追録6-No.1274記事旧記雑録暫定版・確認中
浄岸院の遺命による娘の縁組先容と治済・公方の承諾
六月十三日(安永四年の文脈、本文に年の独立記載なし)/原整理番号 1274/整理ID 1274
確認度高
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概要
浄岸院の遺命は、後に重豪の娘を従三位中将徳川治済の適子に配するよう求めるものであったと記す。娘には字於篤・後に茂姫と称する注があり、治済の適子には童名豊千代・後に君となり大統を承けた旨の注がある。この年、縁組の先容を行い、六月十三日に治済へ意向を伝え、治済が聞いて承諾したため、これを上に書いて請い、大家が許したと記す。出典は重豪公御譜中。遺命、治済への先容・承諾、上への請願・許可を経過として整理する。大家許可の年月日はこの短い記事では個別に区切られていない。第8枝は翌安永五年七月十九日の御書付交付を詳述するため、六月十三日をその交付日と同一視せず、経過の関係を保持する。正文に年の独立記載はなく、安永四年は周辺文脈による。注の後年の呼称・将来の地位を六月十三日時点の実現事実へ移さず、この日を婚礼の実行日とはしない。
登場人物
重豪、浄岸院、重豪の娘(字於篤、後に茂姫と称する注)、徳川治済、その適子(童名豊千代、後に君となり大統を承ける注)、大家(原呼称)
宛先
記載なし(縁組先容の経過記事)
キーワード
浄岸院遺命、於篤後称茂姫、豊千代、治済、六月十三日先容、唯諾、書請、大家許
冊子頁
461頁
読込量
小
面白さ
★★★★☆
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(4)451~615頁(安永4~天明元).pdf