登城・江戸往還・大名往還の供廻人数と騎馬・供鎗を制限する定書
安永五年三月(日記載なし、年は朱)、宝暦八寅年の先規に言及/原整理番号 1354/整理ID 1354
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概要
下馬より下乗橋まで召し連れる人数を身分別に示す。四品および十万石以上、国持の嫡子は侍六人・草履取一人・挟箱持二人・六尺四人、雨天は傘持一人。一万石以上は侍五人または四人を分限に応じて召し連れ、草履取一人・挟箱持一人・六尺四人、雨天は傘持一人とする。下乗より内では、四品・十万石以上と国持の嫡子は侍三人。一万石以上は嫡子も侍二人、幼少の場合は別に介添一人を加えることを勝手次第とし、草履取一人・挟箱持一人、雨天は傘持一人とするが、挟箱は中御門外に残す。番頭・諸物頭・布衣以上の役人、中奥小姓衆、三千石以上の寄合は侍二人・草履取一人・挟箱持一人、雨天は笠持一人。三千石以下の寄合・布衣以下の役人・中奥番衆・惣御番衆は侍一人・草履取一人・挟箱持一人、雨天は笠持一人。医師は侍・草履取・挟箱持・薬箱持各一人、雨天は笠持一人。城に部屋のない者も挟箱を中御門外に残し、御役人はこれまで通りとする注を保つ。江戸の往還は小勢とし、国持でも騎馬一騎または二騎、供鎗二本または三本以内。侍は九千~五千石で七人または八人、四千~三千石で六人または七人、二千~千石で四人または五人、九百~三百石で二人または三人、二百石で一人または二人。押足軽は五千石以上二人、三千石より四千石まで一人、三千石以下は無用とする原区分を保ち、境界の三千石を一方へ補正しない。番頭・芙蓉之間の役人は押一人。軽輩の長柄傘は無用とし、陪臣もこの人数に準じて小勢にする。供の風俗を目立たせず、道を片付けて通行を妨げないよう命じる。先年の供廻規定がおろそかになったとして、宝暦八寅年に伝えた規定を堅く守るよう改めて示す。大名往還の先供・駕籠脇は一万石以上十三人または十四人、五万石以上十七人または十八人、十万石以上二十人まで。分限に応じ、国持も含めて先供・駕籠脇を二十四人または二十五人以内とし、徒歩の者だけでなく挟箱ほかの供の行列にも、およそ五、六尺ずつの間隔を置く。登城・御曲輪内の往来では騎馬供を無用とする。国持・溜詰・御三家庶流の従来の騎馬供は御曲輪外で一行を離して召し連れることを勝手次第とするが、一騎または二騎以内、鎗もその騎馬の者が持つ数とし、ほかに供馬を率いることは無用とする。前々から供馬・供鎗がある国持・溜詰・御三家庶流は別格とする一方、近来これを増やした場合は無用とする。旧来の者にも四品被仰付・大広間席不相成以前という条件で向後無用とする条項があり、この原条件を保って一律に許可されたとはしない。その他の供もこの規定に準じて小勢とし、登城・御曲輪内で混雑する際、快晴なら一行の合羽籠などを見計らって最寄りの途中に置くよう命じる。末尾は安永五年三月。場面別・身分別・雨天時・旧例の条件を保持し、人数を合算して実参加人数にしたり、尺を現代距離へ換算したりしない。
登場人物
諸大名、国持、嫡子、番頭、諸物頭、布衣上下の役人、中奥小姓衆・中奥番衆、寄合、惣御番衆、医師、陪臣、溜詰、御三家庶流、供の者
宛先
宛所名記載なし(身分・石高別の規定)
キーワード
供廻人数、下馬下乗橋、下乗内、身分石高別侍、雨傘笠、中御門外挟箱、江戸往還小勢、押足軽三千石境界留保、騎馬一二騎、供鎗二三本、長柄傘無用、宝暦八寅年先規、先供駕籠脇十三四/十七八/二十/二十四五人、行列五六尺、御曲輪内騎馬無用、合羽籠途中残置
冊子頁
488~489~490頁
読込量
大
面白さ
★★★★★
(4)451~615頁(安永4~天明元).pdf