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追録5の目録
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追録5-No.783 島津久郷書状
島津主鈴久郷が正月十九日、樺山主計・嶋津主殿・義岡相馬・鎌田典膳・平田靱負へ、竹姫による国許の常念仏堂建立について知らせる。調べ書への朱書返答を受け取って御守殿へ申し上げたところ、浄光明寺常念堂で勤行を行うよう命じられ、春井にもその趣旨を承知させたという。添えた寄附料と本尊を受納するよう求め、詳しい…
追録5-No.784 島津久柄外四名家老連署返書
二月十八日、嶋津主殿・樺山主計・義岡相馬・鎌田典膳・平田靱負の五名が、嶋津主鈴の常念仏堂建立に関する書状に返答する。「本文被申越趣致承知候、以上」と記し、主鈴から申し越された趣旨を承知した旨を伝える。返答には五名の名と二月十八日の日付が添えられる。
追録5-No.785 樺山久初・鎌田政昌家老連署書状
鎌田典膳・樺山主計が二月十八日、石井三位・平松三位へ、宗信の遺物を京都へ送る件を伝える。近衛家には大卓・せんし花生・青貝中央卓・沈金中央卓各一、交野李頭には堆錦中央卓一、平松夕可には青貝料紙箱一と添えた硯箱、平松侍従には常信筆の富士絵掛物一幅を挙げる。来る二十六日の京都留守居種子嶋宇左衛門の便で京都…
追録5-No.786 伊勢貞起・島津久郷連署返書
三月十九日、伊勢兵部・島津主鈴が、宗信の遺物を京都へ送る件に返答する。書状の趣旨を承知し、いずれも書状のとおり贈るようにとの意向を受けたと記す。京都留守居の使者を通じて贈る件について、今日の便で京都へ申し送った旨を伝える。
追録5-No.787 鎌田政昌書状
鎌田典膳が四月三日、嶋津主殿・嶋津矢柄・伊勢兵部・嶋津主鈴へ、竹姫による宗信菩提の常念仏堂建立と本尊・仏具の手配を伝える。前年九月九日の便で矢柄・主鈴が建立先と入日賦を問い合わせ、本立寺・不断光院のうちに建立し、浄光明寺常念仏堂の入日賦と絵図を送った経緯を述べる。浄光明寺常念堂で勤行することを命じら…
追録5-No.788 河野種興書状
五月二日、河野八郎左衛門が嶋津主鈴に、常念仏堂建立と施主の件について返答する。荻原の書付と鎌田典膳の問い合わせを伝えたところ、承知しておく旨の意向を受けたと記す。また、御当地の女中様方を施主に加える件も申し上げておいたという。荻原の書付、典膳の問い合わせ、寺社奉行の賦書二通・絵図二通を返送した旨を伝…
追録5-No.789 荻原消息
荻原が三月十一日、義岡相馬・鎌田典膳・市来左中へ常念堂の別紙を送る。本尊阿弥陀一躰は竹姫を施主として国許の寺に安置し、太守を常念仏の永代施主、隅州を堂の施主、備中を始め家老・諸役人らを仏具箱の施主とする配分を示す。竹姫の願いなので太守へ申し上げ、国許では隅州への上申と願いの実現が相済むよう三名から御…
追録5-No.790 菱刈実詮書状
菱刈孫兵衛実詮が寛延四年七月廿四日、御国元御側御用人衆へ、竹姫から下賜された阿弥陀像の送付について知らせる。二階堂森右衛門便で送る旨は春井から申出があり、打付箱に入れて差し越すので、森右衛門から差し出された際は家老へ申し上げ、そこから国許へ引き渡す段取りを求める。家老から問合せがあるかもしれないため…
追録5-No.791 本多正珍書状
本多伯耆守正珍が七月三日、松平大隅守継豊へ返書する。継豊からの礼状を受け、三御所の機嫌がよいこと、端午の祝儀として公方から時服と御肴を拝領した謝意を承知したと述べる。紙面の趣旨をそれぞれ申し談じて上聞すると答える。拝領物の品数や使者名は記されず、継豊に登城を命じる内容ではない。継豊公御譜中・正文在文…
追録5-No.792 秋元凉朝書状
秋元但馬守凉朝が七月三日、松平大隅守継豊へ、届いた礼状への返答を送る。三御所の機嫌がよいことに喜悦し、公方から端午の祝儀として時服と御肴を拝領した継豊の謝意を承知し、その紙面の趣旨を言上したと記す。本多の前書状が各申談及上聞とするのに対し、本文は及言上候とする。数量・使者は示されない。
追録5-No.793 西尾忠尚書状
西尾隠岐守忠尚が七月三日、松平大隅守継豊へ、三御所の機嫌がよいことと公方から端午の祝儀に時服・御肴を拝領したことへの礼状を受け取ったと答える。継豊の謝意を承知し、紙面の趣旨を言上した旨を記す。一般的な年中挨拶とはせず、端午の拝領物に対する礼状への返書である。数量や使者名はなく、末尾に日付・忠尚の署名…
追録5-No.794 本多正珍書状
本多伯耆守正珍が七月五日、松平大隅守継豊へ返書する。継豊の礼状を読み、公方の機嫌がよいことと、五月八日に東叡山の御霊前へ参詣したことを祝う趣旨を承知したと述べる。その紙面について関係者と申し談じ、上聞すると伝える。将軍の参詣を継豊が承知して喜んだことへの返答であり、継豊自身に参詣を命じる文言はない。…
追録5-No.795 堀田正亮外二名家老中連署状
本多伯耆守正珍・酒井左衛門尉忠寄・堀田相模守正亮が七月六日、松平大隅守継豊へ連署状を送る。生見玉の祝儀として継豊が黄金十両を献じた件を披露し、一段の御仕合であると知らせる。本多・酒井・堀田の三名が署名する。受領者の御所名は本文に明記されない。次の秋元凉朝書状も同日同件だが別の書状である。
追録5-No.796 秋元凉朝書状
秋元但馬守凉朝が七月六日、松平大隅守継豊へ、生見玉の祝儀に黄金十両を献じたことへの返書を送る。献上を披露したところ、一段の御仕合であると伝える。前の老中三名連署状と同じ献上・金額・日付を扱うが、こちらは秋元一名の署名を持つ。冒頭を今上として前文の形式を受け、末尾に継豊の官名と秋元の署名を掲げる。献上…
追録5-No.797 本多正珍書状
本多正珍が七月六日、松平薩摩守重年へ、生見玉の祝儀として黄金十両を献じたことに答える。献上を披露し、一段の御仕合とする短い返書で、重年公御譜中・正文在文庫という出典注を持つ。正文末尾の署名は正珍判、欄外注に本多伯耆守正珍の名を補う。宛名は松平薩摩守であり、継豊宛のNo.795・796とは別の献上を扱…
追録5-No.798 秋元凉朝書状
秋元凉朝が七月六日、松平薩摩守重年へ、生見玉の祝儀に黄金十両を献じた件を披露し、一段の御仕合であると返答する。今上で前の書状と同じ形式を受け、本文署名は凉朝判、欄外の秋元但馬守注で官名を補っている。No.797と同日・同金額の重年による献上を扱い、継豊宛のNo.796とは宛先が異なる。使者名や受領し…
追録5-No.799 本多正珍書状
本多伯耆守正珍が七月七日、松平大隅守継豊の礼状に答える。三御所の機嫌がよいことを喜び、継豊が多年の病気のため国許で養生しており、今夏の参府が困難なので来夏まで滞在して養生後に参府したいと、同氏薩摩守を通じ願い出た件を記す。願いどおり命じられたことへの謝意を承知し、紙面を関係者と一覧したと述べる。この…
追録5-No.800 秋元凉朝書状
秋元但馬守凉朝が七月七日、松平大隅守継豊へ返書する。三御所の機嫌がよいことに喜悦し、継豊が多年の病気で国許において養生し、今夏の参府が難しいため来夏まで滞在して養生後参府するよう、同氏薩摩守重年から願い出た件に触れる。願いどおり命じられたことへの礼状を受け、その趣旨を承知したと答える。No.799と…
追録5-No.801 西尾忠尚書状
西尾隠岐守忠尚が七月七日、松平大隅守継豊へ、届いた礼状の趣旨を承知したと返す。三御所の機嫌がよいこと、継豊が多年の病気のため国許で養生し、今夏の参府が困難なので来夏まで滞在して養生後に参府するよう、同氏薩摩守重年から願い出たことを述べる。既に願いどおり命じられたことを有難く思う礼意への返答である。本…
追録5-No.802 重年夫人東都ニ赴ク
七月十六日、於村が夫人となり江戸へ赴く儀を祝って、諸士が贈物を進めた記事。於村には島津貴儔の娘との注がある。夫人には佳肴一種・美酒双樽と籠飯二二組、継豊には美酒双樽を贈り、嘉久方(元注宗信母)にも佳肴一種・美酒双樽を進めた。夫人の東行に際する祝いと、受取人ごとの品目・数量を記す。
追録5-No.803 重年御鷹ノ雲雀拜領ス
重年公御譜は七月二十六日、大樹家重公の使者である山口民部が芝邸へ来て、重年の襲封後初めて、御鷹で獲った雲雀を下賜したことを記す。このため同日、重年は執政各位の第へ詣でて礼を述べたという。使者の来訪から下賜と同日の謝礼までを記す。雲雀の羽数は本文に記されない。次の夫人の旅程記事とは別の日付と用件を持つ…
追録5-No.804 重年夫人芝邸ニ到ル
八月朔日、重年夫人が麑城南門から薩府を出発し、十一月二日に江戸芝邸へ到着した。供奉した者として大目付市来左中政方、側用人北郷助太夫久傳、近習役北郷八右衛門資知、江都留守居役山澤小左衛門盛福、納殿役人相良善太夫長居・兒玉利右衛門安通らを挙げる。九州・山陽・東海を経て、伊勢大神宮と諸神社へ参拝し、名勝旧…
追録5-No.805 酒井忠寄書状
酒井左衛門尉忠寄が八月十九日、松平大隅守継豊へ返書する。礼状を読み、三御所の機嫌がよいことを喜び、嘉定の御規式の際に同氏薩摩守重年が初めて登城して着座を命じられたことへの謝意を承知する。紙面の趣旨は関係者と一覧したと記す。御菓子を頂戴したという記載は本書にはない。末尾に日付・酒井署名・継豊の宛名を備…
追録5-No.806 秋元凉朝書状
秋元但馬守凉朝が八月十九日、松平大隅守継豊へ、届いた礼状の趣旨を承知したと返す。三御所の機嫌がよいこと、同氏薩摩守重年が嘉定の御規式で初めて登城し着座を命じられ、御菓子を頂戴したことへの謝意を記す。前後の酒井・西尾書状と同日同件だが、御菓子の頂戴はこの本文に明記される。結びは「紙面之趣令承知」で、礼…
追録5-No.807 西尾忠尚書状
西尾隠岐守忠尚が八月十九日、松平大隅守継豊へ礼状の返答を送る。三御所の機嫌がよいことを喜び、同氏薩摩守重年が嘉定の御規式で初めて登城し、着座を命じられたことへの謝意を承知したと述べる。本文に御菓子の拝領は記されない。「紙面之趣令承知」と結び、礼意の承知を伝える。
追録5-No.808 堀田正亮書状
堀田相模守正亮が九月四日、松平大隅守継豊へ、礼状を受け取ったと返す。三御所の機嫌は変わりなく、ますます健やかなので安心するよう伝える。併せて継豊が干鯛一箱を献じた件を関係者と申し談じて披露し、一段の御仕合であると知らせる。次の秋元書状は同じ干鯛献上を扱い、西尾書状は機嫌伺いのみを記す。
追録5-No.809 秋元凉朝書状
秋元但馬守凉朝が九月四日、松平大隅守継豊へ返書する。礼状を読み、三御所の機嫌は変わりなく安全なので安心するよう伝える。続いて干鯛一箱の献上を披露し、一段の御仕合であると述べる。同日付の堀田書状と献上品・数量が一致するが、こちらは秋元一名の署名を持つ。末尾に松平大隅守宛名と秋元署名を備え、機嫌伺いの返…
追録5-No.810 西尾忠尚書状
西尾隠岐守忠尚が九月四日、松平大隅守継豊へ、礼状を受け取ったと返す。三御所の機嫌は変わりなく安全であるから安心するよう伝え、紙面の趣旨を言上したと記す。前二通と同日・同じ機嫌伺いへの返答だが、本文には干鯛一箱の献上や披露は記されない。日付・西尾署名・継豊の宛名を備える。
追録5-No.811 徳川家重御内書
将軍家重が九月七日、松平大隅守継豊へ御内書を送る。重陽の祝儀として小袖一重が到来し、喜んで見たと伝え、詳しいことは本多伯耆守から述べるようにとして結ぶ。継豊公御譜中・正文在文庫の出典注があり、家重公墨印と継豊の宛名を備える。品物は小袖一重で、使者名は本書状に記されない。次の秋元書状は同じ祝儀を使者か…
追録5-No.812 秋元凉朝書状
秋元但馬守凉朝が九月七日、松平大隅守継豊へ、重陽の祝儀として使者を通じ小袖一重を献じた件に答える。献上品を披露し、一段の御仕合であると知らせる。本文は今上で前文の形式を受け、家重御内書とは署名・通知形式が異なる。使者を通じた献上であることは明記されるが、その使者の名は示されない。日付、秋元の官名・署…
追録5-No.813 徳川家重御内書
将軍家重が九月七日、薩摩少将重年へ、重陽の祝儀として小袖一重が到来し喜んで見たことを伝える御内書である。詳しいことは本多伯耆守から述べさせるとする。重年公御譜中・正文在文庫の出典注、日付・家重公墨印・宛名を備える。宛名は「薩摩少将殿」と記される。継豊宛のNo.811と祝儀・数量は同じだが、重年宛の別…
追録5-No.814 秋元凉朝書状
秋元但馬守凉朝が九月七日、松平薩摩守重年へ、重陽の祝儀として使者を通じ小袖一重を献じた件に答える。献上を披露し、一段の御仕合であると知らせる。前の将軍家重御内書が薩摩少将宛なのに対し、この返書の宛名は松平薩摩守殿である。使者の名は記されない。継豊宛のNo.812と祝儀・数量は同じだが、宛先は重年であ…
追録5-No.815 島津重年書状
少将重年が九月八日、中山王へ慈徳院殿の死去に伴う弔問への礼を述べる。美里按司・圓覺寺を差し渡され、紙面でも入念な弔意を示されたことを承知し、謝礼のためこの書状を送るという。本文に美里按司と圓覺寺の僧個人の名はなく、慈徳院殿は宗信を指す。正文在琉球國國司の出典注、少将重年御判の署名、謹上中山王の宛名を…
追録5-No.816 島津重年書状
重年が九月十一日、中山王の書翰を受け、前年に自分の家督を相違なく命じられたことへの祝賀に礼を述べる。先般差し渡された小禄王子と、太刀一腰・馬一匹・別録記載の贈物を受け、入念な祝意を喜んだという。本文に嘉定の儀式や初登城は記されない。重年公御譜中・扣正文在右筆所の出典注、末尾の重年の御官名御名のり御判…
追録5-No.817 島津重年書状
少将重年が九月十一日、中山王へ年首の嘉儀について返書する。年頭の祝意のため差し渡された使簡と別録どおりの贈物が届き、その入念さを喜んだと伝える。末尾に猶期後喜之時と記し、重年の花押が付される。本文には使者の個人名や贈物の内訳はなく、礼状が遅れた理由を説明する記述もない。
追録5-No.818 島津重年書状
少将重年が九月十一日、中山王へ、菊姫と松平筑前守の嫡子修理大夫との縁組を祝う贈答に礼を述べる。注は筑前守を黒田継高、修理大夫を重政とし、祝いに差し渡された山内親方を盛方とする。目録どおりの贈物が届き、入念な祝意を喜んだという。官名を記す本文に、縁組相手と使者の実名を補う注が付される。品目数量はこの本…
追録5-No.819 島津重年書状
少将重年が九月十一日、中山王へ、村方奥方相立に伴う祝儀について返書する。沢岻親方を差し渡され、太刀一腰・馬代の白銀百両と目録記載の贈物を受け、入念な祝意を喜んだと述べる。注は沢岻親方を頼徳とする。馬そのものを贈られたNo.816とは異なり、こちらは馬代として白銀百両を贈られた。本文は「村方奥方相立」…
追録5-No.820 重年、列侯諸賓ヲ迎ヘ慶宴ヲ催ス
重年公御譜は、前年の襲統を祝って九月十一日に芝邸で慶宴を設け、元老の松平右近将監武元・秋元但馬守凉朝、若年寄の松平宮内少輔忠恒・戸田淡路守氏房、奏者松平紀伊守信岑・永井伊賀守直陳らを招いたと記す。留守居・大目付・奉行・諸侯など多数の参列者を列挙し、楽人は観世・寶生らが舞曲を奏した。十三日・十六日にも…
追録5-No.821 重年襲封ヲ賀シ諸社ニ献品ス
前年に江戸で襲封・元服した重年が、薩府から諸使を遣わし、十月二日に東照宮の大雄山寶前へ太刀一腰・白銀四枚を奉献した記事。麑府五社の正一位諏訪・正一位稲荷・祇園・若宮八幡宮・春日と福岡淀縄方神社には白銀一枚ずつ、満家院花尾権現社には白銀六枚を納めた。太刀・白銀については、襲封の礼に前年の元服の礼も兼ね…
追録5-No.822 本多正珍書状
本多伯耆守が十月廿日、松平大隅守継豊の留守居へ、重陽の御内書を渡すため明日五半時に御城へ罷り出るよう求める。宛所は「松平大隅守殿留守居」で、留守居本人に登城を求める。署名は本伯耆と省略し、原注はこの書状を文書五番箱六中に所蔵すると記す。翌日に受領する予定を伝える短い書状で、受領済みの報告ではない。次…
追録5-No.823 本多正珍書状
本多伯耆守が十月廿日、松平薩摩守重年へ、重陽の御内書を渡すので明日五半時に家来を御城へ差し出すよう求める。継豊の留守居本人に罷り出るよう求める前書状と異なり、本文は御城に家来可被差出とする。将軍の御内書を受領するための事前通知で、重年本人の登城命令や受領完了の報告ではない。日付・本多の署名・松平薩摩…
追録5-No.824 松平武元書状
松平右近将監武元が十一月朔日、松平大隅守継豊へ礼状の返答を送る。三御所がますます健やかなことを喜び、八月廿六日の二条城御天守炎上後も機嫌は変わらず安全なので安心するよう知らせる。継豊からの紙面について関係者と申し談じて上聞したと結ぶ。八月二十六日の火災の後も機嫌に変わりがないことを、十一月朔日付で知…
追録5-No.825 秋元凉朝書状
秋元但馬守凉朝が十一月朔日、松平大隅守継豊へ返書する。三御所がますます健やかなことを喜び、八月廿六日に二条城御天守が炎上したものの機嫌は変わらず安全なので安心するよう伝える。継豊の紙面の趣旨を言上したと記す。同日付の松平武元・西尾忠尚の書状と同じ火災見舞いに答えるが、署名は秋元一名である。
追録5-No.826 西尾忠尚書状
西尾隠岐守忠尚が十一月朔日、松平大隅守継豊へ、三御所が健やかなことを喜び、八月廿六日の二条城御天守炎上後も機嫌は変わらず安全であると知らせる。安心するよう伝え、紙面の趣旨を言上したと結ぶ。
追録5-No.827 本多正珍書状
本多伯耆守正珍が十一月六日、松平大隅守継豊へ礼状の返書を送る。三御所の機嫌がよいことを喜び、重陽の祝儀として時服と御肴を拝領した継豊の謝意を承知する。紙面の趣旨を関係者と申し談じて上聞したと記す。本文に拝領物の数量や使者名はなく、継豊から公方へ献じた小袖の返書とは贈答の向きが異なる。日付・本多署名・…
追録5-No.828 秋元凉朝書状
秋元但馬守凉朝が十一月六日、松平大隅守継豊へ、礼状を受け取ったと返す。三御所の機嫌がよいことと、公方から重陽の祝儀として時服・御肴を拝領した継豊の謝意を承知し、紙面の趣旨を言上したと記す。拝領御礼に対する返書で、数量や使者名は記されない。
追録5-No.829 西尾忠尚書状
西尾隠岐守忠尚が十一月六日、松平大隅守継豊の礼状に返答する。三御所の機嫌がよいことを喜び、公方から重陽の祝儀として時服と御肴を拝領したことへの謝意を承知し、紙面の趣旨を言上したと伝える。本多・秋元の同日返書と同じ拝領御礼を扱うが、署名と宛名を備えた独立の一通である。本文に時服・御肴の数量や使者名はな…
追録5-No.830 重年、御鷹ノ鶴拜領ス
重年公御譜は十一月二十二日、大樹家重公の使者雨宮権左衛門が芝邸へ来て、御鷹で獲った鶴一隻を重年へ下賜したことを記す。原注は雨宮を正方とし、重年は執政各位の第へ詣でて謝礼を述べたという。鶴の数量は「一隻」と記され、謝礼を行った日は本文では特定されない。雲雀の拝領記事とは日付と鳥種が異なる。
追録5-No.831 松平武元書状
松平右近将監武元が十二月六日、松平大隅守継豊へ返書する。三御所の機嫌がよいことを喜び、当四月に大猷院の百回御忌法事が相済み、十月四日の御能で同氏薩摩守重年が見物を命じられ、料理も下賜されたことへの謝意を承知する。紙面の趣旨は関係者と一覧したと記す。法事は四月、御能は十月四日で、注は大猷院を徳川家光と…
追録5-No.832 秋元凉朝書状
秋元但馬守凉朝が十二月六日、松平大隅守継豊へ返書する。三御所の機嫌がよいこと、四月に大猷院の百回御忌法事が相済んだこと、十月四日の御能で同氏薩摩守重年が見物を命じられ料理を下賜されたことへの礼意を承知する。結びは紙面之趣令承知であり、一覧や言上を行ったとは書かれない。同日・同件の松平・西尾返書に並ぶ…
追録5-No.833 西尾忠尚書状
西尾隠岐守忠尚が十二月六日、松平大隅守継豊へ、礼状の趣旨を承知したと返す。三御所の機嫌がよいこと、四月の大猷院百回御忌法事の終了、十月四日の御能で同氏薩摩守重年が見物を許され料理も下賜されたことに触れ、継豊の謝意を受ける。本文は「紙面之趣令承知候」と結ぶ。能見物の対象者は重年、礼状の差出人は継豊であ…
追録5-No.834 松平武元書状
松平右近将監武元が十二月十二日、松平大隅守継豊へ、礼状を受け取ったと返す。公方の機嫌がよいことと十月十四日に増上寺御霊屋へ参詣したことを継豊が承知して喜んだ趣旨に答え、紙面を関係者と申し談じて上聞したと記す。参詣の主体は将軍であり、継豊本人への参詣命令ではない。継豊公御譜中・正文在文庫の出典注を持ち…
追録5-No.835 松平武元書状
松平右近将監武元が十二月十六日、松平大隅守継豊へ返書する。三御所の機嫌がよいことを喜び、十月十八日に竹姫が西丸へ入った際、菊事について大御所からの御懇の言葉と拝領物があり、継豊と同氏薩摩守重年にも拝領物が下されたことへの重ねての謝意を承知する。紙面は関係者と一覧したと結ぶ。本文は「菊事」と記し、拝領…
追録5-No.836 秋元凉朝書状
秋元但馬守凉朝が十二月十六日、松平大隅守継豊へ、届いた礼状の趣旨を承知したと返す。三御所の機嫌がよいこと、十月十八日の竹姫の西丸入節に際して菊事について大御所からの御懇と拝領物があり、継豊と同氏薩摩守重年にも拝領物が命じられたことへの謝意を述べる。前の松平書状とは署名と結びが異なり、本文は一覧ではな…
追録5-No.837 西尾忠尚書状
西尾隠岐守忠尚が十二月十六日、松平大隅守継豊へ返書する。三御所の機嫌がよいことを喜び、十月十八日に竹姫が西丸に入った際、菊事に関する大御所からの御懇と拝領物、継豊及び同氏薩摩守重年への拝領物に対する重ねての謝意を承知する。紙面趣令承知と結び、言上したとの記述はない。松平・秋元の同日付返書と同じ用件を…
追録5-No.838 松平武元書状
松平右近将監武元が十二月十八日、松平大隅守継豊の寒中の機嫌伺いに返答する。三御所の機嫌は変わりなく安全なので安心するよう知らせ、継豊が献じた鯛一箱を関係者と申し談じて披露し、一段の御仕合であると伝える。書状は継豊公御譜中・正文在文庫に収められ、日付・武元署名・継豊宛名を持つ。同日の秋元・西尾書状とは…
追録5-No.839 秋元凉朝書状
秋元但馬守凉朝が十二月十八日、松平大隅守継豊へ、寒中の礼状を受け取ったと返す。三御所の機嫌は変わらず安全なので安心するよう述べ、鯛一箱の献上を披露して一段の御仕合と知らせる。松平書状の各申談という文言はこの本文にはなく、単独に披露を通知する。末尾に秋元署名と継豊宛名を備える。次の西尾書状も同日同じ献…
追録5-No.840 西尾忠尚書状
西尾隠岐守忠尚が十二月十八日、松平大隅守継豊へ、寒中に寄せられた礼状の返答を送る。三御所の機嫌は変わりなく安全であるため安心するよう伝え、献じられた鯛一箱を披露して一段の御仕合とする。機嫌伺いと献上披露への返答である。日付、西尾の署名、継豊の宛名を備え、同日付の松平・秋元返書と同件だが発信者が異なる…
追録5-No.841 松平武元書状
松平右近将監武元が十二月十八日、松平大隅守継豊へ返書する。公方の機嫌がよいことと、十月廿四日に東叡山の深徳院霊前へ参詣したことを継豊が承知して喜んだ趣旨に答える。原注は深徳院を故宗芳夫人大久保氏とする。紙面の趣旨は関係者と申し談じて上聞したと記す。
追録5-No.842 松平武元書状
松平武元が十二月十八日、松平薩摩守重年へ、今朝献じられた蜜柑二箱・炙鮎一箱を披露したところ一段の御仕合であると返答する。本文署名は武元判、原注に松平右近将監武元の名を補う。重年公御譜中・正文在文庫の出典注を持つ。裏に宛名注があり、同日付の継豊宛鯛献上返書とは贈答の相手と品物が異なる。
追録5-No.843 秋元凉朝書状
秋元凉朝が十二月十八日、今朝献じられた蜜柑二箱・炙鮎一箱を披露し、一段の御仕合であると通知する。裏書注は松平大隅守殿と秋元但馬守凉朝を掲げ、継豊宛とわかる。冒頭の今上は前文の形式を受けるが、宛先は裏書に松平大隅守殿と記される。
追録5-No.844 重年公御譜中
十二月二十二日、父継豊が五十歳の寿辰を迎えるため、重年が薩府の四配館で賀宴を設け盛饌を供えた記事。国老島津主殿久柄を使者として、小袖五襲・屏風一双・鳩杖一筒を継豊へ奉献させて祝った。屏風の元注は「十二月四季之絵、木村静隠・能勢探龍筆」と記す。同日、竹姫・夫人・菊姫もそれぞれ衣服・酒肴を献じて祝賀し、…
追録5-No.845 島津久柄書状
嶋津主殿久柄が十二月十六日、義岡相馬・鎌田典膳・市来左中へ、隅州の今月二十二日の年賀御祝について連絡する。国許へ伺って返答を待つと遅くなるため、相談のうえ、当日の御祝料理には嶋津主鈴を使者として遣わし、家老らが料理に寄り合うよう命じられたと伝える。財部孫之丞も使者を務め、列席人数を先に知らせたとおり…
追録5-No.846 義岡久中外二名家老連署返書
正月十九日、隅州の年賀御祝の手配に関する書状に付された朱書返答。本文の趣旨を伝え、各方からの御祝儀もあるかという件を相談したと記す。別紙の御祝儀状を御聴に達し、次第書は此方に留め置く旨を述べる。返答末には「久郷」の注があり、日付に添えて義岡相馬・鎌田典膳・市来左中の三名を掲げ、「下」と付記する。
追録5-No.847 重年公御譜中
十二月二十三日、家重の使者近藤助八郎義實が芝邸へ来て歳末を祝い、夫人へ綿百把・干鯛一箱を贈った記事。同月二十五日には、前大樹吉宗の使者安藤太郎右衛門乘久が来て、夫人へ干鯛一箱を贈った。そのため重年は執政各位の第へ詣で、礼を述べた。夫人が立って後、毎歳同じ品を芝邸に贈られることが当家の先蹤となったため…
追録5-No.848 徳川家重御内書
家重が十二月廿七日、薩摩少将重年へ、歳暮の祝儀として小袖一重が到来し喜んで見たと伝える御内書である。詳しいことは松平右近将監から述べさせるとする。正文在文庫注、家重公の印、薩摩少将殿の宛名を備える。重年の小袖献上に対する受領の通知である。松平右近将監には詳しい事情の伝達を命じている。目録表題も徳川家…
追録5-No.849 秋元凉朝書状
秋元但馬守凉朝が十二月廿七日、松平薩摩守重年へ、歳暮の祝儀に使者を通じ小袖一重を献じた件に答える。献上を披露し、一段の御仕合であると知らせる。使者の名は記されず、品目と数量は小袖一重である。前の家重御内書が薩摩少将宛なのに対し、この書状は松平薩摩守宛で、同日付の継豊宛返書とは相手を区別する。
追録5-No.850 徳川家重御内書
家重が十二月廿七日、松平大隅守継豊へ、歳暮の祝儀として小袖一重が届き喜んで見たと伝える。詳しいことは松平右近将監から述べさせると結ぶ御内書で、継豊公御譜中・正文在文庫の出典注と家重公墨印を持つ。重年宛のNo.848と同日・同品・同数量でも宛先が異なり、継豊宛の別の御内書である。
追録5-No.851 秋元凉朝書状
秋元但馬守凉朝が十二月廿七日、松平大隅守継豊へ、歳暮の祝儀として使者を通じ小袖一重を献じた件に返答する。献上を披露して一段の御仕合であると伝える。前の家重御内書は到来を喜んで見たと告げるのに対し、この書状は使者経由の献上と披露を記す。使者名はなく、秋元の署名と継豊宛名を備える。
追録5-No.852 堀田正亮書状
堀田相模守正亮が寛延四年正月七日、松平大隅守継豊へ、若菜の祝儀として鯛一折を献じた件に返答する。献上を披露し、一段の御仕合であると通知する。継豊公御譜中・正文在文庫に収められ、日付・堀田署名・継豊宛名を持つ。前年十二月の歳暮小袖贈答とは年と用件が異なり、年頭の若菜祝儀を扱う。
追録5-No.853 秋元凉朝書状
秋元但馬守凉朝が正月七日、松平大隅守継豊へ、若菜の祝儀として鯛一折を献じた件に答える。献上を披露して一段の御仕合と知らせる。前の堀田書状と同じ日付・品目数量で、今上として前文の形式を受けるが、署名は秋元一名である。寛延四年の年頭贈答として、次の重年宛若菜返書とは宛先が異なり、継豊の官名と秋元の署名を…
追録5-No.854 堀田正亮書状
堀田相模守正亮が正月七日、松平薩摩守重年へ、若菜の祝儀として鯛一折を献じた件に返答する。献上を披露し、一段の御仕合であると伝える。重年公御譜中・正文在文庫の出典注を持ち、宛名と堀田署名は裏にあるとの朱注を伴う。同日・同品の継豊宛No.852とは、松平薩摩守殿という裏書の宛先によって区別する。
追録5-No.855 秋元凉朝書状
秋元但馬守凉朝が正月七日、松平薩摩守重年へ、若菜の祝儀として鯛一折を献じた件に返答し、献上を披露して一段の御仕合であると伝える。今上として前の堀田書状の形式を受けるが、署名は秋元一名である。正文の後に「在右裏」という朱注を伴う宛名と署名がある。継豊宛のNo.853と祝儀の用件は同じだが、本書は重年宛…
追録5-No.856 松平武元ら連署書状
松平右近将監武元・本多伯耆守正珍・酒井左衛門尉忠寄・堀田相模守正亮が正月十一日、松平大隅守継豊へ連署で返答する。継豊が年頭の祝儀として使者を通じ太刀一腰・馬代黄金十両を献じたことを受け、献上を披露し、一段の御仕合であると知らせる。本文末尾の署名は四名であり、目録の堀田正亮外二名連署状という表題には人…
追録5-No.857 秋元凉朝書状
秋元但馬守凉朝が正月十一日、松平大隅守継豊へ、年頭祝儀に使者を通じ太刀一腰・馬代黄金十両を献じた件に返答する。献上を披露したところ一段の御仕合であると伝える。今上として前の連署書状と同じ用件を記すが、本書は秋元一名の署名である。使者名は記されず、進物の黄金は御馬代と明記される。
追録5-No.858 西尾忠尚書状
西尾隠岐守忠尚が正月十一日、松平大隅守継豊へ、年頭の祝儀として使者を通じ太刀一腰・馬代黄金十両を献じた件に答える。献上を披露し、一段の御仕合であると通知する。今上として同件の返答が続くが、松平武元ら四名連署のNo.856、秋元一名のNo.857とは差出人が異なる。原文に書面を承知したという別の文言は…
追録5-No.859 重年公御譜中の吉書
重年公御譜に収める寛延四年正月十一日付の吉書で、正文は文庫にあるという。第一に神社仏閣の修造興行、第二に農事を勧めること、第三に国々の年貢を徴納することを掲げる。この三箇条の旨に従って沙汰すべき旨を結び、末尾に重年の御判を記す。神社仏閣・農業・年貢収納を年頭に示した三条の文書であり、具体的な修造先・…
追録5-No.860 松平武元書状
松平右近将監武元が二月六日、松平大隅守継豊へ返答する。継豊からの改年の祝意を受け、三御所がいよいよ御機嫌よく、年始の御規式が済んだことをめでたいとして、書面を承知したと述べる。併せて継豊が献じた御樽肴について、各人と相談して披露し、一段の御仕合であると知らせる。御樽肴の数量や三御所各人の名は本文に記…
追録5-No.861 秋元凉朝書状
秋元但馬守凉朝が二月六日、松平大隅守継豊へ、改年の祝意に答える。三御所がいよいよ御機嫌よく、年始の御規式が済んだことをめでたいとして、継豊の書面を承知したと述べる。継豊が献じた御樽肴については、披露して一段の御仕合であると伝える。今上として前の松平書状と同じ用件を記すが、各人との相談という文言は本書…
追録5-No.862 西尾忠尚書状
西尾隠岐守忠尚が二月六日、松平大隅守継豊へ、改年の祝意に返答する。三御所がいよいよ御機嫌よく、年始の御規式が済んだことをめでたいとして、継豊の書面を承知したと述べる。その紙面の趣を言上した旨を、紙面趣及言上候と知らせる。樽肴の献上・披露を記す同日付No.860・861と同じ年始の往復に並ぶが、本書に…
追録5-No.863 近衛内前書状
近衛内前が二月十三日、薩摩少将重年へ、営中へ使者を進める機会に一翰を寄せると述べ、青陽の賀儀を重ねて祝う。いよいよ平安であるべきことを伝え、こちらに異状はなく、目録のとおりの品を贈る旨を記す。本文は「乃如目録令贈興之候也」とし、贈答の向きは近衛から重年への贈与である。近衛内前の名は注記にあり、花押N…
追録5-No.864 松平武元書状
松平右近将監武元が二月二十日、松平薩摩守重年へ、歳暮の御内書を渡すため、明日の五半時に家来を御城へ差し出すよう指示する。重年公御譜中・正文在文庫の注記を持ち、御内書そのものではなく受け渡しの時刻と使いの登城を通知する書状である。登城するのは重年本人でなく家来であり、その名は記されない。歳暮祝儀の御内…
追録5-No.865 松平武元書状
松平右近将監武元が二月二十三日、松平大隅守継豊へ、三御所がいよいよ御機嫌よいことを喜ぶ書状に返答する。継豊が歳暮祝儀として時服と御肴を拝領し、大御所からも御肴を下されたことを重ねて有難く思う旨を承知したと述べる。その紙面の趣を各人と相談して上聞したと通知する。拝領物は時服と御肴と記され、数量は示され…
追録5-No.866 秋元凉朝書状
秋元但馬守凉朝が二月二十三日、松平大隅守継豊へ、三御所の御機嫌を喜ぶ書状に返答する。歳暮の祝儀として時服・御肴を拝領し、大御所からも御肴を拝領したことを重ねて有難く思う旨を承知し、紙面の趣を言上したと伝える。今上として前の松平書状と同じ用件を受けるが、本書には各人との相談という文言はない。
追録5-No.867 西尾忠尚書状
西尾隠岐守忠尚が二月二十三日、松平大隅守継豊へ、三御所がいよいよ御機嫌よいことと、歳暮祝儀の時服・御肴拝領を喜ぶ書状に返答する。大御所から御肴を下されたことも含め、重ねて有難く思う旨を承知し、紙面の趣を言上したと通知する。
追録5-No.868 本多正珍書状
本多伯耆守正珍が三月十六日、松平大隅守継豊へ、公方がいよいよ御機嫌よく、正月十日に東叡山の御霊屋へ参詣したことを継豊が聞き喜んだ旨に返答する。継豊の紙面の趣を各人と相談して上聞したと知らせる。継豊公御譜中・正文在文庫の注記があり、上聞を終えたことを伝える。霊屋の祭祀対象や参詣目的は本文に明記されない…
追録5-No.869 本多正珍書状
本多伯耆守正珍が三月十八日、松平大隅守継豊へ、三御所の御機嫌を喜ぶ書状に返答する。正月十二日に竹姫が入った際、菊事御懇の上意があり、三御所から拝領物、五十宮から贈物があったこと、さらに公方から同氏薩摩守重年にも拝領物があったことを挙げる。重ねて有難く思う旨を承知し、紙面の趣を各人が一覧したと通知する…
追録5-No.870 秋元凉朝書状
秋元但馬守凉朝が三月十八日、松平大隅守継豊へ、三御所の御機嫌を喜ぶ書状に答える。竹姫の正月十二日入節の際の菊事御懇の上意、三御所の拝領物、五十宮からの贈物、公方から同氏薩摩守重年への拝領物について、継豊が重ねて有難く思う旨を受け、紙面を承知したと述べる。前の本多書状と同じ用件でも、本書には各人の一覧…
追録5-No.871 西尾忠尚書状
西尾隠岐守忠尚が三月十八日、松平大隅守継豊へ、三御所の御機嫌と竹姫の正月十二日入節に関する礼状に返答する。菊事御懇の上意、三御所の拝領物、五十宮の贈物、公方から同氏薩摩守重年への拝領物を列挙し、重ねて有難く思う紙面の趣を承知したと記す。五十宮には閑院宮の直仁親王の女である旨の割注を伴う。
追録5-No.872 島津継豊明細書
継豊公御譜中の明細書で、扣正文は文庫にあるという。枠内に本国薩摩、生国武蔵、上総入道の嫡子、従四位上中将、松平大隅守、未五十一と記す。継豊の本国・生国・続柄・官位・年齢を列記し、朱書で「写」と注す。作成年月日と宛先は記されない。
追録5-No.873 島津重年明細書
重年公御譜中の明細書で、扣正文は右筆所にあるという。枠内に薩摩国一円・大隅国一円・日向国の内、高六十万五千石余、外に琉球国十二万三千七百石と記す。本国薩摩、養父薩摩守、実父大隅守、従四位下少将、松平薩摩守、未二十三、生国薩摩、居城薩州鹿児島も列記する。左注は明細書改めに際し家督・隠居各一枚を大目付能…
追録5-No.874 継豊公御譜中の記事
継豊公御譜は、継豊が前年に当年夏まで国許で療養する恩免を受けていたが、宿痾がまだ癒えていなかったと記す。寛延四年四月十一日、重年が執政に申し入れ、継豊の参府の期を来年夏まで緩めるよう願った経緯を述べ、左に載せる願書を参照させる。出典は継豊公御譜中である。
追録5-No.875 島津重年願書
松平薩摩守重年が四月十一日、養父薩摩守から願った同氏大隅守継豊の療養について、幕府に参府延期を求める。継豊は多年病気のため国元で入湯養生し、巳年に御暇を受けたが、依然回復せず、今年夏の参府予定にも従えないという。歩行が難しく、当分は乗輿・乗船もできず長途の旅行が困難であるため、来年夏まで御暇を許され…
追録5-No.876 重年公御譜中の記事
寛延四年四月十三日、家重の使者本多伯耆守正珍が芝邸へ来て、重年の襲封後初の帰国を告げ、紗綾三十巻・白銀百枚を賜った記事。同日、吉宗の使者西尾隠岐守忠尚から縮緬二十巻、家治からも忠尚を使者として紗綾二十巻を賜り、重年は三御所の執政各位の宅で謝礼した。十五日には登城し、黒書院で家重・家治に拝謁して賜物の…
追録5-No.877 連署書状
松平右近将監・本多伯耆守・酒井左衛門尉・堀田相模守が四月十四日、松平薩摩守重年へ、翌日の五半時に登城し、御暇の御礼を申し上げるよう通知する。各人の官名だけを署し、正文在文庫の注を持つ。翌十五日の登城礼を記すNo.876の記事と日付がつながり、帰国許可に伴う謝礼のための登城指示である。目録は堀田正亮外…
追録5-No.878 登城令書
正文在文庫と注する短い通知で、家来一人の御目見が仰せ付けられたため、その家来を召し連れて出るよう指示する。本文には家来の氏名、個別宛名、日付、差出人署名を記さない。目録は登城令書とする。前の四月十四日付No.877の登城指示と並び、No.876には翌十五日に平田靭負正輔が重年に従って登営し両公へ拝謁…
追録5-No.879 島津重年願書
松平薩摩守重年が四月十九日、堀田相模守・酒井左衛門尉・本多伯耆守・松平右近将監へ、御暇を受けて国元へ帰るに当たり養子を認めるよう願う。まだ男子がなく、在国中に不慮のことがあれば家の跡を継ぐ者が必要であるため、国元にいる私弟鶴津木工が今年二十歳になったことを述べ、この者を養子として跡職を相違なく継がせ…
追録5-No.880 重年公御譜中の行程記事
四月二十三日、重年が襲封後初の帰国許可を受け、家老義岡相馬久中・鎌田典膳政昌、側用人二階堂林左衛門行通、表用人伊集院十蔵久東、近習役福山平太夫安都・河野安之右衛門通古らと江戸芝邸を発った記事。伊勢路を経て五月十日に伏見、十二日に京都錦小路の假館へ入り、先例に従って松平豊後守資訓の第で将軍家の安否を問…
追録5-No.881 秋元凉朝書状
秋元但馬守凉朝が四月二十五日、松平大隅守継豊へ、大納言家治が御機嫌よく、二月二十六日に東叡山の至心院霊前へ参詣したことへの継豊の祝意に答える。参詣の件を聞き喜ぶ旨を受け、紙面の趣を言上したと知らせる。至心院には「家治母、梅溪氏」の割注がある。継豊公御譜中・正文在文庫の注、秋元署名、継豊宛名を備える。
追録5-No.882 徳川家重御内書
家重が五月四日、松平大隅守継豊へ、端午の祝儀として帷子・単物が到来し喜んで見たと伝える御内書である。詳しいことは酒井左衛門尉から述べさせると結び、家重公墨印を伴う。継豊公御譜中・正文在文庫の注を持ち、継豊の進物に対する受領の通知である。本文には進物の数量を記さない。同日付の次項は大納言家治への献上を…