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追録8の目録
暫定版です。原文との照合により、概要や文書の区切り等を修正する場合があります。
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追録8-No.507 開成所で海陸軍事・技術を学ぶ方針と七月の京都戦闘を記す記事
御系図「忠義公」の記事。元治元年六月に開成所を創建したとし、外患が迫る中、海陸の軍事を学んで武備を充実し、器械・航海・測量等を明らかにすることが急務だと述べる。続く同年七月の叙述は、長州勢が京都へ迫って帝闕を脅かしたとして、在京諸藩と自軍が防禦・討伐に当たり、十九日の黎明に天龍寺を攻め、禁門への砲撃…
追録8-No.508 久光を左近衛権中将へ転任させる口宣案
元治元年四月十一日、左近衛権少将源久光朝臣を左近衛権中将へ転任させる宣旨の口宣案。上卿は柳原中納言、奉者は藏人右少辨兼左衛門権佐藤原経理で、裏面に口宣案と記す。玉里へ現書を引き譲った文書のうちとして収める。位階の従四位上への叙位とは、授ける官職が異なる別文書である。
追録8-No.509 久光を左近衛権中将へ転任させる宣旨
左近衛権少将源朝臣久光を左近衛権中将へ転任させる元治元年四月十一日の宣旨。従二位行権中納言藤原朝臣光愛の宣として命じ、大外記兼助教中原朝臣師身が奉じる。同日の口宣案と同じ官職への転任を示すが、宣・奉の官人と官位はこの宣旨の記載として保持する。
追録8-No.510 島津中将の上卿と職事を記す書立
「同上」として、島津中将の上卿を柳原中納言、職事を勸修寺右少辨と列記する書立。元治元年四月十一日は朱書として収める。直前の中将転任文書に関係する上卿・職事の記録で、官名に個人名や独立の任官命令を補わない。
追録8-No.511 久光を従四位上に叙する口宣案
元治元年四月十一日、従四位下源久光朝臣を従四位上へ叙する宣旨の口宣案。上卿は正親町大納言、奉者は藏人頭左中辨藤原豊房で、裏面に口宣案と記す。同日の左近衛権中将転任文書とは、位階を授ける内容を区別する。
追録8-No.512 久光の公務への勤労を述べ従四位上を授ける位記
従四位下源朝臣久光に従四位上を授ける元治元年四月十一日の位記。兵欄に節を表し羽衛で勤め、精誠を怠らず夙夜公に在るとして、栄級を与え主者に施行を命じる。織仁親王の宣、卜部教久の奉、藤原資生の行と、大納言・中納言の名書を収める。関白・太政大臣・右大臣・内大臣の官位欄、中原師身の右中辨記載、紀季等の施行記…
追録8-No.513 島津大隅守の上卿と職事を記す叙位関係の書立
「同上」として、島津大隅守の上卿を正親町大納言、職事を清閑寺頭左中辨と記す書立。元治元年四月十一日は朱書として収める。叙位口宣案・位記に続く上卿と職事の記録で、ここには任官・叙位の命令正文を重ねて収めない。
追録8-No.514 左近衛権中将転任の口宣案の同文省略条
玉里への現書引譲、白木御文書十一番箱十八番の出典表示とともに、第508号文書と同文のため本文を略すと記す条。参照先は元治元年四月十一日の左近衛権中将転任の口宣案で、この条にはその本文を収めない。本文の内容は参照先で確認できる。
追録8-No.515 従四位上叙位の口宣案の同文省略条
直前から「同上」を受ける出典表示とともに、第511号文書と同文のため本文を略すと記す条。参照先は元治元年四月十一日の従四位上叙位の口宣案で、この条にはその本文を収めない。本文の内容は参照先で確認できる。
追録8-No.516 左近衛権中将転任の宣旨の同文省略条
直前から「同上」を受ける出典表示とともに、第509号文書と同文のため本文を略すと記す条。参照先は元治元年四月十一日の左近衛権中将転任の宣旨で、この条にはその本文を収めない。本文の内容は参照先で確認できる。
追録8-No.517 従四位上の位記の同文省略条
直前から「同上」を受ける出典表示とともに、第512号文書と同文のため本文を略すと記す条。参照先は元治元年四月十一日の従四位上の位記で、この条にはその本文を収めない。本文の内容は参照先で確認できる。
追録8-No.518 中将任官関係の上卿・職事書立の同文省略条
直前から「同上」を受ける出典表示とともに、第510号文書と同文のため本文を略すと記す条。参照先は元治元年四月十一日の中将任官関係の上卿・職事書立で、この条にはその本文を収めない。本文の内容は参照先で確認できる。
追録8-No.519 叙位関係の上卿・職事書立の同文省略条
直前から「同上」を受ける出典表示とともに、第513号文書と同文のため本文を略すと記す条。参照先は元治元年四月十一日の叙位関係の上卿・職事書立で、この条にはその本文を収めない。本文の内容は参照先で確認できる。
追録8-No.520 久光の従四位上・権中将昇進に伴う礼物を列記する書付
島津大隅守源久光の従四位上・左近衛権中将昇進に係る礼物の書付。従四位上成と中将成を別欄とし、禁裏御所、上臈・長橋御局、大御乳人と執次、親王御方、高松御局と乳人、准后御方、於八百・於五百御方、内侍所、上卿・職事、位記・御請印・中務省等、主鈴・副使・雑掌・傳奏へ贈る礼物を列記する。例えば叙位の禁裏には黄…
追録8-No.521-1 久光の拝謁・叙任と帰国許可を報告し祝儀登城を命じる通知
少将が去る十一日に帰国の暇を受けるため参内し、装束で鶴の間にて甘露寺頭辨らの対面を受け、天盃を賜ったと報告する。虎の間で伝奏野宮中納言から、帰国許可と扇子三本・白晒五端の拝領、公武一和の基礎を開き昨秋以来の参預に尽力した功による従四位上・左近衛権中将の宣下を伝えられたという。通知到来を受け、一門・嶋…
追録8-No.521-2 少将の帰国許可・図書の禁闕警衛と中将呼称への変更を伝える通知
長く京都に滞在して御用に勤めた少将の苦労を認め帰国の暇を与え、図書は残して非常時の禁闕警衛に備えるという沙汰を、去る八日に伝奏野宮中納言が伝えた知らせが到来したと記す。月次礼の席で太守・少将へ祝儀を述べるよう求める四月丹波の通知。続く条は、官位昇進により今後少将を中将と呼ぶよう命じた知らせを、表方・…
追録8-No.522 少将の出発時刻と帰着・道中休泊の知らせを伝える二通知
四月十五日辰刻を首途、同十八日卯刻を発駕と記し、少将の下向について手当を手抜かりなく整えるよう関係者へ申し渡す四月丹波の通知。次の通知は、京都の伏見三里から下り、大坂で三日逗留して船に乗り鹿児島へ着き、磯御茶屋へ入ったという知らせと、道中の休泊についての別の通知が到来したので関係者へ伝えると記す。出…
追録8-No.523 供料・儀礼・警衛・朝廷の制度を定める十八箇条の沙汰と伝達書
元治元年四月十九日、慶喜・直克・忠績・忠精・正邦の五名が連署し、奏聞した十八箇条について沙汰と御下札の趣旨どおり取り扱い、朝廷への誠意を尽くすよう伝える書付。条目は神宮供料の増額、関字・平出、誕辰と忌日、将軍宣下後と万石以上家督官位の上洛礼・十七歳以下の名代、西国大名の滞京期限、国務委任と君臣名義、…
追録8-No.524 鎖港・海防・長州処置の指示と家茂の御請等を領内に伝える文書群
横浜鎖港の成功、無謀な攘夷を避ける海防実備、實美以下の脱走や長州処置、物価高騰と民の難渋への対応について命じる書付を収める。家茂の四月の御請は、先の条を守り鎖港・海防に尽くし、長州を寛大かつ至当の処置で取り扱い、国家の大政・大議を奏する意思を述べる。続く家茂の御書は、嘉永癸丑以来の危機を省み、幕府へ…
追録8-No.525 献上物の取扱い・神戸海軍操練所と浮浪者取締を伝える大目付通達
五月の大目付通達を三内容収める。第一は将軍の上洛・還御の祝儀献上について、去亥年と同様の指示を再度の上洛にも適用し、万石以上の者へ伝える。第二は摂州神戸村で海軍術を盛んにする操練所を建て、京都・大坂・奈良・堺・伏見、四国・九州・中国の旗本・家人子弟や有志者に修行を認め、熟達者は登用・出役もあり得ると…
追録8-No.526 開港後の物価・製法の取締と京都での厳重な取締を求める通達
六月の大目付通達を二内容収める。第一は神奈川開港以来、外国人が求める品の取引で相場が上がり、日用品も高値になったとの説明を受け、値下げと国内供給・製法への配慮を求める。生糸・繰綿・茶は外国人向けの格外高値取引で国内資料が不足し他の値段にも影響したとし、以前の相場を基に引き下げ、製法は品目にかかわらず…
追録8-No.527-1 復正義への尽力と滞京家来の勤務を称え道具を遣わす上意書
国家のために尽力し、去る八月十八日に正義を復した際、京都に滞在した家来がよく世話をし、命じられた勤めを果たしたことに満足し、道具を遣わすとする上意書。包紙は白木御文書十一番箱中十九番で「上意振」とある。末尾には別にも上意振として同文があるとの注を持つ。本文は発給年月日・宛名を記さず、復正義という評価…
追録8-No.527-2 藩屏の任への尽力を称え茂久に刀・脇差を賜う書付
年来、国家の藩屏の任を尽くした働きに満足したため、御差の刀・脇差を賜い、さらに精勤するよう求める書付。口裏に松平修理大夫宛とあり、本文にも松平修理大夫、茂久の注を持つ。正文に年月日はなく、刀の作者・本数・現物の状態は補わない。藩屏の功の評価は書付が伝える賞賜理由として示す。
追録8-No.527-3 細島預所の取扱いと津出米等への留意を伝える添書
口裏に松平修理大夫家来宛と記す添書。日向国細島を当分の内の預所としたことを承知し、とくに石高や場所の請取渡等は江戸の表御勘定奉行へ相談するよう求める。外の添書一通は、細島の廻米等を津出する場所もあるため、さらに触れる品があっても、この趣旨を併せて心得るよう記す。外包には十九番、元治元年子五月十二日に…
追録8-No.528 久光が朝廷から拝領した御馬道具十一品目の保管を記す書付
玉里への現書引譲のうち、白木十一番箱二十番の御馬道具書付。森田重安作で海有・外黒塗内朱塗の鞍一背、外黒塗内白塗の鐙一掛、豹皮の馬肌一通、力革一通、丸形板泥障一掛、菱形乗轡一間、紅糸打の大房一通・手助一掛、紗綾蠟引の雨覆鞍蓋一つ、紺染綾手綱一筋、黒塗鞭一本を列記する。当正月十七日、少将久光が参内した際…
追録8-No.529 久光が将軍から拝領した御馬道具九品目の保管を記す書付
玉里への現書引譲のうち白木十一番箱二十一番の御馬道具書付。浪に碇・千鳥模様の宮備中守時道作の鞍一背、同じ塗りで同人作の鐙一足、晒染手綱一筋、紅糸手鋤一掛、紫守山の押掛一掛、紋附華色絹の馬衣一疋分、紋附十文字轡一間、熊の泥障一刺、切附一口を列記する。中将が国家に尽力したことを将軍家が称え、当子二月廿二…
追録8-No.530 しまつ少将の叙任御礼の進上を喜ぶ天皇の意を伝える奉書
玉里への現書引譲のうち、朱書で旧御番所四番箱の十二と記す奉書。「しまつ少将」から官位の推任・推叙の御礼として黄かね百両と御きぬ三十足を進上したことを報告し、天皇が喜ばれた旨を伝える。さつまの少将からよろしく伝えてほしいとの言葉も取り次ぐ。宛名は御いまの御局へ、外側には元治元六一の記載がある。正文の差…
追録8-No.531 嶋津中将の叙任御礼の進上を喜ぶ天皇の意を伝える奉書
玉里への現書引譲の「同上」として収める奉書。嶋津中将から官位の推任・推叙の御礼として黄かね百両と御きぬ三十足を進上し、天皇が喜ばれたので、よく心得て申し伝えるよう求める。宛名は御いまの御局へで、外側に元治元六十七の記載がある。直前の奉書と金額・絹の数量は同じだが、差出を指す呼称は嶋津中将、外側の日付…
追録8-No.532 長州勢の撤退要求と、屯集する者の討伐・国元への出兵を求める達書
長州藩士らが多人数で兵器を携え伏見に滞在し、朝廷へ出願したとの報告を受け、早く退去するよう福原越後へ伝えたが、国司信濃・益田右衛門介らが続いて入京し三願書を差し出し、なお悔悟せず兵器を借りて屯集しているとする達書。朝廷の処置に反する行動だとして、在京の長州勢を討伐する命を伝え、今後入京する者だけでな…
追録8-No.533-1 長州勢征討と禁闕下での尽力を称える朝廷書付を国内へ伝える通知
七月十八日、長州脱藩士らの行動が切迫して兵端が開かれたとして、総督以下の在京諸藩兵士が征討に尽力し朝権を輝かせるよう命じる書付と、鳳闕下の紛擾に出勢して誠意を尽くしたことに叡感が大きいと称える沙汰を収める。別紙二通を、去十九日の闘戦中に御所が命じた内容として一統に拝見させる通知。七月小松帯刀署で、元…
追録8-No.533-2 長州藩主への追討命令と稲葉美濃守の書付・協議報告を伝える文書群
松平大膳太夫が福原越後らを使って歎願を名目に強訴し、国司信濃・益田右衛門介らを続いて派遣し、禁闕へ砲撃して罪が重く、父子の黒印の軍令を国司が出したことから全軍謀叛だとして、長防へ人数を寄せて追討し、軍勢を伊勢に集め指示を待つよう命じる七月廿三日の書付。続く通知は、稲葉美濃守・永井主水正・目付戸川鉾三…
追録8-No.534 天龍寺の米五百俵を兵火・類焼被災者へ配る高札の写し
「眞米五百俵」と掲げ、長州勢が天龍寺に貯蔵していた米を配り取るよう命じたとして、兵火や類焼で難渋している者へ、明朝早く錦屋敷へ来て担当役と引き合わせて受け取るよう案内する高札の写し。子七月廿二日、薩州と記す。三条・四条の橋辺ほか諸所に掲示され、短い間に人々が群集したことを前代未聞と評する後記を持つ。…
追録8-No.535 原の1~6をまとめる雑集中の出典見出し
「雑集中」と記す出典見出し。後続の原番号の1~6に、守衛総督への指示、長州関係の立入り・宥免取締、名書と宸翰・書付の伝達、軍用料を寄付した者への賞を収める。この見出し自体に独立した正文や日付・人名・宛名はない。
追録8-No.535-1 一橋中納言に守衛惣督として諸事を担い叡慮を安んじるよう命じる書付
一橋中納言に対し、輦轂の下が不穏であるため守衛惣督の役として諸事を委任しており、専ら励んで叡慮を安んじるよう処置することを命じる書付。原の1に当たり、正文には年月日と発給者の名はない。任務を命じる内容と勤務実績を区別する。
追録8-No.535-2 長州側の支持者の改心申出と潜伏者の通報・隠匿禁止を求める書付
京都所司代松平越中守への御渡書の写し。長州人が勤王を名目に人心を惑わせていたため信用した者もいたかもしれないが、禁闕への砲撃で逆罪が明らかになり追討を命じたとする。その支持者でも以前の非を悔い改心すれば宥免できるので申し出るよう求める。潜伏した落人を発見して速やかに届けた者には褒美を与え、隠匿が後で…
追録8-No.535-3~5 原の3~5の名書・一橋中納言宸翰と長州関係書付を伝える文書群
原の3~5を一行にまとめた文書群。原の3は御名の島津茂久と松平三河守・細川越中守ら二十三の官称を列記する名書。原の4は六月廿九日、一橋中納言へ賜った宸翰写で、世上の騒動を憂え、昨年八月十八日の出来事と関白らの意図を結び付ける噂に惑わされないよう述べる。大和への行幸は望まないと申し出たのに延期となった…
追録8-No.535-6 軍用料を寄付した出水の松野次兵衛へ太平布十足を賜う通知
原の6の通知。出水麓町人松野次兵衛が去夏の英船渡来時、出水御備組の出陣に軍用料金百両を差し出し、以前にも度々品物を施行したこと、今回の急変でも別に寄付したいと申し出たことを聞き、太平布十足を賜うとする。地頭が宅で本人へ伝え、品物の渡し方は御勝手方へ知らせるよう命じる。八月式部、子八月十七日北條織部取…
追録8-No.536 禁闕下の防戦警衛と薩摩勢の出張救援を称える勅書・感状
十二番箱中、包紙に勅書写とある文書を収める。七月の勅書写は、去十九日の禁闕下の大きな混乱に諸藩兵士が直ちに出張して命を懸けて防戦し速やかに鎮静した忠勤と、その後も暑熱の中で終夜警衛した苦労を称える。続く感状は、松平大膳太夫の家来の入京・禁闕砲撃と乱妨に際して薩摩勢が速やかに出張・接戦し、蛤御門・公卿…
追録8-No.537 諸藩士・浮浪人らの諸家への立入りと暴論を抑える書付
傳奏衆から渡された書付の写し。諸藩士や浮浪人が諸家へ立ち入って暴論を唱え天皇を悩ませているという説明から、今後同様のことを起こさないよう求める。諸藩主・堂上諸家へ立ち入る件は傳奏家へ申し出ておき、その他の者がみだりに立ち入らないよう命じる。在京・在府・在国・在邑の諸侯へ漏れなく早く伝える八月の通知で…
追録8-No.538 下関の外国船砲戦と砲台被害・和議交渉を伝える見聞報告
長州下関の外国船との砲戦について、八月十三日に蘭田と署する見聞報告。去る八日の朝五ツ時頃、外国蒸気船四艘が彦島付近へ来て砲台へ撃ちかけ、三十発程を受ける間に陸上の砲は撃てず、船が南風泊へ移り兵を上陸させたこと、砲・火薬等の奪取や人家十八軒程の焼払いを伝える。その後小倉領田之浦の船へ赴き、宍戸刑馬・杉…
追録8-No.539 毛利側の家来渡航・脱走騒動と鎮静方針を述べる三件の書付
松平大膳太夫の書付等を三件収める。七月廿二日の書付は家来二人が英船に乗り横浜へ赴いた報知を受け、脱走者の鎮静へ向かっていた長門守も上京差止めを途中で知って帰国したので、まず届けると述べる。七月廿五日の歎願書は、過る十八日夜の脱走家来・浪士の下関付近での騒動について、大坂藏屋敷からの報知を受け取調べを…
追録8-No.540 原の1~5の賞賜・戦死優證をまとめる雑集中見出し
「雑集中」と記す出典見出し。後続の原の1~5に、七月の禁闕防戦に係る金子賞賜、野村勘兵衛の戦死を称える優證、切米・金の軍賞と親族への感状、死去・葬送等の記録を収める。見出し自体に独立した本文・日付・宛名はない。
追録8-No.540-1 禁闕防戦に尽力した組・名書の者へ金子三両宛を賜う通知
金子三両宛の賞賜を記す名書。吉利群吉組の一組表示と安藤八郎左衛門・知識源之丞、川上右膳組と伊地知徳四郎・國分一郎右衛門らの名を列記する。去月十九日、長州勢が禁闕・九門内へ入り諸藩の人数が崩れかけたところ、速やかに防戦して追い退け家の面目を示したとして、さらに忠勤するよう優賞を与える八月帯刀の通知。名…
追録8-No.540-2 公卿御門前の防戦で戦死した野村勘兵衛を称える優證
野村勘兵衛が去月十九日の長州勢の襲来時、隈之城一組の物主として公卿御門前を警衛し、多数の敵と遭遇して担当の堅場でよく防戦し戦死したとする報告を称える優證。詳細を両殿が聞き、当座の優證として与えると記す。元治元年八月七日、忠鑑・久治の二御判を掲げ、野村勘兵衛殿宛。原注は両名を久光の男とする。忠鑑の文字…
追録8-No.540-3 野村勘兵衛の親族へ感状・切米十五石・金五枚を賜う通知
感状一通、切米十五石、金五枚を軍賞として賜う九月摂津の通知。当七月十九日の長州勢襲来時、野村勘兵衛が隈之城物主として担当の堅場で防戦して戦死した働きに満足し、これらを拝領させると記す。宛先は親族中。本人の戦死報告に対する親族への賞とし、年限・実支給状況や金五枚の現代額は記されない。
追録8-No.540-4 亡父勘兵衛の戦死を称え子熊太郎に切米・金を賜う感状
先月十九日の長州勢襲来で、亡父野村勘兵衛が隈之城一組の物主として公家御門を警衛し、多数の敵と遭遇して防戦し戦死した働きに感じ入り、切米十五石・金五枚を宛てて優證する感状。元治元年甲子八月十八日茂久御判、野村熊太郎殿宛。子九月五日にこの感状を与えたとの注を持つ。親族宛軍賞通知との対応を示すが、同額の記…
追録8-No.540-5 野村勘兵衛の戦死・葬送と子への賞賜・感状を記す記録
十九日未明、二本松御屋敷から禁闕警衛へ出た野村勘兵衛が、隊を二つに分けて公家御門や日野御門の談合役を担い、会津・越前の堅場にも援助したとする記録。蛤御門等へ多数の長州勢が押し寄せた際、勘兵衛と土卒一人が砲撃を受け戦死し手負も多かったという。遺骸を相国寺へ引き取り、公子から金子十両を与えて林光院へ葬送…
追録8-No.541 禁闕防戦の功への勅書と今後の軍功賞賜方針を伝える通知
去月十九日の長州勢の襲来で諸家の警備が崩れ公卿御門が危うかった際、軍勢が駆け付け、鳥丸通で戦って敵を退け天朝の危急を救ったことへの勅書を伝える八月帯刀の通知。家の面目を示す功労に満足し、今後の軍功への賞も考えているが、在陣中は軍功に応じた賞を個別に定めにくいため、後で取り調べるとして心得るよう求める…
追録8-No.542 原の1~6の軍備割当・出軍指示をまとめる雑集中見出し
「雑集中」と記す出典見出し。原の1~6に、長州討手の指揮・物主割当、四道の諸藩配置、先陣への命令、軍備図と九州出軍指示、総督・副将の命令周知を収める。この見出し自体に独立した正文・日付・人名はない。
追録8-No.542-1 長州討手の先陣惣督・副惣督と各組物主を定める書付
子八月廿六日、長州討手の先陣惣督を嶋津又六郎、副惣督を主殿、一陣惣物主を隼人とし、一・三・六番の物主に刑部・織之介・登を割り当てる書付。大口の山田司、志布志の福崎助七、国分の川上左太夫、清水の武宮十五衛門、二番の仁禮舎人、田布施の喜入雄次郎、末吉の川田掃部、高城の長束十郎、阿多の柳半之丞、帖佐の伊集…
追録8-No.542-2 長州討手の四道の藩と総督・集会地を列記する配置書
長州討手を山陰道・山陽道・四国・九州の四道に分ける配置書。因州・石州・雲州の山陰勢を石見へ集め、山陽勢は安藝へ集め、後備・遊軍も列記する。四国は伊予・阿州・讃州等の諸藩を記し、九州は筑前福岡・豊前小倉中津・肥前佐賀等に、松平修理太夫・有馬・立花や他国の援軍を加える。四道の惣軍惣督は尾張中納言で、後備…
追録8-No.542-3 先陣の又六郎・主殿へ諸隊指揮を命じ一陣惣物主の一組を召す通知
長州征討に付いて、先陣惣督嶋津又六郎へ諸隊を指揮し機先を察して勝利と威武を保つよう命じ、先陣副惣督嶋津主殿へ惣督と相談して軍謀を誤らず指揮するよう命じる。続いて一陣惣物主島津隼人に伊集院一組の人数を召し付けて出軍させる指示を向々へ伝え、地頭・用達にも知らせる八月廿六日但馬の申渡。命令内容と組の召集を…
追録8-No.542-4~5 原の4の兵器配置図と原の5の九州出軍・兵員選抜指示を収める文書群
原の4は旗本の惣督又六郎・副惣督主殿、一陣の組と番号隊を配置する軍備図。高山・大口・大崎には五百目弐挺を示し、国府・高城・清水・志布志・阿多・田布施・伊集院・末吉・帖佐、三・四・二・一・六番の各隊へ中軍・左右備・先手・遊兵・跡備と砲種・挺数を対応させる。五百目・六百目・七百目・二封度などは砲の原表示…
追録8-No.542-6 紀伊中納言を総督とし越前守を副将に命じる追討通知を領内へ伝える書付
原の6の書付。松平大膳太夫の家来が兵器を用いて朝廷へ背いたことを不届きとし、追討の惣督を紀伊中納言、副将を松平越前守へ命じ、紀伊中納言の指揮に従い忠勤を尽くして速やかに討つよう求める。続いて、惣督は紀伊中納言だが諸事は尾張前大納言の指揮に従うとする公義の別紙二通を、与中・支配中・諸郷へ知らせる通知を…
追録8-No.543 長州出陣の輸送・国元警戒と軍律遵守を命じる通知
長州征討では先陣惣督が先に出軍し、後続軍も出馬する考えだが、兵糧・玉薬の海陸輸送と先陣への援軍を急ぎ、敵の動きによって後隊も繰り出すと伝える通知。外国事件も定まらず国元は厳重に備え、当分出陣しない者や遊兵も同じ軍法に従って備えるよう求める。軽挙せず忠節を尽くし、先陣以外の者が勝手に先へ加わる行為を禁…
追録8-No.544 八幡宮修営寄附・官吏の私益取締・軍艦還御時の旅行扱いを伝える三書付
三書付を領内へ伝える通知。第一は河州譽田八幡宮本社ほかの修営費について、万石以上以下の諸家・寺社と全国の領地へ寄附を募り、既存の寄進が多く集まっても他の修営は未達であるため、分限に応じ来丑七月までに残る寄進をするよう求める子六月の書付。徴集場所と代官・領主・地頭等からの周知を示す。第二の七月の覚は、…
追録8-No.545 諸藩家来・寺院町家逗留の届出と浪士追捕の長藩達を伝える通知
諸藩の家来や浮浪人の取締を命じ、京都在留中の行き違い等が起こらないよう、本陣、旅店、寺院・町家の逗留者の人数と姓名を主人から月番町奉行へ届けるよう求める。傳奏衆の別紙二通による命令を向々へ知らせる十月帯刀の通知。続く九月の長藩御達写は、和州の賊徒追討を諸藩へ命じた際、藤堂家の寄手に追われた浪士八九人…
追録8-No.546 斉彬を祀る照國大明神祠の創建と禁闕防戦への賞を記す記事
御系図「忠義公」の記事。元治元年八月、城西に照國大明神の祠を創建し、先考齊彬の霊を祀ると記す。神宣・特贈の神号と、遺徳が人々に及び皇国を護るという祝詞の文言を収める。続く九月五日の記事は、茂久の家臣が禁闕を防禦して長州勢の侵攻に功があったため、勅によって移鞍一具を賜ったとする。神格・霊徳と功績評価は…
追録8-No.547 順聖院への追贈・照國大明神の神号と神社祭の扱いを知らせる通知
順聖院に出格の叙慮として官位を追贈し、照國大明神の神号の勅許を受けたので、城西に神社を建立したと伝える八月丹波の通知。廟祭では院号を称する扱いに加え、神社祭では神号を称するよう命じ、表方と奥掛御勝手方へ通知する。子八月廿日向井新兵衛取次の申渡注を持つ。位階追贈・神号・祭りの呼称を区別し、正文にない位…
追録8-No.548-1 禁闕防戦の功を称え図書と小松帯刀へ感状・刀・馬を賜う通知
当七月十九日の長州勢襲来で諸軍を率いて禁闕の危難を救ったことを称え、嶋津圖書に感状一通・太刀一振・鞍置馬一疋を軍賞として賜うと記す。次に小松帯刀にも同日の大事の際に尽力して危難を救った功により、感状一通・拵刀一腰・馬一疋を賜うとする。九月五日摂津の通知で、表方と奥掛御勝手方へ伝えるよう命じる。原本の…
追録8-No.548-2 桂右衛門を大目附に任じ役料二百石と主殿の次の席順を定める通知
桂右衛門を大目附へ役替えし、役料二百石を与え、席順は島津主殿の次とする九月六日但馬の通知。表方・奥掛御勝手方へ知らせるよう求め、当日向井新兵衛取次の記載を持つ。原注は桂右衛門を久武、島津主殿を久光の男とする。任命、役料の規定と席順の指示を別に示し、実支給済額や実際の在任期間は記されない。
追録8-No.549 松平修理大夫に移鞍一具を賜う勅書と付属馬具の明細
松平修理大夫に宛て、長藩の士の暴挙に際して速やかに人数を出し凶徒を追い退けたことを「叡感不斜」と評価し、移鞍一具を賜うとする九月の勅書。別紙には鞍橋・四緒手・刀革・轡・鐙・切附・表敷・面頬類・手綱・腹帯・面掛・胸掛・尻掛・立間・差縄・引差縄・平鈴・髪結糸・鞍覆・四手・鞭・背布團などの馬具を列挙する。…
追録8-No.550 太守の移鞍拝領を役人へ知らせ御馬拝領の例による取扱いを命じる二通知
長藩士への言及を「云々略」と省略したのち、太守が別紙の勅書によって移鞍を拝領したとの知らせが到来したため、役人に承知させるよう求める九月但馬の通知。次の九月但馬の通知は、天朝から移鞍一具を拝領したことを受け、先般の御馬拝領の例に準じて諸事を扱うよう関係の向々へ申し渡す。省略部を全文復元せず、拝領の周…
追録8-No.551 傳奏衆からの移鞍賞賜の知らせと九月二十一日の祝儀を伝える五署通知
去る五日、傳奏衆から家老が呼ばれ、家老代の高橋縫殿が桜之間で両傳奏衆に対面し、長藩士の暴挙に対して人数を出し追い退けた功により移鞍一具を賜うとの勅使書を受けたと伝える。品物は一橋中納言から渡されることとされ、翌六日に同所から引き渡されたとの知らせが到来した。太守が昨日十九日に拝戴したため、嶋津圖書・…
追録8-No.552 百姓・町人・無役の諸士にも姓名入りの封書で意見を出すよう命じる御筆
これまでも存慮がある者は封書で筋々を通じて上書するよう求めてきたが、府内の情態や領内民間の疾苦など細かな物情を上達させたいので、明朔日から御楼門内に上書箱を置き、太守自身が切封すると述べる子九月晦日の御筆。百姓・町人に至るまで意見を言上したい者は姓名を記した封書を出し、無役の諸士も同じ筋で上書してよ…
追録8-No.553 参勤交代と妻子の呼び寄せ・領内周知を命じる四覚
八月の四覚を伝える通知。第一は、諸大名の参勤を前々どおりとする命令に従い、当年参勤に当たる在国・在邑の者は早く参府するよう求める。第二は、万石以上と交替寄合の嫡子や妻子を国邑へ引き取ることを勝手次第とした去る戌年の命令で引き取った者も、御進発を受けて前々どおり当方へ呼び寄せるよう求める。第三は、去戌…
追録8-No.554-1 長州追討に伴う官位剥奪・輸送禁止・宿営準備・探索と軍備出頭の五通達
八月の五通達を収める。第一は長州家来の禁闕への砲発を不届と評価し、父子の官位・御一字・称号を召し放つとの命令。第二は長防二国へ武器・米穀などを海陸から運輸してはならず、隣国で差し止め、時宜によって留め置き領主へ申すよう求める。第三は征討の通路である東海道・美濃路から大坂・播州・備州・藝州にかけて宿営…
追録8-No.554-2 禁闕防戦で諸隊を指揮した町田民部に刀一腰を賜う通知
町田民部が在京中の当七月十九日、長州勢が禁闕を侵した際に諸隊を指揮して尽力し、賊徒を退散させ危難を救ったことを称え、御刀一腰を褒賞として拝領させるとの通知。さらに忠勤を求め、表方と奥掛御勝手方へ伝達するよう命じる。正文末は十月但馬で、町田民部に久成、但馬に川上久連の注がある。武功の評価は通知の叙述と…
追録8-No.555 喜入摂津に惣督・副惣督と相談して諸隊を指揮するよう命じる通知
喜入摂津に、長州征討のため出陣を命じるとともに、惣督・副惣督と諸事を相談して諸隊へ指揮を行き届かせ、機先を察して軍謀を誤らず、国名を輝かせるよう勤めよと求める。今日直に命じられたことを向々へ知らせる十月廿三日龍衛の通知で、向井新兵衛取次の注を付す。出陣・指揮の命令を示す文書で、戦果や実際の兵数を記し…
追録8-No.556 長州征討への三千の派兵と三将首級の提出、十二月の刀賞賜を記す系図記事
御系図「忠義公」の元治元年十一月の記事。毛利大膳が異図を抱いて福原越後・國司信濃・益田右衛門介に率兵させ禁闕を犯したと述べ、勅によって大家が討伐し諸国に徴兵したとする。島津又六郎久明・喜入摂津久高・島津主殿・島津隼人久芳らが兵三千を率いて筑豊二州間に会し、別に在京の衛士が藝州へ派遣され、高橋縫殿種徳…
追録8-No.557-1 勅書写・公義書付・一橋慶喜の感状三通を記録所へ下し保管を命じる通知
勅書写一通、公義からの書付一通、一橋中納言慶喜卿の感状一通を、桐白木箱に入れて不洗で包んだものとして列挙する。当七月、長州勢が禁闕を侵した大事の際に京都へ派遣していた人数が尽力して危難を救ったことへの感賞として頂戴した品であるため、記録所へ下して同所で護置し、後年にも麁略に扱わないよう命じる。元治元…
追録8-No.557-2 移鞍一背の馬具明細と御記録奉行への入念な記置を命じる通知
御移鞍一背について、鞍橋・鐙・四緒手・切附・刀革・表敷・轡・面頬類・御手綱・腹帯・面掛・胸掛・尻掛・立間・差縄・引差縄・平鈴・髪結糸・鞍覆・四手・御鞭・背布團を明細として列挙する。長藩士の暴挙に速やかに出張して追い退けた功により当九月六日に天朝から拝領した馬道具であり、既に護る御道具の内に入れ、後年…
追録8-No.558 国祝和歌の宸翰と近衛忠熙の掛物・手翰を記録所へ下す保管通知
宸翰の掛物一幅(寄国祝を詠む和歌)、宸翰所から添進された近衛忠熙の文章の掛物一幅、同じく近衛忠熙の手翰一通を列挙する明細。掛物の風帯・一文字・中縁・上下・象牙軸、包み、黒塗箱・銘書の有無、緒などを区分して記す。三行は桐春慶塗の外箱に入れて萌黄絹の真田緒を付す。大切な品として御側役の切封で御番所が護置…
追録8-No.559 螺鈿太刀を照國大明神社へ奉納し、近衛の詠筆等の明細を記す通知
螺鈿太刀一振を、備州國分寺住助國・嘉暦月日の在銘として掲げ、金無垢の十文字御紋・松皮苔の細工、分銅形の鍔、鮫白の柄・菊鋲八ツ、紫革緒と露金具四ツ、目釘、梨子地鳳凰高蒔絵の鞘、紅錦織の袋と箱などを記す。続けて近衛忠熙の詠筆で国を表す懐紙の掛物一幅、近衛忠房の詠筆による「いさをしを」の書き出しの懐紙の掛…
追録8-No.560 長州家来の滞京制限・浪士探索・乱行取締と主用のない出京禁止を伝える書付群
長州の留守居役・添役一両人以外の滞京を禁じ、臣僕まで姓名を届け、潜伏者を取締るよう求める。各藩の居屋敷・本陣以外の寺院・町家の逗留者は主人から月番町奉行へ人数姓名を届ける指示を含む。傳奏衆の書付は、春来の堂上への入説が藩臣・浮浪者によるものだとして各藩に調査を求める。長門宰相家来への同趣旨の命令を再…
追録8-No.561 西丸の軽便な普請と主用のない滞京禁止・上洛時の沿道取締を命じる書付群
本丸炎上の後、速やかな造営が見合わせられ、今度は西丸を普請し、先例に拘らず格別に手軽く造営、本丸の普請は追って沙汰するとの元治元年十二月の書付。続く十二月の書付は、主用のない諸藩士の出京・滞在が浪士と紛れて取締に差し障るため、一切滞京を認めず早く引き払うよう求める。さらに十二月の上洛に伴う書付は、留…
追録8-No.562 神社仏閣修造・勧農・年貢徴納の三条を命じる茂久の吉書
神社仏閣の修造興行、専ら勧農すること、国々の年貢を徴納することの三条を掲げ、その旨に任せて沙汰するよう命じる吉書。正文は元治二年正月十一日、茂久御判。三つの施政の指示を記す文書で、具体的な工事箇所・徴納額や実施の成果は記されない。白木御文書十一番箱中二十五番の所在注を持つ。
追録8-No.563 禁闕防戦の褒賞で拝領した越中國則重の刀を御納戸で保管する明細通知
刀一腰を越中國則重無銘、長「弐尺三寸三部半」と記す明細。二重の金着の鎺、切羽、赤銅七子の縁や魚の細工をした三所、黒塗の角頭・鞘、鮫白糸巻の柄、藤原國正の小刀、下緒、袋、折紙一枚と桐白木箱などを列挙し、三所に後藤光晃の名を記す。去る年七月に長州家来が禁闕を乱した際、在京の人数が出張して烈戦し、諸事の救…
追録8-No.564-1 上洛時の軍艦提供の謝礼として松平修理大夫に鞍鐙と純子を賜う通知
松平修理大夫に、先般上洛の際、所持の軍艦を御用立にして万端の都合がついたことにより、鞍鐙と純子の拝領を命じる通知。正文に年月日や軍艦名、品の数量は記されない。白木御文書十一番箱中十八番の注と、口裏に松平修理大夫とある旨を付す。軍艦提供に対する賞賜の指示として読み、後続の登城命令と系図記事を別に示す。
追録8-No.564-2 松平修理大夫の家来に翌二十六日四時の代理登城を命じる令書
御用があるため、翌廿六日四時に松平修理大夫の名代として一類中一人が西丸へ出るよう命じる四月廿五日の令書。口裏に松平修理大夫家来とあるとの注と、一通の表示を持つ。外包には慶応元年五月十六日、式部から渡され、護る旨を仁禮新左衛門が承知して白木御文書十一番箱へ納めたとある。正文の四月二十五日の命令、翌日の…
追録8-No.565 戸田淡路守が茂久の代で登城し軍艦借用の謝礼を受けたとする系図記事
御系図「忠義公」の記事。慶応元年乙丑四月二十六日、戸田淡路守氏良が茂久の代わりに登城し、大家から鞍鐙と純子を賜ったとする。大家が上京しようとしたときに当方の軍艦を借りたので、その報いがあったと説明する。借用と謝礼の関係は系図の記事として示し、軍艦名や各品の数量は記されない。
追録8-No.566 久光の娘於民の出生・死去と神号を記す系図記事
御系図「久光公御子」に、女子於民について、慶応元年乙丑五月十六日に生まれ、母は櫻井氏の妹と記す。続けて二年丙寅五月二日に死去し、神号は瑞穂稚苗姫命とする。上部の男女十八人の表示と女子の系線を持つ系図の一項で、於民の出生・死去と母の続柄、神号を分けて示す。母の実名、死因や享年の換算値は記されない。
追録8-No.567 急な勢揃と調練を称え職掌を守り文武を励むよう家老へ伝える申渡
昨日、不時に命じた勢揃に速やかに集まり、調練の次第も混雑せず、軍役方・物主などの職掌はもちろん、一同の平日の備えにも満足したと述べる。三郎の留守中に自分も暫く心痛したが、当今の世態に鑑み各人が職掌を知り、文武を励むよう求める家老中への申渡。在執事方帳留に収め、慶応元年乙丑九月十六日に命じられたと記す…
追録8-No.568 軍艦御用立の賞として拝領した鞍鐙の明細と保管を命じる通知
鞍一口を伊勢貞仲作、鐙一掛を同人作と記し、鞍の海有と鐙の両咲の表示、惣梨子地千羽鶴高蒔絵、水色紗綾の包み・袋、萌黄絹の真田緒付き桐白木箱などを列挙する。鞍鐙の折紙二枚に辻山城の名を記し、別の桐白木箱と容器の金具仕様も掲げる。先般大樹家茂公の上洛時、当方の軍艦を御用立して万端の都合がついたため拝領した…
追録8-No.569 第206号の斉彬願書と同文として本文を省略した項
雑集中の「嘉永六年八月十九日」の記載に対し、本文は第206号文書と同文のため省略すると注記する項。朱書で嘉永六年の表示を付し、丑九月十六日に差し出された由との後記がある。目録は慶応元年八月十九日の斉彬願書として載せる。参照先206は軍船・蒸気船製造と海防技術・用品などを願う嘉永六年の書付だが、本項に…
追録8-No.570 修造・勧農・年貢徴納の三条を命じる慶応二年の茂久吉書
神社仏閣の修造興行、勧農、国々の年貢徴納の三条を掲げ、その旨に任せて沙汰するよう命じる吉書。慶応二年正月十一日、茂久御判で、丙寅也との注を付す。白木御文書十一番箱中三十一番の表示を持つ。具体的な工事箇所・徴納額や実施結果は記されず、同形の前年吉書と発給年を分ける。
追録8-No.571 千眼寺の大信院寿像と金剛定院肖像を花尾護國権現社へ遷す通知
大信院の寿像と金剛定院の肖像はこれまで千眼寺へ安置していたが、思召によって花尾護國権現社の御神殿へ安置することとなり、遷座を明後廿六日に命じたと伝える。慶応二年丙寅十二月廿四日右衛門の通知で、神社仏閣調中宛。原注は大信院を島津重豪、金剛定院を島津齊興とする。二つの像と旧安置先・新安置先、通知日と遷座…
追録8-No.572 中将・太守の上京と領内の備え・職掌励行を知らせる四署通知
近年の皇国の難しい形勢に加え、先帝が崩御し新帝が幼年となったことを嘆息すると述べ、天朝の高恩を受ける当家として傍観し難いため、太守との相談の上、中将が天気を伺い今後の策を建てるべく上京することを伝える。太守も上京する予定で、在国の間は領内一同がこの趣旨を体し、職掌を励み、内外の備えを十分に行き届かせ…
追録8-No.573 条約履行・兵庫開港を求める慶喜の建白と再考を求める朝廷回答
慶喜の卯三月の建白。丑十月の条約勅許時に兵庫を止めるとの沙汰があったが、外国へ伝えれば平穏の方針が崩れ、一度結んだ約を替えることは万国の信を失うと述べる。長防事件と故大樹の大故を経て開港期限が迫り、外国から条約にもとづく申立があるため、応接と条約変更を再び熟慮しても、信義を守り開港し、艦船利器を備え…
追録8-No.573-1 兵庫開港についての再考建白と「必ず開港差許し」ではないとする朝廷再答
兵庫開港の条約履行について再考を求められたことへの「再考建白」。慶喜は先朝以来の趣意を承知し、国の利害を勘考して過日の建言以外では国体を立て難く、大小を再三酌量して上申したと述べる。一度結んだ約の変更は困難で、外国からの申立に先の建言で扱うよう達した後も遅延し、前件から国家の安危に関わるため、自身で…
追録8-No.574 久光の上京と越前・土佐・宇和島との協議を評価する系図記事
御系図「玉里久光公」の記事。慶応三年丁卯三月下旬に鹿児島を発って上京し、内外の変化と天下の危急に際し、久光が越前・土佐・宇和島の三侯と協議したと記す。禁闕と二条城へしばしば登って激論し、正義で国是を定め朝廷の綱紀を張ることを望んだという。秋には病により国へ下ったが、徳川慶喜が将軍職を辞し朝廷が復古の…
追録8-No.575 中将の出発を十九日から二十五日午刻へ変更する通知
御首途を御名代で三月廿五日午刻、御発駕も同廿五日午刻と掲げる。中将の発駕を来る十九日に命じていたが、記したとおりに変更するので関係の向々へ申し渡す三月伊勢の通知。首途の儀式と発駕を別項として保ち、同日という記載に「同日ハ本マ」の注があることも残す。年は正文に記されず、実際の出発完了や御名代の姓名はこ…
追録8-No.576 斉彬公の又三郎・忠方を記す紙二枚を文書奉行へ下し保管させる通知
斉彬公の御名・御譜とする折紙二枚について、御名は又三郎、もう一項は忠方と記し、桐白木箱に入れてこのたび下されたので、後年にも麁抹に扱うことがないよう護ることを命じる。慶応三年卯五月十六日、伊木七郎右衛門の印を持つ御文書奉行宛の通知。外包の「覚」の表示、箱三十二番と、包紙に記す又三郎・忠方の名も掲げる…
追録8-No.577 国事のため登京したことを称え滞在して協力するよう求める朝廷沙汰
国事のため召しに応じて早く登京したことを「叡感不斜」と称え、内患外憂が切迫する時節に滞在し、厚く尽力して叡慮を安んじるよう求める朝廷の沙汰。酒三樽・鯉十尾を記し、慶応三年卯五月十八日に頂戴したとの注を付す。正文の命令と品物の数量、頂戴の記録日を分け、称賛と内外の危急という評価は沙汰の叙述として示す。…
追録8-No.578 防長の処置を先に兵庫開港を後に扱い公明な政務を求める四藩建白
天下の政務は公明正大の理によって内外の緩急を明らかにして行わねばならず、幕府年来の失態と防長再討により物議・離叛の姿が生じたと批判する四藩の建白。慶喜へ相談したうえ、兵庫開港と防長事件には緩急・先後の順があり、防長の処置を先にすることが急務であると主張する。二件を虚心に考察し、幕府が公正に立ち返る実…
追録8-No.579 防長への寛大な処置と兵庫開港の沙汰を清岡三位が伝える口達書
防長について、前年上京した諸藩と当年上京した四藩などから寛大な処置の言上があり、大樹もその処置を言上したので、朝廷も同じ思いとして早く取り計らうよう伝える。兵庫開港は重大で先帝も沙汰していたが、大樹が時務を再三述べ、当時上京の四藩も同様に申し上げたため、やむを得ず差し許すことになったとする。別紙を余…
追録8-No.580 防長の復旧を先に兵庫開港を後に扱うよう求めた四藩が裁断の事実を問う伺書
兵庫開港と防長の処置は内外の重大事で、幕府の防長再討は無名の師を動かし奏聞せず騒乱を起こしたと批判する四藩連名の伺書。国基を立てるには公明正大な処置が必要で、防長の大膳父子の官位復旧・平常の扱いを第一とし、幕府が公正へ立ち返る実跡を示して人心を安んじた後、第二に兵庫開港を時務に応じて処置する順序を主…
追録8-No.581 中将からの情勢報告を受け太守の上京に備えるよう領内へ伝える六署通知
近年の難しい情勢に臣子として傍観できず、相談の上、中将が上京して天下のため尽力することを当二月に詳しく命じたという。中将が上京して尽力しても情勢は容易でないとの知らせがあり、模様次第では当春の通知どおり太守も上京して忠勤を尽くすとしている。朝廷のためにやむを得ない時機が来ればどのような変化に至るか測…
追録8-No.582-1 三條實美の快復後の五卿帰京と順序協議の遅延を届ける書付
筑前太宰府に在留する五卿の帰京は当春の公達で命じられたが、三條實美の体調により遅れていたと届ける。今は快復していつでも帰京できるものの、長防を寛大に扱う命令が出たため、長防の処置後に帰京する順序について大隅守の意見を受け、薩邸で各藩が会合し重役も登京して協議したという。在国の藩への連絡を経なければ決…
追録8-No.582-2 大坂・兵庫の外国人居留地の地所引と普請希望者へ入札を募る町触
大坂と兵庫の両所に外国人居留地を設けるため、地所引とその他の普請を希望する者には入札を命じるので申し立てるよう求める町触。入札日限は追って知らせるとして、大坂町中へ漏れなく伝えるよう命じる。正文年月日、入札額、具体的な面積・期限や落札結果は記されない。募集・入札の予定と実施結果を区別する。