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追録8の目録
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追録8-No.350 久光への鎮静滞在指示と京都移動・叡慮の書付到来を伝える西筑報告
雑集中の二内容。前段は浪士の蜂起・不穏な企てを島津和泉久光が取り押さえたことを賞し、御膝元での発起を悩むので当地に滞在して鎮静するよう求める思召の写。続く西筑右衛門の御名内宛報告は、修理太夫の実父久光が江戸への用向で出府する途中、大坂に集まった浪人へ家臣を差し立てて申諭し、騒乱を防ぐ手当を命じ伏見へ…
追録8-No.351 浮浪徒の鎮静と一橋越前の寛解・登用、勅使と三郎の下向を扱う朝廷指示群
雑集中の朝廷指示群。戌四月廿五日の段は、浮浪徒が攘夷から蜂起し、先に鎮静を引き受けたものの再び猛暴の形勢を聞いたとする。赤心報国を賞しつつ、攘夷は深慮を尽くしており血気の暴論より国中一致を第一とし、島津家の勤王への賞意も挙げ、勅命を待たず乱妨する者には加制を命じる。中山忠能ほか公家五名の名を掲げる。…
追録8-No.352 久光の入京鎮撫と三郎改称、御刀・御剣の賞功を記す玉里御系図記事
玉里久光の御系図記事。文久二年壬戌四月に京師へ到り詔を奉じて浪士を鎮撫し、その後京畿に凶徒が起こると伏見で誅し、残徒は風を望んで潰えたと叙述する。改称三郎の日は原文に九月十二日と記す。七月二日には「大家」から御刀一腰(注:備中片山一文字)を賜り浪士鎮撫の労を賞したとし、閏八月九日には召しに応じて皇城…
追録8-No.353 私的面会・無命の奔走・無断駈付けを禁じ酒色を慎ませる四条の御筆仰出
包紙に御筆仰出とする四条の訓示。諸藩士や浪人等と私的に面会しないこと、命を受けずみだりに諸方へ奔走しないこと、異変があっても動揺せず下知がないままその場へ駈け付けないこと、酒色を慎むことを命じる。従来の申渡をなお守り、違背する者には容赦なく罪科を科すとする。正文は文久二年戌四月。執事方帳留に大坂での…
追録8-No.354-1 芳之進の死去と法名を関係役人へ知らせる摂津申渡
雑集中の二つの通知。芳之進は病気の養生がかなわず今辰刻に死去したので承知するよう知らせる。四月廿日、摂津、本文取次川上正十郎。続いて法名を篤芳院殿玉雲賢露大禪童子と称する旨を伝え、承知すべき役人限りに申渡すよう命じる。こちらも四月摂津だが日は記さない。病名や治療法を補わず、死去日時と法名通知の記載を…
追録8-No.354-2 久光の京都滞留・勅書拝見と祝儀、御筆遵守・四条の伝達を記す申渡群
雑集中の四内容。久光は十九日に伏見を立つ予定だったが京都へ留まるとする式部の申渡で、戌四月廿五日川上正十郎取次注。次に京都で浪士鎮静の勅命を受けたため今日勅書を拝見し、圖書・大身・家老らが月次御礼の場で太守と久光へ祝儀を述べ、諸士は帳面に記して飛脚でも伝えるとする四月廿六日摂津の申渡。第三は太守の御…
追録8-No.355 公武の周旋・久光との問答と諸藩浪士の企てを伝える平田延太郎の京師書付写
平田延太郎の京師世態間合の書付写。久光上京は朝廷・幕府のため薩摩の力で周旋する趣旨とし、堀次郎が大原卿に聞いた叡慮や、伏見から上京した久光を近衛邸で中山・正親町三條・岩倉らが迎えて政治の存意を尋ねた経緯を記す。幕府の違勅を寛大に許し公武合体を求めること、一橋後見・諸侯寛罪・幕政賞罰・将軍謝罪等を叡慮…
追録8-No.356 関東老中水野和泉守との呼称重複を避け三郎への改称を勧める近衛忠房口述
玉里へ現書を引き譲った中の近衛忠房の口述。忠左衛門を招いたのは、久光の呼名が和泉で関東老中にも水野和泉守がいるため、差し当たりどうかと思い改名してはどうかと申し入れるためだと述べる。特に三郎と改めればなおよいとして、忠左衛門へ伝達を頼む。署名忠房、本文は日付を記さず口裏の朱書に文久二年戌五月十一日と…
追録8-No.357-1 幕吏への懸念と関東への派遣、大道による是非の説諭を大原に命じる別勅写
五月廿一日、勅使の発駕を命じる際に別段命じた叡慮の写とする。天皇は国家のため日夜憂い、幕吏も安心できるよう願うので、相手を関東へ下して自身の志を広く知らせたいと述べる。腹心を尽くして怠らず、営中の議論や幕吏の曲直、島津との争論があれば、大道によって是非を説き、天下の一大事を誤らず祖神の震怒をなだめる…
追録8-No.357-2 通商・和宮下向・井伊家と禁裏普請・譜代大名の行動を関東へ尋ねる五ヶ条写
禁裏から関東へ尋ねるにあたり大原卿が作った勅ヶ条書の写とする五項。第一は将軍職を持ちながら外国人を上陸させ交易や各港の旅館を許したこと、第二は天下の政治を偽って和宮を関東へ下向させたことを問う。第三は井伊掃部頭の不慮の死について何の弁もなく、和宮下向を慶事と称し当掃部頭を城使として登らせること、第四…
追録8-No.358 久光の出府後に菱刈・汾陽が京都へ留まり小松が大坂で指揮する旨を伝える書状
浪人鎮静について不容易な勅命を承知しているはずで、御手当が付き石見を上京させ多くの守衛も当地に置いたまま三郎久光が出府したので、今後何が起きるか分からないと述べる小松帯刀の書状。久光は江戸御用後に当秋上京する予定なので、それまでは菱刈と汾陽次郎右衛門が滞京して指揮するよう沙汰されたと伝える。自分は汾…
追録8-No.359 五月十二日の三郎改称を周知し祝儀と登城の予定を伝える但馬申渡群
雑集中の二つの申渡。第一は京都の近衛からの申進により、久光が去る十二日に三郎へ改名したとの報が届いたので承知し、表方・奥掛・御勝手方・諸郷私領へ周知する。五月但馬、本文五月廿五日二階堂源太夫取次注。第二は同じ改名について、一門方と月次御礼の者へ「明廿二日四時」の登城を指示し、その席で太守・三郎へ祝儀…
追録8-No.360 三郎改称の字の遠慮と近衛への参殿・参内服飾・御剣拝領を伝える申渡群
雑集中の申渡群。久光が三郎へ改名したため三の字と同音の文字を遠慮するが、喜三左衛門・喜三次など語の下に使うものは差し支えないとする五月但馬の条。続く報告は、去る七日近衛へ参殿した際の御用から参内するよう議奏の取伝を受け、同九日近衛へ再び参殿し、関白から烏帽子・直垂等を贈られて着替え、参内して御剣一振…
追録8-No.361 政事変革への意見上申と年寄相談を促し公武疎通・武備・易簡を説く上意振と説明
六月朔日の上意振は、近年の不容易な時勢から政事を格外に変革するので、国家について心得ることは申し聞かせ、さらに年寄共と相談するよう求める。続く今日の趣意説明は、この改革を国家の慶事とし、長い昇平による綱紀の緩み・武備不行届、外国事務の増大による天下の物情を懸念する。公武の関係に隔意はないが情実が十分…
追録8-No.362 大原三位の勅使出立と同日の三郎発駕を関係者へ知らせる但馬申渡
雑集中の但馬申渡。先月中旬に大原三位が勅使として関東へ出立することに伴い、同日に三郎久光も当地を発駕して出府する旨を近衛から承知したという到来報を、関係者へ伝えるよう命じる。六月、但馬。近衛への返信や勅ヶ条書そのものではなく、発駕・出府に関する伝達記事として扱う。
追録8-No.363 三司官任命を謝し御国許への奉公に励むと誓う宜野灣親方朝保の起請文前書
敬白天罰霊社起請文前書の第一箇条。自分は若輩ながらこのたび三司官役を命じられたことを冥加に余るありがたい仕合と謝し、さらに御国許への奉公に念を入れて勤めると誓う。他の箇条と神文は略す注がある。文久二年壬戌六月十九日、宜野灣親方朝保の判。白木御文書十番箱中・百三十番。省略された誓約条項や神文は補わない…
追録8-No.364 講武所へ出ない家来も調練場で修行するよう促す銃隊調練通達と藩内伝達
大目付宛の銃隊調練通達。近頃西洋法を採用し旗本御家人は講武所で修行し、諸家でも精勤する向きがあるが、さらに熟練するよう厚く世話することを求める。麹町三丁目裏火除明地の下曽根甲斐守・高嶋喜平の調練場を江川太郎左衛門に兼ねて預け、講武所へ出ない万石以上以下の家来も三名と相談して調練場で修行するよう知らせ…
追録8-No.365 小松の家老同様政務取扱と久光発駕出府の報、祝儀登城を伝える大蔵申渡群
雑集中の三内容。御側詰小松帯刀はまだ年功がないが難しい御用に精勤したため別段の思召で役替を命じ、江戸・国許とも家老座へ詰め家老同様に国政を扱うよう、先月廿日に京都御殿で三郎が直接仰せ付けたとの報を伝える。新役名は原資料で略す。六月大蔵、十五日川上正十郎取次注。次に三郎が先月十二日に京都を発駕したとの…
追録8-No.366-1 脇坂へ差し送った別紙を大原卿の高覧に供する三郎の内用書状写
頭書に三郎から大原卿へ進めた御書写とする内用書状。相手の口上と、今日示された高家衆の御達書付を拝見して礼を述べ、昨夜考えて存慮があったため、別紙のとおり先刻脇坂へ書状を差し送ったので参考にしてほしいとして高覧に供する。毎度乱書の推覧を頼むと結ぶ。六月十六日、嶋津三郎、左金五様、極御内用の表示。原宛先…
追録8-No.366-2 久世の上京と一橋越前の政務取扱、長州の早期協議周旋を求める三郎の脇坂宛書状写
脇坂へ送った三郎の内用書状写。以前役場を離れて面会し存慮を述べた際の厚意に礼を述べ、熟考したので同列とも相談してほしいとする。第一は久世上京の勅命を受けても停滞していること、一橋・越前を人心が頼りにしているのに大老等の名目・先例へ拘束して政務の協議が半年にも及ぶことを憂える。早く決定して公武一和・国…
追録8-No.367 三郎の上京・浪士鎮静の骨折に御刀を下す旨を松平修理太夫へ知らせる書付
玉里へ現書を引き譲った中の賜刀書付。嶋津三郎が用向で上京したところ浪人が集まり不穏な様子があったため、鎮静すべきとの内諭を受けて取り計らい骨折したので、御刀を下すと伝える。本文は年月日・発給者姓名を記さず、口裏の朱書に文久二年戌七月二日とある。松平修理太夫宛、白木十番箱百三十一番。御刀の銘や数は本書…
追録8-No.368 久光の勤王公武周旋を支持し国中の忠誠と流言防止を命じる太守御筆
太守の御筆仰出。内憂外患が日々危急となるなか、三郎は順聖院の遺言を受け、太守の参府延引への御断と芝屋敷の指図を表向きの名目としつつ、内実は天下国家を第一に叡慮を安んじるため出発したと述べる。滞京の勅命で浪士を鎮静し、勅使に同行して関東へ下った後も忠勤し、越前の国政取扱や板倉の出職等の建白が取り用いら…
追録8-No.369 久光の鎮静周旋を受け太守御筆の趣旨と正道・忠勤を下役へ徹底する家老申渡
内外憂患の時勢は承知しているはずだとして、三郎が出発後に滞京の勅命を受け浪士を鎮静し、関東で老中に対面して趣意が取り用いられたことを述べる家老五名の申渡。太守の御筆で示されたとおり領内の者は正道を心掛け忠勤し、三郎に関する流言には厳しい処置をするという趣旨を承知させる。時機と国体の処置を考えながら苦…
追録8-No.370 久光の浪士鎮静への御刀拝領を知らせ翌日登城して祝儀を述べさせる筑後申渡
太守に用事があったため去る二日に御名代が登城したことを前置し、三郎が上京先で集まった浪人の不穏な様子について鎮静の内諭を受けて取り計らったため、御刀を拝領することになったという到来報を伝える筑後の申渡。一門・大身ら月次御礼の者は明十九日四ツ時に登城し、席で太守・三郎へ祝儀を述べるよう命じる。但書は略…
追録8-No.371 島田左兵衛権大尉を長野主膳と同じ動きの奸賊と断じ誅戮・梟首を記す記事
雑集中の短い記事。島田左兵衛権大尉が長野主膳と同じ動きをして奸曲を企てたとして、天地に容れられない奸賊と断じ、誅戮して梟首したと記す。島田には九条家の諸大夫正辰との注がある。文久二年戌七月。断罪的な呼称と処置は記事の記載として扱い、今回独立に裏付けた有罪事実とはしない。発給者・記者の実名や宛先は記さ…
追録8-No.372-1 神川驛での行列衝突と外国人殺傷、追跡・宿場滞留を伝聞で報じる内分書
三郎が鎌倉へ参詣する予定だったところ、神川驛で行列先へ騎馬の外国人三人、うち一人女性が駈け込み、供の守衛が一人を打殺し、別の一人は重傷で逃れたという内分報告。注進後、騎馬五六十人ほどが鉄砲や抜身を持って殺害者を尋ねて追って来たと聞く。鎌倉行きを取り止め小田原驛に泊まり、当地から足軽を差し向けたこと、…
追録8-No.372-2 中院通繁・押小路・中山忠能・岩倉貞慶・千種有文の閉門を聞いたと記す一覧
中院前侍従通繁七十四歳、押小路遠江権介三十六歳、中山大納言忠能五十歳、岩倉三位貞慶五十六歳、千種左少将有文四十五歳を、官位と御家領・高、居所の表示とともに掲げる一覧。末尾に、この方々が当月初め頃に閉門を命じられたと聞いたとする文を付す。中院の御家領五百石、押小路の高百三十石、中山の二百石、岩倉・千種…
追録8-No.373 江戸下向供役の道中と外国人殺傷後の動静・京都到着を両親らへ報じる宮里書状
宮里孫八郎正容が両親らへ無事を知らせる書状。先月六日に下向の供を命じられ江戸を廿一日に発ち、駕籠や馬を使わず歩いて、昨日夜に錦の屋敷から十町ほどの大雲院内知徳院へ着いたと述べる。神奈川手前で原文が亜墨利加人四人、一人女性とする騎馬の者が通り、自分は八六郎と行列前方にいたため背後の殺傷を直接確認せず、…
追録8-No.374 六つの出立日ごとに人名と郷別人数を列記する江戸守衛出府一覧
八月十六日・廿一日・廿六日、閏八月十一日・十六日・廿一日の六つの出立日ごとに、人名と出府する郷別人数を掲げる一覧。最初は谷村十右衛門・宮里新次郎と樋脇・東郷・隈之城各五人。続く各群には国分・清水・串木野、櫻島・小根占・高山・鹿屋、加世田・志布志・蒲生、始羅郡山田・帖佐・伊集院・市来、福山・伊作・指宿…
追録8-No.375 第251号の2と同文として略す注と江戸から持下・拝見・格護の包紙記録
白木御文書十一番箱中一番の表示と松平大隅守(注:斉興)を掲げ、本文は第251号の2と同文なので略すとする注。正文はこの切片には載せない。包紙記録は文久二年子戌閏八月廿七日、黒田嘉右衛門が宰領して江戸から持ち下り、家老衆が拝見したうえで従来どおり格護する旨を式部が承知し、白木御文書十一番箱へ納めたとす…
追録8-No.376 用向による内聞参府と支度次第発足・少人数供廻を命じる老中三名書状
松平修理太夫に用事があるので内聞で参府するよう命じる老中三名連署状。閏八月廿五日、板倉周防守勝静・水野和泉守忠精・松平豊前守信義の判。追伸は支度ができ次第発足し、道中は急がず通常の日積で進み、供廻を少人数にするよう求める。外包は八番、封書一通箱入とし、文久三年亥三月十三日に大蔵から従来どおり格護する…
追録8-No.377 三郎の賜剣を斉興・斉彬の拝領例より手重く取り扱うよう命じる摂津申渡
三郎久光が参内して懇な褒勅を受け御剣を拝領したので、斉興の朱衣肩衝茶入と斉彬が差していた大小の拝領例より、諸事を手重い方へ取り調べるよう命じる摂津の申渡。閏八月、摂津(注:喜入久高)。過去の二つの拝領品と今回の御剣、先例を参照する取扱指示を分ける。御剣の具体的銘や数量は本条に記さない。
追録8-No.378 松平肥後守の京都守護と三郎の公武周旋を踏まえ協働を進めたいとする沙汰
松平肥後守が京都守護職を命じられ警衛が行き届くことを安心する一方、一藩だけの奉職では人心の居合がどうかと懸念する沙汰。三郎久光が公武一和の基本を周旋し皇国の誠忠の者であると評価し、今後の公武のためにもよいとして、別段の叡慮による守護の命と、大樹家へも叡慮が貫徹するよう肥後守と相談して務めることを進め…
追録8-No.379 父三郎を正御後見とする願いと勝手次第の取計を認める公義附紙
修理太夫が、実父三郎は家督後から国政に精勤し、参府後も国許政務へ心を用いるようにとの前年三月の内達を承知したが、方今の時勢は心配なので三郎を自分の後見に命じ、国政を厚く相談して指揮してもらいたいと内意を願う。九月十八日、松平修理太夫。附紙は書面の願いの取計は本人の勝手次第とする。外包は三郎正御後見の…
追録8-No.380 貞姫を斉彬養女に追擬し久光の義子と記す系図記事
斉彬の御子を記す御系図の男女八人・女子の表示に続く貞姫の記事。貞君・光蘭、近衛内大臣忠房公の簾中とし、文久二年壬戌九月に斉彬の養女へ追擬したこと、実は久光の義子であるとの文を載せる。本文の養女・義子という関係表示を区別し、実父母や出生年月日を補わない。男女八人の表示から貞姫を第八女とはしない。
追録8-No.381 公武周旋と参内褒勅を回想し忠直・意見上申を求める久光御筆と太守の添書
久光の家老宛御筆と太守添書。久光は内勅を奉じて関東で公武のため尽力し、再上京して復命した後、先月九日に参内して褒勅と重い品を賜ったことを武門の冥加とする。内外の憂患を傍観できず順聖院の遺志を赤心で実行し、徳川家への義を守って一橋・越前の登用を待ち、短い滞京中でも勤めを惜しまなかったと回想する。未だ大…
追録8-No.382 二丸で示された太守と三郎の御筆趣旨を文武・礼義・節倹・富国強兵として下役へ伝える申渡
去る九日に二丸の御座の間で太守・三郎が出座し、一門方・圖書と家老、若年寄・大目付らを召して厚く沙汰したことを記す家老六名の申渡。別紙二通のとおり太守・三郎の御筆で示された出府・公武の趣旨と改革を大幸として受け、自分たちも精勤し、文武を盛んにし礼義廉恥・質素節倹によって風俗を正し富国強兵を行うよう求め…
追録8-No.383 台場等への意見申出、宝蔵金配分と窮士勤務扶持・米価諸色吟味を求める六条口達
執事方帳留の六条口達。先代が神瀬で考えた台場築立は逝去後に中止され遺憾なので、危急の時勢に当分沖小島へ築立したいとする。ただし死生に係るため大目付以上・軍役奉行・軍賦役中へ十分な意見を求める。集成館では大砲鋳立・軍艦造立等の含みを述べ、掛役にも意見を促す。宝蔵金五十万両(但古金)から十五万両を繰り替…
追録8-No.384 旧制と西洋砲術を踏まえ軍備を再検討し国力に応じた簡易な方法を求める仰出
執事方帳留の軍政に関する仰出。金剛定院は慶長以前の御三代様の旧法を基礎に西洋砲術を採用し、順聖院も調練を指揮したが、なお十分に達していないとする。外夷の危急が増す中で軍政を厳重にすべきなのに、西洋人の動作を模倣するばかりで人心の帰嚮が薄いと懸念し、慶長以前の旧制に従って軍備改革を綿密に吟味するよう求…
追録8-No.385 斉彬の王家への忠誠を賞して権中納言従三位を贈ったと記す系図記事
御系図・斉彬公の記事。文久二年壬戌十一月十二日、大家が勅を奉じて権中納言従三位を贈り、これは斉彬が生前王家へ忠誠を尽くした功を賞するものだと記す。「大家」は原表記を保持する。短い系図記事であり、宣旨正文や久光の諭達・茂久の添書ではない。
追録8-No.386 攘夷決定・布告と警備親兵を求め、小河彌右衛門らの帰国・押込等を記す雑集記事群
雑集中の五内容。第一は柳営の改革新政を評価しつつ、天下の攘夷が一定せず人心一致に至らないことを懸念し、攘夷決定を諸大名に布告し、武臣が公論で策略と拒絶期限を議奏するよう求める。第二は外国船を謝金で返す方式では国力が疲弊するとし、港の厳重な警備、海岸からの引離し、諸藩救援、自国兵備、京師守護と親兵、忠…
追録8-No.387 攘夷決定と布告・衆議を求め、公武合体等を説く勅書写と別書
雑集中の二本文と閲覧・借写注。漢文の勅書写は、柳営の改革新政を喜ぶ一方、天下の攘夷が一定せず人心不一致によって内乱を生じることを懸念し、攘夷決定を大小名へ布告して武臣が衆議で良策を定めるよう求める。続く「勅使持参御書付写」は、御書付壱通として攘夷決定・天下布告と国防武備を説き、来二月の上洛前に策略を…
追録8-No.388 順聖院の権中納言従三位追贈につき公義書付二通を収める五番外包
「五番 外包」の収録内容表示。順聖院に贈権中納言従三位の宣下があった件について、公義から仰せ渡された御書付二通と記す。ここには両書付の正文を載せず、後続のNo.388の1・2が登城命令と追贈申渡に当たる。包紙表示を独立した達書や順聖院宛の本文として数えない。
追録8-No.388-1 松平修理大夫の名代として類中一人を翌十二日四時に登城させる書付
追贈関係書付二通の第一通。口裏は松平修理大夫家来宛。御用があるため、明十二日四時に松平修理大夫の名代として類中一人が登城するよう命じる。十一月十一日、右一通と記す。年は正文に記さず、四時を現代の午前四時へ換算せず原表記を保持する。この書付自体は追贈の宣旨正文ではない。
追録8-No.388-2 斉彬の功績と家久の家例を挙げ権中納言従三位追贈を申渡す第二通
五番外包の第二通。先代薩摩守が生前国家へ丹誠を尽くし、病末に及んで弟三郎らへ遺訓を残したことが叡聞に達して御感があったとする。先代家久が存命中に権中納言宣下を受けた家例もあるため、格別の叡慮によって贈権中納言従三位を宣下する旨が京都から伝えられたと述べ、生前の丹誠によりそのとおり追贈するとの仰出を松…
追録8-No.389 島津三郎を願いどおり松平修理大夫の後見とし国政等を相談して取り計らわせる書付
六番外包は、三郎の後見任命と政事向等の相談を命じた公義の御書付壱通と記す。正文は松平修理大夫宛で、島津三郎を願いどおりその方の後見に命じたので、国政をはじめ諸事を厚く相談して取り計らうよう命じる。正文の年月日は不記。外包注は文久三年亥正月十八日、式部から格護を命じられたことを伊東彦介が承知し、白木御…
追録8-No.390-1 故左近衛権中将源朝臣斉彬へ権中納言を贈る宣旨
旧御番所御文書四番箱中の第一通。故左近衛権中将源朝臣斉彬に権中納言を贈るべしとの勅を、正二位行権大納言藤原朝臣俊克が宣し、大外記兼掃部頭造酒正助教中原朝臣師身が奉ずる。文久三年二月二日、右一通。親番号390だけの見出しではなく、原冊「の1」の宣旨正文として整理する。
追録8-No.390-2 故左近衛権中将源朝臣斉彬への権中納言追贈を記す口宣案
原冊「の2」、口裏は口宣案。上卿を坊城大納言とし、文久三年二月二日の宣旨として故左近衛権中将源朝臣斉彬に権中納言を贈ることを記す。蔵人頭右大辨藤原長順が奉ずる。右一通。旧版の登城令書という標題を本文に合わせて修正する。
追録8-No.390-3~4 斉彬へ従三位を贈る口宣案と功績を述べた詔
同じ切片行に原冊「の3」と「の4」を含む。第三通は口裏を口宣案とし、文久三年二月二日の宣旨で故従四位上源朝臣斉彬に従三位を贈ることを記す。上卿坊城大納言、蔵人右少辨藤原俊政奉、右一通。第四通は天皇の詔で、斉彬の国家への誠忠と治安・護国の功を称え、遺教を弟が継いだことや病による死を悼み、名を後世に顕す…
追録8-No.390-5 贈従三位と贈中納言の上卿・職事を並記する書立
原冊「の5」、薩摩贈中納言の贈位・贈官に関わる卿職事書立。贈従三位は上卿坊城大納言、職事坊城右少辨とし、贈中納言も上卿は同じ坊城大納言、職事は葉室頭右大辨とする。右一通。書立自体に年月日は記さず、隣接宣旨の日付を本文日付として補わない。
追録8-No.390-6 斉彬への従三位授位と関係官人の宣・奏請制可・施行を記す制書群
原冊「の6」の授位関係記録。第一の内容は故従四位上源朝臣斉彬に従三位を贈るべしとし、武威・忠精・遺教等を称えて主者に施行を命じる制書で、文久三年二月二日の中務卿熾仁親王の宣と、中務大輔・少輔および権大納言・権中納言等の官位・姓名を列記する。第二は「制書如右、請奉制、附外施行、謹言」「制可」の奏請・承…
追録8-No.391 三郎の上京に伴い法令を守り軽率な攘夷行動を慎むよう家老を通じて諸士へ申し渡す仰出
執事方帳留の家老中への仰出。勅命による攘夷の要請を幕府が受け、大樹公の上洛・朝廷の決議を経て策略を示すという状況を述べる。三郎は天朝・幕府の召しを受け、内命によって上京するため、留守中に万一攘夷船が来た場合も従来の法令を堅く守り、人心を動揺させないことが肝要だとする。勅命を心得違いして軽率に行動すれ…
追録8-No.392 代替に伴う来亥年の諸国巡見を予告し手数を省く対応と組中支配中への伝達を求める記事
雑集中の二内容。大目付の通知は、御代替につき来亥年に諸国巡見を命じる予定だが、参勤期限を猶予する時期に当たるため別の巡見を差し止め、御目付・御使番が諸事を簡易にして海陸両道を随時見廻るとする。領主は手数を省いて対応し、この趣旨を万石以上の交替寄合へも伝えるよう求める。十一月、年不記。次に公義の別紙の…
追録8-No.393 斉彬の忠誠と遺命の継承を称え権中納言従三位を追贈したと記す系図記事
御系図・斉彬公の文久三年二月二日追贈記事。勅は斉彬の忠誠・治安護国への思いを称え、病によって急に死去したことを悼む。弟久光が遺命を継いで国家を守ると述べ、名を後世に伝えて忠魂を慰めるため、特に権中納言従三位を贈るとする。系図に記された勅の称賛として整理し、久光の諭達とはしない。前の文久二年十一月十二…
追録8-No.394 侍長等八名を上京供奉役とし中小姓六十人とともに伏見で三郎を待ち受けさせる申渡
雑集中。侍長として村田源右衛門・平田五兵衛・大迫新藏・右松十郎太を挙げ、続いて和田孫右衛門・種子島六郎・長崎早太・伊地知宗助を列記する。これらの者を三郎の上京に伴う供奉役に命じ、当分の勤方を申し渡すとする。二月、筑後、注は川上久封。末注は亥二月十五日に九州路へ差し立て、ほかに三重中小姓六十人も一緒に…
追録8-No.395-1 十九日の召出しで示された御筆を伝え職掌の励行と非常時の慎重な対応を求める申渡
雑集中の五名連署申渡。昨十九日、若年寄・大目付・大番頭・御小姓与番頭・側御用人・側役・軍役奉行・御休息所を召し出し、非常の時世の改革について沙汰があり、別紙のとおり御筆を示されたと記す。臣下を思う配慮に感じ入り、各自が職掌を尽くして改革の成功を図るよう求める。目前の外国船来航にも重大な時機として慎重…
追録8-No.395-2 士にふさわしい行動と軍役の備え、倹約・組合の病死報告と和睦を求める五条書付
五条の書付。詩歌や諸遊技にのみふけり士に似合わない所業をしないこと、知行高に応じた軍役人員と兵器・糧食の不足に注意すること、衣食住に贅沢を用いないこと、組合中に長病または死去者があれば同位から速やかに物主へ申し出ること、仕伍の組合は互いに和睦することを求め、堅固に守るよう命じる。文久二年壬戌十月、御…
追録8-No.395-3 御筆に基づき軍役付へ士風・文武・倹約と兵器糧食・和睦信義の遵守を求める申渡
雑集中の軍役付平常沙汰。別紙のとおり御筆で示された趣旨を一統が慎んで承知し、当今の士風を振るい文武に励むよう求める。衣食住を倹約し、分限に応じて兵器・糧食を備え、急場の御用を滞りなく勤めること、組合の和睦と信義を重んじ疎略なく条目を守ることを命じる。二月、筑後・大藏・但馬・式部の四名署名。前の五条書…
追録8-No.396-1 来航時は合図を待たず定められた場所に集まり病気等の不参理由を軍賦役へ届ける申渡
雑集中。外国船来航時の心得は去る申年にも申し渡したが、今回別冊のとおり改めて命じるとする。早鐘等の合図が鳴った時は各自定められた持場へ早く集まり、御小姓与番頭へ内馳出しを届けることを求める。合図がなくても定められた場所へ至り、自分の判断で他所へ功を求めに行けば処罰の対象になると戒め、大番頭・御小姓与…
追録8-No.396-2 外国船来航を想定した沿岸通報と各組・旗本・城下守衛・領内救援の手当次第
別冊の来航手当次第で、九つの条目と補記を含む。山川沖に四艘以上の船が見え内海へ入る様子があれば遠見番所・烽火臺・砲声等で知らせ、山川・指宿・今和泉・喜入・谷山・垂水・新城を通報拠点とする。内海での船の応接後に掛家老・軍役奉行・軍賦役が定める合図を用い、市中の早鐘・太鼓や近隣寺鐘等でも伝える。御先手六…
追録8-No.397 危急の時勢に旧慣にとらわれず改革し各職掌から意見を申し出るよう求める口達覚
執事方帳留の口達覚。内外危急の時勢には国政を旧来どおりに保つことが難しく、三郎の帰国時の仰出どおり、富国強兵・海防と士風刷新・文武奨励の改革に取り組んでいるが、今も成果が十分ではないとする。役人に責任を免れる姿勢を戒め、数十年来の風習や古格にとらわれず、時勢を観察して改革の基礎を立てるよう求める。三…
追録8-No.398 英国提督の薩州への申立希望と船の派遣に関する応答を留守居が承知した記事
神奈川へ来航した英国軍艦水師提督が薩州へ赴いて申し立てたい趣旨を、同国公使から伝えたとする雑集記事。外国人接役の立場にないため説得には及ばないこと、有無の返答もできず、みだりに船を差し越させることはないとも言い切れないという応答を載せる。心得として伝えたとし、末注は文久三年亥二月廿二日に御留守居岩元…
追録8-No.399 外国軍艦への警備と兵端を急がない対応を求め、王名を借りる者への処分も伝える記事群
雑集中の三内容。第一は井伊へ、江戸へ向かう軍艦が三月八日までに回答がなければ戦争に及ぶと述べているため、横浜から川崎への警衛を命じ、早く人数を出して防禦するよう求める。横浜の英国軍艦の三ヶ条はいずれも難問なので趣旨を踏まえて応接し、兵端を早急に開かず藩屏の任を尽くすよう命じる。二月八日に所司代が留守…
追録8-No.400 茂久が大奥へ示した御書取につき第409号と同文として正文を省略する注
雑集の参照記事。「本書四〇九号文書ト同文ニエ略ス」として正文を省略する。注は文久三年亥三月に太守茂久が御書取をもって大奥へ仰せ出た趣旨だと記す。今回第409号の全文・外包を原画像で確認し、妻子の国許引越し、質朴な大奥運営、江戸からの下向を慶ぶ御筆への参照として内容対応を確認した。この行に正文はなく本…
追録8-No.401 三郎の山川出帆から上京・上書・帰途・細嶋滞泊を経た帰着までの行程記録
雑集中の間書。三郎は三月四日に前の浜から出帆して山川へ着き、五日に外之浦へ、六~八日は滞泊、九日に出帆した。十日、伊予御手洗の手前で佐土原侯の船に行き会い、呼ばれて半時ほど話した。十一日兵庫、十二日山崎通の陸路を経て一泊、十三日に伏見を通って京都へ着き、知恩院へ宿泊。十四日に宮様から示された趣旨で近…
追録8-No.402 相手と島津三郎の引渡し、百銀二十五万両の差出しを求めたとする三ヶ条
「三ヶ条」として、相手を差し出すこと、嶋津三郎を差し出すこと、「百銀貳拾五萬両」を差し出すこととの事を列記する要求摘要。年月日・差出人・宛名は記さず、冊末目録は英国要求三ヶ条とする。相手の姓名を補わず、百銀は拡大画像で確認した原表記として保持し、白銀への校訂や現代通貨への換算をしない。三条件の伝聞摘…
追録8-No.403-1 第406号と同文として本文を省略する注
「本書ハ四〇六号文書ト同文ニエ略ス」とする参照注で、ここには本文を載せない。第406号を原画像で通読し、久光が退京時に朝廷へ提出した届書への参照であることを確認した。省略注の占有量と本文量を分け、上京道順書として整理しない。
追録8-No.403-2 攘夷拒絶令に基づく応接の差控えと征討軍船の可能性を伝え聞かせる申上書
本田彌右衛門が御名内として記す申上書。攘夷拒絶の令を承知しているため、領内に碇泊する外国船一般には応接に及ばず、速やかに代わって言い含めるよう求める。また時宜によっては征討の軍船を差し遣わすこともあり得るので、これを聞き取ってもらうよう命じられた趣旨を申し上げる。年月日と相手の姓名は記さず、軍船派遣…
追録8-No.404 伏見で久光が供中へ仰せ渡した御筆について第408号を参照して本文を省略する注
執事方帳留の久光公の記事。第408号の文書と同文として本文を省略し、文久三年癸亥三月十四日に伏見で供中へ仰せ渡したと注記する。参照記載は「四〇八の号」で枝番号の数字がない。今回精読した第408号の2は三郎が京都で仰せ出た御筆写であり内容の参照先候補として対応するが、枝番号欠記を補って完全な同文照合済…
追録8-No.405 側向の役人に改革の趣旨と職掌の励行・三郎身辺への配慮を求める仰出
執事方帳留の側向への仰出。時勢が重大になる中、三郎の配慮と苦心を踏まえ、身辺の者が第一に趣旨を理解し、命令が十分行われないのは自身の不肖にもよると述べ、役人にもこれを補う基本方針を立てるよう求める。時勢を観察して職掌を尽くし文武に励み、用部屋からの申述や小納戸方などの要務にも趣旨を生かすよう求める。…
追録8-No.406 滞京による混乱を避け退京して海岸の防備を厳重にすると朝廷へ届ける久光書
久光は内命で上京して京の形勢を観察したが、危急が迫り、十分な献言も採用されず、公武のまとまりも得られないとする。無用の自身が長く滞京すれば議論を沸騰させ騒乱を生じるおそれがあると述べ、攘夷の決議を受けて三面海岸の領地を厳重に守り、寸地も失わず国威を保つべき時なので出発すると届ける。急速な退京が疑いを…
追録8-No.407 朝廷の方針が定まらない状況を憂え諸藩の公議による大策を求める建白
朝廷への久光の建白。再三の上京によって形勢を観察し、危急の中で天皇の英断と官武の改革が成就しかけながら「八月十八日一變」が起きたと述べ、臣子として責任を感じるとする。主尊と公卿が情勢を見渡して動揺しない基本を立てることを願い、朝令夕改の旧習が皇国挽回を妨げるとして、列藩が上京した場で公議を採用し大策…
追録8-No.408-1 三郎の京都御筆を受け英国軍艦の要求への応接・防備と攻守命令への服従を求める太守御筆
白木御文書十一番箱中九番の包紙に御筆とおりとして載せる太守の書付。同包の表示は次条に太守御筆仰出と三郎の京都御筆写の二通とある。英国軍艦が横浜へ来て重大な事件を申し立てたため、三郎が京都で示した御筆の趣旨を尤もとして受ける。生麦の一件について曲直を分明にし、再び来航すれば正義の論で応接して相手を屈服…
追録8-No.408-2 英国軍艦の重大要求を受け天下国家のため尽力するよう求める三郎御筆写
「御筆仰出写トヲリ」とする三郎の御筆写。英国軍艦が横浜へ来て重大な事件を申し立て、幕府の回答が難しくなり、去秋の生麦一件から皇国の大難が当家に起こったようで恐れ入るとする。相手の曲直は分明で、言い掛かりに憤りを述べ、もし相手が強暴に兵端を開いた時は、天下国家のため他藩にも示すべく一統が粉骨砕身して取…
追録8-No.409 妻子の国許引越しと質朴な大奥運営を求め慶安らの江戸下向を慶ぶ御筆
白木御文書十一番箱中十二番、包紙御筆とおり。諸大名の妻子その他大奥向が国許へ自由に引越せることを重大とし、外国との通商以来の物価高・万民困窮、朝廷の攘夷決策と幕府の評議、諸国の武備・参勤月数人員や政法の改変を述べる。当国も時勢に従って政事改革を命じたので、大奥掛役は浮華の弊を除き質朴貞実の風俗を実行…
追録8-No.410-1~4 将軍の二条城発駕予定と延期、帰府に関する勅諭写、領内への別紙伝達を記す四区分
原冊の1~4を一行で整理する。第一は公方が当月廿一日に二条城を発駕し東海道を還御するとの三月通知で、去る十七日に京都で仰せ出たと記す。第二の覚は、当月廿一日発駕予定だったが御所の仰出により発駕を延引して滞京するとし、十九日の京都での仰出を伝える三月廿四日の記事。第三は帰府についての勅諭写で、将軍職の…
追録8-No.411 京都御筆と太守添書を踏まえ攻守命令・備えと下役への周知を求める申渡
雑集の冒頭は底本がこの箇所で第408号の2の正文を引くため省略すると注記し、京都の三郎御筆写への参照を示す。続く家老三名の申渡は、横浜へ来た英国軍艦の重大要求と幕府回答の難航を述べ、相手が強暴に兵端を開く場合に粉骨砕身して取り計らうという御筆を受ける。太守添書に従い手厚く準備し、攻守の命を遵守し、軍…
追録8-No.412-1 細嶋滞在と帰路の通行宿割・到着祝儀、都城への御迎を伝える五つの通知
五内容の通知群。第一は三郎が細嶋で機嫌よく滞在し、供人数と持道具が到着したので昨三日に発駕し宿割どおり通行するとする四月四日式部の通知と、松岡十太夫を通じて向々へ伝える同日通知。第二は来九日の帰着に備え、嶋津又六郎一列は所定の通筋へ出て、帰着後に本丸で家老へ祝儀を述べるよう求める。第三も三日に臼州細…
追録8-No.412-2 見分時の服装を認め、出退勤と鐘撞きの時刻割合を変更する帯刀の申渡群
三つの申渡。第一は御三役と諸役人の朔望・平日の出勤服装を定めてあるが、見分などには行形の服で出勤してよいと伝える四月帯刀の通知。第二は御三役以下の役人の御暇を七ツ時としていたが、明日から従来の四ツ出勤・八ツ時御暇に戻すとする。第三は当分一日七時の割合で鐘堂を撞いていたところ、明日から日一杯六ツ時の割…
追録8-No.412-3 二条城着・参内と還御の祝儀を飛札・使札で伝え、領内にも周知させる記事
第一の公義通知は、将軍の上洛・二条城着と参内に対する祝儀を在国在邑者や隠居が和泉守の旅館へ飛札で送るとの先の指示を改め、留守老中へ送るよう命じる。還御に際しては拾万石以上の在国在邑者が後豊前守・和泉守宅へ使札を送り、それ以下は飛札とし、隠居は月番老中へ送るよう指示する。第二は公義の別紙を表方へ通達し…
追録8-No.412-4 三郎の退京時の拒絶令を伝え来航時も動揺せず攻守命令を待つよう求める申渡
三郎が京都を立つ時に攘夷拒絶の厳命を承知したので、領内に碇泊する外国船には応接せず速やかに申し伝え、時宜によって征討の軍艦を差し向けることもあるという趣旨を朝廷・幕府へ届けたとする。公義の命令や攻守の指示は慎重な配慮によるものなので、船が来ても動揺せず直の命を待ち、従来の御筆等の心得を取り違えないよ…
追録8-No.413 春嶽の総裁職免除と京都守衛交替、水戸中納言の関東守衛委任、領内周知を記す記事群
八内容の雑集記事群。春嶽が政事総裁職の辞任を願い許可前に当地を出立し、呼戻しや家来の残留をめぐる経緯を受け、朝廷が出格の宥免で総裁職を免じたと記す四月朔日の覚。次に京都守衛用掛を三条中納言に命じ、十万石以上の諸侯は守衛人数書をその方へ提出するよう求める四月通知。さらに十万石以上を京都警衛に交替で在京…
追録8-No.414-1 玉薬等四奉行の一ヶ月当番と軍賦役への届出、汽船の識別・合図を伝える帯刀申渡
二内容の申渡。第一は玉薬・普請・兵粮・人馬の四奉行が出馬時に物資等を差し出す役務を相談し、一ヶ月当番を設け毎月漏れなく軍賦役へ届けるよう求める。亥五月朔日北條織衛取次注。第二は汽船が当地前の浜に入る時、遠沖通航時も旗印を確かめ、開聞嶽・佐多立目ならびにひこる合図の大砲壱発を打って乗り入れるよう命じる…
追録8-No.414-2 五月十日の攘夷期限と海岸防備、一橋の関東下向、御筆遵守を伝える三内容の申渡群
三内容の通知。第一は攘夷を五月十日から拒絶する旨の達しを受け、銘々が心得て自国海岸防禦を一層厳重にし、襲来時には掃攘するよう求め、十万石以上へ周知させるとする。第二は一橋中納言が攘夷掃攘のため昨日廿二日に当地を発ち関東へ下向したとの四月の幕府通知で、天下国家のため尽力するよう求める。第三は公義の別紙…
追録8-No.415 生麦の談判で曲直と名義を明らかにする方針、応接役と金額の風聞、領内の慎重な対応を記す記事群
三内容の雑集。亥四月十一日河内守の申渡注に続き、生麦殺傷一条(原注ママ)で横浜へ来た英国側との談判は曲直を正し名義を明らかにするため行い、家来は無謀な小勇を慎むよう命じる。時宜によって戦争にもなるので覚悟するよう万石以上・以下へ伝える。次に外国奉行菊池伊豫守・柴田貞太郎が昨廿日に横浜へ応接のため出向…
追録8-No.416 金銭をめぐる対外応接の批判的報告と、江戸の警備・火災等の風聞を記す二記事
二内容の雑集。第一は高崎猪太郎が江戸の攘夷事情を聞いて注進し、中川宮へ申し上げたという記事。五月九日の横浜で三十三万両を外国人へ渡したとの話と、外国側の威圧や応接者への批判を載せる。さらに三十二万両を殺された者の妻子養育のためと名付けた由、幕府の朝敵名義を失わせるという話、近く以前の世態へ戻るとの見…
追録8-No.417 斉彬の霊を照国大明神として崇めたとする系図記事
御系図斉彬公の短い記事。文久三年五月十一日、斉彬の霊を照国大明神として崇めたと記す。後に照国神社と改めたという割注もあるが、改称日はこの条に記さない。関連する第418号の亥五月十二日仰出注とは別の日付として保持する。
追録8-No.418 忠煕筆の正陽・昭徳二額と、忠煕・忠房の二首、照国大明神の神号注を記す記事
雑集中。正陽・昭徳の御額二面は近衛前関白忠煕の御筆で照国社へ掛けるものと記す。続く従一位忠煕の歌は国を照らす光と人物の誠を後世へ伝える趣旨を詠み、左近衛大将忠房は斉彬の国忠を深く感じて詠んだ歌として、国を照らす志を表す。末注は順聖公の神号を照国大明神と称する旨を亥五月十二日に仰せ出たとする。御額二面…
追録8-No.419 尾張前大納言の政事補翼、将軍の大坂から二条城への還御、公義別紙二通の伝達を記す記事群
四内容の雑集。第一は尾張前大納言を、公方の京都滞在中の政事補翼に叡慮によって命じたとする五月の通知。第二の覚は、将軍が去月十一日に大坂へ赴き摂海岸等を巡覧し、十一日暁九ツ半の供揃で大坂城を出て陸路二条城へ暮六時前に還御したとの注進を載せる五月十六日通知。第三は公義の別紙貳通を組中・支配中・諸郷へ漏れ…
追録8-No.420 長州と鹿児嶋への外国船来航二件を挙げ、文久中雑集に詳記したため本文を省略する注
文久三年六月朔日に長州へ呉國船が来航し、同年六月廿七日に七艘が鹿児嶋へ来航した二件を記す参照記事。両件は文久中雑集に詳記したのでこの雑録には載せず、参照のため記し置くとする。旧切片で欠けていた次段の「セズ、参照ノ為記置也」を補収して確認した。ここには事件正文がなく、本文読込量0。船の国籍・事件の詳細…
追録8-No.421 英艦七隻の来航・三隻奪取と砲戦、退去・損害を記す忠義公の系図記事
御系図忠義公の記事。文久三年癸亥六月二十八日、英艦七隻が本府港へ来て来意を告げ、応接がまとまらず、七月二日に薩摩側の汽船三隻を奪ったと記す。薩摩側が砲臺から攻撃し英艦も巨砲で応戦、飛来する砲弾の中で戦い、英側の船将二人の死と多数の殺傷、翌日の英艦退去を叙述する。一方、薩摩側の戦死者は一人だけとする。…
追録8-No.422 薩摩少将からの黄金百両と絹三十疋を受け取り披露する旨を伝える女房奉書
旧御番所御文書四番箱中。箱蓋は斉彬公御贈官の女房奉書二枚と記し、口裏は文久三年五、十五とする。掲載本文は、さつまの少将から故権中納言贈官位の御礼として黄金百両・御きぬ三十疋を受け取り、披露してしかるべく取り次ぐよう伝える。末尾に御いまの御局の表記がある。二枚という保管記載とここに掲載される一本文を分…
追録8-No.423 議奏・伝奏に先鋒の勅許と帰俗を願い、攘夷に尽力したいと申し上げる書状
「尊」は台命に功を立てられず攘夷の形が成らないことを恐れ、期限も過ぎたため自身の不肖を述べつつ、先鋒に立つことを願う。勅許があれば天下の有志に呼びかけ、その助力を得て共に戦死してでも国恩に報いたいとして、速やかな勅許と帰俗の許しを求める。六月五日、議奏中・傳奏中宛、署名尊、原注は中川尊融親王。文久三…
追録8-No.424 将軍の参内から帰府までの行程、小笠原・牧野の免職と所司代任命、領内への伝達を記す通知群
六内容の雑集。第一は公方が去る三日に参内を済ませ九日に二条城を発駕し、大坂を経て東海道を還御するとの六月通知で、大坂の発駕日は追って伝えるとする。第二は九日に京都を発ち十三日に大坂を出発、御軍鑑で十六日に濱御庭へ着いたとする六月の続報。第三は小笠原圖書頭の役免を大坂で仰せ出たとの通知。第四は牧野備前…
追録8-No.425 英軍艦七隻と汽船三隻の奪取、砲戦・退去を記し海防の備えを評価する家譜記事
島津氏家譜の記事。文久三年六月二十八日に英国軍艦七隻が鹿児島沖へ来て応接が終わらず、七月二日に港内の汽船三隻を奪い火を放ち、こちらを討つと命じたとする。薩摩の砲臺が攻撃し英側も応戦、敵艦将二人が死に多数の殺傷があったが、薩摩兵の死者は二人だけと記す。翌日英艦が退去し、大風暴雨の中で英艦が海戦に慣れた…
追録8-No.426 対外応接・防戦と流言を踏まえ上書箱への意見提出を求める御筆と家老副書
旧御番所十番の外包は、太守が英国への対応につき上書箱を設けて上言を命じた御筆書付壱通とする。文久三年亥七月十一日に帯刀から格護を命じられ千田傳一郎が承知し白木十一番箱へ納めたという注。御筆正文は英国の無礼な書簡・要求に非曲直を説明し、応接未結のまま汽船を奪われ防戦したことに礼を述べる一方、流言が出て…
追録8-No.427 国分を今後国府の文字に召し替えると知らせる申渡
国分の文字を今後国府へ召し替えると仰せ出されたので、その旨を申し渡す式部の通知。七月十一日、年は記さない。改称を伝える短い申渡として整理し、目録の別文書の標題や日付を本文へ転用しない。
追録8-No.428 国分での居住を延期し太守の許しと諸士の召移・軍務準備を伝える式部申渡と副書
国分での居住は先に命じられたが重大な事情で決しがたく、大中公に願いをかけ、国分の居住を延期することを太守が直々に許したとする。諸士の召移と征夷の手当を決め、厳重に備える趣旨を関係者へ伝える七月式部の申渡。続く七月十一日の大番頭方五番組方印・嶋津仲の副書は、各支配中へ写しを早く伝え、本文を滞りなく廻し…
追録8-No.429 国分居住を見合わせ城下での士気・訓練を高め、戦時に直接指揮する役を願う稿
二内容の願稿。第一は御三役から再三願いがあり一度国分居住を命じられたことを承知するが、内外危急の中で今は居住を止め静かな時まで見合わせるよう願う。城下を廻って士気を振るい、守る持場で職分を尽くし、戦時の教練・慰労、臺場や大砲・集成館の準備を進めたいと述べ、自身は草牟田から北の伊敷付近の居住案も挙げる…
追録8-No.430 汽船奪取・砲戦と暴風雨、英人から聞いた損害と薩摩戦死一人を記す履歴記事
御履歴中。文久三年六月に英国軍艦七隻が鹿児島沖へ来て応接する中、七月二日に港内の汽船を奪ったとする。汽船数は正文二艘・割注三艘で原記載を別に保持する。砲臺が攻撃し英側も応戦、攻撃は午時から暮まで続き、大風暴雨で英艦の砲撃が定まらず役立たなかったのを天の幸いとし、翌三日に英艦が退去したと記す。後日横浜…