ARCHIVE DIRECTORY
追録8の目録
暫定版です。原文との照合により、概要や文書の区切り等を修正する場合があります。
全2,290件中 901~1000件・10 / 23ページ
追録8-No.650 雑録中(行幸先供関係文書の親表示)
「雑録中」という親表示。続く行幸先供関係の文書群をまとめる位置にあり、この切片に独立した本文・日付・署名はない。
追録8-No.650-1 明三日の太政官代行幸先供と、卯刻に遅れず参朝するよう薩摩少将へ伝える
明三日の太政官代への行幸先供を命じられていることを承知していると思うが、念のため申し入れるとして、追書で卯刻に遅れず先に参朝するよう薩摩少将へ求める。二月二日に俊政が通知する。原注に坊城・島津忠義とあり、召命・再確認と実際の供奉を区別する。
追録8-No.650-2~4 行幸の長持通行と先供・辻固めの指示を収め、内田仲之助が受領・請書を報告する
原の二~四を収める本文群。堺町夷川上ル西側の小休所から、二条通新町東入南側の小休所まで御用の長持一棹を運ぶため、夷川通・衣棚・二条通の辻固めへ速やかに通すよう伝えてほしいとの二月二日申出を収める。参与役所の伝達、二月朔日の先供指示は、明後三日辰刻の二条城太政官代への親臨に際し、武官も供奉は侍二人・僕…
追録8-No.650-5 三日の二条城行幸と太守の先供・参内、天気伺いを伊勢へ報告する内田の首尾書
昨三日辰刻に主上が二条城太政官代へ臨幸し、宮・三公・堂上・諸侯が供奉したと報告する。太守は衣冠で卯刻に供揃えをし、先に上ったという。主上の還幸後、太守は跡から下り、直ちに参内して桜の間へ上り、天気伺いをして帰殿したと記す。辰二月四日に内田仲之助が伊勢へ首尾を知らせる。追書は中将にも知らせ、参与方へ飛…
追録8-No.651-1 小松帯刀の三役任命と受け渡し、名代による承知・大坂詰を記す
薩州小松帯刀が総裁局顧問を命じられ、御所で岩倉から直接渡されたことを記す。徴士参与は三條公から、外国事務掛は宇和島侯から仰せ出されたと列記し、後者は名代で承知したと注記する。京都でこれらを命じられ、直ちに大坂へ詰めたという。詰所は以前の大坂町奉行の場所と承ったとする。任命の区分、受け渡しと名代の承知…
追録8-No.651-2 親征の方針を告げ、諸藩に軍旅用意と今後の軍議・沙汰による参集を命じる
慶喜以下が江戸城へ遁れ暴逆を重ね、天下・人民が混乱と苦難に陥るとの叙述を理由に、叡断で親征を命じ、大総督を置くので承知するよう告げる。畿内七道の大小藩に軍旅の用意を求め、近く軍議と趣旨が決まって沙汰されるので、命を受けて参集し、諸軍がともに勉励して忠誠を尽くすよう二月三日に命じる。辰二月五日に立てた…
追録8-No.651-3 慶喜の正月九日の直達内容と朝廷へ弓矢を引く意図がないとの釈明を加賀側が届ける
正月九日に江戸で諸藩を呼び立てた慶喜の直達内容として、京方の模様は既知だが、国家に尽力しても人心が合わず誠意が通じなかったため政権を返上し、上京の途中の行き違いで戦端が開かれたと釈明した旨を記す。先に東帰して謹慎しており、朝廷へ敬意を尽くし、朝敵の名を負うことがあっても朝廷へ弓矢を引く意図はないと厚…
追録8-No.652-1 親征の請書一通を太政官代へ差し出した取扱いを内田仲之助が伊勢へ報告する
慶喜以下の行動を理由として親征を命じられたことに対する御請の御書附一通を掲げ、署名欄を「御官名」と表示する。今日太政官代へ持参して軍務掛の非藏人松室豊後へ差し出したところ、直ちに受け取った旨を聞いたと記す。自分たちは差支えがあったため、留守居附役遠武橘二が御用を勤めたことを辰二月五日に内田仲之助が伊…
追録8-No.652-2 禁闕守衛から各地の分勢交代までの兵員・部隊・砲を列記し、提出受領を記す
去る子年以来の禁闕守衛人数は凡千人余、持場は乾御門で、その後増員したと記す。卯年十二月九日以降、御所六門内の警衛と伏見・鳥羽・淀・八幡・橋本・大坂、丹波路・兵庫・大和方面の分勢交代にあたったとして、惣兵士二千五百二十四人を掲げる。内訳欄は司令士八十四人、銃隊四大隊と二小隊、大砲四座、別に附属七百二十…
追録8-No.652-3 大原の御内儀・口間取締と戸田の御臺所御用等を通知し、回覧原本の順達・写送付を報告
大原宰相を御内儀・口間の取締役に、戸田大和守を御臺所御用と口間の取締に任じる旨を二月五日に越前宰相以下の関係者へ伝える。土佐方からこの廻状が届いたため、原本を細川方へ順達し、写を差し上げると辰二月七日に内田仲之助が伊勢へ報告する。両人の役掌、任命通知と原本の回覧・写送付を区別する。
追録8-No.653-1 親征に伴い薩摩少将を両道先鋒とし、総督の指揮を受け十五日までの出張を命じる
親征に伴い薩摩少将を東海・東山両道の先鋒に任じ、国力に相当する人数を差し出して、総督の指揮を受け尽力するよう二月六日に命じる。十五日までに東海道は桑名へ、東山道は総督のもとへ出張するよう求める。右一通と記し、白木御文書十一番箱中四十二番の標示がある。軍事指揮・出張期限と文書の管理表示を分け、具体的兵…
追録8-No.653-2 大坂行幸の供奉先陣を命じ、関連書付三通の収納と京師守護一通の不在を記す
親征と大坂行幸の供奉先陣を薩摩少将へ命じ、日時と道筋は追って知らせると二月二十日に行幸奉行俊政が伝える。右一通、右外包紙左ノ通との表示に続き、東海・東山道先鋒と京師守護の沙汰二通、大坂行幸先陣の書付一通の計三通を記載する。慶応四年辰七月十六日に圖書殿から町田孫大夫へ渡され、白木御文書十番箱へ納めたと…
追録8-No.654-1 士官の死罪・日置帯刀の勤慎を通知し、内田仲之助が原本の順達と写添付を報告する
備前家老日置帯刀が去月十一日に神戸を通行した際、外国公使へ発砲したことについて、朝廷が公法による処置として、発砲を号令した士官を死罪、帯刀を勤慎に付すと通知する文言を収める。太政官代からの廻達が久留嶋伊豫守方から到来したため、原本を内藤備後守方へ順達し、写を添えて届けると辰二月七日に内田仲之助が報告…
追録8-No.654-2 大蔵大輔の辞退が聞き入れられ、今後の官名呼称を用いるよう越前宰相家が知らせる
越前宰相が大蔵大輔を辞退したところ、聞き入れられた旨を仰せ出されたため、今後は御官名を称することを知らせる。知人にも伝えるよう命じられたとして、二月七日に越前宰相家の島津十太夫・伊東友四郎が御名様の留守居中へ連署で送る。御官名と御名様は原の表示を保持し、本文にない新しい官名や具体的な宛人を補わない。
追録8-No.655-1 恩賞到来を知らせ、一門・諸士等へ九日四時の登城と太守・中将への祝儀を命じる
太守が先月九日に天朝から剣を拝領し勅書を頂戴したこと、殉国戦死者へ金五百両を賜い、厚く葬礼をし一社を設けて祭祀するよう勅命があったとの知らせが到来したと伝える。御一門・諸大身分・月次御礼の面々・諸士・兵具方士・諸與與力へ、明九日四時に登城し各席で家老へ祝儀を申し上げるよう命じる。太守・中将への祝儀も…
追録8-No.655-2 五藩の触次通知を聞いて御請した御用と、五藩への廻達予定を内田が報告する
内藤備後守とほか四藩の触次に関する御書付一通を掲げ、内藤・伊東・秋月・嶋津・宗の称号を列記する。今日太政官代でこれらの触次を命じた旨を非藏人松尾伯耆から口頭で聞き、御請を申し出て置いたと記す。自分たちは差支えがあり留守居付役遠武橘二が御用を勤めたため、別紙を添えて辰二月八日に内田仲之助が報告する。追…
追録8-No.656-1 日向の御領取締を請け、年貢残穀・高辻帳の取調べと連絡を四名へ求める關山書状
七日に太政官代への御用出席を内国掛から命じられ、留守居付役赤井直之進が出たところ、日向の元郡代窪田治部右衛門支配地が御領となったため取締を命じられたと報告する。別紙の請書を太政官代へ持参し、非藏人松室信濃が受領したと聞いたことを伝える。年貢の残穀と高辻帳等を調査し、そちらで吟味した上で知らせるよう求…
追録8-No.656-2 日向の取締命令を請け、年貢残穀・高辻帳は調査後に奏上すると届ける
日向国の元郡代窪田治部右衛門支配地が今回御領となり、その取締を命じられたことを拝請する。年貢残穀と高辻帳等は取調べの上で追って報告するとして、この趣旨を執奏してほしいと二月九日に届ける。署名は「御官名」と表示する。取締の受命と今後の調査・報告の約束を区別する。
追録8-No.656-3 松室信濃から日向取締の書付と請書提出の指示を受けた御用を内田が伊勢へ報告する
日向国元郡代窪田治部右衛門支配地が御領となり取締を命じる御書付一通を掲げる。内国掛が太政官代へ出るよう命じ、書記役所の廻状を受けて出た際、非藏人松室信濃から書付のとおりの沙汰であると伝えられ、請書を差し出すよう求められたと記す。末には自分たちが差支えたため留守居附役赤井直之進が勤めたとの記事があり、…
追録8-No.656-4 請書を太政官代へ提出した御用と受領の取伝を内田が報告する
日向元郡代支配地が御領となって取締を命じられた件への請書一通を、御直名という表示で掲げる。太政官代へ持参し演説して差し出し、非藏人松室信濃が直ちに受領した旨を聞いたと記す。自分たちは差支えがあったので留守居付役隈元敬一郎が御用を勤めたとして、辰二月九日に内田仲之助が提出・受領の首尾を報告する。
追録8-No.656-5 薩摩少将へ日向の人民安業・貢米取扱と帳簿提出、在京役人・乱妨鎮定を求める
薩摩少将に対し、御領となった日向の元郡代窪田治部右衛門支配地の取締を命じる。民心が方向を失い訴えが多い状況なので、確定した処置は追って伝えるが、まず人民が安業し貢米等が滞らないよう取り計らい、早く太政官代へ申し出るよう求める。年貢残穀・高辻帳を早く調べて内国・会計両裁判所へ提出し、取扱役人二~三人を…
追録8-No.657 雑録中(九州諸藩の請書・回答の親表示)
「雑録中」という親表示。続く九州諸藩の請書・回答群をまとめる位置にあり、この切片に独立した本文・日付・署名はない。
追録8-No.657-1 嫡子壹岐の任職への疑念を述べ、親子の親しみより名分を守ると表明する小笠原長國の回答
王政復古の召しで上京を企てた折に京都の騒乱と徳川家の暴動を聞き、正月九日の勅旨触達を受けたことを記す。壹岐が任職中のため自分にも朝廷の疑いや諸家の嫌疑があるかと案じ、肥前中将へ京方の不審を解くことを依頼し、佐賀・筑前両侯にも相談していたという。自分は軍旅に微力ながら皇国のための依頼を述べ、壹岐に父子…
追録8-No.657-2 大村丹後守の家臣二名が名分・勤王を表明し、主君在京のため代わって御請を差し出す
布告を謹んで拝見し、君臣上下の名分を守って王家に勤めるのは当然で、天朝多難の時には一層尽力すべきだと述べる。東賊潰走・近畿穏静とする情勢を喜び、なお命を拒み私党したり両端の態度を取る者には速やかな処置が必要との見解を示す。丹後守へ早く伝えるが、主君は上京中なので自分たちから御請一通を差し出すとする。…
追録8-No.657-3 布告の名分・戦況叙述を受け、五嶋飛驒守が勤王と領民への告諭を表明する
天に二日・地に二王なしの大義を挙げ、徳川氏の兵権と王政復古への態度を非難し、六藩その他の勤王諸侯が戦い敵側を退け、追討と帰順によって皇国が鎮まるべきだとの布告の叙述を受ける。両端の態度を取る者には天裁があるという趣旨を深く受け止め、小さな離島の自領にも布告が届いたことを喜んで赤心を表す。名分大義を守…
追録8-No.657-4 松平主殿頭が布告を受け、私親への顧念なく国難に忠義を尽くすと表明し執奏を願う
朝命を受けて各藩に伝えられた布告を謹んで拝見し、畏まって受けたと答える。大坂での意外な挙動に自分も恐れ入るとし、不肖ながらこの時期に私親への顧念は毛頭なく、大義に従って国難に忠義を尽くす赤心があると表明する。その趣旨をしかるべく執奏してほしいと願う。末に二月、島原藩主の原注を伴う松平主殿頭の署と判の…
追録8-No.657-5~6 平戸家臣四名が勤王意思と主君への送達を答え、日出木下鍛次郎が布告拝見と用務・執奏を願う
原の5では、平戸の肥前守が在京中なので布告を早速送達すると答え、勤王の誠意は主君累代の志で家臣一同も深く心に留め、伝えられた趣旨と異なる考えはないと述べる。二月十六日、松浦内膳信賢・松浦外記重光・小倉衛守長道・熊澤作右衛門正興が連署し判の表示を伴う。原の6では、木下鍛次郎が去月六日に京都を出て十九日…
追録8-No.658 忠義公系図が二月の先鋒任命、両道への部隊東下、外国交際建言、行幸先駆と賜書・賜品を記す
「御系図 忠義公」の明治元年二月の記事。親征の詔を受け六日に忠義が先鋒を命じられ、銃隊一大隊・砲隊等を先発させたと記す。十一日は一~三番小隊・一番砲隊右半隊と本営諸員・輜重兵卒等凡四百六十余人が東海道を、十三日は四~六番小隊・二番砲隊左半隊と本営諸員・輜重兵卒等凡四百七十余人が東山道を東下したという…
追録8-No.659 太守が上京の決心を伝え、王政復古・政権返還の大事に家老の協力と実用・簡便を求める
外包に「太守様御筆仰出二通」とあり、一通は597の2号と同文につき本文を省略すると記す。収録された家老中宛の諭達では、朝廷が天下の大政を取り扱うにあたり、中将の病気が快復しなければ早く上京せよと召命を受けたため、太守自身が速やかに出立し御受を申し上げる決心を伝える。順聖院・中将の志を継ぐ復古、君臣名…
追録8-No.660 薩摩少将に剣一振を下賜し、薩藩戦死者の葬祭料五百両と忠魂祭祀を命じる二通の沙汰
白木文書十一番箱三十六番の二通を収める。第一通は、薩摩少将の藩が朝議を奉じ、三日の襲来に伏見で防禦し、その後の連戦・追撃によって慶喜が浪華城を捨てて逃れたことが天聴に達したとして、その軍勢を励まし剣一振を恩賞として下賜する沙汰。第二通は、薩藩士の戦死が天聴に達して叡情を痛めたとし、厚く葬って親眷を憐…
追録8-No.661 島津淡路守の防禦人数出張を称え、さらに忠勤を求める感状と写取り収納記録
白木文書十一番箱三十七番、包紙に「御感状写」とある。島津淡路守の藩が多年報国の志を持ち、今回の襲来に際して防禦の人数を出張させたことを称え、今後も忠勤を働くよう沙汰する。原注は淡路守を忠寛とする。二月十一日に龍衛から町田孫太夫へ渡され、写しを取って同箱に収納したとの外包追記がある。感状には具体の兵員…
追録8-No.662 実名と花押を忠義の表示へ改めた旨を御取次へ伝える
白木文書十一番箱三十八番。忠義と花押の表示を示し、このとおり実名・花押を召し替えた旨が仰せ出されたとして、御取次へ伝える。花押は「No.6」の参照表示で、続く末尾に正月、吉之助、紘にの表示がある。
追録8-No.663 中将が政体・刑法の変革と役人・役場の削減を挙げ、海陸軍事を進める評議を求める
白木文書十一番箱三十九番、包紙に「中将様御筆仰出」とある。治乱を通じた政体の変革を挙げ、その急務として刑法の変革、諸役人・書役・小役人などの減少、不急の役場の引取りまたは合併を列記する。乱世に入った今は太平の気臭を一洗して海陸の軍事をさらに進めたい、この時機に各々相談し速やかに成功するよう評議せよと…
追録8-No.664 家譜が二条城行幸と親征の決定、忠義の東海・東山二道先鋒を記す
島津氏家譜の二月三日の記事。主上が二条城に臨幸し、忠義が命を受けて前駆となったと記す。大廣間に出御し、徳川慶喜が江戸城に遁れて暴逆を恣にするとして親征を決め、大総督を置き、畿内七道の大小各藩に軍備を整え国力に応じて兵を出すよう命じたという。忠義が東海・東山二道の先鋒を命じられ、兵を分けて両道へ発行さ…
追録8-No.665 家譜が忠義の十万石返献上書、数日後の勅と二十八日の入朝・賜品を記す
島津氏家譜は、二月十一日に忠義が領地蔵入の内十万石を返献すると上書したと記す。上書冒頭の「宇内萬國ノ形勢者云々」を示し、以下は別にあるとして省略する。数日後に忠義へ勅があり、「今般王政御一新未曾有云々」の以下は三月什日の同文を参照するよう記す。二十八日には忠義が召しに応じて入朝し、主上が忠義と長門少…
追録8-No.666 忠義履歴抄が二月の親征命令と請書、出兵・兵員、日向取締、十万石返献願、外交建言と軍令を収める
「御履歴中」に二月の詔・請書・報告・上書・軍令等を収める。親征の命令と兵数照会に対し、忠義側が請書を出し、警衛・各地の出兵と在家兵を報告する。東海・東山の先鋒、会軍期限、病院・軍艦・装備の指示、両道の休泊表、八日付兵員報を続け、兵員報は東海道四百六十四人、東山道四百七十二人を記す。日向の元窪田支配地…
追録8-No.667 石高で藩を三等に分け、貢士の員数と五十日期限、朝臣の扱い、開成所関係者の名簿届出を指示する
「雑録中」に四通を収める。第一は石高による藩の三等区分で、大藩を四十万石以上、中藩を十万石以上三十九万石まで、小藩を一万石以上九万石までとする。第二は輿論公議の趣旨に基づき各藩から太政官へ貢士を出す指示で、大藩三員・中藩二員・小藩一員とし、各国の国論を代表する人を選び、拝承当日から五十日以内に差し出…
追録8-No.668 親征前の外国公使参朝と、従来の条約・万国公法、公議による交際処置を伝える
「雑録中」に外国交際の書付を収める。先に万国共通の方式で公使を取り扱うと伝えていたが、親征で不日出輦するため余日がなく、各国公使を急いで参朝させることを周知する。続く方針文は古代からの外国応接を振り返り、近代の航海・船艦の発達、幕府の処置と既存条約を論じる。既に条約があり、朝廷が一方的に改めれば信義…
追録8-No.669-1 関山紘が三日の二条城行幸と太守の参内、天気伺いの飛札連絡、臨幸の四辻警固を報じる
去る三日辰刻に主上が二条城の太政官代へ行幸し、宮・三公・堂上・諸侯が供奉したと報じる。太守は衣冠で卯刻に供を揃えて先に上り、主上の還御後に下って直ちに参内し、天気を伺って帰殿したという。中将が承知した上で参与衆へ飛札で天気を伺う意向が伝えられ、留守居が申出て中将も同意したこと、右筆頭に回った書付を日…
追録8-No.669-2 関山が隈元の親征通知受領、翌五日の請書取次と中将の承知、警衛申出を報じる
去る四日に太政官代へ出るよう求められ、留守居付役隈元敬一郎が出頭して親征と今後の軍議・参集に関する別紙の通知を受けたと報じる。請書を別紙写しのとおり差し出し、翌五日に軍務掛非蔵人松室豊後へ渡して取次を頼み、沙汰を待つと申渡したという。中将にも伝えて承知を得たので、その許しの伝達を取り計らうよう求める…
追録8-No.669-3 警衛・出兵・在家兵隊の報告項目と人数記載雛形を示し、四日の書付交付を記す
親征通知の冒頭を「前ニアリ略ス」とした上で、子年以来の諸国警衛・持場、去年十二月九日以来の警衛・出兵と出先兵隊人数、当時の在家兵隊その他人数を早く申出るよう求める。警衛出兵の書付には隊長・番頭・司令士・銃隊の各人数、大砲の挺数、附属の者を記す雛形を示す。末の追記は、辰二月四日に軍務掛から出頭を求めら…
追録8-No.669-4・670-1~2 親征の請書と、外国交際書付の取次・請書報告、六侯の公法・国力・参朝に関する建言を収める
旧一行に三つの正文を収める。原669の4は親征の沙汰を謹んで承り、軍議の決定と参集の沙汰を待つとして執奏を願う二月五日の御官名の請書。続く原670の1は、外国交際に関する六侯の建言と朝廷添書を受けたことを関山が家老四名へ報じる書状で、十五日に太守が召されたが病気のため重役が代理出頭し、書付と御請書を…
追録8-No.670-3~5 外国交際の建言による方針通知と請書、朝廷添書・六侯建言二通の取次を内田が報じる
原670の3は「二印」とし、外国の事情と世態の変革を踏まえ、列藩の建言に従って方針を決定したので見てほしいと伝える。原4は「三印」の二月十五日御官名の請書で、越前宰相等の献言のとおり決定する旨を拝見し、御請書を差し出すので執奏を願う。原5は朝廷からの添書一通と、越前侯および薩摩側以外の四藩による外交…
追録8-No.671-1 勤王を装う金穀取立てを戒め、民の苦情申出と偽使者・無賃人馬継立の禁止を伝える
王政一新に際して万民の撫恤を務めるべきだが、多事に乗じて不逞の者が勤王の名を用い、民を欺いて金穀を取立て民力を使役することがあり得るとして戒める。朝政に関わることも民の苦情を忌憚なく申出るよう求め、領主・地頭が申出を受けたら厚く相談し、速やかに太政官へ言上するよう指示する。従来の弊習に縛られず、民が…
追録8-No.671-2 十一日に御官名で提出した十万石返献願が参与不在のため預置きとなったことを家老へ報じる
王政一新の時節に、代々預かる御領地の内十万石を少しながら御用途へ返献したいとの願を、別紙のとおり御官名で差し出したと報じる。去る十一日に二条城内国掛へ留守居内田仲之助が出頭し、非蔵人鴨脚加賀へ面会して提出したが、上下参与方が出動していなかったため預置きとされた旨を伝える。書付等を添えて中将へ知らせて…
追録8-No.671-3 内田が鴨脚加賀へ返献願一通を提出し、参与不在で預置きとされた当日の首尾を報じる
添える書付一通は、王政一新に際して御領地の内十万石を御用途へ返献したいという御官名の願で、非蔵人鴨脚加賀を取次先とする。内田仲之助はその日に二条城内国掛へ出頭し、加賀に面会して演説した上で差し出したが、上下参与方が出動していないため預置きにすると聞いたと報じる。今日自分がこの用務を勤めたことを伝え、…
追録8-No.672-1 薩州陣営が天草へ鎮静のため出兵したと伝え、疑惑を抱かず朝廷の沙汰を待つよう求める
これまで徳川支配であった天草は、王政復古が命じられて主宰がまだない折柄、浮浪の者の狼籍があると聞いているとして、鎮静のため出兵したことを薩州陣営が伝える。人心安堵のため疑惑を抱かず、朝廷の沙汰を待つよう求める。末尾は辰二月。狼籍は通知の聞得であり、出兵の目的・安堵と沙汰待ちは通知の説明・指示として記…
追録8-No.672-2 天草側役人らが出勢による救助に謝意を表し、薩州への随従と下知に背かないことを誓う
「天草から差し上げた證文写」として、旧幕役衆が離散して頼る先を失った時に狼籍の者数十人が侵入し、救助を願ったところ鎮静のため速やかに出勢され、一島が安堵したと天草側が述べる。朝廷の沙汰を待つよう諭されたことにも謝意を示し、御当家に随従し、いかなる下知にも背かない旨を誓う。慶応四年辰二月に天草郡内の役…
追録8-No.673-1 出兵で書役が手薄になることに備え、奉行頭人にも書付・帳留の取扱いを兼ねるよう求める
兵制の練熟を第一とし、壮年の者が海陸軍に勤め、さらに多勢が出兵するため書役の勤務に差支えが生じるとして、御作事奉行以下の奉行頭人が一往書役方の用務も兼ね、書付・帳留を取り扱うよう求める。職掌を尽くせば事務上の功も軍と同様に取り扱われるとして、精勤を促し、向々へ通達するよう命じる。末に二月、龍衛、取次…
追録8-No.673-2・674-1~2 諸家との親睦・助成を伝え、日田・長崎等の兵引揚の申出と取次を収める
原673の2は、秋月・相良・久留嶋・五嶋・米良との依頼・親睦と、伊東左京大夫が家老使者をもって一層助成すると伝えたことを通知し、王室への忠勤に協力すること、役人が国威を借りて境界の人民を軽蔑・苛酷に扱わないことを諸郷・私領にも知らせるよう求める。二月、龍衛・右衛門の表示がある。原674の1は、日田・…
追録8-No.674-3 新納が隈元による松室伊勢への日田・長崎兵引揚書付の提出と披露予定を報じる
御官名の書付一通として、豊後日田・長崎に出している兵隊の人数引揚げに関する件を掲げる。松室伊勢へ持参して面会し差し出すと、披露する旨を聞いたと報じる。今日自分たちが差支えたため留守居付役隈元敬一郎がこの用務を勤めたとして、辰正月二十九日に新納嘉藤二が伊勢様へ首尾を知らせる。
追録8-No.675 親征・大坂行幸先陣の命令と供列・行在所等の書付、服制通知の取扱い変更を報じる
嶋津伊勢が三月八日に、先月二十日の内田出頭で太守の大坂行幸供奉先陣等の勅命を受け、書付五通を取り次いだと家老ら五名へ報じる。供列について二十二日に御官名内留守居名で届け、中将にも知らせたという。所収書付には、親征に際して民の苦を救い復古を進めるため軍紀を守り、書役・小役にも規律を及ぼすこと、衣服・荷…
追録8-No.676-1 薩摩少将へ大坂先供と京都警衛を指示し、二通の交付を記す
親征・行幸供奉を命じられた薩摩少将への二通を収める。第一は、召し連れる兵隊の内百人ほどを残し、残りを先供として出輦の三日前に大坂へ差し下して、厳重に守衛する指示。第二は、留守中の京都警衛が重要なので、かねて乾御門を警衛している薩摩藩の留守居が十分に守衛するよう命じる。末には、辰二月十一日に太政官代か…
追録8-No.676-2 永山左内が生野銀山分捕金と記された二万両を会計方へ上納したと届ける
金二万両について、但馬国生野銀山の分捕金とのことで自分たちの邸へ送られ、過日に届け出たところ会計方へ出すよう命じられたため、今日上納したと述べる。宜しく取り計らってほしいとして、二月二十二日に御名内永山左内が差し出す。分捕金という由来はこの書付の説明として記す。
追録8-No.676-3 二万両十箱の受領を証し、永山の上納と受取證交付を内田が翌日報告する
金二万両、箱数十箱を納められ確かに受け取ったとする證で、慶応四年辰二月二十二日の会計事務局役所印の文字表示を伴い、薩摩少将家来永山左内宛とする。続く首尾注は、二十二日に二条城の太政官代会計掛鴨脚加賀へ面会・演説して差し出すと会計裁判役所で受け取るとされ、そこへ持ち越して木村東市祐の立会いで受領され、…
追録8-No.677 三職等人名一冊の交付を記し、名簿正文を旧記雑録中雑の五巻へ参照する
「三職等人名ノ一冊」という表示。辨事局御用掛松尾伯耆から辰二月二十三日に留守居付役隈元敬一郎へ渡され、内田仲之助から伊勢様への首尾書があると記す。職等人名は「旧記雑録中雑ノ五巻」にあると参照を促し、この切片には名簿正文・列名を載せていない。
追録8-No.678 外国交際の進展を受け、洋銀一枚を金三分として疑念なく通用させるよう伝える
王政一新と外国交際が進められることに伴い、当面の融通のため洋銀一枚につき金三分の当りで差し支えなく取り交わすよう仰せ出されたとして、各々疑念なく通用させるよう伝える。末は二月。
追録8-No.679 諸藩の旅中応接と宿駅・官軍固め場通行の三項目を伝え、御様子伺いと指図による通行を求める
上京途中で大総督・鎮撫使などに出会った時の心得、御休泊の宿駅を通る時の心得、官軍の固め場を通る時の心得という三項目を示す。途中で出会った時はまず御様子を伺い、宿駅・官軍固め場の通行時も同様に、御指図を受けて通行するよう求める。末の注は、書付一通を辰二月二十三日に辨事局御用掛松尾伯耆から留守居付役隈元…
追録8-No.679(続き) 原679の第三項・通行指示・交付注の続き参照
原679の後半に当たる切片。官軍の固め場通行の第三項、三箇条の触出し、御様子伺いと指図を受けた通行、二十三日の書付交付と内田の首尾注を収める。原679の採用補修PDFにこの範囲を含むため、この行は続きの参照として保持する。
追録8-No.680-1 古金銀を当分地下相場で通用させ、蓄置きを戒める通知を伝える
古金銀の通用を停止していたが、王政一新の際でまだ手当てが届いておらず、追って沙汰するものの当分は地下相場で差し支えなく通用させるよう伝える。新政の折に心得違いで蓄え置く者には厳重な沙汰があると戒め、末々まで漏れなく触れるよう求める。本文末は二月。交付注は、辰二月二十三日に太政官代への出頭を留守居が承…
追録8-No.680-2 内田が供列届の取次を報じ、五百人のうち百人ほどを残し残りを先供とする扱いを伝える
親征の太守供奉に関する御供列の届一通を私の名前で出すという表示を掲げ、昨二十二日に二条城太政官代へ出て松尾但馬に面会・演説の上差し出し、申上げる旨を聞いたと報じる。自分たちの差支えで留守居付役勤永山左内が勤めたとして、辰二月二十三日に内田仲之助が伊勢様へ知らせる。追記では、供列の内百人ほどを残して残…
追録8-No.680-3 内田が御官名内で銃隊五百人・手習廻十人・手廻十五人を届ける
御届書として銃隊五百人、手習廻十人、手廻十五人を掲げる。親征・大坂行幸供奉先陣を命じられ、人数付を差し上げるよう仰せ出されたことを承知したとして、二月二十二日に御官名内内田仲之助が届ける。「手習廻」はこの届書の原表記で、前行の追書では近習と記す。
追録8-No.681 俊政が薩摩少将へ行幸日の変更と丑半刻参集を伝える
当月下旬に予定していた親征・行幸を来月五日に変更することを伝え、丑半刻に遅れず参集するよう求める。二月二十五日、俊政が薩摩少将へ通知する。交付注は、同日に禁中の仮建へ出頭するよう切紙が届き、赤井直之進が出て橋本安藝から書付を渡された旨の、内田仲之助から伊勢様への首尾書があると記す。
追録8-No.682-1 諸侯の装具着用を許し、公使の上京日程と交際・警衛の取締を三通で伝える
三通を収める。第一は、諸侯に立烏子・裏附狩衣・紫指貫・虎皮等の着用を許す通知で、立烏子には帽脱カの原注がある。第二は、仏国公使が二十八日に大坂を発って伏見に泊まり二十九日に入京する予定とし、別紙同様の取締を求める。第三は、仏・英・蘭公使が二十七日に大坂から海陸路で発ち、その夜伏見に泊まり二十八日に上…
追録8-No.682-2 仏蘭両公使の伏見宿泊と相国寺滞在・途中警衛を薩州へ命じる
第一は、仏・蘭両公使が来る二十八日に上京し伏見駅に宿泊することに伴い、薩州へ警衛と御用取扱いを命じ、詳しくは外国掛へ問い合わせるよう求める。第二は、来る二十九日に両人が上京し相国寺が滞留所となるため、同所と途中の警衛を薩州へ命じる。各通末は二月。二十六日に軍防局から呼び出され、隈元敬一郎が出て非蔵人…
追録8-No.682-3 親征行幸の浮説に安堵を求め、来月五日の出輦・大坂行在と巡覧の趣旨を二通で伝える
第一は、親征行幸をめぐる浮説で人心が疑惑・動揺している趣旨を示し、関東平定後に還幸するとして心得違いなく安堵し生業に勤めるよう求める。末は二月。第二は、当月下旬の親征を延期し来月五日に出輦、畿内の巡覧と大坂行幸、海事点検・追討・万民救済の意図を伝え、在住者も一体となって協力し仁恤の趣旨を末々まで心得…
追録8-No.683 公使の散策・飲食店夜間外出・礼式買物を定め、各藩留守居へ迅速順達と返却を求める
英・仏・蘭公使の参内に伴う滞在中の取扱いを伝える。洛中外の随意の散策を許す一方、私的な茶店・酒楼への訪問と夜間外出を禁じる。宮・堂上・諸侯と行き合う際の退避や道の譲り方、供頭の取次・礼式を定め、諸商人の買物や小屋物の見物を許すとして、警衛取締受命者へ趣旨を承知して務めるよう求める。二月二十七日の辨事…
追録8-No.684 六藩の騎馬警衛、公使参内の周知、諸願・伺・届の提出先と二通方式を伝える
六藩の騎馬警衛として藝州・土州・肥後各三騎、薩州・加州・筑前各五騎を掲げ、明二十九日の仏国公使入京に備え明暁伏見へ出張し、諸藩で相談して混雑なく警衛するよう求める。別紙の早い廻覧も指示する。二十八日の内田首尾は、公使入京の書付二通を淺野から伝達され、本書を黒田へ順達したと報じ、写しを添える。別の薩州…
追録8-No.685 翌三十日午剋の公使参内に備え御門内外を警固するよう薩州へ命じる
明三十日午剋に各国公使が参内するので、御門の内外を警固するよう薩州へ沙汰する。二月二十九日付。末注は、同日に太政官代から急な御用で永山左内が出頭し、松室豊前から書付を渡され、すぐ請書を差し出すよう命じられて提出したと記す。内田仲之助から伊勢様への届書が添うとして、その本文は省略する。
追録8-No.686-1 英国公使への途中の乱妨と参朝延期を記し、守衛・不審者取調べ・市中巡邏を求める
三通は、今晦日の英国公使参朝途中に乱妨があり参朝が延期したと記し、皇国の大事に関わるとして朝廷の苦慮を伝える。第一は、既に警衛を命じている藩に一層厳重な守衛を求め、今後同様の所業があれば警衛担当者のみならず主人の落度にもなると注意する。第二は、従前以上の警衛と不審者の取調べを求め、召捕りがあれば速や…
追録8-No.686-2 小枝橋周辺の下陣札を外し、前列は下鳥羽・後列は上鳥羽とし、橋最寄の例外を二人に限る
小枝橋南北の百姓家に張った「行幸御用下陣」の札を引きはなし、各々の名前の下陣札もあるが、武家前列は下鳥羽村、後列は上鳥羽村へ下陣する予定なので心得るよう求める。但書で小枝橋最寄の武家下陣は戸田大和守・小堀数馬の二人に限る。本文末は二月。交付注は、晦日に太政官代から出頭の切紙が届き、遠武橘二が出て軍防…
追録8-No.687 親裁・撫安と親征を述べる勅書、両藩父子の尽力を褒める勅命を写し、二通の順達を記す
勅書写では、天位を継ぎ天下一新の運に当たるとして文武一途の親裁を述べ、国威と民の安否を自らの天職に関わるものと語る。先帝の遺意を継いで列藩万姓を撫安し海外へ国威を及ぼすことを望み、徳川慶喜の不軌と天下の騒擾・民の塗炭を理由として親征を決めたと説明する。外国交際と将来の処置、天下の巡幸・民の苦の救済を…
追録8-No.688 忠義側が黒田了介の差支えを理由に任命を免じ、大山格之助を代わりに任じるよう願う
履歴頭は、忠義が留守居を使って次の一書を差し出したと記す。黒田了介が奥羽鎮撫使参謀を命じられているが差支えがあるので免じ、代わりに大山格之助を任じてほしいと願う。二月晦日、薩摩少将内内田仲之助の署を伴う。差支えの具体理由や任免の決定・就任完了は記されない。
追録8-No.689-1 太政官が下々の事情を聞くため、姓名を記した意見書を上書箱へ入れるよう掲示する
二条城近辺に上書箱を出した高札の写。王政一新に際し下々の事情を詳しく聞きたいので、気付いたことのある者は忌憚なく書面に認め、姓名を記してこの箱へ入れるよう太政官が呼びかける。慶応四年辰三月の表示がある。
追録8-No.689-2 暗殺が止まらないとの趣旨で厳重取締を伝え、裁判所への照会と諸藩の監督を求める
近来諸所に暗殺があり布告してもなお止まらず、重ねて済まし難いとして一層厳重な取締を命じる旨を伝える。諸藩に心得違いの者はいないはずだが、各所に多人数が詰めているので十分に監督を行き届かせるよう求める。取締は裁判所にも命じてあるため、承知の上で相談して取り計らうよう付記し、本文末は三月。首尾注は、朔日…
追録8-No.690 英公使参内の御門警固を命じ、仏公使の下坂時の警衛と大坂までの護送を薩州へ求める
三月二日付の第一通知は、明三日午刻に英国公使が参内するので御門内外を警固するよう薩州へ命じる。軍務局への用務で永山左内が出て松室豊後から受け、請書を差し出すよう求められて提出した旨の、新納嘉藤次と記す伊勢様宛首尾注を伴う。第二通知は、仏国公使の警衛を引き受けている薩州に、下坂の中途警衛と必要な手当て…
追録8-No.691-1 衣冠・巻纓・差貫・帯剣の着用と明三日巳刻の参内を伝える
衣冠・巻纓・差貫・帯剣を着用し、明三日巳刻に参るよう伝える。三月二日に禁中の仮建から急な御用があり、永山左内が出頭したところ、勘解由小路弁から鴨脚和泉をもって書付を渡されたと記す。明日の参内は先日の仏・蘭参朝の節のとおりとの連絡もあり、その旨を申上げるよう伝えられたとして、新納嘉藤二から伊勢殿への首…
追録8-No.691-2 法螺の合図と行幸列の配置・出発宿泊・通行印などを条々で伺う
「以書取奉伺候條々」として行幸の取扱いを伺う。最初の法螺は一声で催し、二声で供奉を揃え、三声で出輦、道中は一声で止まり二声で進むとする案を示し、周知を求める。参内時は供廻りの内から各方に二人ずつほどを残し、馬や供廻り、銃隊の控え・主人への随従、馬繋ぎ・駕籠と門の使用を定めたいと述べる。諸司は定めた門…
追録8-No.691-3 加州・薩州・長州へ、翌日の行幸で列奉行が脇路を通る可能性を警衛側へ伝えるよう求める
明九日の行幸に際し、列奉行が脇路から通行することもあり得るため、道筋の警衛側へ心得として伝えておくよう加州・薩州・長州へ求める。三月八日付。末注は、辨事局からの呼出しで隈元敬一郎が出て松室甲斐から書付一通を渡され、毛利側へ廻達し写しを添えたことについて、同日新納嘉藤二から紘様への首尾書があると記す。
追録8-No.692 嶋津伊勢が書付三十八通の受領・伝達を報じ、既出題目を列挙して中将への取次を求める
去る三日の参内と衣冠、先月晦日の公使参内、願・伺・届の提出方法、行幸日の変更、公使警衛などから、計三十八通の書付の題目を列挙する。題目には奥羽鎮撫使・参謀、分捕金二万両上納、英国公使参朝途中の乱妨と取締、暗殺取締、外国交際と参朝、三職からの達・軍令、古金銀通用、入京免除、旅中応接、三職交名、東山道先…
追録8-No.693-1 中原猶介を海軍参謀に任命し、隈元への書付交付を記す
中原猶介に海軍参謀を命じる三月十二日の沙汰で、尚勇の原注がある。末注は、同日に太政官代へ留守居一人が出頭するよう切紙が届き、出頭すると軍防局の松尾但馬から書付一通を渡されたこと、この用務を付役隈元敬一郎が勤めた旨の、新納嘉藤二から伊勢様への首尾書があると記す。
追録8-No.693-2 薩摩少将が十四日の先帝山陵参詣を願い、衣冠・直垂・狩衣いずれかでの参詣を附札が認める
明後十四日に先帝の山陵へ参詣したいと、三月十二日に薩摩少将が願い出る。島津忠義の原注がある。附札は「可為勝手」とし、衣冠・直垂・狩衣の内を着用するよう求める。末注は、同日に隈元敬一郎が持参して松尾伯耆に面会し、しばらく待つよう言われて再び会い、張紙のとおり仰せ渡されたとして附札を受け取った旨の、新納…
追録8-No.694-1 祭政一致の神祇官再興と神社神職の所属・願出を伝え、薩州の大坂職務を変更する
第一の通知は、王政復古を神武創業の始めに基づく祭政一致の制度への回復とし、神祇官の再興・造立を先に行い、追って祭典も興す旨を伝える。五畿七道へ布告し、諸家の執奏・配下の取扱いを止め、諸神社・神主・禰宜・祝・神部を神祇官に附属させ、官位その他の願いを同官へ出すよう求める。神社の取調べ・祭典を追って定め…
追録8-No.694-2 酒井雅楽頭の入京・官位停止を伝え、書付一通と太政官日誌一冊の交付・廻達を記す
酒井雅楽頭について「被止入京官位候事」として、入京と官位を止める旨を伝える。姫路藩主・忠績の原注があり、本文末は三月。交付注は、三月十三日に太政官代から急な出頭を求められ隈元敬一郎が出たところ、松室甲斐から書付一通と太政官日誌一冊を渡されたこと、触下へ写しで廻達した旨の同日新納嘉藤二から紘様への首尾…
追録8-No.695-1 嶋津伊勢が主上の大坂着御、太守の参内と翌日の天機伺い、中将の名代を家老らへ報じる
主上の親征・下坂は五日に出輦する予定を延ばし、二十一日五半刻に出輦、宿割に従って八幡・森口に泊まり、二十三日未ノ刻に大坂へ機嫌よく着御したと聞いた旨を報じる。天機伺いは別紙の指示によるとして、太守は二十一日に参内して天気を伺い、明二十七日にも禁中・大宮御所へ参内して伺うという。在国の者は重臣を名代と…
追録8-No.695-2 二十一日出立から二十三日着坂の予定と、諸侯の参朝・天機伺いの時点・場所を伝える
三月五日の通知は、親征を延期し来る二十一日に発途、石清水社へ参詣して一泊、二十二日に森口で一泊、二十三日に着坂し、その後海軍整備を叡覧する予定を伝える。但書で太政官代の移転は一旦止め、道筋は本街道、各々の人数書は烏丸家へ出すとする。続く通知は、明後二十一日の行幸出輦に伴い同朝の天機伺いと参朝を在京諸…
追録8-No.695-3 五節句・朔日の祝詞参内と毎月一度の天機伺い、初回・二度目以降の装束を定める
在京諸侯は五節句と毎月朔日に祝詞のため参内し、毎月一度ずつ、二十九日を除いて都合のよい日に天機を伺うよう伝える。参内の着服は、上京初回には官位のある者が衣冠・直垂を選び、無官の者は素直垂を着る。二度目以降は直垂・上下を任意に用い、羽織袴は禁止とする。追書は、近来申合わせて日々禁中仮建所に用務伺いで出…
追録8-No.696-1 京都守護を三藩に委ね、内田が中ノ京の担当と留守居協議・区分境界を報じる
親征で二十一日に出輦するに当たり、京都は列聖の山陵と桂宮准后の所在があり、浮説・不穏と民を害する者を憂慮するとして、京都守護を薩摩・前田・蜂須賀の三藩へ委任し、民の安堵に努めるよう求める。続く内田の十八日付首尾書は、昨十七日午刻に太守・加賀・阿波の重役が参内して学問所で承知し、菓子を頂戴して岩倉の取…
追録8-No.696-2 薩摩少将に石清水宿泊時の警衛免除を伝える
親征・行幸における石清水一泊の警衛を免じる旨を、三月十八日に薩摩少将へ伝える。末注は、十九日に太政官代への出頭の切紙が届き永山左内が出たところ、鴨脚下總から渡された旨の、内田仲之助から伊勢殿への首尾書があると記す。
追録8-No.697 二地点の戦勝叙述を褒めて戦士へ伝達を求め、梁田の九日戦勝にも忠勤を促す
第一通知は、甲州勝沼駅と武州羽丹生村で賊徒が砲銃をもって要地に拠り官軍に抗したが掃撃され、初戦が軍の気鋒を高め、その事情が天聴に達して満足されたと述べる。因州・土州・薩州・長州・大垣の名書を掲げ、さらに忠誠を尽くして早く平定するよう戦士に伝えることを求める。三月十九日、薩藩下候隊川村與十郎その他兵士…
追録8-No.698 主殿・伊勢が十七日の参内と京都三藩守護の受命、留守居協議と書類伝達の取扱いを報じる
十七日午刻に太守が重役を召し連れて参内し、衣冠で伊勢を伴い、加賀・阿波も同様に学問所で別紙の趣旨を承知したと報じる。菓子を頂戴し岩倉前中将の取次を受け、近藤との面会や留守居中への依頼を経て帰殿したという。さらに伊勢と加州・阿州の重役が岩倉ほか二卿から、御留守中の京都警衛と三藩の協議を命じられたと記す…
追録8-No.699-1 嶋津伊勢が海軍天覧・船出帆留め・巡邏・大赦など七通の題目と伝達を報じる
七通の書付題目を列挙する。大坂行幸後の海軍天覧に伴う軍艦・蒸気船の出帆留め、十八日の蒸気船兵庫港揚碇・関東差廻し、銃隊百人と駿州三嶋に関する件、留守中の高松家来の巡邏、朝敵を除く大赦、小枝橋近辺の百姓家が用に供され武家は下鳥羽・上鳥羽へ下陣する件、十四日の先帝山陵参詣願を題目に掲げる。太政官代辨事局…
追録8-No.699-2 着坂する軍艦・蒸気船を天保山沖に留め、天覧終了まで出帆させないよう薩州へ命じる
行幸の上で海軍を天覧するため、軍艦・蒸気船が大坂へ着いたら天保山沖に碇泊させ、天覧が済むまで出帆を差し留めるよう薩州へ命じる。その趣旨を早く大坂へ伝えるよう但書で求める。三月十六日付。末注は、同日の軍防局の呼出しに隈元敬一郎が出頭し、松室豊前から書付を渡された旨の、新納嘉藤二から紘殿への首尾書がある…
追録8-No.699-3 八幡宿泊の近辺警衛を命じ、既定警衛人数で取り計らい別人数は不要と伝える
来る二十一日の親征・行幸で八幡に一泊するため近辺の警衛を命じ、場所は奉行坊城頭辨へ問い合わせるよう求める。俊政の原注を伴う三月十七日の通知。末注は、同日に松田遠江から書付を渡され、既に渡された警衛人数の内で宜しく取り計らい、別に人数を差し出す必要はない旨を遠武橘二が承知したことについて、新納嘉藤二か…
追録8-No.700 行幸留守中の竹田街道・東洞院近辺巡邏を高松家来に命じた旨を薩州へ伝える
大坂行幸の留守中、竹田街道・東洞院近辺の巡邏を高松頼聰の家来に命じたので心得るよう薩州へ伝える。三月二十三日付。末注は、軍備局の用務で太政官代へ出るよう切紙が届き、赤井直之進が出て松尾豊前から渡された旨の、新納嘉藤二から紘殿への首尾書があると記す。
追録8-No.701 各藩に在京人数を二十六日までに報告し、以後の増減も届けるよう軍防局が求める
軍防局が三月二十四日に、当時の在京人数等を別紙雛形に従って調べ当二十六日までに出し、以後増減があればその都度届けるよう各藩へ求める。覚の雛形には総人数、銃隊人数、その内の出兵先・警衛先人数と在京残人数、役人人数、大砲の門数、月日・差出者を記す形を示すが、数値は何百人・何門などの空欄である。交付注は三…
追録8-No.702 嶋津伊勢が任命・高札・官位・慶喜・人数・返献等の十通題目と伝達を報じる
十通の書付題目を列挙する。中原猶介の海軍参謀任命、禁制高札、酒井雅楽頭の入京官位停止、慶喜が朝廷を軽蔑してその事情を採用し難いとする通知、九日の行幸に伴う列奉行脇路通行、在京人数報告、十万石返献は差当り不要とする件、十一日の出輦に関する列奉行伺書、王政復古・神武創業に基づく一新、大坂市中取締免と巡邏…
追録8-No.703-1 関山・伊勢が太守の誓約と守護受命、率直な言上を求める御筆の承知・拝見を報じる
宸翰で重大な趣意が示され、主上が神霊に誓い、太守も御前で誓約したとして、一層職掌を尽くし大任を受けた意味を立て家名を失わないよう、伊勢を召して御筆で仰せ出されたと報じる。特に出輦後の京都留守守護を受命したため、取締りが行き届かなければ朝廷にも済まないとして、心付いたことは我々から一統まで差し置かず言…
追録8-No.703-2 伊勢・紘の表示を伴い、心付いたことを言上し御趣意を末々へ徹底すると答える
今般の宸翰に続く冒頭は上文略として省略する。大任で取締りが行き届かなければ、自分たちの落度だけでなく朝廷にも済まないので、我々を初め一統が気付いたことを差し置かず言上するよう直に沙汰され、承知したと答える。謹んで拝見し趣旨を末々まで徹底してひたすら忠勤すると表明する。但書では末々の者には支配頭・主人…
追録8-No.703-3 太守が誓約と新政の大任を説き、上下協力・従来の陋習脱却と率直な補助を家中へ求める
御誓文と宸翰は既に前に載せたとして省略し、続く御筆仰出の写を収める。主上の神霊への誓いに伴い御前で誓約し聖旨に赤誠を示したと太守が語り、新政は国の隆替を分ける未曾有の盛典で、億兆一人でも居場所を得なければ天職を果たしたことにならないと説く。従来の陋習を脱し、朝廷の事を他人事にせず、一身一家の上にも天…