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追録5の目録
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全2,955件中 2001~2100件・21 / 30ページ
追録5-No.1959 秋元凉朝書状
秋元但馬守凉朝が七月十二日、松平大隅守継豊の礼状を受け取り、公方・大納言の機嫌がよいことを伝える。公方から端午の祝儀として時服と肴を拝領したことへの継豊の謝意を承知し、書状の趣旨を言上したと返答する。
追録5-No.1960 西尾忠尚書状
西尾隠岐守忠尚が七月十三日、松平大隅守継豊の礼状を受け取り、公方の機嫌がよいことを伝える。五月八日の東叡山御霊前への参詣について継豊が祝意を寄せたことを承知し、書状の趣旨を申し合わせて上聞に達したと返答する。
追録5-No.1961 本多正珍書状
本多伯耆守正珍が七月二十日、松平大隅守継豊へ、有徳院の七回忌法事に際して使者をもって献上した香奠を東叡山へ奉納したと伝える。このことを言上したとも知らせる。
追録5-No.1962 忠洪、農民ヲ褒賞ス(記事)
日置郡郡山郷川田村の農民長助は耕作に励み、ふだんから善行を重ね、しばしば余財を蓄えていた。川田村の田の間を流れる溝は竹を堰としていたため、たびたび洪水で壊れ、村民が困っていた。そこで長助が村吏へ申し出て、私財を出して石堰に改めたところ、その後は水損の難がなくなった。隣村もその徳を頼みとした。宝暦七年…
追録5-No.1963 松平武元書状
松平右近将監武元が八月四日、松平又三郎忠洪へ、八朔の祝儀として使者をもって進上した太刀一腰・馬代黄金十両を披露したと返答する。進物を喜ばれたことも伝える。
追録5-No.1964 秋元凉朝書状
秋元但馬守凉朝が八月四日、松平又三郎忠洪へ、八朔の祝儀として使者をもって進上した太刀一腰・馬代黄金十両を披露したと返答する。進物を喜ばれたことも伝える。
追録5-No.1965 忠洪、実母追善ノ供養ヲナス(記事)
重年は初め、公族島津兵庫久季の養子となってその家を継ぎ、島津玄蕃貴儔の娘を娶った。彼女は忠洪を産んで亡くなり、法名を正覺院殿貞範妙雅大姉といい、加治木長年寺へ葬られた。その後、重年は家兄重統の家を継ぎ、忠洪も元の家を離れて重年の後を継いだ。忠洪は実母の追善を薩府へ命じ、宝暦七年八月二十六日、正覺院殿…
追録5-No.1966 堀田正亮書状
堀田相模守正亮が九月七日、松平大隅守継豊の礼状を受け取り、公方・大納言の機嫌がよいことを伝える。機嫌伺いに添えた干鯛一箱をそれぞれ申し合わせて披露し、喜ばれたと返答する。
追録5-No.1967 秋元凉朝書状
秋元但馬守凉朝が九月七日、松平大隅守継豊の礼状を受け取り、公方・大納言の機嫌がよいことを伝える。機嫌伺いに添えた干鯛一箱を披露し、喜ばれたと返答する。
追録5-No.1968 徳川家重御内書
家重の墨印御内書で、松平大隅守継豊へ、重陽の祝儀として小袖一重が到来し、歓覧したと伝える。詳しいことは松平右近将監が述べるとしている。
追録5-No.1969 秋元凉朝書状
秋元但馬守凉朝が九月七日、松平大隅守継豊へ、重陽の祝儀として使者をもって献上した小袖一重を披露したと返答する。進物を喜ばれたことも伝える。
追録5-No.1970 秋元凉朝書状
秋元但馬守凉朝が九月七日、松平又三郎忠洪へ、重陽の祝儀として使者をもって進上した小袖一重を披露したと返答する。進物を喜ばれたことも伝える。
追録5-No.1971 堀田正亮書状
堀田相模守正亮が九月八日、松平大隅守継豊へ、紀伊大納言の逝去を聞いて悲しみ、公方の機嫌を尋ねた礼状を受け取ったと返答する。公方に変わりがないので安心するよう伝え、書状の趣旨を申し合わせて上聞に達したと知らせる。
追録5-No.1972 島津久郷書状
島津主鈴が九月十八日、在国家老五名へ、太守の来春の御目見願について隅州が同意し、家督の礼・道具・手当を相談したと知らせ、幼年の名代で参府した家来九人の初めての御目見を願うよう求める。家老三人・番頭一人・用人四人の先格を挙げ、左京の出府、番頭左源太の派遣と宮之原甚五太夫の留置、濱谷喜三左衛門らの交代、…
追録5-No.1973 島津久亮外四名在国家老連署返書
在国家老五名が十月十八日、島津主鈴の九月十八日付書状の趣旨を承知して隅州へ伝えたと朱書で答える。一門の御目見は島津出雲組一族の扱いで願い出る予定で、先便に詳しく連絡したとし、出雲ら役人を江戸から派遣する時期についても知らせるよう求める。家老・用人は申越しのとおり左京・諏訪甚兵衛を挙げ、小林中太兵衛を…
追録5-No.1974 島津久郷書状(御家督・御目見用御道具)
島津主鈴が九月十八日、在国家老五名へ、太守の家督後に脇白熊対の御鑓を用いる可否を八月に照会した件について、隅州の許可を得たと知らせる。未登城の間は黒熊対の御鑓・御手道具を用い、登城と来春の御目見には白熊対の御鑓と白い毛の御手道具を用いる旨を伝える。御鑓その他の支度について物頭書付に張紙を添えて詳しく…
追録5-No.1975 御道具照会に付された義岡・伊地知の書付(枝番一・二)
義岡相馬と伊地知嘉右衛門の御道具に関する二件の書付で、義岡は白熊御鑓・御手道具の所在と先に送る品、代鑓の鞘の作製を記す。伊地知は本文と張紙の件を貴聞へ伝え、以前の御沙汰を承知していた旨を申し上げる。
追録5-No.1975-1 義岡久仲首尾書(御道具の所在・支度)
義岡相馬が十月の書付で、御道具を引札で照会したところ、当地に白熊御鑓二対と御手道具二本があり、一対の御鑓の鞘は古いと知らせる。御鑓一対と御手道具の鞘一つは用に立つため、使えるものを先に江戸へ送る旨を記す。代鑓の鞘は結方へ作製を命じ、出来次第送るとして、鑓二竿があるとも述べる。
追録5-No.1975-2 伊地知季置書状(御道具の先年御沙汰)
御取次の伊地知嘉右衛門が十月十六日、本文と張紙の件を貴聞へ伝えたと記す。御道具については以前の御沙汰を承知していたので、その旨を申し上げると知らせる。
追録5-No.1976 島津久亮外四名在国家老連署返書(御道具)
在国家老五名が十月十八日、島津主鈴の御道具照会を承知して貴聞へ伝え、白熊御鑓二対を送るが、古い一対の鞘は新調後に送り、使える一対で当面は支障ないと朱書で答える。御手道具二本も一緒に送り、鞘の摘毛が傷んだため替え鞘二、三つを作り、完成後に送ると知らせる。江戸にある長刀二振は、一振が替え用なので拵えを少…
追録5-No.1977 桂久中大目付任命記事
宝暦七年十月晦日、桂太郎兵衛を大目付に任じた記事。桂には久中の人名注がある。出典を示す朱書注を伴う。
追録5-No.1978 島津忠洪伺書(常憲院五十回忌香奠)
松平又三郎忠洪が十月十七日、常憲院の五十回忌法事に際し、松平大隅守継豊から香奠を献上したいとして伺う。伺書の張紙には白銀二枚を献上するよう記されている。
追録5-No.1979 常憲廟五十年忌法事・香奠献上記事
宝暦七年十一月十日、大家が東叡山で常憲廟の五十年忌法事を修した。重豪は番頭を遣わし、香奠銀十枚を献上して拝礼させた記事。出典は重豪公御譜。
追録5-No.1980 酒井忠寄書状
酒井左衛門尉忠寄が十一月十五日、松平大隅守継豊の礼状を受け取り、公方・大納言の機嫌がよいと返答する。重陽の祝儀として時服と御肴を拝領した礼についても、書状の趣旨を申し合わせて上聞に達したと伝える。
追録5-No.1981 秋元凉朝書状
秋元但馬守凉朝が十一月十五日、松平大隅守継豊の礼状を受け取り、公方・大納言の機嫌がよいと返答する。公方から重陽の祝儀として時服と御肴を拝領した礼について、書状の趣旨を言上したと伝える。
追録5-No.1982 西尾忠尚書状
西尾隠岐守忠尚が十二月六日、松平又三郎忠洪へ、今朝蜜柑二箱と炙鮎一箱を進上したことへの返答を送る。進物を披露したところ、大いに喜ばれたと知らせる。
追録5-No.1983 秋元凉朝書状
秋元但馬守凉朝が十二月六日、松平又三郎忠洪へ、今朝蜜柑二箱と炙鮎一箱を進上したことへの返答を送る。進物を披露したところ、大いに喜ばれたと知らせる。
追録5-No.1984 西尾忠尚書状
西尾隠岐守忠尚が十二月十五日、松平大隅守継豊の礼状を受け取り、公方の機嫌がよいと知らせる。十月十四日の増上寺御霊屋参詣に対する祝意も承知し、書状の趣旨を申し合わせて上聞に達したと伝える。
追録5-No.1985 西尾忠尚書状
西尾隠岐守忠尚が十二月十九日、松平大隅守継豊の寒中見舞の礼状を受け取ったと返答する。公方・大納言とも機嫌がよく、ますます安全であると知らせ、献上した鯛一箱を申し合わせて披露したところ、大いに喜ばれたと伝える。
追録5-No.1986 秋元凉朝書状
秋元但馬守凉朝が十二月十九日、松平大隅守継豊の寒中見舞の礼状を受け取ったと返答する。公方・大納言とも機嫌がよく、ますます勇健であると知らせ、献上した鯛一箱を披露したところ、大いに喜ばれたと伝える。
追録5-No.1987 徳川家重御内書
家重の墨印御内書で、松平大隅守継豊へ、歳暮の祝儀として小袖一重が到来し、歓覧したと伝える。詳しいことは酒井左衛門尉が述べるとしている。
追録5-No.1988 秋元凉朝書状
秋元但馬守凉朝が十二月二十七日、松平大隅守継豊へ、歳暮の祝儀として使者をもって献上した小袖一重を披露したと返答する。進物を大いに喜ばれたことも伝える。
追録5-No.1989 秋元凉朝書状
秋元但馬守凉朝が十二月二十七日、松平又三郎忠洪へ、歳暮の祝儀として使者をもって進上した小袖一重を披露したと返答する。進物を大いに喜ばれたことも伝える。
追録5-No.1990 島津忠洪元日吉書(漢詩・和歌)
忠洪が宝暦八年正月元日の吉書に、長生殿の春秋と不老門の日月を詠んだ漢詩二句を記す。続けて「君か代は千世にやちよに」で始まる和歌を記し、長寿と君が代の永続を賀している。
追録5-No.1991 本多正珍書状
本多正珍が正月七日、松平大隅守継豊へ、若菜の祝儀として献上した鯛一折を披露したと返答する。進物を大いに喜ばれたことも伝える。
追録5-No.1992 秋元凉朝書状
秋元但馬守凉朝が正月七日、若菜の祝儀として献上した鯛一折を披露したと返答する。進物を大いに喜ばれたことも伝える。
追録5-No.1993 本多正珍書状
本多正珍が正月七日、松平又三郎忠洪へ、若菜の祝儀として進上した鯛一折を披露したと返答する。進物を大いに喜ばれたことも伝える。
追録5-No.1994 秋元凉朝書状
秋元但馬守凉朝が正月七日、松平又三郎忠洪へ、若菜の祝儀として進上した鯛一折を披露したと返答する。進物を大いに喜ばれたことも伝える。
追録5-No.1995 島津忠洪吉書(三条)
忠洪が正月十一日の吉書で、神社仏閣の修造・興行、農事の勧励、国々の年貢の徴納の三条を掲げる。この三条について沙汰するよう命じ、御判を添えている。
追録5-No.1996 堀田正亮外三名幕府老中連署状
西尾忠尚・本多正珍・酒井忠寄・堀田正亮が正月十九日、松平大隅守継豊へ、年頭の祝儀として使者をもって太刀一腰と馬代黄金十両を献上したことへの返答を送る。進物を披露したところ、大いに喜ばれたと知らせる。
追録5-No.1997 秋元凉朝書状
秋元但馬守凉朝が正月十九日、松平大隅守継豊へ、年頭の祝儀として使者をもって太刀一腰と馬代黄金十両を献上したことへの返答を送る。進物を披露したところ、大いに喜ばれたと知らせる。
追録5-No.1998 本多正珍書状
本多正珍が正月十九日、松平又三郎忠洪へ、年頭の祝儀として使者をもって太刀一腰と馬代黄金十両を進上したことへの返答を送る。進物を披露したところ、大いに喜ばれたと知らせる。
追録5-No.1999 秋元凉朝書状
秋元但馬守凉朝が正月十九日、松平又三郎忠洪へ、年頭の祝儀として使者をもって太刀一腰と馬代黄金十両を進上したことへの返答を送る。進物を披露したところ、大いに喜ばれたと知らせる。
追録5-No.2000 島津久亮書状(初御目見・元服・名乗り)
島津圖書が正月十八日、島津主鈴・高橋縫殿へ、太守の当春の御目見に伴う元服と名乗りについて相談する。元服は先例どおりに行うため、隅州を通じて名を書き出すよう命じられることを望み、前回は薩摩守・下野守と書き出した先例を述べる。名乗りの下一字について御記録奉行に吟味させた書付を送り、「豪」や「家」の字を用…
追録5-No.2001 島津久郷・高橋種寿在府家老連署返書
島津主鈴・高橋縫殿が六月十三日、太守の御目見・元服に際する名乗りの照会に朱書で返答する。太守の意向を聞いて名乗りの下一字を隅州から出す経過を述べ、三月三日に本多へ書き出したことと、別紙の吟味書を送ることを知らせる。隅州がさらに御意を聞くことや、御記録奉行の吟味書を留め置く扱いも伝える。
追録5-No.2002 島津久郷・高橋種寿在府家老連署状(御道具)
正月十八日付の書状は、当春の御目見に用いる白熊御鑓二対、御鞘四つ(うち新調二つ)、御鞘六つ(うち新調四つ)、御手道具二本などを列挙する。白熊摘毛の御鞘四つも挙げ、そのうち三つが新調品であると記す。前年十月十八日の朱書返答で新調して送るとしていた品ができたため、十三日に出立した左京に付し、与力の幸領へ…
追録5-No.2003 島津久亮外二名在国家老連署返書
三月二十二日の朱書返答は、本文に記された御道具が左京と与力幸領を通じて届いたと物頭から報告されたことを知らせる。御目見に備える白熊御鑓・御鞘・御手道具の送付書状に対する返答である。
追録5-No.2004 堀田正亮書状
堀田相模守正亮が二月四日、松平大隅守継豊の礼状を受け取り、年始の慶賀を受けたと返答する。公方・大納言の機嫌がよく、年始の規式を行ったことを喜んだ旨を承知し、献上した樽肴を申し合わせて披露したところ、大いに喜ばれたと伝える。
追録5-No.2005 秋元凉朝書状
秋元但馬守凉朝が二月四日、松平大隅守継豊の礼状を受け取り、年始の慶賀を受けたと返答する。公方・大納言の機嫌がよく、年始の規式を行ったことを喜んだ旨を承知し、献上した樽肴を披露したところ、大いに喜ばれたと伝える。
追録5-No.2006 堀田正亮書状
堀田相模守正亮が二月二十六日、礼状を受け取り、公方・大納言の機嫌がよいと知らせる。歳暮の祝儀として時服と御肴を拝領した礼について、書状の趣旨を申し合わせて上聞に達したと返答する。
追録5-No.2007 秋元凉朝書状
秋元但馬守凉朝が二月二十七日、松平大隅守継豊の礼状を受け取り、公方・大納言の機嫌がよいと知らせる。公方から歳暮の祝儀として時服と御肴を拝領した礼について、書状の趣旨を言上したと返答する。
追録5-No.2008 樺山久智外二名在府家老連署書状(初御目見・家督御礼)
高橋縫殿・島津主鈴・樺山左京が三月二十二日、在国家老四名へ、太守の初御目見・家督御礼と家来九人の御目見について、先月七日の水野壱岐守への内意から当月の取次・相談の経過を知らせる。老中の用人・留守居を通じ、願書・献上品の書付、御部屋柄の初御目見と家督御礼の先例、輪番・非番老中への対客の日程を照会したと…
追録5-No.2009 島津久亮外三名在国家老連署返書
在国家老四名が四月十二日、高橋縫殿・島津主鈴・樺山左京の三月二十二日付書状を逐一承知して隅州へ伝え、右近将監・相模守への対客が首尾よく済んだことを喜ぶと朱書で答える。相模守への対客日が二十一日とも二十二日とも書かれていて受け取り難く、使者にも尋ねたが覚えがなく確定できないと記す。いずれかの日に対客を…
追録5-No.2010 島津忠洪願書(継豊の来夏までの参府延期)
松平又三郎忠洪が四月五日、松平大隅守継豊は多年病気で国元に滞在し、入湯してもなお同じ病状で長途の旅行が難しいため、当夏の参府を来夏まで延期して養生させたいと願う。張紙には「可為願之通」とあり、願いどおりにする許可が付されている。
追録5-No.2011 本多正珍書状
本多正珍が四月十六日、松平大隅守継豊の礼状を受け取り、公方・大納言の機嫌がよいと知らせる。二月十三日の御曲輪内出火が早く鎮まったことへの祝意を承知し、書状の趣旨を申し合わせて上聞に達したと返答する。
追録5-No.2012 秋元凉朝書状
秋元但馬守凉朝が四月十六日、松平大隅守継豊の礼状を受け取り、公方・大納言の機嫌がよいと知らせる。二月十三日の御曲輪内出火が早く鎮まったことへの祝意を承知し、書状の趣旨を言上したと返答する。
追録5-No.2013 堀田正亮外四名幕府老中連署状(翌日御目見)
西尾隠岐守・松平右近将監・本多正珍・酒井左衛門尉・堀田相模守が四月十八日、松平又三郎忠洪へ、翌日に御目見を命じられたので五半時に登城するよう通知する。
追録5-No.2014 家来九人御目見・同伴通知
家来九人にも御目見を命じたので、召し連れて出るよう指示する。前項の松平又三郎忠洪への登城通知に続く書状である。
追録5-No.2015 忠洪初登城と継豊の謝礼使記事
宝暦八年四月十九日、忠洪が初めて登城し、黒書院で家重・家治に拝謁した。家臣九人も先規に従って各々拝謁し、その詳細は忠洪の御譜に譲るという。継豊は使者山田権兵衛國倫を江戸へ遣わし、両公への謝礼を行わせた。國倫は同年七月二十七日に登城し、継豊の献物二種一荷を酒井左衛門尉忠寄に申し出て献上した。続いて西城…
追録5-No.2016 忠洪初御目見・家臣拝謁と献上記事
宝暦八年四月十九日、忠洪が老中奉書を受け、熨斗目・長袴を着して登城し、黒書院で将軍父子に初めて拝謁した記事。幼少のため、一族島津淡路守久柄を同伴者に選んだが、当日は西城の親戚松平越中定賢が同伴したという注がある。家重へ太刀一腰・縮緬十巻・白銀二十枚・馬一匹、家治へ太刀一腰・白銀二十枚・馬一匹を献上し…
追録5-No.2017 忠洪初御目見・重豪改名と献上拝領記事
宝暦八年四月十九日、幼少の忠洪が松平越中守浩造に付き添われて登城した。家重へ太刀一腰・白銀二十枚・縮緬十巻・馬一匹、家治へ太刀一腰・白銀二十枚・馬一疋を献じ、黒書院で両公に拝謁した。家臣九名も進物を携えて陪謁した。五月二十五日、家重から端午を祝う御内書を受けた。六月十三日、両公に黒書院で拝謁し、家重…
追録5-No.2018 島津忠洪書状(隅州への初御目見報告)
忠洪の御筆書状で、四月二十三日、隅州へ一筆啓上し、機嫌がよいことを喜ぶ。十九日に初めて御目見を命じられ、御懇ろな上意を受けたことをありがたく思うと報告し、その旨を伝える。
追録5-No.2019 樺山久智外二名在府家老連署状(御目見報告・謝礼)
高橋縫殿・島津主鈴・樺山左京が四月二十四日、在国家老四名へ、太守と家来九人が十九日に御目見を済ませ、松平越中守の同伴で本丸黒書院と西御丸において献上・拝謁した首尾を報告する。五半時登城の命令と当日の六半時登城、御暇の礼、老中・大岡出雲守・若年寄・諸役への謝礼、本丸・西御丸の老女へ白銀二枚宛、表使へ一…
追録5-No.2020 御目見通知・受書・献上物控え(相添別紙六件)
初御目見の報告書状に添えられた別紙六件である。翌日五半時の御目見登城通知、家来九人を召し連れる通知、それぞれへの忠洪の受書、初御目見の献上物伺い、家臣九人の献上物控えで構成される。
追録5-No.2020-1 翌日五半時の御目見登城通知
西尾隠岐守が四月十八日、翌日に御目見を命じられたので五半時に登城するよう通知する。御目見通知の写である。
追録5-No.2020-2 家臣九人の御目見と召連れ指示
松平右近将監・本多伯耆守・酒井左衛門尉・堀田相模守が松平又三郎忠洪へ、家来九人にも御目見を命じたので召し連れて出るよう通知する。日付の記載はない。
追録5-No.2020-3 五半時登城の命令を承知した返答
松平又三郎忠洪が四月十八日、老中五名へ、翌日の御目見を命じられ、五半時に登城するよう通知されたことを承知したと返答する。
追録5-No.2020-4 家臣九人同伴の命令を承知した返答
松平又三郎忠洪が四月十八日、老中五名へ、家来九人にも御目見を命じられ、召し連れるよう通知されたことを承知したと返答する。
追録5-No.2020-5 初御目見時の太刀・銀・馬など献上品
松平又三郎の初御目見に際する公方・大納言・御簾中への献上物を伺い、公方へ太刀一腰・白銀二十枚・巻物十・御馬裸背一疋、大納言へ太刀一腰・白銀二十枚・御馬裸背一疋を挙げる。元文二年七月、亡祖父薩摩守の部屋柄での初御目見の先例を記し、老女衆への白銀二枚宛と表使衆への一枚宛を挙げる。附紙は公方・大納言へこの…
追録5-No.2020-6 御目見に伴う献上品と家臣・役人の控え
四月の御目見における家臣九人の献上物を記した控えである。一族の島津若狭と家老の樺山左京・島津主鈴・高橋縫殿の四人は、公方へ太刀・馬代銀・縮緬五巻、大納言へ太刀・馬代銀をそれぞれ献上する。番頭の名越左源太と用人の澁谷喜三左衛門・宮之原甚五太夫・諏訪甚兵衛・小林中太兵衛の五人は、公方へ太刀・馬代銀・縮緬…
追録5-No.2021 島津久亮外三名在国家老連署返書(御目見報告への返答)
在国家老四名が五月十八日、在府家老三名の四月二十四日付御目見報告を承知して隅州と女中方へ伝えたと朱書で答え、五月十五日の山田元右衛門の取次記録には先例どおりに首尾を整える旨の御意を記す。祝物・祝詞の使番手配を指示し、国元では慈徳院の表立った初御目見の例により惣出仕して祝儀を申し渡し、十八日に進物を送…
追録5-No.2022 樺山久智外二名在府家老連署書状(御礼進物・使者照会)
高橋縫殿・島津主鈴・樺山左京が四月二十四日、在国家老四名へ、太守の御目見後の御礼について、隅州の国元での承知を得て、公方へ二種一荷、大納言へ一種一荷を使札で、御簾中へ一種を献上したいと伺った経過を知らせる。十三日に本多伯耆守から付紙を受けたことを報じ、使札案文などを添え、十一日の使便・飛脚で照会した…
追録5-No.2023 島津久亮外三名在国家老連署返書(御礼進物・使者照会への返答)
在国家老四名が五月十八日、在府家老三名の御礼進物・使者に関する四月二十四日付書状を承知して隅州へ伝え、使札の御勤務連署一通・格書二通・御文二通を十八日付で差し越すと朱書で答える。五月十五日の山田元右衛門の取次記録には、日付と右筆の吟味どおり十八日に仰せ付け、先例に従って首尾を整える御意を記す。山田権…
追録5-No.2024 島津忠洪伺書(初御目見後の御礼進物)
松平又三郎が、初御目見後の御礼として、同氏大隅守が国元で承知したうえで、公方・大納言へ使札による献上をしたいと伺い、公方へ二種一荷、大納言へ一種一荷を挙げる。元文二年七月、亡祖父薩摩守の初御目見時の献上を先例として示し、その薩摩守の亡祖父上総入道からの献上にも言及する。附紙は公方・大納言へ記載のとお…
追録5-No.2025 樺山久智外二名在府家老連署書状(御角入・元服・袖留)
高橋縫殿・島津主鈴・樺山左京が四月二十四日、在国家老四名へ、太守の成長に応じて早く御角入を行うことと、元服・袖留の取扱いを相談する。隅州は十五歳で正徳五年三月十五日に初御目見、同年四月五日に元服、五月二十一日に袖留をした先例を挙げる。慈徳院は元文二年七月朔日に初御目見、同四年十二月十一日に元服、寛保…
追録5-No.2026 島津久亮外二名在国家老連署返書(元服・袖留)
在国家老が五月二十一日、在府家老三名の元服・袖留に関する四月二十四日付書状を承知し、同意の旨を隅州へ伝えたと朱書で答える。五月十六日の取次記録には、袖留を先例に沿って取り計らう御意を記す。元服を済ませた場合には袖留がよいとして、先例によって願い出と報告の首尾を整えるよう指示し、御守殿へも申し上げると…
追録5-No.2027 秋元凉朝書状(東叡山至心院霊前参詣への祝意)
秋元但馬守凉朝が四月十七日、松平大隅守継豊へ、大納言の機嫌がよいことを伝える。大納言が二月二十六日に東叡山・至心院霊前へ参詣したことを承知し、祝意を寄せた継豊の書面について、その趣旨を言上したと報告する。
追録5-No.2028 本多正珍書状(香具・丸熨斗進上)
本多伯耆守正珍が四月十七日、松平又三郎忠洪へ、今朝進上した香具一箱・丸熨斗一箱を披露したと伝える。その首尾を喜び、返書を送る。
追録5-No.2029 秋元凉朝書状(香具・丸熨斗進上)
秋元但馬守凉朝が四月十七日、松平又三郎忠洪へ、今朝進上した香具一箱・丸熨斗一箱を披露したと伝える。その首尾を喜び、返書を送る。
追録5-No.2030 徳川家重御内書(端午帷子・単物到来)
将軍家重が五月二日、松平大隅守継豊へ、端午の祝儀として贈られた帷子・単物が到来し、喜んで見たと伝える。詳しいことは本多伯耆守から述べるとして、御内書を送る。
追録5-No.2031 秋元凉朝書状(端午帷子・単物献上)
秋元但馬守凉朝が五月二日、松平大隅守継豊へ、端午の祝儀として使者を通じて献上した帷子・単物を披露したと伝える。その首尾を喜び、返書を送る。
追録5-No.2032 徳川家重御内書(端午帷子・単物到来)
将軍家重が五月二日、松平又三郎忠洪へ、端午の祝儀として贈られた帷子・単物が到来し、喜んだと伝える。なお本多伯耆守から申し述べるとして、御内書を送る。
追録5-No.2033 秋元凉朝書状(端午帷子・単物進上)
秋元但馬守凉朝が五月二日、松平又三郎忠洪へ、端午の祝儀として使者を通じて進上した帷子・単物を披露したと伝える。その首尾を喜び、返書を送る。
追録5-No.2034 島津継豊書状(来夏までの養生許可への謝意)
松平大隅守継豊が五月六日、老中五名と大納言御方の秋元但馬守へ、病気が続いて回復しないため、来夏まで国元で養生したいと又三郎を通じて願い出た件の許可に謝意を伝える。希望どおり命じられたことを承知したと述べ、これを申し上げるため飛札を送る。公方と大納言の機嫌がよいことも喜ぶ。
追録5-No.2035 御目見後の出仕願い・元服官位取扱い
太守の御目見が済んだため、五節句・月次の出仕を願い出ることと、間もなく命じられる元服に伴う官位の取扱いを記す。御用番への願い出も先例を調べて継豊へ伝え、堀田相模守への内談を経て、左記の書付を作成したと記録する。六月二日の朱書には、本文の趣旨を伝えた旨と海江田半蔵の取次を記す。
追録5-No.2036 樺山久智外二名在府家老連署書状(出仕・元服・官位先例)
高橋縫殿・島津主鈴・樺山左京が五月八日、在国家老四名へ、太守の出仕・元服・官位の先例と内談の結果を報告する。隅州は十五歳で御目見して間もなく元服し、その後に出仕を願い、慈徳院は十二歳で御目見・元服後に五節句の登城、十五歳から月次の出仕を許されたと記す。圓徳院は家督礼後、元服前に五節句・月次の願いを許…
追録5-No.2037 西尾隠岐守忠尚書状(竹姫入節・菊初御目見)
西尾隠岐守忠尚が五月十九日、松平大隅守継豊へ、公方と大納言の機嫌がよいことを伝える。三月十八日、竹姫君が西丸へ入る際に初めて召し連れた菊が、大納言と御簾中への御目見を許され、拝領物もあったことについて、継豊の感謝を受け止める。書面の趣旨は各々一覧したと返答する。
追録5-No.2038 秋元但馬守凉朝書状(竹姫入節・菊初御目見)
秋元但馬守凉朝が五月二十一日、松平大隅守継豊へ、公方と大納言の機嫌がよいことを伝える。三月十八日、竹姫君が西丸へ入る際に初めて召し連れた菊が、大納言と御簾中への御目見を許され、拝領物もあったことについて、継豊の感謝を受け止める。書面の趣旨を承知したと返答する。
追録5-No.2039 酒井忠寄書状(来夏国許養生許可への謝意受領)
酒井左衛門尉忠寄が六月六日、松平大隅守継豊へ、公方と大納言の機嫌がよいことを伝える。継豊の病気が続き、来夏まで国元で養生したいと又三郎を通じて願い出た件が希望どおり命じられたことについて、継豊の感謝を受け止める。書面の趣旨は各々一覧したと返答する。
追録5-No.2040 秋元凉朝書状(来夏国許養生許可への謝意受領)
秋元但馬守凉朝が六月六日、松平大隅守継豊へ、公方と大納言の機嫌がよいことを伝える。病気が続く継豊が、来夏まで国元で養生したいと又三郎を通じて願い出て許可されたことについて、継豊の感謝を受け止め、書面の趣旨を承知したと返答する。
追録5-No.2041 幕府指図書(元服改名二種・献上物書付)
幕府が松平又三郎忠洪へ、元服を命じる予定なので、改める名を二種書き出し、名乗の下の字も書付で提出するよう指示する。併せて献上物の書付も求める。
追録5-No.2042 島津忠洪伺書(薩摩守・下野守と豪字)
松平又三郎忠洪が六月三日、元服を命じられる際に、薩摩守・下野守の二候補のうち一つを称し、名乗の下の字に「豪」を用いたいと申し出る。御付札は薩摩守を認め、名乗の下の字も承知したと答える。六月九日、老中本多伯耆守が留守居を召し、付札のとおり命じた旨を追記する。
追録5-No.2043 島津忠洪伺書(継豊名義元服御礼献上)
松平又三郎忠洪が六月三日、自身の元服の御礼として、国元の大隅守継豊が承知した後に、公方・大納言へ使札による献上をしたいと伺う。公方へ御巻物十と二種一荷、大納言へ二種一荷を示し、御簾中への献上物も指示を求める。寛延二年十一月、亡父薩摩守の元服時に大隅守から使札で献上した先例を挙げる。御付紙は公方・大納…
追録5-No.2044 幕府指図書(御一字作法書・長袴着用)
幕府が松平又三郎忠洪へ、御一字を下す際の作法書を心得として送る。その日は長袴を着用するよう命じ、日限は追って知らせると伝える。
追録5-No.2045 御一字拝領の黒書院作法書
黒書院で松平又三郎が御一字を受ける際の作法を定める。小サ刀の扱いと御下段の敷居内右側への着座、老中から御字の折紙を受けて御次間へ持ち戻り、上意を受けた後に進物の御礼をする手順を記す。再び御下段に座って御盃・御銚子の作法を行い、御次間に退いて小サ刀を取って出て、下された肴と道具を受けた後、道具を御次間…
追録5-No.2046 堀田正亮外三名幕府老中連署状(翌日元服登城通知)
西尾隠岐守・本多伯耆守・酒井左衛門尉・堀田相模守が六月十二日、松平又三郎忠洪へ、翌日に元服を命じられるので五半時に登城するよう通知する。
追録5-No.2047 忠洪の元服・重豪改名と叙位少将任官
六月十三日、忠洪が老中奉書を受け、親戚の松平河内守忠多を伴って長袴で登城し、黒書院で家重・家治へ拝謁した経過を記す。家重が首服を加え、御諱字の折紙を賜ったので松平薩摩守重豪と称し、盃・紙と宝刀一腰(信国象眼銘、長さ二尺二寸六分半、代金二十枚)を拝領した。酒井左衛門尉忠寄から従四位下・少将の台命を伝え…
追録5-No.2048 島津重豪諱字勘文(重・豪の五行と字義)
本田藤原親方が六月十三日、十四歳の重豪の実名を考証する。本命は金、「重」は火局で金と相剋するため、土局の「豪」を配して土生金の関係にすれば吉であると説明する。「豪」の英邁・健などの字義を挙げ、仁愛による領国の統治、祖業の継承、民の扶養に結び付け、二字で生じる八卦も良く、富貴高名を得る名だと評する。
追録5-No.2049 継豊御譜記事(重豪元服・叙任と御礼献上)
六月十三日、忠洪が黒書院で家重から首服・御諱字を賜って薩摩守重豪と称し、従四位下・少将に任じられたことを記す。宝刀、家重が自ら取った玉箸、佳肴、盃酒を賜った。継豊は家重へ縮緬十巻・二種一荷、家治へ二種一荷を献じ、柏原彌太右衛門公明を使節に立てた。
追録5-No.2050 徳川家重一字状
家重が六月十三日、松平薩摩守へ御一字「重」を与えた書状である。「重」の一字、宝暦八年寅の日付、家重の名と花押No.3の注記、松平薩摩守殿の宛名を記す。