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追録5の目録

暫定版です。原文との照合により、概要や文書の区切り等を修正する場合があります。

全2,955件中 901~1000件・10 / 30ページ

  1. 追録5-No.883 松平武元書状

    松平右近将監武元が五月四日、松平大隅守継豊へ、端午の祝儀に大納言家治へ使者を通じ帷子・単物を献じた件に返答する。献上を披露して一段の御仕合であると通知する。使者名・品目数量は本文に記されない。前の家重御内書とは献上相手が異なり、次のNo.884は同日・同品の重年宛返書として、継豊宛の本書と区別する。

  2. 追録5-No.884 松平武元書状

    松平右近将監武元が五月四日、松平薩摩守重年へ、端午の祝儀に大納言家治へ使者を通じ帷子・単物を献じた件に答える。献上を披露して一段の御仕合であると知らせる。重年公御譜中・正文在文庫の注を持ち、「遂披露処」と記す。同日・同品のNo.883は松平大隅守継豊宛で、本書の重年宛名と区別する。

  3. 追録5-No.885 堀田正亮書状

    堀田相模守正亮が五月十八日、松平薩摩守重年へ、公方がいよいよ御機嫌よく、去月廿九日に増上寺の御霊屋へ参詣したことを重年が聞いて喜んだ旨に返答する。重年の紙面の趣を各人と相談して上聞したと通知する。

  4. 追録5-No.886 天罰霊社起請文前書

    座喜味親方盛秀が寛延四年辛未五月十八日、天罰霊社起請文の前書として誓約する。若輩ながら前年三司官役を仰せ付けられた恩に報い、御国許への奉公を心にかけると述べ、五箇条を掲げる。第一に重年・継豊へ疎意を持たないこと、第二に御国許からの諸事と条書を堅く守り悪意邪儀の者があれば披露すること、第三に国王へ別心…

  5. 追録5-No.887 堀田正亮書状

    堀田相模守正亮が五月廿二日、松平薩摩守重年へ、三御所の御機嫌を喜ぶ書状に返答する。当月二日に大納言家治が御袖留をしたことを聞き、重年がめでたいと思う旨を受け、紙面の趣を各人と相談して上聞したと伝える。袖留は五月二日、返書は五月廿二日で、同件の秋元・西尾返書とは差出人が異なる。

  6. 追録5-No.888 秋元凉朝書状

    秋元但馬守凉朝が五月廿二日、松平薩摩守重年へ、三御所の御機嫌と大納言家治の袖留を喜ぶ書状に答える。家治の袖留は当月二日のこととし、その段を聞いてめでたいと思う重年の紙面の趣を言上したと知らせる。今上として前書と同じ用件を記すが、本書には各人との相談を記さず、秋元一名の署名を持つ。

  7. 追録5-No.889 西尾忠尚書状

    西尾隠岐守忠尚が五月廿二日、松平薩摩守重年へ、三御所の御機嫌を喜ぶ書面に返答する。当月二日に大納言家治が御袖留をしたことを聞き、めでたいと思う旨を受け、紙面の趣を言上したと伝える。

  8. 追録5-No.890 徳川宗勝書状

    尾張中納言宗勝が五月廿二日、薩摩少将重年へ返答する。重年が道中無事で去る十四日に大坂へ到着したことを喜び、見舞いとして二種の品を贈られたこと、遠路から心遣いを受けたことに欣然の至りと述べる。自分も無事であると知らせて結ぶ。本文の二種饋給は重年から宗勝へ贈った見舞品への返礼であり、品目・各数量は記され…

  9. 追録5-No.891 堀田正亮書状

    堀田相模守正亮が六月朔日、松平薩摩守重年へ、御礼の書面を披見したとして返答する。公方が御機嫌よく、去月八日に東叡山の御霊前へ参詣したことを重年が聞き、喜んだ旨を承知したと述べる。紙面の趣を各人と相談して上聞したと伝え、恐々謹言と結ぶ。

  10. 追録5-No.892 島津久柄・島津久郷家老連署書状

    主殿久柄・主鈴久郷が六月六日、平田靭負正輔・市来左中政方へ、延岡領宮崎郡長峯村の百姓男女九十一人が先月七日に逃散し、同九日に穆佐へ入った件を知らせる。御目付藤野次兵衛・横目石川正右衛門を差し向け、十五日の報告を受けた後、穆佐からの書通と宮崎代官との対談により事情を調べた。前年の年貢取納が不適切だった…

  11. 追録5-No.893 義岡久中外二名家老連署返書(目録)

    延岡領長峯村百姓の逃散と帰参交渉に関する書状への朱書返答。本文に申し越された趣旨を承知した旨を述べ、以上と結ぶ。さらに、途中の御用が済めば、直ちに江戸へ差し越すよう付記する。日付は閏六月十一日で、義岡相馬久中・鎌田典膳政昌の二名を掲げ、「下」と記す。

  12. 追録5-No.894 本多正珍書状

    本多伯耆守正珍が六月十二日、松平大隅守継豊へ、三御所の御機嫌を喜ぶ書状に答える。同氏薩摩守重年が家督以後初めて御暇を受け、白銀・巻物を頂戴し、その上に御腰物・御馬を下され、大御所・大納言からも拝領物を受けたことを、継豊が重ねて有難く思う旨を承知したと述べる。紙面の趣を各人と相談して上聞したと通知する…

  13. 追録5-No.895 秋元凉朝書状

    秋元但馬守凉朝が六月十二日、松平大隅守継豊へ、三御所が御機嫌よく、同氏薩摩守重年が家督以後初めて御暇を得た件に答える。白銀・巻物、御腰物・御馬、大御所・大納言からの拝領物を挙げ、重ねて有難く思う継豊の紙面の趣を言上したと知らせる。

  14. 追録5-No.896 西尾忠尚書状

    西尾隠岐守忠尚が六月十二日、松平大隅守継豊へ、三御所の御機嫌と同氏薩摩守重年の家督後初の御暇を喜ぶ書面に返答する。白銀・巻物、御腰物・御馬、大御所・大納言からの拝領物について、重ねて有難く思う紙面の趣を言上したと伝える。本多・秋元の同日付返書と同じ用件でも、本書には各人との相談を記さない。

  15. 追録5-No.897 本多正珍書状

    本多伯耆守正珍が六月十二日、松平大隅守継豊へ、三御所の御機嫌を喜ぶ書状に返答する。継豊は多年病気のため国許で養生し、今年夏まで御暇を受けていたが回復せず、来年夏まで在国療養したいと同氏薩摩守重年が願い、願いどおり許されたと述べる。その許可を有難く思う継豊の紙面の趣を各人が一覧したと通知する。許可への…

  16. 追録5-No.898 秋元凉朝書状

    秋元但馬守凉朝が六月十二日、松平大隅守継豊へ、三御所の御機嫌を喜ぶ書面に答える。多年の病気により今年夏まで国許養生を許されていたが、いまだ回復せず、同氏薩摩守重年が来年夏までの在国養生を願い、願いどおり許可されたことを挙げる。その許可を有難く思う継豊の紙面の趣を承知したと知らせる。前の本多書状と同じ…

  17. 追録5-No.899 西尾忠尚書状

    西尾隠岐守忠尚が六月十二日、松平大隅守継豊へ、三御所の御機嫌と療養延長の許可を喜ぶ書状に返答する。継豊は多年病気により今年夏まで国許養生を許されていたが、いまだ回復せず、重年が来夏まで在国養生したいと願ったところ、願いどおり許可されたと記す。その許可を有難く思う継豊の紙面の趣を承知したと伝える。末尾…

  18. 追録5-No.900 内藤政樹書状

    内藤主税政樹が六月十八日、島津主殿久柄・矢柄久富・主鈴久郷へ、延岡領長峯村百姓の穆佐入居について返答する。人数の相違を聞いたが双方役人の対談で九十一人の退去は確かとし、江戸・大坂・長崎への居留は先格に従い薩摩側から申し入れるよう求め、十六日に百姓が延岡領居留の内願書を出しても穆佐側が聞き入れず、書状…

  19. 追録5-No.901 島津久柄外二名家老連署返書

    島津久郷・久富・久柄が六月廿三日、内藤主税へ返答する。長峯村百姓が薩摩領へ入ったため、先格により居留を申し出たが、十六日に百姓が帰参せず迷惑をかけたという内藤の書面を受けたと述べる。当初の居留を申し出なかったのは、早く内々に問題なく帰参させるつもりだったためと説明し、納得して帰参するよう申し付けたこ…

  20. 追録5-No.902 重年公御譜記事

    重年公御譜は、前大樹吉宗が四月下旬から不豫となり、翌月も癒えず、六月二十日に江戸西城で六十八歳で薨じたと記す。閏六月十日夜に東叡山へ葬り、有徳院殿と諡し正一位太政大臣を贈った。薩摩へ訃報が届くと、重年は番頭肝付弾正兼昌、継豊は物頭鎌田一藤太政苗を使者とし、閏六月十一日に両使が鹿府を発つ。西海・山陽・…

  21. 追録5-No.903 本多正珍書状

    本多伯耆守正珍が六月廿一日、松平大隅守継豊へ、公方が御安全で、四月廿日に東叡山の御霊前へ参詣したことを継豊が聞き喜んだ旨に返答する。紙面の趣を各人と相談し、言上する旨を記す。原文は「各申談可及言上候」で、これから言上する旨を記す。原本には恐々の脇に衍カという注があり、日付・本多署名・継豊宛名を持つ。…

  22. 追録5-No.904 徳川宗勝書状

    尾張中納言宗勝が六月廿一日、松平大隅守継豊へ、暑中の書状に返答する。甚だ暑い時節にも継豊が無事であることを喜び、丁寧な気遣いを受けたことに欣然の至りと述べ、自分も無事であると知らせる。御礼令披閲候という冒頭、宗勝の署名、継豊宛の御報を持つ。具体的な進物の記載はなく、双方の無事と暑中見舞いへの返礼を述…

  23. 追録5-No.905 徳川宗睦書状

    尾張中将宗睦が六月廿五日、松平大隅守継豊へ、暑気の時節にも継豊がいよいよ無事であることを喜び、自分も無事であると伝える。丁寧な気遣いに欣然の至りと述べて結び、継豊公御譜中・正文在文庫の注を持つ。宛名に「御報」と記し、尾張中将の官名と宗睦の署名を備える。前の尾張中納言宗勝書状は廿一日付であり、本書の廿…

  24. 追録5-No.906 堀田正亮書状

    堀田相模守正亮が閏六月四日、松平大隅守継豊へ、干椎茸一箱を献じた件に返答し、献上を披露したと知らせる。継豊公御譜中・正文在文庫の注を持ち、原文は干椎茸一箱被献之候、遂披露候とする。日付・堀田署名・継豊宛名を備え、同日付の秋元返書とは差出人が異なる。

  25. 追録5-No.907 秋元凉朝書状

    秋元但馬守凉朝が閏六月四日、松平大隅守継豊へ、干椎茸一箱の献上を披露したと通知する。今上として前の堀田書状の形式を受けるが、日付・署名・宛名を持つ秋元一名の返書である。品目数量は干椎茸一箱で、使者名や贈答理由は記されない。

  26. 追録5-No.908 堀田正亮書状

    堀田相模守正亮が閏六月六日、松平大隅守継豊へ、御干菓子一箱を献じた件に返答し、献上を披露したと通知する。原文は御干菓子一箱被献之候、遂披露候とし、進物への評価や喜びの文言はない。今上の出典形式を受け、日付・堀田署名・継豊宛名を持つ。閏六月四日の干椎茸献上とは日付と品目を区別する。

  27. 追録5-No.909 秋元凉朝書状

    秋元但馬守凉朝が閏六月六日、松平大隅守継豊へ、御干菓子一箱の献上を披露したと伝える。今上として前の堀田書状と同じ用件を記すが、署名は秋元一名である。数量は一箱、日付は閏六月六日で、使者名・贈答理由・受領者の評価は記されない。次の重年宛書状が琉球布など四品を列挙するのに対し、本書は継豊の御干菓子献上を…

  28. 追録5-No.910 堀田正亮書状

    堀田相模守正亮が閏六月四日、松平薩摩守重年へ、使者を通じ琉球布一箱・砂糖漬天門冬一器・干椎茸一箱・琉球泡盛酒二壺を献じた件に返答する。四品の献上を披露したと通知し、重年公御譜中・正文在文庫の出典注を持つ。原文は遂披露候で、品々への礼意や評価を別に記さない。使者名や献上先の個人名は本文にない。

  29. 追録5-No.911 秋元凉朝書状

    秋元但馬守凉朝が閏六月四日、松平薩摩守重年へ、琉球布一箱・砂糖漬天門冬一器・干椎茸一箱・泡盛酒二壺を献じた件に返答する。献上を披露したと伝え、日付・秋元署名・重年宛名を持つ。前の堀田書状と品目数量は同じで、本書の本文では泡盛酒に琉球の修飾を付さず、使者経由とも明記しない。「今上」として同じ往復に並び…

  30. 追録5-No.912 堀田正亮書状

    堀田相模守正亮が閏六月六日、松平薩摩守重年へ、御檜重一組を献じた件に返答し、献上を披露したと通知する。品目の具体的な中身や材質説明は本文に記されず、数量は一組である。原文は遂披露候で、喜びや評価の文言はない。同日付の継豊宛御干菓子返書とは品目・宛先が異なる。

  31. 追録5-No.913 秋元凉朝書状

    秋元但馬守凉朝が閏六月六日、松平薩摩守重年へ、御檜重一組の献上を披露したと通知する。今上として前の堀田書状と同じ用件を受けるが、本書は秋元一名の署名を持つ。

  32. 追録5-No.914 松浦信正・菅沼定秀長崎奉行連署書状

    長崎奉行菅沼下野守定秀・松浦河内守信正が閏六月十五日、松平薩摩守へ、屋久島安房村沖に先月晦日唐船一艘が漂着したとの書状を受けて返答する。尋ねたところ厦門出の七十人乗組で、風向きが悪く漂着したと申し出、一湊村の湊へ入れて例の番船等で厳重に監視したこと、唐人一人が病死し願いにより土葬したこと、日和次第こ…

  33. 追録5-No.915 継豊、有徳院法事に香奠を献ず

    東叡山で有徳院殿の中陰法事を営むため、継豊が使者を送り、当年七月朔日に香奠白銀三枚を献納した記事。有徳院殿には吉宗の割注がある。献納者は継豊で、使者名は本文に記されない。

  34. 追録5-No.916 酒井忠寄書状

    酒井左衛門尉忠寄が七月九日、松平大隅守継豊へ、大御所が不例で療養かなわず薨じたと聞き、言葉もないとの弔意を受けて返答する。継豊が使者を通じ公方の御機嫌を尋ねたことについて、変わったことはないので安心するよう伝え、紙面の趣を各人と相談して言上する旨を記す。原文は「各申談可及言上候」で、これから言上する…

  35. 追録5-No.917 秋元凉朝書状

    秋元但馬守凉朝が七月九日、松平大隅守継豊へ、大御所の薨去を聞き言葉もないとの弔意を受け、趣旨を承知したと述べる。継豊が使者を通じ大納言の御機嫌を尋ねたことに対し、変わったことはないので安心するよう伝え、紙面の趣を言上する旨を記す。本文は「可及言上候」で、これから言上する旨を記す。公方の安否照会を扱う…

  36. 追録5-No.918 酒井忠寄書状

    酒井左衛門尉忠寄が七月十日、松平大隅守継豊へ、公方と大納言の御機嫌を使者を通じ尋ねた書状に返答する。両者の御安全を伝え、安心するよう述べ、紙面の趣を各人と相談して言上する旨を通知する。原文は「各申談可及言上候」で、これから言上する旨を記す。前二通が大御所の薨去への弔意とそれぞれの安否照会を記すのに対…

  37. 追録5-No.919 重年、有徳院法事に香奠を献ず

    東叡山で有徳院殿の中陰喪儀を修するため、当年七月朔日、重年が家臣北郷八右衛門資矩を使者として、香奠三十枚を霊前へ献納した記事。品名は香奠、数量は三十枚で、本文に銀の字は記されない。

  38. 追録5-No.920 酒井忠寄書状

    酒井左衛門尉忠寄が七月九日、松平薩摩守重年へ、大御所が不例で療養かなわず薨じ、言葉もないという書面の趣旨を承知したと返答する。重年が使者を通じ公方の御機嫌を尋ねた件について、変わったことはないので安心するよう伝え、紙面の趣を各人と相談して言上する旨を記す。原文は「可及言上候」で、これから言上する旨を…

  39. 追録5-No.921 秋元凉朝書状

    秋元但馬守凉朝が七月九日、松平薩摩守重年へ、大御所の薨去を聞き言葉もないとの弔意を受け、趣旨を承知したと述べる。重年が使者を通じ大納言の御機嫌を尋ねたことに対し、変わったことはないので安心するよう伝え、紙面の趣を言上する旨を記す。原文は可及言上候である。酒井返書No.920の公方安否照会とは対象を区…

  40. 追録5-No.922 さえた外四名連署消息

    梅その・松しま・うら尾・たきつ・さえたの五名が、松平薩摩守様へ送った連署の返事。閏六月八日付で便りを受け取ったと述べ、大御所の養生がかなわず「去月廿日」に薨じたことに言葉もなく思うという、相手の弔意を承知した旨を伝える。続いて公方の御機嫌を尋ねる文意を取り上げ、よろしく申し上げると答え、「かしく」で…

  41. 追録5-No.923 さえた外四名連署消息

    梅その・松しま・うら尾・たきつ・さえたの五名が、松平薩摩守様へ送った連署の返事。閏六月八日付で便りを受け取ったと述べ、大御所の養生がかなわず「去月廿日」に薨じたことに言葉もなく思うという、相手の弔意を承知した旨を伝える。続いて大納言の御機嫌を尋ねる文意を取り上げ、よろしく申し上げると答え、「かしく」…

  42. 追録5-No.924 酒井忠寄書状

    酒井左衛門尉忠寄が七月十日、松平薩摩守重年へ、公方と大納言の御機嫌を使者を通じ尋ねた書状に返答する。両者の御安全を伝え、安心するよう述べ、紙面の趣を各人と相談して言上する旨を通知する。原文は「各申談可及言上候」で、これから言上する旨を記す。同日付継豊宛No.918とは同じ差出人・同じ用件でも、松平薩…

  43. 追録5-No.925 継豊、吉宗遺物の脇刀を拝領

    寛延四年七月十日、上使若年寄小出信濃守英智が江戸芝邸へ来て、有徳院吉宗の遺物脇刀を継豊と重年へ各一腰賜った記事。継豊には尻懸則長作、長八寸三分半、護摩梵字、銘なし、代金二十枚、重年には信國作、長八寸七分半、剣・三鈷・梵字などの装飾、代金二十枚という元注が付く。両者は薩摩にいたため、島津加賀守忠雅が代…

  44. 追録5-No.926 重年、吉宗遺物の脇刀を拝領

    七月十日、上使若年寄小出信濃守英智が芝邸へ来て、有徳院吉宗の遺物脇刀一腰を重年へ賜った記事。信國作、長八寸七分半、剣・三鈷・梵字などの装飾、代金二十枚の元注が付く。継豊には尻懸則長作、長八寸三分半、護摩梵字、銘なし、代金二十枚の脇刀一腰と九十賀和歌御手鑑一帖、菊姫には同じ手鑑一帖を賜った。島津加賀守…

  45. 追録5-No.927 酒井忠寄書状

    酒井左衛門尉忠寄が七月十一日、松平薩摩守重年へ、鯛一折を献じた件に返答する。献上を披露し、一段の御仕合であると通知する。重年公御譜中・正文在文庫の注を持ち、遂披露処に続いて一段之御仕合候という結語を記す。品目数量は鯛一折で、贈答の理由や使者名は記されない。同日付秋元返書No.928と同件であり、継豊…

  46. 追録5-No.928 秋元凉朝書状

    秋元但馬守凉朝が七月十一日、松平薩摩守重年へ、鯛一折の献上を披露し、一段の御仕合であると通知する。今上として前の酒井書状の形式を受けるが、本書は秋元一名の署名である。献上の理由や使者名は本文にない。同日同品でも、次の酒井・秋元の二通は継豊宛であり、本書とは相手が異なる。

  47. 追録5-No.929 酒井忠寄書状

    酒井左衛門尉忠寄が七月十一日、松平大隅守継豊へ、鯛一折を献じた件に返答する。献上を披露し、一段の御仕合であると通知する。継豊公御譜中・正文在文庫の注を持つ。同じ酒井の重年宛No.927とは日付・品目数量が一致しても、松平大隅守殿の宛名と継豊公御譜の出典により区別する。

  48. 追録5-No.930 秋元凉朝書状

    秋元但馬守凉朝が七月十一日、松平大隅守継豊へ、鯛一折の献上を披露し、一段の御仕合であると知らせる。今上として前の酒井書状と同じ用件を記すが、署名は秋元一名である。使者名や献上の理由は本文にない。重年宛の秋元返書No.928とは日付・品目数量が同じでも宛先が異なる。継豊宛の酒井返書No.929と同件の…

  49. 追録5-No.931 堀田正亮外三名連署状

    松平右近将監武元・本多伯耆守正珍・酒井左衛門尉忠寄・堀田相模守正亮が七月十二日、松平大隅守継豊へ、生見玉の祝儀に黄金十両を献じた件に返答する。献上を披露して一段の御仕合であると通知する。本文は四署名だが、目録は堀田正亮外二名連署状とし、人数表記に齟齬がある。献上先の個人名や使者名は本文にない。

  50. 追録5-No.932 秋元凉朝書状

    秋元但馬守凉朝が七月十二日、松平大隅守継豊へ、生見玉の祝儀として黄金十両を献じた件に答える。献上を披露して一段の御仕合であると通知する。前の老中四名連署状と同日・同品・同数量の別返書であり、本書は秋元一名の署名を持つ。使者名・献上先の個人名は記されない。

  51. 追録5-No.933 酒井忠寄書状

    酒井左衛門尉忠寄が七月十二日、松平大隅守継豊へ、公方が御機嫌よく、五月八日に東叡山の御霊前へ参詣したことを聞き、継豊が喜んだ旨に返答する。紙面の趣を各人と相談して上聞したと知らせる。継豊公御譜中・正文在文庫の注を持ち、次の増上寺参詣を扱うNo.934とは参詣日と場所が異なる。

  52. 追録5-No.934 酒井忠寄書状

    酒井左衛門尉忠寄が七月十二日、松平大隅守継豊へ、公方が御機嫌よく四月十九日に増上寺御霊屋へ参詣したと聞き、継豊が喜んだ旨に返答する。紙面の趣を各人と相談して上聞したと通知する。原文は「各申談及上聞候」と記す。No.933の五月八日東叡山参詣とは日付・場所が異なる。

  53. 追録5-No.935 堀田正亮外三名連署状

    松平右近将監武元・本多伯耆守正珍・酒井左衛門尉忠寄・堀田相模守正亮が七月十二日、松平薩摩守重年へ、生見玉の祝儀に黄金十両を献じた件に返答する。献上を披露して一段の御仕合であると通知する。末尾に四名の署名を備える。No.931の継豊宛とは宛先が異なり、No.936の秋元一名の返書とは別通である。

  54. 追録5-No.936 秋元凉朝書状

    秋元但馬守凉朝が七月十二日、松平薩摩守重年へ、生見玉の祝儀として黄金十両を献じた件に返答する。献上を披露し、一段の御仕合であると知らせる。前の老中四名連署返書を全上として受けるが、本書は秋元一名の署名である。継豊宛のNo.932とは同じ日付・品目数量でも宛先が異なる、重年宛の別書状である。

  55. 追録5-No.937 島津重年願書

    重年が七月十三日、琉球中山王が当正月に病死し継目を申し付けたことを別紙で届け、王の継目に江戸へ使者を出して御礼する先例の許可を願う。琉球からは当秋、先王の病死を大清へ知らせ、三年を過ぎて封王使が渡来する先例により来戌年の到来を見込む。その前に江戸で継目御礼を行う例があり、来申年の夏に薩州へ使者を着か…

  56. 追録5-No.938 平田正輔書状

    平田靭負正輔が七月十六日、主殿久柄・伊勢兵部貞起・義岡相馬久中・主鈴久郷・鎌田典膳政昌・河野八郎左衛門通興へ、有徳院の遺物拝領と謝礼について報告し、国元の指示を求める。十日に上使小出信濃守から、太守・隅州へ脇差各一腰、菊姫へ御手鑑一帖が授けられ、同日の飛脚で知らせた。刀の外箱を整え、御馬廻川上喜藤太…

  57. 追録5-No.939 島津久柄外五名家老連署返書

    八月二十一日、平田正輔の遺物拝領・謝礼相談の書状に付された六家老連署の朱書返答。脇差は去る十三日に届いたが、お貞殿の不幸により太守・隅州が忌中なので、御納戸に預け、忌明に御頂戴する扱いとしたと伝える。両殿の名代御礼の差図を承知し、在国の節の名代については早速御用番へ伺うには及ばないとしながら、上使へ…

  58. 追録5-No.940 平田正輔書状

    平田靱負正輔が七月十六日、島津主殿ほか六家老へ、今回の上使による遺物拝領後の謝礼に確かな先例がなく、家格に照らした扱いを相談する。天英院・信證院の遺物は内々の拝領で、添番幸領を通じた二丸口上、太守の表立った御礼、薩州の名代御礼、総州の飛札による御礼などを挙げ、今回とは事情が異なると説明する。遠国在住…

  59. 追録5-No.941 No.940行間朱書返答(再掲)

    九月六日付の返答はNo.940の相談を承知し、遺物のため両殿への御祝儀は申し上げず、関係役人にも拝領への恐悦という趣旨を伝えたと述べる。国元でも同様の扱いとし、各人から祝儀書状が来ても、この趣旨では返書に及ばないとする。菊姫については遺物を賜った恐悦を大御目付以上の役人から書状で申し上げたと記す。本…

  60. 追録5-No.942 松平武元書状

    松平右近将監武元が七月二十日、松平大隅守継豊へ、有徳院吉宗の法事執行に伴い、使者を通じ香奠を献じて東叡山へ奉納した件に返答する。その趣を言上したと通知し、原文は右之趣及言上候である。継豊公御譜中・正文在文庫の注、日付・松平署名・継豊宛名を備える。香奠の額や使者名は本文に記されない。次の重年宛No.9…

  61. 追録5-No.943 松平武元書状

    松平右近将監武元が七月二十日、松平薩摩守重年へ、有徳院吉宗の法事に際して使者を通じ献じた香奠を東叡山へ奉納した件に返答する。その趣を言上済みと通知する。重年公御譜中・正文在文庫の出典注を備える。香奠の数量や使者名は明記されない。同文のNo.942は継豊宛であり、本書は重年宛の別書状である。

  62. 追録5-No.944 内藤政樹書状

    内藤主税政樹が七月二十八日、島津主殿・伊勢兵部と、義岡相馬・島津主鈴・鎌田典膳へ書状を送る。自領宮崎郡長峯村の百姓が相手領へ移った件で、公儀への扱いを相談するため江戸表留守居から国元留守居へ対談の指示が来ていたと説明する。去月十二日に留守居同士が相談し、公達に及ばない旨を決めたとの報告を受け、両者の…

  63. 追録5-No.945 長峯村百姓の届出に関する連署返書

    鎌田典膳・島津主鈴・義岡相馬・伊勢兵部・島津主殿が八月三日、内藤主税政樹へ返答する。長峯村百姓が当領に入った件について、公達に及ばないことを江戸で決めたとの知らせを受け、了解し、配慮に謝意を述べる。原本は右之書中朱書ニテ左之通と明記し、No.944の内藤書状に行間朱書で付された返答を示す。五家老の名…

  64. 追録5-No.946 松平武元等連署書状

    松平右近将監武元・本多伯耆守正珍・酒井左衛門尉忠寄・堀田相模守正亮が八月四日、松平薩摩守重年へ、八朔の祝儀に使者を通じ太刀一腰と馬代黄金十両を献じた件に返答する。献上を披露し、一段の御仕合であると通知する。末尾に四名の署名を備える。No.947の秋元返書と同日・同品・同数量の、四名連署による別書状で…

  65. 追録5-No.947 秋元凉朝書状

    秋元但馬守凉朝が八月四日、松平薩摩守重年へ、八朔の祝儀として使者を通じ太刀一腰と馬代黄金十両を献じた件に返答する。披露を済ませ、一段の御仕合であると知らせる。全上として前の老中四名連署状を受けるが、本書は秋元一名の署名と独立の宛名を持つ。進物は太刀一腰と、馬代としての黄金十両である。使者の実名は書か…

  66. 追録5-No.948 松平武元等連署書状

    松平右近将監武元・本多伯耆守正珍・酒井左衛門尉忠寄・堀田相模守正亮が八月五日、松平薩摩守重年へ、国許到着の御礼に使者を通じ芭蕉布二十端と樽肴を献じた件に返答する。披露したところ使者が御前に召し出され、入念なことを喜ばれたと通知する。原文に「芭蕉布廿端」「御樽肴」と記す。末尾に四名の署名と重年宛名を備…

  67. 追録5-No.949 秋元凉朝書状

    秋元但馬守凉朝が八月五日、松平薩摩守重年へ、国許到着の御礼として使者を通じ樽肴を献じた件に返答する。披露したところ使者が御前へ召し出され、入念なことを喜ばれたと通知する。前の四名連署返書No.948は芭蕉布二十端と樽肴の二品を記すが、本書は樽肴のみを記す。使者名と樽肴の数量は明記されない。

  68. 追録5-No.950 徳川宗睦書状

    尾張中将徳川宗睦が八月九日、薩摩少将重年へ、初めての御暇を得て、道中無事に六月二十一日国元へ着いたとの書状を受けたと返答する。無事到着を重ねて喜び、重年の入念な連絡に感謝する。重年公御譜中の注と宗睦署名、薩摩少将殿という宛名を持つ。本文は初帰国の報告に対する祝意で、献上品・贈答品や使者名はない。到着…

  69. 追録5-No.951 島津久柄外五名家老連署書状

    八月二十一日、嶋津主殿・伊勢兵部・義岡相馬・嶋津主鈴・鎌田典膳・河野八郎左衛門の六家老が、平田靭負・市来左中へ、大御所の遺物を太守・隅州・菊姫が拝領した後の謝礼について返答する。上使小出信濃守への御礼を山澤小左衛門が酒井左衛門尉の御用人に取り次いだところ、名代で御礼するよう上使から伝えられたという。…

  70. 追録5-No.952 平田正輔・市来政方連署返書

    十月四日、平田靭負正輔・市来左中政方が、六家老の八月二十一日付書状に朱書で返答する。国元からの意向を承知し、留守居に申し含めて堀田相模守の御用人へ詳しく伝えたところ、相模守の奥へ申し上げられ、名代で謝礼を勤める筋に差図されたと報告する。隅州の御礼が済んだ次第は別紙で詳しく知らせるとする。 また、隅州…

  71. 追録5-No.953 有徳院墓前への銅燈籠二基奉献

    寛延四年八月二十六日、老中松平右近将監武元が、有徳院吉宗の尊前へ銅燈籠を献じる命を伝えた記事。継豊は国元におり、当家から人を遣わしていなかったため、何基献じるべきかを知らなかった。継豊は将軍家の姻家で、他家とは親疎が異なるとして、先例がなくても家統に応じて二基を献じることを願った。重年が同年十月六日…

  72. 追録5-No.954 有徳院墓前奉献銅燈籠銘

    継豊が武州東叡山の有徳院殿尊前へ奉献する銅燈籠二基の銘文を掲げる。銘記日は寛延四年辛未六月二十日で、奉献者を薩摩大隅日向三國主兼領琉球國、致仕従四位上行左近衛中将兼大隅守、源朝臣継豊と記す。本文に「兩基」と明記する。前のNo.953が奉献の命令・許可・製作経緯を記すのに対し、本書は銘文そのものを掲げ…

  73. 追録5-No.955 有徳院墓前銅燈籠の奉献指図

    八月付の指図は、松平大隅守継豊へ、東叡山有徳院御霊前に銅燈籠を奉献するよう伝える。寸法は常憲院の御佛殿へ献じたものに合わせ、来年二月上旬に出来るよう求める。継豊公御譜中・正文在文庫の注を持ち、日付は八月だけで日を記さず、在口裏の朱注と松平大隅守宛の表示を伴う。本文に差出人署名や基数はなく、目録は幕府…

  74. 追録5-No.956 松平武元書状

    松平右近将監武元が八月廿八日、松平大隅守継豊へ、公方の御機嫌と東叡山での有徳院法事執行、閏六月廿八日の御廟所参詣を聞いて喜んだ書状に返答する。使者を受け、紙面の趣を各人と相談して上聞したと通知する。No.957は大納言について閏六月廿九日の参詣を扱う秋元返書で、参詣者・日付・差出人が異なる。献上品や…

  75. 追録5-No.957 秋元凉朝書状

    秋元但馬守凉朝が八月廿八日、松平大隅守継豊へ、大納言の御機嫌と、東叡山の有徳院法事執行に伴う閏六月廿九日の御廟所参詣を聞き、喜んだ書状に返答する。継豊の使者を受け、紙面の趣を言上したと通知する。本書は公方と大納言を併記するものではなく、大納言について述べる。No.956とは参詣者と参詣日が異なる。

  76. 追録5-No.958 松平武元書状

    松平右近将監武元が八月廿五日、松平薩摩守重年へ、有徳院法事に際して妻女から香奠を献じる件が申し出のとおり済んだとの書状に返答する。その意を了解して謝意を述べ、紙面の趣を各人が一覧したと伝える。本文は香奠献上の件が相済したことに続けて難有由得其意、紙面趣各一覧之事と記し、これから許可を与える内容ではな…

  77. 追録5-No.959 松平武元書状

    松平右近将監武元が八月廿八日、松平薩摩守重年へ、公方の御機嫌と、東叡山での有徳院法事執行、閏六月廿八日の御廟所参詣を聞いて喜んだ書状に返答する。使者を受け、紙面の趣を各人と相談して上聞したと通知する。原文は「各申談及上聞候」と記す。No.956は同日同文でも継豊宛、No.960は大納言の閏六月廿九日…

  78. 追録5-No.960 秋元凉朝書状

    秋元但馬守凉朝が八月廿八日、松平薩摩守重年へ、大納言の御機嫌と、東叡山での有徳院法事執行に伴う閏六月廿九日の御廟所参詣を聞いて喜んだ書状に返答する。重年の使者を受け、紙面の趣を言上したと知らせる。公方は本文に併記されず、No.959の公方についての返書と分ける。No.957とは同日同文の用件でも、松…

  79. 追録5-No.961 有徳院墓前銅燈籠の奉献指図

    八月付の指図は松平薩摩守重年へ、東叡山有徳院御霊前に銅燈籠を奉献するよう伝える。寸法は常憲院御佛殿へ献じたものに合わせ、来年二月上旬に出来るよう求める。全上として継豊宛No.955と同文を受けるが、本書は重年宛で、在口裏(重年)という注を持つ。日付に日はなく、差出人署名や基数も本文にはない。目録は幕…

  80. 追録5-No.962 重年、有徳院墓前へ銅燈籠二基を奉献

    八月二十六日、用番老中松平右近将監武元が江戸留守居役山澤小左衛門盛福を自邸に呼び、有徳院吉宗の尊前へ銅燈籠を献じる命を伝えた記事。薩摩にいた重年はその命を奉じ、翌宝暦二年二月十日に製作が完了し、同年五月十三日に銅燈籠二基を備えて奉献した。記事末は、その銘文を掲げる旨を記す。

  81. 追録5-No.963 重年奉献の有徳院墓前銅燈籠銘

    重年が武州東叡山の有徳院殿尊前へ奉献する銅燈籠の銘文を掲げる。銘記日は寛延四年辛未六月二十日で、奉献者を薩摩大隅日向三國主兼領琉球國、従四位下行左近衛少将兼薩摩守、源朝臣重年と記す。前のNo.962は二基の制作・奉献記事だが、銘文自体に基数の記載はない。継豊のNo.954にある致仕・従四位上・中将・…

  82. 追録5-No.964 酒井忠寄書状

    酒井左衛門尉忠寄が九月六日、松平大隅守継豊へ、公方・大納言の御機嫌を尋ねた書状に返答する。両者の御安全を知らせて安心するよう述べ、併せて干鯛一箱を献じた件を各人と相談して披露し、一段の御仕合であると通知する。本文は安否照会への回答と献上披露の二つの用件を持つ。継豊公御譜中・正文在文庫の注を伴う。No…

  83. 追録5-No.965 徳川家重御内書

    家重の御内書は九月七日、松平大隅守継豊へ、重陽の祝儀として小袖一重が届いたことを喜ぶと伝える。詳しいことは堀田相模守が述べると記し、家重公墨印の表示を伴う。No.966は同日、秋元凉朝が使者による小袖献上を披露したとの返書であり、差出人と通知の内容を分ける。No.968は同文の重年宛御内書だが、本書…

  84. 追録5-No.966 秋元凉朝書状

    秋元但馬守凉朝が九月七日、松平大隅守継豊へ、重陽の祝儀として使者を通じ小袖一重を献じた件に返答する。献上を披露し、一段の御仕合であると通知する。全上として前の御内書と同件を受けるが、本文には遂披露候処と秋元自身の署名があり、将軍家重の到来を喜ぶ御内書No.965とは別の返書である。使者の実名は記され…

  85. 追録5-No.967 酒井忠寄書状

    酒井左衛門尉忠寄が九月六日、松平薩摩守重年へ、公方・大納言の御機嫌を尋ねた書状に返答する。両者の御安全を知らせて安心するよう述べ、併せて干鯛残魚一箱を献じた件を各人と相談して披露し、一段の御仕合であると通知する。品目は「干鯛残魚一箱」と記され、No.964の「干鯛一箱」とは表記が異なる。

  86. 追録5-No.968 徳川家重御内書

    家重の御内書は九月七日、薩摩少将重年へ、重陽の祝儀として小袖一重が届いたことを喜ぶと伝える。詳しいことは堀田相模守が述べるとし、家重公の印の表示を伴う。継豊宛のNo.965と同じ祝儀・同じ数量だが、本書の宛名は薩摩少将殿である。No.969は同日、秋元凉朝が重年へ小袖献上の披露結果を通知する書状であ…

  87. 追録5-No.969 秋元凉朝書状

    秋元但馬守凉朝が九月七日、松平薩摩守重年へ、重陽の祝儀に使者を通じ小袖一重を献じた件に返答する。献上を披露して一段の御仕合であると知らせる。家重の御内書No.968と同件でも、本書は秋元一名の署名を持ち、遂披露候処という披露済みの通知である。同日付継豊宛の秋元返書No.966とは宛先が異なる。使者の…

  88. 追録5-No.970 島津重年疏

    少将重年名義で、太平山興國禪寺の素禪和尚を迎え、教化と僧徒の興隆を願う漢文の疏。冒頭には「重年公御譜中」「正文在福昌寺」の注がある。長者・金地・梵刹創建を述べ、玉龍・水祥・叢林・祇苑・庭柏などを配した詞で寺の姿を称える。続いて素禪和尚を「宗門爪牙」「法窟頭角」と称し、寺へ迎える願いを述べる。 金剛・…

  89. 追録5-No.971 秋元凉朝書状

    秋元但馬守凉朝が九月十三日、松平大隅守継豊へ送った返書。相手の書状を披見し、公方・大納言の御機嫌を尋ねた件について、両者はますます御安全であるので安心するよう伝える。併せて、相手が干鯛一箱を献じた件を披露したところ、一段の御仕合であると知らせる。 末尾に九月十三日、秋元但馬守凉朝の判、松平大隅守殿の…

  90. 追録5-No.972 秋元凉朝書状

    秋元但馬守凉朝が九月十三日、松平薩摩守重年へ送った返書。相手の書状を披見し、公方・大納言の御機嫌を尋ねた件について、両者はますます御安全であるので安心するよう伝える。併せて、相手が干鱠残魚一箱を献じた件を披露したところ、一段の御仕合であると知らせる。 末尾に九月十三日、秋元但馬守凉朝の判、松平薩摩守…

  91. 追録5-No.973 幕府老中ら連署状

    松平右近将監武元・本多伯耆守正珍・堀田相模守正亮が九月十九日、松平薩摩守重年へ、公方・大納言の御機嫌がよいので安心するよう知らせる。重年が家督以後帰国して無事にいるため、見舞いとして肴一種を下すと述べる。家督後の帰国とは、重年の家督継承後の帰国を指す。「御肴一種被下」と記し、先方から重年への贈答を伝…

  92. 追録5-No.974 家重、重年入部ノ安否ヲ問ヒ

    九月十九日、家重が重年の襲封後初の帰国を祝い、安否を問うため佳肴一種、鮭十尺を賜った記事。老中本多伯耆守正珍が江戸留守居山澤小左衛門盛福を自邸に呼び、老中宿次奉書と驛路證印を渡した。比志島孫左衛門國泰・谷山孫右衛門通音、歩士三人・軽卒六人が警衛して同日芝邸を発ち、東海・山陽・西海路を昼夜休まず進み、…

  93. 追録5-No.975 継豊、重年ノ帰国ヲ礼謝ス

    九月十九日、家重が重年の襲封後初の帰国を祝い、安否を問うため佳肴、鮭十尺と老中宿次奉書・驛路證印を授けた記事。騎馬士・歩行士・軽卒らが警衛して江戸を発ち、東海・山陽・西海路を昼夜休まず進み、十月十五日に鹿城へ着いた。同日、重年は一門島津周防忠紀を恩賜への謝使として鹿城から江戸へ遣わし、継豊も物頭中江…

  94. 追録5-No.976 島津重年請書案

    重年が九月二十三日、堀田相模守・酒井左衛門尉・本多伯耆守・松平右近将監・秋元但馬守・西尾隠岐守へ、琉球中山王の継目御礼を以前どおり使者で申し上げたいと伺った件に返答する。翌年は重年が使節を召し連れて参府するよう命じられたことをありがたく承り、その謝意を飛札で伝える。重年公御譜中・扣正文在右筆所、佐々…

  95. 追録5-No.977 島津重年届書案

    九月二十三日付松平薩摩守重年の届書案は、来申年に琉球人を召し連れて参府するよう命じられたことを承り、琉球から薩州への渡海が夏に行われるため、来夏使節が国元へ到着し、諸準備を相談したうえで来秋に国元を出立すると知らせる。扣正文在右筆所の注と、右のとおり切紙を調え、包みの封紙に佐々木様御案文と記した旨の…

  96. 追録5-No.978 本多正珍書状

    本多伯耆守正珍が九月廿七日、松平大隅守継豊へ、有徳院吉宗の遺物を上使によって継豊・同氏薩摩守重年・菊姫が拝領したことへの謝意を受け、了解したと返答する。紙面の趣を各人と相談して上聞したと通知する。継豊公御譜中・正文在文庫の注を持つ。No.979は同じ継豊宛・同日だが、大納言への言上を通知する別返書で…

  97. 追録5-No.979 本多正珍書状

    本多伯耆守正珍が九月廿七日、松平大隅守継豊へ、有徳院吉宗の遺物を上使によって継豊・同氏薩摩守重年・菊姫が拝領したことへの謝意を受け、了解したと返答する。紙面の趣を大納言へ言上したと通知し、原文は大納言様ニ及言上候と記す。No.978と同日同宛先だが、上聞と大納言への言上という通知先の違いを保つ。

  98. 追録5-No.980 有徳院遺物の収納指示

    鎌田典膳政昌・島津主鈴久郷・義岡相馬久中・伊勢兵部貞起・島津主殿久柄が九月廿八日、重年拝領の有徳院遺物である信國の脇差一腰を、怠りなく御納戸方へ納め置くよう命じる。七月十日に上使小出信濃守から授けられたことを記し、拵の説明は別紙にあるとする。重年公御譜中・正文在納戸方の注と五署名を持つ、拝領刀の収納…

  99. 追録5-No.981 嶋津三次郎の元服支給に関する書状

    兵部名義の九月付申渡は、島津三次郎から出されていた元服願に対し、直元服を命じ、太刀一腰・裸背の御馬一疋・白木弓十張・征矢百本・三種三荷を進上するよう命じたので、その旨を首尾懸へ申し渡すと記す。写正文在文庫の注、島津三次郎殿という対象者名と末尾兵部の名を持つ。目録は伊勢貞起申渡書とし、差出人の兵部は伊…

  100. 追録5-No.982 有徳院遺物の収納指示

    鎌田典膳政昌・島津主鈴久郷・義岡相馬久中・伊勢兵部貞起・島津主殿久柄が九月廿八日、御納戸奉行へ、継豊が拝領した有徳院遺物の尻懸則長脇差一腰を、怠りなく御納戸方へ納め置くよう命じる。七月十日に上使小出信濃守から授けられたことと、拵書が別紙にある旨を記す。継豊公御譜中・正文在納戸方の注、五署名と御納戸奉…