ARCHIVE DIRECTORY
追録8の目録
暫定版です。原文との照合により、概要や文書の区切り等を修正する場合があります。
全2,290件中 1~100件・1 / 23ページ
追録8-No.1 篤姫斉彬系譜抄
篤姫(篤君・篤姫君・天璋院)の系譜抄。天保六年十二月十九日の出生、島津斉彬の養女となった経緯、安政三年七月七日に近衛忠熙の養女となり敬子と称したこと、同年十一月に渋谷邸から本丸へ入ったことを記す。明治十六年十一月二十日に没し、法名を天璋院殿敬順貞静大姉とする。正文は母を徳川斉敦の娘と記すが、小字注は…
追録8-No.2 東風平安度起請文前書
東風平親方安度の起請文前書。前年に三司官役を命じられたことを受け、島津斉興・斉宣・斉彬を疎略にせず、御条書を堅く守り、邪儀があれば披露すると神文に誓う。また、琉球国王に忠勤を尽くし、国中の諸事を親疎によらず裁くことを約する。
追録8-No.3 浦添朝意起請文前書
浦添王子朝意が、前年に豊見城王子の跡役を命じられたことを受けて提出した起請文前書。島津斉興・斉宣・斉彬への忠義と琉球国王への奉仕、国中・島々の正しい政道を誓う。悪逆者には同意せず披露し、自身に不審な行いがあれば速やかに吟味して明らかにするよう願い、そのために不満を抱かないと記す。
追録8-No.4 斉興等将軍ノ退隠布告ヲ聞ク
天保七年九月四日、諸侯が江戸城へ召され、用番老中松平和泉守乗寛から徳川家斉が将軍職を内府徳川家慶へ譲る意向を告げられた記事。島津斉興・斉彬も登城してその旨を拝聴し、のちに家斉・家慶の両者から懇命を受けたことを記す。
追録8-No.5 斉興幕府へ献金ヲ賞セラル
先に幕府へ金を献じた島津斉興が賞された記事。天保七年十一月二十五日、老中奉書により召され、嫡子斉彬が斉興の名代として登城した。徳川家斉がこれを賞し、鞍一口・鐙一口を賜った。
追録8-No.6 島津久風外二名連署知行目録
調所笑左衛門(広郷)に知行高五百石を与える目録。大崎神領村、伊集院直木村山之方門、川辺野崎村、高山野崎村、曽於郡田口村、鶴田鶴田村、栗野恒次村など、村・門・浮免に分かれる領地を列記し、名寄帳は別冊とする。御趣法が申し付けられて以来の内用取扱い、各所への精勤、改革の成立と今後の内慮に沿う働きを賞したも…
追録8-No.7 於儔久光系譜抄
島津久光の女子於儔の系譜抄。天保七年十二月八日に重富の邸で生まれ、母は島津山城忠公の娘と記す。翌天保八年八月二十四日に夭折し、法名を玉容貞光とした。
追録8-No.8 島津斉興吉書
島津斉興の吉書。神社仏閣の修造・興行、農事への専念、国内の年貢徴納の三箇条について、それぞれの旨に従って沙汰するよう命じる。
追録8-No.9 斉興御鷹ノ鶴ヲ拝領ス
天保八年二月十六日、島津斉興が上使の梶斐与左衛門から御鷹の鶴を賜った記事。三月十三日には水野越前守忠邦を上使として例年どおりの品々を賜り、内府徳川家慶からも上使太田備後守資始を通じて例年どおりの品々を受けた。十五日に登城して謝意を述べ、懇命を受けて例年どおり馬を賜る。三月二十二日に江戸を発ち、五月九…
追録8-No.10 島津斉興誓紙差出一件
島津斉興の誓紙差出に関する一件の見出し。白木御文書九番箱中四十六番の出典表示があり、具体的な伺書・指図書・首尾書などは後続のNo.10の1~10の11に収められる。
追録8-No.10-1 島津斉興伺書
島津斉興が将軍の代替わりに際して誓詞を差し出したいと伺った書。四月十一日付で、「少将様御名」の署名表示がある。年次は目録により天保八年とされ、本文には宛名を記さない。
追録8-No.10-2 近藤隆左衛門首尾書
近藤隆左衛門が央様に、島津斉興の代替わりの誓詞差出に関する伺書を提出した経過を報告する。御用番の代理を務める水野越前守の用人柴田勝右衛門に伺書一通を持参し、説明して提出したところ、受領された旨を用人から聞いた。追記では、前夕に半田嘉藤次が越前守の用人松元弥右衛門へ伺い出たが思し召しがなかったため、今…
追録8-No.10-3 幕府指図書
将軍代替わりの誓詞について、翌朝六時過ぎに発給者の私宅へ来るよう指示した書。誓詞は罰文まで整えて持参し、宛名には井伊掃部頭と老中三名を席順に記し、伊豆守を除くよう命じる。判形はあらかじめ本人のもとで付し、血判は訪問先で行うとする。五月十七日付で、包紙の口裏に松平豊後守宛とある。
追録8-No.10-4 須田盛昭大目付廻状
大目付須田大隅守が島津斉興ほか七家の留守居へ回した、代替わりの誓詞提出に関する廻状。翌五月十八日、水野越前守の邸で誓詞を行うので朝六時過ぎに遅れず出席するよう通知する。欠席する場合は越前守へ届けるとともに、出席する神尾豊後守にも事情を早く知らせ、廻状を速やかに順達・返却するよう求める。追啓では、宛名…
追録8-No.10-5 半田嘉藤次首尾書
半田嘉藤次が央様に、島津斉興の誓詞提出について受け取った書付を報告する。水野越前守の用人伊藤八太夫から、その日中に一人が来るよう切紙で呼ばれ、翌五月十八日朝六時過ぎに少将が越前守の邸へ出て誓詞を行う旨の書付を渡された。追記では、表方の使者で受諾を伝え、誓詞・前書等は翌朝八半時までに半田のもとへ届ける…
追録8-No.10-6 近藤隆左衛門首尾書
近藤隆左衛門が央様に、翌五月十八日に水野越前守の邸で行う誓詞について報告する。大目付須田大隅守から別紙の触達が届いたため、本書は末尾に書き入れて順達し、別紙の写し一通を差し出すと伝える。
追録8-No.10-7 代替誓詞者名書
代替わりの誓詞を行う人々の名書。松平右近将監とその養子松平上総介、少将(同件の島津斉興)、細川越中守、宗対馬守、秋元但馬守とその養子秋元左衛門佐、加藤遠江守、松平丹波守、久世隠岐守などを列記し、養子は別の段に分けて示す。諏訪伊勢守は差合により当日欠席し、その養子諏訪因幡守を併記する。御目付徳山五兵衛…
追録8-No.10-8 島津斉興起請文前書
島津斉興が松平豊後守の名で御判を付した起請文前書。将軍に表裏なく忠勤を尽くすこと、一門・公家・親類縁者その他に野心を抱く者がいればすぐに言上して加担しないこと、代替わりに際して公義の仕置をいっそう守ることを誓う。違背した場合には日本の神々の罰を受けるとし、井伊掃部頭と老中松平和泉守を宛名に記す。張紙…
追録8-No.10-9 井上逸作首尾書
井上逸作が央様に、今朝水野越前守の邸で少将島津斉興が誓詞を行う際に供を務めたことを報告する。誓詞が滞りなく済んだ後、御門前から直接挨拶の使者として動き、取次の矢倉権之進へ口上を伝えたところ、追って申し上げる旨の返事を受けた。五月十八日付。
追録8-No.10-10 半田嘉藤次首尾書
半田嘉藤次が央様に、島津斉興の代替わりの誓詞提出を報告する。前夕に水野越前守から朝六時過ぎの出席を通知されたが、今朝は七半時に供が揃って出発した。半田は誓詞を紋付挟箱に入れ、中小姓や挟箱付の納戸与力らと先に越前守の邸へ行き、用人伊藤八太夫へ箱を渡した。斉興は誓詞を終えて退出した。前書の宛名には井伊掃…
追録8-No.10-11 猪飼尚敏書状
猪飼尚敏が島津久風・久浮、菱刈隆観、調所笑左衛門へ、島津斉興の代替わりの誓詞提出を報告した書状。四月十一日に水野越前守へ伺いを出し、五月十八日に翌朝六時の出席を命じられ、十九日に越前守の邸で滞りなく誓詞を終えたと記す。前書の宛名は井伊掃部頭・老中三名に続けて神尾豊後守を一字下げて加え、案二通を老中と…
追録8-No.11 兼城朝恵起請文前書
三司官兼城親方朝恵の起請文前書。前年に三司官役を命じられたことを受け、島津斉興・斉宣・斉彬への忠誠、御条書の遵守、悪意や邪儀の披露を神文に誓う。また、琉球国王に忠勤を尽くし、国中の諸事を親疎によらず裁くことを約する。天保八年五月九日付。
追録8-No.12 澄姫斉彬系譜抄
島津斉彬の女子澄姫の系譜抄。天保八年八月六日に生まれ、母は酒井主殿忠藎の娘と記す。天保十一年六月晦日に夭折し、法名を蓮相院殿實法幻鑑大禪童女とする。
追録8-No.13 幕府指図書
領知の御判物・御朱印を交付するに当たり、本多下総守と井上河内守が内容を調べることを定めた指図書。従来の判物・朱印を持つ者は本書に写しを添え、国郡郷村の高辻を書いた帳面を差し出すよう命じる。本書は両名が拝見し、写しを留め置く。朱印を持たない者は領知高と国郡郷村の詳細を記し、加増・所替え・朱印高の内の領…
追録8-No.14 島津斉興吉書
島津斉興の吉書。神社仏閣の修造・興行、農事への専念、国内の年貢徴納の三箇条について、それぞれの旨に従って沙汰するよう命じる。天保九年正月十一日付で御判がある。
追録8-No.15 於定久光系譜抄
島津久光の女子於定の系譜抄。於治・栄松院とも称し、島津出雲久静の妻となったことを記す。天保九年正月二十日に重富の邸で生まれ、母は島津山城忠公の娘とする。慶応三年三月十一日に没し、法号は栄松院殿春巌貞操大姉。出生日は正文が二十日、目録が二十一日で異なる。
追録8-No.16 立久室ノ忌日ヲ牌記ニヨリ定ム
島津立久の後夫人茂山妙才大姉の忌日を、位牌の記載によって定めた記事。没年月日は不明であったが、大檀那となっていた帖佐郷亀泉院所蔵の位牌裏面に文明十八年二月十七日逝去とあるため、その日を忌日として祭り、史官に系譜へ記録させるとする。出典脇には天保九年とある。
追録8-No.17 島津久風申渡書
島津但馬が御記録奉行へ、茂山様の正忌日を帳面に記すよう命じた申渡書。従来は没年月日が不明であったが、帖佐亀泉院の位牌裏面に文明十八年二月十七日とあるため、その日を正忌日と定めたと伝える。正文は二月とのみ記す。包紙は天保六年二月七日に但馬殿から與倉直介へ渡し、白木御文書九番箱に納めたとするが、目録は天…
追録8-No.18 島津久風外二名連署証状
島津斉興が幕府から拝領した鞍・鐙の由来と付属品を御馬預へ伝え、後年紛れないよう記録させる証状。天保七年十一月二十五日に斉彬が斉興の名代として登城し、献金の功により徳川家斉から鞍一口・鐙一掛を賜ったことを記す。鞍鐙は伊勢伊勢守貞宗作で、惣梨子地・采幣と唐団扇の高蒔絵、水色紗綾の袷服紗・袷袋、桐白木の外…
追録8-No.19 斉興参府途上、伏見ニ御鷹ノ鶴ヲ拝領ス
天保九年二月九日に島津斉興が鹿児島を発ち、三月二十七日に江戸へ着いた記事。参府の途中で徳川家慶から宿次奉書により御鷹の鶴を賜り、伏見の宿駅で受け取ったことを記す。
追録8-No.20 家老座申渡書
報七郎の実名が久珍と定められたため、実名に「珍」の字を使うことを遠慮するよう伝えた申渡書。同じ読みの別の字は差し支えないが、人々が心入れによって遠慮するならそのようにすることを認める。正文に日付や個別の宛名はない。包紙は天保九年二月十九日に安房殿から五代孫之丞へ書付一通を渡し、白木御文書九番箱に納め…
追録8-No.21 斉彬、斉興名代トシテ登城ス
徳川家斉が家慶へ将軍職を譲ったため、例に従い武家諸法度を下したことを記す記事。天保九年二月二十一日、島津斉彬が召しに応じて登城し、諸侯とともに大広間に列した。家慶が臨席し、老中太田備後守が法令を下す旨を告げ、将軍と諸侯はいったん退いた。斉彬らは再び大広間へ出て林大学頭の法令朗読を聞いた。礼式の詳細は…
追録8-No.22 武家諸法度頒布一件
武家諸法度頒布一件の見出し。白木御文書九番箱中五十三番の出典表示で、法度本文・回覧添書・頒布次第書・首尾書などの具体的内容はNo.22の1~22の10に収められる。
追録8-No.22-1 武家諸法度
天保九年二月二十一日付の武家諸法度。文武忠孝と礼義、毎年定められた時期の参勤交替と従者数の抑制、分限に応じた人馬・兵具の用意を求める。城郭の新規構築を禁じ、修補は奉行所の指図を受け、徒党・誓約・私関所・新法の津留、無断の出向、喧嘩口論や私的な談議を禁じる。異変は奉行所へ届け、主従双方に責任を負わせ、…
追録8-No.22-2 松平斉民添書
松平三河守斉民の使者が、御条目の写し一通に添えた口上書。二月二十二日に太田備後守から家来へ写しが渡され、大広間四品以上の人々へ順達するよう命じられたため、使者で送り、各家から備後守へ承知の届を出すよう求める。順達後は写しを返却し、回覧先は別紙に添えるとする。同じ写しを松平加賀守にも渡して残る同席の人…
追録8-No.22-3 大広間諸大名交名
大広間諸大名の交名と、武家諸法度の写しが届いた家・次に順達した家を記す一覧。「次第不同」とし、松平越前守・大膳大夫・三河守・因幡守などを掲げ、松平大隅守(島津斉興)に続いて松平陸奥守・阿波守・大和守・右近将監・上総介らの順達先を列記する。書込によれば、有馬玄蕃頭から二月二十五日に松平越前守へ、松平大…
追録8-No.22-4 井上逸作首尾書
井上逸作が央様に、法令写しの回覧到着と受けの手続きを報告する。二月二十一日に出された法令の写しは松平加賀守・三河守へ渡され、有馬上総介から二十五日に島津家へ順達されたため、国元の太守島津斉興へ申し上げる旨の手扣書一通を、担当老中太田備後守の取次恒岡傳八郎へ持参して説明・提出した。取次から老中へ伝える…
追録8-No.22-5 幕府大目付添状
幕府大目付が松平大隅守の留守居へ、太田備後守から渡された書付の写し一通を送った添状。内容を承知し、嫡子にも通達するよう求め、返答は土屋紀伊守方へ伝えるよう指示する。二月十九日付。
追録8-No.22-6 幕府老中触書
法令頒布に伴う祝儀の手続きを定めた触書。二月二十一日・二十二日に登城する人々は、本丸での用が済んだ後に西丸へ出仕して祝儀を述べるよう命じる。病気・幼少のため出仕しない人々は掃部頭・老中伯耆守・備中守の邸へ使者を出し、在国・在邑の人々は知らせを受け次第使札を送るとする。隠居はこの手続きを要しない。口裏…
追録8-No.22-7 近藤隆左衛門首尾書
近藤隆左衛門が央様へ、法令頒布に関する書付の写し一通を差し出した首尾書。二月二十一日・二十二日に法令を出す件について、太田備後守からの書付写しが大御目付衆の添書とともに届いたので提出し、受けの手続きはいつもどおり行ったと報告する。戌年二月十九日付。
追録8-No.22-8 武家諸法度頒布次第書
代替わりに伴う武家諸法度頒布の、二月二十一日の儀礼次第。御三家、万石以上の領主、交替寄合が登城し、御座間では紀伊・尾張・水戸の順、黒書院では田安ら、御上段では松平加賀守以下の諸侯へ、将軍が法令を出す旨を伝えた経過を記す。大広間へ渡る際の先導、将軍の着座位置、掃部頭・老中・奏者番・若年寄らの席次、嫡子…
追録8-No.22-9 半田嘉藤次首尾書
半田嘉藤次が央様へ、少将島津斉彬の法令頒布への登城を報告する。五半時の登城を老中連名の奉書で命じられ、今朝六時に供が揃って登城した。目付大津主馬・柳生伊勢守の案内で大広間下段の四畳目に着座し、将軍出御後、太田備後守が法令頒布を伝えた。将軍退出後に御法令の文台が置かれ、林大学頭が読み上げ、諸侯は拝聴し…
追録8-No.22-10 島津久風申渡書
将軍代替わり後初めて出された法令関係の資料を、例に従って御記録所へ納めるよう命じた申渡書。江戸から届いた御条目写一通、これに関する書付二通、御廻状写一通、留守居首尾書を添えた横折帳一冊を列記する。三月付で但馬の署名があり、人物注は島津久風とする。包紙の注は四包、紙数十八枚と記す。
追録8-No.23 島津斉興内意書
島津斉興が家老中へ、西丸普請の献金準備と節倹を命じた内意書。献金を願い出たところ普請費に加えることを許されたため、改革中で領国全体が困窮する折ではあるが、義理合いによって捨て置けないとして、各々相談して資金を備えるよう求める。自身の身辺も省略し、改革中の公務以外は客来・音信・贈答を断って費用を抑え、…
追録8-No.24 斉興、西丸造営ニ献金ノ為、領内ニ節倹ヲ命ズ
幕府の西丸造営費を助けるため、島津斉興が献金を願い出て許された記事。領国内の上下が疲弊する中での献金は大きな負担だが、やむを得ない事情があるとして、いっそう節倹して資金を備えるよう家老へ命じた。小字注は、筆を執ることに苦労して斉彬の代書を望んだが、家老の求めによりこの書付を改めなかった旨を記す。
追録8-No.25 斉興登城ヲナシ参府ノ礼ヲ述ブ(清国冊使来琉記事を含む)
天保九年四月十三日、徳川家慶が上使松平和泉守乗寛を通じて島津斉興の参府を問い、懇命を下した記事。十五日には斉興が登城して参府の礼を述べ、さらに親しく懇命を受けた。同じ番号内に別記事を置き、同年夏に清国道光帝の冊使で翰林院修撰の林鴻年と、副使で翰林院編修の高人鑑が琉球へ来て、日を選んで勅書を授け、冬に…
追録8-No.26 斉興御鷹ノ雲雀ヲ拝領ス
天保九年七月二十五日、将軍が上使松平甲次郎を通じて島津斉興に御鷹の雲雀を賜ったことを記す記事。
追録8-No.27 邦姫斉彬系譜抄
島津斉彬の女子邦姫の系譜抄。天保九年十月二十四日に生まれ、母は酒井主殿忠藎の娘と記す。天保十一年五月二十四日に夭折し、法名は浄臺院殿玉露蓮香大禪童女。没日の脇に、五月二十一日を忌日とする朱注があり、正文の没日と異なる。
追録8-No.28 吉貴室ノ牌ヲ再ビ瑞輪寺ニ置ク
島津吉貴夫人霊龍院殿の位牌を、天保九年十一月に瑞輪寺へ再安置した記事。元文四年八月に江戸谷中の瑞輪寺へ位牌を置いたが、寛延元年の火災で焼けたため、その後は菩提所である江戸の大圓寺に安置し、瑞輪寺には再び置いていなかった。今回瑞輪寺へ再安置するに当たり、祭資として金などを付したことを記す。
追録8-No.29 島津久浮申渡書
島津伊勢久浮が、霊龍院の位牌再安置と瑞輪寺・大圓寺の供養や寄附の取扱いを伝えた申渡書。瑞輪寺の火災後は屋敷から遠いため再興せず大圓寺へ置いていたが、瑞輪寺にも位牌一基を再び安置し、以前の祠堂銀百枚に加えて金百両を寄附するとする。貸付運用の利息によって月牌・遠忌などの法事を寺役で行い、内々に白銀五枚を…
追録8-No.30 斉興、重豪ノ祭資ヲ附ス
島津斉興が大信公(重豪)の祭資を付した記事。浄国公(吉貴)は祧廟へ移ったため、その祭祀費は他の祧廟の例に従うとし、大信公の祭資には高百五十石を付け、圓徳公(重年)の例に従って取り扱うよう命じた。具体的な申渡は次のNo.31に続く。
追録8-No.31 島津久風申渡書
島津但馬久風が、大信院(重豪)へ寄附する高百五十石の交付を伝えた申渡書。年々の物成を福昌寺へ渡す扱いを含め、圓徳院(重年)への寄附高と同じ先例に従うとする。近く判物と書付を大目付の使者が寺へ渡し、家老の添書は新番を用いて同日交付する予定である。寺社奉行には福昌寺への申渡を、御記録奉行などの担当にも内…
追録8-No.32 霊龍院位牌瑞輪寺ニ再遷一件
霊龍院の位牌を瑞輪寺へ再び移す一件の見出し。白木御文書九番箱中五十七番の出典表示があり、具体的な連署申渡書・首尾書・請書は後続のNo.32の1~32の3に収められる。
追録8-No.32-1 近藤隆左衛門外二名連署申渡書
井上逸作・半田嘉藤次・近藤隆左衛門が瑞輪寺へ、霊龍院殿の位牌再安置と供養・寄附の取扱いを申し渡した書。寛延元年三月の火災後は屋敷から遠いため再興せず菩提所大圓寺へ置いていたが、今回瑞輪寺へ位牌一基を再安置し、以前の祠堂銀百枚に加えて金百両を寄附する。寺役で月牌・遠忌の法事を行い、内々に白銀五枚を贈り…
追録8-No.32-2 半田嘉藤次首尾書
半田嘉藤次が央様へ、瑞輪寺から受け取った請書を提出した首尾書。霊龍院の位牌を谷中瑞輪寺へ安置する件について、五日に役僧旌壽院を呼んで別紙の内容を伝えたところ、瑞輪寺が別紙の請書を持参したため差し出すと報告する。戌年十月十一日付。役僧の院名は字形未確定。
追録8-No.32-3 瑞輪寺請書
瑞輪寺が井上逸作・半田嘉藤次・近藤隆左衛門へ出した礼の請書。元文四年八月に霊龍院が寺へ入り、寛延元年の類焼で位牌を焼失したことを恐れ入り申し上げる。屋敷から遠いため再興せず、大圓寺へ安置されていたが、今回特別の思し召しで以前のように瑞輪寺へ位牌を安置し、さらに祠堂料として金百両を寄附されたことへの謝…
追録8-No.33 斉興宰相ニ任ゼラル
天保九年十二月五日、島津斉興が召されて登城し、御座之間で徳川家慶に謁して特に懇命を受け、宰相に任じられた記事。十五日に登城して昇官の礼を述べた。用番老中の書面は、前年の将軍家の慶事に際して御三家や姻戚の諸侯が昇進したことと、斉興が御臺所の姻戚に当たることを理由として伝える。一方、近侍から聞いた話とし…
追録8-No.34 島津斉興位階昇進一件
島津斉興の宰相昇進に関する冊子の蓋紙。天保九年十二月五日の昇進に際し、御用番からの達しの書付写しと江戸詰家老衆の問合せ書写しをまとめたものとし、御記録所の表示がある。朱書は転任後の達しに関する一件として、十二月二十九日に急飛脚で到来したことを記す。具体的な書状・沙汰書はNo.34の1・34の2に収め…
追録8-No.34-1 猪飼尚敏書状
猪飼央(目録は尚敏)が島津但馬・伊勢、菱刈安房へ、斉興の転任に伴う達しの内容を伝えた書状。白書院の縁頬に老中が列座し、用番太田備後守から伝えられた書取写しを添え、別紙の内容を役人へ申し渡すよう沙汰されたと知らせる。国元での申渡は宛先側で取り計らうよう求め、御記録奉行には別に伝えてあると付す。戌年十二…
追録8-No.34-2 幕府老中沙汰書
松平大隅守島津斉興に、宰相昇進は今回限りの特例と伝えた沙汰書写し。斉興は正四位下中将であり、それ以上の昇進は本来沙汰し難いが、前年の慶事で御三家や縁柄の人々を特別に昇進させたこと、斉興には由緒があり大御所から厚い意向が伝えられていたことによって、格別の思し召しで宰相へ昇進させるとする。今後の家格には…
追録8-No.35 島津斉興営中礼席一件
島津斉興の営中礼席に関する一件の見出し。白木御文書九番箱中七十九番の出典表示があり、宰相昇進後の礼席の伺書、加賀家の例書、幕府の指図、猪飼の書状はNo.35の1~35の4に収められる。
追録8-No.35-1 島津斉興伺書
宰相に任じられた松平大隅守島津斉興が、今後の祝儀や勤向について指図を求めた伺書。先に内意で伺ったがまだ指図がなく、今回は格別の厚い思し召しによる任官であるため、加賀守の家格に拘束されず、任官の意味が立つ扱いを改めて願うとする。月次・年頭が近いため、加賀守の宰相任官後の例書を添えて速やかな指図を求める…
追録8-No.35-2 営中礼席例書
松平加賀守が宰相に任じられた後の礼席と勤向を、中将時代と比較した例書。年頭は中将時代に太刀目録を持参したが、宰相任官後は老中が持ち出して披露し、黒書院下段下から四畳目の下に座るとする。盃・吸物は三方に載せ、御服は南北に長く置いて頂戴する。八朔も老中の披露となり、月次は年頭に同じく黒書院で、五節句は中…
追録8-No.35-3 幕府老中指図書
松平大隅守島津斉興へ、宰相昇進後の正月二日の登城と、その後の礼席を指示した書。太刀目録は老中が披露し、盃と「引渡」は三方で下すとする。五節句・八朔は白書院で老中が披露し、八朔の太刀目録は老中が持ち出す。敷居の内へ進んで披露を受け、右方へ着座して老中・御取合の退出後に退くとし、近江守・三河守の前へ出る…
追録8-No.35-4 猪飼尚敏書状
猪飼央(目録は尚敏)が島津但馬・伊勢、菱刈安房へ、斉興の転任後の祝儀・勤向について太田備後守から受けた指図を伝えた書状。例書を添えて伺ったところ、朱書のとおり書取で申し渡されたとし、年頭・五節句・八朔・月次の式向も別紙写し三通のとおり伝えられたと知らせる。内容を承知して取り計らうよう求め、御記録奉行…
追録8-No.36 島津久風外二名連署申渡書
先祖や夫人たちの仏餉料を、知行や米の交付から銀の寄附とその利息へ替える申渡書。浄国院に付けていた仏餉高百五十石を銀百五十枚へ替え、年々の利息銀一貫を渡すとする。陽和院・眞修院・常照院・蘭室院・蘭臺院・霊龍院の各仏餉米六石も銀十五枚ずつへ替え、各々に年銀五十四匁一分八厘を渡す。判物・書付・家老添書は別…
追録8-No.37 島津久風外二名連署知行目録
三原藤五郎へ高二百石を与える知行目録。谷山中村、姶羅郡山田上名村、薩摩郡山田山田村、大崎井俣村、高城郡高城城上村などの村・門・浮免を列記し、名寄帳は別冊とする。亥年に御趣法替えを命じて以来担当し、抜群の精勤によって改革を成立させ、意向をよく受けて褒賞に値するため、特別の思し召しで与えると記す。天保九…
追録8-No.38 島津久風外二名連署知行目録
碇山八郎右衛門へ高百石を与える知行目録。樋脇塔之原村、市来伊作田村、野尻江平村、小林細野村東園門、伊集院郡村の浮免、阿多中津野村坂口屋敷、志布志安楽村徳丸門、曽木永野村の浮免を列記し、名寄帳を別冊とする。由緒ある家筋と先祖の軍功に加え、現在の精勤と奉公が役に立つため、特別の厚い思し召しによって与える…
追録8-No.39 島津斉興営中礼席一件
島津斉興の営中礼席一件の見出し。白木御文書九番箱中六十二番の出典表示があり、登城の連署状、首尾書、昇進の沙汰、口宣調整の連署状、礼席の藩邸記録はNo.39の1~39の5に収められる。
追録8-No.39-1 松平乗寛外三名連署状
脇坂中務大輔・太田備後守・水野越前守・松平和泉守が松平大隅守へ、用事があるため翌十二月五日の五半時に登城するよう命じた連署状。天保九年十二月四日付。
追録8-No.39-2 碇山久徳首尾書
島津斉興が宰相に任じられた登城の経過を記す首尾書。十二月五日朝五時早めに供が揃い、服紗小袖を着て登城し、大廊下下の部屋で待った。留守居半田嘉藤次が御坊主組頭を介して目付佐々木三蔵へ到着を知らせ、目付大津主馬が寄せを申し上げた後、小笠原相模守の案内で御座之間へ通った。徳川家慶に目見して宰相任官の上意を…
追録8-No.39-3 幕府老中沙汰書并藩邸記録
島津斉興の宰相昇進を今回限りの特例とする沙汰書写しと、その後の藩邸記録。正四位下中将からの昇進は本来難しいが、前年の慶事と縁柄・由緒、大御所の厚い意向によって特別に認め、今後の家格には影響しない旨を告げ、承知したと返答するよう求める。追記では奏者番本多下総守や大目付・目付を介して承知の返答を行い、大…
追録8-No.39-4 松平乗寛外三名連署状
脇坂安董・太田資始・水野忠邦・松平乗寛が、京都所司代間部下総守へ出した連署状。中将であった松平大隅守島津斉興を今回宰相に任じる旨が出されたため、口宣などを整えるよう伝奏衆へ申し入れることを求める。天保九年十二月五日付で四名が署判する。
追録8-No.39-5 藩邸記録(宰相任官後の営中礼席)
島津斉興の宰相任官後の礼席・勤向を、以前の中将時代と比較した藩邸記録。奏者番阿部伊勢守・大目付神尾山城守・目付林内蔵頭へ相談し、半田嘉藤次が大老・両御丸の老中へ礼をしたと記す。中将任官時には老中の邸で口宣御奉書を受けたが、今回は承知した後、表方の使者で請けたことを付す。年頭は黒書院下段の下から四畳目…
追録8-No.40 島津斉興白綾着用伺一件
宰相へ転任した島津斉興の白綾着用伺一件の蓋紙。白綾を着用したいとの伺いに対し、書付・書取で差し支えない旨が伝えられたことと、江戸詰家老衆の問合せ書一通をまとめた冊子であると記す。白木御文書九番箱中六十三番、天保十年の表示がある。具体的な伺いと伝達書状はNo.40の1・40の2に収められる。
追録8-No.40-1 島津斉興伺書
島津斉興が宰相任官後の白綾着用を願った伺書。「私十代之祖」大隅守家久の代に近衛家から官服などを譲られ、家久が宰相任官後に白綾を用いた先例があるため、今回も同じように着用したいと伺う。十二月十八日付で御名の署名表示がある。朱記の書取は、書面の内意のとおり着用して差し支えないとし、五所の紋を持つ白綾で、…
追録8-No.40-2 猪飼尚敏書状
猪飼央が島津但馬・伊勢、菱刈安房へ、斉興の白綾着用についての指図を伝えた書状。転任に伴って白綾を用いたいと内意で伺ったところ、用番太田備後守が前年十二月二十九日に、別紙写しの朱書のとおり着用して差し支えないと書取で伝えたと知らせる。承知して取り計らい、御記録奉行などへも伝えるよう求める。亥年正月三日…
追録8-No.41 島津斉興吉書
島津斉興の吉書。神社仏閣の修造・興行、農事への専念、国内の年貢徴納の三箇条について、それぞれの旨に従って沙汰するよう命じる。天保十年正月十一日付で斉興の御判がある。
追録8-No.42 公辺記事
天保十年二月五日、島津斉興が上使河野権右衛門を通じて御鷹の鶴を拝領した記事。十三日には太田備後守、大御所側の土井大炊頭、右大将側の堀田備中守を上使とする例年どおりの品々を賜り、十五日に登城して謝意を述べ、懇命と例年どおりの馬を賜った。三月六日に江戸を発ち、五月三日午上刻に鹿児島城へ着いたことまで記す…
追録8-No.43 於哲久光系譜抄
島津久光の女子於哲の系譜抄。於珍とも称し、入来院怡公寛の妻となったことを記す。天保十年二月二十日に重富の邸で生まれ、母は島津山城忠公の娘とする。文久二年七月四日に没し、法名は観室妙音。
追録8-No.44 調所広郷書状
調所笑左衛門が島津但馬・伊勢、菱刈安房へ、斉興の帰国の暇に伴う登城礼の扱いを伝えた書状。帰国の暇を許されたことと礼を述べた経過は別紙で知らせたが、以前は月次の席である白書院で礼をしたのに対し、今回は黒書院へ引き上げて礼をしたと説明する。これは前年冬の宰相任官による重い扱いであると留守居から聞いたため…
追録8-No.45 仁孝天皇女房奉書
薩摩宰相島津斉興が昇進の礼として献上した黄金百両と絹三十疋に対する女房奉書。献上を披露したところ喜ばれ、その旨をよく承知して伝えるよう求める。「御いまの御局へ」と宛て、二月二十四日・天保十年の表示がある。箱蓋には斉興公参議女房奉書とあり、目録は仁孝天皇の女房奉書とする。
追録8-No.46 幕府老中達書
宰相に昇進した松平大隅守島津斉興への達し四通をまとめた書付群。第一は正月二日の登城で太刀目録を老中が披露し、盃と「引渡」を三方で下すことを定める。第二は正四位下中将からの宰相昇進を今回限りの特例とし、慶事・縁柄・大御所の意向を理由として、今後の家格には及ばない旨を伝える。第三は五節句・八朔を白書院で…
追録8-No.47-1 島津斉興達書
島津斉興が宰相任官を機に、一門と家老へ国政・家政への精勤を求めた訓示。第一は、これまで公務と国政・家政に努めたところ特別に宰相へ任じられ、家の面目であるが、今後政治が行き届かなければ公辺へ申し訳が立たないとする。各人も私領・家政を整え、定例だけでなく急な役目にも迅速に動くよう求める。第二は家老中へ、…
追録8-No.47-2 幕府沙汰書
御取次碇山八郎右衛門が、斉興の御筆で仰せ出した書面に「三拾ヶ年余御精勤」の文字を加え、諸向へ申し渡すよう沙汰があったと伝える書。五月付。包紙は御沙汰書とする。
追録8-No.47-3 家老座首尾書
家老三名が斉興の宰相昇進に関する御意・御沙汰を承った経過を記す首尾書。休息所へ呼ばれ、安房は病気のため唐子之間で控え、但馬・石見が御前へ出た。御筆の別紙による仰出のほか、表向きの幕府書取には由緒などが任官理由として記される一方、調所笑左衛門を通じた極秘の内意には、家督後の国政の成果と三十ヶ年余の精勤…
追録8-No.48 島津久備証状
島津登久備が島津安藝へ出した実名の字の使用許可。従来は次男以下に「久」「郷」の二字を人物に応じて使うことを許していたが、今回の願いにより特別の思し召しをもって次男まで実名に「久」を用いてよいと伝える。天保十年九月十五日付で久備が継印・判を付す。宛先の人物注は今和泉家の忠喬とする。
追録8-No.49-1 島津久風外四名連署知行目録
猪飼央へ高五百石を与える知行目録。曽木里村、出水下知識村、大口大田村、栗野北方村、串良岡崎村、大村下手村など多数の村・門・浮免を列記し、名寄帳は別冊とする。斉興の宰相転任に関する用事を担当して特に精勤したため、特別の思し召しで与えると記す。調所広郷・島津久備・菱刈隆観・島津久浮・久風が署判する。天保…
追録8-No.49-2 島津久風外四名連署知行目録
碇山八郎右衛門へ高二百石を与える知行目録。市来養母村と同村永作浮免、姶羅郡山田上名村庄屋浮免、川辺小野村、鹿児島郡吉田本城村、志布志蓬原村、大村上手村などの領地を列記し、名寄帳は別冊とする。宰相転任に関する用事を担当して特に精勤したため、特別の思し召しで与えると記す。調所広郷・島津久備・菱刈隆観・島…
追録8-No.50-1 島津久風外三名連署証状
斉興が宰相転任後の年頭祝儀で拝領した時服二着を、御納戸奉行へ由来とともに記録させる証状。天保十年正月二日に徳川家慶から拝領した、織熨斗目一着と五所の葵紋を織り出した白綾一着を列記する。いずれも裏と中綿を解き放ち、浅黄の服紗で包み、萌黄絹真田緒付きの桐白木箱へ入れる。御納戸の譲物の中に格護し、後年紛れ…
追録8-No.50-2 島津久風外三名連署証状
斉興が宰相転任後、天保十年正月二日の登城時に着用した白綾の官服一着を記録させる証状。十文字の紋を織り出した官服を浅黄の服紗で包み、萌黄絹真田緒付きの桐白木箱へ納める。御納戸の譲物の中に格護し、後年紛れないよう由来を記すことを命じる。十月十六日付で調所広郷・久備・隆観・久風が連署する。
追録8-No.51 斉興西丸修築費献金ヲ賞セラル
天保十年十二月六日、南部伊勢守信順が斉興の名代として登城した記事。斉興が以前に西丸修築費の金を献じたことを賞し、徳川家慶が刀「鶴嘴」一腰を賜った。刀には備前長船清光との注がある。
追録8-No.52 家老座申渡書
南部伊勢守信順が高輪鶴之渡の居所で妾腹にもうけたお朝について、島津但馬久風の実子として扱い、讃岐殿の嫡子島津又四郎と縁組する旨を帳面に記すよう命じた申渡書。九月十六日に但馬へ内達され、讃岐へも内々に伝えられたとする。お朝の生年月日と母の由来は別紙に記し、母は公儀広敷の伊賀の者渡辺昇右衛門の娘で、当年…
追録8-No.53 島津斉興吉書
島津斉興の吉書。神社仏閣の修造・興行、農事への専念、国内の年貢徴納の三箇条を、その旨に従って沙汰するよう命じる。天保十一年正月十一日付で御判がある。
追録8-No.54 幕府達書
松平大隅守へ、唐物抜荷の取締を徹底するよう命じた幕府達書。従来の禁令、特に安永・享和期の厳重な達しと、近年の琉球救助のため唐物を長崎で売り捌く許可に際して抜荷取締を命じた経緯を挙げる。近頃薩州で密売が多く、島々に漂着した唐船にも疑わしい取引があり、鹿児島辺への唐物仕入れ、長崎交易の代り物となる松前産…
追録8-No.55 斉興ニ近衛忠照ヨリ官服ヲ賜フ
天保十一年三月十一日、内府近衛忠照が島津斉興へ官服を賜り、使者を遣わして斉興の旅先である伏見の宿駅へ届けたことを記す記事。近衛の名は本文・目録とも忠照の表記による。
追録8-No.56 忠徳久光系譜抄
島津久光の子忠徳の系譜抄。壮之助・又次郎とも称し、天保十一年四月二十一日に重富の邸で生まれ、母は島津山城忠公の娘と記す。安政五年十二月に「大統」を継いだことを記載する。
追録8-No.57 小禄良恭起請文前書
小禄親方良恭が前年に三司官役を命じられたことを受けて出した起請文前書。御国許への奉公に励み、島津斉興・斉宣・斉彬を疎略にせず、御条書を堅く守り、悪意や邪儀を企てる者があれば披露すると神文に誓う。また、琉球国王に忠勤を尽くし、国中の諸事を親疎によらず裁くことを約する。天保十一年五月八日付で良恭が判を付…
追録8-No.58 斉宣正四位上ニ叙セラル
天保十一年十二月四日、斉興が斉宣の名代として登城した記事。白書院の縁頬に老中が列座し、太田備後守が命を伝えて、由緒による特別の扱いで斉宣を正四位上に叙すると告げたことを記す。
追録8-No.59 島津斉宣位階昇進一件
島津斉宣の位階昇進一件の見出し。白木御文書九番箱中七十六番の出典表示があり、斉宣を正四位上に叙する幕府の達しと、国元への伝達書状はNo.59の1・59の2に収められる。