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追録5の目録
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追録5-No.2450 島津久峯祭文(中陰)
島津杢久峯が十月十三日の中陰に献じた祭文で、継豊が九月二十日に州城の便殿で亡くなり、十月四日に玉龍精舎で仏式の葬儀を営んだことを述べる。十余人の僧を招き、供物を整えて霊前で祭を行う。韻文では三国を領する富と武威、政令や累代の家業をたたえ、死去による深い悲しみを述べる。養育の恩を山や海にたとえ、人生の…
追録5-No.2451 島津久般祭文(中陰)
島津筑後久般が継豊の中陰に献じた祭文で、療養と治療も効なく九月二十日に亡くなり、十月四日に福昌精藍で葬送の礼を営んだことを述べる。領地の僧を招き、蘋蘩の供物と湯・茶を供えて霊前で祭を行う。韻文では国を守った功と、民が豊かに暮らしたことをたたえる。季節が巡る中で人生の無常と主君の死を嘆き、香と供物に誠…
追録5-No.2452 種子島久芳祭文(中陰)
種子島藏人久芳が継豊の中陰に献じた祭文で、病に医術の効なく九月二十日に府城の便殿で亡くなり、十月四日に玉龍金刹で仏式の火葬を営んだことを述べる。領地の僧を命じ、蘋蘩などの供物を整えて霊前で祭を行う。韻文では三州を治めた武威、民への恩沢、仁・智・礼・信の徳をたたえる。主君を失った悲しみと人生の無常を述…
追録5-No.2453 入来院定勝祭文
入来院石見定勝が継豊を悼んで献じた祭文で、病が次第に重くなり、医術も効なく九月二十日に州城の便殿で亡くなったことを述べる。玉龍蘭若へ棺を送り、十月四日に仏式の葬儀と埋葬の礼を営んだ後、供物を整えて霊前に捧げる。韻文では功を成して隠居したこと、源家の本支や子孫への配慮、家業と徳の継承をたたえ、六十歳の…
追録5-No.2454 重豪、継豊ノ中陰法事ヲ執行ス
十月二十一日から二十五日まで、福昌寺で継豊の中陰の仏事を営み、貴族・大家は先例に従って日を割り当て、それぞれ祭文を献じた。満散の日には諸役人と諸士が礼拝した。
追録5-No.2455 重豪、領知判物ヲ拝領ス(印章改賜の文書送付・校正・返納)
家治の将軍襲職に伴う領知印章改賜の命令を受け、家康から家重までの旧印章、延享三年十月十一日の領知目録、写し九巻と郡村高辻簿四冊などを江戸へ送った。本田新右衛門親方・田中孝右衛門守邦らが十月十二日に鹿児島を発ち、十二月五日に江戸へ着き、翌年正月十五日に重豪が芝邸で閲覧した。二月二十四日に家老島津主鈴久…
追録5-No.2456 秋元凉朝書状
秋元但馬守が十月二十二日、松平薩摩守重豪へ、重陽の御内書を渡す旨を伝える。翌日の五つ半時に家来を城へ差し出すよう指示する。
追録5-No.2457 島津重豪願書
重豪が十一月二十八日、将軍代替の祝儀として琉球中山王の使者を参府させる時期について幕府へ願い出る。翌年の国元への暇と申年の参府順年を踏まえ、献上品や従者の支度も整わないため、使者を申年に同行させたいとする。今年は大清の免許により進貢使を出さず、来々午年に派遣して翌未年に帰着する予定であることも理由に…
追録5-No.2458 島津重豪伺書
重豪が十一月、琉球使者を当年から五年目に当たる申年の参府に同行させたいとして、その事情と先例を伺う。今年は清国への進貢を免じられ、来々午年に渡航した使者が未年に皇帝から暇を得て帰還するため、申年より前に江戸へ派遣する場合は献上品や従者の支度が整わないと述べる。先例として、延享二年の代替に際し継豊が病…
追録5-No.2459 琉球使者召連参府の先例書付
延享二年の将軍代替に伴う琉球使者の参府先例を記す。継豊は病気で滞府しており、重年は寅年三月に参府し、同年十一月に家督を相続、翌卯年四月に暇を得て国元へ戻った。琉球使者はその次の辰年、重年の二度目の参府に同行したとする。堀田相摸守から参勤を一度過ぎて使者を同行させた例を問われ、寛延元年辰年の例を示し、…
追録5-No.2460 島津重豪請書(琉球使者申年同行)
重豪が十二月九日、琉球中山王の祝儀使者を申年の参府に同行させる願いが許されたことへの請書を差し出す。許可の旨を琉球と国元へ伝えると述べる。山本猪散太が堀田相摸守へ持参し、取次の植松友之丞が受け取って、追って申し上げる旨を答えた。
追録5-No.2461 松平輝高書状
松平輝高が十二月十二日、松平薩摩守重豪へ、今朝献じた蜜柑二箱と炙鮎一箱を披露したと伝える。一段の「御仕合」と報じる。
追録5-No.2462 秋元凉朝書状
秋元凉朝が十二月十二日、松平薩摩守重豪へ、今朝献じた蜜柑二箱と炙鮎一箱を披露したと伝える。一段の「御仕合」と報じる。
追録5-No.2463 川田國福書状
川田伊織が十二月十八日、樺山左京・菱刈藤馬・嶋津主鈴へ、圓徳院の遺髪がまだ高野へ登山していないため、有邦院の遺髪奉納に合わせて圓徳院の供養塔を建立する命が出たと報告する。建立に支障がないか高野へ照会し、大坂屋敷詰から一人を派遣するよう留守居へ伝えたが、往復の返答では間に合わない見込みなので、支障がな…
追録5-No.2464 樺山久智外二名家老連署返書
家老三名が川田伊織へ、書状本文を承知した旨を返答する。
追録5-No.2465 徳川家治御内書(小袖歳暮祝儀)
徳川家治が十二月二十七日、薩摩少将へ、歳暮の祝儀として小袖一重が到来し、喜んで見た旨を伝える。委細は松平右近将監から述べるとしている。
追録5-No.2466 松平輝高書状
松平輝高が十二月二十七日、松平薩摩守重豪へ、歳暮の祝儀として使者を通じて献じた小袖一重を披露したと伝える。一段の「御仕合」と報じる。
追録5-No.2467 川田國福若年寄申渡書
川田伊織が正月、寺社奉行へ、圓徳院の遺髪が高野へ登山していないため、菩提のための石塔建立を命じられたと申し渡す。有邦院の遺髪を登山させる際に同じ場所へ石塔を建立することを承知し、担当する役々にも伝えるよう求める。
追録5-No.2468 川田國福書状
川田伊織が二月八日、樺山左京・菱刈藤馬・嶋津主鈴へ、圓徳院の石塔建立に際し、生前常用した品を遺髪の代わりに納める案を蓮金院から伊集院覚左衛門を通じて聞いたと報告する。福昌寺への照会では遺髪は廟所の石塔に納めてあり、有邦院の遺髪と一緒に高野へ登山させて納めても支障はないと聞いたが、遅れて送ることの外聞…
追録5-No.2469 樺山久智外二名家老連署返書
家老三名が三月二日、川田伊織へ、圓徳院の遺髪を福昌寺から取り分けて送るのは難しいとして、生前常用した印籠類を差し送り、有邦院の遺髪に添えて一箱に納めるよう返答する。蓮金院と手配し、箱の寸法に合わせて石塔内部の彫刻を整え、大坂留守居にも伝えるよう指示する。位牌は有邦院と同様に安置し、先霊と同じく祠堂銀…
追録5-No.2470 重豪、重年ノ霊塔ヲ高野山ニ建立ス
龍伯以来、高野山の石塔に髪を納めた旧例と、重年の遺髪を納めなかった経緯を記す。重豪は父を追慕して石塔建立を図り、伊集院覚左衛門を高野へ遣わして蓮金院の秀惠と相談し、生前親用した品を遺髪に擬して納めることとしたが、割注には高野へ送るため分けて福昌寺廟へ納めていた実際の遺髪の経緯も記す。宝暦十一年四月二…
追録5-No.2471 蓮金院秀惠疏
重豪を施主として六月十八日に父重年を追薦する諷誦疏で、父母への報恩と生前・死後に孝を尽くす務めを説く。重年の修文・講武と三州の民への恩をたたえ、父を失った悲しみを述べる。七回忌に旧例に従って石塔を建立し、五十人の僧による法会を修する旨を記し、父の悟りと冥福、宗家の子孫の繁栄を祈る。
追録5-No.2471-1 圓徳院重年の追薦日供法事契帖
蓮金院秀惠が六月十八日、圓徳院重年の追薦のための襯金を受領したことを記し、今後も香・茶などを供え、神位への読経と追薦を怠らず続けると約する。島津家から累代にわたって受けた檀信の恩に報い、後日の確認のため契帖を残すと述べる。
追録5-No.2472 圓徳院重年法事大曼荼羅供職衆請定
圓徳院重年の法事で行う大曼荼羅供の職衆を列記する。導師を寺務検校執行法印大和尚位眞辨、前左学頭を無量壽院、右学頭を寶性院とし、西室院・天徳院・蓮金院などの院坊を掲げる。南院の咒願、龍光院の唄、丹生院の散花、普門院の経頭、櫻池院の堂達、遍照尊院・大樂院の讃頭を注記する。衲衆と甲衆の区切りを示し、それぞ…
追録5-No.2473 圓徳院重年追薦大曼荼羅供職衆請定
圓徳院重年の追薦大曼荼羅供に出仕する職衆を請定する。導師眞辨、前左学頭無量壽院・右学頭寶性院と諸院坊を掲げ、咒願・唄・散華・経頭・堂達・讃頭などの役を付記し、各名に「奉」を添える。衲衆と甲衆を区分し、宝暦十一年六月の日付で、来る十八日に蓮金院道場へ参勤するよう求める。
追録5-No.2474 重豪、継豊ノ遺髪ヲ高野山ヘ納メ、霊塔ヲ建ツ
重豪が四月二十一日に継豊の遺髪を牌堂から客殿へ移し、翌朝、島津久尚が重豪に代わって焼香して福昌寺から送り出した経過を記す。重年の常用品を遺髪に擬して継豊の遺髪とともに高野へ納めることとし、川田伊織國福と寺僧らに護送させたが、久亮は多忙で同行できず、定勝は途中で帰った。一行は海路を経て六月十五日に蓮金…
追録5-No.2475 蓮金院秀惠契帖
蓮金院秀惠が六月十七日、継豊の神牌を先例に従って寺に安置し、香花などの供養に用いる浄財を受領したと記す。祖先以来の布金と、代々相承してきた封戸・斎田に言及し、住職として宗廟の祭祀を担い、毎日の供養を続けると約する。神牌の奉安と供養の約束を後日の確認のために記録し、この契帖を残す。
追録5-No.2476 宥邦院(継豊)追薦大曼荼羅供職衆請定
継豊の追薦大曼荼羅供に出仕する職衆五十名・院を請定する。導師は寺務検校執行法印大和尚位眞辨、前検校は法印弘範、前左学頭は無量壽院、右学頭は寶性院で、各名に「奉」を添える。西室院に咒願、天徳院に唄、多聞院に散華、華王院に経頭、高祖院・金剛頂院に讃頭、引攝院に堂達を配し、衲衆と甲衆を区分して院坊を列記す…
追録5-No.2477 有邦院(継豊)法事大曼荼羅供職衆請定
継豊の法事で行う大曼荼羅供の職衆として、導師眞辨、前検校弘範、前左学頭無量壽院・右学頭寶性院と諸院坊を列記する。西室院の咒願、天徳院の唄、多聞院の散華、華王院の経頭、高祖院・金剛頂院の讃頭、引攝院の堂達を注記する。衲衆・甲衆を区分した後、総陽院・龍城院・月輪院・中藏院・教覺院・日光院・青蓮院などの三…
追録5-No.2478 島津重豪諷誦文
重豪が祖父継豊の追薦に献じた諷誦文で、三宝や僧衆への敬意を述べ、自然の感応と、迷いや沈淪にある者への仏の救済を説く。継豊の仁義による内政と武功、三州の民に及んだ恩をたたえ、孝孫として慈恩に報いきれない悲しみを述べる。高野の霊場に五輪の石塔を建て、五十人の僧による大曼荼羅供を営み、供物・香花・音楽を捧…
追録5-No.2479 重豪、有邦院ノ遺物ヲ有司知己ニ贈ル/久柄、香奠・祭文ヲ有邦院ニ献ズ
四月、継豊の遺物の料紙・硯箱を東叡山・日光の門跡へ贈り、水野忠見・松平定賢・松平定邦・柳生備前守・鳥井伊賀守・島津久柄・阿部豊後守らには掛物一幅ずつ、松平修理大夫には三幅を贈ったと記す。親族・近臣などにも、それぞれ差等をつけて遺物を分けた。九月十七日から二十一日まで福昌寺で継豊の小祥の仏事を営んだ。…
追録5-No.2480 島津久柄祭文
島津淡路守久柄が継豊の小祥に献じた祭文で、前年の宝暦十年九月二十日に祈りや医術の効なく亡くなり、十月四日に葬礼を終えたことを回想する。小祥を迎える宝暦十一年九月十七日、大安寺の住持と十余人の僧に、玉龍で香と精進の供物を捧げさせ、哀惜と謝恩を告げる。累代に受けた恩を述べ、韻文で継豊の文武の徳、仁政と三…
追録5-No.2481 琉球王尚穆祭文并供物ヲ献ズ
九月二十一日、継豊の霊前に琉球王尚穆からの祭文と供物を献じた経過を記す。前年に訃報が琉球へ届くと、尚穆は祭文、書写した法華経一部、大官香十把、賻銀三十枚を、国頭按司、圓覺寺長老湛玄、祭文を誦む長老朴翁らに託して薩摩へ派遣した。海路が遠く往来に時を要したため、使者は今年五月に到着し、この日に福昌寺の継…
追録5-No.2482 琉球王尚穆祭文
琉球王尚穆が継豊を悼む祭文で、宝暦十年九月二十日の死去を翌月に聞き、十一年六月に僧俗二人を薩摩へ派遣し、書写した妙典全部と供物を霊前に献じる旨を述べる。継豊を源家の棟梁とたたえ、文武の徳、仁恕の政治、家国を安んじ琉球に及んだ恩を詠む。六十歳で秋に没したことを惜しみ、この世を仮の住まい、三界を旅の宿に…
追録5-No.2483 島津重豪吉書
重豪が正月元日の吉書に、嘉辰令月と千秋万歳を寿ぐ賀詞を記す。三千年に実るという桃に重ねて、花咲く春に巡り会った喜びを詠む和歌を添え、末に重豪御判を据える。
追録5-No.2484 島津重豪吉書
重豪が正月十一日の吉書に、神社・仏閣の修造興行、勧農、国の年貢徴納の三か条を掲げる。右の三か条を沙汰するよう命じ、重豪御判を据える。
追録5-No.2485 松平武元書状
松平右近将監武元が正月七日、松平薩摩守へ、若菜の祝儀として献じられた鯛一折を披露したと返答する。披露の結果を「一段之御仕合」と伝える。
追録5-No.2486 松平輝高書状
松平右京大夫輝高が正月七日、松平薩摩守へ、若菜の祝儀として献じられた鯛一折を披露したと返答する。披露の結果を「一段之御仕合」と伝える。
追録5-No.2487 重豪御鷹ノ鶴拝領ス
正月十八日、家治が馬場三郎左衛門尚式を芝邸へ遣わし、重豪に鷹狩りで得た鶴一雙を賜った。重豪は老中の各邸へ赴いて礼を述べた。
追録5-No.2488 重豪帰國ス
重豪の動静として、正月十八日の家治からの鶴拝領と、二月朔日の備中貴儔の政府上席出座・国事関与を記す。四月十三日に西行を前に芝邸の護摩所へ参り、十六日に秋元但馬守を介して紗綾三十巻・黄金百枚と帰国の命を受け、大御所家重からも輝高を介して下賜品を受け、十八日に登城して暇を告げ刀一腰・馬一匹を拝領した。十…
追録5-No.2489 近衛内前書状
近衛内前が二月六日、薩摩少将へ、年頭の賀章と目録記載の贈物が届いたことを喜ぶ。相手が平安に年を越したことを重ねて喜び、こちらも同様であると知らせ、後日の音信を期すると結ぶ。
追録5-No.2490 重豪奉文ノ取扱ヒヲ規定ス
賜贈・献上や吉凶の問合せについて、老女が宮中の内旨を伝える連状を奉文と呼ぶ。史官が御譜に転載するため右筆へ照会したところ、後の参考にならない奉文は焼いていたと回答された。将軍家の奉文や親藩・旧知の書札は右筆に預けて国元へ送り史館に収めるが、諸家書札も後用のないものは選んで焼くと記す。長年を経た口伝の…
追録5-No.2491 島津重豪書状
重豪がまつ嶋・たか岳らへ、両御所と御台が健勝であることを喜ぶ。公方から上使滝川殿を介して「御拳の雁」が浄岸院へ贈られたことを、自身にもありがたい「仕合」と述べ、礼を伝えたいと記す。その意を御台にも伝え、機会を見て御前へ取り次ぐよう求める。追伸でも、よろしく取り計らうよう頼む。
追録5-No.2492 重豪将軍宣下ヲ賀シ招宴ス
重豪は家治の将軍宣下を祝い、継豊の喪で前年冬に見送った招宴を二月十八日に芝邸で開き、老中・若年寄・奏者・大目付・奉行・留守居らを招き、観世・金春らの舞曲と酒食で親戚・幕府の士も饗応した。浄岸院も使者を出し、翌日は重豪が老中へ礼を述べ、主鈴久郷らを若年寄などへ遣わして謝礼し、家治・家重・御台所に各々杉…
追録5-No.2493 酒井忠寄外二名(幕府老中)連署状
秋元但馬守・松平右近将監・酒井左衛門尉が二月十九日、松平薩摩守へ、御用につき明後二十一日の五つ半に登城するよう連名で通知する。服装は熨斗目半袴と指定する。
追録5-No.2494 秋元凉朝書状
秋元凉朝が二月二十日、松平薩摩守の留守居へ、歳暮の御内書を渡す旨を伝える。明日の五つ半に御城へ出向くよう通知する。
追録5-No.2495 重豪登城シ武家諸法度ヲ受ク
重豪が二月二十一日の召しに応じて登城し、家治が大広間に出御して大名の拝謁を受けた。老中が上意による法令を伝え、中奥小姓が条令書を中段に置き、儒者林内記が読み上げた。重豪は拝聴して退出し、西丸へ赴いて政令を祝った。
追録5-No.2496 武家諸法度
二月二十一日付の武家諸法度で、文武・忠孝・礼義、毎歳の参勤交代と従者数、分限相応の人馬・兵具、築城禁止と修繕届を定める。徒党・私関所・新たな津留を禁じ、騒動時の持ち場と命令待ち、刑罰役以外の出向禁止、喧嘩・私争論の制限と奉行への届出、百姓訴訟の支配相談と評定所への提出を規定する。私婚姻と贅沢を禁じ、…
追録5-No.2497 島津重豪書状
重豪が二月二十二日、大御所方のまつ嶋・たか岳らへ、両御所と御台が健勝であることを喜ぶ。このたび条目が命じられたことを恐悦し、その喜びを大御所にも申し上げたいと伝える。機会を見て御前へ取り次ぐよう求め、追伸でもよろしく取り計らうよう頼む。
追録5-No.2498 島津重豪届書
重豪が二月二十四日、領内には御朱印を頂戴している寺社がないと届け出る。前年秋、酒井左衛門尉から、寺社領の多少にかかわらず境内だけの場合も、御料・私領の寺社が現在持つ朱印状に写しを添え、正月から三月までに差し出すよう命じられていた。朱注は、この書付を調えて主鈴へ差し上げ、写しを右筆に預けたと記す。さら…
追録5-No.2499 島津重豪書状
重豪が三月朔日、公方方のまつ嶋と大御所方のたか岳らへ、両御所と御台が健勝であることを喜ぶ。公方への内証向の献上物と拝領物について浄岸院があらかじめ願い出ており、今日その件を渡されたことをありがたい「仕合」と述べ、御台への伝達と御前への礼の取次を求める。附記の写しは、献上品に干鯛一箱を、浄岸院の年始登…
追録5-No.2500 島津重豪書状
重豪が三月朔日、両御所と御台が健勝であることを喜び、今日大御所への御目見を仰せ付けられ、懇ろな上意を受けたことをありがたい「仕合」と述べる。その礼を御台にも伝え、機会を見て御前へ取り次ぐよう求め、追伸でもよろしく取り計らうよう頼む。
追録5-No.2501 島津重豪書状
重豪がまつ嶋・たか岳らへ、両御所と御台が健勝であることを喜び、今日大御所への御目見を仰せ付けられ、懇ろな上意を受けたことをありがたい「仕合」と述べる。その礼を御台にも伝え、機会を見て御前へ取り次ぐよう求め、追伸でもよろしく取り計らうよう頼む。宛名脇には、たか岳に「公方様江」、うら尾に「御台様」、いは…
追録5-No.2502 松平武元書状
松平右近将監武元が三月十九日、松平薩摩守へ、御台の着帯を祝って使者を通じ目録記載の品を献じた件を披露したと返答する。一段の「御仕合」であった旨を伝える。
追録5-No.2503 松平輝高書状
松平右京大夫輝高が三月十九日、松平薩摩守へ、御台の着帯を祝って大御所に使者を遣わし、目録記載の品を献じた件を披露したと返答する。一段の「御仕合」であった旨を伝える。
追録5-No.2504 重豪、老女衆等ヲ賀宴ニ招待ス
重豪が三月二十二日、将軍宣下を祝い、両御所附および御台所附の老女衆・客応接衆・表使衆を芝邸に招いて饗応する。同日、両御所と御台所にそれぞれ杉重一組と鯛一折を献じた。
追録5-No.2505 島津重豪伺書
重豪が四月三日、帰国の暇を得た翌年の参府で、先願いどおり公方へ鞍置馬二疋を献じ、大御所にも表御馬を献じたいと伺う。代替初参府では公方へ国立御馬二疋、大納言へ一疋を献じ、右大将への献上を認められた先例と、通常参府で大納言へ献じてきた扱いを挙げ、大御所への献上方法を問う。朱附紙は、公方には鞍置馬二疋、大…
追録5-No.2506 献上物例書
献上物例書は、享保元年の代替初参府で高祖父薩摩守が公方へ鞍置馬二疋を献じた先例を挙げる。延享二年には曽祖父大隅守が病気で滞府し、翌年は代替初参府の順年として公方へ従来どおり鞍置馬二疋を献じたが、大御所・大納言への各一疋の鞍置馬は不要とされた。寛延元年十二月の祖父と宝暦四年八月の父の参府では、公方に裸…
追録5-No.2507 重豪、家督初メテ暇賜ハル
四月十六日、家治が秋元但馬守凉朝を芝邸へ遣わし、重豪に襲封後初の帰国の暇を許し、紗綾三十巻と白銀百枚を賜る。同日、家重も松平右京大夫輝高を使者として縮緬二十巻を贈った。重豪は老中各邸へ赴いて礼を述べ、若年寄各邸には家老菱刈藤馬を遣わして謝意を伝えた。
追録5-No.2508 島津重豪書状
重豪が四月十六日、大御所方の岩はし・さえた・せやまへ、両御所と御台が健勝であることを喜ぶ。今日、公方から秋元但馬守を上使として家督後初の帰国の暇と拝領物を賜ったことを、ありがたい「仕合」と述べる。その礼を申し上げたいので、機会を見て御前へ取り次ぐよう求め、追伸では御表からも礼を申し上げるが、よろしく…
追録5-No.2509 島津重豪伺書
重豪が四月十六日、家督後初の帰国の暇を得たため、先例どおり京都に立ち寄って阿部伊予守へ挨拶し、近衛家へ参上したいと伺う。朱附紙は京都への立寄りを勝手次第とし、近衛家への訪問は阿部伊予守に伺うよう指示する。朱注は、留守居佐久間源太夫を通じて御用番井上河内守へ提出し、受取・挨拶をする旨が伝えられたと源太…
追録5-No.2510 島津重豪伺書
重豪が四月十六日、帰国の暇への礼として、先例どおり公方へ使札で献上したいと申し出る。大御所へは従来の大納言への例に従ってよいか、御台にも献上品が必要かを伺い、附紙は公方・大御所へ従来どおり献じ、御台への献上は不要と指示する。朱注は、例書を添え、留守居佐久間源太夫を通じて御用番井上河内守へ提出したと記…
追録5-No.2511 酒井忠寄外二名老中連署状
井上河内守・秋元但馬守・松平右近将監・酒井左衛門尉が四月十七日、松平薩摩守へ連名で通知する。明日の五つ半に登城し、帰国の暇を許された礼を申し上げるよう命じる。
追録5-No.2512 幕府指図書
家来一人に御目見を命じたため、その者を召し連れて出向くよう通知する。正文に日付・署名・宛名はなく、目録は四月十八日付の幕府指図書とする。
追録5-No.2513 重豪登営シ、将軍ニ拝謁ス
重豪は四月十八日、前日の老中奉書を受けて登城し、黒書院で家治に謁して帰国の暇への礼を述べ、森川内膳正が奏達した。家治から懇ろな言葉と、阿州氏吉象眼銘の宝刀一腰・馬一匹を賜り、刀の注は「長弐尺三寸弐部」「代金二十枚」「有折紙」とする。芝邸留守家老高橋縫殿も重豪に同行して登城し、家治へ太刀一腰・馬代白銀…
追録5-No.2514 島津重豪伺書
重豪が四月十七日、国元への帰国の暇を許されたことへの礼を述べ、近く江戸を出立したいと伝える。前年の「御代替」に際して誓詞を提出したいと願っていた件について、この機会に提出するよう命じられるか、内意を伺う。
追録5-No.2515 島津重豪願書
四月十八日付で松平薩摩守へ渡された井上河内守の書附は、明朝六つ時に私宅へ出向いて誓詞を行い、罰文まで調えて持参するよう求める。誓詞の宛名は老中四人を席次どおりに記し、判形は事前に済ませ、血判はこちらで行うよう指示する。
追録5-No.2516 島津重豪書状
重豪が四月十八日、大御所方のいは橋・さえた・せやまへ、両御所と御台の健勝を喜ぶ。家督後初の暇への礼を述べたところ、公方から懇ろな上意を受け、腰物と馬を拝領し、家来にも御目見を許されたことを、重なるありがたい「仕合」と伝える。その礼を御前へ取り次ぐよう求め、追伸では御表からも礼を申し上げるが、よろしく…
追録5-No.2517 島津重豪書状
重豪のお榮宛書状として、前掲の書状と同文であることを「今上」と省記し、本文全文は載せない。宛名は「お榮様」で、「吉貴妹」と注記する。
追録5-No.2517-1 太守様より御口上(正文標示。目録に独立表題なし)
重豪が四月十九日、妙心院・嶺松院への口上で、二人の健勝を喜び、江戸の一同も変わりがないと伝える。十六日に秋元但馬守を上使として家督後初の暇と白銀・巻物を賜り、大御所からも松平右京大夫を通じて巻物を拝領したと知らせる。前十八日に礼の登城をしたところ、懇ろな上意と腰物・馬を賜ったことをありがたく思い、そ…
追録5-No.2518 島津重豪起請文前書
重豪が四月十九日、酒井左衛門尉・松平右近将監・秋元但馬守・井上河内守へ差し出す起請文の前書で、公方への忠勤を尽くし、表裏を持たないと誓う。一門方・公家衆や親類・縁者などに野心を抱く者があれば早く言上し、同心しないと定める。御代替に際して公儀を重んじ、仕置を疎略にせず守り、琉球国が仕置に背く企てをして…
追録5-No.2519 岩下方峯覚
岩下佐次右衛門が四月十九日、誓詞を紋付挾箱に納め、麻上下着用の歩行・箱付各一人と提灯二張を伴って六つ時前に井上河内守宅へ先行し、御用人倉垣平覚へ服紗を取った白木箱と控え二通を渡した経過を記す。六つ時過ぎに重豪が到着し、列記した名と順序のとおり誓詞が済んで退出した後、岩下は河内守の使者として大目付池田…
追録5-No.2520 島津重豪願書
重豪が四月二十一日、帰国の暇を得たものの男子がいないため、在国中に不慮の事態があれば、国元に置く三十歳の島津杢へ相続を命じ、跡職を滞りなく維持できるよう願う。松平薩摩守の名で署し、酒井左衛門尉・松平右近将監・秋元但馬守・井上河内守を宛名とする。朱注によれば、二十日に本文のとおり書付を調え、主鈴から差…
追録5-No.2521 島津重豪願書
重豪が四月二十一日、家督後初めて帰国の暇を得たことに伴い、先例どおり宿次を通じて御肴を拝領できるよう沙汰を願う。この件は家の「規模」に関わるため格別に願い出るとし、内意を申し上げる。松平薩摩守の名で署し、独立した宛名は記されていない。
追録5-No.2522 菱刈実詮書状
菱刈藤馬が四月二十三日、嶋津図書・鎌田隼人・鎌田典膳へ、太守の御代替に伴う誓詞の経過を報告する。前年五月二十五日に樺山左京を使者として当時の御用番松平右近将監へ願い出たが、出立が迫っても沙汰がないため、十七日に井上河内守へ書付を差し出した。十八日に留守居が召され、翌朝六つ時に誓詞をする旨を別紙で命じ…
追録5-No.2523 重豪、家督初メテ帰国ス
重豪は四月二十三日、島津杢・主鈴らと芝邸を発ち、五月十一日に伏見、十二日に京都へ入り、阿部伊豫守に将軍の安否を伺い、近衛内前と初対面して平松中納言・交野少納言を交えた会食を受けた。十五日に伏見へ戻り、京橋から大坂へ下り、十九日に尼箇崎へ渡り、山陽道・赤間関・大里を経て六月十九日に出水、二十三日に鹿城…
追録5-No.2524 徳川家治御内書
家治が五月二日、薩摩少将へ、端午の祝儀として帷子・単物が到来したことを喜ぶと返答する。委細は井上河内守から伝えるとし、家治公の墨印が記される。
追録5-No.2525 重豪、孝子褒賞
日置郡郡山郷東俣村の農夫幸兵衛は、幼くして父を失い、母に孝養を尽くす一方、父の声や姿を知らないことを悲しみ、風雨・寒暑にも怠らず毎日墓参した。やがて母が病がちで歩き難くなると肩輿を用意し、母が行きたい所へ子とともに担いで、その楽しみをかなえた。兄や妻の父母にも丁寧に接し、村中がその孝友を称えた。この…
追録5-No.2526 松平武元書状
松平右近将監武元が五月十一日、松平薩摩守へ、書状を披見したことと公方が健勝であることを伝える。四月二十九日の増上寺御霊屋への参詣を聞いて恐悦したという旨はもっともであり、書面の趣旨を申し談じて上聞に達したと返答する。
追録5-No.2527 松平武元書状
松平右近将監武元が六月朔日、松平薩摩守へ、書状を披見したことと公方が健勝であることを伝える。五月八日の東叡山御霊前への参詣を聞いて恐悦したという旨はもっともであり、書面の趣旨を申し談じて上聞に達したと返答する。
追録5-No.2528 重豪、慈徳院ノ法事ヲ修ス
六月六日から十日までの五日間、福昌寺で慈徳院殿の十三回忌法事を営んだ。初日は島津周防忠紀、八日は入来院石見定勝が代参した。夜の頓写では島津大学久尚が重豪に代わって「灌硯水」を行い、十日の施餓鬼には島津播磨久敦が代参した。満散寄合の式もあり、定勝が重豪に代わって臨んだ。
追録5-No.2529 家重薨、又巡見使領内ヲ巡見ス
六月十二日、家重が江戸西城で五十一歳で死去して惇信院と諡され、二十九日に薩摩へ訃報が届き、重豪は三原源五左衛門を江戸へ遣わして香奠銀三十枚を献じた。西国巡見使の青山七右衛門・神保帯刀・花房兵右衛門が六月二十二日に出水米之津へ入り、阿久根・永利・宮之城・金山・蒲生・加治木を経て、二十八日に重富で重豪が…
追録5-No.2530 島津重豪届書
重豪が六月二十四日、巡見上使の青山七右衛門・神保帯刀・花房兵右衛門が、二十二日に肥後から私領の薩州出水米之津へ異状なく到着したと届け出る。現地へ派遣していた家来たちから、その旨の報告を受けたと記す。松平薩摩守の名で署し、独立した宛名は記されていない。
追録5-No.2531 菱刈實詮申渡書
菱刈藤馬が六月十二日、家重が今暁丑下刻に薨去したと知らせ、月次の御礼に出る者は翌十三日に太守の機嫌を伺って家老と対面し、諸士は十三日から十五日までに出仕して帳面に記名し退出するよう申し渡す。末々まで髪・鬚と月代を伸ばし、御守殿勤めの者も同様に心得るよう求め、日数は追って知らせるとする。用事以外の外出…
追録5-No.2531-1 幕府触書
家重が病から快復していないため、機嫌伺いとして翌六月十二日に西丸へ総出仕し、そこでの勤めの後に本丸へ総出仕するよう定める。六月十一日付で、大目付に宛てた触書である。
追録5-No.2531-2 幕府触書
家重の薨去に伴い、六月十二日の当日から普請と鳴物を停止する旨を、大目付へ知らせる。この旨を触れるよう命じており、停止の日数は記されていない。
追録5-No.2531-3 幕府触書
六月十三日と十四日は、家重の機嫌伺いのため両日とも総出仕するよう定める。十五日には万石以上の者が機嫌伺いに登城することとし、大目付へこの旨を触れるよう命じる。発給日は六月とのみ記され、十三・十四・十五日は出仕の指定日である。
追録5-No.2531-4 幕府触書
家重の薨去に伴う機嫌伺いについて、病気・幼少・隠居の者は老中板倉佐渡守の屋敷へ使者を遣わし、在国・在邑の者は佐渡守へ使札を送るよう定める。大目付に宛てて、この旨を触れるよう命じる。
追録5-No.2531-5 江副某・中川某連署廻状
江副金兵衛・中川部兵衛が六月十二日、秋元但馬守の申渡しを踏まえ、有徳院の薨去時には当日の勤めに間に合わず翌日から勤めたと知らせ、廻状を速やかに順達するよう求める。家重の機嫌伺いは御一七日まで毎日二度、用番へ使者を遣わす先例を示す。在国者がそれぞれ江戸へ出向く機嫌伺いについては当地で先例を把握していな…
追録5-No.2531-6 家重葬礼諸役名書
六月十三日の機嫌伺いの総出仕に際し、老中が寺社奉行太田摂津守・毛利讃岐守、大目付筒井大和守、勘定奉行石井備後守、作事奉行安藤弾正少弼、大目付大田三郎兵衛・曲淵勝次郎・松平庄九郎へ、家重の出棺・葬送・法事の用を命じ、若年寄が侍座した。十五日の総出仕では小姓組の松平左太夫と書院番の京都使者を掲げ、贈位・…
追録5-No.2531-7 幕府大目付副状
大目付が六月十四日、細川越中守へ、酒井左衛門尉から渡された書付の写一通を返し、同列の四品以上の者へ漏れなく遅滞なく伝えるよう求める。返答については各自からの挨拶を要せず、それぞれ稲垣出羽守へ知らせるよう指示する。本文宛名は細川越中守殿で、留守居との記載はない。
追録5-No.2531-8 幕府触書
家重の薨去に伴い、増上寺で入棺・葬送を行い、新たな霊屋は造立せず、文昭院の霊屋の相殿に霊牌を安置するよう仰せ出されたと知らせる。大目付へ急ぎ伝達するよう求め、松平阿波守の留守居への記載を伴う。
追録5-No.2531-9 幕府大目付副状
大目付が六月十四日、松平越後守・松平相摸守の留守居へ、秋元但馬守から渡された書付の写一通を送り、同席中へ漏れなく速やかに伝えるよう求める。返答については各自からの挨拶を要せず、それぞれ大井伊勢守へ知らせるよう指示する。
追録5-No.2531-10 幕府触書
家重の薨去後に月代を剃る時期を定め、松平加賀守・溜詰譜代大名・高家・奏者番・諸番頭・諸役人・番衆らは三七日後、国持・庶流外様大名・交替寄合・表高家・寄合・小普請は二七日後、御目見以下・坊主・同心・軽い者は一七日後とし、陪臣の月代剃りは差し支えないとする。家重付きの者は別に、御目見以上が五十日後、以下…
追録5-No.2531-11 幕府大目付副状
大目付が六月十五日、松平越前守・細川越中守の留守居へ、秋元但馬守から渡された書付の写一通を送り、同列の四品以上の者へ漏れなく遅滞なく伝えるよう求める。返答については各自からの挨拶を要せず、それぞれ稲垣出羽守へ知らせるよう指示する。
追録5-No.2531-12 幕府触書
家重の中陰の機嫌伺いに際する献上物を定め、万石以上の在江戸者は二度、在国・在所者は一度とし、侍従以上は檜重、四品・十万石以上は干菓子、その他は伺いによるとする。侍従・四品・十万石以上の二度目の献上物も、品は伺いによると定める。十万石以上の隠居は在江戸・在所とも使者を通じ精進物を一度贈り、在国・在所者…
追録5-No.2532 松平凉朝書状
秋元但馬守凉朝が六月二十五日、松平薩摩守へ、使者を通じて献じられた琉球布一箱・砂糖漬天門冬一器・干椎茸一箱・琉球泡盛酒二壺を披露したと返答する。凉朝の判を伴い、松平薩摩守殿に宛てる。
追録5-No.2533 松平武元書状
松平右近将監武元が七月三日、松平薩摩守へ、献じられた檜重一組を披露したと返答する。武元の判を伴い、松平薩摩守殿に宛てる。
追録5-No.2534 島津重豪書状
重豪が松嶋・たか岳・うら尾・いは瀬・砂野・はつ崎・瀧川へ、大御所が少し病気であると御守殿から聞いたため、内々に機嫌を伺うと知らせる。この意をよろしく伝え、なおいっそうよく取りなしてほしいと頼む。宝暦十一年の朱書を伴うが、月日と独立した署名は記されていない。
追録5-No.2535 島津重豪届書
重豪が七月二十三日、巡見上使の青山七右衛門・花房兵右衛門は私領内の巡見を済ませ、二十日に伊東豊後守の領内である飫肥へ移ったと届け出る。神保帯刀は病気のため私領内に滞在していると知らせる。松平薩摩守の名で署し、独立した宛名は記されていない。