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追録8の目録

暫定版です。原文との照合により、概要や文書の区切り等を修正する場合があります。

全2,290件中 601~700件・7 / 23ページ

  1. 追録8-No.431 応接未結中の汽船奪取と来航船の行動を非として長崎奉行へ説明した旨を届ける写

    雑抄の届書写。去月廿八日に英国船七隻が城下海へ来て、生麦の一件を公辺へ届け、案内船も差し向けて事情を説明していたところ、応接が終わらないうちに薩摩の汽船を引き出したと述べる。七隻のうち一隻は一里ほどの所に碇泊し外六隻は帆を出し、攘夷期限が過ぎても決議の意向をまだ承知しないので曲直を明らかにして戻すつ…

  2. 追録8-No.432 親征をめぐり三郎の速やかな上京を求める二書状と京都からの携帰・拝聞を記す記事

    三内容の雑集。第一は三郎の七月十二日書状で、人心に関わるため親征に尽力したいとの依頼を受け、表向への許しと早い上京のための取り計らいを求める。大連署の建白が朝議に合ったことも述べる一方、親征は治定しておらず御時宜次第とし、詳しい話をして上京許可を得たいとする。第二は七月十一日の連名書状、三郎殿宛で、…

  3. 追録8-No.433 諸士召移と臺場・防備の手当を求め国分居住を延期して帰城する旨を伝える通知

    国分居住に伴い諸士を召し移し防禦の手当を厳重にするよう先に命じてあるが、急速な準備を求め、神瀬・櫻島燃崎での臺場追築と守備を尽くすよう命じる。国分居住は延期して帰城し、諸事を指揮することにしたので、表方・奥掛・勝手方へ知らせる七月十六日帯刀の申渡。続く十七日の五番組方印・嶋津仲の副書は、各支配中へ写…

  4. 追録8-No.434 英艦との戦闘を賞し武威を励むよう命じる勅書と伝達注

    執事方帳留の勅書。去る二日に英国艦が来て砲戦になった報告を聞き、一心に攘夷に取り組んだことを賞し、さらに励んで皇国の武威を海外へ示すよう命じる。正文は七月・御名で、目録は孝明天皇勅書とする。末注は文久三年亥八月七日到来、九日拝見を命じたと記し、別に亥八月六日に三嶋弥兵衛が持ち下り、九日御一門以下の諸…

  5. 追録8-No.435 砲臺・守衛の戦功へ品物・金銭・切米を命じ、死亡者の祭祀料弔料と郷士賞を記す記事群

    全七頁の軍賞申渡群を十四内容に分ける。祇園洲で敵艦を引き受けた島津權五郎に鉄炮一挺・陣羽織一枚、川上右膳ら四名と物主二名に陣羽織の賞を記す。税所清太は砲の損傷後に加勢し手傷で即死したとし、切米八石・祭祀料金三十両を命じる。祇園洲・沖小島守衛の八名には各十五両、さらに七名には各十両。弁天波戸・砂揚場・…

  6. 追録8-No.436 戦闘への賞美勅命を受け指揮の不足を省み一統の防戦・忠戦を求める連署御筆

    十一番旧御番所御文書中の御筆仰出。戦闘の報告が天聴に達して賞美の勅命を承知したことに恐れ入り、一統が粉骨砕身して戦ったため敗走に至らなかったとする。同時に指揮が十分行われなかったことを省み、今後また襲来する時はよく心を用いて指揮し、一心同力で皇国の武威を失わぬよう忠戦してほしいと命じる。八月、茂久・…

  7. 追録8-No.437 宮備中守時道作の両咲之鐙を正作とし代金二十五枚を記す証状

    「同上」の出典表示に続く馬具の証状。「兩咲之鐙」、宮備中守時道、正作、永正六年三月七日・在判と記し、代金貳拾五枚とする。文久三亥年十二月廿一日、辻山城政恒判。本文に記す鑑定と代金を整理し、実物の真贋・取引や現代価格を独自に認定しない。

  8. 追録8-No.438 宮備中守時道の海有之鞍を正作とし代金二十五枚を記す証状

    「同上」の出典表示に続く証状。「海有之鞍」、宮備中守時道、正作とし、「紋軍配」の記載を伴う。代金貳拾五枚、文久三亥年十二月廿一日、辻山城政恒判と記す。文字と原単位を保持し、同日の第437号と同一物や同一取引にまとめず、実物鑑定・支払済みとはしない。

  9. 追録8-No.439 昨年の英国船対応を賞し御馬一匹と判金十枚をそれぞれ授ける二勅書

    二番外箱は勅書二通・判金拾枚と記す。第一の勅書は昨年七月に領内へ英国船が来た時、家来とも尽力して神州の威名を保ち、まだ上京せず在国していることも承知したとして、厚い配慮から御馬一疋を賜るとする。第二も薩摩少将と家来の対応を賞し、判金拾枚を賜ると記す。それぞれ右一通と明記される。本文の年・月日はなく、…

  10. 追録8-No.440 賞美勅命と御筆添書を承知し今後も忠戦するよう命じる五名連署申渡

    英国船対応の報告が天聴に達して御褒勅を受けたことに恐れ入り、御筆・添書を別紙のとおり示したので一同承知し、また来航する時も忠戦するよう求める。八月、大藏・摂津・帯刀・但馬・式部の五署名、亥八月九日仰出の注。称賛と今後の要請を史料の見解として整理し、次の来航や戦闘が実行済みとはしない。

  11. 追録8-No.441 勅書拝見後の祝儀を一門・家老・諸士・地頭・郷士等へ指示する通知群

    勅書拝見が済んだ日に、一門の嶋津圖書・大身および月次礼に出た家老が席上で祝儀を述べるよう求める。諸士・与力は帳面で、諸所の移地頭・地頭代は差し支えない時に罷り越し席上で祝儀を申し上げる。諸郷は在合の者が当日申し上げ、郷士年寄・組頭は明後十一日から精進日間に帳面で祝儀を述べるとし、両役の内一人が出ても…

  12. 追録8-No.442 鐘の合図と戦時の本陣、太守・三郎旗本および城下守衛の配置を記す配書

    陣備の六内容。打場の時は居宅におり、早鐘で所定の場所へ繰り出す。戦争の場合は両殿の本陣を千眼寺とし、三郎の旗本五組は新昌院(照の字注)、太守の旗本五組は川田将監辺と記す。太守旗本の内、嶋津仲一隊を圖書へ付けて本丸に残し、御番所辺を守る。圖書は御名代として登城し諸事を差し引き、両旗本が繰り出し揃った時…

  13. 追録8-No.443 上京の供役へ無益な往来や他藩との私議を戒め急変時も命令に従うよう求める口達

    上京する多数の供役に心得を伝える口達。若年で慣れない者もいるため、無益な場所へ出入りしたり他藩の人と私的に集まって議論したりすることを戒める。一変が起きた時にも命令に従い尽力するよう求め、その趣旨を支配中でよく話し合って理解させるとする。八月、発給者姓名不記。末注は今回御供を命じられた物主まで伝えた…

  14. 追録8-No.444 三郎の上京が未定だった経緯と名代図書を述べ、来月中旬発駕に備えさせる通知

    三郎は上京の勅命を受けたが対外問題の時宜が合わず一度図書を御名代に命じ、なお三郎自身の上京は決まらず役人に配慮を求めていたと記す。その後松平春嶽・細川越中守・松平美濃守・有馬中務大輔らから使者を通した協議の話が届き、来月中旬に発駕して上京することを決定したので、漏れなく知らせ諸手当を早く準備するよう…

  15. 追録8-No.445 実美・長州等に陰謀があったとする立場から御所騒動の経緯を説明する記事

    「八月十八日御所騒動之由来」とする五頁の説明記。三条実美・長州側が朝廷を利用して近国や関東を掌握し、天子を長州へ移す等の陰謀を企て、大和行幸・親征の話もその一環だったとする立場から経緯を述べる。會津侯・中川王らが実情を朝廷へ伝え、八月十六日の詔と十八日の処置、実美ら七人の退去に至ったという説明を載せ…

  16. 追録8-No.446 国許への慰問と京都の御門警衛、朝廷・公卿の動静や風聞を五人へ報じる私状

    山之内一郎が五人へ送る亥八月廿四日の書状。英国との戦闘を勝利と評価して諸士を慰める一方、浄光明寺・集成館・上町・商家の焼失と汽船奪取、物資や馬の駈引を心配する。英国側の再来・横浜兵の増勢等は風聞として載せる。京都では十七日夜の中川宮・陽明家父子参内、服装を改めた警備準備、長州や浪人による騒動との見方…

  17. 追録8-No.447 上方の急変に備える警衛と中山大納言嫡子を称する浪人集団の取締を伝える通知

    井上河内守の二つの通知。第一は上方で重大な事変があり人心が動揺しているため、万一に備え領分相互で援助し、警衛が手薄な所は指図を待たず時宜に応じて出勢し、近い料所・寺社領・小給所等も守るよう命じる。第二は中山大納言の嫡子を称する者が浪人六十人ほどと兵器を携え、河州狭山の北條家等で勅命を偽って武具・馬具…

  18. 追録8-No.448 自国海岸や臺場の持場を守り持場がない者も屋敷近傍を警衛させる通知

    大目付の覚。自国海岸その他の臺場・持場の警衛は先の指示どおりとし、今回の海岸や口々の警衛に加えて総じて取締を厳重にするよう求める。持場のない者は屋敷近傍を守り、指図に従って人数を出すとする。八月、末注は本文亥九月廿七日に御達があったと記す。正文の月と後の伝達日を分け、人数や警備完了を推定しない。

  19. 追録8-No.449-1 総大将・御先手・大坂固・御所固・京都守護職欄の人名を列記する征長関係名簿

    長州征伐の総大将を紀州とし、注に徳川茂承を記す。御先手欄に井伊掃部頭以下八名、大坂固欄に尾州中納言・松平陸奥守、御所固欄に松平修理大夫、京都守護職欄に松平肥後守・松平越前守を列記する。各欄の人名は台帳に保持する。書付は亥十月二日到着の飛脚が伝えたと注記するが、本文の作成日はない。役割欄への列記と正式…

  20. 追録8-No.449-2 一橋ほかの石高を列記し松平下総守らの行列・銃筒の話を添える記事

    二内容の記事。石高欄は一橋中納言を十万石格、酒井雅楽頭を十五万石、加賀中納言を百二万石、戸澤惣介を六万八千石等として列記する。渡邊肥後守の三十四万石にはママの注があり、そのまま留保する。続く記事は上京する人員が昨廿日芝の通の湯屋へ出張し、銃筒七八十挺ずつを持って行列し松平下総守の通行に付く由、ほかに…

  21. 追録8-No.449-3 小倉から京都への移動と和州・浪華の浪人情勢、屋敷取合後の様子を記す私状抄

    書状抜抄。筆者は五月一日に小倉で乗船し十三日に京都へ無事着いたと報じ、和州の中山侍従・浪士の情勢と紀州・藤堂家への別紙指示に触れる。浪華の一番隊村橋・四番隊櫻吉利が長府屋敷に取り合い、生捕を差し出すよう申し入れたこと、廿七日夜の入京、廿八日暁の川尻への出船の話を載せる。人質一人を差し出すか翌日砲臺を…

  22. 追録8-No.449-4 藤堂家へ逃げ込んだ打手を捕えたため早く引渡し示談させる通知

    和州の賊徒追討を諸藩に命じてあったところ、昨廿七日に藤堂家の打手に托して浪士八九人ほどが浪華へ逃げ、その藩屋敷へ入ったとの話を受け、捕えた者を藤堂家の打手へ早く引き渡すよう命じる。長藩へその趣旨を伝え、藤堂と示談し、藩人数を浪華へ送って取り計らうよう求める。九月、発給者・宛名姓名と年日は不記。八九人…

  23. 追録8-No.450 後続の上京申渡五区分を収める雑集の出典見出し

    「雑集中」とのみ記す出典見出し。後続の原冊の1~5は、上京の首途・発駕、供と守衛の役務扶持米・交代、出発当日の御役人呼出し等の申渡で、この見出し自体に正文はない。既存の親行を保持し、本文読込量は0とする。

  24. 追録8-No.450-1~4 三郎上京の日程と供守衛の役務・扶持米・勤務期間、守衛一組の準備を伝える四区分

    原冊の1~4を一行に収める。第一は首途の九月六日巳刻・十二日巳刻を併記し、三郎の発駕を九月十六日に召し替える式部通知で、亥八月晦日松岡十太夫取次注。第二は供・守衛方の人数を召し列し、従来扶持米を下された者の定役・助役の勤方と「無掃跡御扶持米」の指示を伝える九月式部通知。第三は中小姓・重山小姓・守衛の…

  25. 追録8-No.450-5 三郎の明後十二日発駕に伴い当日火用心をし御役人等を大形なしで入念させる申渡

    原冊の5。三郎は明後十二日に発駕するので、当日火用心を行い、大形無しの形で入念するよう表方御役人・与中・支配中へ申し渡す。九月十日、御家老座。亥九月十日に御勝手方から市来次十郎が取り次いだとの注がある。第450号の1の十六日発駕記載とは原日付を別に保持し、行列の実出発日をこの指示だけから統一しない。…

  26. 追録8-No.451 長萩侯直筆仰出写と日本橋張紙写を参照用に挙げる記事

    長萩侯直筆仰出の写一通を亥九月附として挙げ、文久三年亥八月六日の日本橋の張紙という写一通を記す。右二通は時勢の事情を詳しく記し、安政・文久の雑集に収録したので参照のため記し置くとする。ここには二通の正文がなく本文読込量0。長萩侯の姓名や参照先の全文を補わず、収録摘要の二通表示を今回の全文精読二通とし…

  27. 追録8-No.452 守衛のため献じた選士を差し戻し、府内取締と番所の人員を丈夫な者にする通知

    二内容の通知。守衛のため諸藩が強健・忠勇の選士を献じたことは満足とするが、富国強兵と武備充実が必要な中で、費用負担が病弊を招くとして各差し戻すよう命じる。但書は、多数を屋敷へ出して非常警衛を行うことはあり得るが、守衛という名目ではないと区別する。京都での九月の仰出を十万石以上へ伝える。続く覚は府内の…

  28. 追録8-No.453 三郎が鶴崎から佐賀関へ進み二十七日四時に乗船する予定を知らせる通知

    三郎は先月廿四日に鶴崎へ逗留し、翌廿五日に立って佐賀関へ着き同日逗留、廿六日に立って口佐賀関へ逗留したと伝える。翌廿七日四時に乗船する旨を承知して向々へ申し渡すよう求める。十月大藏、亥十月八日中村新介から役名へ触れて伝えたとの注。先月の行程報告と乗船予定、後の伝達日を分け、四時を現代時計へ換算せず京…

  29. 追録8-No.454-1~2 士風・軍役・倹約・組合の五条を再掲し平常の軍役遵守を伝える四名副書

    通達留の御筆写は原冊の1~2を含む。五条は、詩歌や遊技に専念して士に似合わない行為をしないこと、知行高に応じ軍役人員・兵器・糧食を不足させないこと、衣食住の贅沢を慎むこと、組合に長病・死去者があれば同位が早く物主へ申し出ること、仕伍組合の和睦を求める。原文は文久三年壬戌十月、御名乗御判。朱注は三年は…

  30. 追録8-No.455 防備役務と指揮、総裁への儀礼、横浜鎖港談判の留守委任と貿易取締を伝える通知群

    六内容の雑集。雅楽頭の海陸備えの御用は和泉守・周防守と相談して扱うよう命じる。紀伊中納言は大坂で守衛・海岸防禦を厚くし、必要時に家老と諸藩を指揮する役とする。政事総裁を命じられた松平大和守には公義の御礼以外の贈物等をせず、機嫌伺も書状にするよう求める。大樹の上洛中に横浜鎖港談判が進む場合は適任者へ委…

  31. 追録8-No.456 宮様らの二本松屋敷入邸に伴う慶事と晴姫の御鉄漿初を祝い各役へ周知する二通知

    二内容の雑集。尹宮・近衛左大将が去る五日に京都の二本松屋敷へ入り帰殿の慶事が伝わったため、圖書・大身・月次礼の家老は明廿六日四時に登城して太守・三郎へ祝儀を相談して述べるよう求める。亥十一月廿五日但馬、書略の注があり、表方・奥掛・勝手方へ周知する。第二は晴姫が明廿二日に御鉄漿初を行うため、大奥と関係…

  32. 追録8-No.457 京滞在の士を取り締まり諸藩で召し抱える際の生国・姓名・年齢を届けさせる通知

    人心動揺の中で身元不正の浮浪とされた者や無故に京へ居続ける士を厳重に取り締まるよう命じる。朝家のために尽力する志を認めつつ、過激な議論・暴行や官家への不当な立入り等を問題とし、十万石以上諸藩が召し抱えて志を遂げさせ、各藩で無謀過激な行為を防ぐよう求める。召抱え時には生国・姓名・年齢を記して届ける但書…

  33. 追録8-No.458 関所・江戸出入に調印書付を求め、御供等の名目や不要出府を取り締まる二通知と副書

    三内容の通知群。御上洛の留守中は関所と江戸の出入口・宿・番所での確認を厳重にし、来る正月十日までの遠国からの出府者に限って、主人・領主等の調印書付により日限・怪しい事情や説明を確認するとする。次の詳告は来る廿五日から、万石以上の家来往来に月日・人数を明記した調印書付を求め、本道以外の通行や強引な通行…

  34. 追録8-No.459 救助貸付の活用と火災後の貸金の利足引下・年賦等を通知し関係役へ協議させる記事群

    四内容。万石以上の近年の費用増加を踏まえ、貸付金を救助や利金による仁恵の用途へ向ける方針を述べる。続く十二月通知は火災後の出費が多いため、馬喰町の貸付金で去る未年以前の借受分は利足を年五分へ引き下げ、元金を二十八年賦で返納するとする。天保度の御主法替に伴う無利足金とその後の滞納元利金には、去る戌年ま…

  35. 追録8-No.460 浮説と政治混乱を憂え皇国の基礎・綱維を立て直すよう願う九侯建白

    九侯建白。宮の場で浮説が起きたことを驚き、宮が国のため尽力していることへの感服と依頼を述べる。皇国の危機と臣下の心痛、邪説や離間の策略、忠義に尽くす者が疑われることを憂え、和漢の例でも明らかな国家の安危を踏まえ皇国挽回の機会を失わず綱維と基礎を立て直すよう願う。九人の名を列記し、文久三亥十二月七日で…

  36. 追録8-No.461 前年の英国船対応を称えた天皇の馬・判金賞と幕府の大小賞を記す家譜記事

    島津氏家譜。元治元年正月、天皇が軍功を賞して御馬一匹を賜り、前年七月の英国船来航時の対応と神州の威武を称える勅を下したと記す。茂久は在国していたが旨を伝えて賞し、家臣の尽力にも判金十枚を賜ったとする。実父久光・茂久の二代で恩を受けたと述べ、二月には幕府が大小二刀を賜り藩屏の任を尽くした労を賞したと記…

  37. 追録8-No.462 京師の戦闘、勅書と移鞍賞、長州追討・三家老の処罰を記す家譜記事

    七月に長州家老らが兵を率いて京師へ来て九門を守る諸藩兵に対し、十九日に砲撃して蛤・中立の二門を襲ったと記す。官軍が敗れかける中で薩摩兵が側面を撃ち勝ち、残兵を追ったという叙述を載せる。九月に茂久へ勅書と「御移鞍一具」を賜って家臣の戦功を賞し、十一月には幕府が茂久を筑豊の府に出して毛利氏を討たせ、降伏…

  38. 追録8-No.463 照国之神の忠義・学問と政務への功績を称え従一位の位を告げる御告文

    白木御文書十一番箱中百三十二番、包紙に御告文とする。天皇の大命として照国之神の忠義、皇国の大道を根づかせる志、学問と子弟への教育、朝廷政務への尽力を称え、従一位という御位を告げて安らかに受けるよう述べる。正文の年月日はなく番号の順で収録したと注記する。編注は斉彬の従一位追贈を明治二年十一月とし、この…

  39. 追録8-No.464 神社仏閣修造・農事・年貢収納を命じる茂久の三条吉書

    白木御文書十一番箱中拾三番の吉書。神社仏閣の修造を行うこと、農事に専念すること、国々の年貢を徴納することの三条を命じる。文久四年正月十一日、茂久御判。年号は原文の文久四年を保持し、元治元年へ置き換えない。三条と原発給三通を同一視しない。

  40. 追録8-No.465-1 仮の扶助金を渡す折合いは時日を延ばす一時の措置と説明し武備・文武を求める伝達

    英国との折合いは重大であり、御両殿が大小軽重を考えて一時の権道として時日を延ばす措置を取り、仮に扶助金を渡すと申し渡したことを、国家の大志を定めるまで一時忍ぶ説明として伝える。御別紙の趣旨に従い海岸武備と文武の修練を進め、各職掌で成功を図るよう求める。正月、大藏・摂津・但馬の三署。金額や折合い完了を…

  41. 追録8-No.465-2 時日遷延・扶助金の方針、二人の出府と幕府相談を述べ一統に励みを求める通知

    御両殿が英国との折合いを重大と考え、一時の権道によって時日を延ばすという御願を淡路守に伝え、樺山舍人・能勢二郎左衛門に趣旨を言い含め出府させたとする。国許への廻船も難しい事情があり、幕府に相談して仮扶助金を渡す旨を伝えたことは本来の大志を変えるものではなく、危急の時に一時忍ぶ措置として海岸武備・文武…

  42. 追録8-No.465-3 犬追物の日に御用をかたる犬の買取り・品物交換などを禁じ取締を命じる通知

    犬追物の式日に郷犬を引き越す者へ押しかけて犬を買い受け、品物を交換する者があるとの話を受け、当時の士風に沿わず不可然として、そのような行為を一切しないよう命じる。当座は別に取締掛を設けて厳重に扱い、支配下へも周知させる。元切片で欠けていた次段右端の「子正月」を補収して確認した。犬追物の手順や取締実行…

  43. 追録8-No.466-1 赤間関で砲撃した船が薩摩船だったとの風説について真偽と返答を求める書状

    七名連署の書状。修理太夫の安否を尋ね、去る廿四日に赤間関沖へ外国船一艘が来て合図を打ったが、船が無沙汰に夜入って砲臺前へ寄り急襲と考えて砲撃したと述べる。出張者の注進と、取扱いについての風説の中に薩摩の御手船だったという話があるため、真偽を確かめたいとする。もし誤りなら極めて重大なので一人を遣わして…

  44. 追録8-No.466-2 長崎製鉄所の預受汽船の航行・被砲撃と焼失の報告を長州側へ返す書状

    前条への返書。旧臘廿四日に赤間関沖へ来た外国船が御手船だったとの風説の照会について、長崎製鉄所から預かった蒸気船が損傷の修復のため兵庫から長崎へ向かい、旗章を立てていたと説明する。長州臺場から激しい砲撃を受け、小倉領の江村青濱沖へ戻り碇泊中、釜屋から出火し焼失したとの乗組員の報告を伝える。まず事実を…

  45. 追録8-No.466-3 去夏に上京を命じた図書を今回は出京させると関係者へ伝える通知

    嶋津圖書は去夏に上京を命じられていたが、このたび出京させると命じたので、向々へ知らせる正月摂津の申渡。正月十七日に向井新兵衛から御役名へ触れて伝えたとの注がある。正文の年号はなく、去夏の上京命令と今回の京都からの出立指示、伝達日を分ける。実際の出立・帰着日は補わない。

  46. 追録8-No.467 内外の危機を憂え自責を述べ、忠実な諸侯の尽力と国家再建を求める勅書

    文久四年甲子正月廿一日の勅書。小御所に大臣・公卿が列座し、大樹と列藩四十八人へ示した由、尹宮の席で拝読して回覧後に元へ納めたと冒頭に記す。天皇は内外の政治秩序が崩れ人民が苦しむ危機を憂え、自分の罪と悲嘆を述べ、忠実な家臣の尽力、国家回復と人民救済を求める。會津・越前・伊達・土佐・島津の将らを挙げなが…

  47. 追録8-No.468-1 三郎の朝議参預と従四位下左近衛権少将を知らせ祝儀登城を命じる通知

    去る十三日に京都で三郎を朝議参預に命じ、従四位下左近衛権少将の推任叙宣下の勅許が届いたので、諸士は明十五日四時に登城して家老・太守・三郎へ祝儀を相談して述べるよう求める。正月、大藏・摂津・但馬の三署。続く五番組方川上右膳の伝達は、正月十四日に坂本十郎太と支配中へ早く通知するよう求める。正文の年号はな…

  48. 追録8-No.468-2 新上橋の家作、図書の山野地からの蔵用地、三郎と斉宣の官位取扱いを伝える三内容

    三内容の雑集。新上橋の鋳物方家作の御作事が済んだので、地面へ掛ける穀物代を調べ申し出るよう求める。次に圖書殿持切の在馬關田の山野地の一部を貢幸組の御蔵用地とし、領主へ伝える条で、子正月十四日松岡十太夫が承知したとの注。第三は三郎の官位推任叙の勅許と、斉宣公の正四位上への昇進について、諸事の例による取…

  49. 追録8-No.468-3 普請掛の役務・交代時の定数を定め、汽船焼失の説明と上京報告・慎重な対応を求める通知

    二内容。櫻島郷地頭所の中山次左衛門・土山十郎に係る見廻り・神瀬と燃崎臺場普請掛の働きを認め、重組頭として定式方や外組頭同様の取扱いを命じる。以後の交代でも人数を新たに召し入れず定数内で取り計らい、地頭・郡奉行へ伝える北條織部取次の条。次は長崎製鉄所から借受けた汽船が長州臺場から砲撃され、小倉領で焼失…

  50. 追録8-No.469 久光の朝議参預・英艦対応の功への叙位任官と天皇・家茂からの賞賜を記す記事

    御系図「玉里久光公」の記事。元治元年甲子正月十三日に朝議参預の労を賞して従四位下・左近衛少将へ叙任したと記し、同月に御所へ太刀一腰・黄金五枚を献じたという。十七日は勅召に応じ皇城で天皇に拝謁し、天盃と、前年七月の英艦への対応を神州の威武を示す働きと評価する勅語、御馬一匹の賞を受けたとする。馬の鞍と家…

  51. 追録8-No.470 島津久光を従四位下に叙する口宣案

    文久四年正月十四日、源久光を従四位下に叙する宣旨の口宣案。上卿は坊城大納言、奉者は蔵人頭右大辨藤原経之と記す。冒頭は玉里へ現書を引き譲った文書のうち「舊御番所四番十三番」とし、裏面の口宣案表記も収める。朝議参預や英艦対応への褒賞の叙述ではなく、位階を示す文書である。

  52. 追録8-No.471 島津久光の功績を述べ従四位下を授ける位記

    源朝臣久光に従四位下を授ける文久四年正月十四日の位記。兵欄に節を表し羽衛で勤め、精誠を怠らず夙夜公に在るとして、栄爵を授け主者に施行を命じる。織仁親王の宣、卜部教久の奉、藤原資生の行をはじめ、大納言・中納言の名書、三條齊敬の関白関与、中原師身の右中辨記載を収める。徳大寺公純・近衛忠房等の官位、久光へ…

  53. 追録8-No.472 島津久光を左近衛権少将に任じる口宣案

    文久四年正月十四日、従四位下源久光朝臣を左近衛権少将に任じる宣旨の口宣案。上卿は坊城大納言、裏面に口宣案、奉者に蔵人中務少輔藤原資生を記す。同日付の従四位下叙位文書とは、授ける位階と官職の内容が異なる。

  54. 追録8-No.473 島津久光を左近衛権少将に任じる宣旨

    従四位下源朝臣久光を左近衛権少将に任じる文久四年正月十四日の宣旨。正二位行権大納言藤原朝臣俊克の宣として任官を勅し、大外記兼助教中原朝臣師身が奉じる。直前の口宣案と同じ任官を示すが、宣旨の官位・奉者の記載をそれぞれ保持する。

  55. 追録8-No.474 島津少将の位階と上卿・職事を列記する書立

    「同上」として、嶋津少将の従四位下、上卿坊城大納言、職事中御門頭右大辨、少将の上卿坊城大納言、職事勘解由小路中務少輔を列記する書立。位階・任官に関係する上卿と職事の組合せを記す本文で、ここに独立した年月日はない。前条との同上関係は保持し、明記のない人物名や日付を追加しない。

  56. 追録8-No.475 島津久光を大隅守に兼任する口宣案

    文久四年二月一日、左近衛権少将源久光朝臣に大隅守の兼任を命じる宣旨の口宣案。上卿は坊城大納言、裏面に口宣案、奉者に蔵人頭左中辨藤原豊房を記す。正月十四日の左近衛権少将任官を示す文書と、二月一日の大隅守兼任を示すこの文書を区別する。

  57. 追録8-No.476 島津久光に大隅守の兼任を命じる宣旨

    左近衛権少将源朝臣久光に大隅守の兼任を命じる文久四年二月一日の宣旨。正二位行権大納言藤原朝臣俊克の宣、大外記兼助教中原朝臣師身の奉を記す。左近衛権少将の官を記した上で大隅守を兼ねる命令であり、口宣案とは別に宣旨の記載を収める。

  58. 追録8-No.477 島津大隅守の上卿・職事と朱書日付を記す書立

    「同上」として、嶋津大隅守の上卿を坊城大納言、職事を清閑寺頭左中辨と記す書立。文久四年二月一日の年月日は朱書として収める。直前の大隅守兼任の口宣案・宣旨に関係する上卿と職事の記録で、任官命令の正文や関係者の個人名を補わない。

  59. 追録8-No.478 英艦への対応を称え茂久と家臣へ天皇・家茂が賞賜したと記す記事

    御系図「忠義公」の記事。元治元年甲子正月十七日、天皇から御馬一匹を賜り、前年七月の英艦への対応を神州の威武を示す勲労と称える勅語を受けたと記す。在国の茂久へ特旨で賞し、家臣の働きにも判金十枚を賜ったとし、実父久光が茂久に代わって朝恩を拝受したという。二月二十二日には松平甲斐守の申代により茂久が二条城…

  60. 追録8-No.479-1 政治危機への自責を述べ将軍・諸大名に武備充実と政務刷新を求める詔勅

    文久四年甲子正月の詔勅。嘉永六年以来の外国船来港と人民の困窮を憂え、自らの不徳を責める。幕府の処置や昨春の上洛・攘夷の命、長門宰相・實美等の言動を批判的に述べるが、危機を天皇自身の責任として捉え直す。全国の力を合わせ、海防の要津と要港を固め、砲艦を整え、朝廷の冗費と諸大名の参勤を減らし、妻子を領国へ…

  61. 追録8-No.479-2 家茂が幕府の過失を謝し横浜鎖港・海防と政務改革への尽力を誓う勅答書

    家茂が「臣家茂」として天皇へ答える書状。去月十七日に拝見を命じられた宸翰の自責に感泣し、幕府従前の過失と自分の不肖、内外の混乱を謝する。昨春の上洛時の攘夷命令と横浜鎖港談判が未達であったことを認め、再び上洛して厳しい叱責を受ける覚悟を述べる。諸侯と協力して旧弊を改め、冗費を省き、武備・内政・摂海防禦…

  62. 追録8-No.479-3 横浜鎖港の答書を明確にし武備・要港防禦の成功を求める朝廷沙汰

    去る十四日の勅答書では横浜鎖港への御請が明確でないため、一橋中納言に訊問し、鎖港の成功を奏するようさらに書取で言上したと記す朝廷の沙汰。横浜鎖港の実現、諸国の兵備充実、外国からの軽侮を絶つことを求め、とくに摂海の要港を速やかに固め人心を安んじ、征夷の実を挙げるよう命じる。孝明天皇紀による本文補正注を…

  63. 追録8-No.480 久光の大隅守兼任と家茂による御馬・御刀の賞賜を記す記事

    御系図「玉里久光公」の記事。元治元年二月朔日に宣下され大隅守を兼任したと記す。二十二日は召しに応じ二条城へ登り、閣老水野和泉守忠精を通じ、邦家に尽くす久光の働きを家茂が深く感じたとして御馬一匹を賜ったという。その後御座之間で家茂に謁し、懇切な言葉とともに御刀備中国直次一腰を親しく賜ったと記す。叙任と…

  64. 追録8-No.481 茂久の領地・石高・親子関係と御明細書の収納を記す明細書

    白木御文書十一番箱中の十五番と記す明細書。安政六年未二月七日、従四位下少将松平修理大夫茂久について、薩摩国一円を本国とし、大隅国一円、日向国の内、琉球国を列記し、石高六十万五千石余と「外」十二万三千七百石を別に記す。生国薩摩、居城薩州鹿児島、養父故薩摩守齊彬、実父は同人弟嶋津三郎、亥二十三歳の記載を…

  65. 追録8-No.482 英艦への対応を称え島津少将久光へ鞍置御馬を賜う賞賜書

    島津少将久光に対し、昨年七月に薩摩国鹿児島へ英艦が渡来した際、速やかに対応して神州の威名を損なわず格別に尽力したと聞き、鞍置御馬一疋を賜うと記す賞賜書。元治元年甲子正月十七日の年月日は朱書として収める。玉里へ現書を引き譲った文書のうち白木十二番箱二番に属すると冒頭に記す。英艦への対応と功績の評価は賞…

  66. 追録8-No.483 国家への尽力を称え久光へ鞍置御馬を賜い精勤を求める書付

    嶋津大隅守久光に対し、年来の国家への働きと当節の尽力に満足しているので鞍置御馬を与え、さらに精勤するよう求める書付。元治元年甲子二月廿二日は朱書として収め、裏面に嶋津大隅守宛の表示がある。玉里への現書引譲のうち白木十二番箱八番の文書で、目録は幕府沙汰書とする。具体的な英艦対応だけを理由として列記する…

  67. 追録8-No.484 鞍置御馬の毛色・年齢・寸法等を記す毛附

    「同上」の覚として鞍置御馬について「陳ケ森栗毛」、六歳、四寸五分、仙臺立と記し、以上で結ぶ。元治元年甲子二月という年月と、包紙の御馬毛附の表示は朱書である。前条の賞賜書に続く馬の特徴書で、年齢・寸法等は原語のまま示す。仙臺立や陳ケ森の意味・現代地名への対応、寸法の測定基準はこの記載だけでは確定できな…

  68. 追録8-No.485 賞賜御馬の鞍・鐙・手網など九品目を列記する道具目録

    「同上」の覚として九品目を列記する御道具目録。浪に碇・千鳥模様の御鞍一背は宮備中守時道作とし、塗御鞍同前の御鐙一足も同人作とする。御手網は晒染一筋、手鋤は紅糸一掛、押掛は紫守山一掛、御紋附の御馬衣は花色絹一疋分、御紋附の轡は十文字一間、泥障は熊一刺、切附は一口と記す。元治元年甲子二月と、包紙の御道具…

  69. 追録8-No.486 用事の際に御用部屋へ出頭するよう久光に求める書付

    嶋津大隅守に対し、御用がある時には御用部屋へ出頭するよう命じる書付。文久四年子二月十六日は朱書で、同日の二条御城において御老中有馬遠江守から別紙の件を承知したとの注を持つ。冒頭は玉里へ現書を引き譲った文書のうち白木十一番箱十六番と記す。具体的な用件やこの指示後の出頭実績は記載されない。

  70. 追録8-No.487 久光の朝議参預と従四位下左近衛権少将の推任叙・宣下を伝える書付

    島津三郎久光に対し、不容易の時節のため朝議参預を命じ、それにより従四位下左近衛権少将へ推任叙し宣下したと伝える書付。元治元年子という年号・干支は末尾の朱書で、月日は記されない。玉里へ現書を引き譲った文書のうち白木十一番箱十七番に属する。参預の命令、位階・官職の宣下を簡潔に通知する正文で、他の宣旨や系…

  71. 追録8-No.488 久光が朝廷の政務体制を安定させ諸侯の上京後に大策を決めるよう求める建白

    嶋津三郎が、再三の勅命で上京して京都と四方の情勢を見たとして述べる建白。内外の危急と人民の困窮を憂え、去年以来の大政・官武の変革、とくに八月十八日の変動とその成行に天皇を悩ませたことを臣子の罪とする。公卿が天下の情勢・人情を見極め、永続する基本を立て、朝令夕改や軽率な命令を避け、遠大な志によって皇国…

  72. 追録8-No.489 久光が武備充実と摂海守備を先行させ幕府の一定した方針を求める建白

    在執事方帳留中の「幕府に御建白」。外国勢力への対応と人民救済という方針は尊重するが、摂海では砲艦に対する砲台も陸戦の備えも乏しく、禁闕保護と京畿警衛も十分でないとして、まず全国の力で海陸の備えを固めるよう求める。嘉永癸丑の入港以来、十年を経ても内備が十分に進まなかったと批判し、一時の評判にとらわれず…

  73. 追録8-No.490-1 横浜鎖港・武備充実と鎖港への答書明確化を求める御所書付の写し

    「御所より被仰出御書付之写」とする二内容。第一は横浜鎖港を実現し、諸国兵備を充実して外国からの軽侮を絶ち、とくに摂海の要港を迅速に固め、国の守禦と人心安堵、征夷の実を求める沙汰。次に二月の記載を挟み、去十四日の勅答書では横浜鎖港の御請が明確でないため一橋中納言へ訊問し、鎖港成功を奏する書取の言上を受…

  74. 追録8-No.490-2 家茂が横浜鎖港成功への尽力と沿海武備充実を再び申し上げる受書

    「御受被仰上御書付」とし、臣家茂が、去る十四日に提出した勅答書の横浜鎖港について御請が不明との指摘と沙汰を承知したことを記す。鎖港の見込みがあり、すでに外国へ使節を派遣することにしているので成功に努めると述べ、さらに聖諭のとおり無謀な攘夷をせず沿海の武備を充実する旨を再び申し上げる。正文に発給年月日…

  75. 追録8-No.491 御書院での御筆拝見と写置日を記す本文省略条

    雑集中の短い記録。子二月十九日、御筆を御書院へ出して拝見を命じたとし、子三月十四日に写し置いたと記す。御筆の本文は四九八号文書と同文のため略すとの注があり、この条には本文を収めない。参照先の第498号は久光が官武一途・摂海守備と武備の徹底を諭す御筆で、文久四年甲子二月十九日の仰出とする後記を持つ。こ…

  76. 追録8-No.492 摂海守備を第一として具体策の意見を求め御筆の趣旨を伝える通知

    丹波・摂津・但馬の三署による三月の通知。外国対応についての朝廷の意向と官武一途の方針を受け、少将が幕府へ建言したことを伝える。当面は摂海守備を第一とし、攘夷・開港・鎖港等の議論だけに紛れず、守禦と征夷の具体策を提出するよう求める。京都で少将の御筆により天下後世までを考えた深慮の趣旨を示したので、趣旨…

  77. 追録8-No.493-1 少将の参内・賞賜と太守への賞を報告し各身分に祝儀を命じる通知

    少将が先月十七日に参内し、太刀一腰・黄金五枚を献じ、天盃を受け、前年の英艦対応への尽力を称える勅書と鞍置御馬一疋を賜ったと報告する。近衛の衣冠への召替、公卿との対面、伝奏野々宮宰相中将を通じた伝達も記す。在国の太守にも裸背御馬一疋、家中の尽力に判金十枚を賜い、少将が勅書を拝受したという。関白・伝奏・…

  78. 追録8-No.493-2 少将の大隅守兼任に伴い官名の字と同唱の文字への配慮を求める通知

    少将が大隅守の兼任宣下を受けたため、その大字と同唱の文字には配慮するよう求める二月但馬の通知。表方へ伝達し奥掛御勝手方にも知らせ、諸郷・私領へも申し渡すと記す。子二月十九日の申渡注を持つ。官名に係る文字・同唱への扱いを示す史料で、具体的な改名例や実施状況は記されず、表記規制の範囲を独自に広げない。

  79. 追録8-No.493-3 京都での大隅守兼任宣下と口宣案拝受を伝える通知

    少将が京都で去る朔日、伝奏坊城大納言を通じて大隅守の兼任宣下を受け、同三日巳刻に口宣案を拝受した知らせが到来したので承知するよう求める二月大藏の通知。表方、奥掛御勝手方、諸郷・私領へ知らせると記す。末尾は文久四年甲子二月十九日、向井新兵衛が役名へ伝達して承知したとの注。宣下、口宣案の拝受、通知到来、…

  80. 追録8-No.494 少将の二条城登城・拝謁と賞を報告し身分別の祝儀を命じる通知

    少将が先月十九日京都の二条御城へ登り、老中酒井雅楽頭からの招きにより松平春嶽と伊達伊豫守と共に四ツ時に供揃して登城したと報告する。御書院で一橋・松平大和守らと会い、前年以来の尽力を評価する上意、菓子や吸物、膝元で親しく受けた手酌の盃と御膳、退出時の酒井への礼を記す。続いて明後十三日四ツ時、一門・圖書…

  81. 追録8-No.495 拝領御馬を京都九門内で参内行列の先箱先に牽く許可を知らせる通知

    少将が京都で拝領した御馬について、今後参内する時に九門内で牽いても差し支えないとの勅許を、野々宮宰相中将が伝えたとする通知。そのため御行列の御先箱先で馬を牽く等の扱いを向々へ申し渡すと記す。二月大藏、正文は二月十一日に通達したとの注を持つ。御馬を牽く行列上の許可を示すもので、九門内での一般的な騎乗許…

  82. 追録8-No.496-1 松平大膳太夫父子への詰問と不服時の征伐準備・諸侯の役割を伝える書付

    松平修理大夫への通知。松平大膳太夫父子へ詰問し、万一承服しなければ征伐するため、討手の人数を出す準備をするよう内意を伝える。阿波徳島、因州鳥取、芸州広島、肥後熊本、豊後小倉、備後福山、播州龍野、備前岡山、出羽松江の諸侯と石高を列記し、紀州和歌山の紀伊中納言を御名代、奥州会津を副将と記す。松平肥後守と…

  83. 追録8-No.496-2 諸郷の先手六組と島津周防名代下の惣物主を定める書付

    諸郷の先手を六組に分け、蒲生の物主を川上八郎左衛門、国府を川上左太夫、志布志を福崎助七、大口を山田大炊、隈之城を野村勘兵衛、水引を上原藤太夫とする割当書。これらの先陣備の惣物主町田民部を、御名代島津周防へ召し付ける旨を申し渡す。二月摂津、甲子二月廿八日の申渡注。地名・組と役名・担当者の対応を示すもの…

  84. 追録8-No.496-3 御旗本・物主隊・番号隊と人員を配置した長州征伐編成図

    長州征伐に付く御備立の図で、甲子三月に写したと記す。中央に御旗本・御名代嶋津周防を置き、六つの物主隊と、北郷数馬・仁禮舎人・田尻務・嶋津織之介・川上右膳・嶋津權五郎の一~六番号隊を配置する。物主隊には小銃・大砲の区分と各百七人、番号隊には各百五十六人の記載がある。大目附町田民部、小荷駄奉行市来次十郎…

  85. 追録8-No.497 長州征伐の役職別人数・給与と従卒を定める書付

    長州征伐に付く役職別の給与・従卒の規定で、甲子三月に写し置いたと記す。家老一人には卒十五人、小荷駄二疋と主従までの扱い、家老座書役三人、軍役方家老座二人には一人につき二貫目・卒五百目等を記す。用達、大目附、右書役、側役、書役、軍役奉行・旗奉行・玉薬奉行・使番・目付・軍賦役、兵粮奉行・普請奉行・人馬奉…

  86. 追録8-No.498 久光が官武一途と摂海守備を重視し武備を徹底するよう諭す御筆

    少将の京都での書付一通として収める御筆の写し。外国対応では官武一途を根軸とし、幕府と列藩が死力を尽くすよう述べ、当面は摂海要港の厳重な守備が急務であるとして、幕府へ建言したことを示す。守禦の成否は人命に関わり大事に至るので、方略があれば遠慮なく申し出るよう求める。攘夷・開港・鎖港論に紛れて意図を取り…

  87. 追録8-No.499-1 用事の際に御用部屋へ出頭するよう少将に伝えた指示を周知する通知

    少将に御用がある時は御用部屋へ出るよう、先月十六日に二条御城で御老中有馬遠江守が伝えた知らせが到来したので、一統が承知するよう向々へ通知する書付。三月但馬、中村新介取次で申し渡したとの注を持つ。二条城で少将へ出された指示と、その後の国内への周知を分ける。具体的な御用や出頭実績は記されない。

  88. 追録8-No.499-2 米穀払底の折に焼酎製造高・石数の制限を厳守させる通知

    当地・諸郷・私領の焼酎屋について、造入高や石数を定めて増造しないよう昨年から申し渡していることを確認する通知。米穀が払底している折であるため、規制を緩めず、当地の横目と諸郷・私領の締方横目が厳密に取り締まるよう求め、関係の向々へ伝える。三月丹波、甲子三月三日に向井新兵衛取次で申し渡したとの注。具体的…

  89. 追録8-No.500 太守の名代と少将への二条城賞賜を報告し祝儀登城を命じる通知

    太守に御用があるため一類を名代として二条御城へ登らせるよう命じられ、先月二十二日に水野和泉守が伝え、松平甲斐守が名代登城したと報告する。太守の年来の国家・藩屏の任への尽力に満足したとして、刀・脇差を賜い精勤を求めたという。同日登城した少将にも、国家への尽力と当節の働きを称え、鞍置御馬、菓子、目見、懇…

  90. 追録8-No.501-1 松平肥後守・春嶽の役職命免と春嶽の改名を知らせる通知

    三月但馬の通知に三内容を収める。第一は松平肥後守に軍事総裁を命じ京都守護職を免じたという記載、第二は松平春嶽に京都守護職を命じたという記載で、以上を先月十五日に公義が申し渡したとする。第三は春嶽が松平大藏大輔へ改名したという記載で、公義の申渡として京都で伝えられた知らせを向々へ周知する。役職の命免と…

  91. 追録8-No.501-2 島津図書に旅行時も金紋先箱を持つよう許可したことを知らせる通知

    嶋津圖書について、御續柄が別段であるため、本人が旅行する時も金紋先箱を持つよう許可する件が先月廿四日に京都で命じられたとの知らせが到来したので、向々へ通知する。三月但馬、甲子三月十一日の通達注を持つ。図書の特別な続柄と携行する先箱の許可を示し、実際の旅行・携行履歴や他の人物への適用は記されない。

  92. 追録8-No.501-3 帰国許可者を御用のため急派する名書と発足・到着記録を伝える書付

    樺山市郎・鎌田郷左衛門・川上平九郎・有馬藤太・井上直次郎ら、帰国を許可された者の名書。御用があるため来る廿日に急いで当地へ差し立てるよう命じる三月式部の書付で、名書は三列に二十六名を列記する。続く注は十七日に命じ、廿日子刻に発足するよう申し合わせたことと、甲子四月二日・三日に追々着いたことを記す。有…

  93. 追録8-No.501-4 長州征伐の先手六組と惣物主高橋縫殿を定める書付

    諸郷御先手を六組として列記する書付。川邊の物主は児玉佐平次、樋脇は圖師崎良助、高城は長束十郎、高山は山城新右衛門、大崎は益滿與右衛門、清水は武宮十五衛門とし、惣物主は高橋縫殿とする。高城郡の添記と「イ一陣」の表示も収める。四月三日、長州征伐に付いてこのとおり重ねて命じたとし、甲子四月五日の写置注があ…

  94. 追録8-No.502-1 長州が承服しない場合の討手準備と高橋縫殿の島津常陸名代への付属を指示する書付

    高橋縫殿に対し、幕府が長州へ詰問し、万一承服しない場合は征伐する考えであるため、その際に討手人数を出せるよう内意を示す書付。御名代嶋津常陸へ付属させることを命じたので、関係の向々へ申し渡す。四月丹波、子四月三日向井新兵衛取次の申渡注がある。不服を条件とする準備と名代への配属指示であり、この条だけから…

  95. 追録8-No.502-2 一橋中納言の京都守衛総督・摂海防禦指揮と後見職免除を知らせる通知

    一橋中納言を京都守衛総督・摂海防禦指揮に命じ、後見職は内願によって免じるという通知。大樹が京都にいる間はこのとおり心得るよう御所から命じられたとし、京都の御老中酒井雅楽頭から伝えられた知らせが到来したので向々へ周知する。四月丹波、子四月八日の申渡注。任命・免除と国内への伝達を記す書付で、実際の指揮や…

  96. 追録8-No.503-1 菜種子の余剰売買と過当な直成・抜売を厳しく取り締まる通知

    領国中の菜種子について、元本石数を滞りなく取り納めることを前提とし、余分な作得がある者は相当の直成による売買をするよう求める。抜売や過当な直成での売出しをしないことは先年来申し渡しており、緩疎なく取り締まるとする。心得違いがあれば許されないとして、一層厳重な取締りを受持掛郡奉行へ命じ、関係の向々へも…

  97. 追録8-No.503-2 京都守護職・軍事惣裁職・摂海臺場掛の担当を列記する名書

    京都守護職に松平大藏太夫、軍事惣裁職に松平肥後守、摂海臺場掛に折田要藏を列記する名書。要藏の件は先に幕府の御老中・若年寄が列席する場で演説し、各意向を踏まえて幕府が命じた旨を記す。正文に年月日はなく、職名・担当者と命旨の記録として読む。大藏太夫の官称を他条の大藏太輔・大藏大輔へ一律に書き換えない。

  98. 追録8-No.504 松平肥後守・越前守・大藏太輔の役職書付三通を領内へ伝える通知

    京都からの公義書付三通を伝える通知。第一は松平肥後守へ京都守護職を命じ、軍事総裁職を免じて以前のように精勤するよう求める四月七日の書付。第二は同日、松平越前守へ京師の非常時の応接を命じ、松平大藏太輔と相談して勤務するよう求める。第三は松平大藏太輔の免職願について、やむを得ない事情として願いどおり役職…

  99. 追録8-No.505 久光の朝廷拝謁と従四位上左近衛中将への叙任を記す記事

    御系図「玉里久光公」の記事。元治元年四月十一日に召しに応じて登闕し、天皇に拝謁して天盃を賜ったとする。伝奏野宮中納言を通じ、帰国を告げられ白布等を賜ったこと、壬戌以来の参預・廷議に努め官武一和の基礎を立てた功を評価する勅語を伝え、従四位上・左近衛中将へ叙任したと記す。参預の功績評価と叙任は系図の叙述…

  100. 追録8-No.506 茂久に日州細島の地を預領させる旨を記す記事

    御系図「忠義公」の元治元年四月十六日の記事。大家から、茂久に日州細島の地を預領させる旨を命じたと記す。「預領」という取扱いを示す短い記録で、領地の永続譲渡、面積・石高や実際の引継ぎ状況は記されない。命令の主体は原記載の大家として示す。