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追録5の目録

暫定版です。原文との照合により、概要や文書の区切り等を修正する場合があります。

全2,955件中 201~300件・3 / 30ページ

  1. 追録5-No.187 蓮金院三時僧衆名書

    蓮金院での追善法要に参加する「三時僧衆」として、乗蔵院、雨宝院、尭王院など多数の院坊を列挙した名簿。

  2. 追録5-No.188 島津宗信諷誦文

    宗信が父吉貴(浄国院殿)の追善のため高野山での読経を請う諷誦文。吉貴の仁政と徳行をたたえ、五十余の僧衆による供養を願う。

  3. 追録5-No.189 尚敬、吉貴ノ霊前ニ祭文ヲ捧ク

    吉貴の訃報を受けた琉球国王尚敬が弔使を派遣。八月五日に使節が浄光明寺で祭文を捧げ、大乗妙典・香・賻銀三十枚を霊前に供えた。

  4. 追録5-No.190 琉球国王尚敬祭文

    琉球国王尚敬が吉貴(浄国院殿)を悼んで捧げた祭文。吉貴の薩摩・琉球に及ぶ治績と恩徳をたたえ、使節が浄光明寺の霊前で祭典を営む。

  5. 追録5-No.191 島津忠雅、吉貴ノ小祥忌ニ祭文ヲ献ス

    改元後の寛延元年十月六日から十日まで浄光明寺で吉貴(浄国院殿)の小祥忌を修した。佐土原城主忠雅の子久柄が使者を遣わし、七日に祭文と賻銀を霊前に捧げた。

  6. 追録5-No.192 島津忠雅祭文

    島津忠雅が吉貴(浄国院殿)の小祥忌に捧げた祭文。大安寺の黙堂らによる浄光明寺での供養を述べ、吉貴の治績と家門への恩徳を追慕する。

  7. 追録5-No.193 酒井忠知書状

    酒井忠知が大隅守継豊へ、若菜の祝儀として鯛一折を献じた件は披露済みであり、結構な仕合せであると正月七日付で返答する。

  8. 追録5-No.194 秋元凉朝書状

    秋元凉朝が大隅守継豊へ、若菜の祝儀の鯛一折を披露したと正月七日付で伝え、その献上を「一段之御仕合」と記す。酒井忠知による前項とは別通の返書である。

  9. 追録5-No.195 酒井忠知書状

    酒井忠知が薩摩守宗信へ、若菜の祝儀として献じられた鯛一折を披露したと正月七日付で知らせる。同じ品目を扱うNo.193・194とは宛先が異なる。

  10. 追録5-No.196 秋元凉朝書状

    秋元凉朝が薩摩守宗信へ、若菜の祝儀の鯛一折は披露済みであり、「一段之御仕合」であると正月七日付で返答する。同件のNo.195は酒井忠知による返書である。

  11. 追録5-No.197 島津宗信吉書

    宗信が正月十一日の吉書に、神社仏閣の修造興行、農事を専ら勧めること、諸国の年貢を徴納することを三箇条として掲げる。右の事項に沙汰があればその状況に応じると付記し、御判を据える。正文は文庫にあると記す。

  12. 追録5-No.198 酒井忠知書状

    酒井忠知が大隅守継豊へ、年頭祝儀として使者が献じた太刀一腰と馬代黄金十両を披露したと正月十一日付で返す。「一段之御仕合」と述べる短い返書である。

  13. 追録5-No.199 西尾忠尚書状

    西尾忠尚が松平大隅守(島津継豊)へ、年頭の祝儀として使者が太刀一腰と馬代黄金十両を献じた件を披露し、「一段之御仕合」と返す。正月十一日付で、同じ進物に関するNo.198の酒井忠知返書とは差出人が異なる。

  14. 追録5-No.200 秋元凉朝書状

    秋元凉朝が大隅守継豊へ、使者が年頭祝儀として献じた太刀一腰と馬代黄金十両を披露したと正月十一日付で知らせる。同件の酒井・西尾の返書とは別通である。

  15. 追録5-No.201 酒井忠知外三名連署状

    松平武元・本多正珍・堀田正亮・酒井忠知が連署し、松平薩摩守(島津宗信)の使者による年頭祝儀の太刀一腰・馬代黄金十両の献上を披露して、「一段之御仕合」と返す。正月十一日付で、継豊宛のNo.198~200に対し、宗信宛の四名連署書状である。

  16. 追録5-No.202 秋元凉朝書状

    秋元凉朝が薩摩守宗信へ、使者が年頭祝儀として献じた太刀一腰・馬代黄金十両を披露したと正月十一日付で返答する。継豊宛のNo.200とは宛先が異なる。

  17. 追録5-No.203 西尾忠尚書状

    西尾忠尚が薩摩守宗信へ、年頭祝儀の使者が届けた太刀一腰・馬代黄金十両を披露したと正月十一日付で伝える。No.199は同じ祝儀についての継豊宛返書である。

  18. 追録5-No.204 酒井忠知書状

    酒井忠知が松平薩摩守(島津宗信)に、上総入道(島津吉貴)死去への将軍の弔意に対する謝意と、宗信が礼使を差し越した旨を承知したと返答する。使者の書面を関係者で協議し、将軍へ言上したことを知らせる。

  19. 追録5-No.205 秋元凉朝書状

    秋元凉朝が松平薩摩守(島津宗信)に、上総入道(島津吉貴)の死去に対する将軍の弔意を受けて宗信が礼使を遣わした旨を承知したと答える。使者の持参した書面の趣旨を将軍に言上したことを伝える。

  20. 追録5-No.206 西尾忠尚書状

    西尾隠岐守忠尚が松平薩摩守(島津宗信)に、同氏上総入道(島津吉貴)の死去について将軍の意向を奉書で伝えたことを確認する。宗信がその礼に使者を差し越したため、書面の趣旨を将軍へ言上したと正月十八日付で知らせる。

  21. 追録5-No.207 酒井忠知書状

    酒井雅楽頭忠知が松平薩摩守(島津宗信)に、上総入道(島津吉貴)の死去に際し上使による香奠が下され、三御所様から大隅守にも意向が伝えられたことへの礼を受け取ったと伝える。宗信が差し越した使者の書面についても言上したと知らせる。

  22. 追録5-No.208 秋元凉朝書状

    秋元但馬守凉朝が松平薩摩守(島津宗信)に、上総入道(島津吉貴)の死去に際しての上使による香奠と、三御所様から大隅守へ伝えられた意向への礼を承知したと答える。宗信が遣わした使者の書面を将軍へ言上した旨を知らせる。

  23. 追録5-No.209 西尾忠尚書状

    西尾隠岐守忠尚が松平薩摩守(島津宗信)に、上総入道(島津吉貴)の死去について伝えられた将軍の意向への礼を承知したと答える。宗信が礼使を差し越したため、その書面の趣旨を将軍へ言上した旨を正月十八日付で知らせる。

  24. 追録5-No.210 酒井忠知書状

    酒井忠知が松平薩摩守(島津宗信)へ、三御所の健勝を伝える。宗信の家督後初めての帰国を気遣う宿次奉書により御肴が下され、その礼使が御前へ召し出されて拝領物を受けたことへの謝意を承知したと、正月十九日付で返す。

  25. 追録5-No.211 秋元凉朝書状

    秋元凉朝が松平薩摩守(島津宗信)へ、三御所の健勝を伝える。宗信の家督後初めての帰国を気遣う宿次奉書による御肴の拝領と、礼使が御前に召し出されて拝領物を受けたことへの謝意を承知したと、正月十九日付で返す。

  26. 追録5-No.212 西尾忠尚書状

    西尾忠尚が松平薩摩守(島津宗信)へ、三御所の健勝を伝える。宗信の家督後初めての帰国を気遣う宿次奉書による御肴の拝領と、礼使の御前召出し・拝領物への謝意を承知したと、正月十九日付で返す。

  27. 追録5-No.213 堀田正亮書状

    堀田相模守正亮が松平薩摩守(島津宗信)に、改年の祝いと三御所様の機嫌、年始の儀式についての宗信の挨拶を承知したと答える。宗信が献じた御樽肴について関係者で相談のうえ披露したと二月六日付で知らせる。

  28. 追録5-No.214 秋元凉朝書状

    秋元但馬守凉朝が松平薩摩守(島津宗信)に、改年の祝い、三御所様の機嫌、年始の儀式に関する挨拶を承知したと答える。宗信の献じた御樽肴を披露した旨を二月六日付で伝える。

  29. 追録5-No.215 西尾忠尚書状

    西尾隠岐守忠尚が松平薩摩守(島津宗信)に、改年の祝いと三御所様の機嫌、年始の儀式に関する宗信の挨拶を承知したと答える。宗信が献じた御樽肴についても言上したと二月六日付で伝える。

  30. 追録5-No.216 徳川宗翰書状

    水戸宰相徳川宗翰が松平薩摩守(島津宗信)へ、年頭の賀状を受け取ったと返す。宗翰も無事に新年を迎え、宗信の側も変わりなく年を越したと聞いて喜ぶ、二月八日付の書状。

  31. 追録5-No.217 清崎・高瀬連署消息

    高瀬・清崎が松平薩摩守(島津宗信)に、正月二十一日付の書状を受け取ったと返す。三御所様の機嫌を喜び、宿次奉書による将軍の鷹の鶴拝領と、その礼使を差し出した旨を承知したと伝える。

  32. 追録5-No.218 さえた外五名連署消息

    豊岡・梅その・松しま・浦尾・たきつ・さえたの六名が松平薩摩守(島津宗信)に、正月二十一日付の書状を受け取ったと返す。将軍の鷹の鶴拝領と礼使、御内証や大納言への礼について承知したと伝える。

  33. 追録5-No.219 堀田正亮書状

    堀田正亮が松平大隅守(島津継豊)に、歳暮の御内書を渡すため翌日の五つ半時に家来を登城させるよう伝える。二月廿日付の通知。

  34. 追録5-No.220 秋元凉朝書状

    秋元凉朝が松平薩摩守(島津宗信)に、宗信から献じられた枝柿一箱を披露したと三月五日付で伝える。

  35. 追録5-No.221 松平武元書状

    松平武元が松平薩摩守(島津宗信)に、三御所様の機嫌を喜ぶ書状を受け取ったと答える。同氏大隅守(島津継豊)が将軍の鷹の鶴を拝領した礼に使者を遣わした件を承知したと三月九日付で伝える。

  36. 追録5-No.222 本多正珍書状

    本多正珍が松平薩摩守(島津宗信)に、三御所様の機嫌を喜ぶ書状を受け取ったと答える。同氏大隅守(島津継豊)の鷹の鶴拝領について礼使が差し越された旨を承知し、書面の趣旨を言上したと伝える。

  37. 追録5-No.223 清崎・高瀬連署消息

    高瀬・清崎が松平薩摩守(島津宗信)へ、竹姫君が登城した際の様子を報じる。三御所への目見えと拝領物、御内証・大納言様への目見えや礼について伝え、宗信からの書面の趣旨も承知したと記す。

  38. 追録5-No.224 松平武元書状

    松平武元が松平薩摩守(島津宗信)へ、公方の健勝を伝え、正月十日の東叡山御霊屋参詣について宗信からの書面を承知したと返す。書面の趣旨を同僚と相談して上聞した旨を三月十一日付で知らせる。

  39. 追録5-No.225 松平武元書状

    松平武元が松平薩摩守(島津宗信)へ、公方の健勝を伝え、正月二十四日の増上寺御霊屋参詣について宗信からの書面を承知したと返す。書面の趣旨を同僚と相談して上聞した旨を三月十五日付で知らせる。

  40. 追録5-No.226 松平武元書状

    松平武元が松平薩摩守(島津宗信)に、竹姫君の入節に伴い宗信が拝領物を受け、同氏大隅守(島津継豊)にも公方様から拝領物があった旨の書状を受け取ったと答える。礼使を遣わしたことを承知したと三月廿五日付で伝える。

  41. 追録5-No.227 西尾忠尚書状

    西尾忠尚が松平薩摩守(島津宗信)に、竹姫君の入節に際して宗信が拝領物を受け、同氏大隅守(島津継豊)にも公方様から拝領物があったとの報告を受け取ったと答える。宗信の礼使を承知したと三月廿五日付で伝える。

  42. 追録5-No.228 堀田正亮書状

    堀田正亮が松平薩摩守(島津宗信)に、至心院殿の中陰法事が行われるため、宗信が使者を通じて東叡山に御香奠を献じたことを承知したと答える。書面の趣旨を言上したと三月廿六日付で伝える。

  43. 追録5-No.229 秋元凉朝書状

    秋元凉朝が松平薩摩守(島津宗信)に、竹姫君の入節に際して宗信が拝領物を受け、同氏大隅守(島津継豊)にも公方様から拝領物があったとの報告を受け取ったと答える。宗信からの礼使を承知したと四月三日付で伝える。

  44. 追録5-No.230 秋元凉朝書状

    秋元凉朝が松平薩摩守(島津宗信)に、同氏大隅守(島津継豊)が旧臘に上使から鷹の鶴を拝領したことへの礼を承知したと答える。差し越された礼使の書面の趣旨を受け取ったと四月四日付で伝える。

  45. 追録5-No.231 秋元凉朝書状

    秋元凉朝が松平薩摩守(島津宗信)に、宗信が宿次奉書により鷹の鶴を拝領した礼として、北郷権八を使者に樽肴を献じたことを承知したと答える。使者が将軍の前に召し出されたことも四月四日付で知らせる。

  46. 追録5-No.232 西尾忠尚書状

    西尾忠尚が松平薩摩守(島津宗信)に、宗信が宿次奉書により鷹の鶴を拝領した礼として、北郷権八を使者に樽肴を献じたことを承知したと答える。書面の趣旨を言上したと四月四日付で伝える。

  47. 追録5-No.233 酒井忠知外三名連署状

    松平武元・本多正珍・堀田正亮・酒井忠知が連署して松平薩摩守(島津宗信)に、鷹の鶴拝領の礼として北郷権八を使者に献じた樽肴を披露したと知らせる。使者が将軍の前に召し出された旨を四月五日付で伝える。

  48. 追録5-No.234 本多正珍書状

    本多正珍が松平薩摩守(島津宗信)に、宗信から献じられた御香具一箱と丸熨斗一箱を披露したと知らせる。披露後、格別の喜びが示された旨を四月十一日付で伝える。

  49. 追録5-No.235 秋元凉朝書状

    秋元凉朝が松平薩摩守(島津宗信)に、宗信から献じられた御香具一箱と丸熨斗一箱を披露したと知らせる。披露後、格別の喜びが示された旨を四月十一日付で伝える。

  50. 追録5-No.236 本多正珍書状

    本多正珍が松平薩摩守(島津宗信)に、二月廿五日の竹姫君の西丸入節に際し、大御所様から宗信と同氏大隅守(島津継豊)へ拝領物があったことへの礼を承知したと答える。書面を関係者で閲覧した旨を四月廿三日付で伝える。

  51. 追録5-No.237 秋元凉朝書状

    秋元凉朝が松平薩摩守(島津宗信)に、二月廿五日の竹姫君の西丸入節に際し、大御所様から宗信と同氏大隅守(島津継豊)へ拝領物があったことへの礼を承知したと答える。宗信の書面の趣旨を受け取ったと四月廿三日付で伝える。

  52. 追録5-No.238 西尾忠尚書状

    西尾忠尚が松平薩摩守(島津宗信)に、二月廿五日の竹姫君の西丸入節に際し、大御所様から宗信と同氏大隅守(島津継豊)へ拝領物があったことへの礼を承知したと答える。宗信の書面の趣旨を受け取ったと四月廿三日付で伝える。

  53. 追録5-No.239 島津久甫外四名連署証状

    島津久甫ら五名が、清水姫城村・羽月烏巣村・羽月大嶋村・高原蒲牟田村などにある高百斛の地を、弥勒院の寺領に加える知行目録。土地を村ごとに掲げ、名寄帳は別冊とし、後年も違失なく収納させる旨を連署で定める。

  54. 追録5-No.240 島津久甫外四名連署証状

    島津久甫ら五名が、志布志月野村・末吉南之郷村などにある高三十二石二斗五升余の地を龍洞院の寺領として寄附した知行目録。名寄帳を別冊として村ごとの土地を示し、後年も違失なく収納させる旨を連署で定める。

  55. 追録5-No.241 島津久甫外四名連署証状

    島津久甫ら五名が、鶴田村・志布志月野村などにある高三十石の地を慧英寺の寺領として寄附した知行目録。村ごとの土地と別冊の名寄帳を示し、後年も違失なく収納させる旨を連署で定める。

  56. 追録5-No.242 島津久甫外四名連署証状

    島津久甫ら五名が、志布志月野村・清水姫城村などにある高三十石の地を小根占安楽寺の寺領として寄附した知行目録。村ごとの土地と別冊の名寄帳を示し、後年も違失なく収納させる旨を連署で定める。

  57. 追録5-No.243 宗信、至心院の死を悼む

    宗信公御譜中に、延享五年二月二十五日、御部屋が営中で死去したと記す。割注は家重の側室・家治の実母と説明し、後号を至心院殿とする。

  58. 追録5-No.244 堀田正亮書状

    堀田正亮が松平薩摩守(島津宗信)に、至心院殿の死去を受けて宗信が使者を遣わし、大御所の安否を尋ねた件に答える。大御所には変わりがないので安心するよう伝え、書面の趣旨を関係者で相談して上聞したと知らせる。

  59. 追録5-No.245 秋元凉朝書状

    秋元凉朝が松平薩摩守(島津宗信)に、至心院殿の死去を受けて宗信が使者を遣わし、大御所の安否を尋ねた件に答える。大御所には変わりがないので安心するよう伝え、宗信の書面の趣旨を言上したと知らせる。

  60. 追録5-No.246 西尾忠尚書状

    西尾忠尚が島津宗信に、御部屋様の死去を受けて宗信が大御所様の機嫌を尋ねた件について答える。大御所は変わりなく過ごしていると伝え、宗信の書面の趣旨を受け取ったと四月二十七日付で知らせる。

  61. 追録5-No.247 徳川家重御内書

    徳川家重が松平大隅守(島津継豊)へ、端午の祝儀として献じられた帷子一重の到来を喜ぶと告げる。五月四日付の御内書で、詳しいことは本多伯耆守正珍が伝えると記す。

  62. 追録5-No.248 秋元凉朝書状

    秋元凉朝が松平大隅守(島津継豊)へ、端午の祝儀として使者が帷子一重を献じた件を披露し、「一段之御仕合」と返す。五月四日付で、同件に対する家重御内書No.247とは差出人と形式の異なる一通。

  63. 追録5-No.249 徳川家重御内書

    徳川家重が松平薩摩少将(島津宗信)へ、端午の祝儀として献じられた帷子一重の到来を喜ぶと告げる。五月四日付の御内書で、詳しいことは本多伯耆守正珍が伝えると記す。

  64. 追録5-No.250 秋元凉朝書状

    秋元凉朝が松平薩摩守(島津宗信)へ、端午の祝儀として使者が帷子一重を献じた件を披露し、「一段之御仕合」と返す。五月四日付で、同件に対する家重御内書No.249とは差出人と形式の異なる一通。

  65. 追録5-No.251 高上願格式定

    高持成願の格式について、持留地を願い出て買入れ・拝借を受ける者への免の付与を整理した定書。差図による免の付与と、後に土地を買い入れた者や拝借した者への免の扱いを分け、郡方が免の証文を渡す手順を定める。最初の免を得た高持の取扱いを延享五年五月に決めたことを記す。

  66. 追録5-No.252 本多正珍書状

    本多正珍が島津宗信に、有章院様三十三回忌の法事が執り行われるにあたり、宗信が使者を遣わして増上寺へ香奠を奉納する件について答える。宗信の書面の趣旨を承知したと六月十四日付で知らせる。

  67. 追録5-No.253 松平武元書状

    松平武元が松平薩摩守(島津宗信)へ、公方の健勝を伝え、四月二十日の東叡山御霊前参詣について宗信からの書面を承知したと返す。書面の趣旨を同僚と相談して上聞した旨を六月十九日付で知らせる。

  68. 追録5-No.254 故島津吉貴霊塔碑文

    宗信公御譜に収められた島津吉貴の霊塔に関する文章。吉貴が薩府で生まれ、薩摩・大隅・日向三国の主として琉球を兼領したこと、延享四年に薩府で没したことを記す。宗信が祖考を追薦して浄国院殿鑑阿天清道照大居士の塔を建て、文を記した。

  69. 追録5-No.255 三時勤行僧衆請定

    白木御文書五番箱に収められた、延享五年六月二十二日の三時勤行僧衆の定め。西勝院・相應院・中藏院などに続き、蓮金院まで多数の寺院と担当僧を列記し、勤行の奉仕者を確定する。

  70. 追録5-No.256 浄国院吉貴追薦大曼荼羅供職衆請定

    蓮金院が、浄国院殿鑑阿天清道照大居士の追薦大曼荼羅供に奉仕する僧衆を六月二十五日付で定める。御導師をはじめ寺務検校・執行法印・前左尊頭を示し、定光院・日光院・蓮金院・五智院など多数の寺院ごとに担当僧を列記する。

  71. 追録5-No.257 浄国院吉貴位牌証帖

    蓮金院が、浄国院殿鑑阿天清道照大居士の菩提を記した位牌証帖。高野山を諸仏の集まる道場とし、故人の徳をたたえて冥福を祈り、法界宮裏の四曼荼羅を安養界に備える旨を六月二十七日付で記す。

  72. 追録5-No.258 島津宗信諷誦文

    島津宗信が、祖考島津吉貴を追薦する三宝聚僧達の礼を述べた文章。吉貴が薩摩・大隅・日向三国と琉球を治めた徳をたたえ、浄国院殿鑑阿天清道照大居士の供養をめぐる仏教的な讃辞を連ねる。末尾に延享五年六月十七日、宗信敬白と記す。

  73. 追録5-No.259 島津継豊寄進状

    島津継豊の御譜に、紀州高野山の浄国院殿へ石灯籠二基を寄進したことを記す。寄進者は薩摩・大隅・日向三国主で琉球を兼領する島津継豊と示し、吉貴追薦に関わる奉納品とする。

  74. 追録5-No.260 本多正珍書状

    本多正珍が島津継豊に、端午の御内書を渡すため、翌日の五つ半時に家来を登城させるよう知らせる。御城での受け渡し日時を指示した六月二十四日付の書状。

  75. 追録5-No.261 松平武元書状

    松平武元が島津宗信に、有章院様三十三回御忌の法事が増上寺で執り行われる件について答える。宗信の書面を受け取り、法事の趣旨を承知して喜び、関係者で相談して上聞したと六月二十五日付で知らせる。

  76. 追録5-No.262 島津宗信請書

    宗信が琉球中山王の代替を祝う使者の参府について、幕府の先例を確認する書状。琉球側の使者らは七月三日に鹿児島へ到着しており、支度が整い次第出立させたいと述べる。酒井忠知・堀田正亮・本多正珍らに、先例どおりの登城・祝儀申上げの扱いを伺う。

  77. 追録5-No.263 酒井忠知書状

    酒井忠知が松平大隅守(島津継豊)へ、今朝献じられた鰹節一箱を披露し、「一段之御仕合」と返す。七月四日付で、継豊からの書面の趣旨も承知したと伝える。

  78. 追録5-No.264 秋元凉朝書状

    秋元凉朝が松平大隅守(島津継豊)に、今朝献じられた鰹節一箱を披露し、「一段之御仕合」と返す。七月四日付で継豊の申し入れの趣旨も承知したと伝える。

  79. 追録5-No.265 西尾忠尚書状

    西尾忠尚が松平大隅守(島津継豊)に、今朝献じられた鰹節一箱を披露し、「一段之御仕合」と返す。七月四日付で継豊の申し入れの趣旨も承知したと伝える。

  80. 追録5-No.266 酒井忠知書状

    酒井忠知が松平薩摩守に、酷暑の折の三御所の安否伺いと継豊の息災を承知した旨を返す。琉球布一箱・砂糖漬天門冬一器・赤貝塩辛一器・琉球泡盛酒二壺を献じられ、それぞれ披露したと伝える。

  81. 追録5-No.267 西尾忠尚書状

    西尾忠尚が松平薩摩守に、三御所の安否伺いに対する礼と継豊の息災を承知した旨を返す。琉球布一箱・砂糖漬天門冬一器・赤貝塩辛一器・琉球泡盛酒二壺を献じられ、披露したと伝える。

  82. 追録5-No.268 秋元凉朝書状

    秋元凉朝が松平薩摩守に、三御所の安否伺いに対する礼と継豊の息災を承知した旨を返す。琉球布一箱・砂糖漬天門冬一器・赤貝塩辛一器・琉球泡盛酒二壺を献じられ、披露したと伝える。

  83. 追録5-No.269 房姫卒す

    尾張中納言徳川宗勝の娘房姫が病痢にかかり、延享五年七月五日に婚儀を整える前に亡くなったことを記す。享年十七。江戸小石川伝通院に葬り、法諱を冷池院殿とした。

  84. 追録5-No.270 酒井忠知外三名連署状

    酒井忠知・堀田正亮・本多正珍・松平武元の四名が、宗信から生見玉の祝儀として黄金十両を献じられたことに連署して返答する。進物を披露し、「一段之御仕合」と伝える。

  85. 追録5-No.271 秋元凉朝書状

    秋元凉朝が松平薩摩守に、生見玉の祝儀として献じられた黄金十両を披露し、「一段之御仕合」と返す。七月六日付の返書。

  86. 追録5-No.272 酒井忠知書状

    酒井忠知が松平大隅守(島津継豊)に、生見玉の祝儀として献じられた黄金十両を披露し、「一段之御仕合」と返す。七月六日付の返書。

  87. 追録5-No.273 秋元凉朝書状

    秋元凉朝が松平大隅守(島津継豊)に、生見玉の祝儀として献じられた黄金十両を披露し、「一段之御仕合」と返す。七月六日付の返書。

  88. 追録5-No.274 寛延改元

    継豊公御譜に、延享五年戊辰七月十八日に元号が寛延へ改まり、同年八月十三日に改元を伝える御触が薩摩へ届いたことを記す。

  89. 追録5-No.275 寛延改元、宗信領内寺社に諸品を献ず

    宗信公御譜は、寛延改元と宗信の襲封を受け、東都の東照宮・不斷光院・南泉院などへ奉納した品々を記す。御太刀・馬代・白銀を社寺ごとに配し、稲荷神社・祇園神社・春日神社などのほか、寺院の霊牌にも献じた。奉納日、進納の使者や僧侶名、八月二日に薩府で出した命令も載せる。

  90. 追録5-No.276 本多正珍書状

    本多正珍が島津宗信に、朝鮮信使の御礼を宗信が申し上げた件について返答する。三御所の機嫌はよく、信使の御礼に際して西丸へ登城した際の作法も滞りなく済んだと承知した旨を伝える。信使の用向きが整ったことを喜び、書面の趣旨を受け取ったと述べる。

  91. 追録5-No.277 秋元凉朝書状

    秋元凉朝が島津宗信に、朝鮮信使の御礼を申し上げた件について返答する。三御所の機嫌はよく、信使の御礼に際して西丸へ登城し、作法などが相済んだことを承知したと伝える。信使への対応が無事に進んだことを喜び、宗信の書面の趣旨を受け取ったと述べる。

  92. 追録5-No.278 西尾忠尚書状

    西尾忠尚が島津宗信に、朝鮮信使の御礼を申し上げた件について返答する。三御所の機嫌はよく、信使の御礼に際して西丸へ登城し、作法などが相済んだことを承知したと伝える。信使への対応が無事に進んだことを喜び、宗信の書面の趣旨を受け取ったと述べる。

  93. 追録5-No.279 継豊、御鷹の鶴拝領す

    寛延元年八月四日、上使中山勘解由房明を通じて、御鷹で捕らえた雲雀を継豊が賜ったことを記す。継豊が病中のため、阿部伊豫守正右が継豊に代わって執政それぞれの屋敷へ赴き、謝礼した。

  94. 追録5-No.280 本多正珍書状

    本多正珍が松平薩摩守(島津宗信)に、琉球中山王の代替祝儀を述べる使者の参府について返答する。先例どおりの扱いを認め、使者からの書面の趣旨は諸役人と相談して上聞に達したと伝える。使者・従者が先月三日に貴地(鹿児島)へ着き、支度が整い次第召し連れて出発する旨も承知した。

  95. 追録5-No.281 秋元凉朝書状

    秋元凉朝が松平薩摩守(島津宗信)に、琉球中山王の代替祝儀を述べる使者の参府について返答する。先例どおりの扱いを認め、使者からの書面の趣旨は諸役人と相談して上聞に達したと伝える。使者・従者が先月三日に貴地(鹿児島)へ着き、支度が整い次第召し連れて出発する旨も承知した。

  96. 追録5-No.282 西尾忠尚書状

    西尾忠尚が松平薩摩守(島津宗信)に、琉球中山王の代替祝儀を述べる使者の参府について返答する。先例どおりの扱いを認め、使者からの書面の趣旨は諸役人と相談して上聞に達したと伝える。使者・従者が先月三日に貴地(鹿児島)へ着き、支度が整い次第召し連れて出発する旨も承知した。

  97. 追録5-No.283 酒井忠知外三名連署状

    酒井忠知・堀田正亮・本多正珍・松平武元の四名が、松平薩摩守(島津宗信)へ八朔の祝儀に対して連署で返答する。使者を通じて献じられた御太刀一腰と御馬代黄金十両を披露し、「一段之御仕合」と伝える。

  98. 追録5-No.284 秋元凉朝書状

    秋元凉朝が松平薩摩守(島津宗信)へ、八朔の祝儀として使者を通じて献じられた御太刀一腰と御馬代黄金十両について返答する。進物を披露し、「一段之御仕合」と伝える。

  99. 追録5-No.285 島津久甫外四名連署副状

    平田掃部正輔・鎌田典膳政昌・嶋津矢柄久富・樺山主計久初・嶋津左衛門久甫が高野山蓮金院へ出した書状。蓮金院が嶋津家の宿坊であり、寺領の寄附や先祖の日牌を預かる由緒を踏まえ、宗信に関する書状が遣わされたことに触れ、祈禱や寺内修造を怠らないよう求める。今後も従前どおり取り計らう旨を寛延元年八月二十二日付で…

  100. 追録5-No.286 宗信、領国の僧侶に訓諭す

    宗信公御譜の寛延元年八月二十七日条。宗信が領国の僧侶に関して訓諭し、寺社奉行に書付を受け取らせた経過を記す。同年十月十六日には小林中太兵衛・義岡左平太らが書写し、南泉院・福昌寺をはじめ薩摩・大隅・日向の諸寺へ配布した。寺院名を列挙し、府城内の寺院にも達したことを記録する。