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追録8の目録
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追録8-No.141 調所広郷申渡書(分地・借銀返上等)
給地高改正に伴う分地・別立と借銀返上を扱う本文群。無禄の家が難渋して本家も衰微し家の産業を失うことを防ぐため、御小姓興で継高五石以上を分地する願いを認め、寄合以上や小番・新番・御小姓興の二男以下の別立では、本家持高のうち五十石以上を分地・附属する願いを認める。郷士の所高五十石持越と御小姓興の養子願い…
追録8-No.142 調所広郷申渡書(名寄帳の催促)
給地高改正に伴い、他人へ名義を頼んで所務米を取納する者や、無故に他人の名寄を格護している者は、四月中に勤定所へ名寄帳を出すよう命じていたが、未提出があり、軍賦に支障するため早く提出するよう催促する申渡書。来る中日までに必ず出し、幼少・旅行の者は親類が取り計らい、上蔵等で保管している者は高取揚とする扱…
追録8-No.143 調所広郷申渡書(秋の取納帳面)
給地高改正に伴う秋の出米上納について、持高に応じ何石をどの方・門から納めたいか帳面で確認し、来月十五日までに高奉行へ必ず申し出るよう求めた申渡書。既に高を買い入れた者は本高主から庄屋へ取納の問い合わせを受けたことを踏まえ、郡奉行方へも来月十五日までに帳面を確認して申し出るよう指示する。高直願出の御免…
追録8-No.144 斉興改革期間ヲ二年延期ス
国家財政改革が翌年で終わる予定であったが、外国人の琉球来着、海防・根運の官を助ける費用、江戸邸館の造営と国内の土木費が多大であり、さらに大坂で新たな債務を負ったため、改革期間を二年延ばすことを記す。家老へ以下のとおり告げたとして、具体的な書付は続くNo.145に収める。根運の官の具体的な意味は原語と…
追録8-No.145 斉興改革期間二年延期仰出書
来酉年までに財用改革を成就する予定だったところ、二年延長するよう家老中へ命じた書付。昨年夏の委曲どおり改革は累年の方式で進めてきたが、琉球国の困窮を厚く救い、西洋人の渡来が多いため軍役を整え、人数・米の運送に費用がかかり、海岸防禦の手当も莫大と述べる。琉球人の参府、上使に関する当地の仮居と文化期の類…
追録8-No.146 斉興参府ス
嘉永元年八月二十一日に斉興が鹿児島を発ち、十月十一日に江戸へ着いた参府の記事。十三日、大家の上使牧野備前守忠雅が参府を問うた。十五日に斉興が登城して参府の礼を述べ、例のとおり懇命を受けたと記す。
追録8-No.147 海岸防禦手当書
軍役人数・飯米・馬・旗印と東西海岸防禦の手当を定める本文群。知行百石につき従卒二人・主従三人を出役させ、端高や一人前に不足する引足は小高無高の諸士へ配当する。病気幼少の高持や寺領からも家内の者が出役する。陣中飯米は五十石以上三合、四十九~三十石二合、二十九石以下は御物御構とする。寄合以上から無格小番…
追録8-No.148 篤之助斉彬系譜抄
斉彬公の子の系図から篤之助の条を収める。男女六人の表示があり、篤之助は嘉永元年十一月二十三日に生まれ、母は伊集院兼珍の女とする。嘉永二年六月二十二日に夭折し、法名は篤入院殿実相起信大禅童子と記す。脇注は六月二十一日を忌日とするため、本文の没日と忌日を区別する。
追録8-No.149 島津久武外三名連署知行目録
海老原宗之丞へ高五十石(原文五拾斛)を与える知行目録。鹿児島小山田村、市来湯田村木下門、谷山五ヶ別府村、曽於郡松永村の内を列記し、名寄帳は別冊とする。改革方を担当して江戸・京・大坂等へたびたび出向き、領内の百姓の年貢上納と高格護を整え、調所笑左衛門の諸郷巡回に付き添って勤務したことを賞する。離散した…
追録8-No.150 斉興御鷹ノ鶴ヲ拝領ス
嘉永元年十二月二十二日、大家が上使松平久之丞を通じて、御鷹の鶴を斉興へ賜ったことを記す記事。上使の実名は本文に記されない。
追録8-No.151 斉興告ヲ賜ハリ帰国ス
嘉永二年正月二十五日、上使松平伊賀守忠優が帰国を告げ、例のとおり品物を賜った記事。大将家定公からも上使久世大和守広周を通じて品物を賜った。二十八日に斉興が登城して謝礼を述べ、懇命を受け、馬を例のとおり賜った。二月四日に江戸を発ち、三月二十四日に鹿児島へ着いたと記す。本文の大将家定公の表記を保持する。
追録8-No.152 斉興、祖法ニヨリ軍法ヲ設ク
斉興が藩内に軍法を設けた理由を述べる記事。大中公・貫明公・松齢公の旧制を専ら模範とし、古い制度の良い点を棄てずに取り、当世の士にも忠厚な風法を用いさせたいとする。その意向を家老へ告げるため、詳しい書付を以下に示すと記す。具体的な命令はNo.153に収める。
追録8-No.153 島津斉興達書(軍法・士風)
前年冬に国許の海岸防禦を命じ、先代の旧法を基本として軍法や邸館造営を改めさせた斉興が、家老中へ士風・武道・勤労を求めた仰出書。海防の手当がどれほど進んでも、士気が衰え礼儀・律儀を守る文武の心得を欠けば用に立たず、変事に不覚の振舞いが生じるおそれがあるとする。廉節と廉恥を第一に、武士の本意を失わず、太…
追録8-No.154 虎寿丸斉彬系譜抄
斉彬公の子の系図から虎寿丸の条を収め、儔次郎の名を付す。男女七人の表示があり、虎寿丸は嘉永二年閏四月二日に生まれ、母は菊三郎と同じとし、実母を田宮氏の女とする注がある。嘉永四年三月三日に世子となり、安政元年閏七月二十四日に夭折した。法名は覚法院殿真空自証大禅童子と記す。
追録8-No.155 広敷用人調書(寛之助の母の親姓名)
寛之助の誕生年月日と、実母の親の姓名・実名、他人の養女なら養父の情報も調べるよう命じられ、広敷用人が江戸詰同役へ問い合わせた結果を報告した調書。寛之助の誕生を弘化二年七月二十八日と記す。親の欄では父を御本丸持弓頭・高木内蔵頭組与力横瀬三郎兵衛克己(花押)、母を御本丸御石方奥坊主丹羽恵林の娘と記す。こ…
追録8-No.156 斉興、般若院ニ軍神ノ祠ヲ建ツ
斉興が般若院に軍神の祠を建てさせ、これを祀り広めるため、以下のとおり寺高を付与したと記す記事。具体的な給付は続くNo.157の知行目録に収める。祠の数や軍神の固有名は本文に記さない。
追録8-No.157 川上久封外四名連署知行目録
般若院へ高三百石(原文三百斛)を与える知行目録。帖佐・鹿児島・姶羅郡・阿多・串木野・志布志・財部・高山・串良・山之口・諸県郡・湯之尾・馬越・高原・加久藤・百次の村・門・浮免等を列記し、名寄帳は別冊とする。寺格を昇進して寺家を御取建し、軍神を勧請して後々も御祈祷を命じること、小禄では寺の運営が難しいこ…
追録8-No.158 於郷・於盛久光系譜抄
久光公の子の系図から女子於郷と於盛の条を収める。於郷は嘉永二年八月十六日に重富第で生まれ、母は櫻井玄浄盛命の妹とする。同年十二月十四日に夭折し、法名は梅含玉貌と記す。於盛は島津又之進忠亮の夫人とし、嘉永二年十二月二日に生まれ、実父は島津図書久宝、母は島津大炊貴村の女とする。元治元年四月に久光が養子と…
追録8-No.159 斉興、家定婚礼ノ賀品ヲ賜ハル
嘉永二年十一月に大将家定公が婚礼を行い、二十五日に斉興へ賀品が与えられた記事。上使戸田淡路守と使者古山幸一郎を通じて、御簾中からそれぞれ二種一荷を賜ったと記す。本文の大将家定公と御簾中の表示を保持し、個人名を外部知識で補わない。
追録8-No.160 島津斉興吉書
嘉永三年正月十一日付の斉興の吉書。神社仏閣修造の興行、農事への専心、国々の年貢徴納の三箇条を掲げ、その旨を沙汰すると記す。斉興の御判を付し、白木御文書十番箱中の三十八番上の表示がある。
追録8-No.161 斉興御鷹ノ鶴ヲ拝領ス
嘉永三年三月三日、宿次奉書により斉興へ御鷹の鶴を賜ったと記す一条。受取場所や個別の使者名は本文に記さない。
追録8-No.162 斉興、幕府ヨリ借金ノ許ヲ受ク
この秋に琉球使節を率いて参府する予定のため、斉興が大家へ借金を請うた記事。三月二十三日、嶋津淡路守忠寛が斉興に代わって登城し、借金一万両の許可を受け、用番老中阿部伊勢守正弘がこれを伝えたと記す。
追録8-No.163 斉興、琉使ヲ率ヒ参府ス
中山王尚育が没し尚泰が継いだため、幕府へ謝恩の使節を派遣し、斉興が両使を率いて参府した記事。正使を玉川王子朝達、副使を野村親方朝宜とする。副使は嘉永三年六月十日に鹿児島へ着いた。八月二十一日の巳刻に斉興が両使を率いて鹿児島を発ち、十月晦日に江戸へ着いたと記す。翌嘉永四年二月二十七日に両使が鹿児島へ帰…
追録8-No.164 斉興参府シ、琉球随使ニ米ヲ拝領ス
十一月十三日、大家の上使戸田山城守忠温が斉興の参府を問うて懇命を伝えた記事。十五日に斉興が登城して参府の礼を述べ、例のとおり懇命を受ける。十六日に上使深谷遠江守を通じて米二千俵を賜り、これをもって琉球使節を率いて参府したことに関係づけて記す。借金一万両を許されたNo.162とは、借用と米の授与を区別…
追録8-No.165 斉興、襲封以来ノ恪勤ヲ賞セラル
嘉永三年十二月三日、召しに応じて斉興が登城し礼拝した記事。家慶が座之間で懇命を伝え、斉興の襲封以来の恪勤を賞した。家慶が手ずから朱衣肩衝の器を賜り、斉興が謹んで受け取ったと記す。器名の朱衣肩衝を保持し、材質や形態の詳細は本文にないため補わない。
追録8-No.166 島津斉興吉書
嘉永四年五月十一日付の斉興の吉書。神社仏閣修造の興行、農事への専心、国々の年貢徴納の三箇条を掲げ、その旨を沙汰する文書とする。斉興の御判を付し、白木御文書十番箱中の四十番の表示がある。
追録8-No.167 睦姫斉彬系譜抄
斉彬公の子の系図から睦姫の条を収め、忠義夫人と記す。男女九人の表示があり、嘉永四年正月十六日に生まれ、母は菊三郎と同じとし、実母を伊集院兼珍の女とする注がある。明治二年三月二十四日に没し、年十九、神号を稚桜豊睦姫命と記す。
追録8-No.168 斉興告老シ、斉彬ニ襲封ヲ許サル
正月二十七日、大家が上使戸川助次郎を通じて斉興へ御鷹の鶴を賜った記事。二十九日に斉興が告老を請い、世子斉彬へ譲封することを述べる。二月朔日、老中連署の奉書で斉興・斉彬を召し、翌二日に南部遠江守信順が斉興の名代として斉彬とともに登城した。白書院縁頬の老中列座で御用番松平和泉守乗全から台命を伝えられ、斉…
追録8-No.169 斉彬初メテ入部ス(襲封・拝謁記事)
二月二日、斉彬が登城して父斉興からの譲を受ける台命を奉じ、松平和泉守乗全がこれを伝えた記事。系譜・重器を受け、三日に薩摩守へ改名した。十五日には登営して両御所へ拝謁し、家慶へ御太刀一腰・御刀一腰(能登国国長)・縮緬二十巻・銀百枚・馬二匹を、家祥へ御太刀一腰・御刀一腰(肥後国同田貫)・銀百枚・馬一匹を…
追録8-No.170-1 島津斉彬達書(家督・国家の仕置)
宰相の願いによる隠居と自分への家督を命じられた斉彬が、領国の軍事、公儀の政道、国家の仕置について先規どおり忘れず固く守るよう命じた達書。嘉永四年二月二日付。包紙は太守の袖判とし、斉彬の花押No.1の表示がある。隠居した父斉興の指示とは区別し、発給者を斉彬とする。
追録8-No.170-2 島津斉興仰出書(家督と家老精勤)
自分は隠居し、修理大夫へ家督を付けたので、政事等は先規どおり万端励み、各職分を守って精勤し、その旨を国中へ伝えるよう斉興が家老中へ命じた仰出書。包紙は宰相の御筆仰出とする。本文自身には年月日を記さない。
追録8-No.170-3 島津久徳添書写(隠居・家督の伝達)
隠居と家督付与に際して、政事等は先規どおり万端励んで精勤するよう宰相から別紙の仰出があったため、受け手がその趣旨を心得、支配下にも詳しく伝えるよう求めた添書写。二月付で将曹を記す。裏に添書写の表示があり、外包は嘉永四年二月二日に豊後殿から渡して白木御文書十番箱へ納めたと記す。
追録8-No.171 家督条目三通の参照注
白木御文書十番箱中の四十二番として、嘉永四年二月二日付の条目三通を示す参照注。斉興が文化六年六月十七日に家督を受けたときの条目と同文のため、本文を略しそちらを参照するよう記す。具体的な条目全文はこの切片に掲載されていないため、独立本文として数えず編集参照注として扱う。
追録8-No.172-1 島津斉興譲状
家督を安堵する旨を命じられたので、相伝の家宝を別の目録として子孫万代へ譲り渡すことを斉興が斉彬へ記した譲状。嘉永四年二月二日付で大隅守斉興が花押No.2を付し、松平修理大夫へ宛てる。内外包は御譲状、松平修理大夫殿の表示があり、別録の家宝目録は続く印刷172の2に収められる。
追録8-No.172-2 家宝重物目録並御覚書
家宝の譲渡に伴う印刷172の2の重物目録と、印刷172の3の御覚書を収める。重物目録は系図、文書五帖、巻物数十軸、家康の墨印と秀忠の感状各一通、御判物九通・附領知目録八通、記録八百二十三冊を挙げる。源氏重代膝丸の太刀、惟朝の太刀、頼朝の守脇指、宇多帝の五指書による愛染明王像、摩利支天像、忠久の鎧、網…
追録8-No.173 島津斉興・斉彬明細書写
斉興と斉彬の明細書写二通を収める。斉興の部は本国・生国を薩摩、正四位上宰相松平大隅守、故渓山斉宣の嫡子、亥年六十三と記す。斉彬の部は薩摩国・大隅国各一国と日向国内の高六十万五千石余、本国薩摩・生国武蔵、従四位下少将松平薩摩守、斉興の嫡子、亥年四十三とする。外に琉球国十二万三千七百石を記す。斉彬の履歴…
追録8-No.174 阿部正弘外四名連署状
公方と右大将がともに機嫌よく過ごしていることを伝え、相手も安心するよう知らせた老中五名の連署状。あわせて御鷹の鶴を拝領することになったので宿次で送る旨を記す。二月四日付で忠優・乗全・忠温・忠雅・正弘が署判し、松平大隅守へ宛てる。外包は嘉永三年三月四日に宿次で到来したため格護置し、松平将曹殿から佐多徳…
追録8-No.175 島津斉彬諭状并家老添状
高野山蓮金院への斉彬の諭状と家老添状。諭状は、中納言家久の代から当家宿坊である同院に寄附された荘園を当代にも違いなく保ち、祖先の日牌や寺壇の修繕などを先規どおり行うことを確認する。四月五日付で少将斉彬の御判を付す。添状は、島津家宿坊として寺領を付与されている同院へ、斉彬の先判の証書を渡すので、諸事を…
追録8-No.176 御筆仰出包紙見出し
白木御文書十番箱中の四十四番の包紙に御筆仰出の表示を記した見出し。本文の「今度」以後は次のNo.177に収められる。この切片自体を独立した仰出本文として数えず、包紙見出しとして扱う。
追録8-No.177 島津斉彬諭達書(家督後の心得)
宰相が隠居して自分が家督を受けた斉彬が、心配や心得を遠慮なく上申し、初役人まで先代の規則に基づいて国家の仕置を行うよう命じた仰出。利益損失をよく考え、正しい道を守り上下に心を入れ、諸士は文武忠孝、質素節倹、信義と武道を心得、農工商も代々の法令を守って職業を励むよう求める。父祖への孝養を怠らず家業に日…
追録8-No.177-1 浦添朝喜起請文前書
摂政役を命じられた浦添王子朝喜が、外聞に実にありがたいと感謝し、家督と諸事を先規どおりますます守ることを誓った起請文前書。相背けばという神文略を付し、他の条項は外ヶ条略とする。嘉永四年五月十二日付で朝喜が署判する。
追録8-No.177-2 座喜味盛普起請文前書(家督後)
三司官役を命じられた座喜味親方盛普が、任命に深く感謝し、御国許への奉公に心を入れて勤め、家督と諸事は先規どおりさらに守ると誓った起請文前書。外ヶ条略と神文略の表示があり、掲載されない条項を推測で補わない。嘉永四年五月二十二日付で盛普が署判する。
追録8-No.177-3 池城安邑起請文前書(家督後)
三司官役を命じられた池城親方安邑が、任命に深く感謝して御国許への奉公に心を入れ、家督と諸事は先規どおりさらに守ることを誓った起請文前書。外ヶ条略・神文略として未掲載の条項を示す。嘉永四年五月二十二日付で安邑が署判する。
追録8-No.177-4 国吉朝章起請文前書
三司官役を命じられた国吉親方朝章が、深く感謝して御国許への奉公に心を入れ、家督と諸事を先規どおりさらに守ると誓った起請文前書。外ヶ条略と神文略の表示があり、他の条項全文はここに掲載されない。嘉永四年五月二十二日付で朝章が署判する。
追録8-No.178 米価下落に関する御趣意之写
米価下落を受けて米の売払・代金返済と困窮救済を述べる長い御趣意の写し。先の四千石の取り扱いを踏まえ、五千石申請米の内二千石を安い値で売る相談を受け、今回は四千石も同じく下直で売らせ、上の金銭を受けていた場合は返すとして、立場の強い側の利益より人を助けることを重んじる。四千石の内の高や円内などを捨てず…
追録8-No.179 島津久宝外三名連署証状(相伝短刀格護)
御短刀一腰を斉彬の御譲道具の内へ召し入れ、御納戸で後年も塵埃のないよう格護し記録することを求めた連署証状。短刀は右馬尉源国頼作、裏の象眼に両の表示、長九寸五部(原表記)、鞘は白木、袋は緞子裏白小杢紗で紺勝色の糸打と記す。文政十三年七月二十七日に斉宣から斉彬へ進められ、のち譲道具に入れることを承知した…
追録8-No.180 或日誌抄(組中窮士への救米)
或日誌からの抄録。嘉永四年八月十一日、組中の窮士を特別な思し召しで召し、一戸につき三盃入り一俵ずつの救米を与えたと記す。その後、御角之蔵下の芝原の神前に、供物のように賽銭の紙で包んだ由を記す。救米を与えた主の個人名は本文に記さない。
追録8-No.181 斉興公御譜抄(告老後の雲雀拝領)
斉興公御譜からの抄録。四年秋八月十九日、将軍が上使水谷彌之助を介して御鷹の雲雀を斉興に賜ったことを記す。斉興が告老してから初めての拝領であったとする。本文の年は四年とし、巻内の嘉永四年に対応させる。
追録8-No.182 喜入久通申渡書(二男の久字使用許可)
喜入多門久通が嶋津周防へ宛てた申渡書。二男以下で寄合並以上の別立を命じられた者に限って久の字を実名に用いるという従来の扱いを示したうえで、このたび願いがあったため、特別な思し召しによって二男には別立の沙汰を要せず実名に久の字を用いることを許すと伝える。嘉永四年九月二十六日付で久通が名乗判を付す。白木…
追録8-No.183 島津久宝申渡書(種子嶋弾正の礼式待遇)
豊後久宝が御記録奉行へ伝えた、種子嶋弾正の礼式・登城待遇を定める申渡書。年頭は御一門方と礼を行い、御座之間二之間の上敷居から四畳目に御太刀を出座し、縁頬の方に一門方・部屋栖と順に着座して家老の取合で祝儀を述べる。式向や頂戴物は一門方に準じる。八朔は一門方・部屋栖の礼後に出座し、名披露を省いて縁頬に着…
追録8-No.184 島津斉彬吉書(修造・勧農・年貢)
斉彬が花押を付した三条の吉書。神社仏閣の修造興行を行うこと、専ら勧農に努めること、国々の年貢を徴納することを掲げ、三箇条の旨に任せて沙汰するよう命じる。嘉永五年正月十一日付。白木御文書十番箱中五十番の文書として収められ、末尾にNo.1の表示がある。
追録8-No.185 常平倉大意并愚考・家老連署申渡
常平倉の大意と運用上の愚考に、家老五名の連署申渡を付す本文群。穀物が安いときに値を増して買い入れ、高いときに値を下げて売り、米で暮らす諸士農民と買米に頼る職人・市中の困窮を救う趣旨を述べる。中国と日本の先例を挙げ、成法に拘泥せず国の高・人数・時勢に応じて役人が協議し手抜きなく運用するよう求める。平年…
追録8-No.186 諸事心得教諭(出入・射技勝負・衣服)
奥向出入、酒会、射技の勝負、衣服についての心得を諭す。弘化の宰相からの規定が緩んでいるとして用向き以外の奥向参会を慎ませ、既定の規則を守るよう求める。天明の弓・鉄炮稽古の勝負禁止に反する玉取などを戒め、勝敗を好んで文武修行の本意を失わないよう命じる。衣服は節倹を旨とし、縮緬や羽二重などを不要とし、絹…
追録8-No.187 諸士風俗教諭并家老申渡・矢五太夫口達書写
諸士の風俗を立て直す趣意、家老申渡、矢五太夫から渡された口達書写を収める。些細なことから争論し竹木で打ち合い、郷中集会の不行儀もあるとして、礼儀と律儀を守り学問武道を励むことが武士の本意であり国家の固めになると諭す。本人だけでなく支配頭・親兄弟も教えが行き届かない責任を負い、風俗を改めるよう求める。…
追録8-No.188 大里朝教起請文前書(浦添王子跡役)
大里王子朝教が浦添王子の跡役を命じられ、外聞の上でも誠にありがたい仕合せと感謝した起請文前書。外ヶ条略、右の条々について偽りを申せばという神文略の表示があり、未掲載の条項は補わない。嘉永五年五月二十一日付で朝教が署判する。白木御文書十番箱中五十一番の表示を伴う。役名は本文の浦添王子跡役として記し、前…
追録8-No.189 金武正孟起請文前書(三司官任命)
金武親方正孟が若輩の身ながら三司官役を命じられた冥加に深く感謝し、御国許への奉公にいよいよ心を入れて勤めると誓った起請文前書。外ヶ条略と神文略の表示があり、他の条項や神文全文は掲載されない。嘉永五年六月六日付で正孟が署判する。十番箱中の表示を伴う。
追録8-No.190 島津久封系譜抄(悦之助)
久光公御子の男女十二人の系図中に、久封・悦之助を記す家系記事。嘉永四年十一月九日に重富第で生まれ、母は櫻井玄浄盛命の妹とする。文久元年四月に父久光に従って重富第を去り、本室へ入ったことを記す。玄浄の名は前段末の盛と後段の命を続けて読む。
追録8-No.191 斉興公御譜抄(告老後の鶴拝領)
斉興公御譜からの抄録。嘉永五年春正月二十二日、将軍が上使曾根内匠を介して御鷹の鶴を斉興に賜ったと記す。斉興が告老してから初めての鶴拝領であったとする。本文の御鷹の鶴を、鷹そのものの贈与としない。
追録8-No.192 或日誌抄(老人祝・風俗教戒・砲術・救済・巡見)
嘉永五年の或日誌から複数日の記事を抄録する。三月二十八日の老人祝では八十歳以上の諸士の男に太平布、女に金百疋、役人以上に紗綾を与え、極救士(窮カ)にも救済を行ったと記す。四月八日は奥表出入、弓・鉄炮の賭勝負、衣服華美を戒め麁服を用いる御筆仰出、五月三日は城下の方限ごとに郷中の平日作法取調書を提出し、…
追録8-No.193 典姫系譜抄(島津忠鑑室)
斉彬公御子の男女十人の系図中に、典姫を女子として記し、島津忠鑑の室とする家系記事。嘉永五年五月二十七日生まれで、母は菊三郎と同じ実母である伊集院兼珍の娘と記す。出生年月日と婚姻先の記載を区別し、婚姻年月日はこの本文から補わない。
追録8-No.194 斉興公御譜抄(雲雀拝領)
斉興公御譜からの抄録。嘉永五年秋八月三日、将軍が上使京極左衛門を介して御鷹の雲雀を斉興に賜ったことを記す。
追録8-No.195 或日誌抄(救米・諸事取調め・小與召集)
或日誌から三項を抄録する。嘉永五年八月三日、米穀払底で普段の取続もできないほど困難な者へ、特別な救済として三盃入り一俵ずつの賑米を与える旨を記す。豊後殿から御小姓與番頭へ、ありがたく承知するよう伝達を求める。八月二十四日は勧業・風俗・衣服・軍役等について御書取を渡し、来年の帰国時までに趣旨が行き届く…
追録8-No.196 島津斉彬諸事条書(勧農・風俗・節倹・軍役・米価)
覚として勧農、締方、諸士風俗と文武修行、孝子と困窮者、贈答、家宅、衣服、軍役、米価の九項を示す条書。農を国の根本とし、百姓が困窮せず戸口が増すよう、取箇・夫役・打起・取納時節等を上下の便益に配慮して扱う。役人の正しい奉公と所役の邪正・労を調べ、借財・酒色や富家への接近を避け、華美を戒める。諸士は礼儀…
追録8-No.197 朱衣肩衝道具目録并島津久宝外三名連署保管状
茶入朱衣肩衝の道具目録と、後年まで保管するよう御数寄屋頭へ命じる連署状の写。目録は茶入一口の寸法、象牙蓋、浅黄羽二重御物袋、内梨子地・外黒塗金粉の挽家と袋、白木箱、上下蒲団、四方詰黄海気、黒塗箱、二つの茶入袋と替蓋二枚等を列挙し、小堀大膳家の留書を添える。包紙銘書に斉興公御筆、外家箱に金泥銘書の表示…
追録8-No.198 斉彬従四位上・左近衛中将叙任記事
斉彬公御系図中の記事。嘉永五年十二月十六日に斉彬が従四位上に叙され、左近衛中将に任じられたことを記す。
追録8-No.199-1 島津斉彬叙従四位上口宣案
従四位下の源斉彬朝臣を従四位上に叙する旨の口宣案。嘉永五年十二月十六日付の宣旨を記し、上卿は久我大納言、奉者は蔵人権右中弁兼左衛門権佐の藤原長順とする。口裏に口宣案、右一通の表示があり、舊御番所御文書四番箱中に収められたことを記す。
追録8-No.199-2 島津斉彬任左近衛権中将口宣案
左近衛権少将の源斉彬朝臣を権中将に転任させる旨の口宣案。嘉永五年十二月十六日付の宣旨を記し、上卿は三条大納言、奉者は蔵人右中弁兼右衛門権佐の藤原胤保とする。口裏には口宣案、右一通の表示がある。
追録8-No.199-3 斉彬叙任の上卿職事等書立
薩摩中将の叙任に伴う上卿・職事等を書き立てた付帯記録。従四位上について上卿久我大納言・職事葉室権右中弁、左近衛権中将について上卿三条大納言・職事廣橋右中弁を記す。末尾に右二通とあり、前後の口宣案等に付帯する書立として扱い、これ自体を新たな任命本文二通と数えない。単独の年月日は記さない。
追録8-No.199-4 島津斉彬任左近衛権中将宣旨
左近衛権少将の源朝臣斉彬を左近衛権中将に転任させる宣旨。正二位行権大納言藤原朝臣實萬が宣を奉じ、件の人を転任させる旨を述べる。嘉永五年十二月十六日付で大外記兼掃部頭造酒正中原朝臣の官称を記す。
追録8-No.199-5 島津斉彬叙従四位上位記
従四位下の源朝臣斉彬を従四位上に叙する位記。公務に精誠を尽くすことを賞し、前件に依って施行する旨を述べる。嘉永五年十二月十六日の朱印表示を付し、中務卿職仁親王、卜部久隆・藤原資生等の官名姓名に続いて、権大納言・権中納言等、関白・太政大臣・左右大臣・内大臣、兵部の官人と大録・少録を列挙する。途中に制書…
追録8-No.200 島津斉彬吉書(修造・勧農・年貢)
斉彬が御判を付した三条の吉書。神社仏閣の修造興行、専ら勧農に努めること、国々の年貢徴納を掲げ、三箇条の旨に任せて沙汰するよう命じる。嘉永六年正月十一日付で、白木御文書十番箱中五十四番の表示を伴う。
追録8-No.201 孝明天皇女房奉書(斉彬昇進礼進上への返答)
薩摩中将がこのたびの昇進の礼として黄金百両と絹三十疋を進上したことに対する女房奉書。進上を披露したところ喜んでいるとの返答を得たので、その旨をよく心得て申し伝えるよう求める。御いまの御局へ宛て、かしくで結ぶ。口裏には嘉永六年三月三日、箱蓋には斉彬公従四位上中将女房奉書一通の表示があり、舊御番所御文書…
追録8-No.202-1 廣大院御真像目録并豊後申渡(福昌寺)
福昌寺に納める廣大院の御真像一幅の装幀・付属品を列挙し、保管と忌日の奉掛を命じる書付。廣大院を重豪の娘・徳川家斉の室と注記し、表装金筋立、一文字と風帯、赤綾の鳳凰模様中縁、萌黄龍紋緞子の上下、金唐草の軸、羽二重服紗、内外箱・環・緒・包み、二箱の箱裏住吉内記筆、擡合塗の箱などを記す。豊後の五月付申渡は…
追録8-No.202-2 常興善院御真像・近衛忠熙般若心経目録并豊後申渡
千眼寺宛ての常興善院の御真像一幅と、近衛忠熙公御筆の般若心経一巻の装幀・箱等を記し、安置・読経と格護を命じる書付。常興善院を斉興の娘・近衛忠熙の室と注記する。肖像の一文字・風帯等の生地は光格天皇之后の大宮御所の装束の切れであると宰相が鑑定した旨を付す。中縁・上下・軸・羽二重服紗・内外箱・環・緒・箱裏…
追録8-No.203 或日誌抄(斉彬叙任祝・米国軍艦来航と江戸派遣)
或日誌から、斉彬の叙任の達しと米国軍艦来航後の派遣を記す。嘉永六年六月九日の項は、前年十二月十六日に御城へ召され従四位上中将に任じられた旨の達しが前日八日に到来し、当日一統が席々で祝儀を行ったとする。六月二十二日の帰国着城の項は、去る三日に米国軍艦四艘が浦賀へ渡来したとの報告があり、着城直後に御小姓…
追録8-No.204 於成系譜抄(久光の娘・島津久寶室)
久光公御子の男女十三人の系図中、於成を女子として記し、島津久寶の室とする家系記事。嘉永六年六月十三日に重富第で生まれ、母は櫻井氏の妹と記す。文久元年四月に父久光に従って本室へ入り、明治七年一月九日に死去した。神号は萬富豐成姫命。婚姻年月日は本文に記さない。
追録8-No.205 島津斉彬願書(米国船書翰・海防手当・水戸委任)
米国船からの書翰と和解の写二冊の拝見を命じられ、存念を申し上げた願書。外国側も日本の制禁を承知してなお要求を続け、海防が薄いままでは退去させても再来に備え難く、他国・無人島近辺にも船がいるとして、国家の威光と応対の重さを論じる。来年の再来時に即座に断って戦端を開くことを避け、成丈年月を延ばして海岸手…
追録8-No.206 島津斉彬願書(軍船・蒸気船製造と海防用品)
倹約を行いつつ海防一筋に力を尽くす命令を受け、軍船と蒸気船の製造許可等を願う。厳しい台場で外国船を打ち払っても遠沖への追打手段がなく、無法に追い掛ければ勝利が見通せないとして、堅固な軍船と蒸気船を備えて国の制禁を守りたいとする。前年家来が蒸気船製作の工夫を相談し、このたび本望の至りと申し出たので、皇…
追録8-No.207 斉興公御譜抄(家慶遺物の脇差拝領)
斉興公御譜の記事。嘉永六年九月十二日、上使森川出羽守が高輪邸を訪れ、恒徳廟すなわち徳川家慶の遺物である脇差一腰を斉興に賜ったことを記す。脇差銘と細字注記には判読留保を付す。
追録8-No.208 島津斉彬達書(台場海防製作の厳重な取扱い)
公辺から命じられた海岸手当を入念に吟味し、考え付いたことを留め置かず申し出るよう命じる達書。造立を命じた二か所の台場その他の海防は国家の肝要で万人の命に関わるので、人目や利益を考え製作を粗略にしてはならないとする。平日倹約するのも非常のためであり、費用を惜しんで必要なことを省略せず、命じた法どおり堅…
追録8-No.209 寧姫系譜抄(忠義後夫人)
斉彬公御子の男女十人の系図中、寧姫を忠義の後夫人と記す家系記事。嘉永六年十月晦日生まれで、母は典姫と同じとする。明治二年六月六日に近衛前左大臣忠熙の養女となり、明治十二年五月二十四日に死去した。神号は綾御衣裏寧姫命(原表記に字形留保)。出生、養女縁組、婚姻先、死去の記載を区別し、婚姻年月日は補わない…
追録8-No.210 豊後申渡記録(城下六組の当番・行軍調練)
城下六組のうち二組ずつを毎年六か月で交代させて東目・西目の手当を担わせ、小頭・日付・玉卒・口薬の役を命じる申渡書。小頭の進退急徐と日付役は実戦の勝敗に関わる重役だが、砂揚場のペロトン調練だけで行軍の備えを調べていないとして、兼ねてその調練を見分させる。江戸・長崎への外国船来航、公儀の海岸軍事手当、造…
追録8-No.211 或日誌抄(飲酒勝負事の戒め・歳末窮士救済)
嘉永六年十二月頃から無故の酒食をはやし勝負事を企て、酒量を忘れる者がいるとして、去る申年に宰相が命じた規則が緩んでいることを戒め、厳しく守るよう命じた記事。続く十二月十八日の項は、組中の窮士が歳末にいっそう困難であろうと配慮し、一戸につき金一両ずつを与えたことを記す。この金は御礼廻り等に及ばなくてよ…
追録8-No.212-1 道中行列鉄砲十挺携行伺一件・前半書付群
白木御文書十番箱中五十八番の道中行列鉄砲伺い一件の前半。包紙は上下の道中で鉄砲十挺を持つ伺書一通、留守居首尾書五通、江戸詰家老の問合書一通を列記し、嘉永七年正月の朱注を付す。本文の「の1~の5」は、近海の外国船来航に対する警衛命令を踏まえ、領内に置く鉄砲だけでは道中の急変に対応できないので行列内にも…
追録8-No.212-6 道中行列鉄砲十挺携行伺一件・後半首尾書と家老問合書
道中で鉄砲十挺を携行する伺い一件の後半。「の6」は半田嘉藤次が用番松平伊賀守の取次飯塚勝之助へ書附を持参し、演説して差し出したところ落手したと伝える十二月十四日の報告で、箱根その他の関所へ許可の趣旨を通達するよう求める。「の7」の書附は、近海の外国船警衛に伴い一万石以上の者が領内に鉄砲を備える触達を…
追録8-No.213 島津斉彬吉書(修造・勧農・年貢)
斉彬が御判を付した三条の吉書。神社仏閣の修造興行、専ら勧農に努めること、国々の年貢徴納を掲げ、三箇条の旨に任せて沙汰するよう命じる。嘉永七年正月十一日付で、白木御文書十番箱中五十九番の表示を伴う。
追録8-No.214 老中御達抄(軍船蒸気船製造・節倹・米価・文武)
嘉永六年十二月十三日、老中阿部伊勢守正弘が留守居を呼び出して伝えた御達等を抄録する。大船・蒸気船の製造伺いを受け、公義でも製造を命じる予定だが不案内であり、既に薩摩守家来が蒸気船を製造しているので、琉球船その他の大船も含めて二、三艘を公義の入用として出来次第上納させたいとする。海防の大炮・軍船等の製…
追録8-No.215 虎寿丸・近衛信君縁組一巻の包紙見出し
白木御文書十番箱中六十番の包紙見出し。嘉永七年寅二月の朱注を記す。続く虎寿丸と近衛信君の縁組一巻の収蔵表示であり、独立した婚約本文には数えない。
追録8-No.215(表紙) 虎寿丸・近衛信君縁組一巻の表紙・張紙
若殿と近衛忠熙の女子信君の縁組一巻であることを示す表紙。若殿を斉彬の子虎寿丸と注記し、右一冊ノ蓋紙也とする。張紙には若君虎寿丸君と近衛信君の婚約が整ったと記す。表紙・張紙の見出しとして扱い、本文番号「の1」と区別する。
追録8-No.215-1 虎寿丸・信君縁組使の上京報告と問合控
印刷「の1~の2」を収める縁組使の記録と問合控。虎寿丸と近衛右大臣忠熙の女子信君の縁組を整えるため、国許から上京して相手方の用人等と掛け合い、二月十九日の勤めに支障がない旨を田尻次兵衛から得たと記す。十八日に大坂を発ち伏見へ着き、十九日に錦御屋敷・竹之間で右府・大納言・信君への時候口上と手扣書を伝え…
追録8-No.215-3 虎寿丸・信君縁組口達と近衛家への進上品覚
印刷「の3~の5」の縁組口達と進上品の覚を収める。口達は家老豊後を時候見舞の使者とし、当六歳の嫡男虎寿丸と信君の縁組について御目出度の許容を幾重にも願うもので、二月十九日付、使者は家老嶋津豊後とする。続く進上品は御太刀一腰と御馬一疋・代白銀十両。豊後久宝署の覚では、右府に鶴毳三枚、源氏煙草一箱、香料…
追録8-No.215-6 虎寿丸・信君縁組申出への返答
薩摩守の健勝を喜び、嫡男虎寿丸と信君の縁組を申し入れられたことを喜んで了承し、末永く目出度いとして返答を入れる旨を記す。二月の表示を伴う。返答者の個人名や直接署名はこの本文に記さない。
追録8-No.215-7 近衛右府・大納言の見舞使への返答
松平薩摩守へ宛て、豊後を差し登せて時候見舞の使者を遣わしたことを喜ぶ返答。薩摩守の勇猛・健勝を喜び、右府が満足している旨を述べ、大納言殿からも同様に満足していると記す。二月の表示を伴う。
追録8-No.215-8 近衛信君御方の見舞使への返答
松平薩摩守へ宛てた信君御方の返答。薩摩守の安全・健勝を喜び、このたび家来豊後を差し登せ、時候見舞の使者を遣わしたことに満足している旨を述べる。二月の表示を伴い、右弓ノ冊トスの注記がある。
追録8-No.215-9 島津久宝書状(虎寿丸・信君縁組の内用報告)
豊後が虎寿丸と近衛家信君の縁組を整える使者として上京した経過を、筑後・石見・駿河・伊織へ内用で報告する書状。先月十九日に中川讃岐守と面会し、信君を貰い受け、虎寿丸との縁組の許容を願う口上と手扣書を届け、翌二十日には右府・大納言・小書院で御目見えして返答を受けたと記す。太守も返答書を中川から受け、伏見…
追録8-No.216 家慶遺物脇差の仕様・格護に関する四名連署申渡
斉興が家慶の遺物として拝領した脇差一腰の仕様を記し、御納戸の御譲道具として後年まで紛れなく保管・記録するよう命じる四名連署申渡。脇差は美濃国兼定、長九寸九分半、代金十五枚と記す。二重金の鎺、角磨の縁頭、赤銅七子等の二所物、奥州会津住三善長道の小刀、白鮫の柄、金の目釘等、蝋色の鞘、紫の下緒、袋・紫房付…
追録8-No.217-1 代替誓詞の出席通知と判形・血判準備書付
白木御文書十番箱中六十二番の代替誓詞一件の冒頭書付二件。五月十日付の「の1」は大目付柳生播磨守が薩摩守・内蔵頭へ、翌十一日の朝六半時に松平伊賀守宅で代替誓詞を行うので遅れず出席するよう知らせる。出席を断る場合は伊賀守への届出に加え、柳生自身も出席するためその旨を早く伝え、回状を順達して留めず返すよう…
追録8-No.217-3 西筑右衛門首尾書(代替誓詞の出席書付受領)
代替誓詞の出席書付を受けた西筑右衛門が豊後へ報告する首尾書。翌十一日朝六半時、太守が伊賀守宅で誓詞をする件で、用人の切紙により当日中に一人出向くよう求められ、用人波多與太夫を介して書付を受領したとする。今夕に自身が勤めた旨を述べ、太守が表方の使者で御請すること、誓詞書付を半田嘉藤次へ渡してほしいこと…
追録8-No.217-4 島津斉彬代替起請文前書(琉球条項附)
御代替に際して松平薩摩守斉彬が判を付した起請文前書。公方への忠勤を専一にして表裏を持たないこと、一門・公家・親類縁者等に野心のある者がいれば速やかに言上し一味同心しないこと、御代替後も公義の仕置を疎略にせず守ることを誓う。附条として、琉球国が仕置に背いて邪な企てをする場合には荷担しないとする。条々に…
追録8-No.217-5 島津久宝書状(代替誓詞の実施と書類送付)
豊後が太守の代替誓詞の実施と関連書類の送付を報告する五月十九日付書状。前年の代替に伴う誓詞伺いを先月十一日に用番内藤紀伊守へ提出しておいたところ、十日に松平伊賀守から留守居が呼ばれ、翌朝六半時に誓詞を行うよう通知されたとする。表方の使者で御請し、先例に沿って前書等を調え予め御書判を付け、十一日に伊賀…