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追録8の目録

暫定版です。原文との照合により、概要や文書の区切り等を修正する場合があります。

全2,290件中 101~200件・2 / 23ページ

  1. 追録8-No.59-1 幕府老中達書

    松平大隅守島津斉興へ、松平渓山島津斉宣の叙位を伝えた達書写し。由緒による格別の思し召しをもって正四位上に叙すると告げる。本文に独立した日付はなく、同件のNo.58は天保十一年十二月四日の沙汰とする。

  2. 追録8-No.59-2 島津久宝書状

    島津主計が、島津但馬・石見、菱刈安房、猪飼央へ、中将斉宣の位階昇進に関する達しを伝えた書状。白書院の縁頬に老中が列座し、太田備後守から太守斉興へ別紙書取写しのとおり伝えられたため、江戸側の役人へ申し渡したとし、国元の役人への申渡も取り計らうよう求める。御記録奉行には別に伝えてあると付す。正文は子年十…

  3. 追録8-No.60 島津斉興吉書

    島津斉興の吉書。神社仏閣の修造・興行、農事への専念、国内の年貢徴納の三箇条を、その旨に従って沙汰するよう命じる。天保十二年正月十一日付で御判がある。

  4. 追録8-No.61 斉興告ヲ賜ハリ帰国ス

    天保十二年正月二十五日、斉興が上使太田備中守資愛を通じて告と例年どおりの品々を賜った記事。大御所家斉は井上河内守、右大将家定は堀田備中守を上使としてそれぞれ例年の品々を賜ったと記す。二十八日に斉興が登城して礼を述べ、懇命と例年どおりの馬を賜る。閏月十九日夜に江戸を発ち、三月十二日に鹿児島へ着いたこと…

  5. 追録8-No.62 島津久宝書状

    斉宣の位階昇進に伴う位記・口宣の受領経過を、島津主計が家老らへ伝えた書状。使者の物頭川上拾郎左衛門を京都へ遣わし、先月五日に徳大寺の邸へ官物を納めて口宣等を受け、献上物も済ませたと記す。通常は江戸で願い出た日に宣下されるが、今回は触穢中のため同じ扱いにできず、先月四日の叙位となったと説明する。近衛へ…

  6. 追録8-No.63 国吉朝章起請文前書

    国吉親方朝章の起請文前書。前年に三司官役を命じられたことを受けた起請文だが、冒頭の文言の途中から略し、他の条文も通例によるため省略した旨を付す。神文も略記し、天保十二年四月二十四日付で朝章が判を付す。本文に残らない条項の内容は確定できない。

  7. 追録8-No.64 久治久光系譜抄

    島津久光の子久治の系譜抄。初め久中といい、篤次郎・右近・図書の呼称を記す。天保十二年四月二十五日に重富の邸で生まれ、母は島津忠公の娘とする。島津図書久寶の養子となり、明治五年正月四日に没したこと、神号が霊文新治彦命であることを記す。

  8. 追録8-No.65 菱刈隆観申渡書

    御臺様の御筆による「護國権現」の文字一幅について、表装・収納具・保管手順を詳しく記した菱刈安房の申渡書。表装は牡丹唐草の金欄、葵紋散しの中縁、龍模様の一文字綾の風帯、唐木の軸などを列記し、紅・紫の「不洗」包や真田緒付きの箱を記す。白木内箱に斉宣、二重箱に斉興、三重箱に斉彬の金泥の箱銘があり、黒塗四重…

  9. 追録8-No.66 島津斉宣諭書

    斉宣の御筆の写しとして収める、人君の職責を説いた諭書。先に「亀鶴問答」を書いた後も考え、人君は難しい大職であると述べる。庶人なら友人や仲間の議論で誤りを直せるが、人君には朝夕仕える臣下でも善悪を率直に言う者が少なく、誤った心得が増すと民が苦しむため、小事も慎むべきだと説く。塵が積もれば山となるように…

  10. 追録8-No.67 斉宣徳川家斉ノ遺物ヲ賜ハル

    天保十二年三月二十日、上使松平玄蕃頭忠恵が高輪邸へ来て、文恭廟家斉の遺物である短刀一腰を斉宣へ賜った記事。短刀には相模国の「網光」と読める注があるが、作者名の字形は留保する。

  11. 追録8-No.68 斉宣薨ジ、福昌寺ニ於テ葬礼・法事行ハル

    斉宣の死去と帰葬、葬礼・法事を記す記事。天保十二年十月十三日に江戸高輪邸で病没し、享年六十九、法号は大慈院殿舜翁渓山大居士とする。脇注は十月十四日を忌日とする。二十七日に幕府が牧野山城守を遣わし香奠銀五十枚を贈った。十一月十七日に霊柩が江戸を発ち、翌十三年正月八日に出水、十二日に鹿児島の福昌寺へ入り…

  12. 追録8-No.69 斉興幕府ニ金米拝借ヲ請フ

    同年秋に琉球使節を率いて参府する予定のため、斉興が将軍家へ金米の拝借を願った記事。辛丑七月二日、召しに応じて秋月筑前守種任が斉興の名代として登城し、金一万両の拝借許可を受け、月番老中堀田備中守がこれを伝えたと記す。願いは金米の拝借だが、この記事が具体的に記す許可額は金一万両である。

  13. 追録8-No.70 斉興父公斉宣ノ葬礼ヲ行フ

    斉興の父斉宣が天保十二年十月十三日に江戸高輪邸で病没し、十一月十七日に霊柩が江戸を発ったことを記す。翌十三年正月十二日に鹿児島の福昌寺へ入り、十五日に葬送の礼を行ったとし、詳しい内容は父公の譜にあると付す。

  14. 追録8-No.71-1 水野忠邦外二名連署状

    真田幸貫・土井利位・水野忠邦が松平大隅守へ出した、松平渓山斉宣の死去に対する弔慰の連署状。死去の報告が上聞され、悲しんでいるであろうとの思し召しを伝えるよう命じられたと知らせる。十月二十七日付で三名が署判する。

  15. 追録8-No.71-2 間部詮勝・井上正春連署状

    井上正春・間部詮勝が松平大隅守へ、松平渓山斉宣の死去について言上され、悲しんでいるであろうとの思し召しを伝える旨を知らせた弔慰の連署状。十月二十七日付で二名が署判する。二通を同じ包紙へ納めたとの注があり、外包は天保十二年十二月十八日に安房殿から町田二郎四郎へ渡され、白木御文書十番箱へ納めたことを記す…

  16. 追録8-No.72 島津久風外四名連署知行目録

    高崎金之進へ高五十石を与える知行目録。蒲生上久徳村、川辺平山村、帖佐豊留村米満門、清水姫城村今吉門、曽於郡松永村華山屋敷の内を列記し、名寄帳は別冊とする。改革の初めから担当し、毎年三都へ派遣されて昼夜精勤し、役職を任されて内用の都合を取り計らい、近年は大坂への居付も命じられたことを賞して、特別の思し…

  17. 追録8-No.73 島津久風外四名連署証状

    松齢義弘の肖像一躯を大乗院へ安置し、後の住持も祭祀を怠らないよう命じた連署証状。義弘が泉州堺で道興へ直に与えた肖像を、住吉辺の草庵松齢院へ置き、後に道興の子孫が京都相国寺内の林光院へ移した経緯を記す。斉興がこれを聞き、別の画像と引き替えて旧肖像を取り返した。義弘には伊集院妙円寺という御寺があるが、今…

  18. 追録8-No.74 斉興義弘肖像ヲ大乗院ニ移ス

    斉興が義弘の肖像を京都から鹿児島の大乗院へ移した記事。慶長五年、関原の役から泉州へ退いた義弘は、知己の今井道興の家へ潜み、懇厚な待遇を受けて危急を免れた。後に道興の願いに応じて肖像を与え、義弘没後、道興は庵を築いて像を安置し松齢院と称した。曾孫某が僧となり京都相国寺内林光院の住持となって像を移し、大…

  19. 追録8-No.75 家老座達書

    家老に任じられた島津和泉久風へ、上下一具を与え、桐紋を子孫代々の定紋として用いることを認めた達書。年来の精勤、とくに勝手方の勤務と、今回任された役務全体への信任を賞し、特別の思し召しで付与する。三月十七日に御前で御取次碇山将曹を通して命じられたとの注がある。包紙には、天保十三年三月十八日に石見殿から…

  20. 追録8-No.76 島津久風証状

    市来龍雲寺に伝わる立久の古い画像一幅を修補し、同寺で永く格護するよう命じた証状。顔貌は明瞭だが装束などが傷み題号も不明瞭であったため、斉興の命で奥医師と絵師馬場伊蔵が立ち会い、伊木七郎右衛門が調べた。永正七年の記録見聞にある家紋の記載と対応することを確認し、その家紋を採って修補した。風帯・一文字は青…

  21. 追録8-No.77 斉興琉使ヲ率ヒ参府ス

    家斉から家慶への将軍職継承を祝うため、中山王が派遣した正使浦添王子朝憲と副使座喜味親方盛普を、斉興が率いて参府した記事。天保十三年六月五日に正使、六日に副使が鹿児島へ着いた。八月二十一日に副使盛普が鹿児島を発ち、二十二日に斉興が正使朝憲を率いて出発した。十一月八日に斉興と正副使が江戸へ着き、翌年三月…

  22. 追録8-No.78 包次郎久光・於寛久光系譜抄

    玉里久光公の子の系譜から包次郎と於寛の条を収める。包次郎は天保十三年七月晦日に重富第で生まれ、母は島津忠公の女、天保十四年四月七日に没し、法名を暁夢法大とする。於寛は天保十四年閏九月七日に同じ重富第で生まれ、母は同じと記す。喜入多門久博の室となり、文久二年七月二十七日に没した。於寛の法名の字形は留保…

  23. 追録8-No.79-1 島津久風外四名連署証状

    近衛内府忠熙から斉興へ贈られた官服を御納戸の譲物として格護するよう命じた連署証状。天保十一年三月十一日、伏見駅に使者が来て斉興が拝領したと記す。御差貫は白地に鳥襷の紋柄、御表袴・御袍にも紋柄を記し、桐箱の蓋表には御官服の銘、蓋裏には拝領の経緯と品物を書き付けたとする。後年にも事情が明らかになるよう記…

  24. 追録8-No.79-2 島津久風外四名連署証状

    西丸普請費の金献上に対して家慶から斉興へ与えられた刀一腰を、御納戸の譲物として格護するよう命じた連署証状。天保十年十二月六日、斉興の名代として南部伊勢守が登城した際に拝領した。刀は備前国長船住清光、長さ二尺三寸七分半、代金二十枚の折紙付きとする。三所物は赤銅地に色絵、鎺は二重で上下金着、切羽も同じ、…

  25. 追録8-No.80 島津久浮達書

    嶋津靭負の二男が生まれた際、家号を願い出たことに対し、嫡家の由緒によって「花崎」を認めた達書。以後、二男以下は花崎を家号に用いてよいと記す。八月付で石見が署名し、御記録奉行へ宛てる。包紙には天保十三年八月二十八日に石見殿から東郷半兵衛へ渡し、白木御文書十番箱に納めたとの記録がある。

  26. 追録8-No.81 斉興継豊ノ祧廟ヲ遷ス

    斉興の先考大慈公斉宣の死去により、有邦公継豊を祧廟へ遷したことを記す。祭祀も他の祧廟の例に従うべきであるため、祭資を改め、以下のとおりとすると述べる。具体的な仏餉の変更は続くNo.82の申渡書に収められる。

  27. 追録8-No.82 島津久浮外二名連署申渡書

    六霊の仏餉の高・米を銀の元金とその年利へ改める申渡書。有邦院の高百五十石は銀百五十枚・年利銀一貫、浄岸院の高百石は銀百枚・年利銀三百六匁二分、瑞仙院の米三石は銀十枚三十七匁三分九厘一毛・年利銀三十九匁二分六厘一毛、月桂院の高二十五石は銀二十五枚・年利銀九十三匁三分、妙心院の米五石は銀十八枚四匁九分八…

  28. 追録8-No.83 斉興正四位上ニ叙セラル

    天保十三年十二月朔日、月次の賀儀で登城した斉興が正四位上に叙せられた記事。用番堀田備中守正篤が大目付神尾山城守元孝を遣わして、賀儀の後も留まるよう知らせた。斉興は白書院縁頬へ召され、特旨による正四位上への叙位を堀田から伝えられた。

  29. 追録8-No.84-1 島津斉興叙正四位上口宣案

    正四位下の源斉興朝臣を正四位上に叙する宣旨の口宣案。上卿を徳大寺大納言とし、天保十三年十二月一日の宣旨として「宜叙正四位上」と記す。蔵人左少弁兼右衛門権佐春宮大進藤原資宗が奉ずる。旧御番所御文書四番箱中の文書で、関連する職事等書立と合わせて二通との注がある。

  30. 追録8-No.84-2 上卿職事等書立

    上卿を徳大寺大納言、職事を日野左少弁と書き立てた一通。薩摩宰相の表示を付す。No.84の1の口宣案に続いて収められ、口宣案とこの書立を合わせて二通とする注がある。本文自体には日付・用件の詳述がないため、日付は同件の口宣案・位記との対応として扱う。

  31. 追録8-No.84-3 島津斉興叙正四位上位記

    正四位下の源朝臣斉興を正四位上に進める位記。中務の職と兵欄・羽衛に関わる勤め、精誠と夙夜在公を挙げ、栄級を申して寵章を用いるとして、主者の施行を命じる。二品行中務卿仁親王の宣、行中務大輔卜部行學の奉、行中務少輔藤原隨資の行に続き、大納言・中納言の官位と氏名を列記する。制書・施行の文言、幸経らの謹言、…

  32. 追録8-No.85 菱刈隆観申渡書

    報七郎が種子嶋伊勢の名跡を継ぐよう、この日に命じられたことを御記録奉行へ知らせ、帳面に記すよう求めた申渡書。報七郎には斉宣の男久珍、種子嶋伊勢には久道という人物注がある。十二月八日付で安房が署名する。包紙には天保十三年十二月八日に安房殿から奥勇蔵へ渡し、白木御文書十番箱へ納めたと記す。

  33. 追録8-No.86 幕府沙汰書

    琉球人を率いて参府する御代替の祝儀の際に官位を進める先格はあるが、斉興は由緒柄への特別な扱いで既に官位昇進を受けているため、今回は進める沙汰には及ばないとされていた経緯を記す。しかし「一位様」(家斉室・重豪女との注)が高齢ながら斉興の昇進を深く心配してたびたび進言したため、正四位上を命じると伝える。…

  34. 追録8-No.87 菱刈隆観申渡書

    種子嶋報七郎の登城時の進退・礼席・呼称を定める申渡書。年頭・五節句などの登城は嶋津若狭一列上口から上がり、水仙之間下の休息所で控える。五節句・月次の礼席では御座之間二之間末の敷居から三重目で、御一門・家督・部屋栖の礼が済んだ後に進み、着座せず御側御用人が姓名を披露する。留守年寄は御座之間の礼の後、鶴…

  35. 追録8-No.88 登城装束伺一件

    太守が賀慶使を率いて登城する際、狩衣と立烏帽子を着用したいとする伺書二通、これに関する留守居首尾書二通、江戸詰家老衆の問合を収めた一冊の蓋紙。白木御文書十番箱中の十三番、天保十四年正月、御記録所の表示がある。蓋紙自体を幕府の指図書として数えず、配下の各書付の構成を示す見出しとして扱う。

  36. 追録8-No.88-1 島津斉興伺書

    宰相に任じられたことを国中だけでなく琉球国も喜んでいるとして、賀慶使を伴う登城のときだけ、官位相当の服を着用したいと伺う書付。昇進の廉目を立てて異国人にも納得させたいと述べ、先祖代に近衛家から贈られた織物狩衣と立烏帽子を用いること、先祖の着用例と官位相当の服であることを挙げる。これまでの着服とは変わ…

  37. 追録8-No.88-2 島津斉興伺書

    宰相拝任後、初めて中山王の賀慶使を伴って登城する際に、立烏帽子を着用して差し支えないかを伺う書付。特別な御恩沢に感謝し、昇進を命じられたことにより着用が可能であれば用いたいと記す。十一月十四日付で松平大隅守が記す。朱注には書面の趣旨について差し支えないとする応答の記録がある。

  38. 追録8-No.88-3 近藤隆左衛門首尾書

    宰相拝任後、賀慶使を率いる登城の際に狩衣・立烏帽子を着用したいとする太守の伺について、留守居近藤隆左衛門が取り次ぎの首尾を報告した書状。添える御書付一通と御書取一通の説明に、水野越前守と御用人関善左衛門を記す。御用人中からの切紙により、本日中に一人が御勝手へ出て御書付へ御書取を添え、御用人を通して渡…

  39. 追録8-No.88-4 近藤隆左衛門首尾書

    琉球人を伴う登城の用度について立烏帽子を着用する件の御書付一通と御書取一通を添え、取次と応答の首尾を報告した書状。御用番水野越前守・御用人松元彌右衛門の表示を付す。御用人中からの切紙に応じ、本日中に一人が御勝手へ出て、御書付に御書取を添え御用人を通して渡し、御附と御書取を差し上げる旨を伝えた。近藤隆…

  40. 追録8-No.88-5 調所笑左衛門書状

    琉球人を伴う登城で織物狩衣・立烏帽子を用いたいという太守の内意について、御記録奉行へ伝えてよいかを調所笑左衛門が五名へ問い合わせた書状。太守の内意を受け、当六月に御用番水野越前守へ願書を出したところ、八月十九日付の御書取で書面の趣旨は無用とする応答を得た。その後、参府の上で立烏帽子着用を改めて願い、…

  41. 追録8-No.89 島津斉興吉書

    天保十四年五月十一日付の斉興の吉書。神社仏閣の修造を興行すること、農事に専心すること、国々の年貢を徴納することの三箇条を掲げ、この旨を沙汰する文書であると記す。斉興の御判を付し、白木御文書十番箱中の十四番の表示がある。

  42. 追録8-No.90 斉興更ニ節倹ノ令ヲ出ス

    国の財用が空乏し三都での負債が多かったため、節倹による改革を十三年続け、やや収束してきたことを述べる記事。その後に官員が再び怠慢となって改革が崩れるおそれがあるとして、斉興が以下の戒めを出したと記す。具体的な諭達は続くNo.91に収められる。

  43. 追録8-No.91 島津斉興諭達

    財政改革の経緯を振り返り、家老中へ厳密な財政運営と倹約の継続を命じた諭達。文政期には三都の当借りも尽き江戸詰の賄いが十箇月余滞るほど逼迫し、故三位重豪へ相談して、大借りの元利を一旦断ち、年々の産物料で江戸常式続金・京大坂入用・国元用分・臨時費を賄う改革を始めたとする。積年の借入金は百万両に及び、銀主…

  44. 追録8-No.92 斉彬、修理大夫ト改称ス

    斉彬公御系図から、天保十四年二月九日に修理大夫へ改称したことを記す一条。

  45. 追録8-No.93 勝姫斉興養女系譜抄

    斉彬公御妹の系図に女子勝姫を記す。天保十四年に斉興が養子とし、明治八年六月十日に没したとする。神号は奇霊真勝姫命と記す。本文は出生年月日を記さず、天保十四年を出生年とは扱わない。

  46. 追録8-No.94 仁孝天皇女房奉書

    「さつまの四位」から今回の位階への御礼として黄金百両と絹三十疋を進上したことを記す女房奉書。披露された品を面白く見たこと、心得て伝えるよう求める意向を知らせ、御心得として伝達する。二月二十七日付で、いまの御局への取次表示がある。蓋には「斉興公正四位上女房奉書一通」と記す。

  47. 追録8-No.95 菱刈隆観申渡書

    大慈院斉宣への寄附高百五十石について、物計をもって年々福昌寺へ渡し、大信院重豪の寄附高と同様に扱うよう命じた申渡書。近日渡す判物に家老中の添書を付け、大目付の使者をもって寺へ渡すとし、先例のように新番から同日に申渡し等を行うよう指示する。寺社奉行・御記録奉行その他の関係先へ伝えること、日限は追って知…

  48. 追録8-No.96 島津斉興吉書

    天保十五年五月十一日付の斉興の吉書。神社仏閣の修造を興行すること、農事に専心すること、国々の年貢を徴納することの三箇条を掲げ、その旨を沙汰する文書であると記す。斉興の御判を付し、白木御文書十番箱中の十七番の表示がある。

  49. 追録8-No.97 斉興参府、日光廟ニ参詣ス

    天保十五年の斉興の参府行程と日光廟参詣を記す記事。二月六日の巳刻に鹿児島を発ち、三月十五日に江戸へ着いた。大家から宿次奉書により御鷹の鶴を与えられ、参府途中の二月十八日に豊前小倉駅で受け取ったと記す。四月二日に江戸を発って日光廟へ詣で、十二日に江戸へ帰った。

  50. 追録8-No.98 幕府指図書

    御本丸普請のため金を上納したいという松平大隅守の内願が聞き届けられ、金十五万両の上納を命じる指図書。その金を普請の用途に加える旨を伝える。包紙には、御本丸普請で金十五万両上納を命じた御書付一通を、天保十五年六月十七日に主計殿から榎本新兵衛へ渡し、白木御文書十番箱へ納めたと記す。

  51. 追録8-No.99 斉興御鷹ノ雲雀ヲ拝領ス

    天保十五年八月三日、大家が上使本田丹下を通じて、御鷹の雲雀を斉興へ賜ったことを記す記事。上使の実名は本文に記されない。

  52. 追録8-No.100 珍彦久光系譜抄

    久光公の子の系図から珍彦を記す。男女七人の表示があり、珍彦には後に初紀寛、忠鑑、敬四郎、又次郎、周防・常陸・備という名や称号の表示を付す。天保十五年十月二十二日に重富第で生まれ、母は島津忠公の女とする。文久元年四月に父忠教が重富家を去って本室へ戻ったため、忠鑑がその後を継いだと記す。各名・称号の対応…

  53. 追録8-No.101 斉興弘化改元ヲ告ゲラル

    十二月三日に弘化への改元を記す。冬十二月二十五日、上使牧野備前守忠雅が改元を告げ、品物を例のとおり賜った。大将家定公からも上使戸田山城守忠温を通じて品物を例のとおり賜ったとする。二十八日には斉興が登城して謝礼を述べ、懇命を受け、馬を例のとおり賜った。本文の天保十五年表示と弘化改元の日付を区別して収め…

  54. 追録8-No.102 島津久宝外四名連署知行目録

    田中善左衛門へ高三十石を与える知行目録。伊集院麦生田村、帖佐住吉村福元門、谷山五ヶ別府村浮免の内を列記し、名寄帳は別冊とする。改革開始から担当し、十八箇年にわたって京都・大坂へ詰め、抜群の骨折りと精勤で御用に役立ったことを賞して、特別の思し召しで付与する。同年三月十八日に京都で拝領したことを付し、天…

  55. 追録8-No.103 広敷用人調書

    籠姫・澄姫・邦姫の実母について、親の姓名・実名と、他人の養女の場合は養父の姓名・実名も調べた広敷御用人の報告。江戸詰同役へ問い合わせた結果を十二月二十三日付で申し越す。斉宣女の実母をお百十之方とし、真如院之方の親として亡橘川次郎兵衛と橘時吉を挙げる。斉彬女澄姫については、天保三年閏十一月二日に嶋津但…

  56. 追録8-No.104 赤松主水書状

    太守が国許で御暇を命じられ、その御礼を御座之間で申し上げたいとする内願について、赤松主水が五名へ結果を知らせた書状。前年の御暇御礼は御黒書院へ上がったが、その後西丸での月並登城が御座之間の御目見となったため、今回の御暇御礼も御座之間とされ、御黒書院の格に心得るよう御書取を渡されたと記す。弘化元年十二…

  57. 追録8-No.105-1 調所広郷・赤松主水連署書状

    廣大院の法号を国元の菩提所へ安置し法事を行いたいとの願いについて、赤松主水と調所笑左衛門が五名へ経緯を知らせた書状。御用番阿部伊勢守からの伺に関する指示を踏まえ、法号等は久世出雲守に承合うよう求められた。十二日に礼をもって渡し、十四日に留守居付役淵邊仁右衛門から法号の別紙を受け取ったことを報告する。…

  58. 追録8-No.105-2 島津斉興伺書

    廣大院との特別な由緒により、その法号を国元の菩提所へ安置して法事を行いたいと伺う書付。十二月三日付で松平大隅守が記す。朱注は付札による応答として、法号等の詳細を久世出雲守へ承合うよう指示したことを記す。願いと応答を区別して収める。

  59. 追録8-No.105-3 半田嘉藤次・淵邊仁右衛門首尾書(三通)

    廣大院法号の国元安置に関する三通を収める。印刷「の3」は半田嘉藤次が辰十二月三日付で主水へ宛てる首尾書。阿部伊勢守・御用人山岡衛士の表示を付し、御勝手へ書付を持参して服部九十郎と相談し、御用人へ提出、帰宅後に結果を知らせる旨を伝え、西筑右衛門がその夕方に勤めたと報告する。「の4」は同じ半田が十二日付…

  60. 追録8-No.105-6 半田嘉藤次添書

    「右之通」勤めて申し出たとして、法号を差し上げることを報告する短い添書。辰十二月十三日付で半田嘉藤次が主水へ宛てる。末尾に「右一冊トス」の表示があり、廣大院法号安置一件の冊子終端に当たる。

  61. 追録8-No.106 斉興帰国ス

    弘化二年正月二十五日に斉興が江戸を発ち、三月九日に鹿児島へ着いたことを記す帰国の記事。

  62. 追録8-No.107 斉興日州諸郷ヲ巡視ス

    斉興が菱刈・真幸・日州諸郷を巡視した記事。三月二十一日朝六時に玉里仮館を発ち、家老調所広郷らが随行した。入来・鶴田・曾木を経て大口に泊まり、忠元霊社、水天宮、白木観音を参詣した。二十六日に大口を発って馬越・湯之尾・湯之元・栗野・吉松を経、加久藤城内で三徳を訪ね地神経の楽を聴き、白鳥山を越えた。飯野・…

  63. 追録8-No.108 於直久光・忠欽久光系譜抄

    玉里久光公の子の系図から於直と忠欽の条を収める。於直は於貞とも記し、弘化二年五月二十八日に生まれ、実父は島津兵庫久長、母は喜入多門久通の女とする。文久二年六月に久光の義子となり、九月に斉彬の養女へ追擬されたと記す。忠欽は初紀堯・英之進の表示を付し、弘化二年十一月二十三日に重富第で生まれ、母は島津山城…

  64. 追録8-No.109 寛之助斉彬系譜抄

    斉彬公の子の系図から寛之助の条を収める。男女四人の表示があり、寛之助は弘化二年七月二十八日に生まれ、母は横瀬三郎兵衛克己の女とする。嘉永元年五月五日に夭折し、法名は麗光院殿と記す。脇注は五月七日を忌日とするため、本文の没日と忌日を区別する。

  65. 追録8-No.110-1 千眼寺寿像安置記録

    寺社仏閣調に、弘化二年九月六日に千眼寺へ斉興の寿像を安置したことを記す。大信院重豪の御影を相殿へ安置するに当たり、以後、護国殿と呼ぶよう命じたことも記す。同年九月に安房殿から渡された旨を付す。寿像の材質・形態は本文に記載がないため補わない。

  66. 追録8-No.110-2 千眼寺寺高増付記録

    千眼寺へ高二百石を給付した記録。故三位重豪の寿像等の安置に当たり寺務が難渋したため、先に寺領高三百石を与え、寺の家廻りや手広の再建を取り継いだ経緯を述べる。さらに太守の寿像等を安置したことで年中の祭料などが難渋したため、今回二百石を重ね、合計五百石とした。所務は従来の寺高と同様に扱うよう命じ、弘化二…

  67. 追録8-No.111 島津久宝外四名連署知行目録

    調所笑左衛門へ高五百石を与える知行目録。鹿児島・曽於・清水・国分・谷山・伊集院・郡山・伊作・本城・加久藤・飯野・出水・勝岡・小林・末吉・志布志・横川・財部・串木野・大村の村・門・浮免・屋敷の内を列記し、名寄帳は別冊とする。財用の難渋と借財増大で公務も滞った中、文政十一年から重豪の相談を受けて改革・内…

  68. 追録8-No.112 島津久宝外四名連署副書

    願いにより御家系図一冊を渡す際の副書。家の全備の系図を受け取りたいとの願いに対し、斉興がこれを与える。ただし公辺・他所への書き出しや書籍編集での引用などを厳禁とし、後代もその旨を守って秘蔵するよう求める。この条件を副書へ記し署判して差し上げるとする。弘化二年十二月二日付で尚敏・久備・隆観・久武・久宝…

  69. 追録8-No.113 島津久宝外三名連署知行目録

    高崎金之進へ高五十石を与える知行目録。鹿児島小山田村、国分向華村、伊集院恋之原村西門、鹿児島大迫村小浮免の内を列記し、名寄帳は別冊とする。財用の難渋に対し文政十年ごろから改革を始め、調所笑左衛門の取扱いを補佐して江戸・京・大坂・国許に出向き昼夜精勤し、役務を果たした功労を挙げる。大坂居付で難しい内用…

  70. 追録8-No.114 島津斉興吉書

    弘化三年正月十一日付の斉興の吉書。神社仏閣の修造を興行すること、農事に専心すること、国々の年貢を徴納することの三箇条を掲げ、その旨を沙汰する文書とする。斉興の御判を付し、白木御文書十番箱中の二十六番の表示がある。

  71. 追録8-No.115 斉興参勤シテ参府ノ礼ヲ述ブ

    弘化三年二月四日の巳刻に斉興が鹿児島を発ち、四月二日に江戸へ着いた参勤の記事。四月十三日、大家の上使青山下野守忠良が来て参府を問うた。十五日に斉興が登城して参勤の礼を述べ、さらに例のとおり懇命を受けたと記す。

  72. 追録8-No.116 斉興生母卒ス、斉彬異国船警備ノ為告ヲ賜ハル

    弘化三年閏五月十九日に斉興の生母鈴木氏が没したことを記す。七十五歳、法名は宝鏡院殿円爾妙鑑大姉、福昌寺に葬ったとする。脇注に母の呼称を記すが細字は留保する。別段で、このころ斉彬へ異国船が琉球へ来たため斉興に代わって下国し警備するよう命じられたと記す。母の死去と下国警備の命を、別の事項として区別して収…

  73. 追録8-No.117 斉興帰国、斉彬異国船警備ノ為告ヲ賜ハル(目録標題。本文は斉彬帰国)

    斉興と斉彬が六月朔日の月次賀儀で登城し、斉彬への下国の命にも謝した記事。老中阿部伊勢守正弘が目付深谷遠江守を遣わし、賀儀後に斉興・斉彬が待つよう命を伝えた。家慶が座之間に臨み、二人は拝謁して御恩に謝し、懇教を受けた。将軍の退座後、老中列座の黒書院杉戸涯で二人はさらに懇命に謝したと記す。別段は六月六日…

  74. 追録8-No.118 軍役方改革通達

    御役人・書役・小役人等の近年の昇進や重身分沙汰が年数だけを基準とするようになり、功績が薄くなっているため、能力があり抜群に役立つ者は年数にかかわらず取り調べて上申し、それ以外の年功者も従来以上に格別に扱うよう命じた通達。七月付で御取次二階堂志津馬へ伝える。白木御文書十番箱中の二十七番の外包には、弘化…

  75. 追録8-No.119 斉興千眼寺寺高ヲ増付ス

    千眼寺は先に大父故三位重豪の像を安置して寺高三百石を付けられ、後に寺を再建して手広にし、斉興の寿像も安置したため、弘化三年十月十二日にさらに寺高を増付したと記す記事。増付額はこの記事で「三百石」と記し、国老を連署させ命を伝えたとする。続くNo.120の知行目録は増付二百石・合計五百石と記しており、額…

  76. 追録8-No.120 島津久武外二名連署知行目録

    千眼寺へ高二百石を増付する知行目録。末吉深川村木之下門、大姶良大姶良村瀬筒門、高山後田村新原門の浮免、加世田川畑村上之門の浮免、伊集院大田村田中門、伊集院上神殿村柿内門、飯野杉水流村柏木門、樋脇市比野村大水流門の浮免、伊作中之里村久保門の浮免、財部南俣村八ヶ代門の浮免を挙げ、名寄帳は別冊とする。故三…

  77. 追録8-No.121 斉興帰国、斉彬参府ス

    弘化四年正月十三日、上使阿部伊勢守正弘が来て帰国を告げ、例のとおり品物を賜った記事。大将家定公からも上使松平和泉守乗全が来て品物を賜った。十五日に斉興が登城して謝礼を述べ、懇命を受け、馬を例のとおり賜った。十九日に斉興が江戸を発ち、三月八日の午上刻に鹿児島へ着いた。一方、斉彬は三月十五日に鹿児島を発…

  78. 追録8-No.122-1 調所広郷書状井添書

    斉彬の嫡男寛之助と近衛内府の娘愛君との縁組内約を取り扱うよう命じられ、調所笑左衛門が進捗を三名へ報告した書状。近衛家の諸大夫と親しく交わり、先月十九日に二条の屋敷で佐竹主税頭・中川宮内少輔・北小路刑部権少輔・今大路民部権少輔に会ったこと、従来の特別な由緒に加え、郁君の入輿後に関係が深まり、愛君との縁…

  79. 追録8-No.122-2 調所広郷口上覚(二通)

    寛之助と愛君の縁組について、宛先を異にする二つの口上覚を収める。印刷「の2」は近衛様への口上。修理大夫の嫡男と愛君との縁組には従来の特別な由緒があり、厚い続合の関係を得たことに満足しているとして、縁組の取り結びに伴う内約の領掌を謝す。後日、日を定めて正式な御礼の使者を遣わすが、まず目録のとおり品物を…

  80. 追録8-No.123-1 調所広郷書状井添書

    寛之助と愛君との縁組内約について、調所笑左衛門が四名へ相談経過を報告した書状。少将の着坂・上京に際して近衛家の諸大夫等と相談し、今月十七日に参殿した際、寛之助が成長したことと愛君の似合う年齢を踏まえ、従来の由緒と郁君入輿後の関係により、縁組を取り結びたいとする意向を伝えたと記す。内使者が先に取り扱っ…

  81. 追録8-No.123-2 今大路孝光書状

    御用の件があるため、この日に参るよう求めた短い書状。四月十七日付で今大路民部権少輔孝光が嶋津将曹へ宛てる。本文は御用の具体的内容を記さない。寛之助縁組一件の冊子に続く印刷枝番二として収められる。

  82. 追録8-No.124 島津斉興諭達

    改革の経緯と収支の現状を述べ、家老中へ財政運営・勤労・倹約を徹底するよう求めた諭達。文政期の財用逼迫から改革を始め、約二十年続けても安定した公務運営には至らず、臨時費の大きな超過を大坂表借入で賄っていることを憂える。改革当初に産物料を根本とし、分限を定め、三都と国元の入用を見積もり、臨時費に備えて新…

  83. 追録8-No.125 座喜味盛普起請文前書

    新たに三司官を命じられた座喜味親方盛普が、御国への奉公と忠勤を誓う起請文の前書。斉興・斉彬への疎意を持たないこと、御国許から命じられた諸事の条書を固く守り、悪意・邪な企てがあれば披露すること、国王に別心なく忠勤すること、国中の掟や諸事を身分・親疎により軽重を付けず沙汰することを誓う。これらの条項に相…

  84. 追録8-No.126-1 調所広郷書状

    勢至菩薩一躯を華尾山の内陣へ安置することを平等王院へ伝えた書状。御厨子は伽羅・内箔磨の表示があり、仏師康湛作の古像として七条左京の極状を添える。斉興が多年そばに置き信仰し、霊験を新成した像として、特別な思し召しで華尾山へ安置するとする。寺がその旨を謹んで受け、後年も勤行を怠らず修行を命じるよう求める…

  85. 追録8-No.126-2 調所広郷書状(御劔奉納副状)

    華尾山へ奉納する御劔一本の由緒・霊験と後年の守護を記した副状。包紙は右大将頼朝の御劔の副状写とする。平産と田地虫除の符と称し、鎌倉法華堂の別当相承院に伝来した劔を、以前、薩州の仏工鳥居如見が主良琛法印から内々に譲り受け、産符に用いて箱に蔵したと記す。流水を器に汲んで劔を浸し、その水を産婦に飲ませると…

  86. 追録8-No.127 調所広郷等軍役方関係申渡書・書付

    軍役方の設置・担当・手当・伝達に関する本文群。異国船の領内・長崎への来着、公辺からの援兵や不時出張に備え、名代・副名代を置き、城代差副や留守中の手当を調所と相談するよう命じる。名代島津山城と副名代豊後への主副二通に続き、惣奉行調所、惣頭海老原宗之丞、取次二階堂志津馬へ、家流に基づく取調と規定、出馬御…

  87. 追録8-No.128 斉興慶長役ノ追薦ヲナス

    慶長三年十月の泗川の役と同年十一月の戦から二百五十年に当たり、斉興がその年の戦死者の霊を弔った記事。九月二十一日、福昌寺住持独山を導師として薩府妙谷寺で施餓鬼会を行い、敵兵数万の亡魂にも施したと記す。貫明公・松齢公・一唯公の霊牌を置き、家老調所広郷が代わって礼拝し、戦死者の子孫も法筵に礼拝して食を賜…

  88. 追録8-No.129 斉興花尾山ニ頼朝ノ法会ヲ修ス

    弘化四年十一月、花尾山で頼朝公の六百五十年回法会を三日間行ったと記す記事。期間は十一日から十三日までとする。周年数は本文の六百五十年を保持する。

  89. 追録8-No.130 盛之進斉彬系譜抄

    斉彬公の子の系図から盛之進の条を収める。男女五人の表示があり、盛之進は弘化四年十一月二十九日に生まれ、母は田宮安知の女とする。嘉永三年十月四日に夭折し、法名は盛光院殿廓然慧照と記す。

  90. 追録8-No.131 給地高改正通達書

    知行・給地高の改正と売買、所務・借銀返済に関する本文群。祖先の勲功と家筋、公務・分限を知行の本意とし、享保十三年規模帳以来の高上・高持成と名実の差、貧富と軍賦の関係を説き、質素・勤労と不正な売買の禁止を求める。代金未済、借銀利払い、売渡証文の欠缺、幼少・跡職未定、琉球海渡や三都長崎詰などには今回の特…

  91. 追録8-No.132 島津斉興吉書

    弘化五年正月十一日付の斉興の吉書。神社仏閣の修造を興行すること、農事に専心すること、国々の年貢を徴納することの三箇条を掲げ、その旨を沙汰する文書とする。斉興の御判を付し、白木御文書十番箱中の三十一番の表示がある。

  92. 追録8-No.133 給地高改正通達書(取納米・名義附属)

    給地高改正後の取納と名義附属についての二つの指示を収める。第1区分は、従来、金銀を貸して利息分に高を受け置いた者が、所務米を本高主へ納めたり、相談して年々の米価を代銀で受け取ったりする仕向を述べる。今回の改正では百姓から直接取納しなかったことを従来の趣旨に戻して正し、当初から利銭分に高所務米を取り結…

  93. 追録8-No.134 給地高改正通達書

    給地高改正後の取納・名義・代金の取り扱いを示す本文群。昨冬から当春の高の出入りに合わせ、秋出米の総額を元の高主へ記す帳面に売渡先も記し、買主と本高主で照合して滞りなく納めるよう命じる。高奉行の催促を受けたら精しく急いで総額を送り、期限を過ぎても届かない慣例を改めるよう求める。一所持二十一家で他人名義…

  94. 追録8-No.135-1 士風教戒書(容貌・言語・服装)

    容貌・言葉遣い・服装を身分に相応しく整え、士風を正す教戒書。髷・月代・衣服を整え、毎朝未明に髪を結い、結髪しない場合も手髪で八時には御用へ出られるよう命じる。近年の髪形の乱れ、甲冑を着ける際に差し障る結髪、武道に背く習慣を戒め、家内の者も本結や製作を清くして武運を祈るよう求める。質素節倹に従った衣服…

  95. 追録8-No.135-2 士風教戒書(若年者への指導)

    若年者が腰に手を挟む間敷の作法について先の指示を繰り返し、本人が気付かないこともあるため、指導する者が身分違いの者にも約束させ、丁寧な指導と折々の注意でよく勘弁するよう求める教戒書。晴天時の木履を使う件も既に申し渡しているのに、心得違いがあると述べる。士以上には上下尊卑の違いがあり、政道に背き身分に…

  96. 追録8-No.136 調所広郷通達書(芸道家筋の取扱)

    諸芸を練熟して召し出された家と、その子孫の奉公の取り扱いを定める通達。芸を請け継ぐ子孫がその道で役立つよう求め、芸道家筋の者は三代目までは芸を御用に役立て、四代目には請け継ぐことを求めず、御小姓興等の役に並んで奉公するよう命じる。三代目までは芸道を務め、家業などで役立たない場合にも「本之俗生通」の取…

  97. 追録8-No.137 島津久宝・調所広郷連署通達書

    給地高は全体の高の中から配分され、国政と軍賦の根本となる重い品であり、個人の物のように扱ってはならないとする通達。豪富の者が従来から兼併した高を一時に売払い、法外に安い値で買い入れたり、代々の武器を売って代金を求めたりすることは知行の本意に合わないと戒める。現在は特別に吟味し、相当の代金で知行の意味…

  98. 追録8-No.138 嘉永改元

    斉興公御譜から、弘化五年戊申春三月十五日に嘉永へ改元したと記す一条。本文の日付を採録し、実際の改元日との一致を別途確定したものとは扱わない。

  99. 追録8-No.139 池城安邑起請文前書

    三司官を命じられた池城親方安邑が、御国への奉公と忠勤を誓う起請文の前書。斉興・斉彬に疎意を持たないこと、御国許から命じられた諸事の条書を固く守り、悪意・邪な企てがあれば披露すること、国王に別心なく忠勤すること、国中の掟や諸事を身分・親疎で軽重を付けず沙汰することを誓う。条項に相違すれば天罰を受ける旨…

  100. 追録8-No.140 海岸防禦手当書

    近年の長崎・相州浦賀等への異国船来着・漂着と、琉球に「仏嘆人」(原表記)が常留することを踏まえ、領内の海岸防禦と留守中の政務を述べた口達控。以前の手当も重要であったが、今回は手当を改め、大砲を防方の主とし、敵への備えを整えるよう命じる。軍役の方式は貴久・義久・義弘ら先代の流儀に基づき、先代の砲等の備…