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追録8の目録
暫定版です。原文との照合により、概要や文書の区切り等を修正する場合があります。
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追録8-No.218 武家諸法度の同文省略注
白木御文書十番箱中六十四番の表示に続き、嘉永七年九月二十五日付の武家諸法度は天保九年二月二十一日付のものと同文なので省略すると記す。ここで掲出されるのは省略注で、法度の条文全文は収録されない。
追録8-No.218-1 松平越後守使者口上覚(条目写の順達・返却)
条目写し一通と別紙一通の回覧に関する、松平越後守の使者の口上覚。九月二十六日、牧野備前守宅で家来が受け、大広間四品以上の諸方へ順に伝えるよう命じられたので、使者を介して両書を渡すと述べる。受領を承知した旨は各自から備前守へ届け、順達が済み次第、条目写しと別紙をこちらへ返すよう求める。先へ順達する場合…
追録8-No.218-2 大船と荷船の製造に関する仰出
このたびの法令で大船製造は言上するよう命じられたが、荷船は以前から許されているので、従来どおりの製造はこれまでどおりに心得るよう伝える仰出。ただし荷船であっても製造方法その他が従来と異なる場合は、今回の仰出どおりに扱うことを求める。末尾に九月の表示がある。
追録8-No.218-3 法度引札の回覧先書立と老中連署登城通知
次第不同とする引札回覧先の書立二組と、薩摩守への登城通知を収める。「の3」の引札本文は各欄を引札略スとして省略し、越前守・阿波守・薩摩守・陸奥守・安藝守・越中守・肥前守・大膳太夫・美濃守・内蔵頭・相模守等の名と藩主注記を残す。有馬中務大輔から十月朔日に差し越し、陸奥守が順達する旨も記す。「の4」も上…
追録8-No.218-5 斉彬の登城請書・病気断届と留守居の法令書付報告
印刷「の5~の9」の登城手続と留守居報告を収める。九月二十四日の御名による断届は、疝積気のため翌二十五日の登城を断る旨を記す。「の6」は老中連名の奉書が到来したのち太守の病気で登城を断り、本丸の蘇鉄之間で申し述べ、病名札を差し出し目付遠山金四郎らが承知したと報告する。「の7」は内藤紀伊守の取次松橋廉…
追録8-No.218-10 西筑右衛門首尾書(法令伝達と病気登城欠席)
寅九月二十五日付で西筑右衛門が伯耆へ送った首尾書。老中六名と各取次の名を列記し、当日の法令仰出について触達を受けたこと、太守は疝積気のため登城を断り、御祝儀の使者をもって御口上を伝えたことを記す。後ほど詳しく申し上げるよう留め置かれた旨を各取次から聞いたとして、今日本人が勤めた経過を報告する。追申は…
追録8-No.218-11 筑後の条目写等送付・御記録所収蔵依頼
御代替後初めての法令の仰出に伴い、江戸から到来した書類を先例どおり御記録所へ納めるよう求める収蔵依頼書。条目写し一通、別紙一通、これに付く書附五通、廻状写し一通を列記し、留守居首尾書を添えると記す。十二月付で筑後が署す。書類の内訳と保管先を示す記録であり、添付書類の本文をここで補わない。
追録8-No.218-12 安藝守・越中守関係者の法令回覧書状
大御目付から廻状と御書付写し一通が届いたので、安藝守・越中守が各家への通達を命じ、廻状数通を認めて持ち回らせる旨を伝える九月二十三日付書状。三通のうち一通にある追記として、嫡子がいる家はその方や附衆まで通達するよう求める。本文は清田新兵衛・田中八郎兵衛・福田源兵衛、安藝守内の福永小太夫、梶川銀次郎・…
追録8-No.218-13 大目付の法令書付伝達・受領連絡に関する通達
牧野備前守から渡された御書付の写し一通を伝達したので、その趣旨を承知し、同列の者や各家の嫡子方へ残らず速やかに通達するよう求める大目付の書付。返答について各自から個別の挨拶をするには及ばず、それぞれ伊豆守方へ申し聞かせるよう指示する。九月二十三日付で安藝守・越中守の留守居へ宛て、右一通也の表示を伴う…
追録8-No.218-14 法令公布後の使者・使札に関する大目付宛通達
法令の仰出に伴う手続を大目付へ伝える書付。病気や幼少で出仕しない者は老中宅へ使者を出し、在国・在邑の者は承知次第に使札を差し越すよう求める。隠居の者はこの手続に及ばないとし、その旨を触れるよう指示する。本文末は九月、右一通也とする。続く外包には六十四番の朱注、条目写し等九通と留守居首尾書添付の表示が…
追録8-No.219-1 豊後申渡(篤姫の出生・御養記録)
豊後が御記録奉行へ、篤姫の出生と御養の情報を帳面に記すよう求める十月付申渡。篤姫を御歳十九とし、天保六年十二月十九日生まれ、母は伊集院中二の娘で御側女中壽滿と記す。嘉永六年三月十一日に御前様の御養となったことを示し、右の通り帳面へ記録するよう命じる。白木御文書十番箱中五十七番の表示を伴う。母の表記は…
追録8-No.219-2 江田五郎左衛門書状(篤姫実父母の内用記録・保管)
江田五郎左衛門が上村休兵衛・汾陽彦次郎へ、篤姫の実父母に関する内用の取扱いを伝えた十二月二十九日付書状。嘉永七年十一月十八日に竪山武兵衛の用件で出向いた際、父母について公辺その他は先般の扱いを保ち、御内実の訳は御記録奉行まで承知して帳面にも記録するよう命じられたと述べる。豊後にも沙汰の趣旨を伝え、家…
追録8-No.220 安政改元記事(斉興公御譜抄)
斉興公御譜中の短い記事。嘉永七年甲寅冬十一月二十三日に安政へ改元したと記す。
追録8-No.221 斉興・斉彬への御歌宸筆授与記事
斉興公御譜中の記事。安政二年春、天皇が斉興と斉彬に御歌の宸筆を賜り、近衛右大臣忠熙が書と歌を添えたことを記す。以下に掲げるとして、次の御歌・添書本文へつなぐ。
追録8-No.222 国祝の御歌宸筆と近衛忠熙添書
国を祝う題の御歌と近衛忠熙の添書を掲げる。御歌は、武士も心を合わせて国を揺るがせず共に治めようという趣旨で、一箱に納めた掛物とする。目録には安政二年春に主上から斉興公・斉彬公が拝戴したと記し、舊御番所御文書一番箱中の表示を伴う。続く宸翰に添えた近衛の文章は、斉興・斉彬の国政への熱心な志を帝が深く賞し…
追録8-No.223 斉彬の国政への志と御歌手書授与の記事
斉彬公御系図中の記事。安政二年春、近衛忠熙が斉彬へ書を送り、国政への志に帝が深く感銘を受けて常に賞し、手書の御歌を賜ったと述べる。御歌の趣旨は、武臣が力を合わせて王室を助け、海内を安んじ皇化を輝かせることにあり、感激して励むべきだと説く。御歌本文は既に掲げたためここでは録さないとの注記がある。
追録8-No.224 島津斉彬願書(山川沖来航後の外国船応接)
嘉永七年十一月に薩摩国山川村沖へ米国船一艘が来航し、滞泊中に求めに応じて薪水等を与え、無事出帆した後の取扱いを願う書。入港場所が決まらない所には勝手に渡来させず、下田・箱館でも同様であるとの既定を承知しつつ、漂流船ではない船が数日滞泊して近辺を測量するなど、今後同様の船が来る可能性を述べる。どの国の…
追録8-No.225 衣服粗服・質素節倹の仰出記録
衣服の扱いについて、去る子年の命令に基づく今年正月からの着用が十分に行われていないとして、紬・西洋布・木綿類の成丈粗服を用いる旨を改めて述べる。地震に伴い公義も質素節倹と粗服を命じたので、詰中の者は先の御趣意を受け、禁制の品や数寄な古物等を使わず、供等の節にも木綿類を用いるよう求める。肩衣・袴は時節…
追録8-No.226 忠済系譜抄(初久済・眞之助)
久光公御子の男女十四人の系図中に、忠済を記す家系記事。初名は久済、眞之助と記す。安政二年三月九日に重富第で生まれ、母は櫻井氏の妹とする。文久元年四月に父久光に従って本室へ入ったことを記す。出生と移居の時点を区別し、母の個人名は本文から補わない。
追録8-No.227 幸地朝憲起請文前書(三司官任命・二公への忠勤)
幸地親方朝憲が、若輩の身ながら去歳三司官役を命じられたことに深く感謝し、御国許への奉公にいよいよ心を入れて勤めると誓った起請文前書。斉彬と斉興に対し毛頭疎意を持たないことも掲げる。他の条は先例同文として略し、神文も略す。安政二年三月二十二日付で朝憲が署判する。白木御文書十番箱中六十五番の表示を伴う。
追録8-No.228 昇平丸献上に関する老中書取・島津斉彬願書
大船の献上に関する老中の書取と斉彬の願書に、昇平丸の製造・廻船の注記を付す。安政二年六月二十六日、阿部伊勢守が留守居を呼び、到来した大船は出来がよく堅牢で公義の御用に適するため据付砲器類とともに献上できるか尋ねる一方、手間をかけて製造した船砲なので無理な献上とならぬよう検討して返答することを求める。…
追録8-No.229 斉興の帰国・玉里滞在と指宿療養記事
斉興公御譜中の記事。安政二年秋九月二十二日、斉興が帰国の許しを得て江府を発ち、十一月十日に鹿児島の玉里邸へ着いたと記す。十二月十一日に玉里邸から中村別荘へ入り、十五日に別荘を発って指宿へ赴いた。温泉に浴して従来の病を療養するためであったとする。帰国と各滞在先への移動を日付ごとに示す。
追録8-No.230 斉彬の大船大砲献上に対する刀脇差拝領記事
斉彬公御系図中の記事。安政二年十一月二十五日、命を受けて登城し御座之間で家定に拝謁した斉彬が、懇ろな言葉とともに御刀一腰・御脇差一腰を賜ったことを記す。両方に備州景光の銘を付記する。かつて大艦や大砲等を献上したので、この賞があったとする。献上した品と拝領した刀剣の方向を区別する。
追録8-No.231 海防震災費用を踏まえた節倹・江戸長屋取扱いの仰出
海防手当や費用増に加え、地震で芝屋敷を始め諸屋敷が大破し修復に莫大な費用を要するが、近年一同困窮しているので追加の出銀を一切命じず、節倹と士道を厳重に守るよう求める仰出。江戸の長屋が近年広大になり、広い住居に比べ人数や各役の必要間数、定府と家内の者の住居も一律には定め難いとして、大略の定めを作るよう…
追録8-No.232 鎌倉流犬追物伝書目録と秘蔵保管指示
鎌倉流犬追物の伝書等を列記し、御記録所での保管と秘蔵を求める書付。犬追物聞書・日記、射手方聞書、騎射聞書・秘抄、検見、笠懸等の冊子と、馬道具日記、矢形、射手方・手組等の巻物を挙げ、小笠原光清・宗中の在判本も記す。原集計は三十冊・十四巻で、同名の聞書・日記を複数含む。従来御伝来として御記録所が格護して…
追録8-No.233 久豊(義天)の墓所・石塔・掘出骨に関する調査と処置
八代久豊の墓所と「義天」銘石塔・掘出骨の調査を述べ、混同を防ぐ処置を命じる文書。久豊は応永三十二年正月二十一日逝去、法号を義天存忠大禪定門とするが葬地が明らかでなく、安永三年に穆佐悟性寺の義天塚と伝える場所から骨を納めた甕、香炉や鈴が見つかっても確証が得られなかったとする。天保十二年に義天の二字を刻…
追録8-No.234 斉興の指宿から中村別荘・玉里邸への帰還記事
斉興公御譜中の記事。安政三年二月十四日に指宿から帰って中村別荘へ着き、十七日に玉里邸へ入ったことを記す。前の指宿療養行程に続く帰還の記録。
追録8-No.235 諸士の文武・学問手跡の吟味と節倹修養を命じる申渡
公辺が近年、学問武芸を第一に心掛け質素節倹を守るよう命じているとして、諸士一同に文武の修行をさらに厚く励ませる申渡。春の諸役人、馬廻・新番・横目・中小姓・諸座書役・諸士・郷士・与力等を順次名指しで呼び出し、前年冬に調べた武芸に加え学問・手跡の状況も吟味するよう求める。末々まで伝達を行き届かせ、勤めや…
追録8-No.236 政務規定・士風振興と質素節倹の御筆仰出
宰相の家督中に長年配慮して定めた政務改革・海岸手当等の規定を振り返り、諸役場の精勤と質素を求める御筆仰出。時がたつにつれて緩怠や華美、不行儀、無益な酒会、賄賂・贈物など士道を失う行為が生じていると戒める。異国船が諸所へ渡来し公辺も文武を指示する折として士風振興を求め、一同が趣旨を理解して質素節倹を用…
追録8-No.237 篤君の生母指定・近衛養女・折紙保管の一件
篤君の生母の表向きの取扱いと近衛家養女・君号名字の折紙に関する一件。向後恒姫を生母と定めるとの仰出を受け、伊勢守へ届替の必要、清書の文言、新御殿の実印、年寄・側役、御礼女使や平常文通の扱いを内々に問い合わせる。阿部からの達では、国元と系図にもその旨を記すよう申し渡す一方、この扱いを内事として心得るこ…
追録8-No.238 斉興の再度の指宿療養と中村別荘・玉里への帰還
斉興公御譜の抄録。三年冬十月十六日、再び指宿へ赴いて温泉に浴したと記す。十二月三日に指宿を出発して中村別荘へ至り、八日に玉里邸へ帰った。本文の「三年」は前後の編年から安政三年と補う。
追録8-No.239 久光の女子於佳の出生・夭亡記事
御系図の久光公御子の項から、女子於佳の出生・夭亡を記す。安政四年正月十九日に重富の邸で生まれ、母は櫻井氏妹。安政五年五月二十九日に夭亡し、法名を貞顔心涼と記す。冒頭の「男女十五人」は久光公御子の総枠であり、この一件に十五人分の個別記載があるわけではない。
追録8-No.240 斉興の参府と病気による使者献物
斉興公御譜の抄録。安政四年正月二十八日に鹿児島の玉里邸を出発し、三月十八日に江府へ到着する。三月二十八日、大家が上使堀田備中守を通じて斉興の参府を慰労する命を伝える。四月朔日、斉興は参府の礼を述べようとしたが病気で登城できず、使者によって例格に従う献物を行った。
追録8-No.241 斉彬の朔望登城時の大廊下左側第二房への入室命令
斉彬公の御系図に載せる安政四年二月十五日の記事。大家が、以後毎月の朔望等には大廊下左側第二房へ入ってから進見するよう命じる。年始・令節・八朔には当面従来の扱いに従うとし、通常の朔望時と特別な日を区別する。
追録8-No.242 斉彬の登城休息所変更と御書取の記録保管
斉彬の登城時の休息所を変更する書取と、その記録保管を命じる申渡。松平薩摩守について、今後朔望その他の登城には大廊下下之休息所に控えるよう伝達させ、年始・五節句等は従来どおりとする。御記録奉行への申渡では、先月十五日に大目付伊澤美作守が御留守居を呼び出し、太守の相席について別紙の書取を渡したことを報告…
追録8-No.243 典姫の実母すまとその父伊集院中二兼珎の報告
太守の女子典姫について、実母とその親を申し出るよう命じられたことを受けた御広敷御用人の報告。実母を「すま」、その父を亡伊集院中二兼珎と記す。御年寄が申し出た内容を以上のとおり上申するとし、巳五月廿日の御広敷御用人の記載を伴う。包紙には、典姫の母付とその親の姓名・実名を御広敷御用人が申し出た横切書付一…
追録8-No.244 町人の身分昇格と功績褒賞・名分をめぐる家老への評議指示
雑抄に収める、順聖院の家督中に岡部与兵衛が身分立身を申し出た際、家老衆へ渡した御書取。名分が正しくないことを政務の大害とし、経書・通鑑に言及して、過去はやむを得ないとしても今後の士・商の差別を明確にするよう求める。町人二人の身分を吟味する申出について、町年寄格や金品の褒美によって功績を賞することは可…
追録8-No.245 後年新聞に引用された斉彬の台湾碇泊場設置構想
在鹿児島新聞の十七年九月三十日記事に「島津斉彬公の諭旨」として掲げられた密諭書の一節。鹿児島県人懇親会で蒲生仙氏が朗読したものと紹介し、安政四年八月十九日、二の丸御茶屋で台湾に渡唐船の碇泊場を設ける意向を承ったと記す。先嶋・与那国から台湾の山影が見えることや漂流者への危害の話を挙げ、まず船の寄港地を…
追録8-No.246 哲丸の出生・斉彬と茂久の世子指定・夭亡記事
御系図の斉彬公御子の項から、哲丸の出生、世子指定と夭亡を記す。安政四年九月九日に鹿児島で生まれ、母は典姫と同じとする。安政五年三月二十三日に世子に立てられ、同年十二月には斉彬の遺命により茂久の世子となる。安政六年正月二日に夭亡し、忌日について小月による注と法名を付す。冒頭の「男女十二人」は斉彬公御子…
追録8-No.247 造士館・演武館の学風改正と政務・武備に役立つ修行の仰出
雑抄に収める斉彬公御筆と造士館・演武館への申渡。大信公の配慮で設けた両館の衰微を改め、造士の趣旨にかなう運営と武術修練・平常の心掛の検察を求める。学問は修身斉家治国平天下の道理を研究し、今の政務に役立てることが肝要とし、文章詩作だけに偏る学風を戒める。三綱五常・名分・祖宗への敬意、皇国の古典や律令等…
追録8-No.248 町人の格式引上げを止め褒賞区分を定める申渡と名分書取
御記録奉行へ、町人の商家としての功績を理由とする今後の身分格式引上げを止め、褒美の米銭等で賞するよう命じる申渡。従来一代郷士格を受けた功労者を三町年寄格、代々郷士の場合を三町惣年寄格、さらに格別な功労のある者を惣年寄上席として取り扱う。家来身分の者の商家としての功績は米銭等で賞し町方役格にはせず、金…
追録8-No.249 斉興の従三位叙位記事
斉興公御譜の抄録。安政四年冬十二月五日に従三位に叙されたことを記す。位記の全文や署名を収めた文書ではなく、叙位を伝える短い記事。
追録8-No.250 斉彬が将軍成婚への献刀により鞍鐙・時服を賜る記事
斉彬公御系図の記事。安政四年十二月五日、大家から御鞍鐙と時服三十を賜ったと記す。先に斉彬が使者を遣わして愛蔵する刀三腰を献じ、大家の成婚を謝したための賜物とする。続きの切片には、刀備前信房・脇差越中国次・短刀備前長義の内訳を記す。
追録8-No.250(続) 第250号続き:献刀三腰の内訳と将軍成婚の謝礼
第250号の記事に続き、斉彬が献じた愛蔵刀三腰の内訳を刀備前信房、脇差越中国次、短刀備前長義と記す。大家の成婚を謝するため献じたので賜物があったと結ぶ。
追録8-No.251-1 源斉興を従三位に叙す宣旨・口宣案
旧御番所御文書四番箱中の宣旨。安政四年十二月十五日、正四位上源斉興朝臣を従三位に叙すべき旨を記す。上卿は久我大納言で、建通との注を付し、蔵人頭左大辨藤原胤保が奉る。口裏に口宣案とあり、一通と記す。第249号御譜記事の十二月五日とは日付表記が異なるため、それぞれの本文どおり保持する。
追録8-No.251-2 斉興叙位に関する上卿と職事の書立
上卿を久我大納言、職事を廣橋頭左大辨と書き立て、薩摩宰相を示す一通。斉興の叙位関係文書に続く役職の短い書立で、本文に年月日は記さない。
追録8-No.251-3 斉興の従三位位記と朝廷・式部省の叙位施行記録
正四位上源朝臣斉興を従三位に叙す位記と、制・式部省等の施行関係記録。武により海を静め文により黎民を安んじ、職務を守り幕府を助ける邦家の干城であるとして崇位を授け、主者に施行を命じる。十二月十五日の年表記に安政四年の朱記を伴い、中務卿熾仁親王、卜部久隆、藤原資生の奉宣・施行記載、公卿の位階・官職・名の…
追録8-No.252-1 斉興の従三位昇進を以後の家格としない旨の伝達書状
宰相の従三位昇進後の家格取扱いを伝える島津豊後の書状。官位はすでに格別な扱いであるが、在職中の長年の勤務、廣大院の続柄、当時の縁辺を理由とする特別な思召によって昇進したので、以後の家格には心得ないよう命じられたと述べる。御名代島津淡路守が承知しており、各所の役人へ伝達するよう求める。別紙の御書取の写…
追録8-No.252-2 松平大隅守の従三位昇進を以後の家格としない御書取
松平大隅守について、官位はすでに格別な扱いで本来さらに昇進を沙汰し難いが、長年の在職勤務、廣大院の続柄、当時の縁辺により、特別な思召で従三位昇進を命じたとする御書取。今回の昇進を以後の家格と心得てはならず、その旨を申し聞かせるよう沙汰されたことを記す。本文年月日はなく、第252号の1が添えた別紙御書…
追録8-No.253 斉彬の神社仏閣修造・勧農・年貢徴納を命じる吉書
白木御文書十番箱中の吉書。神社仏閣の修造興行、勧農に専ら努めること、国々の年貢を徴納することの三箇条を掲げ、その旨に従い沙汰するよう命じる。安政五年正月十一日、斉彬の名と花押No.1を記す。
追録8-No.254 薩摩宰相の叙位礼献上に対する女房奉書
旧御番所御文書四番箱中の女房奉書。薩摩の宰相が今回の位階への礼として黄金百両・絹三十疋を献上したことを披露したところ、喜ばしく思し召す旨をよく心得て伝えるよう命じられたと記す。口裏に「御いまの御局へ」とある。斉興公の従三位叙位に関する女房奉書との注を伴う。日付は本文の「卯二朔」と脇の年注との整合が不…
追録8-No.255 蒸気船伝習の見物時の無礼を戒め諸士の礼義・士風を求める口達
公義御用の蒸気船伝習で役人・蘭人が山川から城下へ来て上陸した際、見物が激しく、諸士も制止に従わず無礼不法の行動があったとして戒める口達御書取。山川番所で冠り物を取り礼節を守った人々と対比し、大小を帯びながら凡下と混雑し、荷付馬を追い放ち、年少者が悪ふざけし、通船時に石を打つなどの行動を非難する。諸士…
追録8-No.256 中山王尚泰の跡職承継と厚恩を忘れない旨の起請文
白木御文書十番箱中の「敬白 天罰霊社起請文之事」。中山王尚泰が、先国王の跡職を命じられ、筋目を違えずこの邦を相続できたことをありがたい厚恩とし、生涯忘れないと誓う第一条を掲げる。他の条項と神文は省略されている。安政五年五月九日、尚泰の判を記し、中将様へ進上する。
追録8-No.257-1 小禄親方良忠の三司官任命と奉公を誓う起請文前書
白木御文書十番箱中の「敬白 天罰霊社起請文前書之事」。小禄親方良忠が、若輩でありながら三司官役を命じられたことを冥加ありがたい仕合とし、今後さらに御国許での奉公に入念に勤めると誓う第一条を収める。他の条項と神文は省略する。安政五年五月十三日、良忠の判を記す。
追録8-No.257-2 譜久山親方朝典の三司官任命に関する起請文前書
「敬白 天罰霊社起請文前書之事」として、譜久山親方朝典が若輩でありながら三司官役を命じられた旨を記す。「云々以下同断略」として、前掲の小禄親方良忠の起請文前書と同内容であることを示し、その他の条項と神文も省略する。安政五年五月十三日、朝典の判を記す。省略部分を独自の全文として補わず、前文との関係を示…
追録8-No.258 条約の仮許容で時間を得て国力・武備を整える建議
雑抄に、安政五年五月二十八日再度仮条約調印許容を建議したと紹介する文章。勅答と添書を拝見し、尊王・攘夷を大本として鎖国の方針を守る立場を述べつつ、大砲・軍艦や航海・兵の習熟が不足した現状で戦端を開く勝算を問い、敗北・内乱と民への災害を懸念する。人和を第一に朝廷・幕府の諸手当を尽くすこと、過去の朱印交…
追録8-No.259 婚礼献上後に拝領した鞍鐙の御臺様道具への編入と格護
白木御文書十番箱中の鞍鐙目録と格護記録。伊勢駿河守貞雅作の御鞍一口、同作の御鐙一掛、鞍鐙の辻山城極折紙二通を挙げ、菊地蒔絵・杢目梨地・扇面と二十四孝の蒔絵、浅黄絹の包み・袋、桐白木の外家箱等を記す。御臺様の入城・婚姻を整える礼として伝来の腰物を献上したところ、喜ばしく思し召して時服と鞍鐙を拝領したた…
追録8-No.260 斉彬の遺命による忠徳の後継と斉興の令への導入記事
斉興公御譜の抄録。安政五年七月十六日に斉彬が亡くなり、遺命によって島津忠徳を後とさせたと記す。忠徳には忠義との注を付す。続けて、斉興が令を下したことを「如左」として後掲文書へ導く。ここにはその令の全文や発給日は記さない。
追録8-No.261 斉彬の死去・葬地と将軍からの香奠銀記事
斉彬公の御系図記事。安政五年七月十六日に薩府で亡くなり、享年五十、英徳良雄大居士順聖院殿と号し、福昌寺に葬ったと記す。死去日の脇には七月二十日を忌日とする注がある。九月五日、大家が加納遠江守久徴を遣わし、香奠銀五十枚を賜ったことを続けて記す。
追録8-No.262 斉彬の遺志継承と久光・忠義の履歴、藩政軍備改革を総括する記事
御履歴から、安政五年七月の斉彬病歿と十二月二十八日の茂久家統継承を記し、斉彬の遺志と久光・忠義の履歴を総括する記事。米使節来航後の措置で公武の指旨に相違が多いことを憂え、皇国守護に心を尽くした斉彬の事業が未成に終わり、久光・忠義がそれを継承したと評する。斉彬が官礼・旧弊を改め、国論を採り、武門と国事…
追録8-No.263 若年の跡目への斉興の介助と政務・節倹・士風維持の沙汰二通
宰相の御沙汰書二通。第一通は斉彬死去後の跡目茂久がまだ若年で、国務を放置できない事情を斉興が聞き、当分介助する旨を伝える。御取次は得能彦左衛門、八月の記載を伴う。第二通は薩摩守殿の死去を受け、若年の跡目を介助し、従来の領国・屋敷中の取締規定を忘れず家老以下が誠実に精勤するよう命じる。勝手向掛は無益な…
追録8-No.264 斉興の江府出発と鹿児島玉里邸到着
斉興公御譜の抄録。安政五年八月二十六日に斉興が江府を出発し、十月十一日に鹿児島の玉里邸へ到着したと記す。
追録8-No.265 忠昌公・持明様の肖像の表装修復・格護と付属品目録
白木御文書十番箱中、忠昌公・持明様の肖像掛物各一幅の表装・付属品目録と修復格護の記録。忠昌公の掛物は紫地牡丹唐草の一文字風帯、茶地桐雲紋唐華の大一文字、金入丸龍の上下を記し、持明様の掛物は白地龍紋金入の風帯、紫地牡丹唐草の大一文字、茶地桐雲紋唐華の上下とする。軸・巻口の金物、縮緬の包み、銘書のある黒…
追録8-No.266 安藤対馬守を上使として家定遺物の兼杉短刀を賜る記事
斉興公御譜の抄録。安政五年九月二十七日、上使安藤対馬守信睦が高輪邸へ来て、温恭廟の遺物である短刀一腰を賜ったと記す。温恭廟には家定の注があり、短刀は美濃国兼杉と記す。
追録8-No.267 御臺様の印章写留と記録所への保管・収納記録
白木御文書十番箱中の御臺様印章写留に関する箱蓋・包紙・外袋の記録。箱蓋を「御臺様御印章之写」、上包を「御筆」、内の紙包を御臺様の持越となる印章の写留を記録所へ下す旨とする。朱印が多いため印章の写方は省略されており、ここには印文の全文を載せない。外袋には安政五年十月四日、登殿から上村休之進へ渡され白木…
追録8-No.268 忌服明けの出府・櫻之間居所と又次郎忌服申請の記録
白木御文書十番箱中の一件。宰相の沙汰は、順聖院の忌服を受け、公義から出府を命じられたことを承知したとして、二丸の格をもって本丸櫻之間辺に住居するよう述べる。続く達書は、松平薩摩守の卒去に伴い、嶋津又次郎に五十日・十三月の忌服を請う書付を差し出すよう求め、又次郎は当地へ呼び寄せ、到着次第申し聞かせる旨…
追録8-No.269 久光の女子於俊の出生・本室移動・死去記事
御系図の久光公御子の項から女子於俊を記す。安政五年十二月五日に重富第で生まれ、母は櫻井氏妹。文久元年四月に父久光に従って本室へ入り、明治八年十月二十七日に死去し、神号を瑞心俊幸姫命とする。冒頭の「男女十六人」は御子の総枠で、この一件は於俊一人の記録。
追録8-No.270 禁裏御剣を鍛えた橋口行安・安利兄弟の受領と褒賞
斉興公御譜の五年十二月の記事。今上が近衛左大臣忠熙を通じて斉興へ旨を伝え、橋口勘之丞行安に、常に帯びる御剣を鍛えさせたことを記す。斉興から献じ、近衛公が受領を奏請して行安の大和介を許された。兄の橋口助之丞安利も鍛造を助けたため、特に賞し兄弟を一代城下士としたと記す。今上には孝明天皇の注、行安には谷山…
追録8-No.271 橋口行安・安利の御太刀調進による身分褒賞と記録・刀装注文
橋口助之丞安利・勘之丞行安について、禁裏御所御太刀を行安が打つ叡慮により、宰相に調進が頼まれ、近衛左大臣忠熙からの伝達で打方を命じたことを記す。受領を願い出て行安に大和介が許され、無類の事柄として特別に身分を引き上げ一代御小姓與に召し出す。安利も御用の後見を勤めたため、褒美として一代御小姓與とし、兄…
追録8-No.272-1~2 伝来腰物献上への時服鞍鐙拝領通知と名代の登城令
白木御文書十番箱中の印刷第272号の1・2。第一通は松平薩摩守が伝来秘蔵の腰物を献上したことを喜ばしく思し召し、時服と御鞍鐙を賜る旨を通知する。第二通は御用のため、翌五日四時に松平薩摩守の名代として一類中一人を登城させるよう命じる。第二通は十二月四日付、両通とも年は本文に記さない。
追録8-No.272-3 嶋津淡路守の名代登城後、国許承知後の礼勤方法を問う伺書
松平薩摩守の一類の内で召され、今日嶋津淡路守が登城したところ、伝来秘蔵の腰物献上を喜ばしく思し召し、薩摩守へ拝領物を命じられたとする伺書。国許で承知した後の御礼勤をどのように心得るか尋ねる。付紙には老中へ名代を差し出すよう命じる旨がある。十二月五日、松平薩摩守内の半田嘉藤次。淡路守には佐土原藩主忠寛…
追録8-No.272-4 西丸普請上納後の拝領に対し名代で礼勤した先例
松平大隅守の家督中、天保九年の西丸普請に上納金を納め、翌天保十年十二月に拝領物を命じられた際の御礼勤の先例。当時在国中だったため、国許で承知してから礼勤方法を伺ったところ、掃部頭・老中・伯耆守・備中守へ名代を差し出すよう命じられ、名代によって御礼を申し上げたと記す。一通の例書で、作成日の記載はない。
追録8-No.272-5 献上腰物の伝来書・折紙と差出先を調整する早川の書状
献上する大小・小サ刀の拵が出来上がり、志賀金八と伺書・伝来書草稿や新たな折紙取得の要否を相談した旨を伝える早川五郎兵衛の書状。草稿に異存はなく、古来の伝来品に新しい折紙を添えることには否定的な意見を示す。伝来書は昨年の入城関係文書との連続もあり、十一月に仕上がる書を差し出して献上の手続を伺うこと、堀…
追録8-No.272-6 御臺様の婚姻謝礼として伝来刀三腰を献上する伺と伝来説明
巳十一月七日に堀田備中守へ差し出した伺書と伝来の趣の書取。御臺様の入城・婚姻が整った謝礼として、薩摩守が伝来の大小と拵付小サ刀を献上したいと願い、許された品が国元から届いたので、次第に従って鮮鯛一折とともに献上したいと伺う。半田嘉藤次の記載を伴う。刀は備前国信房作、長二尺六寸二分半で、応永十七年六月…
追録8-No.272-7 献上前日の刀三腰・鯛の伺と安政四年十月付伝来書
差図を受けた後の献上前日の伺と伝来書を記す。伺は十一月、御名欄を伴い、刀備前国信房作二尺六寸二分半、脇指越中国國次作九寸四分、拵付小サ刀備前国長義作一尺七寸八分半の各一腰と鯛一折を掲げる。献上御腰物伝来書は、信房の刀について応永十七年六月に陸奥守元久が上洛して将軍義持から拝領した旨、國次の脇指は慶長…
追録8-No.272-8 刀三腰を送る外内箱・献上受台・下ケ札の銘文と取扱い
献上刀の外箱は途中で疵などが付かないよう注意して送り、献上時には内箱だけを受台に載せ、外箱は下げる予定と記す。大小用と小サ刀用の外箱・内箱の銘文を示し、外箱に御刀御脇指または御小サ刀、内箱に進上と備前国信房の刀・越中国國次の脇指・備前国長義の小サ刀各一腰および御名の表示を記す。刀箱受台と下ケ札二枚、…
追録8-No.272-9 献上当日の三腰目録・小サ刀拵書と翌年の一件収納記録
献上当日の目録と拵書。刀備前国信房作二尺六寸二分半、脇指越中国國次九寸四分、拵付小サ刀備前国長義一尺七寸八分半の各一腰、鯛一折を列挙し、御名・御名乗を示す。小サ刀拵は金紋倶利伽羅龍の御三所物(光乗作)、白鮫の柄、鎺金・切羽金、黒塗の頭角、赤銅七子の縁と鐔(廉乗作)、柄糸・鞘・金具、薩州住元平の御小刀…
追録8-No.273 宰相叙位の御用掛として出精した永江休之丞への知行目録
白木御文書十番箱中の知行目録。高五十斛、串木野下名村・鹿児嶋小山田村・蒲生漆村のそれぞれ一部を挙げ、名寄帳は別冊にあると記す。宰相の従三位昇進に際して御用掛を勤め出精したため、特別な思召で当年三月五日に江戸でこの知行を拝領したので、全く所務するよう命じる。安政五年十二月廿八日、伊織久成・駿河久仰・登…
追録8-No.274-1 家督相続に伴い公義政道と先代の仕置を守るよう命じる御袖判
包紙に御袖判とある家督時の条書。家督を相違なく命じられたとして、領国の者は公義の政道を万端重んじ、国家の仕置は先代どおりに申し付けるので、忘れず堅固に守るよう命じる。安政五年十二月廿八日、花押No.3を記す。本文の姓名は記されず、同日の家督関係文書と対応する。
追録8-No.274-2 又次郎の遺領相続を認め斉興に当分の政務補助を命じる老中状
松平大隅守宛の老中四名連署状。薩摩守の願いどおり遺領を相違なく養子又次郎へ与えるが、又次郎が若年なので、領分と琉球国の仕置等は諸事先格を違えないよう、大隅守が当分心を付けて取り計らう旨の上意を伝える。十二月廿八日、脇坂中務大輔安宅・内藤紀伊守信親・松平和泉守乘全・太田備後守資始の判を記す。包紙では大…
追録8-No.275 先の御条目と同文として省略された太守毎朔御条目の注
白木御文書十番箱中の安政五年十二月廿八日付、太守毎朔御条目についての注記。文化六年六月十七日付の御条目と同文であるため略すと記す。ここには条目本文を掲載しない。
追録8-No.276 忠義の出生・旧名官位と斉彬の遺命による家督継承記事
忠義公の御系図抄。忠徳・茂久・壮之助・又次郎の旧名と官位等を列記し、天保十一年四月二十一日に重富第で生まれ、母は島津山城忠公の女と記す。安政五年十二月に家督を継いだ経緯として、斉彬の病が篤く、世子哲丸が二歳で重任を承けられないため、周防忠教の嫡男島津又次郎忠徳を後とし、文暉姫を妻とし哲丸をその世子に…
追録8-No.277 忠義の養親・実親と斉彬遺命による継承を記す家譜抄
島津氏家譜の二十九代忠義の記事。忠徳・又次郎の旧名、天保十一年四月二十一日の薩摩国鹿児島出生を記す。家譜上の父を斉彬、母を徳川宰相斉敦の女としたうえで、実際には斉彬の弟島津久光の嫡子で、母は島津忠公の女と明記する。斉彬が病篤くなり、世子哲丸は二歳で重任を承けられないため、忠徳へ国を伝え、娘暉をその妻…
追録8-No.278 忠徳の継承許可と斉興への国務注意の台命を導く記事
斉興公御譜の安政五年冬十二月の記事。幕府が斉彬の遺請を許し、忠徳を斉彬の後として、薩隅二州・日州諸縣郡と琉球国を従前どおり領させたと記す。忠徳が若年であるため、台命により斉興が当分国務に注意することとなり、そこで令を下したと、次の文書へ導く。脇に安政五年十二月二十八日の記載を伴う。
追録8-No.279 若年の又次郎を補助し、政務精勤・家法・文武忠孝を維持する沙汰
又次郎が薩摩守の願いどおり養子となり遺領を相違なく与えられたが、若年なので領国・琉球国の仕置を先格どおりにするため、当分斉興が心を付けて取り計らう上意が出たことを述べる沙汰。家統と累代領国の継承を喜び、家老以下は従前の取締規定を忘れず誠実に精勤し、文武忠孝・律儀と古国の士風を守るよう命じる。勝手向の…
追録8-No.280 斉興が又次郎へ代々の家珍の所持・子孫への伝承を命じる証状
大隅守斉興が松平又次郎へ与えた証状。故薩摩守の遺跡を相続することが首尾よく命じられたのを喜び、先年故薩摩守へ譲り渡していた先祖代々の家珍を、別録のとおり堅固に所持して子孫へ長く譲り伝えるよう命じる。安政六年正月廿一日、斉興の御判を記す。外包には、文久二年閏八月廿七日に黒田嘉右衛門を宰領として江戸から…
追録8-No.281 宰相から太守へ譲る家伝文書・刀剣・器物の重物目録
宰相から太守へ譲る重物目録一通。系図、文書五帖、巻物数十軸、家康の墨印一通、秀忠の感状一通、御判物十通と附属領知目録九通、記録七百五十六冊を掲げる。続いて、膝丸(小十文字と改称、光世作との注)、頼朝の太刀・守脇指、愛染明王・摩利支天像、忠久の鎧と写し、綱切、時雨・白旗など、家の由緒を伴う品を列挙する…
追録8-No.282 忠徳の襲封礼・元服叙任と茂久改名、初国入りの告賀記事
忠義公御系図の安政六年記事。正月二十一日に例どおり譜乗・重器を受け、二十八日に登城して家茂に謁見し、太刀・刀各一腰、縮緬二十巻、銀百枚、馬二匹を献じて襲封の恩を謝し、家臣九人も例どおり拝謁する。二月七日、家茂が忠徳を城に召して自ら元服を加え、従四位下・左近衛少将に叙任し、諱字を賜って茂久と改名、修理…
追録8-No.283 茂久の叙任・改名・帰国と斉彬遺志を継ぐ軍備整備の家譜記事
島津氏家譜の記事。安政六年二月七日に従四位下・左近衛少将へ叙任され、名を茂久と改め修理大夫と称し、三月に国へ帰ったことを記す。続いて斉彬が外患と国事の多さを憂え、勤王と藩屏の任を志し、弊政・冗費を改め国力を軍備へ傾けたとする事績の回顧を収める。軍務局で陸兵を練り、海軍局で海軍を学び、器械製造場によっ…
追録8-No.284 家茂の名と花押を記す松平修理大夫宛一字状
旧御番所御文書四番箱中の一字状。安政六年未二月七日、家茂の名と花押No.4、松平修理大夫殿の宛所を載せる。元服・改名の関係文書として、同日の御系図記事と併せて整理する。
追録8-No.285-1 従四位下源朝臣茂久の侍従任命宣旨
旧御番所御文書四番箱中の侍従任命宣旨。従四位下源朝臣茂久について、正二位行権大納言藤原朝臣忠能が勅を奉じ、侍従に任ずべき旨を宣する。安政六年二月七日、大外記兼掃部頭造酒正中原朝臣師身が奉る。一通と記し、奉者名は次頁に続く。
追録8-No.285-2 茂久の従四位下・侍従に関する上卿と職事の書立
従四位下と侍従の二欄に上卿・職事を記す一通。従四位下の欄は上卿中山大納言、職事廣橋頭左大辨。侍従の欄は上卿を同じ中山大納言とし、職事を萬里小路左少辨とする。薩摩侍従を示し、本文に年月日は記さない。
追録8-No.285-3 従五位下源朝臣茂久の修理大夫任命宣旨
従五位下源朝臣茂久について、正二位行権大納言藤原朝臣忠能が勅を奉じ、修理大夫に任ずべき旨を宣する一通。安政六年二月七日、大外記兼掃部頭造酒正中原朝臣師身が奉る。ここでは対象者の位階を従五位下と記しており、同日の侍従宣旨や御系図記事の従四位下とは原表記を分けて保持する。
追録8-No.285-4 茂久の従五位下・修理大夫に関する上卿と職事の書立
従五位下と修理大夫の二欄に上卿・職事を記す一通。従五位下の欄は上卿中山大納言、職事廣橋頭左大辨。修理大夫の欄は上卿を同じ中山大納言とし、職事を萬里小路左少辨とする。松平修理大夫を示し、本文に年月日は記さない。
追録8-No.285-5 侍従源朝臣茂久を左近衛権少将に任ずる宣旨
侍従源朝臣茂久について、正二位行権大納言兼右近衛大将源朝臣建通が勅を奉じ、左近衛権少将に任ずべき旨を宣する一通。安政六年二月七日、大外記兼掃部頭造酒正中原朝臣師身が奉る。御系図記事の左近衛少将という記述と、宣旨の左近衛権少将をそれぞれ原表記どおり保持する。
追録8-No.285-6 茂久の従五位下位記と制司・兵部省の叙位施行記録
源朝臣茂久に従五位下を授ける位記と叙位施行関係の記録。官役と羽衛の務め、精誠・公務への励みを称え、栄爵を授け主者に施行を命じる。安政六年二月七日の表示、中務卿熾仁親王の宣、中務大輔敬直の奉、中務少輔資生の行を記し、公卿の位階・官職・名を列挙する。続いて制書の施行と制司の欄、中原師身・右中辨経之の記載…
追録8-No.285-7 従五位下源茂久を従四位下に叙す口宣案
安政六年二月七日の宣旨を記す口宣案。上卿中山大納言のもとで、従五位下源茂久を従四位下に叙すべき旨を伝え、蔵人頭左大辨藤原胤保が奉る。口裏に口宣案とあり、一通と記す。
追録8-No.285-8 侍従源茂久朝臣を左近衛権少将に任ずる口宣案
安政六年二月七日の宣旨を記す口宣案。上卿は久我右大将で、侍従源茂久朝臣を左近衛権少将に任ずべき旨を伝え、蔵人頭左大辨藤原胤保が奉る。口裏に口宣案とあり、一通と記す。
追録8-No.285-9 従五位下源茂久を修理大夫に任ずる口宣案
安政六年二月七日の宣旨を記す口宣案。上卿中山大納言のもとで、従五位下源茂久を修理大夫に任ずべき旨を伝え、蔵人左少辨兼右衛門権佐藤原博房が奉る。口裏に口宣案とあり、一通と記す。
追録8-No.285-10 従四位下源茂久朝臣を侍従に任ずる口宣案
安政六年二月七日の宣旨を記す口宣案。上卿中山大納言のもとで、従四位下源茂久朝臣を侍従に任ずべき旨を伝え、蔵人左少辨兼右衛門権佐藤原博房が奉る。口裏に口宣案と記す。位階が従四位下であることと、任命先が侍従であることを区別する。