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追録5の目録
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追録5-No.2250-1 島津重豪献上目録(御本丸・西丸伺と前晩伺)
松平薩摩守の献上物として、御本丸伺に公方へ二種一荷・大納言へ一種一荷を掲げ、別の西丸伺にも大納言へ一種一荷を記す。御簾中へは一種で、朱注には御本丸への伺い二通・西丸への伺い一通とある。刑部卿の娘との縁組を命じられ、伺いに従って右の品を献上するに際し、前晩に伺ったと記す。各書式の署名は松平薩摩守、日付…
追録5-No.2251 島津重豪伺書(刑部卿家への伺候・進物と田安家先例)
重豪が十一月四日、刑部卿の娘との縁組を命じられた後、刑部卿を訪問し、刑部卿とその息子たちへ進物をしたいと伺う。国許の同氏大隅守継豊からも進物をしたいとして、指図を求める。付紙は刑部卿への伺候と同人・御臺方への進物について、右衛門督の娘が松平陸奥守方へ縁組を命じられた後、陸奥守が田安家へ参上して進物を…
追録5-No.2252 献上物例書(縁組礼と元服時の先例)
寛延二年、前薩摩守宗信と尾張中納言の娘との縁組を命じられた際、使者を通じて献上した品数を列記する。宗信から公方へ二種一荷・大納言へ一種一荷、継豊から公方へ一種一荷・大納言へ一種を献じた先例を掲げる。前年の寅年六月の元服時には、薩摩守から御簾中へ白銀五枚・箱肴一種、大隅守から御簾中へ御肴一種を献上した…
追録5-No.2253 島津重豪伺書(吉貴妹と当隠岐守の大坂対面)
重豪が十一月十一日、亡き高祖父上総入道吉貴の妹は先松平隠岐守定英の妻で、当隠岐守の出生後に離縁して国許にいると説明する。先隠岐守の存命中に文通・対面を許されたが、遠国のため対面は実現していないと述べる。来春の伊勢参宮と当隠岐守の参勤を機に大坂で対面させたいと願い、高齢で今後の対面機会が見通せないこと…
追録5-No.2254 西尾忠尚書状(重陽時服御肴拝領謝礼)
西尾隠岐守忠尚が十一月九日、松平大隅守継豊の書状を拝見し、公方・大納言の健勝を喜ぶのはもっともと答える。重陽の祝儀として時服と御肴を拝領したことへの謝意を承知したと述べる。書面の趣旨を各々と相談して上聞したと伝える。
追録5-No.2255 秋元凉朝書状(重陽時服御肴拝領謝礼)
秋元但馬守凉朝が十一月十八日、松平大隅守継豊の書状を拝見し、公方・大納言の健勝を喜ぶのはもっともと答える。公方から重陽の祝儀として時服と御肴を拝領したことへの謝意を承知したと述べる。書面の趣旨を言上したと伝える。
追録5-No.2256 西尾忠尚書状(宮内卿元服官位祝意)
西尾隠岐守忠尚が十一月二十六日、松平大隅守継豊の書状を拝見し、公方・大納言の健勝を喜ぶのはもっともと答える。徳川宮内卿重好の元服と官位授与を喜ぶ継豊の意向を承知したと述べる。書面の趣旨を各々と相談して上聞したと伝える。
追録5-No.2257 秋元凉朝書状(宮内卿元服官位祝意)
秋元但馬守凉朝が十一月二十七日、松平大隅守継豊の書状を拝見し、公方・大納言の健勝を喜ぶのはもっともと答える。徳川宮内卿の元服と官位授与を喜ぶ継豊の意向を承知したと述べる。書面の趣旨を言上したと伝える。
追録5-No.2258 松平輝高書状(寒中機嫌伺と鯛一箱献上)
松平右京大夫輝高が十二月六日、松平大隅守継豊の寒中の機嫌伺いに、公方・大納言は引き続き健勝なので安心してほしいと答える。鯛一箱の献上について各々と相談して披露したと伝える。その結果は「一段之御仕合」であったと記す。
追録5-No.2259 秋元凉朝書状(寒中機嫌伺と鯛一箱献上)
秋元但馬守凉朝が十二月六日、松平大隅守継豊の寒中の機嫌伺いに、公方・大納言は引き続き健勝なので安心してほしいと答える。鯛一箱の献上について披露したと伝える。その結果は「一段之御仕合」であったと記す。
追録5-No.2260 記事(重豪の御鷹の鶴拝領と老中への謝礼)
十二月五日、家重が番使の谷縫殿助を芝邸へ遣わし、鷹が捕らえた鶴一双を重豪に下賜した。重豪はただちに老中各邸を訪れ、拝領の礼を述べた。
追録5-No.2261 松平輝高書状(蜜柑二箱・炙鮎一箱献上)
松平右京大夫輝高が十二月九日、松平薩摩守重豪へ、今朝の蜜柑二箱・炙鮎一箱の献上を披露したと返答する。その結果は「一段之御仕合」であったと記す。
追録5-No.2262 秋元凉朝書状(蜜柑二箱・炙鮎一箱献上)
秋元但馬守凉朝が十二月九日、松平薩摩守重豪へ、今朝の蜜柑二箱・炙鮎一箱の献上を披露したと返答する。その結果は「一段之御仕合」であったと記す。
追録5-No.2263 記事(貴儔女と久柄の縁組許可・結納)
重豪は、親族の島津備中貴儔の娘を引き受け、後に縁組相手を求めたいと願って許可を得た。さらに願い出て幕府の許可を受けた。十二月二十三日に結納の礼を行い、島津淡路守久柄へ嫁がせた。
追録5-No.2264 徳川家重御内書(歳暮小袖一重到来)
家重が十二月二十七日、松平大隅守継豊へ、歳暮の祝儀として小袖一重が届いたことを喜ぶと伝える。詳細は酒井左衛門尉が述べると記す。
追録5-No.2265 秋元凉朝書状(歳暮使者小袖一重献上)
秋元但馬守凉朝が十二月二十七日、松平大隅守継豊へ、歳暮の祝儀として使者を通じて献じた小袖一重について披露したと返答する。その結果は「一段之御仕合」であったと記す。
追録5-No.2266 瀬やま外四名連署消息(健勝祝意・御鷹の雁贈答への返答)
松嶋・岩橋・浦尾・さえた・瀬やまの五名が、松平大隅守の十二月朔日付書状に返答する。公方・大納言・御簾中の健勝を喜ぶ旨を受け取ったと記す。十月十九日の御鷹の雁が竹姫君へ贈られ、ありがたく思っていると知らせたことに礼を述べる。書状で申し述べたとおり、よろしく申し上げると伝える。
追録5-No.2267 徳川家重御内書(歳暮小袖一重到来)
家重が十二月二十七日、薩摩少将重豪へ、歳暮の祝儀として小袖一重が届いたことを喜ぶと伝える。詳細は酒井左衛門尉が述べると記す。
追録5-No.2268 秋元凉朝書状(歳暮使者小袖一重献上)
秋元但馬守凉朝が十二月二十七日、松平薩摩守重豪へ、歳暮の祝儀として使者を通じて献じた小袖一重について披露したと返答する。その結果は「一段之御仕合」であったと記す。
追録5-No.2269 島津重豪書状(お栄殿対面願許可・礼進物への返答)
重豪が十二月二十九日、松平隠岐守定喬へ、書状を受けて相手の健勝を喜び、自らも無事であると返答する。お栄殿に対面したいという意向を受けて願い出たところ、滞りなく許されたことをともに喜ぶ。その礼として使者が目録どおりの品を届けたことに謝意を述べる。
追録5-No.2270 島津重豪吉書(漢句・和歌)
重豪の宝暦十年正月元日の吉書に「長生殿裏春秋富、不老門前日月遅」と記す。「君か代ハ千世にやちよにさゝれ石の巌となりて苔のむすまで」の歌を添える。「重豪御判」と記される。
追録5-No.2271 近衛内前書状(年始祝意・目録進物)
近衛内前が正月八日、薩摩少将重豪へ、営中で使者に会った折に書状を寄せ、年始の祝意を重ねて述べる。重豪も引き続き平安であろうと述べ、自らは無事であると伝え、目録どおりの品を贈る。
追録5-No.2272 松平武元書状(若菜鯛一折披露)
松平右近将監武元が正月七日、松平薩摩守重豪へ、若菜の祝儀として献じられた鯛一折を披露したと返答する。その結果は「一段之御仕合」であったと記す。
追録5-No.2273 秋元凉朝書状(若菜鯛一折披露)
秋元但馬守凉朝が正月七日、松平薩摩守重豪へ、若菜の祝儀として献じられた鯛一折を披露したと返答する。その結果は「一段之御仕合」であったと記す。
追録5-No.2274 島津久郷書状(刑部卿家見舞い・年頭儀礼報告)
島津主鈴久郷が正月九日、島津圖書・菱刈藤馬・義岡弾正・鎌田典膳へ、重豪の刑部卿家への見舞いを報告する。旧臘十九日の予定を延期し、二十一日に五つ半時に出邸、太刀・金馬代を持参し、能登守の口上・目録披露を経て刑部卿と豊之助に対面したと記す。退出時に刑部卿邸門前で礼を述べ、翌二十二日は能登守を通じて見舞い…
追録5-No.2275 島津久峯返書(目録。見舞報告承知・別紙控置)
二月十四日付の朱返答で、島津主鈴へ、重豪の刑部卿家への見舞いについて書状で伝えられた趣旨を承知したと答える。隅州へ伝え、別紙一通を控え置くと記す。
追録5-No.2276 島津重豪吉書(三箇条沙汰)
重豪が正月十一日の吉書に、神社仏閣の修造・興行、農事の奨励、国々の年貢徴納の三箇条を掲げる。この三箇条の趣旨に従って沙汰するよう命じる。「重豪御判」と記される。
追録5-No.2277 松平武元書状(若菜鯛一折披露)
松平右近将監武元が正月十三日、松平大隅守継豊へ、若菜の祝儀として献じられた鯛一折を披露したと返答する。その結果は「一段之御仕合」であったと記す。
追録5-No.2278 秋元凉朝書状(若菜鯛一折披露)
秋元但馬守凉朝が正月十三日、松平大隅守継豊へ、若菜の祝儀として献じられた鯛一折を披露したと返答する。その結果は「一段之御仕合」であったと記す。
追録5-No.2279 記事(前年の重豪縁組裁可・継豊使者謝礼)
前年の宝暦九年十一月四日、老中が奉書で重豪を召した。重豪は病気だったため、島津淡路守久柄が名代として登城し、白書院で西尾隠岐守忠尚から、刑部卿宗尹の娘保姫を重豪の配偶者とする旨の台命を受けた。国許の継豊は知らせを聞いて使者を送り謝意を伝え、老中は奉書でこれに答えた。
追録5-No.2280 松平武元書状(縁組謝意・使者樽肴披露)
松平右近将監武元が正月十三日、松平大隅守継豊へ、書状を受け取り、公方・大納言の健勝を喜ぶのはもっともだと答える。刑部卿の娘を薩摩守重豪へ縁組する命令への謝意を承知したと述べる。その礼として使者を通じて献じられた樽肴を、各々に相談して披露したと返答する。その結果は「一段之御仕合」であったと記す。
追録5-No.2281 秋元凉朝書状(縁組謝意・使者目録進物披露)
秋元但馬守凉朝が正月十五日、松平大隅守継豊へ、書状を受け取り、公方・大納言の健勝を喜ぶのはもっともだと答える。刑部卿の娘を薩摩守重豪へ縁組する命令への謝意を承知したと述べる。その礼として使者を通じて献じられた目録どおりの品を披露したと返答する。その結果は「一段之御仕合」であったと記す。
追録5-No.2282 堀田正亮外四名連署状(年頭太刀一腰・馬代黄金十両披露)
松平右京大夫輝高・西尾隠岐守忠尚・松平右近将監武元・酒井左衛門尉忠寄・堀田相摸守正亮が正月十八日、松平大隅守継豊へ、年頭の祝儀に使者を通じて献じられた太刀一腰・馬代黄金十両を披露したと連署で返答する。その結果は「一段之御仕合」であったと記す。
追録5-No.2283 秋元凉朝書状(年頭太刀一腰・馬代黄金十両披露)
秋元但馬守凉朝が正月十八日、松平大隅守継豊へ、年頭の祝儀として使者を通じて献じられた太刀一腰・馬代黄金十両を披露したと返答する。その結果は「一段之御仕合」であったと記す。
追録5-No.2284 記事(貫明公義久百五十年忌・使者香奠)
正月二十一日、重豪が妙谷寺で貫明公島津義久の百五十年忌法事を営む。番頭北郷民部久傳を遣わし、香奠銀五枚を献じた。継豊も側用人山田元右衛門有隆を遣わし、香奠銀一枚を献じた。
追録5-No.2285 島津重豪加冠仮名書出(内蔵)
重豪の正月二十五日付の加冠仮名書出で、仮名を「内蔵」とする。「宜為内蔵」と記され、受給者名は明記されていない。
追録5-No.2286 記事(重豪、家重・家治の昇進を賀す)
勅使柳原光綱・広橋兼胤の江府下向を受け、二月四日に家重が右大臣、家治が右近衛大将兼右馬寮御監に任じられ、重豪は束帯で登城し祝賀する。十五日には裃・長袴で大広間に出て両公に目見えし、太刀各一腰・馬代金各一枚、御簾中へ二種一荷を献じ、西城・桜田邸・老中各邸へ祝意を伝えた。十六日は任官祝賀の猿楽・饗宴があ…
追録5-No.2287 酒井忠寄書状(改年慶賀・年始規式祝意・樽肴披露)
酒井左衛門尉忠寄が二月六日、松平大隅守継豊へ、改年の慶賀の書状を受け取ったと答える。公方・右大将が健勝で、年始の規式が済むことをめでたく思う旨を承知したと述べる。あわせて献じられた樽肴を、各々に相談して披露したと返答する。その結果は「一段之御仕合」であったと記す。
追録5-No.2288 秋元凉朝書状(改年慶賀・年始規式祝意・樽肴披露)
秋元但馬守凉朝が二月六日、松平大隅守継豊へ、改年の慶賀の書状を受け取ったと答える。公方・右大将が健勝で、年始の規式が済むことをめでたく思う旨を承知したと述べる。あわせて献じられた樽肴を披露したと返答する。その結果は「一段之御仕合」であったと記す。
追録5-No.2289 松平輝高書状(歳暮時服・肴拝領謝意・上聞)
松平右京大夫輝高が二月十二日、松平大隅守継豊へ、書状を受け取り、公方・右大将の健勝を喜ぶのはもっともだと答える。歳暮の祝儀として時服と肴を拝領したことへの謝意を承知したと述べる。書面の趣旨を各々に相談して上聞に達したと返答する。
追録5-No.2290 秋元凉朝書状(公方からの歳暮時服・肴拝領謝意・言上)
秋元但馬守凉朝が二月十二日、松平大隅守継豊へ、書状を受け取り、公方・右大将の健勝を喜ぶのはもっともだと答える。公方から歳暮の祝儀として時服と肴を拝領したことへの謝意を承知したと述べる。書面の趣旨を言上したと返答する。
追録5-No.2291 せやま外四名連署消息(宮内卿疱瘡軽症への返書)
松しま・岩はし・うらを・さえた・せやまが、松平大隅守継豊への返書で、二月三日付の書状を受け取ったと述べる。宮内卿の疱瘡が軽いことを喜ぶ。書状の趣旨をよろしく申し上げると伝える。
追録5-No.2292 せやま外四名連署消息(宮内卿疱瘡・大納言御簾中への取次)
松しま・岩はし・うらを・さえた・せやまが、松平大隅守継豊への返書で、二月三日付の書状を受け取ったと述べる。宮内卿の疱瘡が軽いことを喜ぶ。この件の書状の趣旨を大納言と御簾中へよろしく申し上げると伝える。
追録5-No.2293 堀田正亮書状(東叡山御霊前参詣祝意・上聞)
堀田相摸守正亮が三月十一日、松平大隅守継豊へ、公方の健勝と正月十日の東叡山御霊前参詣を聞いて喜ぶのはもっともだと答える。書面の趣旨を各々に相談して上聞に達したと返答する。
追録5-No.2294 酒井忠寄書状(今朝折一合披露)
酒井左衛門尉忠寄が二月十三日、松平薩摩守重豪へ、今朝献じられた折一合を披露したと返答する。その結果は「一段之御仕合」であったと記す。
追録5-No.2295 記事(吉貴の令妹於榮、伊勢神宮に詣す)
吉貴の妹お栄が伊勢神宮参詣のため二月二十八日に鹿児島を発ち、家老義岡弾正久中・側用人福山平太夫安都らが供奉する。西海・山陽の駅路を経て大坂に到着し、滞在する旅舎へ伊予松山城主松平隠岐守定喬が訪れた。長く対面していなかった定喬がお栄に謁見したことを記す。その後、伊勢の両宮を参拝し、同年九月六日に鹿児島…
追録5-No.2296 島津重豪書状(上総入道妹の大坂対面・出立予定)
重豪が三月七日、「亡高祖父同氏上総入道」の妹について、今春大坂で松平隠岐守と対面することは前年に許可されたと届ける。高齢で余寒もあるため出立を見合わせていたが、二月末に薩州を出る予定という知らせが来たと記す。大坂到着は四月頃になろうかと見込み、あらかじめ承知しておくよう伝える。
追録5-No.2297 酒井忠寄書状(歳暮内書交付・翌日五半時家来登城)
酒井左衛門尉忠寄が三月二十一日、松平薩摩守重豪へ、歳暮の御内書を渡すので、翌日五つ半時に家来を城へ差し出すよう通知する。
追録5-No.2298 堀田正亮書状(増上寺御霊屋参詣祝意・上聞)
堀田相摸守正亮が三月二十五日、松平大隅守継豊へ、公方の健勝と正月二十四日の増上寺御霊屋参詣を聞いて喜ぶのはもっともだと答える。書面の趣旨を各々に相談して上聞に達したと返答する。
追録5-No.2299 秋元凉朝書状(至心院御霊前参詣祝意・言上)
秋元但馬守凉朝が三月二十五日、松平大隅守継豊へ、右大将の健勝と正月二十六日の東叡山至心院御霊前参詣を聞いて喜ぶのはもっともだと答える。書面の趣旨を言上したと返答する。
追録5-No.2300 島津重豪加冠仮名書出(嶋津熊太郎・太郎次郎)
重豪の三月二十五日付の加冠仮名書出で、嶋津熊太郎の仮名を「太郎次郎」とする。本文には「御判」と記される。
追録5-No.2301 秋元凉朝書状(至心院十三回忌香奠奉納・言上)
秋元但馬守凉朝が三月二十六日、松平大隅守継豊へ、至心院(原注では家重の妾・梅溪氏)の十三回忌法事にあたり、使者を通じて献じられた香奠が東叡山へ奉納されたと返答する。この件を言上したと伝える。
追録5-No.2302 継豊、将軍の本丸移徙を賀す(政務移譲台命・使者献上品)
四月一日、召された侯伯が登城し、井伊直幸ら七名が大廊下に朝列する。堀田正亮が、家重は老年には至らないが病気のため政務を家治へ譲り西城へ退くので、各人は家治に仕えるようにとの台命を伝える。五月十三日に両公が移徙すると、継豊は祝意を表し、家治には御用人役で仮に番頭を務める本田久米右衛門親房を使者として上…
追録5-No.2303 重豪、将軍譲職を賀す(定多名代・復命・書状提出・留守居派遣)
四月一日、病気で登城できない重豪は、松平河内守定多を名代に立てる。大廊下の重豪の席に列した定多は、堀田正亮ら老中から、家重は近年の病気のため家治へ政務を譲り西城へ退くこと、将軍職の宣下はすでに京師へ請うており、諸侯は家治へ従来どおり仕えるようにとの台命を伝えられる。定多は退城して重豪に復命し、さらに…
追録5-No.2304 継豊、恩賜を謝す(縮緬二十巻・十巻と使者接待)
二月四日に家重が右大臣、家治が右大将となったことを受け、十六日、家重は松平周防守康福を使者として縮緬二十巻を、家治は土屋能登守篤直を使者として縮緬十巻を継豊に贈る。重豪は芝邸で使者を接待し、継豊に代わって拝受の礼を述べ、継豊も後に使者を江戸へ遣わして謝意を伝える。この恩賜は尾張・紀伊・水戸三家、加賀…
追録5-No.2305 菱刈實詮外二名連署知行目録(廣濟寺新田高百斛永代寄附)
高橋縫殿種壽・鎌田典膳政昌・菱刈藤馬實詮が四月四日、伊集院廣濟寺現住玄察東堂へ、新田高百斛を永代寄附する知行目録を連署して出す。対象は伊集院寺脇・郡村、樋脇倉野、栗野稲葉崎、市来湯田の各村内で、名寄帳は別冊と記す。玄察の道儀・修学が法中に抜きん出ていることが重豪の聞くところとなったため、その指示によ…
追録5-No.2306 松平輝高書状(健勝祝意返答・転任兼任儀式祝意取次)
松平右京大夫輝高が四月六日、松平大隅守継豊へ、公方・右大将の健勝を聞いた祝意にもっともと答える。公方の転任と右大将の兼任の儀式が滞りなく済んだと聞いて喜ぶ旨を承知し、書面の趣旨を各々と申し談じて上聞に達したと返答する。
追録5-No.2307 秋元凉朝書状(健勝祝意返答・転任兼任儀式祝意言上)
秋元但馬守凉朝が四月六日、松平大隅守継豊へ、公方・右大将の健勝を聞いた祝意にもっともと答える。公方の転任と右大将の兼任の儀式が滞りなく済んだと聞いて喜ぶ旨を承知し、書面の趣旨を言上したと返答する。
追録5-No.2308 松平輝高書状(健勝祝意返答・御能初見物料理謝意・各一覧)
松平右京大夫輝高が四月十六日、松平大隅守継豊へ、公方・右大将の健勝を聞いた祝意にもっともと答える。転任・兼任を祝う御能の際、薩摩守重豪に初めての見物が許され、料理を頂戴したことへの継豊の謝意を承知する。書面の趣旨を各々が一覧したと返答する。
追録5-No.2309 秋元凉朝書状(健勝祝意返答・御能初見物料理謝意承知)
秋元但馬守凉朝が四月十八日、松平大隅守継豊へ、公方・右大将の健勝を聞いた祝意にもっともと答える。転任・兼任を祝う御能の際、薩摩守重豪に初めての見物が許され、料理を頂戴したことへの継豊の謝意を承知し、書面の趣旨も承知したと返答する。
追録5-No.2310 せやま外四名連署消息(御能初見物目見料理謝意・取次)
松しま・岩はし・うら尾・さえた・せやまが松平大隅守継豊への返書で、三月十五日付の書状を受け取ったと述べる。公方・右大将・御簾中の健勝と転任・兼任を聞いて喜ぶ旨を承る。本文で「先月十六日」とする御能では、薩摩守重豪に初めての見物と目見えが許され、上意により料理を頂戴したことへの継豊の謝意を受ける。御表…
追録5-No.2311 松平輝高書状(香具丸熨斗各一箱披露・御仕合)
松平右京大夫輝高が四月十九日、松平薩摩守重豪へ、今朝献じられた香具一箱・丸熨斗一箱を披露したと返答する。その結果を「一段之御仕合」と記す。
追録5-No.2312 秋元凉朝書状(香具丸熨斗各一箱披露・御仕合)
秋元但馬守凉朝が四月十九日、松平薩摩守重豪へ、今朝献じられた香具一箱・丸熨斗一箱を披露したと返答する。その結果を「一段之御仕合」と記す。
追録5-No.2313 松平輝高書状(健勝祝意返答・祝儀品拝領謝意・礼使者取次)
松平右京大夫輝高が四月二十五日、松平大隅守継豊へ、公方・右大将の健勝を聞いた祝意にもっともと答える。転任・兼任の祝儀として二月十六日に両公から上使を通じて品物を拝領したことへの謝意と、礼の使者を遣わしたことを承知する。書面の趣旨を各々と申し談じて上聞に達したと返答する。
追録5-No.2314 秋元凉朝書状(健勝祝意返答・祝儀品拝領謝意・礼使者言上)
秋元但馬守凉朝が四月二十五日、松平大隅守継豊へ、公方・右大将の健勝を聞いた祝意にもっともと答える。転任・兼任の祝儀として二月十六日に両公から上使を通じて品物を拝領したことへの謝意と、礼の使者を遣わしたことを承知し、書面の趣旨を言上したと返答する。
追録5-No.2315 せやま外四名連署消息(御能初見物料理謝意・右大将御簾中へ礼取次)
松しま・岩はし・うら尾・さえた・せやまが松平大隅守継豊への返書で、三月十五日付の書状を受け取ったと述べる。公方・右大将・御簾中の健勝と転任・兼任を聞いて喜ぶ旨を承る。本文で「先月十六日」とする御能では、薩摩守重豪に初めての見物と目見えが許され、上意により料理を頂戴したことへの継豊の謝意を受ける。御表…
追録5-No.2316 せやま外四名連署消息(祝儀品拝領謝意・礼取次先不記)
松しま・岩はし・うら尾・さえた・せやまが松平大隅守継豊への返書で、三月十五日付の書状を受け取ったと述べる。公方・右大将・御簾中の健勝を聞いて喜ぶ旨を承る。本文で「先月十六日」とする日、公方・右大将から上使を通じて転任・兼任の祝儀品を拝領したことへの継豊の謝意を受ける。御表からの礼に加え、書面の趣旨を…
追録5-No.2317 せやま外四名連署消息(祝儀品拝領謝意・右大将御簾中へ礼取次)
松しま・岩はし・うら尾・さえた・せやまが松平大隅守継豊への返書で、三月十五日付の書状を受け取ったと述べる。公方・右大将・御簾中の健勝を聞いて喜ぶ旨を承る。本文で「先月十六日」とする日、公方・右大将から上使を通じて転任・兼任の祝儀品を拝領したことへの謝意を受ける。御表からの礼に加え、右大将・御簾中へ礼…
追録5-No.2318 せやま外四名連署消息(竹姫への贈物謝意・礼取次先不記)
松しま・岩はし・うら尾・さえた・せやまが松平大隅守継豊への返書で、三月十五日付の書状を受け取り、公方・右大将・御簾中の健勝を聞いた祝意を承る。転任・兼任の祝儀として、三者から上使の伊丹兵庫頭を通じ、竹姫に目録のとおり品物が贈られたことを継豊が承知し、ありがたく思う旨を受ける。その礼と書面の趣旨をよろ…
追録5-No.2319 せやま外四名連署消息(竹姫への贈物謝意・右大将御簾中へ礼取次)
松嶋・岩橋・うら尾・さへた・せやまが松平大隅守継豊への返書で、三月十五日付の書状を受け取り、公方・右大将・御簾中の健勝を聞いた祝意を承る。転任・兼任の祝儀として、三者から上使の伊丹兵庫頭を通じ、竹姫に目録のとおり品物が贈られたことへの継豊の謝意を受ける。右大将・御簾中へ礼を取り次ぎ、書面の趣旨をよろ…
追録5-No.2320 秋元凉朝書状(右大将の健勝参詣祝意返答・言上)
秋元但馬守凉朝が四月二十六日、松平大隅守継豊へ、右大将の健勝と、二月二十七日の東叡山至心院霊前への参詣を聞いた祝意にもっともと答える。書面の趣旨を言上したと返答する。
追録5-No.2321 重豪、将軍任官の慶宴を設く(芝邸饗応・知己諸侯招宴)
家重の右大臣転任と家治の右大将兼任を祝い、重豪は四月二十七日に老中酒井忠寄・松平武元、若年寄水野忠見・鳥居忠孝、御奏者・大目付・普請奉行・甲府城番・日光奉行らを芝邸へ招いて饗応した。観世・金春らが舞曲を奏し、松平定静・定温、鳥居忠高、柳生俊満、島津久柄ら幕府の士や親戚・旧知ももてなした。五月六日と十…
追録5-No.2322 島津重豪書状(大坂のお榮初対面への返書)
重豪が四月二十七日、松平隠岐守定喬への返書で、公方・右大将の健勝をともに喜ぶ。隠岐守も健勝で大坂に滞在していること、お榮殿が長途の旅を滞りなく終えて到着し、初めて対面したことを聞き、大いに喜ぶ。早速知らせてくれた心遣いに礼を述べ、自身も無事であると報告する。
追録5-No.2323 島津重豪書状(お榮初対面への返礼)
重豪が五月一日、松平隠岐守へ、健勝であろうと挨拶する。大坂でお榮殿と初めて対面した件について、先に書状を寄せてくれた心遣いに礼を述べ、その意を伝える。
追録5-No.2324 徳川家重御内書(継豊の端午祝儀)
家重が五月二日、松平大隅守継豊へ、端午の祝儀として贈られた帷子・単物の到来を喜ぶと返答する。委細は堀田相模守から伝えるとしている。
追録5-No.2325 秋元凉朝書状(継豊の端午祝儀)
秋元但馬守凉朝が五月二日、松平大隅守継豊へ、端午の祝儀として使者を通じて献じられた帷子・単物を披露したと返答する。その結果を「一段之御仕合」と記す。
追録5-No.2326 徳川家重御内書(重豪の端午祝儀)
家重が五月二日、薩摩少将重豪へ、端午の祝儀として贈られた帷子・単物の到来を喜ぶと返答する。委細は堀田相模守から伝えるとしている。
追録5-No.2327 秋元凉朝書状(重豪の端午祝儀)
秋元但馬守凉朝が五月二日、松平薩摩守重豪へ、端午の祝儀として使者を通じて献じられた帷子・単物を披露したと返答する。その結果を「一段之御仕合」と記す。
追録5-No.2328 島津重豪書状(上総入道妹の大坂対面済み届)
重豪が五月四日、亡高祖父である同氏上総入道の妹と松平隠岐守との大坂での対面について届け出る。先に伺ったとおり許可されていた対面が、このたび済んだとの知らせを受けたため、その事実を報告する。
追録5-No.2329 島津重豪書状(お榮殿対面と贈物への礼)
重豪が五月五日、松平隠岐守への返書で、公方・右大将の健勝をともに喜び、隠岐守も健勝で大坂のお榮殿とゆっくり対面したことを喜ぶ。使者を通じて目録のとおり品物を贈ってくれた心遣いに礼を述べる。付記には、この返書を送ったまもなく隠岐守が参府したため、改めて使者を遣わして挨拶し、返礼の品を届けたと記す。
追録5-No.2330 継豊、家重・家治の転兼任を賀す(使節献上・奉書・復命)
継豊は家重の転任と家治の兼任を祝い、三月十五日に山岡斎宮久澄を江戸へ遣わした。久澄は四月二十三日に登城し、本城では毛利讃岐守匡平、西城では土屋能登守篤直の執奏で、各々太刀一腰・馬代黄金一枚を献じ、両城の蘇鉄間でもそれぞれ同品を献じた。五月九日の再登城では、松平武元が柳間で継豊宛の奉書を手渡し、久澄に…
追録5-No.2331 松平武元書状(転兼任祝儀の献上披露・御仕合)
松平右近将監武元が五月九日、松平大隅守継豊へ、転任・兼任の祝儀として使者を通じて献じられた太刀・馬代を披露したと返答する。その結果を「一段之御仕合」と記す。
追録5-No.2332 秋元凉朝書状(転兼任祝儀の献上披露・御仕合)
秋元但馬守凉朝が五月九日、松平大隅守継豊へ、転任・兼任の祝儀として使者を通じて献じられた太刀・馬代を披露したと返答する。その結果を「一段之御仕合」と記す。
追録5-No.2333 島津氏役人書(任免と家治将軍就任)
五月九日、島津若狭久暢に「上于政府」を命じ、六月四日には河野八郎左衛門を大目付とした。七月三日に鎌田蔵人政芳を家老とし、六日には義岡弾正久中を職から免じた。九月には家治公が将軍に就いたと記す。
追録5-No.2334 島津重豪願書(上総入道妹の参宮延期・大坂保養)
重豪が五月十一日、亡高祖父である同氏上総入道の妹の伊勢参宮と、大坂での松平隠岐守との対面について届け出る。先に申し上げたとおり許可され、対面も済んだが、高齢で長旅に疲れ、直ちに参宮できないため、大坂にしばらく滞留して養生し、参宮を済ませたいとの知らせを受けたという。この事情を聞き置いてほしいと願う。
追録5-No.2335 継豊、将軍家移徙を賀す(目録表題。正文主体は重豪)
五月十三日、家治と御簾中が西丸から本丸へ、家重が本丸から西丸へ移り、以後家治を上様・公方様、家重を大御所、御簾中を御台所と称した。十五日、重豪は諸侯と登城し、松平和泉守乗佑の執奏で家治へ三種二荷、御台所へ一種一荷、西丸では阿部伊豫守正右の執奏で家重へ二種一荷を献じて移徙を祝った。老中各邸で賀詞を述べ…
追録5-No.2336 堀田正亮外三名連署状(本丸移徙祝儀・御仕合)
秋元但馬守凉朝・松平右近将監武元・酒井左衛門尉忠寄・堀田相模守正亮が五月十六日、松平大隅守継豊へ、本丸への移徙の祝儀として使者を通じて目録のとおり献じられた品物を披露したと返答する。その結果を「一段之御仕合」と記す。
追録5-No.2337 松平輝高書状(大御所移徙祝儀・御仕合)
松平右京大夫輝高が五月十六日、松平大隅守継豊へ、大御所の移徙の祝儀として使者を通じて目録のとおり献じられた品物を披露したと返答する。その結果を「一段之御仕合」と記す。
追録5-No.2338 堀田正亮書状(本丸移徙祝儀・御仕合)
堀田相模守正亮が五月十六日、松平薩摩守重豪へ、本丸への移徙の祝儀として使者を通じて目録のとおり献じられた品物を披露したと返答する。その結果を「一段之御仕合」と記す。
追録5-No.2339 松平輝高書状(大御所移徙祝儀・御仕合)
松平右京大夫輝高が五月十六日、松平薩摩守重豪へ、大御所の移徙の祝儀として使者を通じて目録のとおり献じられた品物を披露したと返答する。その結果を「一段之御仕合」と記す。
追録5-No.2340 重豪、代替ノ賀儀ヲ献ズ
五月二十一日から二十三日まで諸侯が代替祝儀を献じる期間に、重豪は二十二日黎明、芝邸を出て桜田邸を経由し登城した。大広間で太刀・目録を奉じて家治の将軍職承継を祝い、老中松平右近将監武元が賛唱し、西丸では奏者竹木土佐守玄綱を通じて家重の退隠を祝う太刀一腰・馬代黄金一枚を献じた。重豪自身は老中各邸へ赴けな…
追録5-No.2341 継豊、家治ノ将軍職承統ヲ賀ス
継豊は五月二十二日、家治の将軍職承継を祝い、側用人で番頭を仮に務める使者河野八郎左衛門通古を通じ、太刀一腰・馬代黄金一枚を献じた。大広間で酒井飛驒守忠香が取り次ぎ、老中が並ぶ中で堀田相模守正亮が奉書を下した。八月二日、通古が召されたが既に鹿児島へ戻っていたため、側用人北郷七郎左衛門久儔が登城し、柳間…
追録5-No.2342 堀田正亮外三名連署状(代替祝儀・御仕合)
秋元但馬守凉朝・松平右近将監武元・酒井左衛門尉忠寄・堀田相模守正亮が五月二十二日、松平大隅守継豊へ、代替の祝儀として使者を通じて献じられた太刀・馬代を披露したと返答する。その結果を「一段之御仕合」と記す。
追録5-No.2343 継豊、家重ニ賀品ヲ献ズ
継豊は五月二十二日、家治の将軍職承継を祝う品として、家重へ太刀一腰・馬代黄金一枚を献じた。使者山元利兵衛郷命を西城へ登らせ、蘇鉄間で納めさせた。郷命には、目付役から仮に留守居役を務めるとの注記がある。
追録5-No.2344 松平輝高書状(代替祝儀・御仕合)
松平右京大夫輝高が五月二十二日、松平大隅守継豊へ、代替の祝儀として大御所へ使者を通じて献じられた太刀・馬代を披露したと返答する。その結果を「一段之御仕合」と記す。
追録5-No.2345 継豊、家重ノ退隠ヲ賀シ献品ス
継豊は五月二十三日、家重の退隠を祝い、干鯛一箱を家治へ献じ、物頭の大野権太夫久富を使者とした。家重にも同じ品を献じ、使者は愛甲次右衛門廉峯とした。廉峯には、目付役から仮に物頭を務めるとの注記がある。
追録5-No.2346 堀田正亮書状(隠居祝儀・御仕合)
堀田相模守正亮が五月二十二日、松平大隅守継豊へ、隠居の祝儀として上様へ使者を通じて目録のとおり献じられた品物を披露したと返答する。その結果を「一段之御仕合」と記す。
追録5-No.2347 松平輝高書状(隠居祝儀・御仕合)
松平右京大夫輝高が五月二十二日、松平大隅守継豊へ、隠居の祝儀として使者を通じて目録のとおり献じられた品物を披露したと返答する。その結果を「一段之御仕合」と記す。
追録5-No.2348 堀田正亮書状(隠居祝儀・御仕合)
堀田相模守正亮が五月二十二日、松平薩摩守重豪へ、隠居の祝儀として上様へ使者を通じて目録のとおり献じられた品物を披露したと返答する。その結果を「一段之御仕合」と記す。
追録5-No.2349 松平輝高書状(隠居祝儀・御仕合)
松平右京大夫輝高が五月二十二日、松平薩摩守重豪へ、隠居の祝儀として使者を通じて目録のとおり献じられた品物を披露したと返答する。その結果を「一段之御仕合」と記す。