ARCHIVE DIRECTORY
追録5の目録
暫定版です。原文との照合により、概要や文書の区切り等を修正する場合があります。
全2,955件中 1701~1800件・18 / 30ページ
追録5-No.1659 忠洪、家臣ノ旧ノ如ク勤事スベキヲ諭ス(記事)
宝暦五年八月七日、家老および百執事はこれまでどおり職務を勤め、誓詞を再び改めるには及ばないと命じた記事。新たな家督のもとでも従前の奉仕を続けることと、誓詞の扱いを定める。出典は重豪公御譜。
追録5-No.1660 島津忠洪申渡書
忠洪が家督を命じられたため、家老その他の諸役人は従来どおり勤め、継豊方に勤める者も同様に継続するよう申し渡す。家老が諸役人へ直接伝え、国許へも知らせることを命じる。八月七日の御弘めについて旧案を書き抜き、近習役方の書抜を水善左衛門から提出して御家老衆へ直接命令を伝える手順を記す。奥の諸役人は大御書院…
追録5-No.1661 堀田正亮書状
堀田相模守正亮が八月九日、松平大隅守継豊の礼状に返答する。公方・大納言の機嫌がいよいよよいことを喜ぶ旨と、端午の祝儀に時服・御肴を拝領した恩への謝意を承知した。書状の趣旨は申し合わせて上聞に達したと報告する。
追録5-No.1662 秋元凉朝書状
秋元但馬守凉朝が八月九日、松平大隅守継豊へ返答する。公方・大納言の機嫌がいよいよよいことを喜ぶ旨と、公方から端午の祝儀に時服・御肴を拝領した恩への謝意を承知する。書状に記された趣旨を言上したと伝える。
追録5-No.1663 堀田正亮書状
堀田相模守正亮が八月九日、松平大隅守継豊の礼状に返答する。公方の機嫌がいよいよよいことを喜ぶ旨と、五月八日に東叡山の御霊前へ参詣したことを承知した。書状の趣旨は申し合わせて上聞に達したと伝える。
追録5-No.1664 堀田正亮書状
堀田相模守正亮が八月九日、松平大隅守継豊へ返答する。公方の機嫌がいよいよよいことを喜ぶ旨と、四月晦日に増上寺の御霊屋へ参詣したことを承知した。参詣を喜び、書状の趣旨を申し合わせて上聞に達したと通知する。
追録5-No.1665 堀田正亮書状
堀田相模守正亮が八月十一日、松平大隅守継豊へ、生見玉の祝儀として献上した黄金十両の扱いを知らせる。献上品を披露したところ、たいへんよい献上であったと報告する。
追録5-No.1666 秋元凉朝書状
秋元但馬守凉朝が八月十一日、松平大隅守継豊へ、生見玉の祝儀に献上した黄金十両について返答する。献上品を披露したところ、たいへんよい献上であったとして、その旨を伝える。
追録5-No.1667 濃尾勢州川々普請ノ褒賞アリ、継豊之ヲ謝ス(記事)
濃州・尾州・勢州では河川や堤防が決壊し、住民が久しく水害に苦しんでいた。重年が幕命を受け、幕府の諸役人を派遣して大勢の人夫を動員し、治水を行った記事。一年を経て水路が整い、住民が水害を免れたため、その功績への褒賞として重年に時服五十領を与え、幕府の諸役にも品を賜った。重年は病中だったので松平河内守定…
追録5-No.1668 堀田正亮書状
堀田相模守正亮が八月十一日、松平大隅守継豊へ返答する。公方・大納言の機嫌がよいことを喜ぶ旨と、六月十三日に薩摩守重年の名代として松平河内守定多が登城し、川普請の御手伝いに対して時服を拝領した恩への謝意を承知した。書状の趣旨を一通り確認したと伝える。
追録5-No.1669 秋元凉朝書状
秋元但馬守凉朝が八月十一日、松平大隅守継豊へ返答する。公方・大納言の機嫌がよいことを喜ぶ旨と、六月十三日に薩摩守重年の名代として松平河内守が登城し、川普請の御手伝いに対して時服を拝領した恩への謝意を承知した。書状に記された趣旨を承知したと通知する。
追録5-No.1670 堀田正亮書状
堀田相模守正亮が八月十一日、松平大隅守継豊へ返答する。公方・大納言の機嫌がよいことを喜ぶ旨を受け、薩摩守重年の病気について、公方が上使を遣わして尋ねた懇意への謝礼を承知する。大納言に関する謝意も承知したとして、書状の趣旨は申し合わせて上聞に達したと報告する。
追録5-No.1671 秋元凉朝書状
秋元但馬守凉朝が八月十一日、松平大隅守継豊へ返答する。公方・大納言の機嫌がよいことを喜ぶ旨と、薩摩守重年の病気を公方が上使によって尋ねた懇意への謝礼を承知する。大納言に関する謝意も受け止め、書状に記された趣旨を言上したと伝える。
追録5-No.1672 島津忠洪書状
松平又三郎忠洪が八月十三日、隅州継豊へ書状を送る。先月二十七日に家督を相違なく命じられたことをありがたく思うと述べる。自身が幼少のため、領分・琉球国の仕置その他を先例どおり継豊が心を配って取り計らうよう幕府が奉書を渡したことを受け、この取り計らいへの謝意を継豊へ伝える。
追録5-No.1673 島津久郷・伊集院久東在府家老連署書状
伊集院十蔵・島津主鈴が八月十三日、島津主殿・義岡相馬・鎌田典膳へ、家督相続に伴い家老・諸役人と継豊方の勤務を先代どおり続けるよう命じられたと知らせる。七日、差出人二名と島津将監が御座之間へ召し出され、書付を受けて承知・御請の礼を申し出たこと、ほかの役人にも同日口頭で伝達し、その書付を送る旨を記す。継…
追録5-No.1674 島津久馬外二名家老連署返書
島津久馬ほか二名の九月十六日付朱書返答は、伊集院十蔵・島津主鈴の八月十三日付の勤務継続報告を承知し、継豊に書付を示した旨を伝える。十二日、御目付以上の者へ家老座で相馬から命令を伝え、書付を拝見して各人が御礼を申し出たこと、当日便の礼状を差し出す旨を記す。諸役人にも同日口頭で伝達し、先例どおり取り扱っ…
追録5-No.1675 島津久郷・伊集院久東在府家老連署書状
伊集院十蔵・島津主鈴が八月十三日、島津主殿・義岡相馬・鎌田典膳へ、家督相続に伴う袖判の扱いを伺う。先代の家督時には御座之間で家老に拝見させ、諸役人・諸士へ弘めたが、今回は継豊に仕置などを命じたため、別紙のように命令を出すべきか問う。幼少の当主でも袖判は格別なので書判を用いるか、印判とするか、継豊に伺…
追録5-No.1676 島津久馬外二名家老連署返書
島津久馬ほか二名の九月十八日付朱書返答は、伊集院十蔵・島津主鈴の袖判に関する伺いに、当主が幼少で当分は継豊が諸事を取り扱うため、袖判を出すには及ばないと答える。当主の成人後に御用を取り扱う時、初入部による帰国時、または同様の機会に袖判を出すよう申し上げる旨を伝える。有章院時代の武家諸法度の有無に関す…
追録5-No.1677 堀田正亮外四名幕府老中連署状
西尾隠岐守・松平右近将監・本多伯耆守・酒井左衛門尉・堀田相模守が八月十四日、松平又三郎忠洪へ登城を通知する。翌十五日に家督御礼を命じられたので、名代一人が五時に城へ出るよう指示する。
追録5-No.1678 忠洪名代ヲ以テ家督ヲ礼謝ス(記事)
宝暦五年八月十五日、忠洪が幼少のため島津淡路守久柄が名代で登城し、襲封の御礼を行った記事。家重へ太刀一腰・刀一腰・縮緬二十巻・白銀百枚・馬二疋、家治へ太刀一腰・刀一腰・白銀百枚・馬一疋、御簾中へ白銀十枚・縮緬十巻を献上した。元注は刀の作者・長さや馬の特徴を記し、御簾中を閑院直仁親王の姫宮とする。白書…
追録5-No.1679 島津忠洪書状
松平又三郎忠洪が八月十五日、幼少のため当日の家督御礼を名代によって申し上げ、名代の島津淡路守が御目見を許されたことへの謝意を述べる。家督御礼の名代が島津淡路守であることを届けて確認する書状である。
追録5-No.1680 堀田正亮書状
堀田相模守正亮が八月十五日、松平大隅守継豊の礼状に返答する。公方・大納言の機嫌がよいことを喜ぶ旨と、薩摩守重年の病気の際、公方が上使を遣わして尋ね、御肴を与えたことへの謝意を承知する。大納言に関する謝意も受け止め、書状の趣旨を申し合わせて上聞に達したと通知する。
追録5-No.1681 秋元凉朝書状
秋元但馬守凉朝が八月十五日、松平大隅守継豊へ返答する。公方・大納言の機嫌がよいことを喜ぶ旨と、薩摩守重年の病気を公方が上使によって尋ねた懇意および御肴拝領への謝意を承知した。大納言に関する謝意も承知し、書状の趣旨を言上したと報告する。
追録5-No.1682 毎朔条書
八月十五日付の毎朔条書控。幕府の政務・条目を守り、切支丹宗門を禁じ、島津家累代の定めを守り、忠義を励んで公方への奉公を怠らないよう命じる。学問武芸、親子兄弟の和睦と礼法、身分相応の武具・馬具、知行と財用の節約を説き、職務怠慢、家老の命令への背反、下役への無礼、徒党・連判、喧嘩口論を禁じる。病気・老躯…
追録5-No.1683 秋元凉朝書状
秋元但馬守凉朝が八月十九日、松平大隅守継豊の礼状に返答する。薩摩守重年の死去に際して幕府の上意を奉書で伝えたことに対する謝意を承知し、書状の趣旨を言上したと通知する。
追録5-No.1684 忠洪、縁辺ヘ諸品ヲ贈リ家督ヲ賀ス(記事)
宝暦五年八月十九日、忠洪が竹姫君へ縮緬二十巻・二種一荷、菊姫へ縮緬三巻・二種三百疋を進上した記事。同日、菊姫から忠洪へ二種五百疋が贈られた。二十五日には阿部伊勢守正襄の妻から縮緬三巻・二種五百疋が贈られ、元注はその妻を喜代と記す。これらはいずれも家督相続を祝う贈答であった。出典は重豪公御譜。
追録5-No.1685 重年ノ遺骸江戸ヲ発シ福昌寺ニ帰葬ス(記事)
忠洪が重年の遺骸を国元の玉龍山福昌寺へ帰葬することを幕府へ願い、許可を得た記事。六月二十五日酉刻に芝邸から大圓寺へ移し、翌二十六日丑刻に同寺を出発した。大圓寺海卯・戒翁寺融道の両和尚、家老義岡相馬久仲、側用人二階堂林左衛門行通・河野安之右衛門通古、近侍や歩行士数十人が霊棺を護って供奉した。東海道・美…
追録5-No.1686 島津忠洪代継祭文
忠洪が重年(圓徳院)の霊前へ奉じた祭文。重年が東武芝邸で病み、薬が効かず六月十六日に死去し、八月二十一日に国元の玉龍山へ帰葬されたことを述べる。忠洪は江戸にいて遠く、霊柩に従って帰国し、父の遺体に取りすがることができないため、族臣を遣わして供物を捧げると告げる。韻文では累代の家業、広い度量、仁義を兼…
追録5-No.1687 重年葬送・中陰法要(記事)
八月二十一日夜、客殿から重年の霊柩を出して土葬の礼を行い、葬馬二疋を供奉したと記す。武具・灯籠・香炉・湯碗・花瓶・鬢髪・神主などを持つ担当者を列挙し、久柄・島津内膳忠雅も同行した。福昌寺素禅和尚が導師となり、曹洞・天台・真言・時宗・法華・浄土・山伏の諸宗が読経し、薩隅日三州と琉球国からの僧が法式を勤…
追録5-No.1688 島津忠紀祭文
島津周防忠紀が重年の霊前に奉じた祭文。六月十六日の江戸での死去と、八月二十一日の福昌寺での葬礼を述べ、中陰の日に忠紀が食邑の校侶へ供物を整えさせて祭ると告げる。韻文では民を庇護した英気、心の明察、春雨のような恩賞と秋天のように公平な刑罰、賢者を招く治政をたたえる。病の薬が効かなかった無念と早世の悲し…
追録5-No.1689 島津久定祭文
島津出雲久定が重年に奉じた祭文。六月十六日に江戸芝邸で没し、八月二十一日に国元の福昌寺へ葬られたと述べ、久定が食邑の校侶を通じて供物を捧げる。清和の祖から続く家系、国を鎮めた仁慈、明懿と武威、猛きに過ぎない寛度をたたえ、まだ白髪に至らぬうちに命が絶えたことを嘆く。続く韻文では、喪失から食事も進まない…
追録5-No.1690 島津久亮祭文
島津圖書久亮が重年へ奉じた祭文。病が次第に悪化して医術が効かず、六月十六日に江戸芝邸で死去し、八月二十一日に福昌寺へ帰葬されたと述べ、山蔬を整えて中陰の霊前に献じる。韻文では春のような寛仁、家臣の忠節、文武に秀でた才、射御や軍略、臨事の強さと仁心をたたえる。病を三世の医でも救えず、壮年に満たない死に…
追録5-No.1691 島津久馬祭文
島津主殿久馬が重年へ奉じた祭文。幕府の下で病が重くなり、医薬や祈祷の効なく六月十六日に芝邸で没したこと、八月二十一日に福昌寺へ帰葬されたことを述べ、中陰の霊前へ食邑の校侶を通じて供物を捧げる。韻文では賢者を登用して教化を広め、国内外に及ぶ政績をたたえる。帰葬時の家臣と一族の悲嘆、今なお喪失を悟りきれ…
追録5-No.1692 島津久茂祭文
島津筑後久茂が重年へ奉じた祭文。医薬が効かず六月十六日に江戸芝邸で没し、八月二十一日に福昌寺へ帰葬されたことを述べ、中陰の日に食邑の者を通じて供物を捧げる。韻文では先代の業を明らかに受け継いだ治政、領民を慈しむ仁愛、文武の才、民の父母としての徳をたたえる。早世で政化と威徳が失われた悲しみを述べ、血涙…
追録5-No.1693 種子島久芳祭文
種子島蔵人久芳が重年(圓徳院)の霊前へ奉じた祭文。六月十六日に江府の館で没し、八月二十一日に霊柩を玉龍精舎へ安置して先例どおりの法要を営んだと述べ、久芳が采邑の者へ山野の供物を整えさせて中陰の日に奉献する。韻文では三州の領主として寛柔に教え、仁政の基を築いたこと、まだ壮年であったことをたたえて早世を…
追録5-No.1694 島津久柄祭文
島津淡路守久柄が重年へ奉じた祭文。六月十六日に江戸芝邸で没し、八月二十一日に福昌寺へ帰葬されたと述べ、世襲の領地を持ち公室の恩を受ける久柄が、二十五日に大安寺の住持と十余人の僧を遣わして供物を捧げると告げる。韻文では仁政と軍略によって民を安んじたことをたたえ、病を医薬や祈祷でも救えず若くして亡くなっ…
追録5-No.1695 島津貴傳祭文
島津備中貴傳が重年へ奉じた祭文。六月十六日に江戸芝邸で病没し、霊柩が玉龍精舎へ帰ったと述べ、八月二十六日に采邑の者へ野菜などの供物を整えさせて奉献する。韻文では道と礼に基づく徳、若くして現れた文才、剛潔な性情、領民に及んだ恩沢と家臣への深い思いをたたえる。三十歳に満たぬ早世を嘆き、夢や別れ鳥、涙雨の…
追録5-No.1696 島津久尚祭文
島津大学久尚が重年へ奉じた祭文。東武芝邸で医薬が効かず六月十六日に没し、翌月に国元へ帰って玉龍精舎で法要を営んだと述べ、八月二十七日に久尚が供物を霊前へ捧げる。韻文では七年間の治国、家業の継承、兵略に通じ、文を論じて学者に親しみ賢者を尊んだことをたたえる。病没による永別を嘆き、涙や遺物を前にした悲し…
追録5-No.1697 堀田正亮書状
堀田相模守正亮が八月二十三日、松平大隅守継豊の礼状に返答する。薩摩守重年の死去に際して上意を奉書で伝えたことを継豊がありがたく受け止め、大納言からも奉書を受けたとの謝意を承知する。御礼の使者を差し越されたことを受け、書面の内容を申し合わせて上聞に達したと通知する。
追録5-No.1698 秋元凉朝書状
秋元但馬守凉朝が八月二十三日、松平大隅守継豊の礼状に返答する。重年の死去に際する幕府の上意の奉書と、大納言からの奉書への謝意を承知し、御礼のために差し越された使者の趣旨を受ける。書状に記された内容を言上したと通知する。
追録5-No.1699 堀田正亮書状
堀田相模守正亮が八月二十三日、松平大隅守継豊へ返答する。重年の死去に際して上使により香奠を賜り、大納言からも御意を受けたことへの謝意を承知する。御礼の使者と書状を受け、書面の趣旨を申し合わせて上聞に達したと伝える。
追録5-No.1700 秋元凉朝書状
秋元但馬守凉朝が八月二十三日、松平大隅守継豊の礼状に返答する。重年の死去に際して上使により香奠を賜り、大納言からも御意を受けたことへの謝意を承知する。御礼のために差し越された使者の趣旨を受け、書面の内容を言上したと通知する。
追録5-No.1701 瀬山外四名連署消息
松しま・岩はし・うら尾・小枝・瀬山が、松平大隅守継豊の七月十八日付の書状へ返答する。重年の死去に際し、公方・大納言の上使岩はしが竹姫へ悔みを伝えたことを継豊が承知し、ありがたく思っているとの謝意を受け取ったと述べる。継豊が御礼を申し上げた旨を、よいように取り次ぐと伝える。
追録5-No.1702 島津忠洪明細書
忠洪の明細書は、薩摩国一円・大隅国一円・日向国内の高六十万五十石余と、その外の琉球国十二万三千七百石を記す。本国・生国は薩摩、身分は薩摩守嫡子松平又三郎、年齢は十一歳、居城は薩州鹿児島とする。料紙は縦九寸五分・横二寸八分の中奉書、上包は小奉書で、包上に明細書二枚と記すよう指定する。八月二十三日の岩下…
追録5-No.1703 島津久郷・伊集院久東家老連署書状
伊集院十蔵久東・島津主鈴久郷が八月二十一日、島津主殿・義岡相馬へ白熊の御鎧について問い合わせる。圓徳院の道中用二対を所持品とした際、江戸には御鎧がなく、兵具所に三対あるので差し越すよう伝えたが、慈徳院・圓徳院の家督時に鎧などを進めた先例の書留が見当たらないという。今回、隅州継豊が進める品として扱うか…
追録5-No.1704 島津久馬・義岡久仲家老連署返書
島津主殿久馬・義岡相馬久仲の九月十六日付朱書き返答。今回の家督相続に伴い、白熊の御鎧を当主の持物とするのがよいと考える旨を、八月二十一日付の照会へ答える。本文とは別紙の付箋に記した意向を、ここへ合わせて書き入れたことも注記する。
追録5-No.1705 近衛内前、重年ヘ贈銀ヲオクル(記事)
近衛左大臣内前が重年の死去を悼んで白銀三十両を贈ったと、重年公御譜が記す。八月二十六日、その白銀を福昌寺の重年の牌前へ供えたという。
追録5-No.1706 島津久馬外二名家老連署書状
島津主殿・義岡相馬・鎌田典膳が九月六日、島津主鈴・伊集院十蔵へ、忠洪と刑部卿の姫保姫との縁組について相談する。菊姫と御守殿の意向を萩原から承知し、相馬の出立時に菊姫からも聞いているため、到着後に同席して相談し、その経過を継豊へ伝えるよう求める。近年の物入りで所帯が続き難く婚礼の手配も幼少の忠洪にはす…
追録5-No.1707 島津久郷・伊集院久東家老連署返書
島津主鈴・伊集院十蔵が十月十三日、島津主殿・義岡相馬・鎌田典膳の縁組相談に朱書で返答する。忠洪へ継豊の意向を萩原から伝え、姫君も同意したと記し、松嶋から届いた内々の伝言を取り次いだ一方、当面の通用は控え、御守殿は若年寄以上にのみ知らせ、そのほかへは漏らさないよう手配したと答える。菊姫への伝達後、刑部…
追録5-No.1708 松しま消息
松しまが萩原らへ、挨拶と取次への謝意を述べ、長寿を祝って今後もよく世話をするよう伝える。上様方と竹姫の機嫌がよいことを喜び、一ツ橋の姫との縁談がいよいよ進み、刑部卿が一ツ橋へ申し上げて喜ばれたと知らせる。内々の用件として、自分へ返答をもらい、御礼や次の指示を早く申し上げるよう頼む。昨日も折よく会った…
追録5-No.1709 徳川宗勝書状
尾張中納言宗勝が九月七日、松平大隅守継豊の礼状に返答する。重年の死去に際して奉書を受け、大納言からも奉書が届いたことへの謝意を承知する。継豊がたいへん念を入れて礼を伝えたことを受け止めたと述べる。
追録5-No.1710 徳川家重御内書
家重が九月七日、松平大隅守継豊へ重陽の祝儀の御内書を送る。継豊から小袖一重が届いたことを喜び、詳しくは西尾隠岐守が述べると伝える。家重の黒印を据える。
追録5-No.1711 秋元凉朝書状
秋元但馬守凉朝が九月七日、松平大隅守継豊へ返答する。重陽の祝儀に使者を通じて献じた小袖一重を披露し、たいへんよい献上であったことを通知する。
追録5-No.1712 秋元凉朝書状
秋元但馬守凉朝が九月七日、松平又三郎忠洪へ返答する。重陽の祝儀に使者を通じて進上した小袖一重を披露し、たいへんよい献上であったことを通知する。
追録5-No.1713 継豊、忠洪ノ襲封ヲ謝ス(記事)
宝暦五年九月十一日、忠洪が家督相続の幕府の許可を得たことを継豊が聞き、使者四元宇左衛門兼丘を江戸へ遣わして謝意を伝えた記事。兼丘には新番との元注が付く。継豊は家重へ一種一荷、家治へ干鯛一箱を献上した。出典は継豊公御譜。
追録5-No.1714 島津久郷書状
島津主鈴が九月十五日、島津主殿・義岡相馬・鎌田典膳へ、川普請手伝いの完成に伴う褒賞と饗応を報告する。十二日に御座之間で十蔵が召し出され、続いて堀右衛門ら、彦九郎・次郎兵衛以下の役人も順に拝領し、紗綾の内訳を十蔵に十巻、堀右衛門ら五人に各五巻、彦九郎ら七人に各三巻と掲げる。拝領後には十蔵を近習番所、役…
追録5-No.1715 島津久馬外二名家老連署返書
島津久馬・義岡久仲・鎌田政昌が十月十二日、島津主鈴の川普請褒賞・饗応の報告に対し、本文の内容を伝えた旨を朱書で返答する。
追録5-No.1716 島津久郷・伊集院久東家老連署首尾書
島津主鈴・伊集院十蔵が九月十五日、島津主殿・義岡相馬・鎌田典膳へ、川普請手伝いの家来十三人の褒賞と御礼の首尾を報告する。四日に翌五日四時の登城通知を受けて名簿・留守居名を出し、五日五半時に十蔵が小坂長春と登城して、病気の堀右衛門の名代も長春に命じられ、十蔵は時服六つ、堀右衛門は白銀五十枚、諏訪甚兵衛…
追録5-No.1717 島津久馬外二名家老連署返書
島津久馬・義岡久仲・鎌田政昌が十月十二日、島津主鈴・伊集院十蔵の川普請褒賞と御礼の首尾書に対し、本文の内容を伝えた旨を朱書で返答する。
追録5-No.1718 島津久郷書状
島津主鈴久郷が九月十五日、主殿・相馬・典膳へ家督相続に伴う御什物と譲状の送付を相談する。先例どおり、隅州継豊の家老の使者を通じて進めることになるか問い合わせる。本尊については近習役の使者を通じて進めることを述べ、本尊は江戸の手元に安置してあると知らせる。
追録5-No.1719 島津久馬外二名家老連署返書
島津主殿久馬・義岡相馬久仲・鎌田典膳政昌による十月十二日付の返答。九月十五日付の主鈴の書状にある、家督相続に伴う御什物・譲状と本尊の送付について、本文への付箋書を別紙で申し送ったと注記する。
追録5-No.1720 義岡久仲書状
義岡相馬久仲が九月十六日、島津主鈴・伊集院十蔵へ家督御礼の道具について問い合わせる。家督御礼が済んだので白熊の対・御鎧を持たせてよいか尋ね、当主がまだ登城していない間は従来の黒熊の対・御鎧・手道具を用い、登城後は白熊の対を持たせる意向を述べる。白い毛の手道具は隅州の意向次第とし、譲物の使者を送ること…
追録5-No.1721 島津久郷・伊集院久東家老連署返書
島津主鈴久郷・伊集院十蔵久東による宝暦五年十月十三日付の朱書き返答。義岡相馬が九月十六日の書状で申し越した趣旨を承知し、その旨を知らせると答える。主書は、御家督後の登城に携える白熊の対・御鎧と御手道具の取扱い、登城前の黒熊の対・御鎧と白猪の毛の御手道具の使い分けを尋ねたものである。返答本文は、申し越…
追録5-No.1722 本多正珍書状
本多伯耆守正珍が九月十八日、松平大隅守継豊の礼状に返答する。公方・大納言の機嫌を伺ったことを受け、ますます安泰であると知らせ、心安く思うよう伝える。献上された千鯛一箱を申し合わせて披露したところ、たいへんよい献上であったと通知する。
追録5-No.1723 秋元凉朝書状
秋元但馬守凉朝が九月十八日、松平大隅守継豊の礼状に返答する。公方・大納言の機嫌を伺ったことを受け、ますます安泰であると知らせ、心安く思うよう伝える。献上された千鯛一箱を披露したところ、たいへんよい献上であったと通知する。
追録5-No.1724 幕府目付、忠洪ノ幼弱ナルヲ以テ監国ノタメ薩府ニ至ル(記事)
宝暦五年九月二十二日、月直老中本多伯耆守正珍が忠洪の家臣を呼び、江戸留守居岩下佐次右衛門方峯が正珍邸へ出向いた記事。正珍は忠洪の幼少を理由に、使番京極兵部高主と目付青山七右衛門成親を薩府へ遣わして国政を監督させる幕命を伝えた。その日のうちに留守居佐久間源太左衛門盛邦を正珍邸で御請に当たらせ、翌朝は島…
追録5-No.1725 幕府指図書
幕府が松平又三郎忠洪へ、幼少であるため国許へ目付として京極兵部・青山七右衛門を遣わすので、その意を承知するよう伝えた書付。付記は九月二十二日、御用番本多伯耆守に岩下佐次右衛門が召し出され、この書付を渡されたと記す。
追録5-No.1726 島津忠洪伺書
忠洪が、幼少のため京極兵部・青山七右衛門を国許へ目付として派遣される件について、御礼の方法を尋ねる書付。同氏大隅守継豊が国許で承知したうえで、御礼をどのように勤めればよいか指図を求める。九月二十三日に本多伯耆守が留守居を呼び、この付紙を渡したと注記する。
追録5-No.1727 島津久郷・伊集院久東家老連署書状
島津主鈴久郷・伊集院十蔵久東が九月二十三日、国元の三家老へ、幼少の太守のため京極兵部・青山七右衛門を国許へ派遣する命令を報告する。留守居が御請を述べ、留守居使者による御礼、加賀守・勝五郎方との相談、久柄名代の御礼を伝える。御守殿への内証の御礼と、公方・大納言・御簾中へ書状で謝意を伝える手順について指…
追録5-No.1728 島津久馬外二名家老連署返書
国元の島津主殿久馬・義岡相馬久仲・鎌田典膳政昌による十月十八日付の朱書き返答。江戸二家老の九月二十三日付書状にある、京極兵部・青山七右衛門派遣の命令と御礼・連絡の取扱いについて、本文の内容を承知したと答える。隅州へ伝えたことと、御女中へも報告したことを記す。
追録5-No.1729 島津久郷・伊集院久東家老連署首尾書
島津主鈴久郷・伊集院十蔵久東が十月四日、三家老へ重年の病中から家督相続までの御挨拶を報告する。継豊の意向を受け堀田相模守へ礼を伝え、八月十二日付朱書き返答を承知したのち、九月に水野肥前守へ挨拶し、肥前守が島津邸へ来た際の返答を述べる。堀田の来訪と、西尾隠岐守を通じて肥前守へ伝えた経過、御家老使者によ…
追録5-No.1730 松平武元書状
松平右近将監武元が十月七日、松平大隅守継豊の礼状に返答する。公方・大納言の機嫌がよいことを知らせ、重年の願いどおり遺領を又三郎へ与え、幼少の又三郎に代わって領分と琉球国の仕置を継豊が取り計らう命令への謝意を承知する。御礼の使者を受け、書面の趣旨を申し合わせて上聞に達したと伝える。
追録5-No.1731 秋元凉朝書状
秋元但馬守凉朝が十月七日、松平大隅守継豊の礼状に返答する。公方・大納言の機嫌がよいことを知らせ、重年の遺領を又三郎へ相続させ、幼少のため領分と琉球国の仕置を継豊へ命じたことへの謝意を承知する。御礼の使者を受け、書面の内容を言上したと通知する。
追録5-No.1732 義岡久仲書状
義岡相馬が十月十二日、島津主鈴・伊集院十蔵へ、家督相続に伴う御什物と譲状の扱いを照会する。圓徳院の相続時には隠居した継豊から進め置いたが、今回は継豊が領内の万事を支配するため御什物も所持するはずと述べ、再び隠居する際の先例と、譲状を進める必要がないかについて判断を求める。本尊を直接崇敬することも各方…
追録5-No.1733 島津久郷・伊集院久東家老連署返書
島津主鈴・伊集院十蔵が十二月九日、義岡相馬の御什物・譲状についての書状に返答する。書状の趣旨を承知し、主鈴から直接伝えたところ、今後の下国時には譲物をご覧になるとの意向が示されたと知らせる。別紙の記録奉行書付は手元に留め置くと答える。
追録5-No.1734 義岡久仲書状
義岡相馬久仲が十月十二日、島津主鈴・伊集院十蔵へ毎朔の御条書について照会する。慈徳院の家督時に浄國院が二、三か月に一度弘めるよう命じ、圓徳院の相続時も同じ取扱いであったと述べる。今回の家督相続でも先代どおりと相談し、来月朔日に月次の御礼で参上する者へ拝聞させることを伝える。組中の諸士には興頭を通じて…
追録5-No.1735 島津久郷・伊集院久東家老連署返書
江戸の島津主鈴久郷・伊集院十蔵久東による十二月九日付の朱書き返答。義岡相馬の十月十二日付書状にある毎朔の御条書と、先代からの披露・拝聞の取扱いについて、本文の趣旨を承知したと答える。
追録5-No.1736 松平武元書状
松平右近将監武元が十月十九日、松平大隅守継豊の礼状に返答する。公方・大納言の機嫌がよいことを知らせ、又三郎に重年の家督を与えたことへの謝意を承知する。御礼の使者に託された目録どおりの献上品を申し合わせて披露したところ、たいへんよい献上であったと通知する。
追録5-No.1737 秋元凉朝書状
秋元但馬守凉朝が十月二十一日、家督相続への礼状に返答する。公方・大納言の機嫌がよいことを知らせ、又三郎に薩摩守の家督を与えたことへの謝意を承知する。使者に託された目録どおりの献上品を披露し、たいへんよい献上であったと伝える。
追録5-No.1738 島津久亮外二名在国家老連署書状
島津圖書久亮・義岡相馬久仲・鎌田典膳政昌が十月二十二日、江戸二家老へ幕府目付派遣後の仕置を相談する。幼少の当主と病身の継豊に対する領分・琉球国の仕置委任を幕府奉書で示し、役人や領民を安心させる案を述べる。一方、継豊がいるのに監国を派遣することが琉球から見て威光を弱めると心配し、堀田相模守との内談で意…
追録5-No.1739 島津久郷・伊集院久東家老連署返書
島津主鈴久郷・伊集院十蔵久東による十一月十七日付の返答。堀田相模守へ内談を進めることを承知し、前日に主鈴が水野肥前守を訪ねて国元の意向を伝えたと報告する。水野は幼少の当主への目付派遣を幕府の大法とし、継豊が国元にいるから派遣を断る先例はないと答えた。また、継豊が本来参府して御礼を述べるべきところ、領…
追録5-No.1740 島津継豊願書案
継豊名義の老中連名宛申上書案。幼少の又三郎のため京極兵部・青山七右衛門を国許へ目付として派遣する命令を承知し、先の領分・琉球国の仕置委任に従って国中を安心させると述べる。継豊は病身で参府が難しく、江戸に上意の趣旨をまとめて仕置を固める老臣がいないため、目付が来ても遠国の実情に応じた対応が難しいと訴え…
追録5-No.1741 継豊以下忠洪ノ襲封ヲ賀ス(記事)
宝暦五年十月二十二日、継豊が忠洪の襲封を祝い、使者を江戸へ遣わして太刀一腰と馬代黄金一枚を贈った記事。親族の伯父・叔父も贈物を送り、家老以下の諸士もそれぞれ品を進めた。元注では島津周防忠紀・島津備中貴儔がそれぞれ太刀・金馬代・一種一荷、島津出雲久定・島津大学久尚・島津図書久亮・島津筑後久茂がそれぞれ…
追録5-No.1742 島津久郷・伊集院久東家老連署書状
島津主鈴久郷・伊集院十蔵久東が十月二十三日、国元の四家老へ毎朔の御条書について問い合わせる。先代の家督時には留守居中の役人に読み聞かせ、御条書で命じたと聞くが、現時点の取扱いが判然としないと述べる。毎朔の御条書と御誓書について判断を求め、各家老で相談して継豊へ伺い、その意向を知らせるよう依頼する。
追録5-No.1743 島津久亮外三名在国家老連署返書
国元の島津圖書・島津主殿・義岡相馬・鎌田典膳による十一月二十五日付の朱書き返答。江戸二家老の十月二十三日付書状を承知し、毎朔の御条書を弘める取扱いは先月十二日の便で伝えたと答える。先代の命令を当代も同じように守る旨を相馬から知らせたことを述べ、御奥書二通を差し出すと通知する。
追録5-No.1744 幕府指図書(琉球進貢料・接貢料銀の吹直し)
琉球国が毎年清国へ渡す進貢料・接貢料の文銀を、銀座で慶長銀の品位に吹き直して渡せるよう願い出た件についての幕府指図書。寛保年間にその取扱いを命じていたが、慶長銀は来る子年六月から通用を停止して潰銀になるため、今後も銀座で吹き直して渡すよう命じる。朱注は、堀田相模守の御用人から切紙が届き、十月二十三日…
追録5-No.1745 松平武元書状
松平右近将監武元が十月二十五日、松平大隅守継豊の礼状に返答する。公方・大納言の機嫌がよいことを知らせ、八月十五日に又三郎の家督御礼として名代島津淡路守を差し出し、御目見えを許されたことへの謝意を承知する。御礼使者が伝えた書状の趣旨を申し合わせて上聞したと報告する。
追録5-No.1746 秋元凉朝書状
秋元但馬守凉朝が十月二十五日、松平大隅守継豊の礼状に返答する。公方・大納言の機嫌がよいことを知らせ、八月十五日に又三郎の家督御礼として名代島津淡路守を差し出し、御目見えを許されたことへの謝意を承知する。御礼使者が伝えた書状の趣旨を言上したと通知する。
追録5-No.1747 せやま外四名連署消息
松しま・岩はし・うら尾・さえた・せやまが、継豊の九月十三日付書状に返答する。公方・大納言・御簾中の機嫌がよいことを知らせ、先月十五日に又三郎の家督御礼を名代島津淡路守が申し上げ、御目見えを許されたことを継豊が喜んでいる旨を承知する。これに対する継豊の謝意を、書状どおり大納言・御簾中へ取り次いだと伝え…
追録5-No.1748 義岡久仲書状
義岡相馬が十月二十八日、島津主鈴・伊集院十蔵へ、継豊から忠洪への家督祝いの料理と饗応の経過を報告し、内容を伝えるよう求める。近習役の使者で祝いを伝え、十五日に下屋敷の御奥新御書院で継豊・忠洪が同座して二汁五菜の料理を用意し、備中が相伴したが周防は差支えのため断ったと記す。玄蕃・圖書・主殿・石見や女中…
追録5-No.1749 島津久郷・伊集院久東家老連署返書
島津主鈴・伊集院十蔵が十一月十四日、義岡相馬の十月二十八日付書状に返答する。家督祝いの料理・饗応と御樽肴・御籠飯の贈物について報告の内容を承知し、その旨を伝えると答える。
追録5-No.1750 忠洪、初メテ毎朔条書ヲ下ス(記事)
忠洪が十一月朔日、先代から伝わる旧章に従い、数条の法令を家老・大臣・諸有司へ下したと重豪公御譜が記す。襲封後の取扱いとして、先代が整えた毎朔条書の形式に従って条書を授け、各役人にその条目を聞かせた。小字は毎朔条書の形式が宝永三年四月朔日に始まったことを説明する。
追録5-No.1751 毎朔条書(掟)
忠洪が十一月朔日に示した掟で、公儀の政務・領内禁制・切支丹宗門改めを守り、参勤と国の仕置に励むよう命じる。親子兄弟・友人の礼、若者の学問武芸、武具馬具の備えを求め、衣服・酒宴・私欲のため奉公を怠ること、派閥・贈賄・口論を禁じる。頭人は下役に無礼を働かず、訴訟は理に基づいて裁き、喧嘩は理非を問わず双方…
追録5-No.1752 琉球封王使渡来届書
琉球中山王の代替わりにより、来る丑年に清国の封王使が渡来するとの中山王の通知を届ける、十一月朔日付の届書。末尾は「御名」と記す。添記は、この届書を御用番本多伯耆守へ差し出し、御留守居山澤小左衛門から当日、趣旨を承知されたとの書付が届き、御用人小川忠太夫が聞いた経過を記す。
追録5-No.1753 酒井忠寄書状
酒井左衛門尉忠寄が十一月十二日、重陽の祝儀に時服と御肴を拝領したことへの礼状に返答する。公方・大納言の機嫌がよいことを知らせ、拝領への謝意を承知したと述べる。書状の趣旨を申し合わせて上聞したと通知する。
追録5-No.1754 秋元凉朝書状
秋元但馬守凉朝が十一月十二日、松平大隅守継豊の礼状に返答する。公方・大納言の機嫌がよいことを知らせ、公方から重陽の祝儀として時服と御肴を拝領したことへの謝意を承知する。書状の趣旨を言上したと通知する。
追録5-No.1755 島津忠洪伺書
松平又三郎が十一月二十一日、来る丑年の琉球への封王使渡来に伴う武具の贈物について幕府へ伺う。前代の封王使の際、中山王の進物にある刀・鎗・長刀・具足は、用途が整わず見分計道具の形であったとして、中山王一代につき一度の旧式の進物を別紙先例どおり認めるよう求める。添記は御用番本多伯耆守が書付と例書を受け取…
追録5-No.1756 琉王、封王使ヘノ贈物例書
琉球王が清国の封王使に贈る品の先例を掲げ、刀四十腰・鎗十本・長刀十振と、謝恩使が清帝へ献じる刀二十四腰・鎗十本・長刀十振・具足一領を記す。武具は実用できない形に調えたとし、清国への武具差渡し禁制を守りながら、天和三年の封王使以来の許可と先例によって贈ってきた経過を説明する。封王使は翰林学士に武官を添…
追録5-No.1757 酒井忠寄書状
酒井左衛門尉忠寄が十一月二十五日、松平大隅守継豊の礼状に返答する。公方・大納言の機嫌がよいことを知らせ、又三郎が若年のため国目付として京極兵部・青山七右衛門を派遣するとの命令について、継豊の謝意を承知する。書状の趣旨をすべて見たと答える。
追録5-No.1758 秋元凉朝書状
秋元但馬守凉朝が十一月二十五日、松平大隅守継豊の礼状に返答する。公方・大納言の機嫌がよいことを知らせ、若年の又三郎のため国目付として京極兵部・青山七右衛門を派遣するとの命令について、継豊の謝意を承知する。書状の趣旨を承知したと通知する。