて、各々申し談じて披露したところ、よい首尾であったと知らせる。九月朔日付、鳥居忠意から松平上総介への返書である。
追録6-No.2684 学問・武芸・礼儀への精励と、目先の待遇に左右されない修練を命じる
忠孝はもちろん、学問・武芸をはじめ諸芸道に励み、万事の作法、言葉遣い・容貌・礼儀を守るよう従来から詳しく命じられていると述べる。近ごろ幕府からも沙汰があり、近年太守が初めて入部した折でもあるので、生涯心掛けて精勤することを求める。どの芸道であれ、それをもって次第に相応の身分・処遇を与えられてきたにも…
追録6-No.2685 重豪と雄五郎の江戸行程、到着の挨拶と病中の代理献上を記す
九月朔日、重豪が雄五郎を伴って本府を発ち江戸へ向かい、家老市田貞英・側用人矢野清香ほか諸役が同行したと記す。四日に出水米之津から乗船して肥州日奈久へ渡り、以後は九州の陸路を進んで十四日に豊前小倉、翌日に長州赤間関へ到着した。晴天で波も静かなため再び船に乗り、二十一日に播州室津へ至って一日滞在し、そこ…
追録6-No.2686 重陽の祝儀として届いた小袖一重を喜び、詳しくは阿部正倫が伝えると知らせる
重陽の祝儀として小袖一重が届き、喜んで見たと伝える。詳しい事情は阿部伊勢守が述べるとして結ぶ。九月二日付、将軍徳川家斉から松平上総介への御内書で、刊本は家斉公墨印を表示する。
追録6-No.2687 重豪養女明姫の出府と、忠持への縁組願・三田邸入り・婚姻成立を記す
重豪が島津兵庫久徴の娘明姫を養女としていたことを前提に、その出府と婚姻の経過を記す。明姫は九月三日に本府を発ち、九州から中国・東海道の駅路を経て十一月三日に江戸へ到着した。それより前の十月三日、斉宣が願状を上げて明姫を島津淡路守忠持へ嫁がせたいと申し出て、将軍が許可した。翌年戊申の二月二十三日に明姫…
追録6-No.2688 東叡山の浚明廟一回法事へ重豪が香奠銀二枚を献じたと記す
九月、江戸の東叡山で浚明廟の一回法事を三日間行い、その期間は四日から六日までだったと記す。重豪は物頭を使いとして遣わし、香奠銀二枚を献上した。
追録6-No.2689 家治の位牌を南泉院へ納め、供養に際して白銀三枚を献じる
九月四日、浚明廟の木主を南泉院へ納め、五日に供養の式を行ったと記す。この日、重豪は家老喜入安房久福を遣わし、白銀三枚を献上した。
追録6-No.2690 武家諸法度十五条の遵守と、九月の法度日付・十一月の受渡しを記す
天明七年九月十一日付の武家諸法度十五条を掲げる。文武・忠孝に励み礼儀を正すこと、参勤交替の所定時節を守って供の人数を増やさないこと、人馬・武具を分限に応じて備えることを命じる。新たな城の構築を禁じ、居城の塁・石壁等が壊れた際は奉行所へ届けて指図を受け、櫓・屏・門以下は先規どおり修補する。新規の徒党・…
追録6-No.2691 旅中の父の健勝を喜び、先便の贈物への謝意と道中用品の進上を伝える
日ごとに冷気が増す中、父がますます健やかに旅行していることを喜ぶ。先の便で思い掛けず品々を贈られたことへの謝意を述べ、旅中の用に立つだろうと品を進上すると知らせる。こちらは一同支障なく、自分も無事であると報じ、今後も父の機嫌を伺う。追伸では雄五郎も無事に旅行されるよう気遣い、軽い品を送るので伝えてほ…
追録6-No.2692 宰府天神社へ太刀一振・絵馬二面・白銀五枚を寄進する目録と松梅の絵馬図
御太刀一振、絵馬二面、白銀五枚を寄進する目録。天明七年九月吉日付、薩摩中将上総介源重豪の名を記す。目録には松の絵と梅の絵の絵馬図を添え、松の図には年月・官位名・奉寄進の文字が、梅の図には奉寄進の文字が見える。包紙は、重豪が宰府天神社へ太刀・絵馬を寄進した目録の写し一通と絵馬図の写し一枚と説明する。目…
追録6-No.2692-1 寄進先と書式が不明確な目録について、右筆頭と記録奉行への注意を留める
宰府天神社への太刀・絵馬・白銀寄進の別紙目録について、どこへ寄進するものか分からず、全体の書きぶり・書法も適切でないと指摘する。ただし既に寄進済みであり、今さら直しようがないことを承知しつつ、今後の心得にもなるよう内々に伝えておいたという。この注意を御右筆頭津留八左衛門から黒田嘉右衛門が承り、その経…
追録6-No.2693 心観院十七回忌と八月二十日の参詣を喜ぶ重豪の書状を上聞に達したと伝える
重豪の書状を拝見し、公方の機嫌がよいこと、心観院の十七回忌法事が東叡山で行われ、八月二十日に霊前へ参詣したことを聞いて喜ぶ旨を了承する。書状の趣旨について各々申し談じ、将軍へ申し上げたと伝える。十月七日付、牧野貞長から松平上総介への返書である。
追録6-No.2694 家治一回忌の香奠を東叡山へ納め、将軍へ報告したと伝える
今回の浚明院一回忌法事に際し、使者を通じて献じた香奠を東叡山へ納めたと知らせる。このことを将軍へ報告したと伝える。十月八日付、松平康福から松平上総介への書状で、香奠の金額・数量は本文には記されない。
追録6-No.2695 家治一回忌と九月八日の将軍参詣への祝意を上聞に達したと伝える
重豪の書状を拝見し、公方の機嫌がよいこと、浚明院の一回忌法事が東叡山で行われ、去月八日に将軍が霊前へ参詣したことを聞いて喜ぶ旨を了承する。そのため遣わされた使者があり、書状の趣旨について各々申し談じ、将軍へ申し上げたと伝える。十月十六日付であり、去月八日は九月八日に当たる。
追録6-No.2696 重豪の参府御礼に伴う献上物と贈物の扱いを別紙で伺う
同氏上総介が参府の御礼を申し上げる際の献上物と贈物を、別紙のとおりにしたいとして指図を求める。十月十二日付、松平豊後守の伺書。朱付紙の回答は、別紙のとおり献上物と贈物を用意するよう伝える。
追録6-No.2696-1 参府御礼の太刀・白銀・織物と蓮光院・老女中・表使への贈物を列記する
同氏上総介の参府御礼に際して用意したい献上物と贈物を列記する。献上物は御太刀一腰、白銀三十枚、縮緬・紗綾を取り交ぜて十巻。蓮光院へは白銀五枚、御老女中には白銀を一人二枚ずつ、御表使には一人一枚ずつとする。末尾は十月で、これは用意したい品目の別紙例書であり、全品の献上実施を報告するものではない。
追録6-No.2696-2 御縁女への表向きの献上を申し出るが、付札で差上げ不要とされる
同氏上総介が参府の御礼を申し上げる際、御縁女へも表向きの献上物を贈りたいとして申し出る。十月十四日付、松平豊後守の書付。これに対する朱の御付札は、差し上げる物には及ばないと回答している。本文に品名・数量は記されない。
追録6-No.2697 茂姫の近衛右大臣養女の願いが認められ、執成しへの謝意を老中へ伝える
公方の機嫌がよいことを喜ぶと述べ、御縁女を近衛右大臣の養女とする願いがそのとおり認められたことを、松平豊後守から聞いてありがたく思うと伝える。この謝意を豊後守からの使札で申し上げている。折を見て御前でも適切に執り成してほしいと依頼して結ぶ。十月十五日付、松平越中守ら六名の老中へ宛てた書状である。
追録6-No.2698 参府見舞いの上使と懇意に対し、病中の重豪に代わって御礼を申し上げる
同氏上総介の参府に際して上使が遣わされ、懇ろな上意を受けたことをありがたく思うと述べる。上総介が病気であるため、その名代として、また自分自身からも御礼を申し上げる。十月十九日付、松平豊後守の書状である。
追録6-No.2699 翌朔日五時の登城・参府御礼を命じられたことを承知したと答える
翌朔日五時に登城して参府の御礼を申し上げるよう命じられたことを承知したと答える。十月晦日付、松平上総介から松平越中守ら六名への請書である。ここには命令の受領と了解を記し、実際に登城したかどうかは述べていない。
追録6-No.2700 翌日の登城を辞退し、参府御礼の献上物を使者で差し上げたいと伺う
明日の登城を断るに当たり、参府御礼の献上物を使者によって差し上げたいとして伺う。十月晦日付、松平上総介の書付。朱付紙は、使者をもって献上してよいこと、ただし差し上げる前日に知らせるよう回答している。
追録6-No.2701 重豪に翌朔日五時の登城と参府の御礼を命じる
翌朔日五時に登城して参府の御礼を申し上げるよう命じる。十月晦日付、阿部伊勢守・鳥居丹波守・水野出羽守・牧野備後守・松平周防守・松平越中守の六名が連署して松平上総介へ伝えた書状である。翌朔日は十一月朔日に当たる。
追録6-No.2702 聖堂設置の意図を受けて学問・武芸・礼儀・質素な風儀への精励を命じる
学問・武芸については領国で従来から油断なく扱うよう命じられているが、今回幕府からも同趣旨の指示があったので、一生を通じて一層精勤するよう求める。先代の厚い考えで聖堂を設けたのは学問に力を入れるためであり、とりわけ文芸に精励して修練の実効を上げるよう心掛けることを説く。素地のよい者は支配頭が調べ、折々…
追録6-No.2703 種姫の入輿祝儀として献じた品々を披露し、よい首尾であったと返す
種姫の入輿に際し、祝儀として目録の品々を献上したことを披露したところ、よい首尾であったと伝える。十一月十八日付、水野忠友から松平上総介への返書。目録の具体的品名・数量は本文に記されない。
追録6-No.2704 月次御礼・養女縁組の予定と称号、各方面の祝意・種姫への贈文を報告する
先月十五日の月次御礼は前日に大目付へ書面で命じられ、当日太守が登城して御礼を済ませた後、目付から桜の間で松平伊予守とともに呼ばれ、老中が出席し、御用番に代わって水野出羽守から御縁女の件を伝えられたと報告する。近衛家の養女を命じられ、結納は来春、婚礼は来々年の酉年中とすること、御縁女を姫君様と称するこ…
追録6-No.2704-1 近衛家養女、来春の結納・来々酉年の婚礼と姫君の称号を伝える
御縁女を近衛家の養女とするよう命じられ、かねての話合いどおり、結納は来春、婚礼は来々年の酉年中とする旨が通知されたと記す。さらに御縁女を姫君様と称することが伝達されたという。正文が、水野出羽守の通知内容を留守居が書き取った見合の別紙として送付すると説明している書取である。
追録6-No.2705 今朝献上された鯛一箱を披露し、よい首尾であったと伝える
今朝、鯛一箱が献上されたことを披露したところ、よい首尾であったと伝える。十二月十八日付、阿部正倫から松平上総介への書状である。
追録6-No.2706 琉球使節来訪への配慮から斉宣の鎮火番を免じ、細川越中守を代役とする
近年に琉球使節が来る事情を大家が考慮し、斉宣の鎮火番を特に免除して、細川越中守を代役としたと記す。天明七年丁未十二月の記事である。
追録6-No.2707 歳暮の祝儀として到来した小袖一重を喜び、牧野備後守から委細を伝える
歳暮の祝儀として小袖一重が到来したことを喜び、詳しいことは牧野備後守が述べると伝える。十二月二十七日付、家斉の墨印を据えた松平上総介宛の御内書である。
追録6-No.2708 同氏豊後守の初着座・御盃・時服拝領を喜び、御前への取成しを頼む
相手方の安否を気遣い、上様の機嫌がよいことを喜ぶ。今日、同氏豊後守が登城した際に初めて着座を命じられ、御盃を頂戴し時服を拝領したため、自分にとってもありがたい仕合であると述べる。その御礼を申し上げたいので、機会を見て御前へよろしく取り成すよう依頼する。末尾で八名の女性宛に伝達を頼む。
追録6-No.2709 白書院での着座・歳旦祝賀と拝領、額髪除去、皇城火災を記す
正月二日、斉宣公が束帯で朝に白書院へ着座し、三家の列が終わった後、自ら太刀を献じて歳旦を祝い、着座したところ、老公の時と同じく御盃と時服を賜ったと記す。続いて正月二十一日に「寅除額髪」と記し、晦日に皇城で火災があったことを列記する。
追録6-No.2710 若菜の祝儀として献じた鯛一折を披露し、よい首尾であったと伝える
若菜の祝儀として鯛一折を献上した旨を披露したところ、よい首尾であったと伝える。正月七日付、水野忠友から松平上総介への書状である。
追録6-No.2711 年頭祝儀の太刀一腰・馬代黄金十両を披露し、よい首尾であったと伝える
年頭の祝儀として、使者をもって太刀一腰と馬代黄金十両を献上した旨を披露したところ、よい首尾であったと伝える。正月十一日付、水野忠友から松平上総介への書状である。
追録6-No.2712 襲封後初の年首に江戸芝邸で吉書式を行い、以後毎年の式例とする
斉宣は襲封後初めて迎えた年首の正月十一日、江戸芝邸で吉書式を行った。佳例に従って右筆に文書を書かせ、自ら二つの花押を据えた。以後は在国・在江戸を問わず毎年この日に式を行うこととし、後世もこれに倣うよう記す。
追録6-No.2713 神社仏閣修造・勧農・年貢徴納を命じる吉書と収納経緯
神社仏閣の修造・興行、農事への専心、諸国の年貢徴納について、それぞれ実行するよう命じる三箇条の吉書で、正月十一日に斉宣が判を据えた。外包には天明八年申正月の御吉書一通と記される。さらに同年三月朔日、安房殿から平山五郎右衛門へ渡され、白木御文書六番箱へ収納したとの注記がある。
追録6-No.2714 斉宣の前髪除去許可を受け、重豪が家斉・茂姫へ謝礼を献じる
正月十九日、斉宣が官へ請願して許可を得て、二十二日に前髪を除いた。このため重豪は女使を通じ、徳川家斉と茂姫君へ各一種を献じて謝意を表したと記す。
追録6-No.2715 豊後守の前髪取りに際する姫君からの肴一折拝領を喜び、取成しを頼む
相手方の安否を気遣い、上様の機嫌がよいことを喜ぶ。同氏豊後守が今日前髪を取ったことに伴い、姫君様から内々に肴一折を拝領し、ありがたい仕合であると述べる。このことを機会を見て御前へよろしく取り成すよう、ふち崎に頼む返書である。
追録6-No.2716 十九日に許可を得て、二十一日に斉宣が前髪を除く
正月二十一日、斉宣が前髪を除いた。これに先立つ十九日に官へ請願して許可を得ていたと記し、斉宣の年齢は実十六歳であったと続ける。
追録6-No.2717 家斉が芝邸へ使者を遣わし、重豪に御鷹が捕らえた鶴一双を賜う
正月二十三日、徳川家斉は永井伊織直廉を芝邸へ遣わし、貴鷹が捕らえた鶴一双を重豪へ賜った。会礼を終え、斉宣が重豪に代わって恩旨を奉じ、さらに各老中の屋敷へ赴いて謝意を表したと記す。
追録6-No.2718 京都出火で御所・二条城本丸などが焼失したことへの驚きを伝える
相手方の安否を気遣い、上様の機嫌がよいことを喜ぶ。京都の出火により、御所方ならびに二条城本丸その他が炎上したと聞いて驚いた旨を申し上げ、機会を見て御前へよろしく取り成すよう高をかに頼む。
追録6-No.2719 近衛殿御所の焼失を受け、姫君の機嫌伺いと御前への取成しを頼む
相手方の安否を気遣う。近衛殿の御所が焼失したと承り、不意の出来事に驚いているため、姫君の機嫌を伺いたいと述べる。機会を見て御前へよろしく取り成すよう頼み、八名の女性へ伝達する形で宛てる。
追録6-No.2720 斉宣、御鷹ノ鶴ヲ賜ハル
二月二十二日、大家は竹中主水を使者として斉宣の邸へ遣わし、鶴を賜った。この鶴は将軍の鷹が捕らえたものであると記す。
追録6-No.2721 牧野貞長書状
牧野備後守が松平上総介へ、歳暮の御内書を渡すので、翌日五半時に家来を御城へ差し出すよう求めた書状。二月二十六日付で、天明八年の年次は朱書による。
追録6-No.2722-1 島津斉宣起請文前書
公方への忠勤に専念して表裏の心を持たないこと、一門・公家・親類縁者などに野心を抱く者があれば速やかに言上し、同心しないことを誓う。代替わりに際して一層公儀を重んじ、その仕置を疎略にせず守るとし、琉球国が仕置に背いて邪な企てをしても荷担しないとの附条を掲げる。末尾は「右条々於致違背者」とあり、この前書…
追録6-No.2722-2 幕府指図書
翌朝六半時に私宅へ来て誓詞を行うよう指図する。罰文まで整えて持参し、宛所には老中六人を座順どおりに記すこと、判形は手元で施し、血判は来訪先で行うことの三点を示す。二月二十五日付。口裏には松平豊後守宛とあり、朱書で代替わりに伴う誓詞済みの件であると記す。本文に差出人名はない。
追録6-No.2722-3 島津久金首尾書
島津伊賀久金が、代替わりに伴う太守の誓詞の首尾を五名へ報告する。先月二十八日の誓詞に先立ち、松平周防守方へ留守居が呼び出され、用人から別紙の書付を受け取り、その日のうちに表方の使者を通じて受けを伝えた。大屋遠江守方の留守居へもあらかじめ問い合わせ、誓詞前書などの準備と書判を整えたうえで周防守宅へ出向…
追録6-No.2723 斉宣、改賜ノ領知判物ヲ受ク
徳川家斉が将軍職を継いだことに伴い、戊申の年三月、先例に従って薩摩・大隅二州、日向国諸県郡および琉球国を改めて賜り、その判物を受けたと記す。斉宣公御譜中の記事で、次に領知判物を掲げる。
追録6-No.2724 徳川家斉領知判物
薩摩・大隅両国と日向国諸県郡内の百六十四箇村、高六十万五千石余に加え、琉球国十二万三千七百石を充て行い、代々の先例によって領知する旨を示す判物。天明八年三月五日付、薩摩少将宛で御判があり、琉球国の石高には目録が別紙にあるとの注が付く。包紙にも薩摩少将宛とあり、外包は判物写一通を同年四月十九日に大炊か…
追録6-No.2725 島津斉宣伺書并例書
松平豊後守が、当日領知の判物を頂戴したことに伴い、同氏上総介の勤め方をどのように心得るべきか伺う。三月五日付。付札は月番老中丹波守へ使者を差し出すよう指示し、三月六日の付記では、御内証からは礼に及ばない旨を記す。併記の例書は、延享三年寅に故大隅守が領知判物を頂戴した際、故上総入道が国元におり、伺った…
追録6-No.2726 斉宣、領知判物ヲ賜ハル
三月十九日、大家から斉宣へ親翰を賜り、先例のとおり領国を認められたと記す。小注は、この親翰を御判物と説明する。
追録6-No.2727 島津久邦外四名家老連署申渡書
財政難のため先年から倹約を命じてきたが、大礼などの支出や凶年が続き、十分な効果が上がらないとする。太守の初入部と琉球参府が近づき、旧式に伴う入用の手当も見通せないため、従来の年限中ながら、両御殿の奥向・広敷向をさらに格別の倹約とする。諸向も小事に至るまで無駄な支出を避け、気付いたことを申し出るよう命…
追録6-No.2728 島津久邦申渡書
格別の倹約に伴い御屋敷中も一統に節約すべきところ、衣服や酒食などの無益な出費によって暮らしが逼迫する者が相次いでいるとして、不心得を戒める。このままでは勤めにも支障が出るため、表立った勤め以外には粗服・綿服を自由に着用し、諸事に無駄な支出をしないよう江戸で申し渡したとする。御当地でも同様に心得、格別…
追録6-No.2729 献上品目録
結納に際して御内々から献上した品を記す。姫君へ縮緬十巻(うち紅五巻)と鯛一折、さらに同人へ御守札一通りとするめ一箱を献上したという。四月十五日付で、天明八年の年次は朱書。
追録6-No.2730 重豪、茂姫ノ結納ノ儀ヲ賀ス
四月十八日に茂姫の結納の儀が行われ、翌十九日、諸侯は登城して老中へ祝賀を述べたと記す。重豪も留守居を各老中の邸へ、表方の使者を若年寄の邸へ遣わして賀し、留守居を登城させ、家斉へ一種一荷、茂姫へ一種三百疋を献じた。京都留守居にも命じ、近衛右大臣経熙および泰宮・通君へ若干の品を贈り、祝意を述べさせた。
追録6-No.2731 島津重豪書状
結納の祝儀として当日、姫君から内々に縮緬十巻と鯛一折を拝領し、敬にも拝領物を仰せ付けられたことについて、藤崎へ礼を伝える書状。上々様の機嫌を喜び、取成しを依頼する。人物注は姫君を重豪の娘茂姫、敬も重豪の娘とし、「今日」に四月十八日の朱注がある。
追録6-No.2732 牧野貞長書状
結納の祝儀として使者をもって目録のとおり献上された品を披露したところ、一段の御仕合であった旨を、牧野貞長が松平上総介へ伝える。四月十九日付、貞長判。
追録6-No.2733 島津重豪書状
敬の病状がよくならないと聞いて懇ろな見舞いの書状を寄せられ、さらに文庫の内に肴一折を内々に拝領したことについて、重豪が藤崎へ礼を伝える。上々様の機嫌を喜び、心遣いをありがたいと述べ、よろしく取成しを依頼する。
追録6-No.2734 島津重豪書状
敬の死去に際し、内々の香奠として白銀五枚を拝領したことを受け、重豪が藤崎へ礼を申し上げる書状。上々様の機嫌を喜び、まず受領の礼を伝える。敬の名に付された朱注には、戊申四月二十日に芝邸で没し、年十九とある。