← 検索結果へ戻る
追録6-No.1164記事旧記雑録暫定版・確認中

重豪公御譜記事―中城王子帰国・医学院と神農殿の創建・重豪参府

安永三年春二月九日・十五日・十七日・十八日以後、三月・四月、回顧前年の創建/原整理番号 1164/整理ID 1164

確認度中
この文書は暫定版です

現在、内容を確認中です。概要・人物・宛先・キーワード等は後日修正される可能性があります。

概要

同年春二月九日、中城王子を国界へ還すに当たり良馬数匹と数品を与え、十五日に王子が登城して恩を謝し帰ったと記す。三月十七日に船に乗ることになり、二階堂主計を遣わして檜重一組・美酒双樽を贈り、新番の二階堂八太夫行完に送らせて山川の交に滞泊させ、安否を尋ねさせた。同月二十一日に世子は山川を出帆し、二十六日に琉球那覇港へ着いた。随送した二階堂八太夫行完は、同年十月に薩府へ帰って復命した。これに続き、同年に有司へ命じ、府城南に医学院を創建したことを記す。工事は安永二年冬十月に始まり、今三年春二月に落成し、講堂・寝廬を備え、学徒が講書・究理する場となり、国民を仁するための施設とする。院中には神農殿を建てて影像を置き、同月十七日に詣拝を始めた。同月十八日、重豪は本府を発して江戸へ向かった。家老山岡齋宮久澄・喜入主馬久福、番頭側用人勤の関山軍兵衛金郷・島津登久連、近習役二階堂部とその他の諸司が供奉する。九州を取り、二十九日に豊前大里に至り、翌日長門州赤間関へ渡った。中国の駅路、山崎筋を経て三月十五日に伏見へ着き、十八日に伏見を発し、東海道・伊勢路を経て四月朔日に江府へ至り芝邸へ入った。同日、留主居老中を遣わして参府を報じた。王子の帰国と使者の復命、医学院・神農殿の創建、重豪自身の参府を一記事中の別の経過として詳記する。

登場人物

島津重豪、中城王子、世子、二階堂主計、二階堂八太夫行完、有司、医学院、神農殿、山岡齋宮久澄、喜入主馬久福、関山軍兵衛金郷、島津登久連、二階堂部、留主居老中

宛先

独立宛書なし

キーワード

中城王子帰国、良馬数匹・数品、檜重一組・美酒双樽、山川二十一日出帆・那覇二十六日着、二階堂八太夫行完の十月帰還・復命、府城南医学院、安永二冬十月着工・三春二月落成、講堂寝廬・神農殿影像、二月十七日詣拝・十八日重豪出立、二十九日大里、三月十五日伏見・十八日発、四月朔日芝邸、参府報告

冊子頁

423頁

読込量

小

面白さ

★★★★★

原文を確認

(3)310~450頁(明和9~安永4).pdf