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追録8の目録
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追録8-No.704-1 忠義が西洋諸国の形勢と軍備財政の必要を述べ、預領十万石の返献許容と執奏を願う
宇内諸国の変化を述べ、旧来の政風のままでは興隆し難いため、王政復古・衆議・一新の功を確かに立てたいと臣忠義が願う。西洋諸国は兵勢と国力を備え権を朝廷へ集めたことで維新の功を遂げたと説明し、皇国の兵馬・器械の備えと朝廷の力が不足するとの認識から、海陸軍・親兵を整え威力を備える必要を説く。皇国統一と理財…
追録8-No.704-2 家老四署が太守の返献意向を伝え、地面区別の取調べは追って指図すると周知する
王政一新に際して親兵・威力を整えるため、御領地の内十万石を御用途へ返献したいとして、先月十一日に留守居を通じ太政官代内国掛鴨脚加賀へ別紙を提出したことが届いたと伝える。先代以来相伝した封疆ではあるが朝廷の用度を調え難い時期に黙っていられないという返献の深志を、一統が厚く承知するよう求める。地面区別の…
追録8-No.705 桂右衛門が時姫の質素・減員の沙汰と、伏見戦死者の姓名提出・弔慰を一統へ伝える
京都の事情と太守の心中を聞いた時姫が力を添えたいと願うが、書付は「御女子様之御事」として直接の助力はでき兼ねると説明し、身廻りその他を至極質素にし、召し遣う者を減らす沙汰を伝える。諸士が御両殿への奉公で身命を忘れて伏見で戦い、太守に喜ばれたことを述べる一方、戦死者への深い憐れみを表し、せめて水・茶で…
追録8-No.706 五藩の名書を掲げ、勝沼・羽丹生の戦勝を褒めて平定と忠勤を求める
「御感状四通ノ内」として一通を収める。因州・土州・薩州・長州・大垣を掲げ、甲州勝沼駅と武州羽丹生村で賊徒が砲銃をもって要地に拠り官軍に抗したが掃撃され、初戦が軍の気鋒を高めたことが天聴に達して満足されたと述べる。なお忠誠を尽くし早く賊巣を平定して御心を安んじるよう戦士に伝えることを求める。末は三月十…
追録8-No.707-1 宸翰が億兆を安んじる天職と親裁・公議を説き、総裁・輔弼が末々への敬承を求める
白木御文書十一番箱中四十番の外包に、宸翰写三通・勅書写三通・太守の御筆仰出一通があると記す。所収の宸翰は、幼弱で大統を継いだ主上が列祖に報い万国に対する責務を述べ、朝政衰退と武家専権を批判する。天下億兆の一人でも処を得ないことは自らの罪とし、諸侯を率いて万機を親裁し、旧習や安逸を去って上下親愛・国威…
追録8-No.707-2 五箇条の国是を掲げ、総裁・公卿・諸侯が勅旨奉戴と黽勉従事を誓う
広く会議を興して万機を公論に決すること、上下心を一にして経綸を行うこと、官武から庶民まで志を遂げ人心を倦ませないこと、旧来の陋習を破り天地の公道に基づくこと、世界に知識を求め皇基を振起することの五箇条を掲げる。主上は未曾有の変革のため自ら衆に先立って天地神明に誓い、大国是と万民保全の道を定めるとして…
追録8-No.707-3 主上が親裁と親征の決意を述べ、列藩へ国家のための協力を求める
主上が天下一新に当たり文武を一途に親裁し、国威と民の安否を天職として日夜心を労していると述べる。先帝の遺意を継ぎ内に列藩万姓を安んじ外に国威を輝かせたいとし、徳川慶喜の不軌による騒擾と民の塗炭を親征の理由として挙げる。親征の議を決めて布告し外国との交際もあるため将来の処置が重大であり、天下の形勢を巡…
追録8-No.707-4 両藩父子の尽力に叡感を示し、さらに勉励して王室を輔佐するよう求める
別包の「御書附」として勅令写を収める。積年の王事勤労が今日の王政復古・皇運挽回に至ったのは、偏に両藩父子の尽力によるとして叡感を示し、さらに勉励して王室を輔佐するよう求める。末は辰二月二十八日、右一通と表示する。両藩父子の実名や、別史料に記される賜与品はこの正文に列記されていない。
追録8-No.707-5 藩中の適任者両三輩を参与として差し出すよう求める
藩中から適任者両三輩を、参与として差し出すよう沙汰する。末に右一通と表示する。独立した年月日や個別の発令者・候補者の姓名は記されていない。
追録8-No.707-6 薩摩少将へ議定職を仰せ下し、口宣を下賜する
薩摩少将の名書を掲げ、議定職を仰せ下すことと、口宣を下賜することを伝える。末に右一通と表示する。独立日付はなく、口宣の全文も所収されていない。
追録8-No.707-7 御筆正文を703の3と同文として省き、龍衛から植村七蔵への受渡と白木十一番箱への収納を記す
外包紙に「御筆」とあることを示し、本文は703の3号文書と同文につき略すとの編纂注を置く。外包の端に四十番とあり、慶応四年戊辰五月十九日に龍衛殿から植村七蔵へ渡され、当座に護置した旨を承知し、白木御文書十一番箱へ納め置くことを記す。
追録8-No.708 忠義公の三月~五月の朝廷勤仕、十万石返献への応答と東北・北越の軍事記事を記す
「御系図・忠義公」から、明治元年三月から五月までの朝廷勤仕と軍事記事を収める。三月九日の野州築田駅(梁カ注)の戦闘、十四日の国是の誓いと誓文・宸翰写受領、十七日の加州・阿州との京都留守守護を記す。二十日には先の十万石返献願に対し、出兵費が多いので今の分地返献を要せず他日命ずるとの応答を記す。奥羽派遣…
追録8-No.709 島津氏家譜が忠義の前駆・留守取締と大坂行幸の見送りを記す
島津氏家譜から、三月九日の主上二条城行幸に忠義が前駆を務め、命を受け乗馬して叡覧に供したことを記す。十七日に忠義が召され入朝し、前田中納言・蜂須賀少将等と上京・中京・下京を分轄して京都を留守守護する命を受け、忠義は上京の取締に充てられたとする。二十一日に主上が京都から大坂へ親征の行幸をし、忠義は堺町…
追録8-No.710 忠義が三月17日参朝し、薩州の中京守護を命じられたと記す
御履歴中から、三月十七日午牌に忠義が重役を率いて参朝の命を受け、衣冠を着して家老島津伊勢を伴い参朝したと記す。加州・阿州も同じく参朝し、御学問所で天皇に拝謁した。主上の命を忠義が謹んで受け、岩倉前中将から家老へ詔書が授けられ、加州は上京、薩州は中京、阿州は下京を守護し失漏のないよう命じられたとする。…
追録8-No.711 忠義の十万石返献の意向を褒め、藩の軍費が多いため当面不要と伝える
御履歴中から、三月二十日に内国事務徳大寺大納言が留守居を呼び、詔書を授けて忠義が命を受けたと記す。薩摩少将への書付は、王政一新の未曾有の時節に将来の功を立てようとする遠見の献言を褒める。朝廷の創業期に理財を立て難い事情を思察し、領地の内十万石を御用途へ返献したいとする趣旨を深く満足する一方、今は藩の…
追録8-No.712 711の正文を略し、赤井直之進の出頭と徳大寺からの書付受渡を記す
雑録中の本文は711号文書と同文につき略すとの編纂注を置く。辰三月二十日、内国事務掛から禁中の仮建へ出頭するよう求める切紙が留守居へ届き、附役赤井直之進が出頭したところ、亀の杉戸際で徳大寺大納言から書付を渡された旨を記す。新納嘉藤二から紘様への首尾書を添えると表示する。
追録8-No.713 朝敵等を除く大赦の扱いと、時勢に関わる処罰者への寛容を指示する
朝敵を除いて一切大赦とする大綱について、逆罪や人を殺し免じ難い情罪のある者は別扱いとすることを伝える。癸丑以来、皇国のためと考えて矯激な行為に及び、国法に触れて死亡し祭られない者も少なくないとの認識を述べ、そのうち実情が忠奮に出て憐れむ事情のある者については程度に応じて扱い、跡式再興などにより霊を慰…
追録8-No.714 薩州の山陰道鎮撫使警衛を免じ、書付交付と川南東右衛門の借用を報告する
薩州に命じておいた山陰道鎮撫使の警衛を免じる旨を、三月二十九日付で伝える。書付一通を付し、軍防局に呼び出され出頭したところ、愛宕大夫が出会い別紙を渡したと報告する。また川南東右衛門には用務があるため、暫く西園寺殿が借用することになったので、その旨を伝えておいたと記す。留守居附役を遠武橘二が務める間の…
追録8-No.715 主人が議定職・参与職等に在勤する藩は貢士提出不要とし、任意の提出も認める
各藩から貢士を差し出す趣旨は先の沙汰のとおりとした上で、主人が議定職・参与職等を命じられている藩については、その勤役中は貢士を差し出すに及ばないと伝える。ただし主人が在勤中でも貢士を出したい者は、随意にしてよいとする。正文末は三月。辰三月晦日に太政官代辨事局が松室甲斐を通じて渡し、赤井直之進が承知し…
追録8-No.716 親征行幸中の節朔参賀を不要とし、伝達漏れを四月1日に補う
親征の行幸中は節朔の参賀に及ばないと伝える。本来は去月三十日に伝えるはずの沙汰だったが、行き違いによって漏れたため、四月一日に改めて申渡すとする。辰四月二日、太政官代辨事局の呼出に永山左内が出頭し、松室甲斐から触下へ布告するよう書付を渡されたこと、触下へ廻達した趣を内田仲之助が主殿殿に報じたとの注を…
追録8-No.717-1 薩州の海江田・岸良両名を当分雇う沙汰の交付と請書提出指示を報じる
薩州の海江田彦之丞・岸良七之允を名書し、内国事務局に当分の用務があるため雇いを命じる。辰四月五日、太政官代内局の呼出に留守居附役田中清之進が出頭し、岩倉少将から書付を渡され、請書を差し上げるよう伝えられた旨を記す。その事情を承知した段を内田仲之助が主殿殿に報じたとの首尾書注を伴う。
追録8-No.717-2 二十四藩の触頭を三藩ずつ月番とし、布達三通の受領・伝達と翌月当番届を定める
太政官から仰せ出す布告書類の伝達規則を定める。触頭二十四藩が申し合わせ、三藩ずつ順に毎月当番を務め、布達の際は月番三藩を呼び出して書付三通を渡す。月番から触頭中へ伝え、触下へは従来どおり触頭が伝達する。毎月末に翌月の当番藩名を届けることも定める。四月の藤堂・眞田・筑前から、閏四月を含め十月までの各三…
追録8-No.717-3 紀伊・眞田、南部・藤堂、稲葉・京極に京都三区域の取締と引合を命じる
四月八日付の京都取締に関する三通を収める。紀伊中納言と眞田信濃守には下京中の取締を命じ、蜂須賀阿波守と引き合わせて十分行き届くよう勤めることを求める。南部美濃守と藤堂佐渡守には中京中の取締を命じ、加賀中納言と引き合わせて勤めるよう求める。稲葉右京亮と京極佐渡守には上京中の取締を命じ、島津修理大夫と引…
追録8-No.718 旧習と門閥にとらわれた藩政を改め、賢才登用と改革実効を求める
四月十二日の布告写として、誓文と宸翰に示された一新の趣旨を受け、諸藩にも政令の大変革を求める。慶元以来受封した国の法制であっても当今の時勢に合わないものは廃棄し、朝廷と諸藩が力を尽くして一新の基礎を立てるべきだとする。諸藩が任撰や門閥、世禄家格に基づいて政権を担わせてきたと批判し、任に堪えない者を退…
追録8-No.718(続き) 718の賢才登用・巡察督励と書付交付注の後半を参照する
旧719行のPDFは718の後半を収める。任に堪えない者を退け賢才を登用して国政を改める旨、諸国巡察で改革の政績を問う旨、四月十二日の赤井直之進への交付と内田仲之助から伊勢殿への首尾注が続く。全文は718の採用修正版に収めたため、この行は旧ID719を保った同本文参照とする。
追録8-No.719-1 宮・堂上・諸侯らの随従者にも往来の不法を禁じ、隠蔽せず訴え出るよう命じる
天下万姓が処を得るよう宿弊を一洗する趣旨を掲げ、五畿七道その他の道筋を通る際に従来の幕吏のような悪行があってはならないとする。宮・堂上方・諸侯・小吏・陪臣等の往来では、随従者の下部に至るまで、威を振りかざすことや賄賂を貪ることなど不法の振舞いを禁じる。そのような行為があれば直ちに裁判所または担当役所…
追録8-No.719-2 薩州に命じていた大坂巡邏を免じ、軍防局での受渡を記す
薩州に命じておいた大坂巡邏を免じる旨を、四月十五日に伝える。末には同日、軍防局の呼出に遠武橘二が出頭し、吉田遠江を通じて書付一通を渡された旨の、内田仲之助の届書があると記す。
追録8-No.719-3 薩州に命じていた御臺所御門の守衛を免じる
薩州に命じておいた御臺所御門の守衛を免じる旨を、四月十五日に伝える。末には辰四月十五日に軍防局へ遠武橘二が出頭し、吉田遠江を通じて別紙どおりの書付一通を渡されたため、内田仲之助の届書があると記す。
追録8-No.719-4 嶋津主殿が四月15日の守衛免除と人数引取を報じ、中将への伝達を求める
御臺所御門の守衛を免じる旨が去る十五日に軍防局から伝えられ、人数を引き取ることになったので、書付を添えて知らせるとする。中将にも聞き届けられるよう伝達を求める。辰四月二十一日、嶋津主殿から嶋津圖書殿・御家老中への書状。人数の引取はこの報告の記載として示す。
追録8-No.719-5 松井周防守と堀右京亮に謹慎を命じる
松井周防守・堀右京亮を名書し、謹慎を命じる。日付は四月十五日。太政官から伝えられた旨の問合があると末に記す。謹慎の理由や具体的な期間は本文に示されていない。
追録8-No.719-6 堀田出羽守の謹慎を免じ、太政官からの通知と問合到来を記す
堀田出羽守の謹慎を免じる旨を、四月十七日に伝える。太政官から伝えられた旨の問合が届いたと末に記す。
追録8-No.720 嶋津主殿が八項目の通知を家老へ送り、行在への同伴参入の人数を制限する指示を収める
行在参上の門外混雑防止、紀伊中納言ほか五人の京都取締、山陰道鎮撫使警衛免除、触頭二十四藩の月番、海江田・岸良の内国局雇用、行幸中の節朔参賀不要、八幡近辺警衛、石清水警衛免除の八題目を掲げる。太政官代から渡された書付を伝達するよう求められたので、別紙を添え中将にも伝えてほしいと、辰四月二十一日に嶋津主…
追録8-No.721 嶋津主殿が政令改革の書付を家老へ送り、藩内評議と中将への伝達を依頼する
朝政一新に当たり諸藩も趣旨を受けて政令を大きく改めるべきことなどが、別紙どおり太政官代辨事局から伝えられたので知らせるとする。中将にも伝えるよう求める。自分たちの側では既にこのような改革を命じていると述べつつ、向々への申渡なども改めて評議してほしいと依頼する。辰四月二十一日、嶋津主殿から圖書殿・家老…
追録8-No.722-1 一新と民の救済を掲げ、諸藩に逆徒への曖昧な態度を改めるよう求める
政務を親裁する一新の時期に先霊への孝と民の艱苦の救済を図るという朝廷の趣旨を述べる。一方、布告が逆徒と呼ぶ者たちは造言を広めて民を惑わせ、王土を掠め王民を苦しめ、略奪を行っているとの認識を示す。目前の安逸を求め、逆徒の様子をうかがって臣子の大義を忘れ、進退のどちらにも曖昧な態度をとる藩があると聞いた…
追録8-No.722-2 宮・公卿・諸侯・神社寺院等へ、旧幕府からの受封判物を内国事務局へ急ぎ提出させる
王政一新に伴い、宮・公卿・諸侯ならびに神社・寺院等の領地高を改正すると命じるため、これまで旧幕府から受封した判物が用務に必要であるとして、急いで内国事務局へ差し出すよう命じる。末は閏四月。
追録8-No.722-3 在国任邑諸侯に重臣を通じた天気伺いを求め、既に済んだ者は再度不要とする
機嫌よく還幸されたことに伴い、在国任邑の諸侯は十日・十一日のうち、重臣をもって太政官代辨事傳達所で天気伺いをするよう命じる。ただし仮建で取り急ぎ一度済ませた者は、改めて申し上げるに及ばないとする。正文末は閏四月。辰閏四月九日に禁中仮建の用務で留守居附役田中清之進が出頭し、非蔵人を通じ書付二通を渡され…
追録8-No.722-4 誓約未済の在京諸侯に、翌10日午半刻の参朝を求める
誓約がまだ済んでいない在京諸侯に対し、用務があるため明十日午半刻に参朝するよう求める。日付は閏四月九日。
追録8-No.722-5 大総督が薩州藩隊長中の両総・房州での攻守と戦功を褒め、奏聞したと記す
上包に薩州とある感状。今月初旬から両総・房州に屯集する賊徒の追討へ出張し、長官から士卒まで攻守の駆引が行き届き、忠を励まして速やかに平定したことを神妙と褒める。戦功を奏聞したとして感謝を示す。慶応四年戊辰閏四月、大総督の花押No.7表示を伴い、薩州藩隊長中宛とする。戦況と評価は感状の叙述として記す。
追録8-No.723-1 雑集中の正文を722の1と同文として省略する
雑集中の文書について、本文は722の1号文書と同文のため略すとの編集注を収める。この項には正文を掲載しない。
追録8-No.723-2 正文を722の2と同文として省略する
本文は722の2号文書と同文のため略すとの編集注を収める。この項には正文を掲載しない。
追録8-No.724-1 誓約を済ませ五十日余滞京した諸侯に順次暇を与え、家政改革と不虞の備えを求める
諸侯の参朝制度は追って命じるが、親征出発前に誓約を済ませた者に先に暇を与えたのと同様に、留守中の上京や還幸後に誓約を済ませた者も、長く滞京して疲弊し藩の任を果たし難くならないよう、五十日余り京都に滞在した者には順次暇を与えるとする。帰国後は誓約の趣旨に従い家政を速やかに改革するよう求める。松平・肥後…
追録8-No.724-2 堀田攝津守に謹慎を命じ、肥前側からの廻状到来を記す
堀田攝津守に謹慎を命じる。正文末は閏四月。十九日に太政官代から伝えられた旨を、肥前様衆からの廻状が届いた趣の新納嘉藤二の首尾書に記す。謹慎の理由・期間は本文に示されない。
追録8-No.724-3 右兵衛督と中山前大納言の当職を免じ、別段の思召で御前日参を命じる
右兵衛督・中山前大納言を名書し、当職を免じ、別段の思召によって今後御前に日参するよう命じる。日付は閏四月二十日。御仮建所から渡された趣の、新納嘉藤二による閏四月二十三日の首尾書があると末に記す。
追録8-No.725 小松帯刀に従四位下を宣下する
小松帯刀に従四位下を叙する旨を宣下する。日付は閏四月二十二日。
追録8-No.726 負傷者・病人への慰労に医官らを派遣し、諸道戦士の忠勤を褒めて平定を求める
五月二日、戦闘で負傷し病を患う者の苦痛を慰労する趣旨で、医官前田杏齋と軍曹山縣小太郎を東山道で戦う藩々へ向けて出立させる通知を収める。続く五月の戦士慰労書付は、東山道先鋒の薩州・長州・因州・彦根・土州・大垣と、東海道先鋒の薩州・長州・大村を名書する。慶喜降伏後も抵抗する者があると述べ、小山・宇都宮等…
追録8-No.727 薩摩藩が斥候三名の根岸辺での戦闘を伝聞で届け、確証を得て詳報するとする
五月八日付の薩摩藩の届写。斥候の有吉庄之丞・湯地治右衛門・有馬早八郎が昨七日夕に根岸辺で彰義隊の者八九人と出会い、屯集へ同行するよう囲まれ、断ると斬り掛かられて戦ったという由を報じる。三人のうち一人がその場で斬り伏せられ、敵二人を討ち六人に傷を負わせたとの報を述べる。残る二人は脱出し駒込千駄木観音堂…
追録8-No.728 各藩兵隊へ討伐を命じ、民家放火・家財損壊などの乱妨を禁じる
各藩兵隊への沙汰写。旗下末々の脱走者が上野山内その他に集まり、官軍兵士を暗殺し民の財を掠奪して抵抗しているとの認識を示す。これを赦し難い国賊と呼び、寛仁の道も尽きたとして断然の討伐を命じ、奮戦して民の苦しみを救い速やかに平定するよう求める。一方、従前の軍令どおり、みだりに民家へ放火し家財を損なうなど…
追録8-No.729 新納嘉藤二が上野戦の部隊行動と戦況を七月2日に届ける
太政官日誌中にある薩州藩届書写。五月十五日未明に大下馬へ集まり、西郷吉之助の指揮で命を待ち、六ツ時過ぎに湯島へ進んだと記す。小倉壮九郎の一番遊撃半隊・川路正之進らの足軽隊八十人ほどが上野正面へ、飯牟禮喜之助の大砲隊が砲五門で黒門口御徒町へ進み、鈴木武五郎・篠原冬一郎らの小銃隊等も戦ったと報じる。黒門…
追録8-No.730 中将が改革の迅速な取運びを喜び、今後も心を用いるよう訓示する
白木御文書十一番箱中四十一番の包に、中将の御筆仰出とある。非常の時勢に旧格にとらわれず改革を命じたところ、掛役をはじめ一統が趣旨を受け速やかに進めたことを国家のため深く喜び、今後も心を用いるよう伝える。本文末は五月。包紙には慶応四年戊辰五月十九日に龍衛殿から植村七蔵へ渡され、当座に護置した旨を承知し…
追録8-No.731 議政所の会席と意見提出、御右筆次席の設置・筆者頭取廃止を伝える
御側役等から議政所参謀を命じ、旧右筆所跡へ参謀会席を設け、平日は一両人が勤めるよう定める。意見がある士分以上は参謀へ申し出るか上書し、士分以下は会席へ書付で申し出るよう一同に伝える。議政所調役と六人賄料の項を掲げる。また御右筆次席を設け、議政所筆者頭取を廃し、旧詰所跡に御座を設けるとする。向々へ伝達…
追録8-No.732 蔵入分を外持高で繰り替え、譲渡した高の取纏めと相応の奉公を求める
私領・持切在を与えられた者や祖先の軍功による拝領高を持つ家にも、家の盛衰で上地したり他人へ譲ったりした分があると聞いたと述べる。それでは祖先の功労が立たず家にも遺憾であるため、特別の取計として蔵入高の分を外持高で繰り替えるとする。他人へ譲ってある高についても、心を尽くして精々取り纏め、十分相応の奉公…
追録8-No.733 備後ら五署が中将の改革趣旨を受け今後の精勤と伝達を命じる
中将の御筆の「今般非常の時勢に旧格にとらわれず」という冒頭を示し、前にあるとして正文の引用を略す。その趣旨をありがたく受け、今後ますます心に懸けて精勤し、向々へ伝達するよう命じる。五月に備後・龍衛・刑部・内膳・隼人の五署があり、辰五月二十日に渡されたと末に注記する。
追録8-No.734 不審な筋のない旅人の居付は従来支障ないと再周知する
諸国一統の開港と世風の変化に合わせ、領内も概ね他国に準じた取扱いへ振り替えたと述べる。旅船の入津や領内居付きの希望が増え、定府を免じられて下る数十家部には親族等の捨て置き難い事情もあるとする。旅人の居付は不審な筋さえなければ従来支障ないことなので、改めて向々へ伝達するよう命じる。
追録8-No.735 四藩に府内巡邏を命じ独断捕縛を禁じ、薩藩の白川戦討取報告を収める
慶応四年辰五月十六日の軍令として、薩州・長州・因州・佐土原に府内の潜伏する残賊を警戒して市街を巡邏するよう命じる。みだりな捕縛・打捨を禁じ、見つけた場合は取締って申し出れば指揮する旨を伝える。人数は五十員から二十員までとし、それ以下の少人数を禁じる。続く五月十六日の薩摩藩届は、去る朔日の白川城攻略で…
追録8-No.736 池上四郎左衛門が白川城への進撃・攻略と討取概数を言上する
江城日誌五月六日条から、薩藩池上四郎左衛門の帰府言上の大略を収める。閏四月二十八日に奥州白坂駅(川カ注)まで着き、二十九日の白川城攻撃予定が延期され、本月朔日未明から三方に手配し、五番隊まで黒川村から原街道へ進んだとする。台場を築いて防御する相手へ進撃し各所を崩し、長州・薩州・大垣が城口へ攻め入って…
追録8-No.737 薩藩の二件の戦闘届を、新納嘉藤二が七月2日に死傷注とともに届ける
太政官日誌中の薩州藩届写二件を収める。五月二十六日の届は、昨二十五日に二番・四番半隊と大垣・長州各二十人を大田川宿へ探索に出し、仙台側約百人を撃退して再屯集を防ぐため焼き払い、夕七時に白川へ引き取ったと報じる。二番隊東郷助之丞の戦死、四番隊堅山荘八の深手を記し、七月二日に新納嘉藤二が現地からの別紙を…
追録8-No.738 大総督が薩州藩隊長中の上野戦功を褒め、酒七樽・豚二頭の品目を付す
大総督の感状は、上野山内に集まった賊徒の追討で終日奮戦して速やかに掃撃したとして深く褒め、成功の次第を早く奏聞すると述べ、さらに誠忠を尽くし勉励するよう求める。慶応四年戊辰五月、大総督判の表示を伴い薩州藩隊長中宛とする。別の品目として御酒七樽・豚二頭を掲げ、感状と品目の各末に右一通と表示する。戦功評…
追録8-No.739-1 御名宛に議定職を免じる旨を伝える
雑録中の御名宛書付として、議定職を免じる旨を伝える。本文末は五月。
追録8-No.739-2 御名宛に速やかな東下と鎮定を命じ、用務終了まで議定職同様の政事を求める
累年の大義・忠節と、去冬以来の勤労による王室回復の功業を褒め、出兵行軍費が容易ではないことに配慮したと述べる。一方、東国の凶賊が王化に服さず民が苦しんでいるとの認識から東行を命じ、速やかに東下して諸事を大総督宮と勘議し鎮定の功を尽くすよう求める。五月二十日。追書は、この日から関東の用務が済むまで議定…
追録8-No.739-3 東行の朝命を受けて近日の進発と鎮定を期し、一統に忠勤を求める
別紙のとおり東行の朝命を受け、重大な場合であるため近日に進発し関東鎮定の功を速やかに遂げて宸襟を安んじたいとして、一統に忠勤・勉励を求める。朱記は、この書付を六月三日に奥州白川へ伝え、同日上原藤十郎が京都から到着したことにより皆々が拝承した旨の報があったと記す。近日の進発は訓示中の意向、拝承は朱記の…
追録8-No.739-4 主上が親征を一時猶予し、先鋒の心得で速やかに向かい平定に尽力するよう求める
関東を深く懸念し、民を救うため早く親征する決心だったが、一同の評議の申出により暫く猶予すると述べる。その藩の奮戦による白川・長岡の陥落や江戸上野の追討で鎮定は進んでも、今後の勢いはなお不安だとする。奥羽は古来王化に浴さず、今後関東へ出征させなければ永久に帰順しないとの認識から、先鋒の心得で速やかに向…
追録8-No.739-5 重大な東下奉命への満足を示し、御直衣・御擣帛各一領を内々に賜う
東下の任務は重大であり、速やかに命を受けたことを満足すると述べる。特例として内々に御直衣一領・御擣帛一領を賜るとする。独立した年月日や受け手の実名は記されていない。
追録8-No.739-6 累年の尽力と重なる出兵を考慮し、内々に三万両を賜う
累年国家のため力を尽くし、各地へ出兵して国力がどうなっているかに配慮しつつ、やむを得ない事情で今回の出馬を命じるので、内々に金三万両を賜うと伝える。日付は六月五日。
追録8-No.739-7 修理大夫への東海道発向を見合わせ、藩兵を仙台近海へ海路で急送するよう命じる
東海道へ向かう朝命を受け今日の上程と軍列の叡覧を命じられていたが、大総督府から白川城の官軍が奥羽へ進むので藩人数を海路で仙台近海へ送るよう求める急報が届いたとする。早急な海路発軍を命じ、修理大夫本人はいったん見合わせ、国元兵隊が上着した後に追って沙汰すると伝える。ただし軍列については叡覧する旨を但書…
追録8-No.739-8 嶋津修理大夫に帰国・大兵率同の海路東行と総督側との協議を命じる
東海道発向を命じた後、上程に臨んで大総督宮の急報を受け、国元兵隊の上着まで見合わせ追って沙汰するとした経過を述べる。奥羽討伐は至急の用務なので、いったん帰国して大兵を率い、速やかに海路で東行するよう命じる。大総督宮・三條右大臣等と申し合わせ、早く奥羽を鎮定するよう求める。末は六月。
追録8-No.740 御当地居宅を仮屋と呼び、冗費を省き軍器を備えるよう求める
一所持の制度は本来領地に土着して治乱に備え、不慮の急変にも軍機を失わず速やかに出兵できるものだったが、治平の風習により在府して遠く領地を治める規定になったと述べる。領地の居宅を従来仮屋と呼んできたのに対し、今後は御当地居宅を仮屋と呼ぶよう命じる。家作その他の不要な冗費を節省し、軍器を備えるよう求め、…
追録8-No.741-1 御官名の表示で六月9日の発途予定を届け、執奏を依頼する
いったん帰国して人数を率い速やかに海路で東行するよう命じられたため、明九日に発途すると届け、宜しく執奏してほしいと依頼する。六月八日、御官名の表示で結ぶ届書写。包紙の朱書き七と二印、右一通の表示を伴う。
追録8-No.741-2 新納嘉藤二が小野半左衛門の出頭と太守帰国暇の書付受取を報じる
太守の国許への暇を命じられた件につき、非蔵人口からの呼出に出頭し、大原左馬頭から書付一通を渡されたので報告しておく旨を述べる。この用務を留守居附役勤小野半左衛門が勤めたことを、辰六月八日に新納嘉藤二が主殿へ知らせる。
追録8-No.741-3 新納嘉藤二が六月5日の参内・賜品受領と兵隊進発の変更、礼の取次を報告する
天杯、錦御旗一流、御剣一振、扇子一本、反物一疋、勅筆御写一通、御直衣一領、御襯袖(ママ)一領、書付を添えた金三万両、達書一通の一覧を掲げる。当初は六月五日の辰刻に参内し、そのまま東征へ出馬して南門で軍列を叡覧する予定と承知していたとする。細袖細袴の軍装で議定職の席へ通り、天杯を頂き、中山前大納言を通…
追録8-No.742 感状四通入りとする白川滞陣の外包表示と側役衆島津式部の名を記す
白木御文書中にある外包について、「奥州白川滞陣」「御感状四通入」と表示する。続いて御側役衆・島津式部の名を掲げる。この項は外包の見出し・表示であり、感状四通の正文を載せるものではない。
追録8-No.742-1 東山道先鋒総督らが薩州の馳向・諸藩協力と野州の戦功を褒める
江戸脱走の賊徒や会賊が野州各所に集まって勢いが強い中、薩州の人数が速やかに向かい諸藩と協力して奮戦し、相手が敗散して国内を鎮静させたことを神妙と褒める。さらに勉励し忠勤を尽くすよう求める。末は閏四月、東山道先鋒総督・同副総督の表示に岩倉具定・具経の原注を伴い、右一通と記す。戦況・国内鎮静の範囲と評価…
追録8-No.742-2 薩州の小山・宇都宮等での苦戦を褒め、平定と戦士への伝達を求める
慶喜が降伏しても残賊が各地に集まり官軍に抵抗する中、薩州が野州小山・宇都宮その他で苦戦して進撃したことを褒め、労苦をねぎらう。さらに忠勤と力を尽くして速やかに平定し宸襟を安んじるよう求め、戦士へ伝えるよう命じる。末は五月、右一通。戦況と相手の評価は書付の叙述として記す。
追録8-No.742-3 大総督が朔日の白川城攻略を褒め、奏聞と忠勤を求める
奥羽の賊徒が白川城に拠って官軍に抗する中、去る朔日に奮戦し、寡兵で相手を掃撃して城地を取り賊の胆を破ったことを深く褒める。成功を速やかに奏聞すると述べ、さらに忠誠を尽くすよう求める。慶応四年戊辰五月、大総督の花押No.7表示を伴い、薩州藩隊長中宛、右一通とする。戦況と寡兵・戦功評価は感状の叙述として…
追録8-No.742-4 742の1と同文の正文を略し、外に三月19日付一通があると記す
本文は742の1号文書と同文につき略すとの編集注を置き、右一通と表示する。さらに外に三月十九日付の一通があると記す。この項には同文正文も追加の三月十九日付正文も掲載していない。
追録8-No.742-5 薩摩少将に議定職免除を伝える
薩摩少将の議定職を免じる旨を伝える。本文末は五月、右一通と表示する。
追録8-No.742-6 嶋津少将に中京守護を委ね、四十八番の包の十二月受渡・収納を記す
来る二十一日の親征発輦に際し、京都には列聖の山陵と桂宮准后がおり、浮説や不穏によって良民が害される事態を防ぐ必要があるとして、嶋津少将に留守の中京守護を委ねる。前田中納言・蜂須賀少将等三藩に委任するので取締を厳重にし民を安んじ、その父子の積年の忠勤を深く信頼しているため勅慮を心得て力を尽くすよう求め…
追録8-No.743 島津氏家譜が忠義の大坂拝謁、京都守護賞賜、東海道発向と詔受領を記す
島津氏家譜から、四月十四日に忠義が京都を発って大坂の行在所で天気伺いと拝謁をし、十九日に京都へ帰ったと記す。閏四月八日に主上が京都へ還幸し、十七日忠義が小御所で拝謁して京都取締を褒められ、錦・末廣と天盃を賜ったとする。五月十七日に正親町三條大納言が重臣を召し、内田仲之助が代理で入り、三條大納言から東…
追録8-No.744 忠義が五月17日の内命を受け、即日奉命の書付を作り提出したと記す
御履歴中から、五月十七日に正親町三條大納言が重臣を召し、内田仲之助が代理で参朝した記事を収める。関東戦況の報があり官軍が勝ち難いので、忠義が京都を発って東海道へ赴き大総督宮と軍事を相談して鎮定を図ること、近日に正式な命令を出すが先に趣旨を伝えるという内命を述べる。忠義が謹んで命を受け、書付を作り即日…
追録8-No.745 忠義が五月20日に詔を受け、乗馬叡覧と御学問所での茶菓包物賞賜を受けたと記す
五月二十日に辨事局が書付で忠義を召し、忠義が参朝して詔を受けたと記す。御庭に召され勅命に従って馬を叡覧に供し、続いて御学問所で茶と菓子、別に包物を賜り、日暮れに退朝したとする。島津修理大夫宛の詔は「累年重大義」という冒頭のみを記す。受命と賞賜は履歴の叙述として示す。
追録8-No.746 白木御文書十一番箱中四十八番という出典を示す
白木御文書十一番箱中四十八番という出典表示を収める。後続書付の親見出しであり、この項には独立した正文を載せない。
追録8-No.746-1 正文を739の2と同文として省略する
本文は739の2号文書と同文につき略すとの編集注を収める。この項には正文を掲載しない。
追録8-No.746-2~3 薩摩少将の内命拝承と、御官名の五月28日発途予定を別書付として収める
原印刷746の2・3の二通を収める。第二は関東情勢の報を受け、早く発途して総督宮と相談し鎮定の功を奏聞せよとの内沙汰を謹んで承知した旨を、五月十七日に薩摩少将が述べる。第三は東国の相手が王化に服さず民が苦しむとの朝廷の認識を受け、東行の命をありがたく存じるとして、来る二十八日に当地を発途する予定を届…
追録8-No.746-4 辨事が嶋津少将へ五月20日午半刻の参朝を求める
用務があるので明二十日午半刻に参朝するよう求める。五月十九日、辨事から嶋津少将殿への召書で、右一通と表示する。
追録8-No.746-5 新納嘉藤二が参内、議定職免と書付受領、乗馬叡覧・賞賜と礼の扱いを報告する
今日午半刻に召され衣冠で参内し議定の詰席へ通り、八景間で岩倉右兵衛督から別紙の書付と議定職免の書付を渡され承知したと記す。外様一同と御学問所の御前へ召され、馬術を叡覧に供し菓子・包物を頂き、七半時過ぎに帰殿したと報じる。礼の扱いを尋ねたところ申し上げるに及ばない旨を松室土佐から承知したこと、私も供を…
追録8-No.746-6 内田が正親町三條の内命伝達と、請書を持参して奏聞を取り次がれたことを報告する
五月十七日八時分に辨事御役所から重臣が呼ばれ、内田が代理で出頭し廊下左側の席で正親町三條大納言に面会したと述べる。関東の情勢を受け太守が東海道へ進み総督宮と相談して鎮定する旨を、正式な表向きの沙汰は両日中だが先に内達すると伝えられ、請書を提出するよう求められたとする。右非蔵人口へ請書一通(御官名表示…
追録8-No.747 五月25日に出陣と28日の暇参朝・軍装での叡覧を命じられたと記す
御履歴中から、五月二十五日に忠義が詔を受けた記事を収める。東国鎮定への出陣を命じ、来る二十八日の暇参朝に際し、特別の思召で南門にて行軍の軍装を叡覧する旨を伝える。
追録8-No.748 東海道の裁断委任と六月5日の叡覧指定、参朝後に本人出征を留め兵を分けた経過を記す
六月二日に二詔を受けたと記す。第一は東海道の残賊と小田原での暴挙の報を挙げ、探索し相応に処置するため臨時裁断を委任し、緩急を得て勤めるよう求める。議定職同様の心得で附属諸藩を差配する但書を付す。第二は来る五日に禁闕から関東へ向かう際の辰刻暇参朝と南門軍列叡覧を指定し、同姓島津・秋月兵隊も同様に行軍さ…
追録8-No.748-1 六月8日の受命と、翌9日から14日までの帰国旅程を記す
六月八日に忠義が詔を受けたと記し、島津修理大夫宛の「過日東海道発向」という冒頭を示して以下同断と省略する。詔命に従い、翌九日卯半牌に兵を率いて京都を発ち、十一日に大坂で蒸気艦に乗り東洋を指行し、十四日に鹿児島城へ入ったと記す。受命・旅程は履歴の叙述として示す。
追録8-No.749 六月の参朝・帰国と部隊行動、海戦功賞・年末帰国までを家譜に記す
島津氏家譜から六月五日の軍装参朝・天杯、錦旗一流・剣一口・扇一本・反物一疋、御直衣・御擣帛各一領と金三万両の賜与を記す。西郷の伝言を受け忠義の出征を留め兵を北越と島津伊勢の関東軍に分け、八日に帰国後大兵を率い海路東行する命を受け、九日京都発・十四日鹿児島帰着とする。奥羽・北越の転戦、九月二十三日の容…
追録8-No.750 御系図が忠義の裁断委任、参朝賜与・帰国と六月七月の部隊別戦況を記す
御系図・忠義公から、明治元年六月二日の東海道探索・裁断委任、五日の軍装参朝・軍列叡覧と賜品を記す。親征を衆議で猶予する宸翰と先鋒への依頼、衣二領・金三万両の賜与を収め、急報により本人を見合わせ兵を仙台近海へ送る指示、八日の帰国率兵海路東行命を続ける。翌九日京都発・十一日大坂乗艦・十五日鹿児島帰着とす…
追録8-No.751 白木御文書十一番箱中四十七番を出典として示す
白木御文書十一番箱中四十七番という出典表示を収める。この項は後続書付の親見出しであり、独立した正文を載せない。
追録8-No.751-1~4 四書付で親征猶予と先鋒任務、内々の金衣賜与、帰国率兵の海路東行を伝える
原751の1~4を一行に収める。第一は関東の乱を懸念する主上が親征を一時猶予し、白川・長岡・上野の戦況を述べ、先鋒の心得で速やかに向かい平定に努めるよう求める勅書写。第二は累年の尽力と各地の出兵による国力を考慮し、今回の出馬に際して内々に金三万両を賜う六月五日の書付。第三は重大な東下の命を速やかに受…
追録8-No.751-5 藩兵を仙台近海へ海路で急送し、修理大夫の進発は兵隊上着後まで見合わせる
東海道への発向と今日の上程・軍列叡覧を命じていたが、白川城の官軍が奥羽へ進むため藩人数を海路で仙台近海へ送るよう求める大総督府の急報が届いたとする。早急な海路発軍を命じる一方、修理大夫本人は見合わせ、国元兵隊が上着した後に追って沙汰すると伝える。但書は軍列の叡覧を行う旨を残す。日付は六月五日。
追録8-No.752 三書付入の包と三つの同文省略参照を示す
白木御文書十二番箱中の外包に、四番・御書付三通とあることを示す。第一は原751の3、第二は原751の2、第三は原751の1と同文につき略すという三つの編集注を収める。参照する三正文はこの項に掲載していない。
追録8-No.753 内命・参内賜品を向々と琉球中山王へ伝え、東行忠勤と五月28日の進発日限を周知する
通達留の原1~5を一行に収める。第一は先月十七日の重臣呼出と太守東行の内命拝承、同二十日の参内・議定職免、関東鎮定の書付二通、乗馬叡覧と菓子・包物を報じ、向々と大奥へ知らせ、中山王にも琉球館を通じ承知させるよう指示する。第二は内閣役・仮屋守へ伝えることを慶応四年辰六月の六署で命じ、御名宛に五月の議定…
追録8-No.754 典姫と嶋津備後の縁組・24日引越予定を伝え、当日からお典殿と呼ぶよう命じる
典姫と嶋津備後の縁組を命じ、来る二十四日に引越す予定なので、その日からお典殿と呼び、諸書付にもこの文字を用いるよう伝える。内用頼御用人を通じ向々に知らせ、大奥等と二丸御子様には広敷御用人・附小納戸から伝え、中山王にも承知させ佐土原仮屋守にも伝達するよう求める。辰六月、龍衛の署。縁組の命と引越予定・呼…
追録8-No.755 京都残置兵の規定を取消して国元備えを求め、五月の徳川家・諸侯列・高家朝臣の沙汰を記す
以前は万石につき国元で兵士五十人、京都へ二十五人を残すよう布告したが、京都の残置人数の規定を一切取消し、国元の備えを厚くするよう求める。既存の京都残置人数の進退は伺いを済ませた後に行うとし、朱記は辰六月。続いて、徳川亀之助に駿河国府中の城主を命じ領地高七十万石を与え、駿河一国のほか遠江・陸奥にも下賜…
追録8-No.756 御当地居宅を仮屋と呼び、冗費を省き軍器を備えるよう伝える
一所持は本来領地に土着して治乱に備え、急変にも軍機を失わず速やかに出兵できる制度だったが、治平の風習により在府して遠く領地を治める規定になったと説明する。従来私領居宅を仮屋と呼んだのに対し、今後は御当地居宅を仮屋と呼ぶよう定める。家作その他の不要な冗費を省き軍器を備える趣旨を向々へ伝え、一門方には内…
追録8-No.757 祝儀時は黒戎服、平日調練は筒袖細袴で色合自由と伝える
海陸軍の服について、来年の年頭や特別な祝儀の時は黒の戎服を用い、平日の調練などは筒袖・細袴とし、色合いは随意で構わないと伝える。大隊長と御船奉行へ申渡し、承知すべき向々にも知らせるよう命じる。朱辰六月、備後・刑部の署。
追録8-No.758 大久保一蔵に東下の重任を委ね、大総督宮・三條等を輔け鎮定に努めるよう求める
太政官日誌中の大久保一蔵への達書写。従前の勤勉と一新に際する尽力を褒め、朝廷が今日の隆運に至ったのは旧主の忠誠と大久保らの力によると評価する。官をもって東下することを重任とし、さらに奮発して関八州・奥羽の残賊に至るまで速やかに鎮定の功を奏するよう、大総督宮・三條等を輔翼することを命じる。末は六月。評…