重豪の帰国と島津久邦の江府謝恩使往復
安永四年四月十五日~九月二十九日(原は同年、帰国・謝恩使往復の記事)/原整理番号 1257/整理ID 1257
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概要
同年四月十五日、上使板倉佐渡守勝清が芝邸へ来て帰国の暇を賜り、恩賚は先規の通りと記す。同日、大納言家基も阿部豊後守正允によって恩旨を伝え、先例により饗応し、老中各邸にも礼謝した。十九日に登営して家治に謁し、懇ろな旨を受け、西城と老中各邸で御礼をしたと続ける。芝邸の留守家老島津左中久金による太刀・馬代・巻物の献上と拝謁も記すが、ここには品物の数量を記さない。二十一日に江都を発ち帰国し、家老山岡市正久澄、側用人関山軍兵衛金郷、側用人格佐久間九十九村央、近習役山田司明遠の名を挙げる。明遠は京都・大坂に少間留まり勤事があったため、伏見から村央を代わりとしたとの注を伴う。東海道・伊勢路を経て五月五日に城州伏見へ到着、八日に発ち、山崎筋・摂州西宮から山陽道を取り、二十三日に長州赤間関へ到着し、船で豊前小倉へ渡る。九州路を経て六月朔日に薩州出水へ入り、四日に鹿児島へ着いた。即日、謝恩のため島津木工久邦に書を持たせ江府へ遣わす。久邦は麑府を急ぎ発ち、西海・山陽・東海の三道を経て七月八日に江府へ到着、十一日に板倉勝清・阿部正允の邸で旨を述べ、連署などを呈した。二十八日は方物を携え、家治の白書院で謝恩使として献上・拝謁し、西城では阿部正允に方物目録を呈して退出した。八月七日に再び召しに応じ登城し、松平周防守康福が檜間で回翰を託し、久邦に巻物を賜ったと記す。勤事は先格によるとし、十三日に久邦が江都を発ち、同年九月二十九日に薩府へ帰り復命したと結ぶ。
登場人物
重豪、板倉佐渡守勝清、阿部豊後守正允、家治、家基、島津左中久金、山岡市正久澄、関山軍兵衛金郷、佐久間九十九村央、山田司明遠、島津木工久邦、松平周防守康福
宛先
家治・家基・老中各邸(御礼・謝恩先、独立宛書なし)
キーワード
四月十五日帰国暇、十九日登営御礼、二十一日江都発、山岡関山佐久間山田同行注、伏見五月五日・八日発、赤間関二十三日、六月朔出水・四日鹿児島、久邦謝恩使、七月八日江府・十一日老中・二十八日白書院西城、八月七日檜間回翰巻物・十三日発、九月廿九日復命
冊子頁
453~454頁
読込量
中
面白さ
★★★★★
(4)451~615頁(安永4~天明元).pdf