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追録5の目録

暫定版です。原文との照合により、概要や文書の区切り等を修正する場合があります。

全2,955件中 2201~2300件・23 / 30ページ

  1. 追録5-No.2151 西尾忠尚書状(御曲輪内出火・鎮火を聞いた恐悦への返答)

    西尾隠岐守忠尚が三月朔日、松平大隅守継豊へ、書状を拝見し、公方と大納言の健勝をめでたく思うという趣旨を承知したと返答する。前年十二月十五日の御曲輪内の火災が早く鎮まったと聞いて継豊が恐悦したのは尤もと述べ、書面の趣旨を各々申し談じて上聞したと知らせる。

  2. 追録5-No.2152 秋元凉朝書状(御曲輪内出火・鎮火を聞いた恐悦への返答)

    秋元但馬守凉朝が三月朔日、松平大隅守継豊へ、書状を拝見し、公方と大納言の健勝をめでたく思うという趣旨を承知したと返答する。前年十二月十五日の御曲輪内の火災が早く鎮まったと聞いて継豊が恐悦したのは尤もと述べ、書面の趣旨を言上したと知らせる。

  3. 追録5-No.2153 西尾忠尚書状(薩摩守着座への謝意に対する返答)

    西尾隠岐守忠尚が三月朔日、松平大隅守継豊へ、書状を拝見し、公方と大納言の健勝に継豊が恐悦したのは尤もと返答する。薩摩守重豪が本文に正月二日と記す着座を命じられ、ありがたく思うという趣旨を承知し、書面の趣旨を各々申し談じて上聞したと知らせる。

  4. 追録5-No.2154 秋元凉朝書状(薩摩守着座への謝意に対する返答)

    秋元但馬守凉朝が三月朔日、松平大隅守継豊へ、書状を拝見し、公方と大納言の健勝に継豊が恐悦したのは尤もと返答する。薩摩守重豪が年頭の着座を命じられ、ありがたく思うという趣旨と、書面の趣旨を承知したと知らせる。

  5. 追録5-No.2155 西尾忠尚書状(歳暮の時服・肴拝領への謝意に対する返答)

    西尾隠岐守忠尚が三月朔日、松平大隅守継豊へ、書状を拝見し、公方と大納言の健勝に継豊が恐悦したのは尤もと返答する。歳暮の祝儀として時服と肴を拝領し、ありがたく思うという趣旨を承知し、書面の趣旨を各々申し談じて上聞したと知らせる。

  6. 追録5-No.2156 西尾忠尚書状(歳暮の時服・肴拝領への謝意に対する返答)

    西尾隠岐守忠尚が三月朔日、松平大隅守継豊へ、書状を拝見し、公方と大納言の健勝に継豊が恐悦したのは尤もと返答する。歳暮の祝儀として時服と肴を拝領し、ありがたく思うという趣旨を承知し、書面の趣旨を各々申し談じて上聞したと知らせる。

  7. 追録5-No.2157 秋元凉朝書状(歳暮の時服・肴拝領への謝意に対する返答)

    秋元但馬守凉朝が三月朔日、松平大隅守継豊へ、書状を拝見し、公方と大納言の健勝に継豊が恐悦したのは尤もと返答する。公方から歳暮の祝儀として時服と肴を拝領し、ありがたく思うという趣旨を承知し、書面の趣旨を言上したと知らせる。

  8. 追録5-No.2158 堀田正亮書状(重豪の年始着座・盃時服拝領への謝意に対する返答)

    堀田相模守正亮が三月二日、松平大隅守継豊へ、書状を拝見し、公方と大納言の健勝に継豊が恐悦したのは尤もと返答する。薩摩守重豪が年始の礼で着座を命じられ、盃を頂戴し時服を拝領したことを重ねてありがたく思うという趣旨を承知し、書面の趣旨を各々一覧したと知らせる。

  9. 追録5-No.2159 秋元凉朝書状(重豪初着座・盃時服拝領への謝意に対する返答)

    秋元但馬守凉朝が三月二日、松平大隅守継豊へ、書状を拝見し、公方と大納言の健勝に継豊が恐悦したのは尤もと返答する。薩摩守重豪が年始の礼で初めて着座を命じられ、盃を頂戴し時服を拝領したことを重ねてありがたく思うという趣旨と、書面の趣旨を承知したと知らせる。

  10. 追録5-No.2160 せやま外四名連署消息(重豪初着座・盃時服拝領への謝意を取り次ぐ返答)

    松しま・岩はし・うら尾・さえた・せやまの五人が、松平大隅守継豊側へ、二月二日付の手紙を受け、公方・大納言・御簾中の健勝を喜ぶ趣旨を伝える。薩摩守重豪が正月二日の年始の礼で初めて着座を命じられ、盃・時服を拝領したことを重ねてありがたく思うという趣旨を承知する。表向きから礼を述べたうえ、さらに礼を述べた…

  11. 追録5-No.2161 島津重豪公帖(玄悦西堂への正興寺住持職執務命令)

    少将重豪が宝暦九年三月六日、玄悦西堂へ、正興寺の住持職について先例に従って執務するよう命じる。

  12. 追録5-No.2162 幕府許可状(種子島藏人の乗物願許可・断状提出指示)

    幕府の許可状は、松平薩摩守の家来種子島藏人久芳について、願い出たとおり乗物を許可する。誓詞は不要とし、御目付へ断状を提出するよう指示する。

  13. 追録5-No.2163 堀田正亮書状(公方健勝・東叡山御霊前参詣を聞いた恐悦への返答)

    堀田相模守正亮が三月十二日、松平大隅守継豊へ、書状を拝見し、公方の健勝と正月十日の東叡山御霊前参詣を聞いて継豊が恐悦したのは尤もと返答する。書面の趣旨を各々申し談じて上聞したと知らせる。

  14. 追録5-No.2164 堀田正亮書状(鷹の鶴拝領礼使の登城通知)

    堀田相模守が三月十二日、松平薩摩守の留守居へ、大隅守継豊が鷹の鶴を拝領した礼のため遣わした使者種子島藏人を、翌日四時に登城させるよう通知する。

  15. 追録5-No.2165 堀田正亮外四名連署状(鷹の鶴拝領の謝意・礼使献上と召出)

    堀田相模守正亮ら五老中が三月十三日、松平大隅守継豊へ、書状を拝見し、公方と大納言の健勝に継豊が恐悦したのは尤もと返答する。宿次奉書で送られた鷹の鶴を拝領し、ありがたく思うという趣旨を承知する。その礼として使者種子島藏人が献じた樽肴を披露し、藏人を御前へ召し出して、入念な対応に喜色を示されたと知らせる…

  16. 追録5-No.2166 秋元凉朝書状(鷹の鶴拝領の謝意・礼使献上と召出)

    秋元但馬守凉朝が三月十三日、松平大隅守継豊へ、書状を拝見し、公方と大納言の健勝に継豊が恐悦したのは尤もと返答する。宿次で送られた鷹の鶴を拝領し、ありがたく思うという趣旨を承知する。その礼として使者種子島藏人が献じた樽肴を披露し、藏人を御前へ召し出して、入念な対応に喜色を示されたと知らせる。

  17. 追録5-No.2167 せやま外四名連署消息(鶴拝領の表向・内証からの御礼への返答)

    松しま・岩はし・うら尾・さえた・せやまの五人が、松平大隅守継豊側へ、正月六日付の手紙を受け、公方・大納言・御簾中の健勝をめでたく思う趣旨を承知したと返答する。宿次奉書で送られた鷹の鶴を拝領してありがたく思い、表向きの礼使に加えて内証からも礼を申し上げたという書面の趣旨を、よろしく伝えると知らせる。な…

  18. 追録5-No.2168 重豪・保姫(徳川宗尹養女)との縁組許可記事(目録)と宝暦九年の諸事

    宝暦九年の御譜記事は、四月十六日頃の増上寺鎮火と、六月二十一日に菱刈藤馬實を家老、島津小平太を若年寄、名越左源太を大目附とする人事を記す。七月十八日に義岡相馬久中が彈正の名を賜り、二十八日に十五歳の重豪が額髪を剃り、九月十一日に閣老の邸で招宴を受けたとする。十一月十四日に西尾忠尚が重豪を召して徳川宗…

  19. 追録5-No.2169 秋元凉朝書状(大納言健勝・至心院御霊前参詣を聞いた恐悦への返答)

    秋元但馬守凉朝が三月二十二日、松平大隅守継豊へ、書状を拝見し、大納言の健勝と正月二十六日の東叡山・至心院御霊前参詣を聞いて継豊が恐悦したのは尤もと返答する。書面の趣旨を言上したと知らせる。

  20. 追録5-No.2170 島津継豊請書(目録。松平上総入道の参府免除と伺い間隔の先例控)

    先例の控は、亡高祖父松平上総入道が多年来の病気で国許に保養し、毎年参府の免除を願っていたことを記す。六、七年置の伺いにしたいと願い、享保十九年四月に同氏大隅守から願い出たところ、三年置に伺うよう申し渡されたとする。その後も三年置に参府免除を願ってきたと記す。

  21. 追録5-No.2171 島津重豪願書(継豊の病気療養と三年ほどの参府免除願・朱付札許可)

    松平薩摩守重豪の三月二十五日付願書は、大隅守継豊が多年来の病気で国許に保養し、入湯しているため、当夏の参府も長旅が難しく、今後も毎年参府免除を願うことになると述べる。勝手な願いながら、許されるなら当年から巳年まで三年ほど国許に滞在して養生できるよう求め、配慮を願う。朱書の付札は、願いどおりでよいと許…

  22. 追録5-No.2172 松平輝高書状(公方健勝・増上寺御霊屋参詣を聞いた恐悦への返答)

    松平右京大夫輝高が四月二日、松平大隅守継豊へ、書状を拝見し、公方の健勝と正月二十九日の増上寺御霊屋参詣を聞いて継豊が恐悦したのは尤もと返答する。書面の趣旨を各々申し談じて上聞したと知らせる。

  23. 追録5-No.2173 松平輝高書状(竹姫入りの際の菊の御目見・拝領物への謝意)

    松平右京大夫輝高が四月二日、松平大隅守継豊へ、書状を拝見し、公方と大納言の健勝への恐悦は尤もと返答する。二月晦日に竹姫が入られた際、菊が公方への御目見と拝領物を仰せ付けられ、大納言と御簾中からも拝領物があり、重ねてありがたく思うという趣旨を承知する。書面の趣旨を各々一覧したと知らせる。

  24. 追録5-No.2174 秋元凉朝書状(竹姫入りの際の菊の御目見・拝領物への謝意)

    秋元但馬守凉朝が四月二日、松平大隅守継豊へ、書状を拝見し、公方と大納言の健勝への恐悦は尤もと返答する。二月晦日に竹姫が入られた際、菊が公方への御目見と拝領物を仰せ付けられ、大納言と御簾中の拝領物もあり、重ねてありがたく思うという趣旨を承知する。書面の趣旨を承知したと返答する。

  25. 追録5-No.2175 島津重豪願書(薩摩守又従弟女と淡路守の縁組願)

    四月七日付の願書控は、松平薩摩守の又従弟女を島津淡路守に嫁がせたいとして、縁組を願い出る。薩摩守側の取次を久世忠右衛門、淡路守側の取次を堀田内膳と記す。

  26. 追録5-No.2176 久世広氏届書(目録。又従弟女の引取世話と別紙縁組願)

    四月七日付の久世忠右衛門宛届書控は、島津淡路守との縁組を願う松平薩摩守の又従弟女について、先に届け出て薩摩守のもとへ引き取り、世話していると説明する。このため、別紙のとおり縁組を願うと伝える。

  27. 追録5-No.2177 重豪が増上寺火之番となる記事(目録。救火使交替と細注)

    御譜記事は、宝暦九年四月十六日に老中の奉書が下り、重豪が松平出羽守宗衍に代わって増上寺の救火使を務め、宝暦十一年四月に松平相模守重穆へ交替したと記す。細注は、宝暦十年四月に任命書が下らず担当者が官へ内々に問い合わせた旨を記す。また、事故があっても除免の例はないという注記を付す。

  28. 追録5-No.2178 堀田正亮外四名連署状(増上寺火之番任命と勤仕命令)

    堀田相模守ら五老中が四月十六日、松平薩摩守重豪へ、松平出羽守に代わって増上寺の火の番を命じられたので、その旨を承知して勤めるよう通知する。

  29. 追録5-No.2179 松平輝高書状(御香具・丸熨斗の披露返答)

    松平輝高が四月二十二日、松平薩摩守重豪へ、今朝献上された御香具一箱と丸熨斗一箱を披露したと知らせる。これを披露できたことを「一段の御仕合」とする返答である。

  30. 追録5-No.2180 秋元凉朝書状(御香具・丸熨斗の披露返答)

    秋元凉朝が四月二十二日、松平薩摩守重豪へ、今朝献上された御香具一箱と丸熨斗一箱を披露したと知らせる。これを披露できたことを「一段の御仕合」とする返答である。

  31. 追録5-No.2181 堀田正亮外四名連署状(翌日四時登城と病気時の名代指示)

    堀田相模守ら五老中が四月二十五日、松平薩摩守重豪へ、御用があるため翌日四時に登城するよう通知する。追書では、病気の場合は名代を差し出すよう指示する。

  32. 追録5-No.2182 幕府が重豪の又従姉妹を島津久柄に娶らせる記事(目録。縁組願への返答)

    御譜記事は、宝暦九年四月二十六日、老中が重豪を召したが、病気で登城できず松平河内守定多を名代にしたと記す。当月の老中松平右京大夫輝高が、重豪の再従妹を島津淡路守久柄に嫁がせる旨を伝え、先に提出した縁組願への返答が下った。人物注は、この女性を島津備中貴徳の娘で、重豪が以前に官へ願い出て養育した女と説明…

  33. 追録5-No.2183 島津継豊請書(国元三年間の養生許可への謝礼)

    継豊の四月二十七日付書状控は、公方と大納言の健勝を喜び、自身の病気がなお回復しないため、薩摩守重豪を通じて当年から巳年まで三年間、国元で養生したいと願った旨を述べる。願いのとおり許可されたとの申し渡しを承知し、ありがたく思うと謝意を伝える。老中五人の人々御中と、大納言御方の秋元但馬守の人々に宛てる。

  34. 追録5-No.2184 徳川家重御内書(大隅守の端午祝儀献上への返答)

    将軍家重が五月二日、松平大隅守継豊へ、端午の祝儀として贈られた帷子と単物が届き、喜んでいると伝える。詳しいことは松平右京大夫が伝えるとする御内書で、家重公の墨印を据える。

  35. 追録5-No.2185 秋元凉朝書状(端午の帷子単物献上の披露返答)

    秋元凉朝が五月二日、松平大隅守継豊へ、端午の祝儀として使者を通じて献上された帷子と単物を披露したと知らせる。これを披露できたことを「一段の御仕合」とする返答である。

  36. 追録5-No.2186 徳川家重御内書(薩摩少将の端午祝儀献上への返答)

    将軍家重が五月二日、薩摩少将重豪へ、端午の祝儀として贈られた帷子と単物が届き、喜んでいると伝える。詳しいことは松平右京大夫が伝えるとする御内書で、家重公の墨印を据える。

  37. 追録5-No.2187 秋元凉朝書状(端午の帷子単物献上の披露返答)

    秋元凉朝が五月二日、松平薩摩守重豪へ、端午の祝儀として使者を通じて献上された帷子と単物を披露したと知らせる。これを披露できたことを「一段の御仕合」とする返答である。

  38. 追録5-No.2188 松平武元書状(鶴拝領礼使の御礼と巻物拝領の謝意返答)

    松平右近将監武元が五月十二日、松平大隅守継豊へ、公方と大納言の健勝を聞いた恐悦の旨はもっともと返答する。宿次奉書で拝領した御鷹の鶴への礼使種子嶋藏人が御前に召し出され、自身の御礼も述べ、さらに巻物を頂戴したことへの重ねての謝意を承知する。書面の趣旨を各々一覧したと伝える。

  39. 追録5-No.2189 島津継豊内意書(増上寺火之番任命への御返答控)

    隅州継豊から太守重豪への五月二十七日付返答控は、重豪の無事を喜び、継豊にも障りがないと伝える。松平出羽守に代わる増上寺の火の番任命を、家督相続後初めての勤めとしてめでたく思うと述べる。この喜びを重豪へ伝え、返答を届けるよう求める。

  40. 追録5-No.2190 島津重豪公帖(大慈寺住持職の先例執務命令)

    少将重豪が宝暦九年五月二十七日、常天西堂へ、大慈寺の住持職を先例に従って執務するよう命じる。重豪の御判を据えた公帖である。

  41. 追録5-No.2191 島津重豪公帖(廣濟寺住持職の先例執務命令)

    少将重豪が宝暦九年五月二十七日、玄眞西堂へ、廣濟寺の住持職を先例に従って執務するよう命じる。重豪の御判を据えた公帖である。

  42. 追録5-No.2192 松平輝高書状(端午御内書受取の家来登城通知)

    松平右京大夫が六月二十四日、松平薩摩守重豪へ、端午の御内書を渡すため、翌日五半時に家来を城へ差し出すよう通知する。

  43. 追録5-No.2193 継豊がお薫の縁組を謝す記事(目録。島津貴儔女)

    継豊公御譜の記事は、家臣島津備中貴儔の娘「於薫」を日州佐土原城主島津淡路守久柄の妻にするため、重豪が幕府へ願書を提出し、許可を受けたと記す。継豊も書状で謝礼し、執政からの返答奉書を後に掲げるという。

  44. 追録5-No.2194 酒井忠寄書状(又従弟女の縁組許可への謝意返答)

    酒井左衛門尉忠寄が六月二十七日、松平大隅守継豊へ、公方と大納言の健勝を聞いた恐悦の旨はもっともと返答する。薩摩守重豪の又従弟女の縁組が願いどおり許されたことへの謝意を承知し、書面の趣旨を各々一覧したと伝える。

  45. 追録5-No.2195 秋元凉朝書状(又従弟女と淡路守の縁組許可への謝意返答)

    秋元但馬守凉朝が六月二十七日、松平大隅守継豊へ、公方と大納言の健勝を聞いた恐悦の旨はもっともと返答する。薩摩守の又従弟女と嶋津淡路守との縁組が願いどおり許されたことへの謝意を承知し、書面の趣旨も承知したと伝える。

  46. 追録5-No.2196 島津重豪加冠仮名書出(安之助の因幡命名)

    宝暦九年七月朔日付の加冠仮名書出は、嶋津安之助の加冠に際し、因幡と称するよう定める。花押への参照注があり、島津重豪とNo.5を付記する。

  47. 追録5-No.2197 島津重豪加冠仮名書出(藤七郎の藤九郎命名)

    宝暦九年七月朔日付の加冠仮名書出は、嶋津藤七郎の加冠に際し、藤九郎と称するよう定める。本文に「御判」と記す。

  48. 追録5-No.2198 島津重豪加冠仮名書出(大八郎の源七命名)

    宝暦九年七月朔日付の加冠仮名書出は、嶋津大八郎の加冠に際し、源七と称するよう定める。本文に「御判」と記す。

  49. 追録5-No.2199 島津重豪加冠仮名書出(町田龜袈裟の郷九郎命名)

    宝暦九年七月朔日付の加冠仮名書出は、町田龜袈裟の加冠に際し、郷九郎と称するよう定める。本文に「御判」と記す。

  50. 追録5-No.2200 島津重豪加冠仮名書出(嶋津勝袈裟の新八郎命名)

    宝暦九年七月朔日付の加冠仮名書出は、嶋津勝袈裟の加冠に際し、新八郎と称するよう定める。本文に「御判」と記す。

  51. 追録5-No.2201 島津重豪加冠仮名書出(伊集院萬太郎の半之丞命名)

    宝暦九年七月朔日付の加冠仮名書出は、伊集院萬太郎の加冠に際し、半之丞と称するよう定める。本文に「御判」と記す。

  52. 追録5-No.2202 島津重豪加冠仮名書出(嶋津安太郎の主水命名)

    宝暦九年七月朔日付の加冠仮名書出は、嶋津安太郎の加冠に際し、主水と称するよう定める。本文に「御判」と記す。

  53. 追録5-No.2203 島津重豪加冠仮名書出(旧名不記・内膳命名)

    宝暦九年七月朔日付の加冠仮名書出は、加冠に際し、内膳と称するよう定める。対象者の旧名は記されず、「本ママ、ナシ」の注記がある。本文に「御判」と記す。

  54. 追録5-No.2204 島津重豪加冠仮名書出(菱刈虎治の孫兵衛命名)

    宝暦九年七月朔日付の加冠仮名書出は、菱刈虎治の加冠に際し、孫兵衛と称するよう定める。本文に「御判」と記す。

  55. 追録5-No.2205 島津重豪加冠仮名書出(新納松之助の十郎命名)

    宝暦九年七月朔日付の加冠仮名書出は、新納松之助の加冠に際し、十郎と称するよう定める。円内に「御墨印」と表示する。

  56. 追録5-No.2206 西尾忠尚書状(琉球布等四品献上披露の返答)

    西尾隠岐守忠尚が七月二日、松平薩摩守重豪へ、今朝献じた琉球布一箱、砂糖漬天門冬一器、赤貝塩辛一器、琉球泡盛酒二壺について返答する。献上品を披露し、一段の御仕合であったと知らせる。

  57. 追録5-No.2207 秋元凉朝書状(琉球布等四品献上披露の返答)

    秋元但馬守凉朝が七月二日、松平薩摩守重豪へ、今朝献じた琉球布一箱、砂糖漬天門冬一器、赤貝塩辛一器、琉球泡盛酒二壺について返答する。献上品を披露し、一段の御仕合であったと知らせる。

  58. 追録5-No.2208 西尾忠尚書状(増上寺御霊屋参詣への恐悦返答)

    西尾隠岐守忠尚が七月二日、松平大隅守継豊へ、公方の健勝と四月二十九日の増上寺御霊屋参詣を聞いた恐悦の旨はもっともと返答する。書面の趣旨を各々申し談じ、上聞したと伝える。

  59. 追録5-No.2209 西尾忠尚書状(酷暑伺い・鰹節一箱献上披露の返答)

    西尾隠岐守忠尚が七月二日、松平大隅守継豊へ、酷暑の折に公方と大納言の機嫌を尋ねた書状を受け、両人とも健勝なので安心するよう伝える。あわせて献じた鰹節一箱を各々申し談じて披露し、一段の御仕合であったと知らせる。

  60. 追録5-No.2210 秋元凉朝書状(酷暑伺い・鰹節一箱献上披露の返答)

    秋元但馬守凉朝が七月二日、松平大隅守継豊へ、酷暑の折に公方と大納言の機嫌を尋ねた書状を受け、両人とも健勝なので安心するよう伝える。あわせて献じた鰹節一箱を披露し、一段の御仕合であったと知らせる。

  61. 追録5-No.2211 重豪襲封に付、諸社へ代参せしむ記事(目録)

    重豪公御譜は、前年の江戸での襲封を受け、七月四日に薩府から幣使を出し、大雄山東照宮へ御太刀一腰・馬代銀二枚を献納したと記す。同日、鹿府の諏方・祇園・若宮八幡・春日と福箇迫諏方へ各白銀一枚、滿家院花尾権現へ白銀五枚を献納する。二十三日には出水郷加志久利・霧島権現・末吉郷住吉と憶神社・加久藤郷二之宮・頴…

  62. 追録5-No.2212 重豪、御鷹の雲雀拝領す記事(目録)

    重豪公御譜は、閏七月四日に将軍家重が番使の妻木平四郎頼榮を芝邸へ遣わし、鷹が捕えた雲雀三十翼を重豪へ与えたと記す。重豪は老中の各邸を訪れ、謝礼したという。

  63. 追録5-No.2213 堀田正亮外四名連署状(生見玉祝儀の黄金十両献上返答)

    松平右京大夫輝高・西尾隠岐守忠尚・松平右近将監武元・酒井左衛門尉忠寄・堀田相模守正亮が七月六日、松平大隅守継豊へ、生見玉の祝儀として献じた黄金十両について返答する。献上品を披露し、一段の御仕合であったと知らせる。

  64. 追録5-No.2214 秋元凉朝書状(生見玉祝儀の黄金十両献上返答)

    秋元但馬守凉朝が七月六日、松平大隅守継豊へ、生見玉の祝儀として献じた黄金十両について返答する。献上品を披露し、一段の御仕合であったと知らせる。

  65. 追録5-No.2215 西尾忠尚書状(健勝恐悦・端午拝領謝意への返答)

    西尾隠岐守忠尚が七月六日、松平大隅守継豊へ、公方と大納言の健勝を喜ぶ書状を受け、恐悦の趣旨をもっともと認める。端午の祝儀として時服と御肴を拝領したことへの謝意を承知し、書面の趣旨を各々申し談じて上聞したと報告する。

  66. 追録5-No.2216 秋元凉朝書状(健勝恐悦・公方からの端午拝領謝意への返答)

    秋元但馬守凉朝が七月六日、松平大隅守継豊へ、公方と大納言の健勝を喜ぶ書状を受け、恐悦の趣旨をもっともと認める。端午の祝儀として公方から時服と御肴を拝領したことへの謝意を承知し、書面の趣旨を言上したと報告する。

  67. 追録5-No.2217 西尾忠尚書状(生見玉祝儀の黄金十両献上返答)

    西尾隠岐守忠尚が七月六日、松平薩摩守重豪へ、生見玉の祝儀として献じた黄金十両について返答する。献上品を披露し、一段の御仕合であったと知らせる。

  68. 追録5-No.2218 秋元凉朝書状(生見玉祝儀の黄金十両献上返答)

    秋元但馬守凉朝が七月六日、松平薩摩守重豪へ、生見玉の祝儀として献じた黄金十両について返答する。献上品を披露し、一段の御仕合であったと知らせる。

  69. 追録5-No.2219 菱刈實詮外三名連署証状(廣濟寺への新田高百斛永代寄附)

    鎌田典膳政昌・嶋津主鈴久郷・義岡弾正久中・菱刈藤馬實詮が閏七月十八日、伊集院廣濟寺現住の玄察東堂へ、修学が法中に抜きんでていることが重豪に伝わり、新田高のうち百斛を同寺へ永代寄附されたと知らせる。土地が確定した時に知行目録を渡し、それまで年々の所務を下すという。

  70. 追録5-No.2220 西尾忠尚書状(健勝恐悦・三年間国許養生許可謝意への返答)

    西尾隠岐守忠尚が七月二十六日、松平大隅守継豊へ、公方と大納言の健勝を喜ぶ書状を受け、恐悦の趣旨をもっともと認める。継豊の病気がなお回復せず、薩摩守重豪を通じて当年から巳年まで三年間国許で養生する願いが許可されたことへの謝意を承知する。書面の趣旨を各々一覧したと報告する。

  71. 追録5-No.2221 秋元凉朝書状(健勝恐悦・三年間国許養生許可謝意への返答)

    秋元但馬守凉朝が七月二十七日、松平大隅守継豊へ、公方と大納言の健勝を喜ぶ書状を受け、恐悦の趣旨をもっともと認める。継豊の病気がなお回復せず、薩摩守重豪を通じて当年から巳年まで三年間国許で養生する願いが許可されたことへの謝意を承知する。書面の趣旨を承知したと返答する。

  72. 追録5-No.2222 せやま外四名連署消息(国許養生許可謝意の取次返答)

    松しま・岩はし・うら尾・さえた・せやまの五人が、松平大隅守様人々御中へ、四月二十七日付書状の返答をする。公方・大納言・御簾中の健勝を喜ぶ挨拶を受け、病気が回復しないため薩摩守重豪の取次で当年から巳年まで三年間国許で養生する願いが許されたことへの謝意が伝えられたと記す。表向からの礼に加え、書面の趣旨を…

  73. 追録5-No.2223 せやま外四名連署消息(大納言・御簾中への養生許可謝意取次)

    松しま・岩はし・うら尾・さえた・せやまの五人が、松平大隅守様人々御中へ、四月二十七日付書状の返答をする。公方・大納言・御簾中の健勝を喜ぶ挨拶を受け、病気が回復しないため薩摩守重豪の取次で当年から巳年まで三年間国許で養生する願いが許されたことへの謝意が伝えられたと記す。表向からの礼に加え、大納言と御簾…

  74. 追録5-No.2224 堀田正亮書状(健勝恐悦・嘉定規式初登城着座謝意への返答)

    堀田相摸守正亮が閏七月十三日、松平大隅守継豊へ、公方と大納言の健勝を喜ぶ書状を受け、恐悦の趣旨をもっともと認める。薩摩守重豪が嘉定の規式に初めて登城し、着座を命じられたことへの謝意を承知する。書面の趣旨を各々一覧したと報告する。

  75. 追録5-No.2225 秋元凉朝書状(健勝恐悦・嘉定規式初登城謝意への返答)

    秋元但馬守凉朝が閏七月十五日、松平大隅守継豊へ、公方と大納言の健勝を喜ぶ書状を受け、恐悦の趣旨をもっともと認める。薩摩守重豪の嘉定規式での初登城に関する謝意と、書面の趣旨を承知したと返答する。本文の「登城着被仰付」には、「座」の脱字を疑う「座脱カ」の編者注が付く。

  76. 追録5-No.2226 島津重豪書状(年始使節と進物への返答)

    少将重豪が八月十八日、中山王へ、年始の祝儀のために使者を派遣し、目録どおりの品を贈られたことを喜ぶと返答する。丁寧な配慮への謝意を述べ、なお今後の喜びの時を期すると記す。

  77. 追録5-No.2227 島津重豪書状(宮平親方謝恩使帰帆への返答)

    少将重豪が八月十八日、中山王へ、一昨年春に大清国へ謝恩使として派遣した宮平親方が帰帆したとの知らせを受けたと返答する。その使者を通じて目録どおりの品を送られたことについて、丁寧な配慮への謝意を述べる。

  78. 追録5-No.2228 島津重豪書状(小波津親雲上進貢使帰帆への返答)

    少将重豪が八月十八日、中山王へ、先の子年に大清国へ派遣した進貢使小波津親雲上が北京での勤めを済ませ、前年十一月に帰帆したとの知らせを受けたと返答する。このたび小波津を通じて別録の品を贈られたことについて、丁寧な配慮は身に余ると述べる。

  79. 追録5-No.2229 島津重豪書状(大清賜緞子三巻への返答)

    重豪が八月十八日、中山王へ、謝恩使の帰帆に際し、大清から賜った緞子三巻を贈られたことへの謝意を述べる。丁寧な配慮は身に余ると伝える。

  80. 追録5-No.2230 島津重豪書状(金入龍紋緞子・色緞子各一巻への返答)

    重豪が八月十八日、中山王へ、大清からの賜物である金入龍紋緞子一巻と色緞子一巻を贈られたことを喜ぶ。丁寧な配慮への謝意を述べる。

  81. 追録5-No.2231 島津重豪書状(安否返答と紅縮緬五巻への謝意)

    重豪が八月十八日、中山王の平安を知らせる書状を受けて喜び、自身も変わりなく過ごしているので安心してほしいと返答する。紅縮緬五巻を贈られたことについて、懇篤な配慮への謝意を述べる。

  82. 追録5-No.2232 島津重豪書状(元服等祝儀の進物への返答)

    少将重豪が八月十八日、中山王へ、前年の元服・御一字拝領・少将任官・御道具拝戴・名替の祝儀として、越来按司を通じて太刀一腰・馬代黄金十両と目録どおりの品を贈られたと返答する。丁寧な祝意を喜ぶと伝える。

  83. 追録5-No.2233 島津重豪書状(初御目見祝儀の進物への返答)

    少将重豪が八月十八日、中山王へ、前年夏の初御目見が滞りなく済んだことの祝儀として、高宮城親方を通じて太刀一腰・馬代白銀百両と目録どおりの品を贈られたと返答する。丁寧な祝意を喜ぶと伝える。

  84. 追録5-No.2234 島津重豪書状(刑部卿の娘との縁組内意)

    松平薩摩守重豪が八月、刑部卿の娘について、自分との縁組を取り組みたいとの意向が伝えられているとして、その内意を申し上げておくと届ける。

  85. 追録5-No.2235 松平武元書状(機嫌伺いと干鯛献上への返答)

    松平右近将監武元が九月七日、松平大隅守継豊へ、公方と大納言の機嫌を尋ねる書状を受け、両人は引き続き健勝なので安心してほしいと返答する。干鯛一箱の献上を各々と申し談じて披露し、その結果を「一段之御仕合」と伝える。

  86. 追録5-No.2236 秋元凉朝書状(機嫌伺いと干鯛献上への返答)

    秋元但馬守凉朝が九月七日、松平大隅守継豊へ、公方と大納言の機嫌を尋ねる書状を受け、両人は引き続き健勝なので安心してほしいと返答する。干鯛一箱の献上を披露し、その結果を「一段之御仕合」と伝える。

  87. 追録5-No.2237 徳川家重御内書(継豊の重陽祝儀への返答)

    家重が九月七日、松平大隅守継豊へ、重陽の祝儀として小袖一重が届いたことを喜ぶと伝える。詳しくは松平右近将監が述べると記す。

  88. 追録5-No.2238 秋元凉朝書状(継豊の重陽祝儀への返答)

    秋元但馬守凉朝が九月七日、松平大隅守継豊へ、重陽の祝儀として使者を通じて献じられた小袖一重を披露し、その結果を「一段之御仕合」と伝える。

  89. 追録5-No.2239 徳川家重御内書(重豪の重陽祝儀への返答)

    家重が九月七日、薩摩少将重豪へ、重陽の祝儀として小袖一重が届いたことを喜ぶと伝える。詳しくは松平右近将監が述べると記す。

  90. 追録5-No.2240 秋元凉朝書状(重豪の重陽祝儀への返答)

    秋元但馬守凉朝が九月七日、松平薩摩守重豪へ、重陽の祝儀として使者を通じて献じられた小袖一重を披露し、その結果を「一段之御仕合」と伝える。

  91. 追録5-No.2241 記事(襲封・官位祝いの宴と前髪除去・贈答)

    重豪は九月十一日、老中松平輝高・秋元凉朝、若年寄松平忠恒・水野忠見、奏者阿部正因・牧野貞長らを招き、盛宴と猿楽で饗応した。十三日・十八日にも知己・親戚を招いて襲封を祝い、官位昇進の祝いとして二十三日には義敏・勝長・勝當・重賢・重廣らを芝邸に招き、宴と猿楽で饗応した。二十二日に前髪を除く許可を得て二十…

  92. 追録5-No.2242 記事(襲封に伴う献納と浄国公十三回忌)

    重豪の前年の江戸襲封を受け、九月二十七日、薩府から幣使を遣わし、南泉院の台徳院から有徳院まで七院の霊牌へ白銀各二枚、清揚院・島津家の先祖の霊牌へ各一枚を献納した。同日には本立寺の祖五世の霊塔へ青帙二百足を献じ、十月五日まで各地の祖先の霊塔・寺院へ白銀各一枚を納めた。十月十日の浄国公十三回忌に際し、六…

  93. 追録5-No.2243 松平武元書状(重陽御内書の受渡し)

    松平右近将監武元が十月二十六日、松平薩摩守重豪へ、重陽の御内書を渡すため、翌日五つ半時に家来を城へ差し出すよう命じる。

  94. 追録5-No.2244 島津重豪伺書(上総入道吉貴の妹の伊勢参宮)

    重豪が、国許にいる亡き高祖父上総入道吉貴の妹を翌春に伊勢へ参宮させたいとして、差し支えがないか伺う。付紙は伺いのとおりでよいと回答し、十一月二日に伺いどおりに整えて縫殿殿へ差し出したとの注記がある。

  95. 追録5-No.2245 堀田正亮外四名幕府老中連署状(翌日四つ時の登城指示)

    松平右京大夫・西尾隠岐守・松平右近将監・酒井左衛門尉・堀田相摸守の五名が十一月三日、松平薩摩守重豪へ、御用のため翌日四つ時に登城するよう命じる。病気の場合は名代を差し出すよう追記する。

  96. 追録5-No.2246 島津重豪請書(登城指示と病気時の名代差出指示)

    松平薩摩守重豪が十一月三日、堀田相摸守・酒井左衛門尉・松平右近将監・西尾隠岐守・松平右京大夫へ、翌日四つ時の登城命令を承知したと返答する。病気の場合は名代を差し出すようにとの追記も承知したと述べる。

  97. 追録5-No.2247 島津重豪届書(風気による登城不能と名代差出)

    松平薩摩守重豪が十一月三日、翌日四つ時に登城するよう命じられたが、風気のため登城できないと届ける。島津淡路守を名代として差し出すと申し上げる。

  98. 追録5-No.2248 記事(重豪と保姫の縁組許可と謝礼)

    刑部卿徳川宗尹が令愛保姫を重豪に嫁がせたいと望み、縁談がまとまり、八月十九日に願書を出し、宗尹も幕府へ上書した。十一月三日に重豪は老中から呼び出されたが微恙のため、翌四日に名代島津淡路守久柄が白書院へ登り、西尾忠尚から縁組の裁可を伝えられた。久柄は芝邸で重豪へ報告し、老中各邸へ謝礼に赴き、家老高橋種…

  99. 追録5-No.2249 島津久柄書状(重豪の縁組命令への名代謝礼)

    島津淡路守久柄が十一月四日、薩摩守重豪は風気のため登城できず、自分が名代として登城したと述べる。その場で刑部卿の娘との縁組を薩摩守に命じる旨を伝えられたため、名代として礼を申し上げる。

  100. 追録5-No.2250 島津重豪伺書(縁組御礼の献上物指図)

    重豪が十一月四日、刑部卿の娘との縁組を命じられた礼として、公方・大納言へ献上し、国許の同氏大隅守継豊からも使札で献上して謝礼を述べたいと伺う。御簾中には双方から進物をしたいとして、献上物の指図を求める。朱注は双方とも公方へ二種一荷、大納言へ一種一荷、御簾中へ一種と記す。付紙は伺いどおりに献上してよい…