造士館・演武館創建―施設・教学・初釈菜・寄付者と後の学舎増設
安永二年、二月着工・八月落成・八月二十九日初釈菜、天明元年の学舎増設付記/原整理番号 1082/整理ID 1082
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概要
安永二年癸巳、有司に造士館・演武館の創建を命じ、城下南方の荒れた土地を整え、二月に着工して八月に落成したと記す。文宣王・顔・曽・思・孟を廟に祀り、南門の外門を仰高門と称し、中華の爵位を持つ者の扁額を掲げる。講堂の門右に学規数十条を掲げ、学徒が日々来て講書する。本府副史知学事山本傳蔵正誼を教授とし、座の間・親祭時の所、執役の局を備え、門左に張番所を置く。文庫には経史子集数百巻と聖蹟図を蔵する。入門先の泮水に橋を架け、入徳門の扁額は中山王尚穆の書とする。その内側の杏壇門は林大学頭信言の書、廟内の宣成殿の扁額は伊賀国主藤堂和泉守高敷の書である。先聖と四配の肖像、十哲の木主を置き、周・程・張・朱・邵の像を描いて左右階に掛け、六人を従祀とする。廟右には御供所を置く。廟北の演武館では弓・馬・槍・剣それぞれの局を備え、教師二十二家が世々その技を講ずる。さらに北隅に犬追物場を設け、得仏公に島津忠久との注を付して、以来伝えた犬追物法に触れる。この地は憲廟(徳川綱吉注)の愛犬令の時に城下の植木を柵とした犬垣で、後に下士・小番の子弟の講中の拠点となり、川上庄八郎親馮が師だったと説明する。廟堂・演武館の要は左の図に示すとする。八月二十九日に初めて釈菜を行い、番頭北條十五左衛門を先期に遣わして時宜を定め、太刀一腰・馬代金一枚を廟に献じて親祭する。直垂で、初献は家老島津左中久金、亜献は番頭島津木工久邦、終献は側用人島津登久連。以後の春秋の釈菜は一門に代祭させ、三献官は家老・番頭・側用人が勤め、熨斗目染帷子・長袴を着る。経営の助役では入徳門・座の間を中山王尚穆、仰高門・卓穀房界墻を因幡忠温、講堂・便室を筑後久倫、文庫・張番所を種子島左内久芳が造ると記す。謝礼に尚穆へ羽二重五匹、忠温・久倫へ時服各三、久芳へ時服二を賞する。天明元年辛丑、廟南に学舎若干楹を設け、外城の士以下も学べるようにし、塾中に月直を置いたと付記する。
登場人物
重豪、山本傳蔵正誼、林大学頭信言、藤堂和泉守高敷、中山王尚穆、川上庄八郎親馮、北條十五左衛門、島津久金・久邦・久連、因幡忠温、筑後久倫、種子島久芳、徳川綱吉、得仏公(島津忠久注)
宛先
独立宛書なし(創建と儀礼・寄付の記録)
キーワード
創建・落成、廟・門・扁額・文庫、程朱系六人従祀、武芸四種・教師二十二家、犬垣旧地、初釈菜三献官、寄付者・謝礼、天明元年学舎・月直
冊子頁
383~384頁
読込量
中
面白さ
★★★★★
(3)310~450頁(明和9~安永4).pdf