← 検索結果へ戻る
追録6-No.2038記事旧記雑録暫定版・確認中

妙心院の病没・重豪への凶報・葬送・中陰法要・寄附分配を記す

天明四年正月~二月(後日の追記あり)/原整理番号 2038/整理ID 2038

確認度高
この文書は暫定版です

現在、内容を確認中です。概要・人物・宛先・キーワード等は後日修正される可能性があります。

概要

宗信の実母妙心院が前年臘月から病み、薬療も効かず、天明四年正月二十一日に本府山下邸で七十四歳で死去したことを記す。於嘉といい、継豊の次妃で、継豊没後に妙心院と称したとの原注を伴う。法名は妙心院殿実法道徹大禅定尼。参勤途上の重豪へ、同日急使二人を防州花岡駅に追遣して凶報を伝えた。二十四日に遺体を棺に納め、二十六日夜に山下邸を出棺し、一門、島津久定・久当、家老・若年寄・大目附らが焼香して従い、福昌寺客殿に安置した。二十九日には宮之原通直が重豪の代理で焼香した。島津久起が木主を奉じ、肝付兼満・島津久備・入来院定馨・定代・渋谷貫風が棺に従って紼を執り、福昌寺住持円山の引導で、同夜良英寺に葬った。良英寺の境内が狭く参列者を収められないため、闍維の儀は福昌寺で行ったと注記する。二月八~九日に福昌寺で中陰の法要を修し、木主・影像を良英寺に納めた。冥福のため米五石・銀十枚を寄附し、後にそのうち米三石・銀五枚を妙心院に、残り米二石・銀五枚を良英寺に配した。理由は「餘靈不齊」と記すが、具体的な事情は明記されていない。重豪公御譜所収の葬送記事。2045号書状は二十三日付で本文に今日午ノ刻とあり、2038記事の正月二十一日死去と日付の異同がある。

登場人物

妙心院(於嘉)、島津宗信、島津継豊、島津重豪、島津久定(左衛門)、島津久当(図書)、宮之原通直(主膳)、島津久起(大進)、肝付兼満(弾正)、島津久備(多衛門)、入来院定馨(隼人)、入来院定代(永之助)、渋谷貫風(喜三左衛門)、円山(福昌寺住持)

宛先

—

キーワード

妙心院、於嘉、宗信実母、継豊次妃、病気、薬療、正月二十一日、七十四歳、山下邸、花岡駅、急使二人、凶報、納棺、出棺、福昌寺、客殿、重豪代理、焼香、木主、紼、引導、良英寺、闍維、中陰、二月八日九日、影像、米五石、銀十枚、米三石、銀五枚、米二石、寄附、餘靈不齊

冊子頁

720頁

読込量

小

面白さ

★★★★★

原文を確認

(5)616~767頁(天明元~天明4).pdf