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追録6-No.1184その他文書旧記雑録暫定版・確認中

本府創建医学院記―良医の学び・救人の理念と神農殿

安永三年歳在甲午夏四月二十日、本文安永二年冬十月着工・明年二月落成/原整理番号 1184/整理ID 1184

確認度中
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概要

本府の医学院を設けた理由を述べる記。世には医学は経書を本とするだけでは世の実際に合わず、古を根とするだけでは今に合わないと論じる者がいるが、それは庸医を見て立てた議論で、良医の術を論じたものではないとする。良医の処方・用薬には異説に見えても効験があり、その理由を尋ねれば経を考え古を考えるものである。経を本とし、世の実際に照らし、古を根とすることを一概に今に不適当とは言えず、用い方こそを見るべきだと説く。刻舟求剣・膠柱鼓瑟のように古説を固守し、経に質したつもりになるのは庸医の業であり、その例で全体を論じることを戒める。安永二年癸巳、本府に医学院を創建する公命があり、同年冬十月に工事を始め、明年二月に落成した。講堂・寝廬など若干の建物を備え、直衡に記文を命じたとする。三折肱を良医とする古語を引き、書を学ぶ者は紙を費やすが、医学を学ぶ者が誤れば人を害するという、医を学ぶ難しさを述べる。しかし学ばなければ良医にはなれず、人を費やすのは善く学べていないためだとする。講業に精しく、伝え聞きの術へ急がず、積み重ねて成就すれば、人を救うための術で人を害することは避けられると説く。医を学ぶ道もここにあるとし、学院の設立を記して来学者に考えさせ、古を師とせず独自に用いる世への戒めとする。院中には神農殿も設け、当世の医家が尸するものと記す。末尾は安永三年甲午夏四月二十日、本府副史兼知学事山本直衡謹撰并書。正文は医学院、出典は重豪公御譜中。古今・経と実際を調和する良医の学習、長期の修学と救人、学院・神農殿の意義を記す。

登場人物

公、山本直衡(此国史兼知学事、本府副史)、医学院、神農殿、医家、学医者、講堂寝廬

宛先

学医者・医家と来学者(独立宛書なし)

キーワード

経書・古と今、俗と効験、良医と庸医、刻舟求剣膠柱鼓瑟、癸巳冬十月着工・明年二月落成、講堂寝廬、三折肱、学医者人費、講業積力・救人、神農殿、山本直衡撰書

冊子頁

429頁

読込量

中

面白さ

★★★★★

原文を確認

(3)310~450頁(明和9~安永4).pdf