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追録5の目録

暫定版です。原文との照合により、概要や文書の区切り等を修正する場合があります。

全2,955件中 1801~1900件・19 / 30ページ

  1. 追録5-No.1759 瀬やま外四名連署消息

    松しま・岩はし・うら尾・さえた・瀬やまが、継豊の十月二十一日付書状に返答する。公方・大納言・御簾中の機嫌がよいことを知らせ、若年の又三郎の国許へ目付として京極兵部・青山七右衛門を派遣するとの命令を継豊がありがたく受け止めていることを承知する。その謝意を、書状どおり大納言・御簾中へ取り次いだと伝える。

  2. 追録5-No.1760 高橋種寿在国家老首尾書

    高橋縫殿種寿が十一月二十五日、江戸二家老へ国目付二名の国元での旅宿と見分の準備を相談する。春屋内の旅宿を御用掛相良彌一兵衛・宮之原宇右衛門らと調え、加治木屋敷・禰寝孫左衛門屋敷も候補としたが、作事に時間がかかり、来る正月末から二月初めの出立予定に備えて早い指示を求める。享保二年の巡見使以来の先例を挙…

  3. 追録5-No.1761 島津久郷・伊集院久東在府家老連署返書

    島津主鈴久郷・伊集院十蔵久東による翌年正月五日付の朱書き返答。国目付の旅宿・御用掛・作事の相談を承知し、別紙で指示を送るとして、番頭を同役に付け、旅宿は御春屋内とする旨を伝える。山ヶ野金山の今回の見分について問い、錫山は先年の上使による見分がなかったこと、芹ヶ野は名目だけとの届出で済ませる相談を伝え…

  4. 追録5-No.1762 忠洪、女御入内ニツキ賀使ヲ派ス(記事)

    宝暦五年十一月二十六日、女御の入内に際し、忠洪が祝賀の使者を京師へ遣わした記事。元注は女御を一条故関白兼香公の女とする。女御へ太刀一腰・馬代金三枚、禁裏御所へ白銀二十枚を献上した。末尾の注には、女御の月日と使者名は今では考証できないとの留保を付す。出典は重豪公御譜。

  5. 追録5-No.1763 菊姫嫁ス(記事)

    菊姫を筑前福岡城主松平筑前守継高の嫡男松平修理大夫重政へ嫁がせることは、それ以前に幕府の許可を得ていた。宝暦五年十二月七日、菊姫が本文の「芝守殿」から溜池邸へ嫁入りし、婚礼を整えて成婚した記事。配偶偶にはママの注、于歸にはユイナノトキの読みを付す。出典は継豊公御譜。

  6. 追録5-No.1764 島津久亮外四名在国家老連署書状

    島津圖書・島津主殿・義岡相馬・鎌田典膳・高橋縫殿が十二月十五日、江戸二家老へ太守の縁談について連絡する。継豊の意向を求原とのに伝え、御守殿の同意を松島への書状で知らせた経過を承知し、御守殿の年寄や若御年寄、御部屋の年寄、御女中から御目付以下へも同じ内容を伝えるよう求める。継豊の喜びと婚礼・御地の相談…

  7. 追録5-No.1765 西尾忠尚書状

    西尾隠岐守忠尚が十二月十八日、東叡山への参詣を知らせた礼状に返答する。公方の機嫌がよいことを知らせ、十月二十四日に東叡山の深徳院の霊前へ参詣したことを承知する。書状の趣旨を申し合わせて上聞したと通知する。

  8. 追録5-No.1766 西尾忠尚書状

    西尾隠岐守忠尚が十二月十八日、松平大隅守継豊の礼状に返答する。寒中の公方・大納言の機嫌を尋ねたことについて、両者とも無事であると伝える。献上された鯛一箱を申し合わせて披露し、たいへんよい献上であったと通知する。

  9. 追録5-No.1767 秋元凉朝書状

    秋元但馬守凉朝が十二月十八日、松平大隅守継豊の礼状に返答する。寒中の公方・大納言の機嫌を尋ねたことについて、両者とも無事であると伝える。献上された鯛一箱を披露し、たいへんよい献上であったと通知する。

  10. 追録5-No.1768 西尾忠尚書状

    西尾隠岐守忠尚が十二月十八日、松平又三郎忠洪へ蜜柑一箱・炙鮎一箱の献上について返答する。今朝の献上品を披露したところ、たいへんよい献上であったと通知する。

  11. 追録5-No.1769 秋元凉朝書状

    秋元但馬守凉朝が十二月十八日、松平又三郎忠洪へ蜜柑一箱・炙鮎一箱の献上について返答する。今朝の献上品を披露したところ、たいへんよい献上であったと通知する。

  12. 追録5-No.1770 徳川家重御内書

    将軍家重が十二月二十七日、松平大隅守継豊へ歳暮の祝儀の小袖一重を受け取った喜びを伝える御内書。詳しくは松平右近将監武元が述べると知らせる。家重の黒印を付す。

  13. 追録5-No.1771 秋元凉朝書状

    秋元但馬守凉朝が十二月二十七日、松平大隅守継豊へ歳暮の祝儀の献上について返答する。使者が届けた小袖一重を披露し、たいへんよい献上であったと通知する。

  14. 追録5-No.1772 秋元凉朝書状

    秋元但馬守凉朝が十二月二十七日、松平又三郎忠洪へ歳暮の祝儀の献上について返答する。使者が届けた小袖一重を披露し、たいへんよい献上であったと通知する。

  15. 追録5-No.1773 島津忠洪吉書

    正月元日付、忠洪の判を付した吉書。長生殿で春秋に富み、不老門の前で日月が遅く進むとの長寿の祝句に、「君か代はちよにや千世にさゝれ石のいはほとなりて苔のむすまて」の和歌を添える。小字に忠洪が後の島津重豪である旨と花押を示す。

  16. 追録5-No.1774 島津久郷・伊集院久東在府家老連署書状

    島津主鈴・伊集院織部が正月五日、国元の五家老へ御旅宿絵図の手直しと手配を求める。昨年十二月五日の飛脚で受け取った絵図を同月二十四日に岩下佐次右衛門が兵部・七右衛門へ提出すると、家中の誰の屋敷かと問われ、家来小屋を描かないのは不備であるとして、以前の巡見上使の居所や家作も尋ねられたと報告する。同月二十…

  17. 追録5-No.1775 島津久亮外四名在国家老連署返書

    島津圖書ら国元の五家老が二月十一日、島津主鈴・伊集院織部の御旅宿絵図についての書状に返答する。継豊に内容を伝え、指定された押札どおりに居所を定め、家来小屋も押札に従って手当てするよう申し渡したと報告する。このように改めれば、先方から示された期限どおりに整う見込みと答える。

  18. 追録5-No.1776 本多正珍書状

    本多伯耆守正珍が正月七日、松平大隅守継豊へ若菜の祝儀の献上について返答する。鯛一折を披露したところ、たいへんよい献上であったと通知する。

  19. 追録5-No.1777 秋元凉朝書状

    秋元但馬守凉朝が正月七日、松平大隅守継豊へ若菜の祝儀の献上について返答する。鯛一折を披露したところ、たいへんよい献上であったと通知する。

  20. 追録5-No.1778 本多正珍書状

    本多伯耆守正珍が正月七日、松平又三郎忠洪へ若菜の祝儀の献上について返答する。鯛一折を披露したところ、たいへんよい献上であったと通知する。

  21. 追録5-No.1779 秋元凉朝書状

    秋元但馬守凉朝が正月七日、松平又三郎忠洪へ若菜の祝儀の献上について返答する。鯛一折を披露したところ、たいへんよい献上であったと通知する。

  22. 追録5-No.1780 忠洪、初メテ吉書式ヲ行フ(記事)

    前年宝暦五年秋七月に忠洪が襲封し、宝暦六年正月十一日、旧章に従って江戸芝邸で右筆に命じ、初めて吉書の儀式を行った記事。花押は手ずから書く慣例であるが、幼少のため今回は行わないとする元注を伴う。以後は国元・江戸のどちらにいても毎年この式を行い、繰り返し記録しないとする。出典は重豪公御譜。

  23. 追録5-No.1781 島津忠洪吉書

    忠洪の正月十一日付吉書。神社仏閣の修造を興し行うこと、専ら農事を勧めること、国々の年貢を徴収することの三条を掲げる。この三条について取り計らうよう命じ、末尾に忠洪と署す。

  24. 追録5-No.1782 堀田正亮外四名幕府老中連署書状

    西尾隠岐守忠尚・松平右近将監武元・本多伯耆守正珍・酒井左衛門尉忠寄・堀田相模守正亮が正月十二日、松平大隅守継豊へ年頭の祝儀の献上について返答する。使者が届けた太刀一腰・馬代黄金十両を披露し、たいへんよい献上であったと通知する。

  25. 追録5-No.1783 秋元凉朝書状

    秋元但馬守凉朝が正月十二日、松平大隅守継豊へ年頭の祝儀の献上について返答する。使者が届けた太刀一腰・馬代黄金十両を披露し、たいへんよい献上であったと通知する。

  26. 追録5-No.1784 本多正珍書状

    本多伯耆守正珍が正月十二日、松平又三郎忠洪へ年頭の祝儀の献上について返答する。使者が届けた太刀一腰・馬代黄金十両を披露し、たいへんよい献上であったと通知する。

  27. 追録5-No.1785 秋元凉朝書状

    秋元但馬守凉朝が正月十二日、松平又三郎忠洪へ年頭の祝儀の献上について返答する。使者が届けた太刀一腰・馬代黄金十両を披露し、たいへんよい献上であったと通知する。

  28. 追録5-No.1786 継豊、御鷹ノ鶴ヲ拝領ス(記事)

    宝暦六年正月十五日、家重が鷹狩りで得た鶴一隻を継豊へ賜り、老中が奉書を添え、本多伯耆守正珍が駅路の証印を発給した記事。家臣佐多休左衛門直矩・丹生彌兵衛恒道と歩士十二人・軽卒六人が護送に当たり、その日に芝邸を出て、東海・山陽・西海の駅路を経て二月十五日に鹿府四配亭へ到着し、継豊が拝領した。同日、矢野清…

  29. 追録5-No.1787 堀田正亮外四名幕府老中連署書状

    西尾忠尚・松平武元・本多正珍・酒井忠寄・堀田正亮が正月十五日、松平大隅守継豊へ公方・大納言の機嫌がよいことを知らせる。あわせて、御鷹の鶴を拝領したので宿次で送り届けると通知する。

  30. 追録5-No.1788 本多正珍宿次証文

    本多伯耆守の印を付した正月十五日付の宿次証文。状箱と鶴壺を江戸から薩州鹿児島の松平大隅守の所へ届け、届いたことを示す返札が来たら、江戸の月番老中へ急ぎ持参するよう命じる。末尾は「右宿中」とする。

  31. 追録5-No.1789 瀬やま外四名連署消息

    松しま・岩はし・うら尾・さえた・瀬やまが、継豊の十二月二十一日付書状に返答し、公方・大納言・御簾中の機嫌がよいことを知らせる。菊姫の婚姻に際して十一月二十一日に御簾中から竹姫へ色綸子が贈られ、継豊がありがたく受け止めていることを承知する。書状の趣旨を取り次いだと伝える。

  32. 追録5-No.1790 継豊、国目付両使ヲ厚遇ス(記事)

    国目付の二使への接遇を記す記事で、正月二十二日の禰寝孫左衛門の若年寄への改称、二十五日の芝邸での二使饗応を述べる。二使は四月五日に出立して五月二十三日に鹿府へ着き、継豊・忠洪からそれぞれ太刀一腰・馬代金一枚・二種各千疋などを贈られた。六月には登城、先公小祥での福昌寺進香と接伴を受け、七月以降は谷山・…

  33. 追録5-No.1791 信證院、薩府ニ逝去ス(記事)

    綱貴の継室信證院は、旧病の疝積で寝食が安定せず、老病も日ごとに進み、薬による療治も効かなかったため、宝暦六年正月晦日に鹿府武亭で九十三歳で没した。法名は信證院殿壽國總守元持大禪尼と記す。二月二日夜に納棺し、三日夜に武亭を出て壽國寺へ葬り、同寺の大濤和尚が引導を勤めた。忠洪の代わりに島津出雲久定が霊牌…

  34. 追録5-No.1792 島津久馬外二名在国家老連署書状

    高橋縫殿・鎌田典膳・島津主殿が正月晦日、島津主鈴・伊集院織部へ信證院の病状と同日七ツ時の死去を急飛脚で知らせ、忠洪の忌服と継豊の十日間の内慎み、届出の首尾を問い合わせる。国元では鳴物・遊興を七日、普請・漁猟を三日停止し、立髪・月代等の取扱いと江戸・京都・大坂屋敷の慎みを示して、遺骸は寿國寺へ納め法名…

  35. 追録5-No.1793 島津久郷・伊集院久東在府家老連署返書

    島津主鈴・伊集院織部が二月二十九日、国元三家老の信證院死去を報じた書状に返答し、飛脚と添書・日積・途中書状を受け取ったと知らせる。忠洪は三日、継豊は十日の内慎みとし、公儀への届出は二十六日に留守居が堀田相模守から内意を得たと記して、首尾書・届書の別紙を送る。名書帳と届書写は留め置き、隠岐守方には使者…

  36. 追録5-No.1794 堀田正亮書状

    堀田相模守正亮が二月六日、松平大隅守継豊へ改年の慶賀について返答し、公方・大納言の機嫌がよいことを知らせる。年始の規式を済ませたとの報告を承知し、継豊が献じた樽肴の件をそれぞれ披露したと伝える。

  37. 追録5-No.1795 秋元凉朝書状

    秋元但馬守凉朝が二月六日、松平大隅守継豊へ改年の慶賀について返答し、公方・大納言の機嫌がよいことを知らせる。年始の規式を済ませたとの報告を承知し、継豊が献じた樽肴の件を披露したと伝える。

  38. 追録5-No.1796 継豊、女御入内ヲ慶賀ス(記事)

    宝暦六年二月十一日の記事。一条関白道香の令妹佐保君が女御となり、前年十一月二十六日に入内の礼を成したことを受け、継豊が使者を東都へ遣わして慶賀した。佐保君には選子女との元注を付す。継豊は執政を通じて家重・家治へ奉書を呈し、女御入内の祝いを申し述べた。出典は継豊公御譜。

  39. 追録5-No.1797 堀田正亮書状

    堀田相模守正亮が二月十一日、松平大隅守継豊へ公方・大納言の機嫌がよいことを知らせる。前年冬の女御入内を承知して使者を遣わした継豊の書状の趣旨を受け取り、それぞれ申し伝えて上聞に達したと返答する。

  40. 追録5-No.1798 秋元凉朝書状

    秋元但馬守凉朝が二月十一日、松平大隅守継豊へ公方・大納言の機嫌がよいことを知らせる。前年冬の女御入内を承知して使者を遣わした継豊の書状の趣旨を受け取り、その内容を言上したと返答する。

  41. 追録5-No.1799 瀬やま外四名連署消息

    松しま・岩はし・うら尾・さえた・瀬やまが、継豊の正月十五日付書状に返答し、公方・大納言・御簾中の機嫌がよいことを知らせる。菊姫の婚姻に際する継豊の献上品と、使者春井への拝領物について、継豊がありがたく受け止めていることを承知し、書状の趣旨をよろしく伝えると述べる。

  42. 追録5-No.1800 高橋種寿書状

    高橋縫殿が二月十一日、島津主鈴・伊集院織部へ信證院の葬送と法要を報告し、忌服人数と法名の取扱いを照会する。二日に入棺、三日夜に寿國寺へ移し、八日夜五ツ時に葬送して、忠洪の焼香名代・位牌奉守に島津圖書、継豊の焼香名代に義岡相馬を立て、役人・一門らが代香・見送りに参列したと伝える。寿國寺の霊屋は建てず、…

  43. 追録5-No.1801 島津久郷・伊集院久東在府家老連署返書

    島津主鈴・伊集院織部が三月八日、高橋縫殿の信證院葬送報告に朱書で返答する。葬送・焼香・位牌奉守を伝達し、忌服人数の別紙を留め置き、法名は御前に差し上げ、麻布・桜田屋敷と隠岐守方へも送ったと答える。中陰の慎みを伝達し、菊姫方への書状を披露して別封の書状で知らせ、隠岐守方への書状を届け、名書帳二冊・書付…

  44. 追録5-No.1802 堀田正亮書状

    堀田相模守正亮が二月十九日、松平大隅守継豊へ公方・大納言の機嫌がよいことを知らせる。歳暮の祝儀として時服と肴を拝領し、ありがたく受け止めているとの継豊の書状の趣旨を、それぞれ申し伝えて上聞に達したと返答する。

  45. 追録5-No.1803 秋元凉朝書状

    秋元但馬守凉朝が二月十九日、松平大隅守継豊へ公方・大納言の機嫌がよいことを知らせる。歳暮の祝儀として公方から時服と肴を拝領し、ありがたく受け止めているとの継豊の書状の趣旨を言上したと返答する。

  46. 追録5-No.1804 島津忠洪伺書

    松平又三郎忠洪が二月二十六日、国目付が国許に滞留する間、各人へ分限の半物成を贈りたいと御用番堀田相模守へ願い出る。留守居岩下佐次右衛門に提出させ、二十八日に佐久間源太夫から付紙の「伺之通」との回答を受け、当日に国元の使者へ伝えたという。前年、松平加賀守の国許へ目付が赴いた際にも同様の半物成を贈った先…

  47. 追録5-No.1805 島津久郷・伊集院久東在府家老連署書状

    島津主鈴・伊集院織部が二月二十九日、島津圖書・島津主殿・義岡相馬・鎌田典膳へ、信證院死去に伴うお栄様への見舞いと贈物・香奠の手配を依頼する。忠洪の見舞使として中野織右衛門を口上書とともに遣わし、菓子一箱を国元で調達して進め、継豊の御内からの夜食・麺類や近習役の贈物も相談するよう求める。姫君の菓子と香…

  48. 追録5-No.1806 島津久亮外四名連署返書

    島津久亮ら(目録では五名)が四月二十八日、島津主鈴・伊集院織部の書状へ朱書で返答し、見舞使と贈物の手配結果を知らせる。織右衛門は三月二十日に到着し翌日に下屋敷へ参上して口上を伝え、菓子一箱を進め、継豊の御内からの夜食・贈物も届けたと報告する。姫君のお栄様への菓子は二階堂林左衛門を使者として進め、香奠…

  49. 追録5-No.1807 松平武元書状

    松平右近将監武元が三月十九日、松平大隅守継豊へ公方の機嫌がよいことを知らせる。正月二十日の東叡山御霊前参詣について継豊が喜んでいるとの書状を受け、その趣旨をそれぞれ申し伝えて上聞に達したと返答する。

  50. 追録5-No.1808 島津忠洪願書

    松平又三郎忠洪が三月二十二日、継豊が宿次の奉書と御鷹の鶴を拝領したことへの礼として、使者島津市太夫から献上品を差し出したいと願い出る。使者に御目見と献上を許し、忠洪自身も礼を申し上げて献上できるよう、先例のとおりに取り扱ってほしいと求める。

  51. 追録5-No.1809 秋元凉朝書状

    秋元但馬守凉朝が三月二十五日、松平大隅守継豊へ大納言の機嫌がよいことを知らせる。正月二十六日の東叡山至心院御霊前への参詣について継豊が喜んでいるとの書状を受け、その趣旨を言上したと返答する。至心院には「家重妾、梅溪氏」の注がある。継豊公御譜に収められ、正文在文庫と記す。

  52. 追録5-No.1810 高橋種寿書状

    高橋縫殿が三月二十五日、島津主鈴・伊集院織部へ信證院の石塔完成と法要の執行を報告する。十四日に遺髪を納めて開眼供養を行い、忠洪の代参に島津出雲久定、継豊の代参に禰寝式部を立て、お栄・お嘉久・おとめの代参も納殿役人に命じて滞りなく済んだと伝える。四十九日と百箇日を合わせ、十八日に寿國寺で法要を行い、忠…

  53. 追録5-No.1811 島津久郷・伊集院久東在府家老連署返書

    島津主鈴・伊集院織部が四月二十一日、高橋縫殿の信證院石塔供養・法要報告に朱書で返答し、内容を承知して継豊へ伝えたと知らせる。香奠銀を献納する人数に自分たちを加えてもらったことも承知したと答える。

  54. 追録5-No.1812 今帰仁朝義琉球王子起請文前書

    今帰仁王子朝義が、前年に北谷王子の跡役に任じられたことを受け、忠洪・継豊に反意を持たず忠義を尽くすと誓う神文の前書。琉球国王を疎略にせず、国中と属島の政道を正しく行い、国法に背くことをせず、悪逆の者がいれば披露すると述べる。国中が同意しても自分は悪逆に加わらず、自身への嫌疑があれば速やかに吟味して明…

  55. 追録5-No.1813 松平武元書状

    松平右近武元が三月二十九日、松平又三郎方の留守居へ、継豊の御鷹の鶴拝領に対する礼使者について知らせる。島津市太夫を明朝五時に登城させ、忠洪自身の礼も申し上げてよいと伝える。

  56. 追録5-No.1814 西尾忠尚書状

    西尾隠岐守忠尚が四月三日、松平大隅守継豊へ公方・大納言の機嫌がよいことを知らせる。二月朔日に竹姫が入った際、菊が召し連れられて懇ろな上意と公方・大納言・御簾中からの拝領物を受けたことをありがたく思っているとの継豊の書状を受け、その趣旨をそれぞれ一覧したと返答する。

  57. 追録5-No.1815 秋元凉朝書状

    秋元但馬守凉朝が四月三日、松平大隅守継豊へ公方・大納言の機嫌がよいことを知らせる。二月朔日に竹姫が入った際、菊が召し連れられて懇ろな上意と公方・大納言・御簾中からの拝領物を受けたことへの謝意を承知し、継豊の書状の趣旨を受け止めたと返答する。

  58. 追録5-No.1816 西尾忠尚書状

    西尾隠岐守忠尚が四月三日、松平大隅守継豊へ公方の機嫌がよいことを知らせる。正月晦日の増上寺御霊屋への参詣について継豊が喜んでいるとの書状を受け、その趣旨をそれぞれ申し伝えて上聞に達したと返答する。

  59. 追録5-No.1817 伊集院久東書状

    伊集院織部が四月五日、国元四家老へ国目付京極・青山両使の出立と道中手配を報告し、継豊への伝達と必要な手配の指示を求める。三月二十九日に岩下佐次右衛門を呼んで書付を渡し、両使が四月五日朝六ツ時に発ち、佐次右衛門・佐久間新左衛門・堀孫太夫、医師三人らを同行させたと知らせる。御用番西尾隠岐守への届出、品川…

  60. 追録5-No.1818 島津久亮外三名在国家老連署返書

    島津久亮ら国元四家老が六月七日、伊集院織部からの国目付両使の出立・道中手配の報告に朱書で返答する。内容を承知して継豊へ伝えたことを知らせ、添付された諸書付を国元で控え置くと答える。

  61. 追録5-No.1819 高橋種寿申渡書

    高橋縫殿が四月、信證院の武屋敷と田上川原屋敷について役人への申渡しを記す。武屋敷は先年に慈徳院へ進めたもので、田上川原屋敷とともに信證院の死去により忠洪の所持となったが、忠洪から継豊へ家作ごと進めるとする。役人へこの旨を伝えるよう命じ、宮之原才右衛門へ承知の旨を伝えた報告や、継豊へ屋敷を進めたことを…

  62. 追録5-No.1820 高橋種寿同書

    高橋縫殿が四月、信證院の仏餉料を霊龍院と同じ米六石・文銀十五枚とし、瑞仙院・智光院の仏餉料や他の位牌の取扱いにも触れる。福昌寺・浄光明寺では霊膳などを一同に整え、寿國寺でも定めのとおりに渡すとする。信證院の生前、寿國寺の牌料や仏前の入料として寺社奉行支配で古銀十貫目を渡していたことを述べ、その中から…

  63. 追録5-No.1821 伊地知季置書状

    伊地知嘉右衛門が四月六日、信證院の仏餉料に関する通達への問い合わせについて、そのとおりに仰せ付ける旨の御意があったと伝える。原本では米六石・文銀十五枚などを記す高橋縫殿の申渡しに朱書で付され、伊地知を御取次とする。

  64. 追録5-No.1822 西尾忠尚書状

    西尾隠岐が四月六日、松平又三郎方の留守居へ、島津市太夫を明日四時に登城させるよう通知する。使者は島津久隆と原注に記される。

  65. 追録5-No.1823 堀田正亮外四名幕府老中連署状

    西尾忠尚・松平武元・本多正珍・酒井忠寄・堀田正亮が四月七日、松平大隅守継豊へ公方・大納言の機嫌がよいことを知らせる。宿次の奉書と御鷹の鶴の拝領に対する礼として、島津市太夫が献じた樽肴を披露し、御前に召し出されたことを、喜ばしいこととして伝える。

  66. 追録5-No.1824 秋元凉朝書状

    秋元但馬凉朝が四月八日、松平又三郎方の留守居へ、島津市太夫を明朝五時に自分の屋敷へ来させるよう通知する。

  67. 追録5-No.1825 秋元凉朝書状

    秋元但馬守凉朝が四月九日、松平大隅守継豊へ公方・大納言の機嫌がよいことを知らせる。宿次の御鷹の鶴の拝領に対する礼として島津市太夫が献じた樽肴を披露し、御前に召し出されたことを、喜ばしいこととして伝える。

  68. 追録5-No.1826 岩下方峯・佐久間村央連署書状

    岩下佐次右衛門・佐久間新左衛門が四月十六日、相良一兵衛・名越左源太へ国目付両使の道中応接を報告する。四月五日の江戸出立後、戸塚などで樽・鯛・菓子を贈り、家老家の祝儀や使者を取り次ぎ、両使と用人・医師への酒肴・餅・なからめ・塩鳥などの進物を記す。伏見では音物の品員と宿泊を調整し、十七日に川を下る際の書…

  69. 追録5-No.1827 岩下方峯・佐久間村央連署書状

    岩下佐次右衛門・佐久間新左衛門が四月十六日、相良一兵衛・名越左源太へ、国目付が領内の町店や人々の家業を見たいと望んでいることを伝える。店の売物を出さないよう命じた先の扱いを改め、平常どおりの商売品を見せ、鹿児島へ到着するまでの手配を知らせるよう求める。草津で京極兵部から領内の支度を尋ねられたが詳しく…

  70. 追録5-No.1828 秋元凉朝書状

    秋元但馬守凉朝が四月十九日、松平大隅守継豊へ大納言の機嫌がよいことを知らせる。二月二十六日の東叡山至心院御霊前への参詣について継豊が喜んでいるとの書状を受け、その趣旨を言上したと返答する。至心院には「家重妾、梅溪氏」の注がある。継豊公御譜に収められ、正文在文庫と記す。

  71. 追録5-No.1829 島津忠洪願書

    松平又三郎忠洪が四月十九日、同氏の大隅守継豊は長年病気で、国許で入湯して療養していると説明する。当夏に参府するはずであったが、今も長途の旅行が難しいため、来夏まで在国して養生できるよう願い出る。付紙に「可為願之通」とあり、願いのとおり認める旨を記す。

  72. 追録5-No.1830 西尾忠尚書状

    西尾隠岐守忠尚が四月二十二日、松平又三郎忠洪へ、当朝献じた香具一箱と丸熨斗一箱をそれぞれ披露したと返答する。たいへんよい献上であったと伝える。

  73. 追録5-No.1831 秋元凉朝書状

    秋元但馬守凉朝が四月二十二日、松平又三郎忠洪へ、当朝献じた香具一箱と丸熨斗一箱をそれぞれ披露したと返答する。たいへんよい献上であったと伝える。

  74. 追録5-No.1832 幕府、国目付ヲ薩府ニ派ス(記事)

    前年宝暦五年九月二十二日、執政本多伯耆守正珍が台命を伝え、忠洪が幼年であるため、京極兵部高主・青山七右衛門成親を国目付として薩府へ派遣することを命じた記事。元注は高主を使番、成親を書院番とする。二人は宝暦六年五月十七日、肥後州から薩州出水へ入り、水引・山崎・加治木・重富などを経て、同月二十三日に鹿府…

  75. 追録5-No.1833 島津継豊達書写

    継豊が、又三郎の幼年により公儀から国目付が遣わされるため、国中の者は風俗を乱さず万事を慎むよう四月に命じる。細かな心得は家老が申し渡すので、堅く従うよう求める達書の写。

  76. 追録5-No.1834 高橋種寿外三名在国家老連署条書

    圖書・主殿・典膳・縫殿の四家老が四月、継豊の意向を守り、国目付に国の仕置を尋ねられる際は条目を忘れず、巡見中は丁重に跪拝して応対するよう条書で命じる。目付の家来にも非礼を避け、喧嘩・口論、小路での大声の雑談、夜行や辻立を禁じ、親兄弟・親類からも注意するよう求める。役人は礼儀を正し、足軽・人足の振る舞…

  77. 追録5-No.1835 徳川家重御内書

    家重が五月二日、松平大隅守継豊へ、端午の祝儀として帷子・単物が届き、喜んで見たと伝える御内書。詳しくは酒井左衛門尉が述べるとし、家重公の黒印を付す。

  78. 追録5-No.1836 秋元凉朝書状

    秋元但馬守凉朝が五月二日、松平大隅守継豊へ、端午の祝儀として使者を通じて帷子・単物を献上した件について返答する。それぞれ披露したことを伝え、たいへんよい献上であったと述べる。

  79. 追録5-No.1837 秋元凉朝書状

    秋元但馬守凉朝が五月二日、松平又三郎忠洪へ、端午の祝儀として使者を通じて帷子・単物を進上した件について返答する。それぞれ披露したことを伝え、たいへんよい献上であったと述べる。

  80. 追録5-No.1838 島津継豊書状

    継豊が五月二十一日、公方・大納言の機嫌がよいことを喜び、自身は病気がなお快方に向かわないと述べる。同氏又三郎が願い出たとおり、来夏まで国許に在って養生することを認められたと聞き、礼を述べる。堀田相模守・酒井左衛門尉・本多伯耆守・松平右近将監・西尾隠岐守と、大納言御方の秋元但馬守へ飛札で伝える。

  81. 追録5-No.1839 酒井忠寄書状

    酒井左衛門尉忠寄が五月二十二日、松平大隅守継豊の礼状を受け取ったと返答し、公方・大納言の機嫌がよいことを伝える。三月二十二日の御簾中の着帯を継豊が喜んでいる旨を承知し、書状の趣旨をそれぞれ申し合わせて上聞に達したと知らせる。

  82. 追録5-No.1840 秋元凉朝書状

    秋元但馬守凉朝が五月二十二日、松平大隅守継豊の礼状を受け取ったと返答し、公方・大納言の機嫌がよいことを伝える。三月二十二日の御簾中の着帯を継豊が喜んでいる旨を承知し、書状の趣旨を言上したと知らせる。

  83. 追録5-No.1841 本多正珍書状

    本多伯耆守正珍が六月十一日、松平大隅守継豊の礼状を受け取り、公方・大納言の機嫌がよいことを継豊が喜んでいる旨を承知したと返答する。四月八日の御曲輪内の出火が早く鎮まったことへの喜びも承知し、書状の趣旨をそれぞれ申し合わせて上聞に達したと知らせる。

  84. 追録5-No.1842 秋元凉朝書状

    秋元但馬守凉朝が六月十一日、松平大隅守継豊の礼状を受け取り、公方・大納言の機嫌がよいことを継豊が喜んでいる旨を承知したと返答する。四月八日夜の御曲輪内の出火が早く鎮まったことへの喜びも承知し、書状の趣旨を言上したと知らせる。

  85. 追録5-No.1843 忠洪、国目付両使ヲ饗応ス(記事)

    宝暦六年六月十一日、国目付二人が城内見分のため府城へ登った記事。一門の島津備中貴儔・島津周防忠紀、一族の島津出雲久定と、家老・若年寄・大目付・寺社奉行・勘定奉行・組頭・番頭・側用人・表用人・町奉行・近習役らが迎えた。二人を対面所へ招いて饗応し、貴儔が伴食した。両使は一門以下近習役以上の者へ酒一盃を賜…

  86. 追録5-No.1844 高橋種寿在国家老書状

    高橋縫殿が六月十四日、義岡相馬・伊集院織部へ、十一日の国目付二使の城内見分と招請が滞りなく済んだと報告する。当日九時過ぎに中段の塗籠・御庭を巡って定めた席次で着座し、物頭詰所の一番・二番・三番の蔵、櫓門と兵具を見分した後、唐門の階中程から高欄口の張出へ退出したと伝える。用人二人も十四日に城内を見分し…

  87. 追録5-No.1845 義岡久仲・伊集院久東在府家老連署返書

    義岡久仲・伊集院久東が七月二十一日、高橋縫殿の国目付見分・招請報告と次第書などを承知し、継豊へ伝えたと朱書で答える。竹千代誕生時、隅州が病中だったため慈徳院名代で老中を招請した先例を挙げ、隅州・慈徳院へ大目付以上の役人から書状で祝儀を申し上げ、その他の祝儀は不要とした扱いを説明する。今回の江戸では家…

  88. 追録5-No.1846 重年中陰ニ島津久峯・同久起祭文ヲ献ズ(記事)

    前年の重年の中陰に、島津杢久峯は病気であり、島津将監久起は江戸での役務に就いていたため、二人とも祭文を供えることができなかった。そこで宝暦六年夏の小祥の忌日に祭文を献じ、その二人の文を次に載せるという前置きの記事。出典は重年公御譜。

  89. 追録5-No.1847 島津久峯祭文

    島津杢久峯が六月十四日、圓徳院重年の小祥に献じた祭文。前年六月十六日に重年が江戸芝邸で亡くなり、八月二十一日に府下福昌寺へ葬られたことを述べる。久峯は病気がまだ癒えず自ら祭事に従えないため、藤原久金を代理として薄い供物と祭文を霊前に捧げる。韻文では主君の文武と恩徳を称え、壮年での死を悼み、墓前に赴け…

  90. 追録5-No.1848 島津久起祭文

    島津将監久起が、前年六月十六日に江戸芝邸で病没した圓徳院重年へ、宝暦六年六月十六日の一周年に献じた祭文。久起は当時江戸にいて葬儀に従えなかったことを述べ、供物を霊床に備える。韻文は重年の文武・威儀・仁政を称え、主君を失って今は誰を頼ればよいのかと嘆く。恩を忘れない思いを記し、霊の安らかな眠りを願う。

  91. 追録5-No.1849 忠洪、重年ノ遺物ヲ有司知己ニ贈呈ス/尚穆、重年ノ霊前ニ祭文・経典ヲ献ズ(記事)

    忠洪が宝暦六年夏、重年の遺物を大名・役人・島津家の人々に贈った記事。青貝の机一脚を尾張中納言宗勝、沈金の大重一組を水戸宰相宗翰、十躰和歌一冊を阿部伊勢守正意に贈り、ほかにも掛物・軸物・手鑑・香炉・瓶などを贈与先ごとに記す。忠洪は十五歳に唐金香爐一・掛物一幅を献じ、近衛前内公からは平松宰相時行を通じて…

  92. 追録5-No.1850 尚穆(琉球王)祭文

    琉球世子尚穆が圓徳院重年の霊へ捧げた祭文。前年六月十六日の江戸芝邸での死と八月二十一日の福昌寺への葬送を述べ、宝暦六年五月に使者を薩摩へ遣わし、八月十六日に書写した経全部と供物を霊前に供えたと記す。韻文では文武と徳を称え、朝廷も人々も悲しむこと、海を隔てて死を悼み追慕することを述べる。丁寧な祭礼と誠…

  93. 追録5-No.1851 監国使、城下東照宮等ニ初参ス(記事)

    宝暦六年六月十七日、国目付二人が初めて大雄山に参り、大権現宮の宝前にそれぞれ太刀一腰・馬代銀一枚を献納した。二人は御幣・神酒を拝戴したのち旅館へ帰った。同月二十日には初めて南泉院に参り、台徳院・大猷院・嚴有院・常憲院・文昭院・有章院・有徳院の尊霊牌へ香奠銀各一枚を献納した。書院で盛膳のもてなしを受け…

  94. 追録5-No.1852 本多正珍書状

    本多伯耆守正珍が六月二十五日、松平大隅守継豊の礼状を受け取ったと返答し、公方・大納言の機嫌がよいことを伝える。継豊の病気が今も快方に向かわないため、同氏又三郎が願い出たとおり、来夏まで国許に在って養生することを認められたとの謝意を承知する。書状の趣旨をそれぞれ一覧したと知らせる。

  95. 追録5-No.1853 秋元凉朝書状

    秋元但馬守凉朝が六月二十五日、松平大隅守継豊の礼状を受け取ったと返答し、公方・大納言の機嫌がよいことを伝える。継豊の病気が今も快方に向かわないため、同氏又三郎が願い出たとおり、来夏まで国許に在って養生することを認められたとの謝意を承知する。書状の趣旨を承知したと知らせる。

  96. 追録5-No.1854 本多正珍書状

    本多伯耆守正珍が六月二十五日、松平大隅守継豊の礼状を受け取り、公方の機嫌がよいことを伝える。四月二十日の東叡山御霊前への参詣を継豊が喜んでいる旨を承知し、書状の趣旨をそれぞれ申し合わせて上聞に達したと返答する。

  97. 追録5-No.1855 本多正珍書状

    本多伯耆守正珍が六月二十七日、松平大隅守継豊の礼状を受け取ったと返答する。厳しい暑さの折、公方・大納言の機嫌を継豊が尋ねた件について、ますます無事なので安心するよう伝える。あわせて献じられた鰹節一箱をそれぞれ申し合わせて披露し、たいへんよい献上であったと述べる。

  98. 追録5-No.1856 秋元凉朝書状

    秋元但馬守凉朝が六月二十七日、松平大隅守継豊の礼状を受け取ったと返答する。厳しい暑さの折、公方・大納言の機嫌を継豊が尋ねた件について、ますます無事なので安心するよう伝える。あわせて献じられた鰹節一箱をそれぞれ披露し、たいへんよい献上であったと述べる。

  99. 追録5-No.1857 本多正珍書状

    本多伯耆守正珍が六月二十七日、松平又三郎忠洪へ、当朝進上した琉球布一箱、砂糖漬天門冬一器、赤貝塩辛一器、琉球泡盛酒二壺をそれぞれ披露したと返答する。たいへんよい進上であったと伝える。

  100. 追録5-No.1858 秋元凉朝書状

    秋元但馬守凉朝が六月二十七日、松平又三郎忠洪へ、当朝進上した琉球布一箱、砂糖漬天門冬一器、赤貝塩辛一壺、琉球泡盛酒二壺をそれぞれ披露したと返答する。たいへんよい進上であったと伝える。