茂姫寔子系譜抄―出生・豊千代への縁組・家斉御臺所・叙位と廣大院
安永二年六月十七日出生から天保十五年十一月十日までの系譜抄(途中に異記あり)/原整理番号 1062/整理ID 1062
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概要
「大信公三女」として寔子・於篤・茂姫の名と大樹家斉公御臺所であることを掲げる。安永二年癸巳六月十七日に府城で生まれ、母は市田氏。三年甲午三月朔日に府城を発して江戸へ赴く。五年丙申七月十九日、大家が浄岸君のかつての請命を追念して徳川豊千代との縁組を許し、一橋からの使者により茂姫の名と日傘・袴を賜り、当時四歳と記す。豊千代には家斉公、一橋治済の長子、慈照夫人の甥との小注がある。天明元年辛丑五月九日に豊千代が立儲して西丸へ入り、十九日に茂姫も一橋宮へ入って以後「御縁女様」と称す。九月二十三日に一橋から柳営へ入り、さらに西丸へ移り、官女花川が従う。七年丁未十一月十五日には水野出羽守が旨を承けて伝え、近衛経煕が茂姫を所子として養い、寔子の名を賜り、茂姫君と称して家斉公の御臺所となると記す。この日には「或作十月二十五日」の異記がある。八年戊申八月に近衛の使者佐竹紀伊守が結納を賀し、寛政元年己酉二月四日に婚礼、二十一日に再び使者齊藤若狭守が婚礼を賀す。八年三月十九日に家斉公の男子が誕生し、母は御臺所、敦之助君と称す。九年丁巳三月二日に従三位、文政五年壬午三月に従二位へ叙される。天保十二年には「寡君」となり廣大院と称すと記す。十五年甲辰十一月十日に逝去し、法号は「廣大院殿超譽妙勝貞仁大姉」とする。夫を失う記述と本人の逝去を区別し、途中の日付異記を留保する。
登場人物
大信公(重豪)、三女寔子・於篤・茂姫、市田氏、浄岸君、徳川豊千代(家斉)、一橋治済、慈照夫人、官女花川、水野出羽守、近衛経煕、佐竹紀伊守、齊藤若狭守、敦之助君
宛先
系譜記事のため独立宛書なし
キーワード
出生・母、江戸移転、縁組許可、改名、御縁女様、養子・御臺所、結納・婚礼、男子誕生、叙位、寡君・院号、逝去
冊子頁
378~379頁
読込量
中
面白さ
★★★★★
(3)310~450頁(明和9~安永4).pdf