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追録7-No.1023書状旧記雑録暫定版・確認中

登書状(貫明二百年回忌と功徳・恩赦先例の再吟味)

文化6年6月廿九日(朱年注)。来正月廿一日遠忌予定/整理ID 旧記雑録追録7_文書1023

確認度中
この文書は暫定版です

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概要

重豪公御譜中・扣正文在家老座。来正月二十一日の貫明(島津義久)二百年回忌について、百五十回忌には寺役を勤めた先例があり、今回の取扱いを妙谷寺が申し出た。寺社奉行を通じ記録奉行に調査させると、寛政5年に、五廟に当たる先祖の遠忌には供物・法事を行い、六代以前の格別な功徳のある先祖については供物または寺役をその都度吟味するよう定めていた。貫明は軍労を重ね、天正15年の秀吉来攻で国家が危急存亡にあった際、敵勢を察して早く和睦に及び、堅城・要害を守って抵抗する諸将に下知して下城を命じた。自身も薙髪して水引泰平寺の陣所で関白に謁見し、腰物大小を与えられた。領内が無事となり、庶民が水火の苦を免れて末代まで太平に浴したことを貫明の知勇・功徳として挙げ、六代以前の先祖ながら法事を営むのが相当とする。名代・代参・香奠その他も先例による。恩赦については、明和7年寅年の大中(島津貴久)二百年回忌に奉伺したところ、遠忌の恩赦はかえって御仕置の障りになる旨の仰出があった。その後の天明7年未年、慈眼院(島津家久)百五十年回忌にも恩赦の記録が見当たらず、今回もその扱いとする。殉死者の子孫に関する件も先例どおり法事の際に相談するよう申し談じ、別紙を添えて両殿に相談し意向を返すよう求める。百回以上の法事は終了後に御能を命じる先例も記す。六月二十九日、朱年注は文化6年。朱記の差出人は島津登、宛先は島津安房・鎌田典膳・川上右近。

登場人物

貫明(島津義久注)、重豪、大中(島津貴久注)、慈眼院(島津家久注)、秀吉、島津安房、鎌田典膳、川上右近、島津登、寺社奉行、記録奉行、寺役、関白

宛先

島津安房殿、鎌田典膳殿、川上右近殿(下記)

キーワード

貫明・島津義久、二百年回忌、来正月二十一日、妙谷寺、寺社奉行、記録奉行、寛政五年、五廟、六代以前、天正十五年、秀吉、和睦、諸将への下城命令、薙髪、水引泰平寺、腰物大小、名代・代参・香奠、明和七年寅、大中・島津貴久、恩赦は御仕置の障り、天明七年未、慈眼院・島津家久、恩赦記録なし、殉死者子孫、百回以上の法事後の御能、六月二十九日、島津登

冊子頁

326~327頁

読込量

中

面白さ

★★★★★

原文を確認

(2)152~346頁(寛政10~文化6).pdf