追録6-No.1196記事旧記雑録暫定版・確認中
齊宣公御譜記事―徳川氏養子の経緯と佐竹義敦息女との縁談許可
安永三年甲午夏五月二十九日、六月の縁談、秋七月十八日許可/原整理番号 1196/整理ID 1196
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概要
安永三年甲午夏五月二十九日に嫡子として立て、用番老中田沼主殿頭意次へ告げたと記す。付注は生まれて実二歳であるが、幕府には明和六年己丑八月六日生まれで六歳になったと告げ、この扱いによって徳川氏の養子としたと説明する。本文は、かつて徳川氏に子がなく、父君へ、他腹で先に男子が生まれたなら養子にしたいと願ったこと、父公がこれにより一橋民部卿治済と相談したこと、ほどなく徳川氏が薨じ、この段で虎寿丸を徳川氏養子としたと田沼へ告げた経過を述べる。六月には父公が佐竹右京大夫義敦の息女を虎寿丸に聘することを幕府へ願い、息女には於梅の注を付す。秋七月十八日、父公が召しに応じ登城し、白書院で縁願について老中が列座する中、用番板倉佐渡守から許可を伝えられたとする。板倉の名は原に「勝家(ママ)」とあるので勝清へ無断で統一しない。実二歳と六歳の届出、亡妻側の養子の経緯、縁談の願いと幕府の許可を区別する。許可を得た記事であり、婚姻の実施日を記したとはしない。
登場人物
虎寿丸、父公(重豪)、田沼主殿頭意次、徳川氏(慈照院殿注)、一橋民部卿治済、佐竹右京大夫義敦、息女(於梅注)、板倉佐渡守勝家(ママ)
宛先
幕府(嫡子届・縁願の報告先、独立宛書なし)
キーワード
五月二十九日嫡子届、実二歳・届六歳、明和六年出生注、慈照院徳川氏養子、一橋治済相談、六月佐竹義敦息女於梅の縁願、七月十八日白書院許可、勝家ママ
冊子頁
435頁
読込量
小
面白さ
★★★★★
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(3)310~450頁(明和9~安永4).pdf