安永二年の聖廟・医学院・役職・琉球使節・重豪の行動記事
安永二年の年間記事(二月~歳杪、年内日付を列挙)/原整理番号 991/整理ID 991
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概要
安永二年癸巳の行動・任命・施設・儀礼をまとめた記事で、出典に「近秘野帥」とある。二月に府下で聖廟を創建し工事を始めた。三月朔日の記載には「賀□□」の二字欠記があり、四日に図書が帰途についた。二十二日に山本傳蔵常行を御記録方添役、児玉早之丞実門を使番に任じ、児玉は御記録奉行を従前どおり勤めると記す。守宮の病に際して重豪が孝敬を尽くしたことを大家が嘉し、二十七日に老女松島を通じ御羽織を賜った。重豪はこれを着用して赴き、閏月二十五日に江戸から帰着し、島津助之丞を江戸へ遣わして謝恩した。五月六日に山下・築地の両館を訪れ、七日に南泉・福昌の両寺へ参詣、十五日に備前貴儔を前へ召して脇刀を帯びて侍ることを認め、異例の寵遇と記す。同日、島津久金・山岡久容を国老に命じて務めを励まし、二十一日に兵庫第へ臨んだ。この月に林大学頭信言が府学記を作り、児玉早之丞実門の請いによるとする。七月に道奉行を初めて置いた。八月三日に桜島へ赴き、八日に帰舟、十三日に久連宅、十四日に久徴宅、二十一日に磯館へ臨んで中城王子等八十余人を召し、二十四日に伊勢兵部宅へ臨んだ。同月に聖堂が落成し、二十九日に先聖と配位の像を奠め、初めて釈菜を献じた。重豪が講堂で儀礼を見、束帯で聖廟を拝謁し、公族以下と有司もそれぞれ拝謁した。この月に副史・知学事の山本正誼を講堂記の作成者とする。九月朔日と二日に聖堂へ臨み、十月には医学院の創建を命じ、担当者が工事を起こした。十一月十八日に中城王子が盛膳を献じ、琉唐楽を奏した。二十一日は読谷山王子も盛膳と音楽を献じ、二十七日に王子等へ食を賜って散楽を見せた。十二月五日に福昌寺で浄岸君主へ参詣し、小祥忌と記す。また浄光廟へも参詣した。歳杪には、七日に林玄達宅、八日に林玄長宅へ臨み、九日に聖堂の事に関わった国老島津左中ほか筑後・因幡・左内等へ、差を付けて時服を賜った。十三日に仮屋である琉館へ臨む。年内に城下の下馬碑の建立と立番の配置を命じたことも収める。
登場人物
島津重豪、図書(織田信方注)、山本傳蔵常行、児玉早之丞実門、老女松島、島津助之丞、島津備前貴儔、島津久金、山岡久容、林大学頭信言、久連、久徴、伊勢兵部、中城王子、読谷山王子、山本正誼、島津左中・筑後・因幡・左内、浄岸君主
宛先
年間記事のため独立宛書なし
キーワード
年間行動、聖廟・聖堂、役職任命、医学院、琉球饗応、参詣・賜衣
冊子頁
354~355頁
読込量
中
面白さ
★★★★★
(3)310~450頁(明和9~安永4).pdf