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追録5の目録
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追録5-No.983 平田正輔・市来政方連署書状
平田靭負正輔・市来左中政方が六家老へ、太守・隅州の有徳院遺物拝領後の御礼について、江戸での相談と書状・使札の提出経過を報告する。加賀守から名代御礼についての照会がないため、留守居を通じて御用番酒井左衛門尉へ申し上げ、山澤小左衛門を取次に遣わした。国元在住の拝領者には名代御礼の例がなく、上使の差図もな…
追録5-No.984 島津久柄外五名家老連署返書
十一月十四日、六家老が平田・市来の遺物拝領後の謝礼報告へ朱書で返答する。本文の趣を承知し、書面のとおり両殿へ申し上げたという。送られた奉書の写し、返事六通、その他の書付はすべて留め置いたと伝える。加賀守が名代で勤めた御礼・挨拶については、御使番へ申し渡す扱いとする。末尾に主殿・伊勢兵部・義岡相馬・主…
追録5-No.985 重年銅燈籠奉献願書案・付紙
十月六日付松平薩摩守重年の願書案は、有徳院霊前へ重年と同氏大隅守継豊から銅燈籠を献じるよう命じられたことを承り、重年は先例の家格に従い二基を献じたいと述べる。隠居者が奉献した先例は見当たらないが、継豊の家格も異ならないため、重年と同様に献じたいので指示を求める。扣正文在右筆所の注、重年署名、御付紙に…
追録5-No.986 堀田正亮書状
堀田相模守正亮が十月五日、松平薩摩守重年へ、有徳院遺物を上使によって重年・同氏大隅守継豊・菊が拝領したことへの謝意を受け、了解したと返答する。紙面の趣を各人と相談して上聞したと通知する。重年公御譜中・正文在文庫の注を伴い、No.987と同日同宛先でも、本書は上聞の通知である。
追録5-No.987 堀田正亮書状
堀田相模守正亮が十月五日、松平薩摩守重年へ、有徳院遺物を上使によって重年・同氏大隅守継豊・菊が拝領したことへの謝意を受けたと返答する。紙面の趣を大納言へ言上したと通知する。No.986も重年宛だが、本書は大納言への言上である点が異なる。
追録5-No.988 有徳院遺物拝領に関する返書
梅その・松しま・うら尾・たきつ・さえたの五名が松平薩摩守重年へ返答する。九月二日付の書状を受け、七月十日に上使堀田相模守を通じ有徳院遺物が竹姫へ贈られ、重年がありがたく思い、その御礼を大納言へ申し上げたいと述べたことを承ったと記す。よろしく伝えると結び、五名と重年宛名を持つ。九月二日は受信書状の日付…
追録5-No.989 有徳院遺物拝領に関する返書
梅その・松嶋・うら尾・たきつ・さえたの五名が松平薩摩守重年へ、九月二日付の書状に返答する。七月十日、上使小出信濃守を通じ同氏大隅守継豊と菊姫が有徳院遺物を拝領したことへの謝意と、大納言へ御礼を申し上げたいとの希望を承ったと述べる。その件を御表からも申し上げたと聞き、なお重年の書状からも伝えると結ぶ。…
追録5-No.990 有徳院遺物拝領に関する返書
梅その・松しま・うら尾・たきつ・さえたの五名が松平薩摩守重年へ、九月二日付の書状に返答する。七月十日、上使小出信濃守によって継豊と菊姫が有徳院遺物を拝領したことをありがたく思い、その御礼を申し上げたいとの趣を承ったと記す。御表からも既に申し上げられているが、重年の書状の趣をなお伝えると結ぶ。五名の署…
追録5-No.991 琉球使節を伴う参府時期の相談
十月十一日付松平薩摩守重年の届書案は、来申年に琉球人を召し連れて参府するよう命じられたことを承り、琉球から薩州への渡海は夏の一度で、来秋に使節を伴い国元を出立する旨を先に届けたと述べる。例年十一月参勤の時期に合うことを確認できたので、その旨をさらに届ける。扣正文在右筆所の注、封紙に御名相記佐々木様御…
追録5-No.992 重年一字状(忠)
重年公御譜中の一字状で、中央に忠の一字を掲げ、寛延四未十月廿一日、重年の名と島津重年花押No.2の表示を持つ。正文在島津因幡忠郷という所蔵注を伴う。目録は島津重年一字状とする。本文に宛名はなく、島津因幡忠郷は所蔵者注に記される。No.993は「因幡」の仮名指定、No.994は「久郷」二字の指図で、本…
追録5-No.993 重年加冠仮名書出(因幡)
十月廿一日付の加冠仮名書出は、島津三次郎の加冠に際し因幡と名乗るのがよいと記す。本文は加冠宜為と因幡を掲げ、寛延四未の日付と御判を持つ。「全上」として前の御譜の出典を受け、目録は島津重年加冠仮名書出とする。太刀・馬・弓矢などの支給を扱うNo.981とは用件が異なり、本書は仮名の指定である。続くNo.…
追録5-No.994 久郷の名乗りに関する書状
伊勢兵部貞起が十月廿二日、島津因幡殿へ、久郷の二字を掲げ、今後二男以下は人により使用してよいとの命を伝える。原文は「右之二字到以来二男以下、依人可被相用」と記す。前No.993の加冠時の因幡の仮名指定とは別の用件であり、本書は久郷二字の使用についての申渡である。「全上」の出典表示、日付・伊勢署名・因…
追録5-No.995 主鈴申渡書(因幡家の知行・屋敷)
十月付主鈴名義の申渡は御記録奉行へ、島津因幡家が先年和泉家を継ぎ家格を整えるよう命じられたことを受け、知行と居屋敷等の扱いを帳面に記すよう伝える。高一万千二十八石余、今和泉と磯の屋敷を受けた新家では家来の確保と家格相応の勤めが難しいため、過分の高を返し、代わりに一住の地を求める案を述べる。御用に適し…
追録5-No.996 島津重年の領内巡見と行程
重年が加世田日新寺への参詣、山川の児箇水での温泉入浴と郡県村落の巡見を行った記事。十月二十三日に鹿城を発ち、国老伊勢兵部貞起、側用人二階堂林左衛門行通、近習役福山平太夫安都・迫水善左衛門久芳、納戸奉行仁礼仲右衛門仲古らが同行した。谷山・伊作・田布施・阿多を経て二十五日に加世田へ着き、二十六日に日新寺…
追録5-No.997 伊勢貞起申渡書(水施行者褒賞)
首尾伊勢兵部の十二月付書付は、太守巡見の際に小根占国見城で、極貧者に見える家が門口脇へ小棚を設け、焼物に水を入れ茶碗等を添えて往来の人へ施していた件を扱う。太守が立ち寄り事情を尋ねたことを受け、申し出を確認したところ、朱書のとおり褒美を与えるよう命じられたので、その旨を伝えると記す。扣正文在家老座の…
追録5-No.998 No.997書中朱書(水施行者褒賞)
No.997の書中朱書として、青銅二千疋を小根占衆中の迫田源右衛門へ与える旨を記す。亡親を弔う資力がなく、門口へ水を出して往還の人へ施していたが、居所周辺には水がなく、遠方から十数年水を運び、近所の客も利用していた。太守巡見時にその志を聞き取り、褒美を下したとする。妻と嫡子迫田茂右衛門も同じ志を持つ…
追録5-No.999 小根占地頭横目届書(水施行者調査)
小根占地頭横目の料木五兵衛・島濱作兵衛が十二月廿二日、水施行者迫田源右衛門七十歳、妻五十七歳、嫡子迫田茂右衛門三十八歳について報告する。源右衛門は極貧のため亡親の菩提供養をする資力がなく、孝志から水を施してきた。去る子四月から施行を始め、当年まで二十年ほど続けたと隣人の話も確認し、現在も継続している…
追録5-No.1000 鹿児島横目届書(水施行者調査)
鹿児島横目別府太右衛門が十一月廿三日、迫田源右衛門について内々に聞いた事実を報告する。国見城内に住み、もとは極貧で、生計と祖先の弔いも十分にできないため、十年以上前から屋敷木戸脇へ棚を作り、水を入れた桶と茶碗を置いて城内の往来人へ施した。現在も毎日二度ほど水を入れ替え、水に不自由する城内で諸人に喜ば…
追録5-No.1001 琉球中山王継目礼の参府に関する書状
松平右近将監武元が十月廿五日、松平薩摩守重年へ、琉球中山王継目の御礼を使者によって申し上げたいと先に願い、翌年は重年が召し連れて参府するよう命じられた件について返答する。書状を受け、謝意を了解し、紙面の趣を各人が一覧したと伝える。原文は「各一覧之事」と記す。重年公御譜中・正文在文庫の注を伴う。
追録5-No.1002 琉球中山王継目礼の参府に関する書状
秋元但馬守凉朝が十月廿五日、松平薩摩守重年へ、琉球中山王継目の御礼の使者について、翌年重年が召し連れて参府するよう命じられた件の書状に返答する。謝意を了解し、紙面の趣を承知したと通知する。全上として前の松平返書と同件を受けるが、各一覧ではなく令承知候と結び、差出人も秋元一名である。参府の具体的出立日…
追録5-No.1003 重年書状(故王尚敬弔慰・命祭)
少将重年が十月廿八日、琉球中山王へ、故王尚敬が養生の甲斐なく亡くなったことを言葉もないほど残念に思い、深く哀傷して祭祀を命じたと伝える。重年公御譜中・正文在琉球國司の注、謹上中山王の宛名、少将重年御判の表示を持つ。目録は島津重年書状とする。
追録5-No.1004 宝暦改元の記事
寛延四年辛未十一月三日に元号を宝暦へ改め、同月二十七日に薩府へ伝令した記事。出典は継豊公御譜で、朱記は重年公御譜にも同記事があると補う。改元日と薩府への伝達日をそれぞれ記す。
追録5-No.1005 酒井忠寄書状
酒井雅樂頭忠寄が十一月五日、松平大隅守継豊へ返書を出す。公方・大納言がともに機嫌よく過ごしていることへの継豊の喜びを了解し、重陽の祝儀として時服と肴を拝領したことをありがたく思う旨も承知したと伝える。紙面の趣は各人が相談して上聞に達したと結ぶ。拝領品は時服と肴で、数量は記されない。継豊公御譜中・正文…
追録5-No.1006 秋元凉朝書状
秋元但馬守凉朝が十一月五日、松平大隅守継豊へ返答する。公方・大納言の機嫌がよいことへの喜びを了解し、公方から重陽の祝儀として時服と肴を拝領した件の謝意も承知したと記す。紙面の趣は言上したと通知する。全上としてNo.1005と同件を扱うが、本書には従公方様と贈り手が明記され、結びも及言上候となる。品数…
追録5-No.1007 酒井忠寄書状
酒井雅樂頭忠寄が十一月十二日、松平薩摩守重年へ、公方・大納言の機嫌を尋ねた書状に返答する。両者はますます安全に過ごしているので安心するよう伝え、あわせて献上された小熬海鼠一箱を各人で相談して披露したところ、一段の御仕合であったと通知する。重年公御譜中・正文在文庫の注を持つ。
追録5-No.1008 秋元凉朝書状
秋元但馬守凉朝が十一月十二日、松平薩摩守重年へ返答する。公方・大納言の機嫌を尋ねた件について、両者はますます勇健なので安心するよう伝える。小熬海鼠一箱の献上については披露を遂げ、一段の御仕合であったと通知する。全上としてNo.1007と同件を受けるが、安否の語は益御勇健、結びは遂披露であり、各申談と…
追録5-No.1009 本多正珍書状
本多伯耆守正珍が十一月廿五日、松平大隅守継豊へ返書を出す。公方の機嫌がよいことと、九月十日に東叡山の有徳院霊前へ参詣したことを継豊が喜んだ旨を了解し、紙面の趣を各人で相談して上聞に達したと伝える。継豊公御譜中・正文在文庫の注を持ち、参詣日は九月十日、返書日は十一月二十五日である。
追録5-No.1010 本多正珍書状
本多伯耆守正珍が十一月廿五日、松平薩摩守重年へ返答する。公方の機嫌がよいこと、九月十日に東叡山有徳院霊前への参詣があったことを重年が喜んだ旨を了解し、紙面の趣を各人で相談して上聞に達したと通知する。No.1009と同趣旨だが、重年公御譜中に収録され、宛名は薩摩守である。本多署名・正文在文庫の注を備え…
追録5-No.1011 松平武元書状
松平右近将監武元が十二月九日、松平大隅守継豊へ返書を出す。寒中に公方・大納言の機嫌を尋ねたことに対し、両者はますます安全であるので安心するよう伝える。あわせて鯛一箱の献上を各人で相談して披露したところ、一段の御仕合であったと通知する。継豊公御譜中・正文在文庫の注を備える。
追録5-No.1012 秋元凉朝書状
秋元但馬守凉朝が十二月九日、松平大隅守継豊へ返答する。寒中に公方・大納言の機嫌を尋ねた書状を受け、両者がますます安全に過ごしているので安心するよう伝える。鯛一箱の献上は披露を遂げ、一段の御仕合であったと通知する。全上としてNo.1011と同件を扱うが、差出人は秋元で、各申談の文言はない。十二月九日、…
追録5-No.1013 松平武元書状
松平右近将監武元が十二月九日、寒中に使者をもって公方・大納言の機嫌を尋ねた書状へ返答する。両者はますます安全なので安心するよう伝え、琉球紬十端と鰹節一箱の献上を各人で相談して披露したところ、一段の御仕合であったと記す。重年公御譜中・正文在文庫の注があり、重年側の照会への返書とみられる。ただし本項に宛…
追録5-No.1014 秋元凉朝書状
秋元但馬守凉朝が十二月九日、松平薩摩守重年へ、寒中に使者をもって公方・大納言の機嫌を尋ねた書状に返答する。両者はますます安全なので安心するよう伝え、琉球紬十端と鰹節一箱の献上を披露したところ、一段の御仕合であったと通知する。全上としてNo.1013と同件を扱うが、本書は秋元署名と薩摩守宛名を明記する…
追録5-No.1015 松平武元書状
松平右近将監武元が十二月十二日、松平大隅守継豊へ返答する。公方・大納言が機嫌よく過ごしていることへの喜びを了解し、同氏薩摩守重年の家督以後の帰国に伴って安否を尋ねられた件を宿次の書状で伝え、御肴拝領をありがたく思う旨も承知したと記す。御礼として使者を送った紙面の趣は、各人で相談して上聞に達したと通知…
追録5-No.1016 松平武元書状
松平右近将監武元が十二月十二日、松平大隅守継豊へ返答する。公方・大納言の機嫌がよいことへの喜びを了解し、同氏薩摩守重年の家督以後の帰国に伴う安否照会について宿次で書状を送り、公方から御肴を拝領したことをありがたく思う旨を承知する。御礼の使者を送った紙面の趣は大納言へ言上したと通知する。全上としてNo…
追録5-No.1017 幕府老中ら連署状
松平右近将監武元・本多伯耆守正珍・堀田相模守正亮が十二月十二日、松平薩摩守重年へ連署で返答する。公方・大納言の機嫌がよいことへの喜びと、家督以後に無事帰国しているかとの安否照会を宿次の書状で伝え、御肴を拝領した謝意を承知したと記す。御礼として嶋津周防を通じて樽肴を献上した件は披露を遂げ、その際周防が…
追録5-No.1018 松平武元書状
松平右近将監武元が十二月十二日、松平薩摩守重年へ返答する。公方・大納言の機嫌がよいことへの喜びと、家督以後の無事帰国を問う安否照会について、宿次の書状を送った旨を了解する。公方からの御肴拝領への謝意を承知し、御礼として嶋津周防を通じて大納言へ樽肴を献上した件は披露を遂げたと通知する。周防が御前へ召し…
追録5-No.1019 西尾忠尚書状
西尾隠岐守忠尚が十二月十六日、松平大隅守継豊へ返答する。公方・大納言の機嫌がよいことへの喜びを了解し、同氏薩摩守重年の家督以後の帰国に伴う安否照会を宿次の書状で伝え、御肴を拝領したことをありがたく思う旨を承知したと記す。御礼として使者を差し越した紙面の趣を令承知候と結ぶ。継豊公御譜中の出典表示、西尾…
追録5-No.1020 西尾忠尚書状
西尾隠岐守忠尚が十二月十六日、松平薩摩守重年へ返答する。公方・大納言の機嫌がよいことへの喜びと、家督以後に無事帰国しているかとの安否照会を宿次の書状で伝え、御肴拝領への謝意を承知したと記す。御礼として嶋津周防を通じて樽肴を献上した件についても、紙面の趣を承知したと通知する。重年公御譜中・正文在文庫の…
追録5-No.1021 松平武元書状
松平右近将監武元が十二月十八日、松平大隅守継豊へ返答する。公方の機嫌がよいことと、十月十四日に増上寺御霊屋への参詣があったことを継豊が喜んだ旨を了解し、紙面の趣を各人で相談して上聞に達したと伝える。継豊公御譜中・正文在文庫の注を持ち、参詣日は十月十四日、返書日は十二月十八日である。公方の動静に対する…
追録5-No.1022 松平武元書状
松平右近将監武元が十二月十九日、松平大隅守継豊へ返答する。公方・大納言が機嫌よく過ごしていることへの喜びを了解し、十月十六日に御曲輪内で出火したものの早速鎮まったことを継豊が承知して喜んだ旨も了解する。紙面の趣は各人で相談して上聞に達したと通知する。鎮火を承知した継豊の書状への返答である。被害の規模…
追録5-No.1023 秋元凉朝書状
秋元但馬守凉朝が十二月十九日、松平大隅守継豊へ返答する。公方・大納言の機嫌がよいことへの喜びを了解し、先の十月十六日に御曲輪内で出火したが早速鎮まったことを継豊が承知して喜んだ旨も了解する。紙面の趣は言上したと通知する。全上としてNo.1022と同件を扱うが、各申談及上聞ではなく及言上である。
追録5-No.1024 松平武元書状
松平右近将監武元が十二月十八日、松平薩摩守重年へ返答する。公方・大納言が機嫌よく過ごしていることへの重年の喜びを了解し、蜜柑二箱と炙鮎一箱の献上について、各人で相談して披露したところ一段の御仕合であったと伝える。重年公御譜中・正文在文庫の注、日付・武元署名・薩摩守宛名を備える。
追録5-No.1025 秋元凉朝書状
秋元但馬守凉朝が十二月十八日、松平薩摩守重年へ返答する。公方・大納言の機嫌がよいことへの喜びを了解し、蜜柑二箱と炙鮎一箱の献上を披露したところ、一段の御仕合であったと伝える。全上としてNo.1024と同件を受けるが、差出人は秋元で、各申談の文言はない。
追録5-No.1026 松平武元書状
松平右近将監武元が十二月十八日、松平薩摩守重年へ返答する。公方の機嫌がよいことと、十月十四日に増上寺御霊屋へ参詣したことを重年が喜んだ旨を了解する。紙面の趣は各人で相談して上聞に達したと通知する。参詣者は公方である。No.1021は同じ参詣を扱う継豊宛返書で、本書とは宛先が異なる。「全上」の表示と武…
追録5-No.1027 松平武元書状
松平右近将監武元が十二月十九日、松平薩摩守重年へ返答する。公方・大納言の機嫌がよいことへの喜びを了解し、先の十月十六日に御曲輪の内で出火したが早速鎮まったことを重年が承知して喜んだ旨も了解する。紙面の趣は各人で相談して上聞に達したと通知する。
追録5-No.1028 秋元凉朝書状
秋元但馬守凉朝が十二月十九日、松平薩摩守重年へ返答する。公方・大納言の機嫌がよいことと、先の十月十六日に御曲輪内の出火が早速鎮まったことを重年が喜んだ旨を了解する。紙面の趣は言上したと通知する。全上としてNo.1027と同件を扱うが、各申談及上聞ではなく及言上と結ぶ。秋元署名と薩摩守宛名を備え、出火…
追録5-No.1029 尾張中将書状
尾張中将宗睦が十二月廿一日、松平大隅守継豊へ返答する。寒気の時節にも継豊が無事であることを大切に思い、自分たちも無恙であると伝える。継豊が念を入れて気遣ったことを欣然の至りと述べる。継豊公御譜中・正文在文庫の注があり、宛名に御報と付す。本書には贈答品の記載がない。尾張中将宗睦の署名と、十二月二十一日…
追録5-No.1030 尾張中納言書状
尾張中納言宗勝が十二月廿五日、薩摩少将重年へ返答する。寒気の時節にも重年が無事であることを大切に思い、目録のとおり贈り物を受け、念の入った厚意を欣然の至りと述べる。自分たちも無恙であると伝える。重年公御譜中・正文在文庫の注があり、宛名に御報と付す。「目録の通贈給之」と記すが、本文に品目や数量はない。
追録5-No.1031 島津重年寄進状(御刀一腰)
少将重年が十二月廿七日、福ヶ迫諏方大明神へ御刀一腰を寄進する。品目の脇に波平安周と記し、右奉寄進者也、仍状如件と結ぶ。正文在普賢院の注と少将重年御判の表示を持ち、巻末目録は島津重年寄進状とする。「右奉寄進者也」は、本品を寄進することを宣言する定型句である。年表記は「宝暦元末」と記される。
追録5-No.1032 徳川家重御内書
家重公墨印を伴う御内書は、歳暮の祝儀として小袖一重が到来し、喜んで見たと伝える。詳しいことは本多伯耆守が述べると記し、十二月廿七日の補記日付を持つ。重年公御譜中・正文在文庫の注と「薩摩少将殿」の宛名を備える。重年側から将軍への歳暮献上を受けた返答である。No.1033は大隅守継豊宛の秋元返書で、宛先…
追録5-No.1033 秋元凉朝書状
秋元但馬守凉朝が十二月廿七日、松平大隅守継豊へ返答する。歳暮の祝儀として使者をもって小袖一重を献上した件は披露を遂げ、一段の御仕合であったと通知する。「全上」の出典表示と「大隅守殿」の宛名を持ち、前No.1032御内書の薩摩少将宛とは宛先が異なる。前項御内書の宛名は「薩摩少将殿」で、本書の「大隅守殿…
追録5-No.1034 徳川家重御内書
家重公墨印を伴う御内書は、歳暮の祝儀として小袖一重が到来し、喜んで見たと伝える。詳しいことは本多伯耆守が述べると記す。継豊公御譜中・正文在文庫の注、十二月廿七日の補記日付、松平大隅守殿の宛名を持つ。継豊から将軍への歳暮献上を受けた返答である。No.1032は重年御譜の薩摩少将宛御内書で、同じ品目・数…
追録5-No.1035 秋元凉朝書状
秋元但馬守凉朝が十二月廿七日、松平大隅守継豊へ、歳暮の祝儀として使者をもって小袖一重を献上した件に返答する。披露を遂げ、一段の御仕合であったと伝える。「全上」としてNo.1034の継豊公御譜を受け、同じ歳暮献上について述べる。前No.1033にも大隅守宛の同文返書がある。
追録5-No.1036 尾張中納言書状
尾張中納言宗勝が十二月廿七日、松平大隅守継豊へ返答する。厳しい寒さの中でも継豊が無事であることを大切に思い、念を入れて気遣ったことを欣然の至りと述べ、自分たちも無恙であると伝える。全上の出典表示と御報の付記を持つ。No.1030は宗勝から薩摩少将重年へ目録の贈り物を受けた返書だが、本書には贈答の記載…
追録5-No.1037 松平武元書状
松平右近将監武元が十二月廿八日、松平大隅守継豊へ返答する。公方・大納言が機嫌よく過ごしていることへの継豊の喜びを了解し、今回の年号改元を承知して重く受け止めた旨も了解する。紙面の趣は各人で相談して上聞に達したと通知する。改元日は十一月三日、返書日は十二月廿八日である。「全上」の表示、武元署名、大隅守…
追録5-No.1038 秋元凉朝書状
秋元但馬守凉朝が十二月廿八日、松平大隅守継豊へ返答する。公方・大納言の機嫌がよいことへの喜びと、今回の年号改元を承知した旨を了解し、紙面の趣は言上したと伝える。全上としてNo.1037と同件を受けるが、結びは各申談及上聞ではなく及言上である。
追録5-No.1039 松平武元書状
松平右近将監武元が十二月廿八日、松平薩摩守重年へ返答する。公方・大納言の機嫌がよいことへの喜びと、今回の年号改元を承知した旨を了解する。紙面の趣は各人で相談して上聞に達したと通知する。重年公御譜中・正文在文庫の注を持ち、No.1037の継豊宛返書とは宛先・御譜出典を分ける。
追録5-No.1040 秋元凉朝書状
秋元但馬守凉朝が十二月廿八日、松平薩摩守重年へ返答する。公方・大納言の機嫌がよいことへの喜びと、今回の年号改元を承知した旨を了解し、紙面の趣は言上したと通知する。全上としてNo.1039と同件を受けるが、各申談及上聞ではなく及言上と結ぶ。
追録5-No.1041 本多正珍書状
本多伯耆守正珍が宝暦二年正月七日、松平大隅守継豊へ返答する。若菜の祝儀として鯛一折を献上した件は披露を遂げ、一段の御仕合であったと伝える。継豊公御譜中・正文在文庫の注を持つ。鯛の数量は一折と記される。
追録5-No.1042 秋元凉朝書状
秋元但馬守凉朝が宝暦二年正月七日、松平大隅守継豊へ返答する。若菜の祝儀として鯛一折を献上した件は披露を遂げ、一段の御仕合であったと通知する。全上としてNo.1041と同件を扱うが、差出人は秋元である。同件の本多返書とは別の、秋元一名の返書である。
追録5-No.1043 本多正珍書状
本多伯耆守正珍が宝暦二年正月七日、松平薩摩守重年へ返答する。若菜の祝儀として鯛一折を献上した件は披露を遂げ、一段の御仕合であったと伝える。重年公御譜中・正文在文庫の注を持ち、No.1041の継豊宛返書とは御譜出典と宛先が異なる。
追録5-No.1044 秋元凉朝書状
秋元但馬守凉朝が宝暦二年正月七日、松平薩摩守重年へ返答する。若菜の祝儀として鯛一折を献上した件は披露を遂げ、一段の御仕合であったと通知する。「全上」としてNo.1043の重年公御譜の出典を受け、同件の本多正珍返書とは差出人が異なる。品目は鯛、数量の単位は一折である。継豊宛のNo.1041・1042と…
追録5-No.1045 幕府老中ら連署状
松平右近将監武元・本多伯耆守正珍・堀田相模守正亮が宝暦二年正月十一日、松平大隅守継豊へ連署で返答する。年頭の祝儀として使者をもって御太刀一腰と御馬代黄金十両を献上した件は披露を遂げ、一段の御仕合であったと通知する。馬代は黄金十両と記され、使者の口上の記載はない。継豊公御譜中・正文在文庫の注を持つ。三…
追録5-No.1046 秋元凉朝書状
秋元但馬守凉朝が宝暦二年正月十一日、松平大隅守継豊へ返答する。年頭の祝儀として使者をもって御太刀一腰と御馬代黄金十両を献上した件は披露を遂げ、一段の御仕合であったと伝える。全上としてNo.1045と同じ継豊の年頭献上を受けるが、差出人は秋元一名である。
追録5-No.1047 重年の年頭吉書
重年の吉書は、神社仏閣の修造を行うこと、専ら農業を勧めること、国々の年貢を徴納することの三条を掲げる。右任三箇條之旨、可有沙汰之状如件と結び、三条の趣旨に従って実行するよう命じる。宝暦二年正月十一日、重年御判の表示を持ち、重年公御譜中・正文在文庫の注を伴う。
追録5-No.1048 幕府老中ら連署状
松平右近将監武元・本多伯耆守正珍・堀田相模守正亮が宝暦二年正月十一日、松平薩摩守重年へ連署で返答する。年頭の祝儀として使者をもって御太刀一腰と御馬代黄金十両を献上した件は披露を遂げ、一段の御仕合であったと通知する。「全上」の表示を持ち、宛名は薩摩守で、No.1045の継豊宛三名返書とは献上者・宛先が…
追録5-No.1049 秋元凉朝書状
秋元但馬守凉朝が宝暦二年正月十一日、松平薩摩守重年へ返答する。年頭の祝儀として使者をもって御太刀一腰と御馬代黄金十両を献上した件は披露を遂げ、一段の御仕合であったと伝える。全上としてNo.1048と同件を受けるが、差出人は秋元一名である。秋元署名・正月十一日の日付・薩摩守宛名を備え、同文の継豊宛No…
追録5-No.1050 酒井忠寄書状
酒井左衛門尉忠寄が宝暦二年二月六日、松平大隅守継豊へ返答する。新年の祝賀を喜び、公方・大納言が機嫌よく過ごしていることと、年始の御規式が相済むことを継豊がめでたく思う旨を了解する。あわせて御樽肴の献上について、各人で相談して披露したところ、一段の御仕合であったと伝える。品数や使者名は本文にない。継豊…
追録5-No.1051 秋元凉朝書状
秋元但馬守凉朝が宝暦二年二月六日、松平大隅守継豊へ返答する。新年の祝賀を喜び、公方・大納言の機嫌がよいことと、年始の御規式が相済むことをめでたく思う旨を了解する。御樽肴の献上は披露を遂げ、一段の御仕合であったと通知する。全上としてNo.1050と同件を受けるが、各申談の文言はなく、差出人は秋元である…
追録5-No.1052 酒井忠寄書状
酒井左衛門尉忠寄が宝暦二年二月六日、松平薩摩守重年へ返答する。新年の祝賀を喜び、公方・大納言の機嫌がよいことと、年始の御規式が相済むことを重年がめでたく思う旨を了解する。御樽肴の献上については各人で相談して披露し、一段の御仕合であったと伝える。重年公御譜中・正文在文庫の注を持ち、No.1050継豊宛…
追録5-No.1053 秋元凉朝書状
秋元但馬守凉朝が宝暦二年二月六日、松平薩摩守重年へ返答する。新年の祝賀を喜び、公方・大納言の機嫌がよいことと、年始の御規式が相済むことをめでたく思う旨を了解する。御樽肴の献上は披露を遂げ、一段の御仕合であったと伝える。全上としてNo.1052と同件を受けるが、差出人は秋元で、各申談の文言はない。
追録5-No.1054 松平武元書状
松平右近将監武元が宝暦二年二月十八日、松平薩摩守重年へ返答する。公方・大納言の機嫌がよいことへの喜びを了解し、家督以後の初帰国に伴う安否照会を宿次の書状で伝え、御肴を拝領した件を扱う。御礼の使者が御前へ召し出され、拝領物もあったことをありがたく思う旨を了解し、紙面の趣は各人が一覧したと伝える。重年公…
追録5-No.1055 秋元凉朝書状
秋元但馬守凉朝が宝暦二年二月十八日、松平薩摩守重年へ返答する。公方・大納言の機嫌がよいことへの喜びを了解し、家督以後の初帰国に伴う安否照会を宿次の書状で伝え、御肴を拝領した件を記す。御礼の使者が御前へ召し出され、拝領物を受けたことへの謝意を了解し、紙面の趣を承知したと結ぶ。全上としてNo.1054と…
追録5-No.1056 秋元凉朝書状
秋元但馬守凉朝が宝暦二年二月十八日、松平薩摩守重年へ返答する。公方・大納言の機嫌がよいことへの喜びを了解し、歳暮の祝儀として公方から重年の妻女に拝領物があったことをありがたく思う旨を承知する。紙面の趣を「令承知候」と結ぶ。「全上」の表示を持ち、宛名は薩摩守、「其方妻女」は重年の妻女を指す。拝領物の種…
追録5-No.1057 松平武元書状
松平右近将監武元が宝暦二年二月十九日、松平大隅守継豊へ返答する。公方・大納言の機嫌がよいことへの喜びを了解し、歳暮の祝儀として時服と御肴を拝領した件の謝意を承知する。紙面の趣は各人で相談して上聞に達したと通知する。継豊公御譜中・正文在文庫の注を持つ。数量の記載はなく、二月十九日の日付、武元署名・大隅…
追録5-No.1058 秋元凉朝書状
秋元但馬守凉朝が宝暦二年二月十九日、松平大隅守継豊へ返答する。公方・大納言の機嫌がよいことへの喜びを了解し、歳暮の祝儀として公方から時服と御肴を拝領したことへの謝意を承知する。紙面の趣は言上したと伝える。全上としてNo.1057と同件を扱うが、贈り手を従公方様と明示し、結びは及言上である。日付・秋元…
追録5-No.1059 松平武元書状
松平右近将監武元が宝暦二年二月十九日、松平薩摩守重年へ返答する。公方・大納言の機嫌がよいことへの喜びを了解し、歳暮の祝儀として重年の妻女に拝領物があったことをありがたく思う旨を承知する。紙面の趣は各人が一覧したと伝える。重年公御譜中・正文在文庫の注を持ち、継豊本人の時服・御肴拝領を扱うNo.1057…
追録5-No.1060 秋元凉朝書状
秋元但馬守凉朝が宝暦二年二月十九日、松平薩摩守重年へ返答する。公方・大納言の機嫌がよいことへの喜びを了解し、歳暮の祝儀として公方から重年の妻女へ拝領物があった件の謝意を承知する。紙面の趣は令承知候と結ぶ。全上としてNo.1059と同件を扱うが、本書は従公方様と贈り手を明記する。拝領品の種類・数量は本…
追録5-No.1061 島津重年大慈寺住持職判物
少将重年が宝暦二年二月廿八日、古道西堂へ、大慈寺の住持職について先例に従って執務するよう命じる。重年公御譜中・正文在志布志大慈寺の注、少将重年御判の表示と古道西堂の宛名を持つ。巻末目録は島津重年公帖とする。
追録5-No.1062 堀田正亮書状
堀田相模守正亮が三月十一日、松平大隅守継豊へ送った返書。相手の書状を披見し、公方・大納言がますます御機嫌よく過ごしていることを相手が喜んだ旨を承知する。続いて、正月十二日に竹姫君が入られた際、菊の件(原文「菊事」)について御懇の上意を蒙り、公方・大納言から拝領物を仰せ付けられ、五十宮からも遣わされる…
追録5-No.1063 秋元凉朝書状
秋元但馬守凉朝が三月十一日、松平大隅守継豊へ送った返書。相手の書状を披見し、公方・大納言がますます御機嫌よく過ごしていることを相手が喜んだ旨を承知する。続いて、正月十二日に竹姫君が入られた際、菊の件(原文「菊事」)について御懇の上意を蒙り、公方・大納言から拝領物を仰せ付けられ、五十宮からも遣わされる…
追録5-No.1064 堀田正亮書状
堀田相模守正亮が三月十一日、松平薩摩守重年へ送った返書。相手の書状を披見し、公方・大納言がますます御機嫌よく過ごしていることを相手が喜んだ旨を承知する。続いて、正月十二日に竹姫君が入られた際、菊の件(原文「菊事」)について御懇の上意を蒙り、公方・大納言から拝領物を仰せ付けられ、五十宮からも遣わされる…
追録5-No.1065 秋元凉朝書状
秋元但馬守凉朝が三月十一日、松平薩摩守重年へ送った返書。相手の書状を披見し、公方・大納言がますます御機嫌よく過ごしていることを相手が喜んだ旨を承知する。続いて、正月十二日に竹姫君が入られた際、菊の件(原文「菊事」)について御懇の上意を蒙り、公方・大納言から拝領物を仰せ付けられ、五十宮からも遣わされる…
追録5-No.1066 島津久郷申渡書
三月、島津久郷の主鈴が、浄國院・慈徳院の位牌の安置と、茶湯器・霊膳の道具の調達について申し渡す。浄國院には島津吉貴、慈徳院には島津宗信との注がある。位牌を安置し道具を調達する件に関連して、御仏餉料については寄附を願う考えはないとの申出が先にあったことを記す。留守居・屋敷守から安置を取り計らう筋とみな…
追録5-No.1067 島津継豊参府延引願の経緯
前年の願いによって継豊は当年夏まで国元で療養することを許されていたが、持病がまだ癒えないため、宝暦二年三月十五日に重年が執政へ書翰を呈し、継豊の参府の期日を翌年夏まで延ばすよう改めて願い出た記事。末尾は、詳細を後に記す旨で結ぶ。
追録5-No.1068 島津重年願書
三月十五日付の願書は、公方・大納言の機嫌を喜ぶ挨拶に続き、同氏大隅守継豊が持病のため健康がすぐれず、国元での滞在と湯治を望み、前年の願いで当年夏まで暇を与えられた経緯を述べる。当年参府の支度をしているが、なお快癒せず温泉の場所に滞在しているため、現状では長途の旅行が難しく、毎年断りを述べ参府を延期す…
追録5-No.1069 堀田正亮書状
堀田相模守正亮が三月廿五日、松平大隅守継豊へ返答する。公方の機嫌がよいことと、正月十四日に増上寺御霊屋へ参詣したことを継豊が喜んだ旨を了解し、紙面の趣は各人で相談して上聞に達したと伝える。継豊公御譜中・正文在文庫の注を持つ。
追録5-No.1070 堀田正亮書状
堀田相模守正亮が三月廿五日、松平薩摩守重年へ返答する。公方の機嫌がよいことと、正月十四日の増上寺御霊屋への参詣を重年が喜んだ旨を了解し、紙面の趣は各人で相談して上聞に達したと通知する。重年公御譜中・正文在文庫の注を持ち、No.1069継豊宛返書とは御譜出典と宛先が異なる。参詣者は公方で、三月二十五日…
追録5-No.1071 島津重年中山王宛書状
少将重年が四月朔日、中山王へ、家督以後初めて暇を与えられて帰国した件への祝賀贈答に礼を述べる。王からの書状を受け、浦添按司を差し越し、太刀、馬代白銀百両、目録どおりの品を贈られたことを祝着すると記す。太刀の数量は本文に記されず、馬代は白銀百両である。重年公御譜中・正文在琉球國司の注、少将重年御判の表…
追録5-No.1072 島津重年蓮光院年行事職判物
少将重年が宝暦二年四月四日、飯隈山蓮光院へ、薩摩・大隅・日州諸県郡の年行事職について、聖護院御門跡の許可と御書物の拝戴を受けたうえで、大峯修行に怠りなく、当家の祈祷に誠精を尽くすよう命じる。重年公御譜中・正文在飯隈山蓮光院の注と少将重年御判の表示を持つ。
追録5-No.1073 堀田正亮書状
堀田相模守正亮が四月廿一日、松平薩摩守重年へ、御香具一箱と丸熨斗一箱の献上に返答する。披露を遂げ、一段の御仕合であったと伝える。重年公御譜中・正文在文庫の注と、日付・堀田署名・薩摩守宛名を備える。
追録5-No.1074 秋元凉朝書状
秋元但馬守凉朝が四月廿一日、松平薩摩守重年へ、御香具一箱と丸熨斗一箱の献上に返答する。披露を遂げ、一段の御仕合であったと通知する。「全上」としてNo.1073と同件を扱い、差出人は秋元一名である。
追録5-No.1075 堀田正亮書状
堀田相模守正亮が四月廿三日、松平薩摩守重年へ返答する。公方・大納言の機嫌がよいことへの喜びを了解し、同氏大隅守継豊の持病のため当年の参府が難しく、来年夏まで暇を与え、その間に快癒すれば参府の伺いを立てたいとの願いを承知する。重年から差し越した使者の書状について、紙面の趣は各人が一覧したと伝える。重年…
追録5-No.1076 徳川家重御内書
家重公墨印を伴う御内書は、端午の祝儀として帷子単物が到来し、喜んで見たと伝える。詳しいことは西尾隠岐守が述べると記す。継豊公御譜中・正文在文庫の注、五月二日の補記日付と松平大隅守殿の宛名を持つ。継豊から将軍への端午献上を受けた返答である。品数は記されない。
追録5-No.1077 秋元凉朝書状
秋元但馬守凉朝が五月二日、松平大隅守継豊へ返答する。端午の祝儀として使者をもって帷子単物を献上した件は披露を遂げ、一段の御仕合であったと伝える。「全上」としてNo.1076継豊公御譜の出典を受け、同件の献上披露を伝える。数量は本文にない。
追録5-No.1078 徳川家重御内書
家重公墨印を伴う御内書は、端午の祝儀として帷子単物が到来し、喜んで見たと伝える。詳しいことは西尾隠岐守が述べると記す。重年公御譜中・正文在文庫の注、五月二日の補記日付、薩摩少将殿の宛名を持つ。No.1076継豊宛御内書とは御譜出典と宛先が異なる。重年から将軍への帷子単物献上を受けた返答である。数量は…
追録5-No.1079 秋元凉朝書状
秋元但馬守凉朝が五月二日、松平薩摩守重年へ返答する。端午の祝儀として使者をもって帷子単物を献上した件は披露を遂げ、一段の御仕合であったと伝える。「全上」としてNo.1078の重年公御譜を受け、同じ献上について述べる。継豊宛No.1077と同文だが、宛先と献上者が異なる。
追録5-No.1080 南泉院宛宗門勤行申渡状
寺社奉行の宮之原甚五兵衛通興・嶋津十太右衛門久命が宝暦二年申五月二日、南泉院へ、御袖判による仰せ出しの写を別紙で渡すので謹んで承知し、配下へ申し聞かせるよう命じる。法式が緩み、形骸化して規則を失い、名利栄華に耽っているという風聞を受け、宗門開祖の遺戒を深く心に留め、勤行を怠らず道儀を興すよう促す。重…
追録5-No.1081 島津重豪への贈刀記事
宝暦二年壬申五月二日、重年から刀一腰・脇刀一腰・肴一折を賜った記事。刀には治工法光、長二尺九分半、拵ありの元注が付く。脇刀には法城寺の治工と代の注記があり、長一尺一寸五分、拵ありと記す。出典は重豪公御譜。
追録5-No.1082 秋元凉朝書状
秋元但馬守凉朝が五月十六日、松平大隅守継豊へ返答する。大納言の機嫌がよいことと、三月十四日に東叡山の至心院霊前へ参詣したことを継豊が喜んだ旨を了解し、紙面の趣は言上したと伝える。至心院の脇に家治母梅溪氏の朱記を持つ。継豊公御譜中・正文在文庫の注と秋元署名・大隅守宛名を備え、参詣日は三月十四日、返書日…