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追録8の目録

暫定版です。原文との照合により、概要や文書の区切り等を修正する場合があります。

全2,290件中 801~900件・9 / 23ページ

  1. 追録8-No.583 両事件の帰着は同じであり不参者は大樹へ問い合わせるよう伝える朝廷達書

    両事件について各人の見込や遅速には違いがあったが、大樹と大蔵大輔・伊豫守らが参内した際、寛開の帰着は同じであったので取捨して命じたと説明する。詳しいそのときの模様は大蔵大輔・伊豫守も承知しているはずで、不参の者は大樹に問い合わせるよう求める。八月四日の朝廷達書。両事件は前後の書付に対応する防長処置と…

  2. 追録8-No.584-1 防長復旧と開港の順序が寛開の同じ帰着だとされた理由を尋ねる両藩伺書

    兵庫開港の許可後に両事件の見込や遅速が異なっても寛開の帰着は同じなので取捨して命じたとの達書を読み、さらに問う伺書。防長では大膳父子の官位復旧・平常の扱いを実現して幕府が公正に戻る実跡を示し、人心の安堵と国内の基礎を立てた後、第二に外夷の事を扱い、兵庫開港を時務に応じて処置する順序を提案したとして、…

  3. 追録8-No.584-2 兵庫開港の許可は時務による帰着で順序遅速とは別と説明する書付

    兵庫開港をやむを得ず許可したとの文言は、開港の帰着が同じという意味だと説明する書付。先帝が止めていても、時務によってやむを得ず許可したので、四藩が述べた順序や遅速の問題ではなく、諸藩も四藩と同じ帰着の理を述べたとの沙汰であるとする。大樹は参内して始末を承知しているから、その模様を問い合わせるよう伝え…

  4. 追録8-No.585-1 防長・兵庫への再照会を幕府へ下して両藩に説諭するよう命じる二通知

    八月十日の二通知。第一は、防長と兵庫の両事件について四藩から書付が出され沙汰した後、さらに両藩から別紙の再照会があったが、改めて沙汰する筋ではないため、幕へ下して両藩を説諭するよう摂政殿が命じる天朝からの達。第二の同日両藩への口達は、再び申し立てた趣旨を承知したが、去る五月の沙汰の詳しい意味は大樹も…

  5. 追録8-No.585-2 脚気病の不調を述べ療養のため下坂を願う書付と暫時の暇の許可

    滞京の沙汰を承知しているが、脚気病の療養を続けても全快せず、心下痞塞、食事が進まず脚部麻痺で起臥が不自由だと訴える八月十二日・御名の願書。土地気候に馴れないことと秋冷により悪化する懸念を療醫方も述べたとして、来る十五日から一度下坂して静かに保養するため暫時の暇と取次を願う。続く沙汰は、療養のため下坂…

  6. 追録8-No.586 中将が十五日に下坂し滞坂していると伝え朔日に機嫌伺いを命じる通知

    中将は軽い不調から快方に向かっているが、秋冷や土地の事情もあるため朝廷へ暇を願い、去る十五日に下坂し機嫌よく滞坂しているとの知らせが到来したと伝える。御一門と島津左衛門一列、無役大身分・役人・詰衆は、明後朔日の御礼後に残り、太守と中将の機嫌を伺うよう命じる八月廿九日圖書の通知。願出・下坂・滞坂は通知…

  7. 追録8-No.587 無名の討幕の挙動を戒め禁闕警衛と非常への備えを求める諭達・五署通知

    天下の紛擾を嘆き、当春に越前・土州・宇和島の三藩へ相談し朝廷・幕府へ建白したが採用されなかったと述べる。自分の趣意を、京都で無名の干戈による討幕を企てたものと解して議論する者がいることを意外とし、今度の出兵は長州末家の者を浪華へ召す件などでどのような変動が起こるか測り難いため、禁闕を警衛して上の意向…

  8. 追録8-No.588 茂久の上京派兵と議定任命、新政の制度改正・京都伏見巡邏を収める履歴記事

    御履歴の記事。慶応三年丁卯九月に茂久が一大隊を京都へ派遣し邸内に屯させ、十月に慶喜が政権を奉還して朝廷が允容したとする。十二月九日の議定任命と九門警衛の命、同十四日と記す聖諭を収め、新政の基礎、大政返上・将軍職辞退、摂関・幕府等の廃絶と総裁・議定・参与の三職、太政官の整備、礼式改革を掲げる。摶紳武弁…

  9. 追録8-No.589 茂久が危急を察して一大隊を京都の邸内へ屯させたとする系図記事

    御系図「忠義公」の短い記事。慶応三年丁卯九月、茂久が世態の危急を察し、兵一大隊を上京させて邸内に屯させたとする。危急の判断と派兵は系図の叙述として示し、兵の人数・隊員名や新たな戦果は記されない。先行する履歴記事の九月一大隊と関連するが、別の一大隊を追加派遣したと合算しない。

  10. 追録8-No.590-1 原市之進宅での横死と三人の死傷・取押について伝える風聞書

    今十四日六ツ半時頃、三人が原市之進宅へ来て対面を願い、その場で打ち留めたという風聞を記す。その後、三人が老中板倉の門前へ願書を持参し、追い付いた原市之進の家来が二人を打ち取り、残る一人は先に中之口へ来て便所で切腹し、役人に見付けられ取押されたとの風聞だとする。名書は鈴木常太郎と同豊次郎が門前で死亡し…

  11. 追録8-No.590-2 政権を朝廷へ返上し天下の公議と諸侯の見込を求める慶喜の建白

    臣慶喜が皇国の政権の沿革を述べ、相家から武門へ政権が移り、徳川の子孫が二百余年その職を奉じたが、政刑に過ちがあり今日の形勢は自身の薄徳によるとする建白。外国交際が盛んになるなか朝権を一途にしなければ綱紀が立たないため、旧習を改め政権を朝廷へ返し、天下の公議を尽くして聖断を仰ぎ、同心協力して皇国を保護…

  12. 追録8-No.590-3 政権返上の建白を受け諸侯の上京まで取扱いを定める朝廷沙汰

    祖宗以来の委任を受けてきたが、今の内外の形勢を考察した建白の趣意をもっともなものとして受け入れ、天下と同心に尽力して皇国を維持するよう求める沙汰。続く条は、重大事や外夷に関わることは衆議を集め、そのほか諸大名への命令などは朝廷の両役が扱い、残る事項は召した諸侯が上京して決定するという。それまでは徳川…

  13. 追録8-No.590-4 警固・御料所・造営費・公事刑法・兵庫金札の暫定取扱いを問う諮詢書

    召した諸侯の上京まで扱う事項を問う諮詢。三か月詰と口々の警固大名割の調査・通知、禁裏御料所を小坂數馬が扱い入用品を従前どおりとするか、大宮御所の造立に用いる国役金の収取を旧手続で扱うかを問う。五街道・脇往還・宿々の人馬の扱いの大名への周知、山城・大和・近江・丹波や摂家・宮門跡・堂上家領・寺社領・大名…

  14. 追録8-No.590-5 衆議・両役取扱い・支配地の意味を問う三照会と下札の回答

    昨十九日の別紙にある「衆議」は諸侯上京後の公議か、差掛けの事項は談合会議によるのかと問う。諸大名への命令を両役が扱うとは、諸侯が両卿へ伺ったとき衆議で決定して両役から命じる意味かも問い、下札は重大な事項を衆議で扱い、通常の小事は直に扱うと説明する。支配地は山城の御領所か徳川領地かとの第三の問に、下札…

  15. 追録8-No.590-6~7 公卿帰京・外国の処置を問う朝廷命令と三藩による政務・条約の建白

    原第590号の6は、実美以下の脱走公卿が近く上坂する件と外国の件について、諸侯上京後に衆議で決めるまでの当面の取扱いを問う朝廷の書付。今日の照会に翌廿一日中に両役の内へ必ず回答し、明後廿二日巳刻にも出席するよう命じる卯十月廿日付。続く原7は、幕府の政権返上を数百年来の英断と評し、三藩の滞京掛役が共同…

  16. 追録8-No.591 朝廷の受容・暫定取扱いと太守の早い上京を伝える圖書・右衛門の通知

    建白の趣意を受容し、天下と同心に尽力して皇国を維持するよう求める朝廷沙汰と、用事があるため早く上京するよう命じる書付を伝える。続けて重大事や外夷は衆議、諸大名への命令は朝廷の両役が扱い、その他は諸侯上京後に決め、それまで支配地・市中の取締は従前どおりとする命令を記す。太守が近く上京するよう朝廷から命…

  17. 追録8-No.592 勅書写二通・召書一通と幕府書付を合せ三包に収めた包紙注

    白木御文書十一番箱中三十四番の包紙注。「勅書御写二通」「御召書一通并幕府より御達之御書付等」を合わせて三包に入れたと記す。右外には帯刀・伊勢の名を付す。この項は内容物を示す包紙で、収録文書の正文は別の各項にある。二通・一通という文書の表示と三包という包装の数を分け、書付の総発給通数に換算しない。

  18. 追録8-No.592-1 朝権一途・政権返上と諸侯の意見を求める書付

    皇国の政権の沿革を述べ、武門へ政権が移り、祖宗以来二百余年にわたりその職を受けたが、今日の形勢は自らの薄徳によると述べる書付。外国交際の拡大のため朝権を一途にしなければ綱紀が立たないとして、旧習を改めて政権を朝廷へ返し、天下の公議と聖断を仰いで皇国を保護し万国と並立することを望む。ほかに見込があれば…

  19. 追録8-No.592-2~6 朝廷命令と京都留守居の受領・太守宛封書の伝送を収める五内容

    原第592号の2~6を収める。原2は重大事・外夷の衆議と両役の取扱い、諸侯上京までの従前取締と早い上京命令。原3は去る十三日に渡した御書取を奏聞し、昨日十五日に御所から別紙どおり命じられたと伝える十月の書付。原4は建白趣意受容の詔写と京都留守居の届書四通との注を掲げ、国家の大事の見込を聞くため十二日…

  20. 追録8-No.592-7 太守・中将の勅書写二通と条件付きの召書を受けた報告と収納注

    太守と中将への勅書写二通、召書一通を列挙する。召書は中将に快気がなければ太守が上京するとの扱いで、傳奏日野大納言の雑掌近藤外記を通じて渡されたとする。夕刻に出席する切紙を受けて出た際、国元へ早く知らせるよう申し置いたことを内田仲之助が帯刀へ報告する。卯十月十五日、留守居付役永山左内が同勤している旨と…

  21. 追録8-No.593 政権返上と公議を述べる書付に十三日の召呼・十四日の配付・二十六日の到来を記す項

    皇国の政権の沿革を述べ、武門が祖宗以来二百余年職を継いだが、今日の形勢は自らの薄徳によるとし、外国交際の拡大に応じて朝権を一途にするため旧習を改め政権を朝廷へ返す意向を説く。天下の公議と聖断により皇国を保護し万国と並立することを求め、ほかに見込があれば申し聞かせるよう述べる書付。末尾は十月で、諸藩重…

  22. 追録8-No.594 建白の全文を前文参照とし太守上京と日限追達を知らせる六署通知

    慶喜の「皇国時運」の建白を十月十四日・慶喜の表記で掲げるが、全文は前にあるとして省略する。大事件・外夷の衆議の命令も前文を参照して省略し、用事があるので早く上京するよう求める残りの命令を記す。続く十月の圖書・右衛門・帯刀・伊勢・龍衛・内膳の六署通知は、別紙の朝廷命令により太守が近く上京することを承知…

  23. 追録8-No.595 参内と警衛・慶喜の処置に関する記事、官職取止と新職の名書を収める書付

    太守は八日の参内を不快で断り、翌九日九ツ頃に参内、土州老公も同様だったとする。堂上や尾越老公・松平紀伊守の八日の参内、摂政らの参内取止、有栖川帥宮の総裁、太守・仁和寺宮・山階宮らの議定、長州・三條公らの入洛、太守の九門・六門警衛と藝・土・大村・大洲の加勢を記す。慶喜の将軍職辞退、官位降等や領地減を含…

  24. 追録8-No.596-1 前年の奉職と今般の奏聞を踏まえ将軍職の辞退を願う慶喜の書付

    臣慶喜が、昨秋に相続した際も将軍職を固く辞退したが、その後の沙汰により請けて奉職していたと述べ、今般奏聞した事情もあるので将軍職の辞退を申し上げたいと願う書付。卯十月廿四日で結ぶ。前年の事情は本人の説明、今回の辞退は奏聞・願いとして示し、朝廷が辞退を許可した結果までをこの文書から確定しない。

  25. 追録8-No.596-2 将軍辞職は諸藩上京後に沙汰し当分従前どおりと伝える圖書の通知

    諸藩が上京したうえで追って沙汰し、それまでは従前どおり心得るよう求める朝廷の沙汰を掲げる。将軍辞職が朝廷へ申し立てられ、別紙のとおり諸藩上京後に沙汰するとの知らせが京都から届いたため、役人・詰衆に伝えるよう命じる十二月圖書の通知。卯十二月四日に申し渡されたとの注を付す。辞職の願出、京都からの回答の伝…

  26. 追録8-No.597-1 出兵の取沙汰を受け存慮があれば十分に建白するよう求める通知

    今般の出兵について紛々とした取沙汰があると聞いたため、考えがある者は十分に建白するよう求める。先にもその旨を命じていたが、今の時節に下情を聞きたいとの沙汰があるので、存慮を持つ者は早く言上するよう向々へ通知する十月内膳の書付。内膳には町田久憲とする人物注がある。噂の内容や真偽、建白の実績は記されず、…

  27. 追録8-No.597-2 一大隊の上京に対する諫訴を評価し小事に拘らず国家の安寧を求める口達覚

    一大隊の上京に際して出船前の直諫、役筋への諫訴、出船後の封書があり、国家を憂い保安を望む赤心として称える。一方、君臣の交際の一字に拘り、小事を大局より先にするような判断を戒める。先帝崩御と若年の今上、藩の置かれた時節を踏まえ、中将の上京・三藩との会議や建言、滞京と療養の事情を述べる。禁闕警衛の人数を…

  28. 追録8-No.598 書棚と純子の献上が済み満足の沙汰があったと知らせる忠房の書状

    書棚を国製一筥、純子を唐物一筥・百有余年の品と掲げ、今度皇上へ献上し今日滞りなく伝献を済ませたと知らせる。純子の品柄を深く満足し、廻棚付きの書棚も叡慮にかなって早く玉体のそばに置かれ慰みとなったので、その旨を詳しく伝えるよう大典侍局・勾當掌侍局から言われたという。十月十一日忠房の嶋津中将宛書状で、忠…

  29. 追録8-No.599 中将の書棚・純子献上への満足の書付を文書方へ下して保管させる通知

    中将から書棚と純子を近衛の取伝えで内々に朝廷へ献上し、満足した旨が別紙のとおり伝えられたので、その書付を文書方へ下して護るよう命じる十一月内膳の通知。慶応三年卯の朱注と内膳を町田久憲とする注を付す。献上品の報告そのものと、その報告書付を保管する命令を分け、原第598号と別の献上を新たに行ったとは数え…

  30. 追録8-No.600 茂久の上京・議定任命と政務改革、慶喜の大坂移動を記す家譜記事

    島津氏家譜の記事。慶応三年十月に慶喜が政権奉還を上書し、その意は「上ヲ要スル」にあると評価する。朝廷が許して急に茂久を京師へ召し、十一月には茂久が大兵を率いて京都へ赴き不虞に備え、十二月九日に議定となり諸藩と九門警衛を命じられたとする。政権が朝廷へ帰って大きな改革があり、摂関・幕府・議奏・武家傳奏・…

  31. 追録8-No.601-1 大政返上の実効を問い慶喜の兵の鎮定と各藩の方向を定める朝廷沙汰

    慶喜の大政返上・将軍職辞退を朝議で受け入れたが、名義だけでは朝廷が土地人民を保って聖業を立てられないため、尾越二藩から実効を問うたとする沙汰。慶喜は畏れ入っても麾下と会桑が従わず乱の恐れがあると述べ、大坂城へ引き取って寛大な処置を命じた後、三日に会桑を先鋒として朝廷へ反した兵端を開いたと非難し、早い…

  32. 追録8-No.601-2 高恩への報酬として上京・公議・善言の採用を願う建言写

    祖宗以来の高恩に報いたいとして、幕府が従来の失態を悔い政権を朝廷へ返すのは国体一新の基を開く幸であり、中将の忠誠と尽力を称え、太守も早く上京してほしいと願う建言写。王制復古の公議は万代の基礎となるので、和漢古今の明君・儒師などの道理を考え、古典を通じ才能ある者を用い、諸藩の応接や広い善言を聞いて政務…

  33. 追録8-No.602 発駕を十三日に延ばし三邦丸ほかで出帆、二船の帰帆日を記す航行記録

    十一月四日に命じた発駕が延び、同十三日に立って三邦丸に乗船し、海陸軍の兵は翔鳳丸・平運丸・春日丸を用いたと記す。同日昼過ぎ頃に前之濱を出帆したとの記事。続けて三邦丸は十二月二日に前之濱へ帰帆し、春日丸は正月六日に帰帆したと記録する。目録は茂久上京の記事とする。発駕の先の予定、実際の出帆を記す叙述、船…

  34. 追録8-No.603 病気による召登遅延と三人の上坂を届け薩・藝両藩へ朝廷取次を願う書付

    先の朝廷召登命令に対し、文中で末家とする側の体調により家老だけを発途させ、少しでも快ければ大坂へ出るよう求められて保養していたが、まだ治まらず遅延を恐れていると申し立てる。淡路名代の毛利平三郎・家老毛利内匠・監物名代の宮庄主水が上坂し、藝州側の約束にも対応していると報告。大政の公議を尽くす方針を承知…

  35. 追録8-No.604-1 二十七卿の参内停止、五藩の警衛と九日の参内・参与差出を記す書付

    十二月五日に会津が参内し、六日からは病気で参内せず二条へ入城したと記す。加陽宮以下二十七卿の名を掲げて参内停止とし、薩州・土州・藝州・尾州・越前の五藩へ参内と警衛を命じ、ほかの大小名は参内を止める。九日四ツ時に尾州・越前・薩州・土州が兵隊を召し九門内に大砲を備えて参内警衛、翌十日暁八ツ時に下り、同日…

  36. 追録8-No.604-2 議定任命と口宣後日下賜を知らせ月次御礼時の祝儀を指示する申渡

    薩州少将へ議定職を命じ、口宣は追って下賜すると記す。十二月九日であるとの注を付す。続く通知は、太守が召しにより昨日九日に参内して別紙のとおり宣下を受けたので一統承知するよう求める。今日の月次御礼に出る者は席の謁の格によって拙者の長屋へ来て祝儀を申し上げ、諸士も同様、諸與與力は支配頭の長屋へ来て同じく…

  37. 追録8-No.605 十二月九日の議定任命と諸藩とともに九門警衛を命じられたとする系図記事

    御系図「忠義公」の短い記事。慶応三年十二月九日に議定職に任じられ、諸藩とともに九門警衛を命じられたとする。任命と警衛の記録を記事の叙述として示し、参内人数・警衛の兵数や新たな別の任命を加えない。第604号の任命書付とは同日の関連記録であり、任命を別々の回数として合算しない。

  38. 追録8-No.606-1 九~十三日の参内・警衛、参与任命と賜品、慶喜・会桑の下坂を報告する書付

    十二月九日の太守の衣冠参内、同夜七ツ時分の帰殿と召書写の送付から、警衛箇所、参朝停止名書、総裁・議定・参与の名書、五藩からの人材差出しを報告する。三條實美一族の入洛・復位等と御室宮の還俗命令、酒・菓子・鰑などの賜品を掲げ、太守側・兵隊・詰合五藩・個人の対象と原の単位を区分する。京都は静謐としつつ市中…

  39. 追録8-No.606-2 廃止された武家傳奏の取扱いを参与役所へ移す命令と役人の名書

    武家傳奏の役が廃止されたので、従来その役で扱っていた事は参与役所へ申し出るよう命じる。石薬師通一乗院里坊を仮の役所とし、参与役所と呼ぶという。掛りの大原宰相ら五人を掲げ、御用掛、非藏人、御使番を別々の名書で記す。御用掛は松尾備後・松室豊後で、差出しの文言と異筆の注もある。役所・取扱いの移管と交名の区…

  40. 追録8-No.606-3 桑名の守衛廃止後の警衛、参与の参集・宿直と藩兵の厳備を命じる写

    公家門前の桑名の守衛を止めるので、その場所を速やかに厳重に警衛するよう命じ、藩内の適任二~三人を参与として即時差し出すよう求める。参与は改革の時節に精勤し、政事規則が立つまで一同辰刻に参集、夜は四~五人を申し合わせて宿直するという。御門と穴門四か所の内外、御臺所御門と北の穴門二か所、殿・奏者所前の門…

  41. 追録8-No.607 参与役所への取扱移管を申渡し、王政復古の沙汰書冒頭と三職人躰を掲げる

    武家傳奏役の廃止に伴い、その取扱いを参与役へ移すこと、石薬師通一乗院里坊を仮役所として参与役所と呼ぶことを伝える。掛りの名前は略し、ほかに参与の卿がいると注記し、参与役所からの申渡しを十二月に佐次右衛門が関係先へ通達する。続いて徳川内府の大政返上・将軍職辞退を受け、王政復古、摂関・幕府等の廃止、総裁…

  42. 追録8-No.608-1 伏見・淀方面で探索した徳川・会津・桑名の下坂動向を報告する聞合書

    徳川・会津・桑名の下坂について伏見に探索を出し、別紙の申越しと聞取りを報告する。徳川・会津が夜五ツ時過ぎに鳥羽街道から淀へ出て枚方方面へ向かい、主従徒歩、多数の供を伴い小銃八面を持参、大砲は不明という。旗本、若州・伊豫・松山・膳所本多、会津三百人程と大砲五丁、桑名などの通行、人員、騎馬と徒歩、武器の…

  43. 追録8-No.608-2 徳川の返上・辞退を受けた王政復古、三職設置と公議・言路・救弊を命じる沙汰書

    徳川内府の大政返上と将軍職辞退を受け、王政復古と国威挽回のため摂関・幕府等を廃し、総裁・議定・参与を置いて政務を行うと述べる。堂上・地下の別なく公議を尽くし、旧習を改めて忠誠報国を求め、内覧・勅問人数・国事御用掛・議奏・武家傳奏・守護職・所司代を廃止する。太政官の制度と朝廷礼式の改正を示し、言路を開…

  44. 追録8-No.608-3 太守の病による名代参内と、朝政一新の見込言上等の書付受領を佐次右衛門へ報告

    徳川内府の大政返上・将軍職辞退と朝政一新に伴う見込言上等の御書附写一通を掲げる。昨十四日巳刻に太守の参内を命じられたが、不快のため断ったので、参与役所から名代一人の出席を求められ、使番の伝達を受けて新納嘉藤次が参内したという。鶴の間で正親町三條前大納言・萬里小路右大辨宰相・橋本少将が列席し、書付での…

  45. 追録8-No.609-1 薩州へ洛中洛外巡邏を命じ、市中取締の役割を伝える佐次右衛門の申渡し

    改革の混雑に乗じ悪徒が横行するとの聞得を理由に、薩州へ洛中洛外の巡邏を命じる。従来の町奉行の取扱いは当分変更しないと注記し、山城国中の取締を担当する本田主膳正・青山左京亮・松平圖書頭に市中取締を命じる。市中見廻りの龜井隱岐守・加藤能登守・加藤遠江守・松浦肥前守・小出伊勢守・植村駿河守の六藩に、加藤・…

  46. 追録8-No.609-2 膳所・龜山・笹山三藩の市中取締と、藩士・若党への厳重な謹慎を伝える

    市中取締を膳所・龜山・笹山の三藩へ命じ、訴訟以下の事は右三藩へ申し出るよう伝え、当分は町奉行の心得で勤めると注記する。朝廷が市中巡邏・追捕を命じて都下の鎮撫を委ねた折柄、藩士は外出中も等閑な行動をせず謹慎し、士分以上から若党まで厳重に徹底するよう命じる。頭役や若主人にも指示させ、外で不法があれば厳科…

  47. 追録8-No.609-3 巡邏の回数、予備隊・応援、休息と武器使用、隊員規律を定める本営役所達

    救應手のうち一日に三度巡邏し、普段は二小隊を屋敷に置いて九門内外の救応に備えるよう定める。宮方の制声に行き合った時は成る方向を換え、不意に出会った時はその場所で休息し、太鼓・喇叭・号令を休息等の合図として認める。東寺・浄華院の隊は当番の半分が巡邏し、通行・休息中の不法や威を用いた行動を避け、茶・煙草…

  48. 追録8-No.610 久光の上京命と中将の召書を掲げ、内田仲之助が伊勢へ送付を報告する

    御一新に際して従来の叡慮遵奉と下問のため、島津大隅守に早い上京を求める沙汰を掲げ、修理大夫は既に早速上京しているが、さらに思召しがあると注記する。続いて中将の召に関する御書付一通を参与御用掛橋本安藝の名で記す。羽倉肥前から御用のため一人の出席を求める切紙が届き、二人で申し上げるよう伝えられたため、内…

  49. 追録8-No.611 伏見の巡邏・鎮定と田宮如雲の取締兼勤を命じ、請書差出しを記す

    改革の多端に乗じ伏見で狼藉者が横行し人心不安であるとの聞得を理由に、厳重な巡邏・鎮定を求める朝廷沙汰を収める。伏見市在の取締は田宮如雲が兼勤し、長州・土州・藝州にも同様に巡邏を命じたと注記する。卯十二月二十一日に参与役所から至急の御用達があり、留守居付役永山左内が出席して非藏人葉室播磨から受領し、請…

  50. 追録8-No.612-1 防長関係者の入洛・官位復旧を許し、五卿随従を付記する沙汰

    大樹の東帰と朝政一新の折柄、人心が合わなければ復古の典を進め難いとして、来春の元服・立太后の大礼、先帝の一周忌を挙げ、人心の一致を求める沙汰を収める。防長の事件による混雑があったが、大膳父子と末家等の入洛を許し、官位を元のように復すと命じ、十二月十日に御確定と記す。伝達の件を宰府詰伊東矢八郎の同日付…

  51. 追録8-No.612-2 王政改革の措置に異議を述べ、公議と公明な処置を求める慶喜の奏聞書

    卯十二月に城中で板倉伊賀守が拝見を命じ、大目付松平大隅守から渡された慶喜の奏聞書を収める。慶喜は政権を一つにして天下の公議を尽くすため政権を奉帰し、諸藩の意見を求め将軍職辞退も申し上げたと述べる。一方、召された諸侯とともに協力する意思を示したのに、関東の全領を前提とする沙汰、列藩の衆議を経ない改革、…

  52. 追録8-No.613 更始一新の大令、宮中兵備撤去・人材登用と徳川領地収納を示す沙汰書

    改革の大令草案を評議所で決定し、既往を問わず天下とともに更始一新すること、議定全員が参内して在京諸侯・重臣を召し出し示す予定を記す。外門の守衛を厳重にする一方、宮中の兵備を一切撤去する予定とし、市尹、人材の撰用、制度改正局の開設を掲げる。人材は広く推挙し、朝廷の辞官の例に倣って前内大臣と称すること、…

  53. 追録8-No.614 公議と旧来の良法を尊重し、列藩の極言・救弊と領内への伝達を求める沙汰書

    徳川内府の政権奉帰を受け、朝廷が広く天下の公議を取り、偏った私意なく人々と休戚を同じくすると述べる。徳川祖先の制度の美事・良法はそのまま置いて変更しないので、列藩も趣意を理解し、心づいたことを忌憚なく述べて救弊・補正に尽力し、勤王の実効を示して下民の心を失わず、皇国を冠絶させるよう努めることを求める…

  54. 追録8-No.615 慶喜の処置と諸藩協議、参与と警衛、伏見の動向を報告し小松らの早い上京を求める

    十二日までの報告に続け、徳川内府・会桑の下坂、淀・伏見への人数繰出し、尾越両侯の仲介、慶喜への辞職・政務用途分の領地収納と公議による処置の沙汰を伝える。期限を七日として返答を求めるが、朝命への恭順が明確でないと述べる。西郷・大久保・自分の参与任命と諸藩の交名、宮門警衛の平常化、伏見の歩兵増員と乱妨の…

  55. 追録8-No.616-1 尾越の仲介と慶喜への沙汰、諸藩の内情を伝えて小松らの上京を求める西郷書状

    中将の快方を喜び、徳川氏が鎮撫のため下坂した後も淀・伏見へ人数を出して不平を示すようだと述べる。尾越両侯の仲介と朝廷への弁解、辞職・領地の政務用途分に関する沙汰、正月元日を返答期限とする取扱いを伝え、朝廷の処置と後藤の議論には不同意を示す。五卿の着京、紀州側の勤王・藩内の誅戮と擯斥や政治主張、彦根や…

  56. 追録8-No.616-2 徳川の返命と尾越仲介への見方、朝廷の動向を報告し別紙二冊を蓑田へ送る

    中将・太守の平安を喜び、九日の改革から十二日までの報告に続く模様を別紙で送ると述べる。徳川氏の下坂と尾越の仲介、正月元日をめどとする朝命受容、返書に恭順が見えないとの見方を記し、尾越の軽率な措置や重畳の事態を憂える。一方で岩倉・三條の朝廷での働き、気力の高まり、兵力や外国側の事情を述べ、サトーについ…

  57. 追録8-No.616-3 十二日後の朝議と尾越の仲介、慶喜への沙汰・期日、兵備と諸藩の内情を蓑田へ報告する

    卯十二月十二日後の京師事情を詳しく報告する。尾州の二条城での面談、慶喜・会桑の下坂と諸藩を離間する策との見方、武力で決する案と尾越の仲介を許す案の朝議、十三日以降の太守・岩倉・後藤らの協議を記す。慶喜への辞職と政務用途分の領地収納、公議による処置の沙汰について文言の調整を掲げ、元日から五日・七日へと…

  58. 追録8-No.616-4 白山の兵庫滞在、布告・下坂と書面の取扱いを新納刑部へ指示する岩下書状

    長崎から白山と同道して兵庫へ出張し、用件は樋渡武右衛門と申し合わせたと承知した旨を伝える。白山の大坂上坂・屋敷止宿は二~三日後に返答するので、その間は兵庫にいてほしいと述べ、大坂屋敷への出入りは差支えないとする。外国への布告や勅使差立ての内決、五藩の連日協議、尾越両侯の兵権差上げをめぐる議論などに触…

  59. 追録8-No.617 薩藩の行動を非難して軍列加入を求め、慶喜の訴えを諸藩留守居へ布告する文書

    薩藩の「奸黨」の罪状を挙げるとの標題で、松平修理大夫の家来が幼帝を擁し叡慮を偽って乱階を醸したと非難し、君側の悪を掃うため早く駈登り軍列へ加わるよう求める文書を収める。大坂で去る四日に目付から渡され、酒井若狭守留守居から通達されたとの注がある。続く慶喜の訴えは、十二月九日以降の変革を薩藩家臣の陰謀と…

  60. 追録8-No.618-1 秋田藩士の申出と江戸邸の襲撃・焼失、諸方の動乱情報を蓑田へ報告する西郷書状

    昨夜、秋田藩の高瀬権平・楠英三郎が遠武吉二を訪れ、ほか五人と藩主上京を唱えたが用人に拒まれ、斬奸に及んで薩摩邸へ身を投じたと申し出た旨を伝える。彼らは田町邸に潜匿し船を待ったが、酒井左衛門尉の勢が屋敷を囲んだため、藩側の重大事に巻き込まれぬよう上京させるという。品川での砲声、二十三日の城からの出火・…

  61. 追録8-No.618-2 江戸邸の引渡し交渉・戦闘と船の戦いを、木場傳内が家老へ届ける

    去月二十三日朝に酒井左衛門尉邸へ当家家来と称して訪れた件から、召捕りや引渡しを求める交渉を記す。当家邸が引渡しを承知せず、二十四日にも同様の引合いがあり、二十五日に三か所の邸が囲まれて戦闘になり、多くが討死、残った人々が品川の軍艦へ退いたという。幕府の軍艦と沖でも戦い、幕府側が当方の城へ注進したが勝…

  62. 追録8-No.619 翔鳳丸の江戸報告、平運丸の帰帆不安と封書急送を五名へ伝える新納書状

    翔鳳丸が江戸から廻着して江戸の挙動を別紙で報告したこと、同夕に大坂川口から国元へ出帆予定の平運丸が当湊に碇泊し、翌日は臨機に処置する予定を伝える。無事に帰帆するか不安があるため、連名の御用封丈を開いて内容を撰分け、新納喜之助に足軽壱人を付けて陸路から急送する。今日幕兵二小隊位も大坂へ到着したとの聞取…

  63. 追録8-No.620 平運丸の被砲撃と英国側の開港地交渉、船と翌日の処置を島津伊勢・岩下へ報告

    今二日、平運丸が大坂から出帆し、神邊沖から和田岬を通る際、幕艦二艘が前後に回り、回陽丸から砲撃を受けたと報告する。初弾は外れ、再度の砲撃で士官室が貫かれたが、平運丸は発砲せず退き、追ってきた回陽丸も日没に発砲を止めたという。当港に入碇後、英国のダウダと通弁人ラヘットレへ状況を伝え、開港地内の発砲は不…

  64. 追録8-No.621-1 大坂兵出張の報告を受け、薩州へ伏見防禦と早い増員を命じる

    大坂兵の出張が容易ならぬ事態だとの度々の言上を受け、薩州に伏見方面の防禦へ十分尽力し、早く人数を増して厳重に警衛するよう命じる。慶応四年戊辰正月と記し、追って長・土・藝にも同様に命じたと注記する。本文は薩摩国元の家老衆への添書末にあるとの表示があり、命令の対象・伝達の記録と実際の増員実績を分ける。

  65. 追録8-No.621-2 仁和寺宮の征東将軍出陣に一小隊を差し出し、軍事総裁の指揮に従うよう命じる

    仁和寺宮が征東将軍として出陣するので、薩州から人数一小隊を急いで差し出すよう命じる。続けて仁和寺宮を軍事総裁としたため、守衛の兵士はその指揮を仰いで進退するよう命じ、正月三日と記す。部隊差出しの命令と指揮系統の指示を区別し、実出陣人数は記されない。

  66. 追録8-No.621-3 鎮撫惣督西園寺三位中将の丹波口出張に一小隊を急差出しするよう薩州へ命じる

    西園寺三位中将を鎮撫惣督として丹波口へ出張させるので、薩州へ人数一小隊を急いで差し出すよう命じる沙汰。原注に公望とあり、正文に年月日は記されない。他の一小隊差出し命令と同一の隊数として合算しない。

  67. 追録8-No.621-4 征伐への精忠・尽力を求める仁和寺宮の書付写と、東寺出陣・錦旗の記録

    仁和寺宮からの御書附写として、征伐は神州の存亡にかかわるため、嘉彰が身命を尽くす覚悟であり、各自も精忠を尽くして成功を奏するよう頼む文言を収める。征東将軍・二品親王の印判との表示があり、慶応四年辰正月四日と記す。同日の昼頃に東寺へ出陣し、そこで伝達があったと付記する。当藩から二小隊、外藩からも供を命…

  68. 追録8-No.621-5 尾張・越前へ伏見出張兵の引揚げを求め、不奉命なら朝敵として処置すると伝える

    昨日至今晩に至る大坂兵の伏見出張は容易ならぬ事態で、そのままにはできないと述べる。一方で前から仲介の筋もあるため、まず人数を早く引き揚げさせるよう尾張大納言・越前大藏大輔へ求める。命に従わなければやむを得ず朝敵として処置するとの条件を示し、辰正月三日に仰せ渡したと記す。引揚げの交渉と不奉命を条件とす…

  69. 追録8-No.622 江戸城火災と邸の襲撃、船の砲戦、伏見出火を井上新右衛門が報告する

    去年十二月二十三日の江戸城西丸の出火、二十五日に幕人が芝邸へ踏み込み幼少者まで殺害し、先に出立した定府以外の残留者が戦闘で半ばになったとの報告を収め、櫻田・小山の邸も同様との聞得を記す。翔鳳丸が品川で定府乗船のため廻船した際の幕船との砲戦と小損傷、二日の平運丸への二度の砲撃と士官部屋損傷を報告する。…

  70. 追録8-No.623 六藩へ酒・鰑を賜い死傷者の記録を命じ、四條前侍従へ四国中国追討を委ねる

    連日の交戦で勝利を得たとの報告により、軍営を慰めるため酒十六挺・鰑五十束を賜う旨を辰正月八日に藝州・長州・土州・藤堂・因州・薩州の六藩へ伝える。後日の扱いも考えているので、死傷者の詳細を記しておくよう命じる。続いて追討の軍事を惣督四條前侍従へ委任し、諸藩で申し合わせ臨機の処置をすることを示す。辰正月…

  71. 追録8-No.624 玉里久光公系図に記す戊辰の鳥羽伏見、九州諸侯への使節・東征と翌年までの征討

    玉里久光公の系図記事として、明治元年戊辰正月、当藩兵が詔を奉じ長州等と鳥羽・伏見で慶喜側の兵を退け、慶喜が江戸へ敗走したと記す。同月に勅諭を受けて九州諸侯へ使者を遣わし順逆を問うたが異状はなく、二月には東征の詔により関東へ出兵したという。東北諸道の抵抗に対し多くの兵を送り、最後に函館の拠点を取り、翌…

  72. 追録8-No.625 忠義公系図に記す鳥羽伏見の隊別戦闘、茂久の参朝・軍職・恩賞と島津復姓改名

    忠義公系図の記事として、明治元年戊辰正月三日の鳥羽・伏見での戦闘に至る慶喜の辞職、会津・桑名等の下坂と奉行所滞在、諸藩警衛を記す。当藩の小隊・大砲隊・遊撃隊について鳥羽と伏見の配置、増援、四日の進撃、五・六日の追撃と淀・橋本方面の動き、七日の楠葉進出と諸隊の大坂下り・京都帰還を日ごとに列挙する。慶喜…

  73. 追録8-No.626 薩摩少将の軍功を賞し、戦死者の忠魂を祭り金五百両を賜う沙汰と参内記事

    薩摩少将へ積年の勤王と朝議の実行・周旋、三日以降の伏見防禦・連戦追撃を賞し、慶喜が浪華城を去ったとの報を受けた感激を述べ、剣を賜う沙汰を収める。続けて藩士の殉国戦死を憐れみ、忠魂を九原の下に慰め、遺族を厚く遇して葬礼を整えるよう命じ、金五百両を藩主へ賜って忠魂の祭祀に充てるとする。辰正月十二日の太守…

  74. 追録8-No.627 島津氏家譜に記す鳥羽伏見から姫路までの軍功、茂久の参朝・恩賞と復姓改名

    島津氏家譜の記事として、四年正月三日に大坂から伏見・鳥羽へ進んだ徳川側を当藩兵が朝命で止め、退く意志がないため両道で戦い、淀・八幡・大坂へ追い、慶喜が海路で関東へ退いたと述べる。姫路への征討、十二日の茂久の参朝と剣・勅書、戦死者の忠魂への金五百両を記す。十六日の元服奉賀で太刀と御馬代銀二十枚を献じ、…

  75. 追録8-No.628 詔書と各日沙汰・届書を収める戊辰正月の履歴、糧米と恩賞、軍職辞退・治療願・復姓改名

    履歴記事として、正月三日の大坂兵への対応と尾越への引揚げ仲介、二・三日の戦端と隊長・監軍の報告、仁和寺宮・西園寺への一小隊差出し、宮門の警衛と人夫差出しを収める。七日の総裁・山階宮・諸卿列席での演達は、朝廷の軍事・鎮撫の方針と慶喜側への処置を述べる。九日の大寺中納言を介した、会津守護職の手当として置…

  76. 追録8-No.629 江戸事件と船戦を伝え、早い上京・厳重な警備・火用心を命じる五名の申渡書

    旧臘二十三日の江戸城西丸出火、二十五日未明の芝邸襲来と戦闘、品川での翔鳳丸と幕船の砲戦、二日の平運丸への和田岬付近の砲撃、四日の春日丸への阿波沖付近の砲撃と応戦を伝える。乗頭の報告だが戦闘の細部はまだ不明とし、守衛諸郷・私領人数には明七日に早く上京するよう求める。中将の沙汰を追って伝えること、軍制を…

  77. 追録8-No.630 近畿の騒動への釈明と浪花城の尾越への委託、東退を伝える慶喜の告書

    上京の先供が途中で行き違い、近畿が騒然となったのはやむを得ない場合で、天朝に他心はなかったと慶喜が釈明する。わずかでも宸襟を悩ませたことを深く恐れ入るとして、浪花城を尾張前中納言と松平大藏大輔へ委託し、謹んで東退すると伝える。正月七日慶喜と署す。騒動の理由や他心がないという説明は本人の主張として保持…

  78. 追録8-No.631 列藩会盟と四課分課・外交等を伺い、薩摩少将家来の市中巡邏免除を伝える

    正月九日に下参与からの伺として、列藩会盟で議事を行う政体、軍務・用途・外国・制度の四課への三職分課、期限を設けた諸侯の招集、国体変換の外国への早い布告、慶喜の所在への勅使差立てによる詰問を挙げる。詰問役には松浦肥前守を記す。これらは伺・提案として保持し、制度の施行済みとはしない。続いて薩摩少将家来の…

  79. 追録8-No.632 江戸・船戦の報告と軍事命令、戦状・朝命遵奉をめぐる薩長福山の書状をまとめる

    江戸城西丸出火と芝邸襲撃、翔鳳丸・平運丸・春日丸の砲戦報告、細部が不明な点を記し、守衛諸郷・私領人数の上京を求める。続けて仁和寺宮への一小隊差出しと軍事総裁の指揮、西園寺の丹波口出張への一小隊、伏見防禦の増員、尾越による出張兵引揚げと不奉命時の処置を掲げる。二日から三日の慶喜側の出張と鳥羽での衝突、…

  80. 追録8-No.633-1 竹内健藏・木場十藏の奉公願を取締上の問題として検討し、五名へ判断を求める新納書状

    昨年脱走した竹内健藏・木場十藏が今回京都へ来て、重大な形勢のため滞京して奉公したいと願い出、事情を聞き置いたと、五日の堀直太郎の急便で伝えられた件を述べる。情勢上その志を捨て難いが、認めれば今後の取締にもかかわるため容易ではないと相談する。高野方面に浮浪の者が集まり、鷲尾侍従も勤王の意を示していると…

  81. 追録8-No.633-2 十二日午半刻の参朝、病中でも扶助しての参朝、当日の衣冠参朝を命じる召書

    正月十一日に御用のため明十二日午半刻の参朝を命じる。追書では別段の御用であるため、所労でも扶助を受けて押して参朝するよう求める。十二日当日には、今日午半刻の御用に衣冠で参朝するよう改めて命じる。召命と追書・当日命令を分け、実際の参朝記録や病状・診断をこの文書から補わない。

  82. 追録8-No.634 薩摩側の行動を非難して戦端を釈明し、東国諸藩へ同心協力を求める慶喜の布告

    慶喜の東国諸藩への布告として、尾張大納言・松平大藏大輔を通じて上洛するよう内諭を受け、三日に先供四隊が関門まで進んだところ、松平修理大夫の家来が通行を拒み伏兵を配して先に発砲したと主張する。朝敵との名を付け他藩を扇動したのも同家来の一己の所業で、多くの人命が損なわれ、天朝の意向も紛糾の中で明らかでな…

  83. 追録8-No.635 旧臘九日の太守議定宣下を知らせ、十五日四時に家老へ祝儀を申し上げるよう命じる

    太守が旧臘九日に朝廷の召しで参内し、議定職を宣下されたとの知らせが到来したため、島津圖書・島津左衛門一列の一門方、諸大身分、月次御礼の面々、諸士・諸組與力に、明後十五日四時の登城を命じる。各席で家老へ謁し、祝儀を申し上げるよう辰正月十三日に帯刀・龍衛・内膳が連署して通達する。ほかの箇条は略すと記され…

  84. 追録8-No.636-1 元服大礼に際して朝敵を除く大赦と各国での施行、今後の賞罰厳明を命じる

    朝政一新の折柄、今日十五日に元服の大礼を行い、仁恤の聖慮で天下を無罪の域にするため、従来は容れられなかった有罪者も朝敵を除いて一切大赦すると命じる。各国でも漏れなく施行し、趣意を十分理解して行き届かせるよう求める。一方で今後は賞罰を厳明にするとも述べ、正月十五日と記す。対象の除外条件を保持し、個別の…

  85. 追録8-No.636-2 和親条約と兵備充実、公議による条約改正・公法に基づく外国交際を命じる布告

    外国問題について先帝の多年の憂慮と幕府の従来の失錯・因循を述べ、世態と大勢の変化により朝議で和親条約を結ぶとする。上下で一致して疑惑を生まず、兵備を充実して海外に国威を示し、祖宗・先帝の神霊へ応える趣意を天下列藩の士民まで理解して尽力するよう求める。従来幕府が結んだ条約の弊害については、利害得失を公…

  86. 追録8-No.637 備前兵と外国人の兵庫神戸村での衝突、鎮撫・外国船と責任処置を家老へ報告

    備前が朝廷から西宮警固を命じられて兵を出したのかと述べ、十二日に家老が兵隊を率いて兵庫神戸村を通った際、理由は不明だが英人二~三人を刃傷し、外国側が船から兵を出して戦い、備前兵が山手へ逃れたとの報告を収める。以後の兵庫街道取締や通行停止、蒸気船の碇泊を記し、外国側が日本を敵と考える事態になりかねない…

  87. 追録8-No.638 御厩を騎兵所と称し、今後の騎兵召建てを御馬預へ通達する

    騎兵は海陸軍三兵の中で欠かせない一局であるとして、御厩という名称を廃し「騎兵所」とする申渡しを収める。追って騎兵を召し建てる予定なので、この趣旨を御馬預へ伝え、関係先へ通達するよう命じる。正月右衛門と署し、正月十九日に北郷浪江が取次いだと付記する。名称の変更、今後の召建てと取次の記録を分け、騎兵隊の…

  88. 追録8-No.639 出退勤と休業日、欠席者がある場合の次官決裁、議事開始時刻を諸侯へ伝える

    総裁宮の命を受け、毎日巳刻に出勤して申刻に退出し、一・六の日を休みとすることを伝える。議事については総裁から下参与まで、出席しない者がいても次官で決すること、毎日巳半刻から議事を始めることを定める。正月二十一日に博房が尾張大納言・越前宰相・土佐前少将、御官名とする宛名欄、安藝少将・宇和島少将・細川左…

  89. 追録8-No.640 長崎の諸藩協議と外国交際・金米・刑事処置、天草派兵と人心を桂右衛門へ報告する松方書状

    大勝利と勅書受領を祝い、鎮臺の脱走後に長崎西役所を会議所として各藩が毎日集まり、外国交際と鎮撫にあたっていると報告する。各国談判役との協議、鎮臺が持ち去った金八千両・米一万俵余を人民へ返し配るとの相談、十四日夜の強盗・割服等の刑事処置と統治上の懸念を記す。江戸の情勢への驚き、病院関係者の志や關要之祐…

  90. 追録8-No.641-1 三職七科の役職・掛の名書と、鎮臺等の任命、二条城出勤所・追加任用を掲げる

    三職の総裁有栖川帥宮、副総裁三條前中納言、岩倉前中将の事務総督兼陸海軍務を掲げ、神祇・内国・外国・海陸軍務・会計・刑法・制度の七科について主管と掛を役職別に列記する。正月二十四日に仰達された京師諸職名として、久我・宇和嶋・大村・澤の鎮臺・外国人取締等、小松・木戸・後藤の外国事務顧問大坂掛、戸田・寺島…

  91. 追録8-No.641-2 役人への贈物を双方処罰の対象とし、二条城の会計事務・金穀出納の取扱いを通知する

    苞苴・私謁は古賢も戒めるところだとして、賄賂で役人へ嘱託すれば依怙贔屓を招き公平な政道を損なうと述べる。金幣だけでなく些細な音物も一切停止し、密かに贈物を受ける者がいると分かれば双方を処罰するとする。続いて、学習院の金穀出納所を会計事務裁判所に付属させ、今日二十七日から二条城内へ置くので、取扱いは従…

  92. 追録8-No.642 鷲尾侍従の参与と位階別の下馬・下乗場所を掲げ、四通とする別紙の伝達を記す

    鷲尾侍従を参与に任じる正月の沙汰を収める。太政官代の下馬について、総裁宮・堂上・諸大名以上は四脚門前の柵門外の札の場所、非藏人・諸官人以下藩士までは惣門外の下馬札の場所と定める。下乗の場所は親王・相丞が東寄りの切石上、堂上・大名が四脚門外、非藏人・諸官人・藩士が惣門外と区分する。正月の制度寮の表示に…

  93. 追録8-No.643 天皇と人民の関係、遷都・浪花行在と外交兵備を論じる大久保建白を諸侯へ回覧する

    大久保一藏の建白として、官軍の一戦勝利と敵の東走だけでは拠点鎮定・外交・諸藩や人心の問題が残り、復古は未完成であると論じる。一時の勝利に安住せず、長年の因循を改めて天皇が人民に近く民生を安んじる職責を果たすべきだと述べ、公卿と主上を遠く置く従来の慣習を批判する。根本を改めるため遷都の典を挙げ、浪花に…

  94. 追録8-No.644 伏見ほか戦死者への役料米等を、次の申渡しまで従来どおり給付するよう命じる

    伏見その他の場所で戦死した者について、追って申渡しがあるまでの間、役料米等を従来どおり給付するよう関係先へ命じる。正月右衛門と署し、辰二月七日に通達を承知したと付記する。給付継続の指示と承知日を区別し、恒久的な給付権・受給人数・金額や実際の支給完了を補わない。

  95. 追録8-No.645 東山道の惣督・副使、二条城への官代・参与役所移転、菊紋と本姓復帰を伝える

    岩倉太夫を東山道鎮撫惣督、副使を八千丸として下向を命じたことを正月二十一日に知らせる。正月二十六日には、従来九条家を用いた太政官代を翌二十七日から二条城へ置き、参与役所も同城内へ設けるが取扱いは従来どおりとする旨を伝える。制度改正に伴い、宮門警衛の旗幕・提燈等に菊紋を用いること、追討の出兵には一隊に…

  96. 追録8-No.646 澤前主水正の九州鎮撫惣督任命を知らせ、久留島留守居経由の廻達到来を記す

    澤前主水正を九州鎮撫惣督に任じたので承知するよう通知する。九州諸藩へ廻達することを注記し、正月二十九日に久留島伊豫守方の留守居から廻達が到来したと記す。任命通知と実際に廻達を受けた日を分け、惣督の現地到着や九州全藩への伝達完了をこの記録から推定しない。

  97. 追録8-No.647 正月二十四日に布告を持たせて送った使者と九州の大名・配布先を列記する

    この藩から布告文を持たせ使者を送った大名衆の名書を掲げる。熊本・久留米・柳川・福岡・佐賀、飫肥・高鍋・延岡・中津・小倉・岡・杵築・臼杵・府内・森・日出・佐伯、島原・唐津・平戸・五島・大村の配布先を、原の領主称号と使者の組ごとに列記する。慶応四年辰正月二十四日に使者を差し立てたと記し、続く布告文は略す…

  98. 追録8-No.648-1 王政復古と征討の理由を述べ、諸藩士民へ勤王・帰順を求める島津中将の布告

    島津中将の布告として、天に二日・地に二王なしとの大義を掲げ、徳川氏の兵馬の権と朝廷への態度を批判する。慶喜らが王政復古を恨み、本月三日夜に大坂を発して兵を進めたので、諸侯が鳥羽・伏見で戦い、仁和寺親王を征東将軍とする追討で大坂・山崎等が落ち、諸勢力が官軍へ属したと叙述する。慶喜・松平肥後・越中の所在…

  99. 追録8-No.648-2 九州諸侯への布告と不服従時の追討方針を国内に伝え、使者の地域別配置を記す

    朝敵征討を命じられたので、九州諸侯へ使者を送って別紙の布告文を渡したことを伝える。名分大義を守らず勤王の意思なく敵に私党する者がいれば追討の師を差し出す予定とし、この趣旨を一統が承知するよう早く伝達し、諸郷・私領にも申し渡すよう領主・諸所地頭へ命じる。正月に圖書・右衛門・龍衛・内膳が連署する。慶応四…

  100. 追録8-No.649 九州の使節が征討経緯を伝え、勤王の意思を書面で受けて帰るための口達覚

    大隅守から差し立てられた使節の口達覚として、徳川・会津・桑名が伏見で逆心を示したので征討し、敗北と大坂落城により皇運が回復したと伝える文言を収める。各藩の勤王の志を問うとともに、その所在を示す墨付を受け取って持ち帰り、王事に身命を尽くすよう求める。京都の修理太夫への勅諭としてこの趣旨を知らせ、返答を…