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追録8の目録

暫定版です。原文との照合により、概要や文書の区切り等を修正する場合があります。

全2,290件中 1101~1200件・12 / 23ページ

  1. 追録8-No.758(続き) 大久保達書の東下・総督輔翼と六月末尾を参照する

    旧759行のPDFは758の後半を収める。東下の重任を受け関八州・奥羽の鎮定に大総督宮・三條等を輔けるよう求め、末に六月と記す部分である。全領域を758の採用修正版に補収したため、旧ID759を保つ同本文参照行とする。

  2. 追録8-No.759-1 六月5日の叡覧賜品と進発変更、8日の帰国書付受取を伝え祝儀を求める

    太守が去る五日辰刻の参内後に東征する予定と軍列叡覧を承知し、軍装で参内して天杯、錦旗一流・剣一振・扇一本・反物一疋を中山前大納言の取次で受けたと報じる。勅筆の拝見後に原本を返し写を受け、御直衣・御擣帛各一領と金三万両、酒肴を賜った記事を続ける。総督府急報により本人の進発は追って沙汰し兵隊を直ちに出す…

  3. 追録8-No.759-2 供列六職の人数を定め、参詣時の長柄と先払横目または押の追加を伝える

    御側役一人・小納戸二人・小姓二人・医師一人・草履取二人・笠持一人の供列を掲げる。京都で官武一途の供列を定めたので、今後の五社参詣その他の特別な時もこのとおり召し連れ、長柄まで持つ扱いにすると伝える。但し先払横目四人または押二人を召し連れるとし、行列の立て方は別冊どおりとする。末は朱慶応四辰六月、備後…

  4. 追録8-No.759-3 近い太守出軍に諸郷・兵具方附士兵隊を随行させるよう大隊長へ伝える

    上京を命じてある諸郷と御兵具方附士の兵隊について、太守が近く出軍する予定なので、その時に供として召し連れることを申渡すよう、大隊長へ伝える。末は朱辰六月、刑部の署。

  5. 追録8-No.760 中将が追加出張希望の忠精を喜びつつ既定評決の変更難と国元守備の重要性を伝える

    関東の不穏を受け朝命による京都からの出馬に伴い出兵人数を調べた後、さらに出張を願う者があると聞き、その忠精を深く喜ぶとする。一方、すでに評決したため今から変更し難く、国元の守備も重要で、出兵は今回だけに限らないので趣旨を理解し今後も天下国家のため忠節を尽くすよう求める。六月の中将御筆の内容を示し、こ…

  6. 追録8-No.761-1 帰着の安康を知らせ翌15日の祝儀を求め、署24日と14日推校の注を保持する

    太守が九日に京都を発駕し十一日に大坂を出帆、今日七ツ過に前之浜へ着船して入城し安康であると知らせる。嶋津信濃一列・諸大身分、月次礼に出る者・諸士・諸座付士は、明十五日四ツ時に登城して家老へ祝儀を述べるよう求める。大奥へは京都に飛脚で知らせ、随真院・お盛にも同様とし、地頭は書状、詰合の琉球人は同日に登…

  7. 追録8-No.761-2 六月5日の参内と賜品・兵隊即出軍、8日書付を六月15日に周知する

    去る五日辰刻に太守が参内し東征する予定と軍列叡覧を承知していたところ、軍装で参内し天杯、錦旗一流・剣一振・扇一本・反物一疋を受け、勅筆を拝見後返上して写を受け、御直衣・御擣帛各一領と金三万両、酒肴を賜ったと報じる。総督府急報で本人の進発は追って沙汰し兵隊を直ちに出すとされ、軍列叡覧後七ツ時に帰殿、兵…

  8. 追録8-No.762 重役の士気振作を褒め晒一疋を賜い、七月6日の交付と八月の保管を記す

    白木御文書十一番箱中四十四番の薩州重役宛書付。積年の王事勤労と当春以来の出兵を褒め、藩主の精忠と重役の朝命奉戴・士気振作が行き届いたと評価し、賜品を与え今後も藩主を輔翼し忠節を尽くすよう求める。七月の書付一通と晒一疋の品目を掲げる。辰七月六日の新納の報告は、重役用務の呼出に代理出頭し、他の九藩も同様…

  9. 追録8-No.763 戦亡親族らの拝礼と軍の弔調練を指定し、六日の太守直詣を記す

    戦亡の霊を祀る靖献霊社を設けたので、明後六日に太守が直詣し、続いて軍局士官と戦亡者の親族が拝礼できるよう命じる。一般の拝礼は随意とし、同日調練場で弔調練を行う。親族には霊社近くの宿を用意するので事前に来て出役の指図を受けるとする。先供は大砲五座・陸軍一大隊、跡供は陸軍二大隊と騎兵隊、海軍一小隊ほどの…

  10. 追録8-No.764 死亡重創十両・薄手負五両の区分と、五藩への金額を示す

    雑録中・鎮台日誌抄の七月十三日沙汰。奥州白川口で戦い死傷した者を深く哀れみ、香花料と保養料として下賜する旨を伝える。但書は死亡・重創の者へ金十両ずつ、薄手負には五両ずつとする。藩別には薩州八百五十五両、長州四百五十両、大垣二百八十両、土州八十両、忍十五両を掲げる。末は七月。金額と対象区分の沙汰として…

  11. 追録8-No.765-1 江戸を東京と称し東西同視を述べ、住民へ職業と物産振興の心得を求める

    詔は、主上が万機を親裁して億兆を綏撫し、江戸は東国第一の鎮で四方が集まるので親臨して政を視るべきだとして、今後江戸を東京と称すると告げる。海内一家として東西を同じく視る趣旨を衆庶が理解するよう求め、末は辰七月。続く説明文は、幕府開設後の繁栄を天下の勢力と財が集まった結果とし、幕府廃止で府民が生計に苦…

  12. 追録8-No.765-2 東京の鎮将府の支配範囲と諸侯らの届出・願書提出を定める

    通達留の後続二達。東京に当分鎮将府を設け、駿河以東十三国、すなわち駿河・甲斐・伊豆・相模・武蔵・安房・上総・下総・常陸・上野・下野・陸奥・出羽を支配させると告げる。続く達は、当該十三国の諸侯・中太夫・上士らが上京・帰国する際は鎮将府へ届け、諸願届も同府へ提出するよう定める。諸藩の公務人は一、二人ずつ…

  13. 追録8-No.766 会計官が留守居を呼び忠義の領分村高等を訊問する

    御履歴中の七月十三日条。会計官が留守居を呼び、忠義の領分・村高等を訊問したと記す。個別の村名、石高、回答内容はこの条には掲げられていない。

  14. 追録8-No.767 戦死者十二名に五十両ずつを下賜し、親類への伝達を大隊長へ命じる

    雑録中。東郷助之丞、有馬十郎次、樺山清五郎、伊勢佐七郎、大迫市郎右衛門、吉田喜右衛門、木村〔名一字判読留保〕次郎、堀添平左衛門、児玉源兵衛、上村珍樹、濱田藤介、阿多新吾の十二名に、金五十両ずつを掲げる。奥州・越後等で戦死したため葬式料として下賜するので、それぞれの親類へ知らせる旨を大隊長へ伝えるよう…

  15. 追録8-No.768 浅川方面の砲戦に援兵を出して相手方を退かせ、手負二名を届ける

    雑録・鎮台日誌中の七月二十四日薩州藩届書に、白川出張の薩州・相良治による七月十七日報告を収める。昨日十六日に浅川駅方面で砲声を聞き、釜子駅出張兵から斥候を出すと、会津・仙台等の兵約八百人が来襲し、彦根・土州の兵と砲戦している様子だったとする。援兵に黒羽一小隊と薩州一小隊を出し、印旗を伏せて背後へ迫り…

  16. 追録8-No.769 八日の榮之尾御湯治と、招魂社の霊社で永世神祭を行う指示を伝える

    通達留の二条で、いずれも朱辰七月、圖書の署。第一条は近く東行する予定につき、その前の来る八日に御側廻人数を少し召し連れ、踊の内の榮之尾へ御湯治に入る予定を担当向へ知らせるよう命じる。御前様も同行する予定で、それぞれの手当は御手許だけで行うとする。第二条は当春以来の東方追討で忠死した霊魂を招集するため…

  17. 追録8-No.770 生業の勧励と軍の賞罰・国力培養を説く御筆を写し、一同に忠勤を求める

    外包四十三番、御筆御書取一通。内膳から前田彦四郎へ慶応四辰八月十九日に渡され、当座の格護を命じられ白木御文書十三番箱へ納めたと記す。所収の御筆写は、民をそれぞれの道で生業に励ませること、朝廷の定めた綱目を民にも示して実行することを説く。軍局は国の興廃と人の生死に関わるので、信をもって規律と賞罰を立て…

  18. 追録8-No.771 主上が軽い行装で東国へ出発する予定を伝え、一同へ周知する

    通達留。先の海内一家・東西同視の趣旨で東京のことを告げたが、当春の兵馬以来、東国の民が戦乱によって苦しみ流離して主を失っているとして、主上が親臨して慰撫したいので、非常に手軽な行装で近く出発する旨を告げる。末は朱辰八月。続く内膳の達は同趣旨を再掲し、別紙の通り仰せ出されたと伝え、一同が謹んで承知する…

  19. 追録8-No.772-1~2 御筆の忠勤要求を伝え、給地米取扱と受取書保管を諸郷・私領へ周知する

    通達留。七七二の一は、民の生業の勧励、朝廷の綱目の実行、軍の規律・賞罰、王政一新における民政と国力培養、協力と主への依頼の戒めを説く御筆を掲載する。続く右衛門・龍衛・内膳・良馬・隼人の書取略は、昨日十三日に磯御茶屋へ召され御筆を受けたので、一同その旨を奉じ忠勤するよう求める。末は朱慶応四辰八月。七七…

  20. 追録8-No.773 嶋津隼人に応援隊を付け、船の都合がつき次第出軍し西郷と相談するよう命じる

    通達留。嶋津隼人を越後方面の出兵惣督に任じ、応援隊を付けると告げる。船の都合がつき次第出軍し、万事を西郷吉之助と相談して成功を遂げるよう命じ、その旨を向々へ周知するよう求める。末は朱辰八月十六日、内膳。任命と出軍の条件・指示を記し、この日すでに出航したとは補わない。

  21. 追録8-No.774-1 東京改称・鎮将議定参興等の沙汰を一同と諸郷・私領へ伝える

    通達留。江戸を東国第一の要地として今後東京と称し、鎮将・議定の参興等を召し居らせる件について、別紙の写五通の通り勅筆等で沙汰されたと知らせる。一同が謹んで承知するよう向々へ周知し、諸郷・私領へも伝える旨を領主・地頭へ申し渡すよう命じる。末は朱辰八月二十一日、右衛門・内膳。

  22. 追録8-No.774-2 出兵兵隊の奮戦を聞き武運を祈る五社祭祀が結願したと知らせる

    当春以来、諸所へ出兵した兵隊の奮戦・勲労の次第を聞き、深い思いで武運を祈るため五社祭祀を命じ、去る十四日から十八日までに結願したと知らせる。その思いをありがたく承知し、向々へ周知するよう命じる。末は朱辰八月、内膳。祭祀の結願は通達が報じる実施、兵隊の奮戦と発令者の思いは通達側の叙述として記す。

  23. 追録8-No.775 忠義への上京・参政・京都警衛命令と、領分石高・村々調査の報告を収める

    御履歴中。八月十日の詔は、海路東行を命じていた忠義に用務のため早く上京するよう求める。二十八日の詔は、主上東行の留守中、機務商議の際に時として大政に参じるよう命じ、二十九日の詔は京都の警衛を命じて平常の取締りも厳重にするよう求める。九月十日の内田仲之助の報告は、七月十三日に会計局が訊問した領分・村高…

  24. 追録8-No.776 四十歳以下の筆者らを陸軍稽古へ出し、残る人数で役務を勤めるよう命じる

    通達留。奥羽・北越の戦争が至急で、さらに多数を出兵させても鎮定していないため、諸座の筆者・小役人等の四十歳以下の者を陸軍所へ出して稽古させるとする。先に諸役場の人数を減らしてあるので緩急に応じて別勤を命じ、残る役務は残人数が長詰などを繰り合わせて勤めるよう求める。郡奉行以下の仕事は筆者方の御用も兼ね…

  25. 追録8-No.777 改元と一代一号を伝え、八日から書付を明治と記し、即位済みも周知する

    通達留の三つの内容区分。行政官の九月の達は、即位の大礼が済み先例によって改元するが、今後は一代一号と定め、慶応四年を明治元年とする旨を告げる。龍衛の添達は、去る八日にこの通り命じられたと伝え、同日から諸書付等にも明治と記し、向々・諸郷・私領へ周知するよう命じる。続く龍衛の達は、即位が先月二十七日の辰…

  26. 追録8-No.778 会津・庄内方面の戦闘、降伏・凱旋と忠義の上京・参政警衛を記す

    忠義公の御系図。八月四日の村松城攻略、十日の忠義急上京召命、十一日の村上城攻略を記す。二十日から会津攻撃の軍議・玉井村等への進出を掲げ、二十一日の母成嶺、二十二日の猪苗代、二十三日の若松城攻撃、二十四日の外郭への退兵と持久攻撃を叙述する。羽州方面の戦況も記し、二十八日に忠義が上京の詔を受け、この時に…

  27. 追録8-No.778(続き) No.778の後半・米沢降伏から庄内降伏と凱旋までの続き

    No.778の系図記事の続き。米沢藩の降伏、春日艦の久保田港到着、九月の会津・羽州方面の戦況、容保父子の出降・護送、庄内藩主の降伏と諸隊の凱旋を収める。全文はNo.778にまとめて整理した。

  28. 追録8-No.779-1 会津戦の死亡者名簿を掲げ、仮葬と遺髪送付・親類への引渡を報じる

    雑録中。会津攻撃に関わる死者を所属隊別に列記し、八月二十三日・二十六日・九月十五日の戦死、深手を負って三春病院等で死亡した者、八月二十日・二十一日の戦死を区別する。六番隊五人のうち川上彦八郎・園田勇吉・中嶋岩次郎は砲戦が激しく遺骸引揚ができていないとし、米良仲之丞・猪保壮七郎は八月二十三日戦死、藤崎…

  29. 追録8-No.779-2 連戦後に病死した椋松善次を戦死者同様に扱い、遺髪を親類へ渡すよう求める

    一番隊兵士の椋松善次は、疫症で病院に療養していたが養生がかなわず、去る十八日に死亡したと報告する。遺髪はこの節に一緒に送るので、国許に届いたら親類らへ渡すよう求める。病死ではあるが、それまで多日連戦した働きを取り計らい、戦死者と同様の取扱で葬式料等を与えるよう依頼する。辰九月二十日、会津在陣の御軍賦…

  30. 追録8-No.779-3 米沢藩世子の謝罪出向と弾薬輸送を伝え、会津城下の戦況・見聞を報じる

    会津城下在陣の今井一兵衛・梅北休兵衛が九月十九日に認めた報告。米沢藩の謝罪歎願で世子一人と従士十五人ほどが大惣督宮仁和寺様の新発田陣営へ出向き、宿陣前を歩行して通った様子を伝える。積み込んだ弾薬は届きつつあるが遠路で不自由とし、乗船した英船の帰りには封書を託す予定を述べる。会津方面は先月二十二日に白…

  31. 追録8-No.780 会津の戦死・負傷と病院死を隊別に掲げ、国許へ書冊等を送る

    雑録中の会津進撃に関する隊別死亡・負傷名簿と、京都本営の送状。九番・十一番・十二番隊等の戦死者を掲げ、十二番隊では三春の村人や庄屋支配下の者も含め、即死・戦死を記す。諸隊の死者には手負の後に三春病院で死亡した者があり、続く手負人数では深手・浅手・薄手と、負傷した日・場所を区別する。田村小太郎、伊佐敷…

  32. 追録8-No.781 剣・短刀・文具・衣類・旗・金などの賜与経過と保管担当を記す

    白木御文書十一番箱中四十六番。正月十二日の伏見戦争の恩賞として剣一振(備前国住長船清光作)、二月二十八日の積年勤王の恩賞として短刀一本(備州長船住兼光作)・文台一・硯箱一、四月十七日の大坂行在御跡警衛の慰労として天杯一・錦織一巻・末廣一本を掲げる。六月五日の関東進発に伴う賜品は勅筆写一通・皇旗一流・…

  33. 追録8-No.782 慶応四年を明治元年とする達を、諸書付の表記と藩内周知へ伝える

    通達留。行政官の九月の達は、即位の大礼が済み、先例によって改元するが、今後は一代一号と定め、慶応四年を明治元年とする旨を告げる。龍衛の添達は、去る八日にこの通り命じられたとの知らせを受け、同日から諸書付等にも明治と記し、向々・諸郷・私領へ周知するよう命じる。末は朱辰九月、龍衛、但書略す。同文に近いN…

  34. 追録8-No.783 主上東幸を伝え、諸侯の天機伺と公議人の東京出頭等を定める

    通達留。明治元辰十月三日の備後の達は、主上東幸が命じられ先月二十日辰刻に出発したと伝え、別紙八通の通り向々へ周知するよう求める。所収の行政官九月の達は、毎月十五日に辨事一人が東京で天機を伺うこと、在京諸侯は六・十六・二十六日、在国在邑の諸侯は十五日に重臣名代を禁中仮建所へ出すことを定める。在京諸侯に…

  35. 追録8-No.784-1 米穀の密かな積出しを警戒し、諸郷・私領の津浦まで取締りを命じる

    通達留。上方の米価が特に騰貴していると聞き、領内全体が米穀不足なのに、商人が密かに米穀を積み出すおそれがあると述べる。抜物取締りは以前にも命じているが、当地だけでなく諸郷・私領の津々浦々まで厳重に行き届かせるよう、津畑出張の抜物取締横目と番所詰横目へ命じ、地頭・領主・郡奉行・取納米差引横目へも早く知…

  36. 追録8-No.784-2 急変時に駈付人数を増やすため調べ直し、六日までに名前を出すよう命じる

    急変が来た際に勤場へ詰める人数と実場へ駆け付ける人数を分けて申告するよう命じたところ、勤場に残る者が多く駈付人数が少なかったとする。その調べ方によっては陸軍所等へ混ぜて別勤を命じることになり、用務が難しいとの内輪の評もあると記す。一方、急事の屯場は以前に定め、用務との兼ね合いは臨機に処置する手当もあ…

  37. 追録8-No.784-3 医職を才能で選び、西洋医学と外科・解体実験等の教育を進めるよう命じる

    医学院教授その他の役名を設けることに伴う達。医道は人命を救う軽くない職務で、大信院公以来の取組みをさらに厚くして人民の養育に努めるとの趣旨を述べる。洋学医・漢医の両方から才能に応じて役を命じ、教授らの不在時は人柄を吟味して代役を選び、両道の長短を補って救済の志を失わないよう求める。本科と外科を区別せ…

  38. 追録8-No.784-4 医学職の役料米・賄料と持高による調整、往診・句読職の取扱いを定める

    医学院の職名と給付を列記する。教授は役料米七十五俵と十四人賄料、助教は五十俵と六人賄料、訓道師は四十俵と四人賄料とし、各次席も掲げる。教授・助教は時宜により拝診を命じることがあるとする。役料米はおおむねこの通りだが、持高によっては与えない場合もあるとし、教講を設ける。続いて教講の役料米三十五俵、句讀…

  39. 追録8-No.785-1 灯明台の場所を選ぶ一行の佐田岬等への来航予定を海岸担当へ知らせる

    通達留。朝廷が海岸の要所へ灯明台を築造させるにあたり、場所を選ぶため英国の器械匠一人と会計官権判事・眞田藩中長谷川三郎兵衛が同伴し、火船で近く佐田岬へ来る予定との知らせがあったと伝える。時宜によって前之濱へ回艦することもあり得るので、海陸軍掛の役々、台場担当、海岸を抱える地頭・領主へ早く知らせ、遠見…

  40. 追録8-No.785-2 太守の京都留守中商議・警衛のための上京が船の事情で延びたと伝える

    今上の東幸に伴い、太守は留守中の機務商議と京都警衛を命じられて早く上京する予定だったが、船繰り等の事情によりこれまでやむを得ず延引したと伝える。近く船の修覆が済んだ上で上京する旨を、向々へ漏れなく早く周知するよう命じる。日限は追って沙汰するとの但書を付ける。朱明治元辰十月十六日、備後。上京の目的・遅…

  41. 追録8-No.786 小松の兼務・玄蕃頭任命・東幸御用による東京先着をまとめて知らせる

    通達留に小松に関する三つの命と備後の周知を収める。明治元辰九月の行政官の達は、小松帯刀に当官のまま外国副知事を兼務するよう命じる。辰九月四日の宣下は玄蕃頭に任じ、辰九月の行政官の達は小松玄蕃頭に東幸御用のため東京へ先着するよう命じる。備後はこの通り命じられたとの知らせを受け、向々へ周知するよう求める…

  42. 追録8-No.787 漂着者の山川・前之濱への送迎と英人・朝鮮人の滞在先を指示する

    通達留。「英人」十二人と「朝鮮人」九人が七嶋・口永良部嶋へ漂着し、屋久嶋から詰横目の遠矢彦右衛門の警固で山川まで送り届け、さらに前之濱まで廻船するとの知らせがあったとして、その通り取り計らうよう命じる。到着後は英人を磯異館へ、朝鮮人を南林寺寮舎内へ置き、滞在中は町役が諸事を処理するよう求め、山川地頭…

  43. 追録8-No.788-1 伊達陸奥・酒井左衛門の降伏謝罪を知らせ、両南部の写は後送と伝える

    通達留。伊達陸奥と酒井左衛門が降伏し、別紙の通り謝罪状を差し出したと京都から知らせがあったため、向々・諸郷・私領へ周知し、地頭・領主へ伝えるよう命じる。掲載は謝罪状二通を略すと注し、両方とも九月と記す。両南部も同様に謝罪状を出したと聞くが、この便までは写が得られず、追って送るとの知らせを但書に付ける…

  44. 追録8-No.788-2 御諱の三字を名字に用いず刻本等では闕画するよう命じる

    行政官十月の達は「惠・統・睦」の三字を御諱とし、名字等には用いず、刻本等には闕画するよう命じる。続く備後の達は別紙の通り命じられたと知らせ、向々へ周知し、諸郷・私領へも伝える旨を地頭・領主へ命じる。末は朱明治元辰十月。原の三字と闕画の指定を保持し、原にない各人の実名解説や具体的な闕画方式・実行例は補…

  45. 追録8-No.788-3 会津城主父子の謝罪・降伏と城の受取、諸隊の国許帰陣を伝える

    官軍が会津城へ押し詰めて連日攻撃し、城主肥後父子らが先月二十二日に別紙の通り謝罪状を差し出し、翌二十三日に出城して剣を脱ぎ降伏したとの知らせを伝える。近辺の妙国寺で謹慎を命じ、残る者は猪苗代で謹慎し、兵器を差し出して二十四日に城を受け取ったとする。米沢も降伏したとの知らせがあったため、向々・諸郷・私…

  46. 追録8-No.789 御前様の婚姻儀式を来月朔日に整える予定を周知する

    通達留。御前様はこれまで内婚であったが、来月朔日に婚姻の儀式を整える予定とし、その旨を向々へ知らせる。大奥その他への祝儀に関する部分は略すと記す。辰十月二十六日、龍衛、取次は細瀧権八。儀式の予定として記し、御前様や婚姻相手の実名、実施済みの日付、略された祝儀内容は補わない。

  47. 追録8-No.790-1 霧嶋神社修復への報恩として領内の有志から寄進を取りまとめる

    通達留。損傷した霧嶋神社の修復を命じる予定であったところ、朝敵征討の初めに神武の国威が振るわれ、相手方が降伏して成功を遂げたと評価し、報恩のため修復を進めると告げる。領内の志ある者には多少を問わず修復料金銭を寄進するよう求め、各担当向で取りまとめて会計方へ納めるよう命じる。その旨を向々・地頭・領主へ…

  48. 追録8-No.790-2 病院治療を整え、極度に貧しい者の療料免除と取扱いの吟味を命じる

    医学院の役名・教育方針に続く達。洋漢折衷で実験の治道を究め、人命を救う基本を立てるとの趣旨を述べ、病院を設けて生民を慈しみたいとする。軍事の莫大な費用により一時調え難いが、民が困窮し薬用等にも不便があるため、製薬方の内に病院を設けると述べる。助教らと相談して、一日おおよそ百人を見当とする治療を取り計…

  49. 追録8-No.791 宗家や大藩に従った小家の功労を詳しく調べ、埋もれさせないよう命じる

    雑録中。征討諸軍の長い従軍と捷功を主上が喜んでいると述べる一方、小家の者は単独で任に当たれず宗家に属したり大藩に依頼したりして身を尽くした例があり、その功労が埋もれて目立たないことを遺憾とする。宗家・大藩が詳しく調べ、功労を隠没させないよう命じる。十月、行政官。追記は戊辰十二月十五日に当地の陸軍所へ…

  50. 追録8-No.792 軍機の精密と一致協力を求め、本営での軍評・公論による運営を示す

    外包四十九番の御筆仰出一通。東国鎮定出馬の重命を受け、皇国の大事と自家の武威・存亡に関わるとして、君臣が力を合わせ王事に尽くす時だと説く。軍務の枢機は精密な計画と機敏な実行にあるとし、三軍が一体となり各将が互いに助け、局を分けて違うことを戒める。出陣中の軍機を一切直裁せず、本営を一局として家老・側役…

  51. 追録8-No.793 禁闕警衛の人数をさらに京へ送り到着したことを神妙として評価する

    白木御文書十一番箱中五十番の書付。松平修理大夫には以前から禁闕警衛を命じていたが、この節柄にさらに人数を送り上京させ、追って京に着いたと聞いたため、神妙なこととして満足しているとの思いを伝える。本文には日付がない。警衛人数の京着を聞いたことと評価を記すもので、具体的な人数、金品の褒賞や他の所収からの…

  52. 追録8-No.794 船繰りによる上京延引と修覆後の上京予定を向々へ伝える

    通達留。今上の東幸に伴い、太守は留守中の機務商議と京都警衛を命じられて早く上京する予定だったが、船繰り等によりやむを得ず延引していたと伝える。近く船の修覆が済んだ上で上京する旨を、向々へ漏れなく早く周知するよう命じる。上京の日限は追って沙汰するとの但書を付ける。朱明治元辰十月十六日、備後。No.78…

  53. 追録8-No.795 長い軍旅で負傷した者への慰労として勅使を差し立て菓子を下賜する

    雑集中。明治元戊辰歳十月十七日、千種少将公が勅使として各藩の手負・病人等へ菓子を下賜した事を記す。所収の辰十月の書付は、長い軍旅で忠戦して創傷を負ったことを深く痛み、慰労のため勅使を差し立て菓子を下賜すると告げる。記事の日付と書付末の月を分け、原にない対象人数・菓子数量や慰労の効果は補わない。

  54. 追録8-No.796 御前様の着帯祝を来月朔日に予定し、婚姻祝に続く祝儀を向々へ伝える

    通達留。御前様が懐胎しており、来月朔日に着帯の祝いを行う予定と告げる。婚姻の祝儀に引き続き、一門方、諸大身分、その他月次御礼に出る者が太守様・中将様へ祝儀を述べることを記し、その詳細を略す。向々へ周知するよう命じる。末は辰十月廿日也、備後ほか四人。懐胎は通達の記載、着帯祝は予定として示し、御前様や子…

  55. 追録8-No.797 戦闘死傷等の詳しい届出が遅れているため、国許へ再調査を依頼する

    雑録中。東北の戦闘・手負・戦死等は朝廷へ随時届けていたが、さらに詳しく調べて申告するよう命じられ、すぐに整わなかったので猶予を願い出ているとする。京都へ凱陣した者に調査を命じても短い滞在で急がしく、細かな報告が整わないため、国許で各隊と差引等の担当が、到着ごとに戦闘の手続・死傷を詳しく取り調べて申し…

  56. 追録8-No.798-1 願事に関わる不相応な贈物を受けないよう戒め、役場の勤務を求める

    通達留。賄賂に類することがあってはならないと繰り返し命じ、当春にも指示しているとして、廉恥の風を行うよう求める。願事などに伴って不相応な贈物を受けることがあれば、この時勢には済まされないと戒める。留守中は中将様が諸事に厚く配慮しているので、廉直を心掛け、不作法がないようにし、諸役場の筆者・小役人まで…

  57. 追録8-No.798-2 職別役料高を掲げ、軍費下の当分減額・返上と軍備振向を求める

    役料高の原規定を掲げ、御城代八百石、御家老五百石、若年寄二百石とする。神社奉行は持高四百石以下・五十石以上に役料高九十石、五十石以下には百四十石、下御役から位階まで任じられた持高三百石以下の者に九十石を掲げる。御番頭・当番頭も持高別の同様の区分を記し、日勤を要しない大番頭・番頭・当番頭御用人の九十石…

  58. 追録8-No.798-3 兼務者へ担当別に役料規定を伝え、返上・減額の願書を廿日までに出させる

    役料高規定の本文付。若年寄・大目附で神社奉行を勤める者へは神社方から、大番頭・御番頭で会計奉行・御用人・御側役を勤める者へは会計方・御用人方・御側役方から、それぞれ周知するよう命じる。役料高を全て差し上げる者、または減額する者は、持高の員数と差し上げる高の員数を記し、担当向で願書を取りまとめて来る廿…

  59. 追録8-No.798-4 引付合の等閑な取扱いを戒め、奉行頭人へ厳重処理と勘定局報告を命じる

    高奉行所・物奉行所をはじめ諸座の引付合は取締りを第一に行き届かせるべきところ、近頃は扱いが等閑で、各蔵の手伝に任せている向きもあると聞くと述べる。今後は各奉行・頭人が一層注意し、厳重に速やかに処理して、成行を勘定局へ答えるよう命じる。なお等閑の知らせがあれば沙汰に及ぶ旨を告げ、向々へ周知するよう求め…

  60. 追録8-No.798-5 帰還した傷病兵を迎える病院を早く整え、療養と担当出役を急がせる

    先に城下の病院設置を命じ、場所等を吟味して伺うはずだったのに、なお手続がなく遅れていると指摘する。奥羽出兵者が凱陣して帰還しつつあり手負も多く、朝廷で手厚い療養を受けたことを御兩殿様がありがたく思う一方、国許へ帰って寒い時期に療養が行き届かないことを遺憾とする。これまで見合わせていた孔関跡脇・開成所…

  61. 追録8-No.798-6 来正月から半朱の通融を止め、当地鋳物方で新銭へ引き替えると知らせる

    領内通宝の半朱は新銭へ繰り替えると以前に命じており、来正月から諸向での通融を差し止め、新銭を用いて当地の鋳物方で引き替えるよう命じる。その旨を向々へ伝え、地頭・領主へも漏れなく知らせるよう求める。年内でも引替を望む者が鋳物方へ差し出せば、すぐ引き替えるよう指示する。朱明治元辰十一月廿六日、龍衛。来正…

  62. 追録8-No.799 白鹿洞書院掲示を学問の標準として実践と講習を求め、四署で周知する

    通達留に白鹿洞書院掲示、中将の書取、四署の周知を収める。掲示は父子・君臣・夫婦・長幼・朋友の五教、博学・審問・謹思・明辨・篤行の学ぶ順序を示し、修身、義を正して利を謀らないこと、人に接する際に自分の望まないことを施さないことなどを述べる。辰十一月の学問方針は、先年からの指示を改めて命じるのではないが…

  63. 追録8-No.800 服装と通行を不相応とする評価から、主人に取締りと周知を命じる

    通達留。発令側が「凡下躰之者共」と呼ぶ者が、不似合とする羅紗類の衣服を着たり、木履を履いて歌いながらみだりに通行したりしていると聞き、不届と評価する。今後は慎み、同様のことがないよう主人らが厳しく命じるよう求める。なお反する者は札方で取り扱う旨を告げ、向々へ漏れなく知らせるよう命じる。朱明治元辰十二…

  64. 追録8-No.801 数寄屋附の兵具方統合、屋敷と各身分の取扱いを命じる

    通達留の三条。第一条は時勢に応じ、数寄屋附士と仕坊主を兵具方へ合併し、数寄屋附を兵具方支配として兵具奉行・数寄屋頭に知らせ、向々へ周知するよう命じる。第二条は数寄屋附屋敷を今後は兵具所附屋敷とし、会計奉行らへ伝える。両条末は朱明治元辰十二月、内膳。第三条は附士を兵具方附士、仕坊主を足軽、家来身分の者…

  65. 追録8-No.802 太守の京都警衛から帰国する理由と帰着旅程を報じ、登城祝儀を求める

    通達留。太守は主上東幸中の京都警衛を受け、着輦まで在京する予定だったが、国許は当春以来多数を出兵して凱陣を命じられ、国政を急ぎ復旧するため帰国の暇を願ったと報じる。還幸を控えて許し難いところ、東北は漸く平定しているなどの事情から暇を賜り、国元の政事が行き届けば早く上京して皇室を輔翼するよう求められた…

  66. 追録8-No.803 太守への歳暮の賜品を伝え、一門らに十一日四ツ時の登城祝儀を求める

    通達留。末廣一対、紙入一、煙草入一揃を掲げる。旧臘二十七日に非蔵人口へ重臣の用務で嶋津主殿が呼び出され、辨事の平松甲斐権介から、歳暮に太守へこれらの賜品を与える旨を告げられたとの知らせを伝える。一門方・諸大身分その他月次御礼に出る者は、明後十一日の四ツ時に登城し、太守様・中将様へ祝儀を述べるよう求め…

  67. 追録8-No.804 忠義が三藩主と商議して章を奏上したと記し、四藩の連名を掲げる

    御履歴中。明治二年己巳正月廿三日、忠義が三藩主と商議し、一章をまとめて閣下へ奏上したと記す。章は「臣某等謹テ案スルニ朝廷一日モ」以下を云々と略し、末にあるとする。末紙の連名は正月、毛利宰相中将、嶋津少将、鍋島少将、山内少将を掲げ、慶親・忠義・直大・豊範の原注を伴う。記事と署名略記として整理し、ここで…

  68. 追録8-No.805-1 長肥土と連署献言した旨を知らせ、朝制を目的に藩内改革を進めるよう求める

    通達留の太守御筆写。府藩県の制度が立てられ、公領には職制等が設けられ、各藩も朝制に基づき旧法を改革して言上するよう命じられたと述べる。藩国封土は第一に名義に協わず長年の弊源だとして、長・肥・土とも商談し連署で献言したと告げる。今後の藩内庶務は政体を目的として不抜の定制を立て、一同その趣旨を理解し、私…

  69. 追録8-No.805-2 版籍を朝廷へ収め、爵禄と軍政等の制度を朝廷が定めるよう求める

    建白の所収本文。「大体」と「大権」を朝廷が失い、仮すべきでないとし、皇統と天子の土地・人民に関する立場を政治的根拠として述べる。朝廷の権が衰え、諸勢力が土地人民を私し、幕府・旧家の名義と実質が分かれたという歴史認識から、大政一新には名実を一致させるべきだと論じる。領する土地と民も天子のものなら私有す…

  70. 追録8-No.806 関東百官の名替と家統相続・他家養子の実家復帰などの取扱いを命じる

    通達留の三つの用件。寛永の従来規定では番頭と嫡子が百官や関東百官の内を名に用いることも許されていたが、今後は番頭株重職以下も関東百官を名に用いず、現に名付けている者は名替を願い出るよう命じる。家統は血筋の連続と孝道が大本だとし、天明の規定に続き「以来二月以下」と時期を掲げ、他家へ養子を置いた後に嫡子…

  71. 追録8-No.807-1~2 勅使の迎接次第を役所別に定め、警衛・宿所・饗応等の手当を命じる

    通達留の勅使迎接次第と補足通知。近く下向する勅使を迎えるため、軍艦幸福丸に吉井幸輔を乗せて山川辺へ出し、召艦を見れば乗付して機嫌・様子を知らせるとする。太守の船上見舞、前之濱着船時の台場と幸福丸の祝砲、海陸軍による船・乗物・警衛、石燈籠通から信濃屋敷表門通・枡形造士館前を経る案内と掃除を定める。対面…

  72. 追録8-No.807-3 供方の宿泊と料理・火焚配所、目付・数寄屋・海軍所等の詰所を分ける

    原807の三。勅使の供方は杉之間・菊之間の両番所へ宿泊し、茶人は山吹之間へ詰めるよう命じる。雉子之間を朝夕の賄・料理の配所とし、横目は滞在中桃之間に詰める。鷲之間は町役・料理人・給仕の扣所とし、火焚道具も置き、取締目付横目を割り当てる。料理担当の指揮、出張海軍所役々の滞在中の担当、雉子之間・鷲之間縁…

  73. 追録8-No.807-4 勅使の着発・外出時の通路で慎み、不敬のないよう周知する

    原807の四。勅使が近く下向する予定に伴い、着船・出立・諸所への外出時に通路へ出る者はよく慎み、不敬のないよう心得ることを命じる。向々へ伝え、末々の者には支配頭・主人から知らせるよう求める。朱明治二年二月十日、龍衛。礼節の指示として記し、個別の不敬事件や処罰済みの記録は補わない。

  74. 追録8-No.807-5 中将の病体と不敬の断りを伝え、津畑出迎えの予定を一統へ知らせる

    原807の五。中将はまだ病中で身体の屈伸も不自由だが、勅使の下向は容易ならぬ重要な役柄のため、病中の不敬となるところを重ねて断った上で、病体のまま津畑まで迎えに出る旨の沙汰があったと伝える。一統が承知するよう向々へ周知を命じる。朱明治二巳二月十三日、龍衛。病状は達に記された範囲で示し、診断名・予後や…

  75. 追録8-No.808 忠義が旧官職を廃して新職制を設け、公私混同を避ける内務局を置いたと記す

    島津氏家譜。明治二年己巳二月、忠義が朝旨に従って藩政を大きく改革し、従来の官職を廃して新たな職制・職員を設け、庶政を施行させたと記す。別に内務局を建てて公私を混同しないようにしたと述べる。家譜による改革の記述として整理し、具体的な職員数・規則全文や公私分離の実効まで補わない。

  76. 追録8-No.809 御所警衛の詔と、病床の久光に代わり忠義が勅使を迎えて文書を奉戴したと記す

    御履歴中。二月十日に忠義が左の詔書二通を受けたと記し、主上東行の留守中に人数を備え非常時の警衛を命じていたところ、今回大宮御所の警衛を改めて命じる内容を掲げる。但書は島津少将へ中宮御所、山内少将へ桂御所と記す。十四日条は、久光への勅使として柳原右少辨が来臨し、久光が病床にあったため忠義が父に代わって…

  77. 追録8-No.810-1 先臣の遺志と薩長の勤労を評価し、強暴への備え・民安と上京を求める

    通達留。明治二年二月二日に御前で渡し賜ったと記す宸翰で、侍臣右少辨前光を掲げる。天下の大義と朝廷の体裁を正し争乱を正に戻したのは、先臣贈中納言の遺志を受けて国論を定め、長藩とともに積年忠勤した結果だと評価する。今後の長計でも両藩が股肱として努め、国体を正し強暴に備え、大義を立てて民安を図り、独立不羈…

  78. 追録8-No.810-2 主上の功労評価と長策を伝え、薩長の協力と速やかな上京を求める

    三條輔相の書状。實美が島津中将に、今月一日に主上から告げられた言葉を伝える。先臣贈中納言の遺志を継ぎ長藩と尽くした功を評価する一方、国基がまだ定まらず外患も予測し難いので、薩長が協力し長策を定めるよう望むという。主上は長門宰相中将・島津中将へ親書を下し、天下と長く休戚をともにしたい趣旨を述べる。實美…

  79. 追録8-No.811 備後を名代に宸翰添書の拝見時刻を分け、祝儀・参拝・祝酒等を指示する

    通達留。柳原右少辨の勅使によって昨十四日に宸翰を奉戴し、太守出座の上一統へ拝見させる予定だったが、勅使方の用務が空かず備後を名代とし、明後十七日に宸翰と添書を拝見させると告げる。対面所の上段に名代が出座し、文書を御前へ備える。一門方・月次御礼の者は五ツ時から四ツ時、諸士一二番方は四ツ打切から九ツ時、…

  80. 追録8-No.812-1 照国公の遺志と宸翰への謝意を述べ、今後の一同の協力を求める

    通達留の中将御筆写。照国公の遺志を継いで積年朝廷へ微力を尽くすつもりだったが、自身は不肖で功もないところ、勅使を通して別紙の宸翰を奉戴し恐懼していると述べる。復古の成功は皇運によるもので分外の褒勅は受けるべきではないと思う一方、東北へ奔走し身命を尽くした出兵者の功と、上下同心・闔藩の協力で天恩に報じ…

  81. 追録8-No.812-2 全快を待つ猶予より謝恩と本志を重んじ、上京を承諾したと伝える

    勅使下向の特命は容易ならない未聞の特遇で、深く恐れ入り身の置き所を知らないとの所感を述べる。昨年から病に罹り起居が思うようにならず、自ら奉承することも整わないが、全快を期して猶予を願って常居するのは臣子の名分と本志に反するとする。死をも辞さぬ覚悟で閣下へ拝趨し天恩を謝し、積年の微衷を表すため、勅使に…

  82. 追録8-No.813 久光の病により忠義が宸翰を代奉戴し、上京勧告と衣類下賜を受けたと記す

    玉里久光公の御系図。明治二年己巳二月十四日、柳原右少辨が天皇の使として久光に宸翰を賜りに来たが、久光が病んでいたため忠義が代わって奉承したと記す。宸翰を漢文で引用し、先臣贈中納言の遺志を受け長藩と功を尽くしたと評価し、今後も両藩で努め、国体・強暴への備え・民安・独立不羈の基を考えて速く上京するよう求…

  83. 追録8-No.814 勅使賜品と藩職制改正を記し、三月の春日艦等の行動と回天の襲撃を叙述する

    忠義公御系図。二月十四日の柳原右少辨による久光への宸翰勅書、久光・忠義への直垂一領・羽二重十疋の下賜を記し、詳細は久光譜にあるとする。二十日条は、従来藩主が自家の事と施政を兼ね政権を専らにした制度を改めるべきだとし、忠義が朝制にならい執政・参政等を置いて百執の朝政と自家の事を分けたと記す。「初」の回…

  84. 追録8-No.815-1 各家一両の祝料と十八日の休日、家での親戚祝宴を知らせる

    宸翰奉戴により一門方その他諸士一統が明十七日に祝料金を頂戴するとの先の指示に続き、家部ごとに金一両ずつを下賜し、明後十八日を休日とすると知らせる。勅使の用務に関係する役場以外は当番だけ出勤し、一統は各家で酒肴を設けて親戚と集まり奉戴を祝うよう命じる。金は該当の家部へ、会計方から番頭・御用人方に引き渡…

  85. 追録8-No.815-2 太守・中将各人への直垂と羽二重を伝え、拝見席での祝儀へ合わせる

    直垂一領・羽二重十匹を掲げ、今般柳原右少辨の勅使によって太守様・中将様が銘々拝領したと伝える。一門方・諸大身分・月次御礼に出る者や諸士は、それぞれの席で相談して祝儀を述べる予定だったが、御座支えのため宸翰を拝見する際に一緒に祝儀を述べる取扱いになったと知らせる。向々へ早く周知するよう命じる。明治二年…

  86. 追録8-No.816 大宮警衛免除を記し、改革方針と新職制の原則・各役職の職掌を収める

    御履歴中の長い本文群。二月十八日に忠義が大宮御所警衛の免除を受けたと記す。続いて府藩県・朝制に基づく改革、長肥土との連署献言、私見を排して藩内庶務を改める忠義の御筆を掲げ、二十日には旧官務を廃して新職員制を立てる布令を収める。官務の関連は共同商議し私権を立てないこと、官のため人を選び人のため官を作ら…

  87. 追録8-No.817-1 太守が朝政と家事を分けて退城し、政府へ出席する方針を伝える

    通達留。諸藩政府はもと朝政を執行する場所なのに、名分が混乱して自己の政府と心得、政令が別の道から出て大権が統一されなくなったと述べる。執政・参政の職分を定めて家事と混ぜず政務を執る指示を旧弊一新の趣旨と受け止め、太守は本城を退き、政府へ出席して朝政を奉行したいとする。版図返上についても公私の別を理解…

  88. 追録8-No.817-2 議政所と旧職務を廃し、支配下への伝達と承知者名の腰書を求める

    藩治職制の治定に伴い、従来の議政所を廃し、家老職以下筆者に至るまで免じる旨を知らせる。別紙の通り命じられたので、支配下へも早く伝えるよう求める。但書は承知した者の名前を銘々腰書に記すよう命じる。明治二年二月廿日、嶋津多右衛門・伊藤彦介。旧制度の職を免じる通知として整理し、全員の無職化・新職への任命済…

  89. 追録8-No.817-3 旧用人使番文書右筆の職務を免じ、伝事方と書史方を旧施設へ置く

    藩治職制の治定に伴い、御用人、御使番役所、御文書奉行、御右筆以下筆者まで従来の職務を免じる旨を知らせる。先の布告通り、伝事方はもとの御用人座に、書史方はもとの議政所筆者詰所に設けると伝え、向々へ周知するよう求める。明治二年二月廿一日、知政所。旧職務の免除と新部署・場所の指定を区分し、全員の新部署着任…

  90. 追録8-No.818 種子嶋中輔・皆吉五郎右衛門・帖佐彦七を内務局筆者に任じる

    通達留。内務局筆者として種子嶋中輔、皆吉五郎右衛門、帖佐彦七の三名を掲げ、この通り命じると記す。明治二己二月廿一日、知政所。三名の任命通知であり、内務局筆者の制度上の全定員が三名だったことや、実際の勤務開始日を示すものではない。

  91. 追録8-No.819-1 旧両局の職務を免じ、軍務局を旧陸軍方、会計局を旧会計奉行所へ置く

    通達留。藩治職制の治定に伴い陸軍所と会計奉行所を廃し、大隊長・会計奉行以下筆者まで両局勤務者の職務を全て免じると告げる。先の布告通り、軍務局はもとの陸軍方に、会計局はもとの会計奉行所に設ける旨を伝え、向々へ早く周知するよう命じる。明治二己二月廿二日、知政所。旧職の免除と新局の設置場所を記し、全員の退…

  92. 追録8-No.819-2 田畑平之丞・貴嶋平八・得能良介を伝事に任じる

    伝事として田畑平之丞、貴嶋平八、得能良介の三名を掲げ、この通り命じたので向々へ伝えるよう求める。明治二己二月廿二日、知政所。三名の任命記載であり、伝事全員の定員や実勤務開始日を示すものではない。

  93. 追録8-No.819-3 御広敷の旧役を廃し、裏役頭と内監の詰所を旧施設へ置く

    藩治職制の治定に伴い、両御丸の御広敷御用人、御広敷番之頭、御広敷掛横目の役所等を廃し、これらの役以下筆者まで従来の職務を免じると告げる。先の布告通り、裏役頭と助の詰所はもとの御広敷役所に、内監はもとの御広敷掛横目詰所に設ける旨を伝え、向々へ早く周知するよう求める。明治二己二月廿二日、知政所。旧職務免…

  94. 追録8-No.819-4 納戸奉行と兵具奉行の旧役所を廃し、その跡に兵器方を設ける

    藩治職制の治定に伴い、御納戸奉行并格、御兵具奉行并席の役々、御兵具所と筆者まで廃し、その跡に兵器方を設ける旨を伝える。向々へ早く周知するよう求める。明治二己二月廿二日、知政所。旧役と役所の廃止・新方設置を記し、兵器の数量や全職員の転任・施設完成は記されていない。

  95. 追録8-No.820-1 若年寄大目付番頭の旧役を廃し、神社奉行・地頭兼務者はその職に専念させる

    通達留。藩治職制の治定に伴い、若年寄、大目付并格、大番頭并格、御番頭、当番頭の役々と御番頭座を、役所筆者まで廃すると告げる。これらの役を勤めて神社奉行を兼ねる者、または地頭職等を兼ねる者は、その職に専念するよう命じ、向々へ早く周知するよう求める。明治二己二月廿二日、知政所。列挙された旧役の廃止と兼職…

  96. 追録8-No.820-2 作事高物道と産物三嶋の旧役を廃し、出納生産営繕を旧施設へ置く

    藩治職制の治定に伴い、御作事奉行、御高奉行、物奉行、道奉行、産物方掛、三嶋方掛の役所を廃し、役々以下筆者まで従来の職務を免じると告げる。出納方の米穀取扱はもとの物奉行所に、生産方はもとの産物方に、生産方諸嶋掛はもとの三嶋方に、営繕方はもとの作事方跡に設ける旨を伝える。本文には日付・署名がなく、目録は…

  97. 追録8-No.820-3 庭膳茶道の旧役を廃し、新たな膳所道具庭と膳所内監を旧施設へ置く

    藩治職制の治定に伴い、御庭奉行、御膳所頭と御料理役、両御丸の御茶道、両御丸の御膳所掛横目、御庭方の役々を廃すると告げる。膳所はもとの御膳所に、道具方はもとの御茶道方に、庭方はもとの御庭方に、膳所内監はもとの御膳所掛横目詰所に設ける旨を伝え、向々へ早く周知するよう求める。明治二年己二月廿二日、知政所。…

  98. 追録8-No.820-4 番頭廃止に伴い、その関係書付を嶋津多右衛門・伊集院主計へ提出させる

    御番頭の廃止に伴い、これまで御番頭に関係していた諸書付等を伝事の嶋津多右衛門・伊集院主計へ提出するよう、向々へ知らせることを命じる。明治二己二月、知政所。本文には日を記さず、目録も二月としている。書付の引継ぎ先を指定する通知であり、両名の新規任命や書付全点の提出完了を記すものではない。

  99. 追録8-No.821 証文に会計局の局印と取扱者名を用い、局印完成までは従来通りとする

    通達留。会計局の設置に伴い、向々の証文などの取扱では局印を取り持ち、その印を据え、左に取扱者の名前を記して提出するよう命じる。「免印を以證文相成候儀」は従来通りとし、この旨を総裁と関係先へ知らせるよう求める。但書は局印ができるまで従来の取扱を続けるとする。明治二己二月廿三日、知政所。原注は「證文當」…

  100. 追録8-No.822 海軍局を軍務局内へ置き、運送船などを生産方支配とし旧海軍方の職員を移す

    通達留。海軍局を軍務局内に設け、幸福丸の乗組人数は従来通りとし、書籍等を全て軍務局へ提出させる。運送蒸気船その他の浦舟等は一切生産方の支配とする。旧海軍方の諸出入その他の事項は軍務局調役と相談し、会計局へ照会して処理するよう求める。海軍方、船隊将以下の役々、御舟奉行、筆者までを廃し、左記の旧海軍方跡…