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追録8の目録

暫定版です。原文との照合により、概要や文書の区切り等を修正する場合があります。

全2,290件中 401~500件・5 / 23ページ

  1. 追録8-No.285-11 源茂久を従五位下に叙す口宣案

    安政六年二月七日の宣旨を記す口宣案。上卿中山大納言のもとで、源茂久を従五位下に叙すべき旨を伝え、蔵人頭左大辨藤原胤保が奉る。口裏に口宣案とあり、一通と記す。第285号の6の従五位下位記と対応する。

  2. 追録8-No.285-12 左近衛権少将任命の上卿・職事の書立

    左近衛権少将の任命に関する上卿・職事の書立一通。上卿を久我右大将、職事を廣橋頭左大辨とし、薩摩少将を示す。本文に年月日は記さない。

  3. 追録8-No.285-13 従五位下茂久の従四位下位記と制司・兵部省施行記録

    従五位下源朝臣茂久に従四位下を授ける位記と叙位施行関係の記録。官役と羽衛の務め、精誠・公務への励みを称えて栄級を授け、主者に施行を命じる。安政六年二月七日の年表示、中務卿熾仁親王の宣、中務大輔敬直の奉、中務少輔資生の行を記す。公卿の位階・官職・名の列記、制書に従う施行と制司の欄、中原師身・右中辨経之…

  4. 追録8-No.286 又次郎の養父・実父・領地・石高・居城を記す明細書

    太守の明細書一枚として、松平又次郎の養父を故薩摩守斉彬、実父をその弟島津周防と記す。領地は薩摩国一円・大隅国一円・日向国の内、高六十万五千石余、本国・生国は薩摩、居城は薩州鹿児嶋とする。年齢は「午十八歳」の表記を載せる。外包には安政六年二月十八日、駿河から春山弥兵衛へ渡され、格護を承知して白木御文書…

  5. 追録8-No.287 周防の表向出仕宥捨と圖書の御礼席・着座待遇を定める沙汰

    周防と圖書の出仕・御礼待遇を定める沙汰。周防は相応の年齢と太守との格別の続柄により、年頭・八朔その他の表向御礼席への出仕を宥捨し、時宜によって奥で対顔し、奥へ通る際は櫻之間で相扣えるよう命じる。圖書は太守との続柄による特別な思召として、年頭・八朔・五節句・月次等に御座之間で御一門方に続き嶋津左衛門よ…

  6. 追録8-No.288 茂久の官職・父・領地石高と琉球国外高を記す明細書

    太守の明細書。安政六年二月七日、従四位下少将松平修理大夫茂久、未十九歳と記す。養父は故薩摩守斉彬、実父はその弟島津周防。本国・生国は薩摩、居城は薩州鹿児嶋、領地は薩摩国一円・大隅国一円・日向国の内、高六十万五千石余とし、別に琉球国について「外十二万三千七百石」を掲げる。包紙に安政六年四月朔日、伯耆殿…

  7. 追録8-No.289-1 前年の御代替に伴う誓詞提出を願う伺書

    前年の御代替について、誓詞を差し上げたいと願う短い伺書。二月十一日、御名の表示を伴い、一通と記す。後続の松平修理大夫の誓詞関係書類につながる。

  8. 追録8-No.289-2 翌朝の誓詞来宅と罰文・宛所・判形・血判を指示する書付

    松平修理大夫へ、明朝六半時に私宅へ来て誓詞を行うよう命じる書付。罰文まで整えて持参し、宛所は掃部頭と老中五人を座並の順で認め、判形は手前で行い血判は相手方で行うよう指示する。三月十日付、一通。本人への指図と誓詞の宛所六名を区別する。

  9. 追録8-No.289-3~5 公方への忠勤・公義仕置と琉球遵守を誓う前書神文、準備連絡

    印刷の3~5の本文群。起請文前書は公方への忠勤を専一とし表裏を持たないと誓う。神文では一門・公家・親類縁者等に野心の者があれば早く言上し同心しないこと、御代替に際し公義の仕置を守ること、附属の琉球国について仕置に背く企てに加担しないことを述べ、違背時の神罰を掲げる。安政六年三月十一日、松平修理大夫の…

  10. 追録8-No.289-6~7 誓詞伺の取次差出と来宅通知、半田・早川の首尾報告

    印刷の6~7の書類。御代替に伴い誓詞を差し上げたい旨の伺を用番脇坂中務大輔方へ持参・演説して差し出し、用人を通じ落手を聞いたとする半田嘉藤次の筑後宛報告。大目付家人へ留守居附役名の書附で届ける旨も追記する。続く書付は明十一日六半時、和泉守宅へ太守が出て誓詞を行うことを伝える。早川務の主水宛報告は和泉…

  11. 追録8-No.289-8 三月十一日朝に誓詞があった太守・大名・高家等の名列

    三月十一日、太守をはじめ太田備中守・鍋嶋熊次郎・井上筑後守、脇坂中務大輔の養子や市正の嫡子、伊豆守の子、交代寄合、高家衆・表高家衆の面々を列記し、今朝これらの人々に誓詞があった旨を記す一通。親子・養子等の付記と各官途を伴う名列として残し、一覧の人数を発給文書の通数に換算しない。

  12. 追録8-No.289-9 和泉守宅での誓詞実施と誓詞案・本書の取扱いを報告する書状

    早川務が太守の誓詞実施を報告する首尾書。昨夕の和泉守の書付により今朝六半時に和泉守宅で誓詞を行うため、六時に供が揃い太守が出たと記す。誓詞を紋付挟箱に入れ、小姓・御納戸等と早川が先に行き、箱を用人杉戸助右衛門へ渡して太守を案内した。誓詞は滞りなく済み、退出したと報告する。宛所は掃部頭と老中五人を座並…

  13. 追録8-No.289-10 誓詞無滞の挨拶と前月の伺先への報告、一件書付十一通の収納

    半田嘉藤次の首尾書。今朝和泉守宅で太守の誓詞に供をし、滞りなく済んだ挨拶を使者として門前から述べ、里村又十郎を通じて伝達する旨を聞いたと報告する。また用番脇坂中務大輔方へ出向き、前月同書を差し出していたことに触れ、今回和泉守宅で誓詞が無事済んだ旨を使者として申述べ、角田留平が取次を承知したと記す。未…

  14. 追録8-No.290 忠元の功績と神階加級を顕彰し新納駿河に遺志継承を求める沙汰

    新納駿河に対する宰相の沙汰。先祖武蔵忠元が天文・慶長の戦国期五十余年に武功を重ね、危険な境目の大口地頭となり八十五歳まで警衛・領地の安定に尽くしたこと、先代の朝鮮出陣中には鹿児島の勤番をしたことを回顧して顕彰する。先年大口に忠元霊社を創建し、駿河も大口の職務を精密に吟味して勤め、忠元の遺志と家訓に違…

  15. 追録8-No.291 薩摩少将の黄金・絹献上に対する思召を伝える女房奉書

    旧御番所御文書四番箱中の女房奉書。薩摩少将が位階への礼として黄金百両と絹三十疋を献上したことを披露したところ、喜ばしく思し召す旨をよく心得て伝えるよう述べる。口裏に安政六年の年注と四月廿九日の日付があり、目録では孝明天皇女房奉書とする。差出人・宛先の個人姓名は本文に記さない。

  16. 追録8-No.292 尚泰が国王跡職の厚恩と家督交替時の先規遵守を誓う起請文

    白木御文書十番箱中の「敬白 天罰霊社起請文之事」。中山王尚泰が先国王の跡職を命じられ、筋目を違えず邦を相続できた厚恩を生涯忘れないと誓う掲載第一条を収める。他の条項は略す。続いて、今回の御家督相続に際して諸事先規どおりに守ると述べ、違背時の神文は略す。安政六年五月六日、尚泰の判、少将様への進上を記す…

  17. 追録8-No.293 大里王子朝教の摂政任命と家督交替時の先規遵守の神文前書

    霊社神文前書の掲載部分。大里王子朝教が摂政役を命じられたことを外聞よくありがたい仕合と述べる第一条を収め、その他の条項は略す。今回の御家督相続に際し、諸事先規どおりに守る旨を続け、神文は略す。安政六年五月九日、朝教の判を記す。

  18. 追録8-No.294 譜久山親方朝典の三司官任命・家督関係の起請文前書省録

    「敬白 天罰霊社起請文前書之事」として、譜久山親方朝典が若輩ながら三司官役を命じられたことを冥加浅からぬと述べる条を掲げ、「云々以下略」とする。他の条項、今回の御家督に関する文、神文も省略表示を付す。安政六年五月九日、朝典の判を記す。省略箇所を前掲の別文書から補って独自の全文とはしない。

  19. 追録8-No.295 池城親方安邑の三司官任命に関する起請文前書省録

    「敬白 天罰霊社起請文前書之事」として、池城親方安邑の三司官役任命に関する文を「私儀云々」「被仰付云々略」と省録する。他の条項と神文も略す。安政六年五月九日、安邑の判を記す。

  20. 追録8-No.296(箱見出し) 斉彬石塔建立一件の箱見出し・九十八番

    白木御文書十番箱中の九十八番を示す親見出し。ここに独立本文はなく、次の印刷第296号の1~3の石塔建立関係書類に続く。

  21. 追録8-No.296-1~2 天璋院の特旨による斉彬石塔建立と供養・写経遺物収納の連絡

    印刷の1~2の本文群。順聖院が国許で死去した場合、大圓寺への石塔建立は先例にはないが、天璋院の内沙汰による特別な事情で建立するため、寺と関係者へ申し渡す七月の筑後の指示と張紙を収める。七月十六日の取次嶋津壬生の書付は石塔・玉垣等が出来、石柄もよく、点眼供養も行われたことを伝える。未七月廿九日の川上筑…

  22. 追録8-No.296-3 天璋院の孝思による順聖公石塔と梵経・遺物収納を述べる石誌

    順聖公の石塔に関する石誌。石櫃内の二つの匣の一つに、温恭廟の御臺所天璋院が手親に写した梵経一部を納め、斉彬の女も親写の梵経一部と父の生前の愛玩物を納めたと述べる。在国で薨じた公は通常大圓寺に牌位を納め別の霊塔を建てないが、今回は天璋院の特旨によって順聖公石塔を建立したとし、孝思追慕の情を述べる。安政…

  23. 追録8-No.297 斉興の死去葬地・問病香奠と近衛忠房の親写心経の記事

    斉興公御譜の記事。安政六年九月十二日に本府玉里館で病歿し、享年六十九、法号明覚亮忍大居士金剛定院殿、十七日に福昌寺へ葬ったと記す。脇に九月十七日を忌日とする注がある。按語は病中の医薬と死後の葬祭を先公の例に従ったとしつつ、その詳細を徴する文献がないと述べ、大慈公以来の大故の礼などの記録不足に触れる。…

  24. 追録8-No.298 天璋院の意向で建立した斉興石塔と点眼供養・親筆経物収納の記事

    斉興公御譜の石塔記事。鹿児島で薨じた公について江府菩提所大圓寺では位牌のみを置き、墓表を別建立しない通例を述べる。金剛定公の死に際し、家定の御臺所天璋院が孝思によって大圓寺へ墓を建て招魂し追遠することを願い、順聖公の例にならったと記す。石工事が成り、万延元年九月十五日に点眼供養を行い、墓底の石櫃に天…

  25. 追録8-No.299 家督後帰国した茂久の安否を尋ね肴一種を賜る老中状

    公方はますます御機嫌がよいので安心するよう伝え、家督を受けて帰国した後も変わりなく過ごしているかを尋ね、肴一種を賜る旨の老中四名連署状。九月十九日、脇坂中務大輔安宅・内藤紀伊守信親・松平和泉守乘全・間部下総守詮勝の判、松平修理大夫殿宛を記す。原注で修理大夫は茂久とする。包紙は安政六年十月十九日に宿次…

  26. 追録8-No.300-1 斉興の病気を上聞し無油断の養生を命じる老中状

    松平大隅守の病気が上聞されたところ、油断なく養生するよう上意があった旨を伝える老中四名連署状。十月十五日、脇坂中務大輔安宅・内藤紀伊守信親・松平和泉守乘全・間部下総守詮勝の判、松平大隅守殿宛を記す。原注で大隅守は斉興とする。本文に年は記さない。

  27. 追録8-No.300-2 斉興の病気を尋ね生干鱸を下す旨の老中状

    松平大隅守の病気がよくないことが上聞され、重ねて御尋として生干鱸を賜る旨を伝える老中四名連署状。十月十六日、脇坂中務大輔安宅・内藤紀伊守信親・松平和泉守乘全・間部下総守詮勝の判を記す。大隅守宛で、本文年は記さない。養生を命じる前通と、見舞いの魚を下す本通を区別する。

  28. 追録8-No.300-3 斉興死去への弔意を茂久へ伝える老中状と三通の包箱注記

    同氏大隅守の死去が上聞され、愁傷に思し召すのでその旨を伝えるよう上意があったとする老中四名連署状。十月十七日、脇坂中務大輔安宅・内藤紀伊守信親・松平和泉守乘全・間部下総守詮勝の判、松平修理大夫殿宛を記す。養生・賜魚の二通が大隅守宛なのに対し、この弔意は修理大夫へ通知する。末尾には三通とも上包に宛所と…

  29. 追録8-No.301 茂久が家老に先代の規格と積徳を守り文武・礼義に励むよう命じる仰出

    包紙に御筆仰出とある家老向けの訓示。茂久は自ら不肖ながら順聖院の遺言で跡目を継いだことをありがたく思い、先代の積徳を汚さぬよう日夜心を痛めると述べる。まだ不慣れなので気付いたことは放置せず申し出るよう求め、家老以下の役人は先代の規格どおりに緩みなく務め、政事に精入するよう命じる。士には礼義廉恥を保ち…

  30. 追録8-No.302 本丸炎上後の明細書提出命令・家老問合書を収める留書表紙

    安政六年十二月十二日付、本丸炎上に伴い明細書を新規に提出するよう命じた公義の仰渡と、家老衆の問合書等を留める御記録所用の表紙。朱書注には本丸炎上に伴う明細書差出命令、十一月廿八日到来、「弐日中急便」の表示がある。ここには命令正文を載せず、十二月十二日を火災発生日とはしない。

  31. 追録8-No.302-1 本丸炎上後の明細書を吟味筆写し提出済みと伝える川上龍衛書状

    本丸炎上のため明細書を新規に早く差し出すよう公義から命じられ、各方面へ伝達したとする川上龍衛の書状。明細を御記録奉行が吟味したうえで右筆へ認めさせ、大目付平賀駿河守へ差し出して落手した旨を、別紙首尾書のとおり留守居が報告したと述べる。この内容を各所へ伝え、御記録奉行にも申し渡すよう求める。未十月廿九…

  32. 追録8-No.302-2 平賀駿河守の書取を受け各家に明細書二通ずつの提出を伝える廻状

    大目付平賀駿河守から呼び出され木幡松三郎が出向いたところ、用人を通じ書取一通を渡されたとする廻状。二通ずつ提出するよう同席の留守居へ伝える旨を聞き、陸奥守が各所へ通達するよう命じたことを述べる。各家が銘々駿河守へ早く明細書を差し出すべきとして、廻状数通を認めて持ち回らせる。十月十九日、松平陸奥守内の…

  33. 追録8-No.302-3 本丸炎上後の明細書早期再提出と従来寸法の遵守を命じる書取写

    「写」と記す提出命令書取。本丸炎上に伴い明細書を新規に早く駿河守方へ差し出し、寸法等は以前に伝えたとおり心得るよう命じる。十月の記載がある。差出先と命令の発給者・宛先姓名は区別する。

  34. 追録8-No.302-4~5 明細書二枚の提出落手報告と廻状写送付を伝える西筑書状

    印刷の4~5の書類。の4は明細書二枚を昨夜持参し、大目付平賀駿河守の用人土肥某輔へ、本丸炎上による早期提出命令と陸奥守家来の廻状が届いたため提出すると申し述べたところ、駿河守が落手した旨を聞いたとする首尾報告。未十月廿日、留守居附役脇田仁兵衛から西筑右衛門宛。の5は陸奥守家来から届いた廻状について、…

  35. 追録8-No.303 順聖院の深意を継ぎ御国家守護・天朝忠勤を求める諭達の雑抄

    「雑抄」と題する御名乗・御判付きの諭達。世上一統が動揺する容易ならざる時節に、万一の際は順聖院の深意を貫き、御国家を守護して天朝への忠勤に励むよう求める。志に対して自らの力が及ばないと述べ、誠忠を尽くすよう頼む。日付は安政七年未十一月と記すが、注では六年未の誤記で、執事方帳留の誤りに由来し追って正文…

  36. 追録8-No.304 嶋津周防久光の帯刀・供廻・登城等の取扱と一世格式を記録させる申渡書

    嶋津周防久光の取扱を御記録奉行へ申し渡す書付。御前でも脇差を帯び、「此殿」の文字を御前御用にも用いるなどの扱い、年頭等の供廻六七人・平日三四人の増員、虎皮鞍蓋・金紋先箱の御当地での使用を定める。御櫻門等の従来通行、北御門通融の際の玄関前・大奥通番所前・台所御門の通行、諸屋敷や神社寺院への乗輿、登城時…

  37. 追録8-No.305 近衛忠房の心経を斉興霊前へ備え特別な忌服とともに福昌寺で格護させる申渡書

    近衛大納言忠房の御書写心経一巻を福昌寺へ渡す申渡書。金剛定院斉興に対する格別な思召により、官家では養方の忌服をしないと聞くものの、別段に定式の忌服を請け、さらに心経を霊前へ供えたと述べる。禁中や公達にもこのような例はないとし、篤い思召による供養として、後年に麁末な取扱にならぬよう格護を命じる。本文十…

  38. 追録8-No.306 順聖院の贈答規定を再確認し内意の願事に伴う贈品を返すよう命じる申渡

    執事方帳留にある音信贈答の申渡。順聖院在世中に厚く命じられ一統が承知する規定が、時を経て緩み、内意の願事等を申し込んで贈答する向きもあると聞くと述べる。これは賄賂の筋に当たるとして、以後そのような贈品は一切受用せず厳しく差し返すよう命じる。願事に伴う軽い一礼と両種相贈の儀を礼節とすることを戒め、以後…

  39. 追録8-No.307-1~4 武家諸法度の同文省略注・順達命令・名面書と西筑の受領報告

    印刷第307号の1~4を収める一件。の1は安政六年九月廿五日付武家諸法度を天保九年二月廿一日付と同文として略す注で、法度正文は載せない。の2は今廿六日、間部下総守が御條目写一通を家来へ渡し、御國持四品以上の各家へ順達するよう命じた旨の覚。受領した各家が銘々下総守へ使者を遣わして名面書どおりに順達し、…

  40. 追録8-No.307-5~6 西筑の御受差出報告と陸奥守・越中守家来の法令廻状

    の5は手扣書一通を付した西筑右衛門の龍衛宛報告。先月廿五日仰出の法令写が阿波守家来へ渡され有馬中務大輔方から今日順達されたため、国許の太守へ知らせる旨の御受を、掛の老中間部下総守の取次田子百人へ持参して説明し差し出したと述べる。取次から追って申し聞かせると聞き、今夕の勤めと写しの到来を報告する。未十…

  41. 追録8-No.307-7~8 法令書付の早期伝達と病気幼少・在国在邑者の使札を指示する大目付写

    の7は大目付の写で、間部下総守から渡された書付写一通を同列中と嫡子方へ漏れなく遅滞なく伝えるよう求める。回答は当面銘々の挨拶に及ばず、各自平賀駿河守方へ申し聞かせるとする。九月廿三日、陸奥守・越中守の留守居宛。の8は法令仰出に伴い病気・幼少で出仕しない者は掃部頭と老中水野出羽守宅へ使者を送り、在国・…

  42. 追録8-No.307-9 御代替初めの法令写・別紙・書附・廻状と首尾書を記録所へ収める申渡

    御條目写一通、御別紙一通、それに付く書附四通、御廻状写一通を列記し、留守居首尾書を添えるとする筑後の申渡。御代替初めに仰出された法令に関する書類が江戸から届いたので、先例どおり御記録所へ納めるよう命じる。本文十二月。外包には安政六年未十二月廿九日、筑後から川上四郎左衛門へ渡され、当座で格護を承知し白…

  43. 追録8-No.308 神社仏閣修造興行・勧農・年貢徴納の三箇條を命じる茂久吉書

    「吉書」と題し、神社仏閣の修造興行、勧農に専ら努めること、国々の年貢徴納の三箇條を掲げ、この趣旨に従って沙汰するよう命じる。安政七年正月十一日、茂久の御判(花押No.3)。白木御文書十番箱中・百六番の保管表示がある。

  44. 追録8-No.309 順聖院の福昌寺寄附百五十石を御判物・書附で扱うよう命じる筑後書付写

    筑後から渡された書付の写。順聖院が寄附し御物計から毎年福昌寺へ渡していた御高百五十石を、大慈院の寄附高と同前に扱うとする。近日御判物・御書附を大目付の使者によって寺へ渡し、家老中の添書は新番をもって渡す予定で、福昌寺への申渡は先例どおり取り扱うよう寺社奉行へ命じ、御記録奉行その他の関係者にも知らせる…

  45. 追録8-No.310 公方分五万両・天璋院分二万両の本丸普請への上納を内願どおり許す書付

    本丸普請について、公方分金五万両・天璋院分金二万両を上納したいとの内願を御聴へ達したところ、尤もな儀として御機嫌に思召され、内願どおりの上納を仰せ付ける書付。右の金を本丸普請の御用途に加えるよう命じる。本文に年月日・発給者姓名は記さない。口裏は松平修理大夫宛。外包には本丸普請につき金七万両を上納する…

  46. 追録8-No.311 四霊の仏餉高を銀へ引き替え年々の利足を福昌寺へ渡す家老連署書付写

    左衛門から渡された家老連署書付の写。慈徳院・圓徳院に各百五十石あった仏餉高を、各銀百五十枚へ引き替え、利足銀各一貫目を年々渡すとする。智光院の仏餉米三石は銀三百二十四匁一分二厘、年々の利足は二十七匁二分二厘六毛、正覺院の五石は銀五百四十匁二分、利足は四十五匁三分七厘六毛と記す。御判物・御書附と家老添…

  47. 追録8-No.312 斉興の位牌を大信院の次・霊龍院の前へ置き斉彬の位牌を大慈院の次へ移す書状

    金剛定院斉興の位牌が成就し大圓寺へ安置するにあたり、御列位の記録を御記録奉行に調べさせた結果を伝える喜入攝津の書状。大信院の次、霊龍院の前に金剛定院を置く配置を示す。順聖院斉彬の位牌はこれまで大信院の次にあったが、このたび大慈院の次へ移す。大圓寺と関係者へ伝え、大奥その他にも知らせ、典姫への報告と宛…

  48. 追録8-No.313 誠忠純孝・礼譲と文武精励を求め軍政を国家の急務として相談させる家老訓示

    執事方帳留にある家老への訓示。昨年伝えたとおり怠りはないはずだが、さらに文武の道に励み、誠忠純孝の徳を基に礼譲を専らにして淳和の風俗へ立ち戻るよう求める。家老がまずこの趣旨を保ち、末々まで伝達することを命じ、とりわけ軍政は国家の急務なので各人で相談してほしいと述べる。安政七年申三月十二日。本文に発給…

  49. 追録8-No.314 金剛定院斉興の福昌寺寄附百五十石を先例どおり御判物・添書で扱う伯耆書付写

    伯耆から渡された書付の写。金剛定院斉興が寄附し御物計から毎年福昌寺へ渡していた御高百五十石を、大慈院の寄附高と同前に扱うとする。近日御判物・御書附を大目付使者によって寺へ渡し、家老中の添書は新番をもって渡す予定で、福昌寺への申渡は先例どおり取り扱うよう寺社奉行へ命じ、御記録奉行その他の関係者にも知ら…

  50. 追録8-No.315 斉興の大圓寺石塔建立・納物一件の保管見出し

    第315号一件の前に置かれた保管見出し。「白木御文書拾番箱中 百十三番」と記し、この切片には石塔建立等の命令正文を載せない。関係本文は続く枝番号に収める。

  51. 追録8-No.315-1~2 天璋院の特別な沙汰による大圓寺石塔建立と斉興への御筆物納物

    印刷の1は金剛定院斉興が国許で逝去したため、大圓寺に石塔を立てない先例であったところ、天璋院の篤い内沙汰により特別な評合で建立することになったとして、大圓寺と関係者へ伝える式部の書付。九月、右一通也と記す。の2は天璋院および姫・院号等の名列を掲げ、金剛定院への納物を御筆物とする書付で、右二通也の表示…

  52. 追録8-No.315-3 国許で薨去した斉興の招魂墓と天璋院・親戚の親書奉納を記す石棺蓋銘

    朱書の口裏注を伴う「御石棺蓋銘」。前三州太守従三位参議源朝臣斉興の招魂墓であると記し、斉興は国許で薨去したためこの寺には牌位を納めるのみであったと述べる。斉彬の薨去時に大樹の太夫人天璋君の孝思によって招魂墓を立てた先例を挙げ、今回の斉興の墓も天璋君の追悼によるとする。天璋君が書いた梵経と、その他の庶…

  53. 追録8-No.315-4 斉興石塔・玉垣完成と点眼供養、梵経納物・灯籠献備を報告する川上式部書状

    斉興の大圓寺石塔建立に関する川上式部の書状。天璋院の篤い内沙汰と特別な評合で進め、石塔・玉垣等が完成し、拙者と御役人が拝見したところ石柄も申し分なく、去る十五日に点眼供養を済ませたと報告する。天璋院から御筆の梵経等を石櫃へ納める旨が伝えられ、姫等の別紙名列分も二箱に整え、櫃蓋裏の経緯記載と別紙どおり…

  54. 追録8-No.316 久光の子芳之進の重富出生・本室入居・夭折を記す系図記事

    久光の御子を記す御系図の「男女十七人」の表示の下に置かれた芳之進の記事。万延元年庚申十月十六日に重富第で生まれ、母は櫻井氏妹とする。文久元年辛酉四月に父久光に従って本室へ入り、文久二年壬戌四月二十日に夭折したと記す。法名は篤芳院殿玉雲賢露大禪童子。年月日と本室入居の記録を分ける。

  55. 追録8-No.317-1 参勤猶予中の江戸屋敷取締・法令遵守と質素文武・改革継続を命じる御筆仰出

    参勤猶予が公辺の例格として容易でないところ、特別な評合で願いどおり認められたことをありがたく思い、来々年の参府までの間、江戸屋敷の取締をさらに厳重にするよう命じる御筆仰出。公義の法令を守って精勤し、末々の諸士まで古代の国風を失わず質素節倹を用い、奢侈放肆を避け、正実に交わって風儀を正し、文武の道に励…

  56. 追録8-No.317-2 留守中の法令遵守・文武・節倹と改革を一統へ伝える左衛門・式部申渡

    御筆仰出の次に雑集へ載せた左衛門・式部の申渡。別紙の御筆による趣旨を一統が謹んで承知し、留守中は慎んで不都合がないよう心掛け、公義の法令を守って精勤するよう求める。遊惰な習風に陥らず文武に励み、無益の費を省いて質素節倹を守り、改革にも怠りがないよう命じる。掛の者はもちろん一統に綿密に行き届くよう取り…

  57. 追録8-No.317-3 武芸と倫理を兼ね備え流派の競争を戒め国家の実用へ励むよう諸師家に諭す口達

    万延二年酉二月六日、二之丸で茂久が諸師家を召し出した際の口達を書き取ったもの。武芸と筋骨の鍛錬は当世の急務で士の務めだが、君臣父子の倫理、礼義廉恥、義の軽重や道の正邪を弁えないと忠孝を誤ると諭す。師範は文武に偏りなく子弟を教育し、自身を省察して士道を汚さぬよう求める。流儀の秘伝秘術を抱え、軽く扱われ…

  58. 追録8-No.318 神社仏閣修造興行・勧農・年貢徴納の三箇條を命じる万延二年の茂久吉書

    「吉書」と題し、神社仏閣の修造興行、勧農に専ら努めること、国々の年貢徴納の三箇條を掲げ、この趣旨に従って沙汰するよう命じる。万延二年正月十一日、茂久の御判。白木御文書十番箱中・百十四番の保管表示がある。

  59. 追録8-No.319 寄合以上に学問・文武と日々の省察を求め家名を守って国家に役立つよう諭す雑抄

    「雑抄」と題する訓示。寄合以上は将来重役も命じられる身柄であり学問が第一だと、御両殿から繰り返し仰せられ承知しているはずなのに、旧弊が改まらないことを戒める。本職はもちろん文武の道に励み、平日の言行を省察し、礼譲によって和合して放逸を避けるよう求める。弊風を一洗し、先祖の勲功による家名を失墜させず国…

  60. 追録8-No.320 諸師範家への口上覚を第317号の3と同文として省略する執事方帳留注

    執事方帳留の「口上覚」について、本文は第317号の3と同文なので略すとする注。万延二年酉二月六日、諸師範家を二之丸御茶屋へ呼び出した際の仰出であることを記す。この切片には訓示の正文を載せず、内容は第317号の3を参照する。

  61. 追録8-No.321 茂久参府後も久光に国許の政務を厚く取り計らわせる幕府内々の沙汰

    松平修理大夫への沙汰。嶋津周防久光が家督の際から国政へ様々に心を添え精勤していると聞くので、来年修理大夫が参府した後も、国許の政事へさらに厚く心を用いて万事行き届くよう取り計らう旨を久光へ伝えておくよう求める。この段を内々に伝えるとの沙汰とする。本文に年月日・発給者姓名は記さない。外包には久光の儀に…

  62. 追録8-No.322 公方の機嫌と御鷹之鶴の宿次送付を伝える老中五名の修理大夫宛書状

    公方がますます機嫌よく過ごしているので安心するよう伝える老中連署書状。さらに「御鷹之鶴」を拝領したため、宿次で差し送ると記す。二月十八日、松平豊前守信義・本多美濃守忠民・安藤對馬守信行・内藤紀伊守信親・久世大和守廣周の五名が判を据え、松平修理大夫宛。本文に年を記さない。外包は文久元年酉四月十三日、筑…

  63. 追録8-No.323 参勤猶予中の法令遵守・質素文武と改革継続を命じ左衛門出府時の伝達を記す帳留

    執事方帳留にある参勤猶予後の訓示。公辺の例格もある容易でない猶予が特別な評合で願いどおり認められたことをありがたく思い、来々年の参府まで江戸屋敷の取締を一層厳重にするよう命じる。公義の法令を守って一統が精勤し、末々の諸士まで古代の国風を失わず質素節倹を用い、奢侈放肆を避け、正実と文武を肝要として改革…

  64. 追録8-No.324 国家の綱紀と孝義から父久光・重富家の名分を整える必要を論じる御筆仰出

    内外の難題を心配し、国家の基本は礼義廉恥で風俗を正し、上下が心を一つにして君臣和平と古代の国風を振興することにあるとする御筆仰出。仲尼の名正言順を政事の綱紀・治道風化の根本として、順聖公の顧みを受けて家督を継いだ自分はもともと重富の実子であり、実父周防の子であるのに名分が整わず、孝義を十分に尽くせな…

  65. 追録8-No.325 久光の身柄を左近様同様に扱い又次郎へ重富家を継がせる旨を記録させる申渡

    御記録奉行宛の喜入摂津の申渡。周防久光は重富家に入っていたが、格別な御倫次につき通常の扱いでは具合がよくなく、別段深い思召により、今後「御實形之御身柄」に復し何事も左近様と同様にする旨を伝える。重富家は嶋津又次郎に継がせるよう仰せ付けたことを家老の使者を通じて聞いたので、帳面に記録するよう命じる。本…

  66. 追録8-No.326 大里王子の跡役任命を謝する與那城王子朝紀の神文前書

    「靈社神文前書之事」と題し、このたび大里王子の跡役を自分に仰せ付けられたことを、外聞にもよくありがたい仕合と謝する第一箇条を載せる。他の箇条と神文は略す旨の注がある。万延二年辛酉四月二十四日、與那城王子朝紀の判。白木御文書十番箱中・百二十番。年号は原表記を保持する。

  67. 追録8-No.327 久光が重富家を辞し本氏へ復することと公武一和の周旋を叙述する系図記事

    斉興の御子久光についての御系図記事。文久元年辛酉四月に重富家を辞し、本氏へ復して和泉久光と改称し、その後居所を移したと記す。後段では内憂外患が迫って海内が動こうとするなか、久光がまず公武一和の基を開いて天下の紀綱を張ろうとし、京師・江戸へ赴いて周旋し王室に力を尽くしたと叙述する。これを斉彬の遺託を奉…

  68. 追録8-No.328 天理人倫・孝弟忠信を学術の本とし詞藻や放肆を戒める講堂師員への訓示

    執事方帳留中の口上覚。学術については大信院以来、近くは順聖院も深く命じていたので取り違えはないはずだが、まず天理人倫を明らかにし孝弟忠信を行い正道を守ることが学者の急務とする。太平が長いと詞藻に耽り文武の本体を汚して安佚に日を過ごし、あるいは高遠を志して放肆に流れ国憲を犯す例も少なくないと戒める。各…

  69. 追録8-No.329 外国船渡来時の不礼不法を防ぎ測量上陸への対応を父兄から若年者へ伝えさせる仰出

    執事方帳留の外国人取扱に関する仰出。公辺から手厚い扱いを命じられていることは承知しているはずだが、近頃イギリスの船が長崎・下関へ来たと聞き、当国へも不日に来るかもしれないとする。言語の通じない外国人へ若年の諸士が不礼・不法に振る舞い、わずかなことで皇国の大事を引き起こして時宜を誤り、京都・関東に命令…

  70. 追録8-No.330-1 川々の普請御用を命じ参府不要と上納の年割を伝える老中五名書状・条文

    濃州・勢州・尾州・東海道筋の川々の普請御用を仰せ付け、別紙の各家にも割り当てたので承知するよう伝える老中五名の修理大夫宛書状。この御用により今は参府に及ばないとする。七月廿日、松平信義・本田忠民・安藤信行・内藤信思・久世廣周が判を据える。続く条文では、近頃武備と領海備等で各家の入費も少なくないため、…

  71. 追録8-No.330-2 藤堂和泉守ほか四家へ川々普請御用と勘定奉行等への承合を伝える別紙

    藤堂和泉守・松平兵部大輔・松平右近将監・榊原式部大輔の四家を掲げ、濃州・勢州・尾州・東海道筋の川々の普請御用を仰せ付けたので承知するよう知らせる別紙。取計方は勘定奉行松平出雲守と吟味役立田禄助から伝えるので承合するよう命じる。右一通也の表示。本文年月日不記。外包は文久元年酉九月五日、左衛門から格護し…

  72. 追録8-No.331 公平・賄賂拒絶と政務精勤を家老へ求め役職者の可否を三日中に報告させる訓示

    執事方帳留中の家老宛訓示。文武・質素節倹・礼義廉恥を守り、大身は特に風俗を正し、末々の役人まで職掌に励んで公平に沙汰し、賄賂を受けず無益の酒会遊興を企てぬよう命じる。内外の憂患が増す時勢に、前年の参府途中の不快による帰国と参府猶予が認められたことに触れ、国難を醸すほどの噂が来ても動揺せず命令に従って…

  73. 追録8-No.332 和漢蘭の法を折衷した軍政規格について役人諸士の意見を急いで求める仰出

    執事方帳留の家老宛仰出。軍政を定めることは国家の大事で、金剛定院・順聖院の深意と御三代様の旧を基に和・漢・蘭の法を折衷してこのたび規格を据えたが、時世人情に応じて変革が難しいところもあろうとする。当世の急務として深く心配するので、家老だけでなく役人諸士一同に存寄りを急いで申し出るよう伝達させる。文久…

  74. 追録8-No.333-1 近衛忠房の祝歌懸物と忠義・久光への主上からの拝戴注

    旧御番所御文書一番箱中の、近衛忠房の詠筆懸物「大海も」。祝歌として「大海も風おさまりてなミたゝぬ 此君か代そ久しかるへき」を載せ、忠房と記す。目録注には文久元年酉十二月十一日、主上から忠義公・久光公が拝戴した御文書とある。歌の詠作日と拝戴日注を区別する。

  75. 追録8-No.333-2 利剣を送った志を頼もしく思う天皇の御製と序

    箱書に「今上天皇震筆」とする御製。序は文久はじめの年の季冬、物部の忠魂が盤石をも貫く利剣を送ったことについて、時世にあたり憂患を払う志として頼もしく思いながら詠んだと記す。和歌は「世をおもふこゝろのたちとしられけり さやくもりなき武士のたま」。序の利剣、心の太刀、武士の魂を重ねた表現を保持し、贈り主…

  76. 追録8-No.333-3 文久元年の奉奏と父久光への天皇の御製を賜る経緯を後年に記した茂久添書

    御震筆御製に付した茂久の添書。異国船が各所に来て天下が穏やかでなく帝も悩んでいるため、文久元年十一月九日に中山實善を介し思うところを詳しく申し、近衛忠熈を通して父君の書状も奉奏したと回想する。十一月廿六日には御文を受け、大納言忠房にも対面し、父君の文も承知されたという。なお心配が去らないまま、正親町…

  77. 追録8-No.333-4 御震翰・近衛詠歌と忠義の添書を後年まで格護するよう命じる伊藤彦介証書

    御震翰一箱(服紗包)、近衛の詠歌御筆一箱、忠義公御筆の御震翰添書一冊(服紗包)を列記する証書。内桐白木箱・外家箱掛合塗の表示がある。これらを御文書方へ下して格護を命じたので、後年まで保護が行き届くよう取り扱うべきとする。明治元年戊辰十二月十五日、伊藤彦介の印、御文書奉行宛。右証書一通と、収納物の箱数…

  78. 追録8-No.334 居屋敷焼失と外屋敷の手狭を理由に翌年四月の参府を秋へ延期する老中書状

    翌年四月中に参府すべきところ、居屋敷が焼失し外屋敷の住居も手狭で差し支えるとの趣旨が上聞に達したため、出格の評合で御用捨され翌年秋中に参府するよう命じられたと伝える老中五名の書状。十二月廿二日、松平信義・本多忠民・安藤信行・内藤信思・久世廣周の判、松平修理大夫宛。正文年は記さず目録は文久元年とする。…

  79. 追録8-No.335 神社仏閣修造興行・勧農・年貢徴納の三箇條を命じる文久二年の茂久吉書

    「吉書」と題し、神社仏閣の修造興行、勧農に専ら努めること、国々の年貢徴納の三箇條を掲げ、この趣旨に従って沙汰するよう命じる。文久二年正月十一日、茂久の花押(No.3)。白木御文書十番箱中・百二十三番の保管表示がある。

  80. 追録8-No.336 安藤対馬守の襲撃・負傷を川島助之丞から聞いた西筑右衛門の登宛報告

    西筑右衛門が、安藤対馬守側への出入りをする川島助之丞宅へ出向き、昨日の登城時に行列を妨げた者が討ち留められたと聞いたので、対馬守の負傷と機嫌を尋ねた報告。川島からは六人を打留め三四人ほどは逃れたと聞いたが、詳細は奉行の調べを経て国許へ知らせるのでまだ確定していないとする。対馬守は乗物外へ出て腰に突傷…

  81. 追録8-No.337 久光の二丸居住許容と二月の出府予定・当春出府指示を記す申渡群

    雑集中の申渡群。和泉久光について、先度の書取に続き再三の直々の願いによって二丸での住居を許容し、成就後に住む予定を、摂津を御前へ召し出して直接伝えたので、表方・奥掛・御勝手方へ知らせるよう命じる。次に久光の出府につき二月廿二日午刻の首途、同廿五日巳刻の発駕を指定し、関係者へ伝える。本文正月、伊集院平…

  82. 追録8-No.338 重富家の問合継続、久光子女の居住、榮水の乗輿と圖書の待遇を定める申渡群

    雑集中の申渡群。周防忠鑑には、久光が二丸に住んでも重富家については従来どおり和泉久光へ万端伺うよう求める。勝山悦之助・於成・眞之助・於浚・芳之進には、久光の二丸居住に伴う御子共方の御列上からの住居を伝える。榮水については城内諸門での下乗は家格どおり、御臺所口では乗輿で通り、本丸大奥通番所前で下乗する…

  83. 追録8-No.339 周防と圖書の御子様同様の取扱・圖書の一世一門待遇を記録させる大蔵申渡

    御記録奉行宛の申渡。格別な続柄と評合により、周防は何事も御子様同様の御會釋とする。圖書も御子様方同様の御會釋とし、以後「此殿」の文字を用い、年頭・八朔その他を一世一門方同様とする。登城の際は北御門または御臺所御門から入り内玄関から上がるよう命じ、帳面に記録させる。二月五日、大蔵。包紙は文久二年戌二月…

  84. 追録8-No.340 久光の二丸居住に伴う三万石差分と年間二万両の続料高月割を命じる摂津申渡

    雑集中の摂津申渡。和泉久光が二丸に住むことに伴い三万石の高を差分として進めるとする。その所務まで米不足があり得るため、御續料高の名目で、以後毎年産物料の内から金二万両を別紙月割どおり大坂から差し送るよう命じ、関係者と御勝手方へ知らせる。正文二月。続く月割は二月三千五百両、四月三千両、六月三千五百両、…

  85. 追録8-No.341 久光の二丸日勤・移徙出府予定と家内の居住・待遇・供扶持を定める申渡群

    雑集中に並ぶ九内容区分。久光の二丸移徙に備え十三日から担当者を繰り回して二丸で日勤させ、岩松の姉於米は本丸に住み御比合を追って伝える。勝山の子女は二丸へ上がった後の書附等で尊称文字を用い、女子は「御女子様」とする。久光出府に差し立てる中小姓供・守衛等には定役助役を問わず跡の扶持米を下す。三月十四日巳…

  86. 追録8-No.342 於治・於珍・於寛を御子様方同様に扱い大奥で松壽院の振合とする旨を記録させる申渡

    御記録奉行宛の大蔵申渡。嶋津石見の妻於治、入来院怡の妻於珍、喜入多門の妻於寛について、格別な続柄と評合により御子様方同様の御會釋とし、「此殿」の文字を用いること、大奥へ上がる際は松壽院の振合とすることを伝え、帳面に記録させる。本文二月、大蔵。包紙は文久二年戌二月廿八日、大蔵から春山弥兵衛へ渡して箱に…

  87. 追録8-No.343 嶋津英之進を御子様方同様に扱う旨を記録させる摂津申渡

    嶋津英之進について、格別な続柄と評合により御子様方同様の御會釋とする旨が仰せられたので、帳面に記録するよう御記録奉行へ命じる摂津申渡。英之進には久光の男忠欽との注がある。正文三月八日。包紙は文久二年戌三月八日、筑後から佐多徳八郎へ渡し白木御文書十番箱に収納した記録。正文日付と伝達・収納の主体を分ける…

  88. 追録8-No.344 久光に表向の政務介助を頼む御筆仰出の趣旨を下役まで厳重に守らせる申渡

    雑集中の筑後・大蔵・摂津・但馬・式部の申渡。和泉久光には何事も国政向の内談を進め、先度の公義の内沙汰もあったことを幸いと思い、このたび表向の介助を頼む旨を伝えておくので、以後の仰出をますます厳重に守るよう求める。別紙の御筆による仰出をありがたく承知し、その趣旨を緩疎なく誠実に守り、支配下の下役にも申…

  89. 追録8-No.345 各国有志との私的面会を禁じ担当者への談判と久光の御筆遵守を命じる家老申渡

    雑集中の家老五名申渡。外国との通商免許以来、天下の人心が紛乱し、各国で有志を称する者が四方に交わって容易でない企てをしていると聞くこと、当国にも私的交際や書翰往復をする者がいると聞くことを述べる。滞留中にそのような者が来ても私的に面会せず、やむを得ず応接しても担当者と談判するよう返答させる。さらに不…

  90. 追録8-No.346 久光御筆の趣旨を守り廉直・一和と郷士以下の分限謹慎を下役へ徹底する申渡

    当時の情態を和泉久光が熟考し、別紙の御筆で仰せられたことを尤もでありがたいとする家老五名の申渡。趣旨を謹んで承知して各人の分を守り、士風を廉直にし、一統が和合して尊慮を安んじるよう誠実に働くことを求める。特に郷士以下の末々の者は分限に従った謹慎を第一とし、少しも越過の儀があってはならないとして、支配…

  91. 追録8-No.347 久光の御筆教誡・政務介助と滞京勅命一件の保管見出し

    第347号一件の前に置かれた「白木御文書十一番箱中 七番」の保管見出し。この切片は箱の表示のみで御筆・仰出の正文を載せない。続く印刷の1~5の内容と分ける。

  92. 追録8-No.347-1 尊王攘夷を称する有志との私交を禁じ公武のため命令に従うよう命じる久光御判書

    去る午年の外国通商免許以来、各国で有志を称し尊王攘夷を掲げる者が四方に交わり、不容易な企てをしていると聞くと述べる久光の御判書。当国にも私的交際や書翰往復をする者がいるとし、勤王に感激したためであっても、軽率な行動へ同調すれば群雄割拠を招き外国の術中に陥りかねないと懸念する。公武のため自分も別の存意…

  93. 追録8-No.347-2~3 久光への表向政務介助と、浪士取押を賞して現地鎮静を求める仰出写

    印刷の2~3を収める。の2は家老宛の仰出で、従来和泉久光へ国政の内談を申し上げ、先度公義から内沙汰もあって多幸に思うので、二丸居住に伴いさらに表向の政務介助を願い、以後の仰出を厳重に守るよう取り計らわせる。戌三月、右一通。の3は写で、浪士の蜂起・不穏な企てを和泉が取り押さえたことへの叡感を先に伝えた…

  94. 追録8-No.347-4 上威の軽視と若年者の放恣を戒め士風・謹慎を父兄や年長者から教えさせる久光御筆

    先日の書取での申渡は遠慮を感じながらも世上不穏のためやむなく伝えたもので、熟考の結果、上威の軽さから群下が類を引くことを国主も自分も心痛すると述べる久光の御筆。非常時に一和して働くべきなのに、王朝を尊ぶ名目を唱えながら、若年者の容貌・振舞いが変わり放恣となっていることを戒める。武士は律儀廉潔を本意と…

  95. 追録8-No.347-5 久光の勅命滞京をありがたく思い一同に拝見させる添書と関係五通の収納記録

    別紙のとおり和泉久光が勅命によって滞京することは不容易な儀で、自分も冥加の至りとしてありがたく思い、一同に拝見を命じるので謹んで承知するよう求める御筆添書。戌四月、御筆御添書の包紙表示。外包は、三郎の役人取押に叡感があり京都でなお鎮静を命じた書付写一通、同人への戌三月仰出一通、家老中宛の国政内談・二…

  96. 追録8-No.348-1 関東出府の内実を公武の融和・皇威振興・幕政改革の建白とする久光趣意書

    久光が関東へ出府する趣意を述べる口上。表向きは午年以来二度猶予された修理の参府や屋敷焼失後の指図が必要な用向だが、内実は公武の合体、皇威振興、幕政改革を建白したいとする。通商免許後の禁錮・死流処分と人心紛乱、浪人の激烈な説や幕役の取静が皇国の乱れを招き勤王の意図にも合わないと懸念する。三百年来の徳川…

  97. 追録8-No.348-2 公卿諸家の寛解・関白大老後見と上洛・朝命履行を求める久光別紙趣意書

    口上に添えた別紙趣意書。粟田口宮・左府公・鷹司公父子と一橋・尾張・越前等の寛解を求め、寛解後に左府を関白、越前前中将を大老とすることを願う。家格上の先例はないが非常時には特別な処置が必要とする。将軍が若年であるため一橋の後見と越前の上洛を求め、朝廷を尊崇し邪正を明らかにして外国への処置を天下の公論か…

  98. 追録8-No.349-1 伏見で身命を投げ出して働いた八人に切米十石ずつを宛行う御名乗御判の写

    雑集中の印刷の1。鈴木勇右衛門・鈴木昌之助・森岡善助・奈良原喜八郎・道嶋五郎兵衛・大山格之助・江夏仲左衛門・山口金之進の八人を年齢付きで列記し、勇右衛門には深手、五郎兵衛には即死の注を付す。今日伏見で身命を投げ出して比類ない働きと誠忠を示したことを喜び、各人に切米十石ずつを宛行い精勤を求める同文を載…

  99. 追録8-No.349-2 永田佐一郎の申諭を賞して切米八石を宛行う文と同組・自殺の注

    永田佐一郎について、什長であったが同組の者が浪人に組して出たため「為御断自殺」とする注を付した切米宛行の写。諸浪人を鎮撫するよう厚く沙汰したところ、身命を投げ出して申諭した誠忠を喜び、切米八石を宛行って精勤を求める文を載せる。文久二年四月廿三日、御名乗御判、右永田佐一郎へとの表示。前置の自殺注と褒賞…

  100. 追録8-No.349-3 大坂から伏見へ抜け駆けし浪人に組した八人の名列と討留を記す雑集記事

    印刷の3は有馬新七・弟子丸龍助・田中謙助・橋口傳藏・橋口壮助・西田直五郎・柴山愛次郎・森山新五右衛門の八人を年齢付きで掲げる雑集記事。八人が大坂から伏見へ抜け駆けして浪人に組し、申諭を聞き入れなかったため、前件の鈴木勇右衛門の列へ討手を命じ、文久二年戌四月廿三日暁に伏見の高道儀兵衛宅で討ち留め、皆即…