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追録6-No.268記事旧記雑録暫定版・確認中

重豪参勤・将軍世子家基着袴始祝賀の記事

明和三年正月廿三日~三月廿一日(参勤)、正月廿八日・翌廿九日(着袴、287により月補定)/原整理番号 268/整理ID 268

確認度中
この文書は暫定版です

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概要

明和三年丙戌正月二十三日、重豪が参勤のため国を発し、大口筋を通った記事。家老の川田伊織国福・高橋此面種寿、側用人の山岡斎宮久澄・二階堂蔀行旦、近習役の関山新左衛門金郷らが供奉した。二十四日に山箇野金山を周覧し、二十六日に肥後州へ出て西海道を経由、二月四日に豊前大里に到着して同日乗船した。十八日に播州坂越へ着船し、翌朝から陸路で播磨路を経て二十三日に大坂へ至り三日留滞。二十七日に舟で川をさかのぼって枚方に繋ぎ、二十八日に伏見へ着いた。三月二日に伏見を発して伊勢路・東海道を経由し、十九日に芝邸へ到着、老中の宅へ使者を遣わして参府を報告した。二十一日には月番老中松平周防守康福及び西丸附秋元但馬守涼朝の宅へ赴き、将軍・世子の起居を伺って廻勤した。参勤は四月を期とするが、先に中山王聘使を率いたため孟秋へ延期されており、持病により炎暑の旅行が適さないとしてあらかじめ早い参府を願ったことも記す。続く着袴の条は「同月廿八日」とし、正月廿八日に行われた儲君家基の着袴始に諸侯が祝賀したと記す。重豪は側用人仁礼仲右衛門仲古を城へ、用人佐久間九右衛門盛邦を御臺へ、勝手方用人岩下佐次右衛門方峯を西城の儲君へ遣わし、それぞれ二種二荷を献じた。儲君の生母・年寄女等にも品を贈り、その内容には差があった。翌二十九日には夫人が女使を遣わし、将軍・御臺へ各一種、儲君へ一種三百匹を献じた。同日、将軍は留守居の注が付く駒木根大内記政親を芝邸へ遣わし、浄岸院主に二種一荷を賜った。御臺も同じく二種一荷、儲君は二種二荷を賜り、重豪は途上で聞いて書簡により拝賜の恩を謝した。

登場人物

島津重豪、川田国福(伊織)、高橋種寿(此面)、山岡久澄(斎宮)、二階堂行旦(蔀)、関山金郷(新左衛門)、松平康福、秋元涼朝、将軍、儲君家基、御臺、夫人(名なし)、仁礼仲古(仲右衛門)、佐久間盛邦(九右衛門)、岩下方峯(佐次右衛門)、儲君生母・年寄女等、駒木根政親(大内記)、浄岸院主

宛先

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キーワード

参勤行程、大口筋、山箇野金山、大里乗船、坂越着船、大坂三日、枚方、伏見、伊勢路、東海道、三月十九日芝邸、老中宅、持病、早い参府、家基着袴始、二種二荷、女使、儲君へ一種三百匹、浄岸院主、二種一荷、謝恩

冊子頁

122~123頁

読込量

中

面白さ

★★★★★

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(1)例言・目次・本文1~172頁(宝暦14~明和4).pdf