追録6-No.1008その他文書旧記雑録暫定版・確認中
島津重豪祭文―浄岸院の死去・帰葬と養育の恩への哀悼
祭文中、安永元年十二月五日死去・安永二年二月二十四日夜葬祭/原整理番号 1008/整理ID 1008
確認度中
この文書は暫定版です
現在、内容を確認中です。概要・人物・宛先・キーワード等は後日修正される可能性があります。
概要
正文が福昌寺にある浄岸院への祭文。冒頭に安永元年壬辰仲冬と記し、浄岸院殿信譽清仁祐光大禅定尼が病を得て寝食も安らかでなく、医薬・祈祷に効なく、十二月五日乙丑に東武芝の邸で死去したことを述べる。書き手は曾孫源朝臣重豪と称し、幼く孤弱であった自身を親しく養育した恩を、須弥山や滄海にも比べる。十二月二十日庚辰に使者を立て霊柩を本藩福昌寺への帰葬に向かわせたが、自身は東都にあって親しく臨むことができず、深く悲しんでいるという。安永二年癸巳二月二十四日癸未の夜、仏教の儀式によって玉龍山中に葬ろうとするに当たり、族臣貴儔を遣わし、供物を備えて祭を行わせると記す。続く韻文では幽閑・貞静、松柏の節や玉の清らかさ、淫靡な音楽を避け関雎の詩を慕う徳、文質の調和、広く人々に及ぶ恩恵を讃える。さらに北辰や南針を失う譬えで喪失を表し、孤弱な身を撫育された記憶と、東西に隔てられて霊柩に従えない悲しみを詠む。韻文には「我在東魯」とも記すが、「東魯」の具体的比定は不詳である。海を渡る旅を思い、涙と香煙の中で仏教の法輪と宝界への道を祈り、茶や供物を奉じ、礼の節度を超える哀情と誠を述べる。「鳴呼哀哉」「尚饗」で結ぶ。
登場人物
曾孫源朝臣重豪(祭文の自称)、浄岸院殿信譽清仁祐光大禅定尼、族臣貴儔
宛先
浄岸院の霊への祭文(通常の宛書なし)
キーワード
帰葬、養育の恩、代祭、徳への讃辞、仏教葬祭と哀悼
冊子頁
359~360頁
読込量
中
面白さ
★★★★★
原文を確認
(3)310~450頁(明和9~安永4).pdf