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追録5の目録
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追録5-No.387 島津宗信願書
島津宗信の願書は、病中の継豊が手の震えで文書に自筆の署名・判を記すことが難しくなったと説明する。今後の幕府向けの用務では印判を用いることを認めてほしいと願い、幕府の指示を求める。継豊の病状を理由とする文書手続きの変更願いである。
追録5-No.388 島津宗信届書
島津宗信の届書は、継豊が病気で居判を記し難いため印判の使用を願った件について、右近将監の用人や江戸留守居を通じた願書・添紙の差出しと返答の経過を記す。公儀向けの用務で印判を用いる手順を確認する。
追録5-No.389 島津宗信届書
島津宗信が幕府に、琉球中山王の使節に同行した使替官の渡嘉敷親雲上が旅中に病み、尾張国宮駅で正月十一日夜に病死したと届ける。十二日に同地の宗海国寺へ葬ったことも報告する。
追録5-No.390 島津宗信願書
島津宗信が、持病の膝痛に加え、前年に暇を得て薩摩へ帰る道中の暑気にも苦しんだ事情を幕府に申し出る。体調のため通常の参勤交代での旅行は難しいとして、寛延二年三月の参勤について願い出た。
追録5-No.391 継豊帰国シ礼使ヲ派ス
隠居後の継豊が寛延二年二月四日に江戸芝邸を出立し、宗信の実弟島津兵庫久門、家老伊勢兵部貞起、用人宮之原甚五兵衛通興、近習役鎌田六郎太夫政方・三原濱右衛門経居らが従った。東海道の驛路を進み二月二十五日に伏見へ着き、二十八日に伏見を発って大坂へ、三月六日に大坂を発ち、山陽・西海の驛路を経て四月二十三日に…
追録5-No.392 徳川宗睦書状
尾張中将徳川宗睦が島津宗信に、旅中も異状なく過ごしているかと安否を尋ねる二月四日付の書状。宗信の旅行の様子を知りたいと伝える。
追録5-No.393 小枝外四名連署消息
奥向の小枝らが島津継豊に、書状を受け取ったことと三御所の機嫌がよいことを伝える消息。継豊が当地を出立するにあたり挨拶を受け、健勝を願う返事を連署で送る。
追録5-No.394 清崎・高瀬連署消息
奥向の清崎・高瀬が島津継豊に、三御所の機嫌がよいことと、継豊の当地出立に際して送られた書状を受け取ったことを伝える。旅中の無事と今後の健勝を願う返書。
追録5-No.395 島津宗信書状
島津宗信が島津継豊に、妹菊の縁組願書の提出について返答する。旧臘からの内談と使者を通じた継豊の意向を承知し、今度願書を差し出すと伝える。
追録5-No.396 久世広氏・小笠原持広連署願書
宗信の妹菊と松平修理大夫重政の縁組について幕府へ願い出る短い連署願書。松平薩摩守・松平筑前守・小笠原縫殿助らの取次名が記される。
追録5-No.397 継豊帰国シ温湯治養ヲ乞フ
前年十二月二十八日、病中の継豊が帰国して温泉で療養することを幕府に許された。寛延二年二月四日に江戸芝邸を出立し、東海・美濃・九州の驛路を経て四月二十三日に薩摩府へ帰り、四配館に入った。詳しい経緯は継豊の譜に記したとする。
追録5-No.398 琉使薩府ヲ経テ帰ル
具志川王子と従者ら琉球使節は、寛延元年十二月二十八日に江戸芝邸を発ち、東海・美濃の驛路を経て大坂で滞在した。翌年正月二十四日に大坂港から出帆し、寛延二年三月十二日に薩摩の西向田、十三日に薩摩府へ着いた。家老平田正輔が護送の総監となり、用人戸田傳五郎成庸、相良彌一兵衛、近習役北郷八右衛門資矩らが護送し…
追録5-No.399 宗信妹菊、黒田重政トノ婚姻許サル
二月二十一日、宗信が妹菊姫と、福岡城主松平筑前守継高の嗣子修理大夫重政との婚姻を願った。三月十六日、執政の奉書に従って宗信が登城し、黒田河内守長邦も継高に代わって登城した。白書院の縁頬で執政らが列座する中、堀田相模守正亮が婚姻を許す台命を伝え、宗信が拝謝した。同日、宗信は西城にも登り、奏者衆柿木土佐…
追録5-No.400 島津宗信伺書
島津宗信が幕府に、近衛左大臣が下向して滞在する間、宗信が旅亭へ二、三度見舞いに行きたいと伺う書付。訪問の可否を尋ねる。
追録5-No.401 島津宗信口上書
宗信公御譜は、島津家の始祖忠久の出生と源頼朝との関係を語る家伝を記す。忠久の母の近衛家との関わり、頼朝が忠久を認知して養育したという由緒を挙げ、島津家の来歴につなげる。
追録5-No.402 島津宗信願書
島津宗信が幕府に、国元へ帰る暇を許された際、江戸に残す家老に先例どおり御目見を認めてほしいと願い出る。宗信が礼を述べる時に家老の名を書付で提出する手順について指示を求める。
追録5-No.403 留守家老献上物目録
宗信が国元へ帰る間、江戸に残る家老が御目見を許された際の献上品目録。公方へ太刀一腰・紗綾二巻・馬代銀一枚を、大納言へ太刀一腰・馬代銀一枚を献じると記す。
追録5-No.404 留守家老献上物目録
宗信が帰国する間、江戸に残る家老が大納言に御目見を許された際、自分から差し上げる品を記した目録。大納言へ御太刀一腰と馬代銀一枚を献じる。前号No.403の公方への献上品に続く。
追録5-No.405 堀田正亮外二名老中連署状
松平右近将監武元・本多伯耆守正珍・堀田相模守正亮が島津宗信に連署で伝える。宗信が病気であれば名代を差し出してよく、用向きのため翌六日四ツ時に登城するよう知らせる。
追録5-No.406 松平定喬口上書
松平隠岐守定喬の口上書。宗信は召し出されたが持病が起こって登城できないため、定喬が名代として登城すると述べる。尾張中納言の娘と宗信との縁組を命じられたことに対し、定喬を通じて御礼を申し上げたいと伝える。
追録5-No.407 松平定喬口上書
松平隠岐守定喬が、宗信の持病のため名代で登城すると述べる口上書。尾張中納言の娘と宗信との縁組を命じられたことを受け、御礼を定喬から申し上げる旨を伝える。前号とほぼ同じ趣旨だが、縁組相手を尾張中納言の娘と明記する。
追録5-No.408 宗信、徳川宗勝女トノ婚姻許サル
宗信公御譜は、尾張家の徳川宗勝の娘と宗信との縁談・許可を記す。宗勝が幕府へ願書を出し、宗信は三月五日に老中の奉書を受けた。翌六日は宗信の病気のため松平隠岐守定喬が名代で登城し、堀田正亮から許可を伝えられて礼を述べた。宗信自身も後に幕府要人へ謝礼を申し上げた。
追録5-No.409 島津宗信伺書
島津宗信が、尾張中納言の娘との縁組を命じられた御礼の仕方を伺う書付。宗信から公方・大御所・大納言へ献上物を差し出すことに加え、同族の大隅守が途中でこの縁組を承知した際の献上、妹菊からの御礼についても、どのように扱うべきか尋ねる。続く御差図には各献上先と品目が示される。
追録5-No.410 島津宗信願書添書
宗信の縁組御礼に関する添書。公方・大御所・大納言への献上をそれぞれ「一種二荷」と掲げる。続いて延享三年十一月の薩摩守家督御礼と同年十二月の少将任官御礼の例を引き、大隅守・宗信・妹菊からの献上の扱いを示す。
追録5-No.411 島津宗信願書添書
先年、薩摩守の縁組を命じられた際に行った御礼の献上例を記す添書。大隅守から公方へ二種二荷、大納言へ一種二荷、薩摩守から公方へ一種二荷、大納言へ一種の献上を挙げ、誰の名義でどの品を差し出したかを区別する。
追録5-No.412 島津宗信願書添書
先年の薩摩守縁組に際しての御礼献上を示す別の添書。大隅守から公方へ二種二荷、大納言へ一種二荷、薩摩守から公方・大納言へそれぞれ一種二荷を差し出した例を列記する。前号と併せ、献上者と宛先を分けて参照できるようにしたもの。
追録5-No.413 島津宗信届書
宗信の書付は、元文五年四月に薩摩守が縁組を命じられた際、妹菊からは御礼の献上物を出さなかった先例を述べる。今回もその例にならい、妹菊名義の献上物は用意しないと伝える。
追録5-No.414 堀田正亮外二名老中連署状
松平武元・本多正珍・堀田正亮が宗信に、御礼のための登城は今日には及ばないと伝える。翌日に蹴鞠の上覧があり見物を命じられたので、長袴を着用し四ツ時以前に登城するよう指示する。
追録5-No.415 堀田正亮・本多正珍老中連署状
本多正珍・堀田正亮が宗信に、翌十五日五ツ半時に登城して御暇の礼を申し上げてよいと伝える短い連署状。帰国に先立つ宗信の登城時刻と御礼の用向きを定める。
追録5-No.416 登城令書
宗信の家来一人について御目見を許し、宗信がその者を召し連れて登城してよいとする短い令書。人物名や日付は本文に記されていない。
追録5-No.417 堀田正亮外二名老中連署状
松平武元・本多正珍・堀田正亮が宗信に、宗信が病気であれば名代を差し出してよいと伝える。用向きのため翌十六日四ツ時に登城するよう知らせる。
追録5-No.418 宗信帰国ノ儀ヲ告ゲ礼謝ス
宗信公御譜は、宗信が三月十三日に帰国の暇を知らされ、芝邸に来た本多正珍・西尾忠尚ら上使を迎えたことを記す。十五日には老中の奉書に従って登城し、御暇の礼を述べた。あわせて使者・家老を通じて幕府側へ挨拶し、白銀・紗綾・太刀・馬代銀などの贈答を行った。
追録5-No.419 継豊、菊姫ト黒田重政ノ許婚ヲ謝ス
継豊公御譜は、三月十六日に宗信の妹で継豊の娘である菊と松平修理大夫重政との縁組が許されたと記す。薩摩にいた継豊は知らせを受け、老中へ使者の書状を送り、酒肴を献じて謝礼を述べた。
追録5-No.420 堀田正亮書状
堀田正亮が宗信に、今朝、使者を通じて樽肴を献じたことへの返書を送る。献上の品を披露したところ結構なことと受け止められた旨を伝える。
追録5-No.421 秋元凉朝書状
秋元凉朝が宗信に、今朝、使者を通じて樽肴を献じたことへの返書を送る。献上の品を披露したところ結構なことと受け止められた旨を伝える。前号No.420と同趣旨の別署名の返書。
追録5-No.422 島津宗信願書
宗信が、すでに帰国の暇を許されて国元へ向かうに当たり、男子がいないため、在国中に不慮のことがあれば国元に残す二十一歳の弟・島津兵庫を養子とし跡職を継がせたいと願う書付。堀田正亮・本多正珍・松平武元に差し出す。
追録5-No.423 島津宗信口上書
宗信側から大隅守に伝える口上。大隅守の旅の無事を願うとともに、宗信も機嫌よく、今日当地を出立したことを知らせる。宗信の出立と相手方の旅程に関する挨拶である。
追録5-No.424 宗信帰国ス
宗信公御譜は、宗信が三月二十二日に江戸芝邸を発ち、四月七日に伏見、十一日に大坂へ着き、播州坂越からの海路と九州路を経て五月十八日に薩摩府へ帰ったと記す。続いて番頭向津久隆を謝恩使として江戸へ派遣した経緯を述べる。久隆は六月二十日に江戸へ着き、老中・若年寄への挨拶、琉蕉布などの献上、将軍家での拝謁を行…
追録5-No.425 秋元凉朝書状
秋元凉朝が継豊に、至心院の一回忌法事が行われるため、使者を通じて東叡山へ香奠を献じたことへの返書を送る。献納の件を上へ伝えた旨を知らせる。本文注記は至心院を将軍家重の生母とする。
追録5-No.426 四肥邸修復成ル
継豊公御譜は、四肥邸が府城の別邸で、先代の隠居後から継豊の致仕まで長く使われず荒廃していたと記す。継豊の帰国が認められたため、国老樺山久初に工事を統括させ、前年秋から今春まで修築して完成した。
追録5-No.427 樺山久初書状
下屋敷の普請がまだすべて整っていないことを承知し、座回りの状況を尋ねる。
追録5-No.428 伊勢貞起返書
下屋敷の普請はおおむね完成し、近く座敷を仕上げると返答する書付。荒神供、門の地鎮、門開きの加持と鎮宅祈祷、通初めを順に予定し、四月十一日の吉日に名代による移徙と御祝を行うと記す。三献の衣服は無紋の白色とし、平田平六の祈祷、普請役への酒・吸物などの祝儀も先例を調べて整える。末尾では太守へ別紙で申し上げ…
追録5-No.429 島津継豊書状
継豊が西尾忠尚に、三月六日、宗信が用向きで登城を命じられたものの病気のため松平定喬が名代で登城し、尾張中納言の娘との縁組許可を伝えられたと聞いて喜んでいると述べる。その御礼を使者から申し上げるので、機会を見て上へ取り次いでほしいと頼む。
追録5-No.430 島津宗信書状
宗信が、妹菊と松平修理大夫との縁組が願いどおり許されたことに礼を述べる書状。目録どおり使者から献上品を差し出したので、上へ取り次いでほしいと頼む。同文の送付先として、御本丸向けの老中三名、大御所向けの西尾忠尚、大納言向けの秋元凉朝が列記される。
追録5-No.431 秋元凉朝書状
秋元凉朝が継豊に、大納言が先月十日に東叡山の至心院霊前へ参詣したことを承知したとの書状を受け取ったと返答する。大納言の機嫌がよいことを伝え、継豊の祝意を上へ申し上げた旨を知らせる。
追録5-No.432 樺山久初書状
先に伝えた下屋敷の門と、名代による通初めについて確認する。
追録5-No.433 伊勢貞起返書
下屋敷の門の通初めを四月九日に、名代による移徙と御祝を十一日に滞りなく済ませたと報告する返書。太守・御子・家中の各役からの進物を別紙に記し、近習・御用人・普請役・家老座の筆者・大工などに酒や吸物を振る舞った経緯を列記する。移徙後には御本丸で御両殿にも祝いを申し上げ、別紙を添えて先方へ伝達するよう頼む…
追録5-No.434 鎌田政昌返書
鎌田典膳政昌が樺山主計久初に、太守から旅の途中に送られた返答を伝える。下屋敷の移徙の祝儀が滞りなく済んだことを聞き、大隅守とお嘉久も喜んでいるので、その旨を関係者へ伝えるよう求める。鎌田自身も両殿へ書状で祝いを申し上げると述べる。
追録5-No.435 松平武元書状
松平武元が宗信に、妹の縁組が願いどおり許されたことへの礼状を受け取ったと返答する。宗信が使者を通じて献じた樽肴を、関係者と相談して披露したところ結構なことと受け止められた旨を知らせる。
追録5-No.436 秋元凉朝書状
秋元凉朝が宗信に、妹の縁組が願いどおり許されたことへの礼状を受け取ったと返答する。御礼として宗信が使者から献じた樽肴を披露し、結構なことと受け止められた旨を伝える。
追録5-No.437 西尾忠尚書状
西尾忠尚が宗信に、妹の縁組が願いどおり許されたことへの礼状を受け取ったと返答する。御礼として宗信が使者から献じた樽肴を披露し、結構なことと受け止められた旨を伝える。No.436と同趣旨だが、西尾の署名による別の返書である。
追録5-No.438 桃園天皇女房奉書
薩摩中将の宗信が昇進の御礼として黄金百両と絹三十疋を進上したことに対し、朝廷から喜んで受け取った旨を伝える女房奉書。献上のことをよく心得て伝えるよう求める。本文の宛所は「御いまの御局」で、昇進の対象は本文だけでは明記されない。
追録5-No.439 幕府指図書
松平修理大夫の縁組許可に伴い、松平筑前守とその妻から竹姫へ贈答し、今後の機嫌伺いや祝儀にも品を差し上げたいとの申し出について指図する書付。修理大夫本人の広敷への訪問、拝領品や祝儀の扱いも筑前守の例に準じて認め、品目・員数や家柄については相談するよう宗信に伝える。
追録5-No.440 松平武元書状
松平武元が継豊に、尾張中納言の娘と宗信との縁組許可に対する礼状を受け取ったと返答する。御礼として継豊が使者を通じて献じた樽肴を関係者と相談して披露し、結構なことと受け止められた旨を知らせる。
追録5-No.441 西尾忠尚書状
西尾忠尚が継豊に、尾張中納言の娘と宗信との縁組許可に対する礼状を受け取ったと返答する。御礼のため継豊が差し出した使者からの書面の趣旨を、上へ申し上げたと伝える。
追録5-No.442 秋元凉朝書状
秋元凉朝が継豊に、尾張中納言の娘と宗信との縁組許可に対する礼状を受け取ったと返答する。御礼として使者を通じて献じた干鯛一箱を披露し、結構なことと受け止められた旨を伝える。
追録5-No.443 さえた外五名連署消息
豊岡・梅その・松しま・うら尾・たきつ・さえたらが継豊に、四月二日付の書状を受け取ったと返答する。三御所の機嫌がよいことを伝え、三月六日に病気の宗信に代わり松平定喬が登城し、尾張中納言の娘との縁組を伝えられた件を承知して喜ぶ。御手前様もありがたく思っており、その御礼を述べていると伝える。
追録5-No.444 さえた外五名連署消息
豊岡ら六名が継豊に、四月二日付の書状を受け取ったと返答する。病気の宗信に代わって三月六日に松平定喬が登城し、尾張中納言の娘との縁組を伝えられた件を喜び、御手前様もありがたく思っていると伝える。その御礼を大納言へ申し上げた旨を記す。
追録5-No.445 徳川家重御内書
徳川家重が継豊に、端午の祝儀として帷子と単物が届いたことを喜ぶ御内書を送る。詳しい返答は本多伯耆守正珍が伝えると記す。
追録5-No.446 秋元凉朝書状
秋元凉朝が継豊に、端午の祝儀として使者を通じて献じた帷子・単物を披露し、結構なことと受け止められた旨を伝える短い返書。
追録5-No.447 さえた外五名連署消息
豊岡・梅そのら六名が継豊に、四月七日付の書状への返答を送る。三月二十二日に宗信が当地を出立した際、上使梅そのを通じて公方から竹姫へ目録どおりの品が贈られたことについて、竹姫がありがたく思い御礼を述べた旨を伝える。三御所の機嫌がよいことも知らせる。
追録5-No.448 清崎・高瀬連署消息
清崎・高瀬が継豊に、四月七日付の書状への返答を送る。三御所の機嫌がよいことを伝え、三月二十二日の宗信出立に伴い竹姫に目録どおりの品が贈られ、竹姫が御礼を申し上げた件を承知したと述べる。前号と同趣旨の別の返書。
追録5-No.449 徳川家重御内書
徳川家重が宗信に、端午の祝儀として帷子と単物が届いたことを喜ぶ御内書を送る。詳しい返答は本多伯耆守正珍が伝えると記す。継豊宛てのNo.445と同趣旨の別文書。
追録5-No.450 秋元凉朝書状
秋元凉朝が宗信に、端午の祝儀として使者を通じて献じた帷子・単物を披露し、結構なことと受け止められた旨を伝える短い返書。継豊宛てのNo.446と同趣旨だが、宛先は薩摩守である。
追録5-No.451 本多正珍書状
本多正珍が継豊に、娘の縁組が願いどおり許されたことへの礼状を受け取ったと返答する。継豊が御礼として使者から献じた樽肴を関係者と相談して披露し、結構なことと受け止められた旨を伝える。前後の記録ではこの娘の縁組は菊と重政の縁組に当たる。
追録5-No.452 秋元凉朝書状
秋元凉朝が継豊に、娘の縁組が願いどおり許されたことへの礼状を受け取ったと返答する。使者を通じて献じた干鯛一箱を披露し、結構なことと受け止められた旨を伝える。娘は前後の記録に照らすと菊に当たる。
追録5-No.453 西尾忠尚書状
西尾忠尚が継豊に、娘の縁組が願いどおり許されたことへの礼状を受け取ったと返答する。使者を通じて献じた干鯛一箱を披露し、結構なことと受け止められた旨を伝える。No.451・452と同じく、前後の記録では娘は菊に当たる。
追録5-No.454 西尾忠尚書状
西尾忠尚が継豊に、帰国の暇を許され、羽織や大御所・大納言からの品を拝領したことへの礼状を受け取ったと返答する。国元到着の御礼として鳴津主水を通じて献じた樽肴を披露し、継豊の喜びの趣旨を上へ伝えたと知らせる。
追録5-No.455 堀田正亮外二名老中連署状
松平武元・本多正珍・堀田正亮が継豊に連署で返答する。帰国の暇と羽織、大御所・大納言からの拝領物への謝意を受け、国元到着の御礼として鳴津主水が届けた縮緬五巻と樽肴を披露したと伝える。鳴津が御前に召し出されたことを継豊が喜んでいる件も承知したと述べる。
追録5-No.456 秋元凉朝書状
秋元凉朝が継豊に、帰国の暇を許され、羽織や大御所・大納言からの品を拝領したことへの礼状に返答する。国元到着の御礼として鳴津主水が献じた樽肴を披露したと伝える。鳴津が御前に召し出されたことを継豊が喜んでいる件も承知したと述べる。
追録5-No.457 堀田正亮書状
堀田正亮が継豊に、酷暑の折の三御所への機嫌伺いに返答する。三御所は無事で安心してよいと伝え、献じた鰹節一箱を関係者と相談して披露し、結構なことと受け止められた旨を知らせる。
追録5-No.458 秋元凉朝書状
秋元凉朝が継豊に、酷暑の折の三御所への機嫌伺いに返答する。三御所は無事で安心してよいと伝え、献じた鰹節一箱を披露し、結構なことと受け止められた旨を知らせる。
追録5-No.459 西尾忠尚書状
西尾忠尚が継豊に、酷暑の折の三御所への機嫌伺いに返答する。三御所は無事で安心してよいと伝え、献じた鰹節一箱を披露し、結構なことと受け止められた旨を知らせる。
追録5-No.460 堀田正亮書状
堀田正亮が宗信に、酷暑の折に使者を送って三御所の機嫌を伺ったことへの返答を送る。三御所は健やかで安心してよいと伝え、琉球布一箱・砂糖漬天門冬一器・赤貝塩辛一器・琉球泡盛酒二壺の献上を関係者と相談して披露し、結構なことと受け止められた旨を知らせる。
追録5-No.461 秋元凉朝書状
秋元凉朝が宗信に、酷暑の折に使者を送って三御所の機嫌を伺ったことへの返答を送る。三御所は健やかで安心してよいと伝え、琉球布一箱・砂糖漬天門冬一器・赤貝塩辛一器・泡盛酒二壺を披露し、結構なことと受け止められた旨を知らせる。
追録5-No.462 西尾忠尚書状
西尾忠尚が宗信に、酷暑の折に使者を送って三御所の機嫌を伺ったことへの返答を送る。三御所は無事で安心してよいと伝え、琉球布一箱・砂糖漬天門冬一器・赤貝塩辛一器・琉球泡盛酒二壺を披露し、結構なことと受け止められた旨を知らせる。
追録5-No.463 清崎・高瀬連署消息
清崎・高瀬が宗信に、五月十一日付の書状への返答を送る。三御所の機嫌がよいことを伝え、竹姫が菊の縁組への御礼を申し上げたところ、大御所から肴一折と書状が届いた件を承知したと述べる。御手前様もありがたく思っており、その御礼を申し上げた旨を伝える。
追録5-No.464 さるた外五名連署消息
豊岡・梅その・松しま・うら尾・瀧津・さるたの六名が宗信へ、五月十一日付書状への返答を送る。三御所が元気であることを伝え、竹姫が菊の縁組について礼を申し上げ、大納言から書状と肴が贈られた件を承知したと述べる。御手前様もありがたく思い、御礼を述べた旨を知らせる。
追録5-No.465 堀田正亮書状
堀田正亮が宗信へ、公方が元気であることを伝え、四月二十日に東叡山の御霊前へ参詣したことを祝う書状への礼を述べる。宗信の書面の趣旨は、各々で相談して上聞に達するよう取り計らうと知らせる。
追録5-No.466 徳川宗勝書状
尾張中納言徳川宗勝が継豊へ、帰国の暇を許され、道中無事に国元へ到着したとの知らせを喜ぶ。継豊からの気遣いに礼を述べ、書状を受け取った旨を返答する。
追録5-No.467 松平武元書状
松平武元が継豊へ、公方が元気で、四月二十日に東叡山の御霊前へ参詣したことを祝う書状を受け取ったと返答する。継豊の書面の趣旨は各々で相談し、公方の耳に入るよう取り計らうと述べる。
追録5-No.468 徳川宗勝書状
徳川宗勝が宗信へ、道中無事に帰国したことを伝える。その帰国について宗信から気遣いの書状を受け取り、ありがたく思ったと礼を述べ、無事到着の知らせと書状への返答を送る。
追録5-No.469 宗信、継豊ノ在国療養ヲ乞フ
継豊の在国療養延長を記す。前年、宗信は継豊の薩摩での半年間の温泉療養を願い、継豊は春に江戸を出立して四月末に帰着した。しかし長旅で体が弱り、夏の暑さで入浴もできず、参府の時期が近づいても病状が回復しなかった。六月二十一日、宗信が療養延長を願い出て、執政の回章により翌夏までの在国療養が許された。詳しい…
追録5-No.470 島津宗信願書
宗信が執政三名へ、継豊の在国期間を翌夏まで延長するよう願い出る。多年の病気のため薩摩で半年の温泉療養を許された継豊は、春に江戸を出立し四月末に帰着したが、長旅で体力が衰え、夏は暑く入浴できなかった。湯治できる冬には参府のため出立する時期となり、病弱な身での旅行も難しいとして、翌夏まで滞在して入浴・養…
追録5-No.471 堀田正亮書状
堀田正亮が継豊へ、公方が元気であることを伝える。四月晦日に公方が増上寺の御霊屋へ参詣したことを祝う継豊の書状を受け取ったと礼を述べ、書面の趣旨は各々で相談して上聞に達するよう取り計らうと知らせる。
追録5-No.472 堀田正亮書状
堀田正亮が継豊へ、三御所が元気であることを伝える。端午に時服と肴を拝領したことについて継豊が寄せた御礼の書状を受け取り、その趣旨は各々で相談して上聞に達するよう取り計らうと返答する。
追録5-No.473 秋元凉朝書状
秋元凉朝が継豊へ、三御所が元気であることを伝える。端午に時服と肴を拝領したことへの御礼の書状を受け取ったと述べ、継豊の書面の趣旨を各々で相談して言上するよう取り計らうと返答する。
追録5-No.474 西尾忠尚書状
西尾忠尚が継豊へ、三御所が元気であることを伝える。公方から端午の祝儀として時服と肴を拝領したことへの継豊の御礼を承知し、書面の趣旨を言上したと返答する。
追録5-No.475 徳川宗勝書状
尾張中納言徳川宗勝が継豊へ、継豊が無事であることを喜ぶ。継豊と同氏の薩摩守宗信が海路・陸路とも無事に国元へ到着したとの知らせを重ねて祝し、祝意を伝える書状を送る。
追録5-No.476 堀田正亮書状
堀田正亮が宗信へ、公方が元気であることを伝える。四月晦日に公方が増上寺の御霊屋へ参詣したことを祝う宗信の書状を受け取ったと述べ、その趣旨は各々で相談して上聞に達するよう取り計らうと返答する。
追録5-No.477 島津宗信届書
宗信が、このところ浮腫があり、保養を続けても効果が見られず、長く同様の病状にあることを届け出る。六月二十八日付の書付には、留守居岩下佐次右衛門が七月二十三日の朝に御用番松平武元へ提出し、受け取られたとの注記がある。
追録5-No.478 堀田正亮書状
堀田正亮が継豊へ、公方が元気であることを伝える。五月八日に公方が東叡山の御霊前へ参詣したことを祝う継豊の書状への礼を述べ、書面の趣旨は各々で相談して上聞に達するよう取り計らうと返答する。
追録5-No.479 徳川宗睦書状
尾張中将徳川宗睦が継豊へ、継豊が無事であることを喜ぶ。薩摩守宗信が海路・陸路とも無事に国元へ到着したとの知らせを重ねて祝し、その祝意を伝える。
追録5-No.480 堀田正亮書状
堀田正亮が宗信へ、公方が元気であることを伝える。五月八日に公方が東叡山の御霊前へ参詣したことを祝う宗信の書状への礼を述べ、その趣旨は各々で相談して上聞に達するよう取り計らうと返答する。
追録5-No.481 堀田正亮外二名老中連署状
堀田正亮・本多正珍・松平武元が宗信へ、帰国の暇に際する白銀・巻物の拝領と馬の下賜、大御所・大納言からの拝領品への御礼を承知したと返答する。国元到着の御礼として島津市太夫(久隆)が琉球芭蕉布二十端と樽肴を献じたことを披露し、市太夫が御前へ召し出され、献上を喜ばれた旨を知らせる。
追録5-No.482 秋元凉朝書状
秋元凉朝が宗信へ、帰国の暇に際する白銀・巻物の拝領と馬の下賜、大御所・大納言からの拝領品への御礼を承知したと返答する。国元到着の御礼として島津市太夫が目録のとおり献上した品を披露し、市太夫が御前へ召し出され、献上を喜ばれた旨を伝える。
追録5-No.483 西尾忠尚書状
西尾忠尚が宗信へ、帰国の暇に際する白銀・巻物の拝領と馬の下賜、大御所・大納言からの拝領品への御礼を承知したと返答する。国元到着の御礼のため使者を差し越したことも承知し、宗信の書面の趣旨を言上すると伝える。
追録5-No.484 島津宗信願書
宗信が、先に届けた浮腫について保養しても快方に向かわないため、別紙に記した御医師のうちから国元へ招き、療治を受けたいと願う。七月三日付で、具体的な医師名は別紙に譲っている。
追録5-No.485 島津宗信願書
宗信が、村田長庵・平賀玄純の二名のうちから国元へ招き、療治を受けたいと願う。注記では七月二十五日に小笠原縫之助を介して御用番松平武元へ書付を提出し、同日、留守居岩下佐次右衛門に平賀玄純の招聘願いを認めた旨が切紙で伝えられたとする。その通知は国元での病気につき願いどおり玄純を派遣するとの内容で、家来宛…
追録5-No.486 官医下向ノ途次宗信ノ訃音達ス
宗信の願いにより官医平賀玄純の薩摩下向が許され、七月二十六日に江戸を出発した。藩の家臣が護送・用務を担い、歩行士六人・軽卒十五人も従ったが、宗信の訃報が八月四日に江戸へ届き、即日使者が派遣された。八月十四日、使者が遠州の宿駅で玄純に追いついて訃報を伝えたため、玄純は引き返し、九月四日に江戸へ帰着した…