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追録5の目録
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追録5-No.2350 松平輝高書状(御賀祝儀鯛一折・御仕合)
松平右京大夫輝高が五月二十五日、松平大隅守継豊へ、御賀の祝儀として献じられた鯛一折を披露したと返答する。その結果を「一段之御仕合」と記す。
追録5-No.2351 たきかわ外六名連署消息(五十賀贈物返答)
松しま・高をか・うら尾・いはせ・砂野・はつ崎・たきかわが、継豊の四月二十二日付書状を受け、上様・大御所・御台所が健勝であることを喜ぶ。大御所の五十賀の祝儀として竹姫君へ贈物があり、継豊もありがたく思っているとの知らせに触れる。礼と書状の趣旨をよろしく申し上げると返答する。
追録5-No.2352 島津重豪伺書(代替誓詞・当十六歳)
重豪が五月二十五日、代替に際して誓詞を差し出したいと願い出る。当年十六歳になったことを述べ、提出について伺う。
追録5-No.2353 島津重豪願書(淡路守往来・付紙朱注)
島津淡路守が先祖以来の用事で国元へ時々赴くことについて、重豪が五月二十五日、従来は往来の希望を申し上げ、願いどおり許可されていたと述べる。代替を機に、以後は伺いを出さずに往来できるよう願い出る。当日、御用番松平右近将監へ山澤小左衛門盛福を通じて提出し、二十九日に御用人から切紙が届いた。佐久間源太夫盛…
追録5-No.2354 酒井忠寄書状(両御所健勝・政務譲隠居祝意使者返答)
酒井左衛門尉忠寄が六月七日、松平大隅守継豊へ、両御所が健勝であると伝える。上様へ政務を譲り、大御所が隠居するとの知らせを受けた継豊の祝意と使者派遣を承知したと記す。書状の趣旨は各々と相談して上聞に達したと返答する。
追録5-No.2355 松平輝高書状(両御所健勝・政務譲隠居祝意使者返答)
松平右京大夫輝高が六月七日、松平大隅守継豊へ、両御所が健勝であると伝える。上様へ政務を譲り、大御所が隠居するとの知らせを受けた継豊の祝意と使者派遣を承知したと記す。書状の趣旨を言上したと返答する。
追録5-No.2356 酒井忠寄書状(酷暑見舞・鰹節一箱披露)
酒井左衛門尉忠寄が六月十二日、松平大隅守継豊の酷暑の見舞書状に答え、両御所は健勝なので安心するよう伝える。献上された鰹節一箱について、各々と相談して披露したと記す。その結果を「一段之御仕合」と述べる。
追録5-No.2357 松平輝高書状(酷暑見舞・鰹節一箱披露)
松平右京大夫輝高が六月十二日、松平大隅守継豊の酷暑の見舞書状に答え、両御所は健勝なので安心するよう伝える。献上された鰹節一箱を披露したと記す。その結果を「一段之御仕合」と述べる。
追録5-No.2358 酒井忠寄書状(琉球産品四品献上披露)
酒井左衛門尉忠寄が六月十二日、松平薩摩守重豪へ、今朝献上された琉球布一箱・砂糖漬天門冬一器・赤貝塩辛一器・琉球泡盛酒二壺を披露したと返答する。その結果を「一段之御仕合」と記す。
追録5-No.2359 松平輝高書状(琉球産品四品献上披露)
松平右京大夫輝高が六月十二日、松平薩摩守重豪へ、今朝献上された琉球布一箱・砂糖漬天門冬一器・赤貝塩辛一器・琉球泡盛酒二壺を披露したと返答する。その結果を「一段之御仕合」と記す。
追録5-No.2360 松平輝高書状(大御所東叡山参詣返答)
松平右京大夫輝高が六月二十二日、松平大隅守継豊へ、大御所が健勝であると伝える。四月二十日に大御所が東叡山の御霊前へ参詣したことへの継豊の祝意を承知したと記す。書状の趣旨を言上したと返答する。
追録5-No.2361 松平輝高書状(大御所増上寺参詣返答)
松平右京大夫輝高が六月二十五日、松平大隅守継豊へ、大御所が健勝であると伝える。四月二十九日に大御所が増上寺の御霊屋へ参詣したことへの継豊の祝意を承知したと記す。書状の趣旨を言上したと返答する。
追録5-No.2362 堀田正亮書状(端午御内書受渡し通知)
堀田相模守が六月二十四日、松平薩摩守重豪へ、端午の御内書を渡すと知らせる。翌日の五時半に家来を登城させるよう伝える。
追録5-No.2363 島津重豪届書(米良領分百四十人須木越境・帰参)
重豪が六月二十五日、相良民部支配下の米良主膳領分の者百四十人が、四月二十七日夜から五月十五日までに、重豪領の日向国諸県郡須木へ次々と入り、重豪方を頼ったと届け出る。相良方と重豪方の家来が対談して事情を申し述べ、「得心」に至ったと記す。五月二十五日までに全員が帰参したとの家来からの報告を受け、その事情…
追録5-No.2364 堀田正亮外三名連署状(生見玉祝儀黄金十両)
秋元但馬守凉朝・松平右近将監武元・酒井左衛門尉忠寄・堀田相模守正亮が七月六日、松平大隅守継豊へ、生見玉の祝儀として献じられた黄金十両を披露したと返答する。その結果を「一段之御仕合」と記す。
追録5-No.2365 松平輝高書状(生見玉祝儀黄金十両)
松平右京大夫輝高が七月六日、松平大隅守継豊へ、生見玉の祝儀として献じられた黄金十両を披露したと返答する。その結果を「一段之御仕合」と記す。
追録5-No.2366 堀田正亮書状(生見玉祝儀黄金十両)
堀田相模守正亮が七月六日、松平薩摩守重豪へ、生見玉の祝儀として献じられた黄金十両を披露したと返答する。その結果を「一段之御仕合」と記す。
追録5-No.2367 松平輝高書状(生見玉祝儀黄金十両)
松平右京大夫輝高が七月六日、松平薩摩守重豪へ、生見玉の祝儀として献じられた黄金十両を披露したと返答する。その結果を「一段之御仕合」と記す。
追録5-No.2368 堀田正亮書状(端午時服肴拝領返答)
堀田相模守正亮が七月七日、松平大隅守継豊へ、両御所が健勝であると伝える。端午の祝儀として大御所から時服と肴を拝領したことへの継豊の謝意を承知したと記す。書状の趣旨は各々と相談して上聞に達したと返答する。
追録5-No.2369 松平輝高書状(端午時服肴拝領返答)
松平右京大夫輝高が七月七日、松平大隅守継豊へ、両御所が健勝であると伝える。端午の祝儀として時服と肴を拝領したことへの継豊の謝意を承知したと記す。書状の趣旨を言上したと返答する。
追録5-No.2370 堀田正亮書状(五月十三日移徙祝意使者返答)
堀田相模守正亮が七月十二日、松平大隅守継豊へ、両御所が健勝であると伝える。五月十三日に上様・大御所・御台所の移徙が済んだことへの継豊の祝意と使者派遣を承知したと記す。書状の趣旨は各々と相談して上聞に達したと返答する。
追録5-No.2371 松平輝高書状(五月十三日移徙祝意使者返答)
松平右京大夫輝高が七月十二日、松平大隅守継豊へ、両御所が健勝であると伝える。五月十三日に上様・大御所・御台所の移徙が済んだことへの継豊の祝意と使者派遣を承知したと記す。書状の趣旨を言上したと返答する。
追録5-No.2372 滝川外六名連署消息(移徙祝意)
松嶋・高岳・うら尾・岩瀬・砂野・初さき・瀧川が、松平大隅守継豊の六月十一日付書状を受け取ったと返答する。両御所・御台所が健勝であることを喜び、上様・大御所・御台所の移徙が済んだことへの継豊の祝意に触れる。申し述べられた祝儀の趣旨をよろしく申し上げ、御台所へも伝えると記す。
追録5-No.2373 滝川外六名連署消息(移徙祝意)
松嶋・高をか・うら尾・いわ瀬・砂野・初さき・瀧川が、松平大隅守継豊の六月十一日付書状を受け取ったと返答する。両御所・御台所が健勝であることを喜び、上様・大御所・御台所の移徙が済んだことへの継豊の祝意に触れる。その祝儀を大御所へ申し述べられた書状の趣旨を、よろしく申し上げると記す。
追録5-No.2374 滝かわ外六名連署消息(竹姫移徙祝儀進物)
松しま・高をか・うら尾・いはせ・砂野・はつ崎・瀧かわが、松平大隅守継豊の六月十三日付書状を受け取り、両御所・御台所の健勝を喜ぶ。移徙の祝儀として両御所・御台所から上使伊丹兵庫頭直賢を通じて竹姫君へ目録記載の品が贈られ、継豊もありがたく思っているとの知らせに触れる。その礼と書状の趣旨をよろしく申し上げ…
追録5-No.2375 滝川外六名連署消息(竹姫移徙祝儀進物)
松しま・高岳・うら尾・岩瀬・いさ野・初さき・瀧川が、松平大隅守継豊の六月十三日付書状を受け取り、両御所・御台所の健勝を喜ぶ。移徙の祝儀として両御所・御台所から上使伊丹兵庫頭を通じて竹姫君へ目録記載の品が贈られたとの知らせに触れる。その礼を大御所へ申し述べられた書状の趣旨を、よろしく申し上げると記す。
追録5-No.2376 島津重豪伺書(琉球の囲籾調達)
松平薩摩守重豪が七月十三日、秋から知行高一万石につき籾千俵ずつ囲い置くよう命じられた件について伺う。琉球は夏の収納で、この時期は通船できず当年の囲籾を調達できないため、薩摩・大隅・日向の知行高の内から籾を囲い置いてよいか尋ねる。伺いのとおりとし、勘定奉行に相談する旨の付紙を伴う。朱書には、佐久間源太…
追録5-No.2377 重豪 御鷹ノ雲雀拝領ス(御譜記事)
家治が七月二十二日、使番大河内善兵衛政興を重豪の芝邸へ遣わし、御鷹で捕らえた雲雀三十羽を賜ったと御譜に記す。重豪は老中各々の邸へ赴き、礼を述べた。
追録5-No.2378 島津重豪願書(翌年帰国願と取次経過)
重豪が七月十三日、翌年十七歳で御暇の順年に当たるため帰国を願い、国元で家中の政事を申し付けたいと述べる。七月十八日、岩下佐次右衛門が水野壱岐守へ願書を持参し、石塚與左衛門を介して当月中に提出してよい旨の答えを受けた。二十一日には倉橋甚太夫を通じて同案を堀田相摸守へ申し入れ、当月提出を認められたほか、…
追録5-No.2379 堀田正亮書状(御代替礼終了への祝意と使者返答)
堀田相摸守正亮が七月二十三日、松平大隅守継豊へ両御所の健勝を伝える。御代替の礼が済んだことへの継豊の祝意と、使者を遣わしたことを承知したと記す。書面の趣旨を各々と相談し、上聞に達したと返答する。
追録5-No.2380 松平輝高書状(御代替礼終了への祝意と使者返答)
松平右京大夫輝高が七月二十三日、松平大隅守継豊へ両御所の健勝を伝える。御代替の礼が済んだことへの継豊の祝意と、使者を遣わしたことを承知したと記す。書面の趣旨を言上したと返答する。
追録5-No.2381 滝川外六名連署消息(御代替作法と御礼)
まつしま・高をか・うら尾・岩瀬・砂野・初さき・瀧川が、松平大隅守継豊の六月十一日付書状を受け取ったと返答する。両御所・御台所の健勝を喜び、御代替の作法がすべて済んで一門・諸大名・旗本が礼を述べたことをめでたく思う継豊の意向に触れる。書状の趣旨をよろしく申し上げ、御台所へも伝えると記す。
追録5-No.2382 たき川外六名連署消息(御代替作法と御礼)
松しま・高をか・うら尾・岩瀬・砂野・初さき・たき川が、松平大隅守継豊の六月十一日付書状を受け取ったと返答する。両御所・御台所の健勝を喜び、御代替の作法がすべて済んで一門・諸大名・旗本が礼を述べたことをめでたく思う継豊の意向に触れる。その祝儀を大御所へ申し述べられた書状の趣旨を、よろしく申し上げると記…
追録5-No.2383 たき川外六名連署消息(竹姫御代替祝儀進物)
松しま・高をか・うら尾・岩瀬・砂野・初さき・たき川が、松平大隅守継豊の六月十一日付書状を受け取ったと返答する。両御所・御台所の健勝を喜ぶ継豊の意向と、御代替の祝儀として上様・御台所から上使大久保対馬守教明を通じて竹姫君へ目録記載の品が贈られ、その件をありがたく思っているとの知らせに触れる。その礼と書…
追録5-No.2384 たき川外六名連署消息(竹姫御代替隠居祝儀進物)
松しま・高をか・うら尾・岩瀬・砂野・初さき・たき川が、松平大隅守継豊の六月十一日付書状を受け取ったと返答する。両御所・御台所の健勝を喜ぶ継豊の意向と、御代替・隠居の祝儀として大御所から上使大久保対馬守を通じて竹姫君へ目録記載の品が贈られ、その件をありがたく思っているとの知らせに触れる。その礼を大御所…
追録5-No.2385 堀田正亮書状(継豊の病気保養と参府希望への返答)
堀田相摸守正亮が七月二十六日、松平大隅守継豊へ両御所の健勝を伝える。継豊は多年の病気で参府できず、前年に「来巳年迄」国許で保養するよう命じられていたが、御代替に際して参府し御機嫌を伺いたいという希望も、なお病状のためかなわないとの知らせに触れる。同氏薩摩守から事情を聞いて承知していたことへの、継豊の…
追録5-No.2386 松平輝高書状(継豊の病気保養と参府希望への返答)
松平右京大夫輝高が七月二十七日、松平大隅守継豊へ両御所の健勝を伝える。継豊は多年の病気で参府できず、前年に「来巳年迄」国許で保養するよう命じられていたが、御代替に際して参府し御機嫌を伺いたいという希望も、なお病状のためかなわないとの知らせに触れる。同氏薩摩守から事情を聞いて承知していたことへの、継豊…
追録5-No.2387 たき川外六名連署消息(竹姫隠居祝儀進物)
松しま・高をか・うら尾・いはせ・砂野・はつ崎・たき川が、松平大隅守継豊の七月四日付書状を受け取ったと返答する。両御所・御台所の健勝を喜ぶ継豊の意向と、隠居の祝儀として大御所から上使瀬山を通じて竹姫君へ目録記載の品が贈られ、継豊もありがたく思っているとの知らせに触れる。その礼と書状の趣旨をよろしく申し…
追録5-No.2388 たき川外六名連署消息(竹姫隠居祝儀進物)
松しま・高をか・うら尾・いはせ・砂野・は津崎・たき川が、松平大隅守継豊の七月四日付書状を受け取ったと返答する。両御所・御台所の健勝を喜ぶ継豊の意向と、隠居の祝儀として大御所から上使瀬山を通じて竹姫君へ目録記載の品が贈られ、継豊もありがたく思っているとの知らせに触れる。書状の趣旨を大御所へよろしく申し…
追録5-No.2389 たき川外六名連署消息(修理大夫奥方隠居祝儀拝領)
松しま・高をか・うら尾・岩瀬・砂野・初さき・瀧川が、松平大隅守継豊の七月四日付書状を受け取ったと返答する。両御所・御台所の健勝を喜ぶ継豊の意向と、隠居の祝儀として大御所から松平修理大夫の奥方へ目録記載の品が下され、継豊もありがたく思っているとの知らせに触れる。書状の趣旨を大御所へよろしく申し上げると…
追録5-No.2390 たき川外六名連署消息(修理大夫奥方隠居祝儀拝領)
松しま・高をか・うらを・いは瀬・いさの・はつさき・たき川が、松平大隅守継豊の七月四日付書状を受け取ったと返答する。両御所・御台所の健勝を喜ぶ継豊の意向と、隠居の祝儀として大御所から松平修理大夫の奥方へ目録記載の品が下され、継豊もありがたく思っているとの知らせに触れる。その礼と書状の趣旨をよろしく申し…
追録5-No.2391 秋元凉朝書状(目録表題。八朔祝儀の披露、本文署は輝高)
輝高が八月四日、松平薩摩守重豪へ、八朔の祝儀として使者を通じて献上された太刀一腰・馬代黄金十両を披露したと返答する。「一段之御仕合」と記す。
追録5-No.2392 松平輝高書状(目録表題。八朔祝儀の披露、本文署は凉朝)
秋元但馬守凉朝が八月四日、松平薩摩守重豪へ、八朔の祝儀として使者を通じて献上された太刀一腰・馬代黄金十両を披露したと返答する。「一段之御仕合」と記す。
追録5-No.2393 重豪 元久ノ三百五十年忌ヲ修ス(目録記事。福昌寺法会)
八月六日、島津元久の三百五十年忌に当たり、重豪は四日から六日までの三日間、福昌寺で法会を営ませた。番頭の島津内記久澄を遣わし、香奠銀五枚を献じて拝礼させた。継豊も側用人の石黒戸後左衛門茂矩を遣わし、香奠銀一枚を献じた。
追録5-No.2394 島津重豪届書(伊勢参宮の大坂出立届と国元帰着届の相談)
重豪が八月七日、亡高祖父の同氏上総入道の妹が伊勢参宮を終え、先月一日に大坂へ着き、同二十八日に出立したとの報告を受けたと届ける。届書は上覧され、重豪は国元帰着の届も必要かと内々に尋ねた。婦人の旅は大坂到着まで届ければ出立届は不要で、国元帰着時に参宮を終えたことと帰着日を届ければ済むと返答された。甚太…
追録5-No.2395 島津重豪届書(穂北村百姓三百三十九人逃散・高岡留置と飢え回避)
重豪が八月十一日、幕府領の日向国児湯郡穂北村の百姓男女三百三十九人が牛馬を連れて逃散し、六月十九日から順次、島津領を頼って高岡の境へ来たと届ける。領内へ入れぬよう指示し、高岡の役人と城下から遣わした役人が帰村を促したが従わず、野原で長雨に濡れて病人も出た。食料を持たず餓死に至るほかない状況を黙止しが…
追録5-No.2396 幕府老中申渡書(穂北村逃散百姓の受取・引渡しと散乱防止)
幕府が八月、松平薩摩守重豪へ、揖斐十太夫支配の穂北村百姓の処置を申し渡す。前年四月に秋月佐渡守領の椎木村へ逃散した百姓は秋月方に捕らえられ、揖斐・遠藤兵右衛門へ順次引き渡されて吟味を受け、当年六月に高岡陣屋へ引き取られたという。百四十人余りが八代・北俣村の六之原へも逃散し、人数が増えているため、散乱…
追録5-No.2397 継豊 家重ヨリノ嘉賜拝戴ス(目録記事。隠居祝儀の護送と謝礼)
家重が六月二日、継豊の隠居祝いに若年寄酒井石見守忠休を芝邸へ遣わし、宝刀一振と箱肴一種を賜った。重豪が接待し、桂長左衛門勝行と大島孫右衛門有情が、歩士二人・軽卒四人を伴って品物を薩摩へ護送した。一行は六月八日に江戸を発ち、東海道・山陽道・九州を経て七月七日に到着した。継豊は即日、使者の書状で礼を申し…
追録5-No.2398 秋元凉朝書状(隠居祝儀拝領の礼状への返答)
秋元但馬守凉朝が八月十五日、松平大隅守継豊へ、礼状を読んだと返答する。両御所の健勝への継豊の喜悦をもっともと受け止め、先頃、大御所から上使を通じ隠居の祝儀として腰物と肴を拝領したことへの謝意を承知したと述べる。礼の使者が遣わされたことを受け、書面の趣旨を各々に相談して上聞に達したと記す。
追録5-No.2399 松平輝高書状(隠居祝儀拝領の礼状への返答)
松平右京大夫輝高が八月十五日、松平大隅守継豊へ、礼状を読んだと返答する。両御所の健勝への継豊の喜悦をもっともと受け止め、先頃、上使を通じ隠居の祝儀として腰物と肴を拝領したことへの謝意を承知したと述べる。礼の使者が遣わされたことを受け、書面の趣旨を言上したと記す。
追録5-No.2400 たき川外六名連署消息(隠居祝儀拝領の礼、大御所への取次)
松しま・高をか・うら尾・岩瀬・砂野・初さき・たき川が、松平大隅守継豊の七月七日付書状を受け取ったと返答する。両御所・御台所の健勝を喜ぶ継豊の意向と、先月二日に大御所から上使を通じ隠居の祝儀として腰物と肴を拝領し、ありがたく思っているとの知らせに触れる。表方からの申し入れと書状の趣旨を取り次ぎ、拝領の…
追録5-No.2401 たき川外六名連署消息(隠居祝儀拝領の礼、御台所へも取次)
松嶋・高をか・うら尾・岩瀬・砂野・初さき・たき川が、松平大隅守継豊の七月七日付書状を受け取ったと返答する。両御所・御台所の健勝を喜ぶ継豊の意向と、先月二日に大御所から上使を通じ隠居の祝儀として腰物と肴を拝領し、ありがたく思っているとの知らせに触れる。表方からの申し入れと書状の趣旨を取り次ぎ、拝領の礼…
追録5-No.2402 島津久亮外二名家老連署申渡書(備前助守刀保管)
鎌田典膳政昌・鎌田隼人正芳・嶋津圖書久亮が、継豊の拝領した備前助守の刀一腰を御納戸方へ渡し、疎略なく保管するよう命じる。刀は宝暦十年六月二日、大御所から上使酒井石見守を通じて隠居の祝儀として下されたもので、拵えの仕様は別紙に記される。書面は宝暦十一年六月一日付で、朱書は年紀に齟齬があるが前文と事実が…
追録5-No.2403 島津重豪書状(中山王の年頭祝儀への返答)
重豪が八月十八日、中山王へ、年頭の祝儀として使者と書状を遣わし、目録記載の品を贈った丁重な心遣いを喜ぶと返答する。「後喜之時」を期すると記す。
追録5-No.2404 島津重豪書状(刑部卿息女との縁組祝儀への返答)
重豪が八月十八日、中山王へ、刑部卿の息女との縁組を命じられた祝儀として、大城親方を遣わし、太刀一腰・馬代白銀百両と別録記載の品を贈ったことへの返答を記す。書状を読み、丁重な心遣いを喜ぶと述べる。
追録5-No.2405 島津重豪書状(中山王の平安と縮布五端贈答への返答)
薩摩守重豪が八月十八日、中山王へ、書状を読み、ますます平安との報せを喜ぶと返答する。自身も無事なので安心するよう伝え、贈られた縮布五端について厚い心遣いを受けたと述べる。
追録5-No.2406 島津重豪書状(中山王嫡子誕生祝儀の返礼への返答)
重豪が八月十八日、中山王へ、前年の嫡子誕生に際し、祝儀として太刀・馬代と目録記載の品を贈ったことに触れる。その謝礼として津波古親方が遣わされ、太刀一腰・馬代黄金十両と別録記載の品を贈られたと記す。書状を読み、丁重な心遣いを喜ぶと返答する。
追録5-No.2407 島津重豪書状(清国進貢一回の差留願に対する謝礼への返答)
重豪が八月十八日、中山王へ、書状を読んだと返答する。清国への進貢一回を差し留めたいという前年の願いを、その意向に沿って取り扱ったと述べる。その謝礼として安谷屋親方が遣わされたことを受け、丁重な心遣いを喜ぶと記す。
追録5-No.2408 島津重豪書状(日向飫肥漂着船の帰帆取扱に対する謝礼への返答)
重豪が八月十八日、中山王へ、前年に船が逆風で日向国飫肥領へ漂着した際、無事に帰帆させたことについて返答する。その謝礼として安谷屋親方が遣わされ、別録記載の品を贈られたことを受け、過分な心遣いであると述べる。
追録5-No.2409 島津重豪書状(池城親方乗船の天草漂着取扱に対する謝礼への返答)
重豪が八月十八日、中山王へ、前年に遣わされた使者池城親方の乗船が逆風で天草へ漂着した際、取り計らいを命じたことについて返答する。その謝礼として安谷屋親方が遣わされ、別録記載の品を贈られたことを受け、過分な心遣いであると述べる。
追録5-No.2410 島津重豪書状(阿部伊勢守奥方死去の見舞いへの返答)
重豪が八月十八日、中山王へ、阿部伊勢守の奥方の死去に際する見舞いとして、天願親雲上が遣わされ、別録記載の品を贈られたことへの返答を記す。丁重な心遣いを受けたと述べる。
追録5-No.2411 幕府指図書(翌月五日の公家衆饗応の能で折一合献上)
八月、松平薩摩守へ、翌月五日の公家衆饗応の能に際し、折一合を献上するよう指図する。
追録5-No.2412 秋元凉朝書状(健勝・東叡山御霊前参詣への継豊の喜悦と書面取次)
秋元但馬守凉朝が八月二十一日、松平大隅守へ、書状を読み、上様の健勝と六月二十日の東叡山御霊前参詣を承ったことを喜ぶ意向はもっともだと返答する。書面の趣旨を各々に相談して上聞に達したと伝える。
追録5-No.2413 堀田正亮外三名老中連署奉書(鹿児島城下土居二か所修補)
秋元但馬守凉朝・松平右近将監武元・酒井左衛門尉忠寄・堀田相摸守正亮が八月二十七日、松平薩摩守へ、鹿児島城下東口番所通りの外側、東北の間にある土居二か所の崩れを修補する願いに応じる。絵図の朱引の趣旨を了解し、願いのとおり元のように修補を命じるよう伝える。
追録5-No.2414 継豊 家治ノ将軍宣下ヲ賀ス・継豊死ス(御譜記事)
継豊公御譜に、家治の九月二日の将軍宣下を祝い、継豊が十六日に關山新左衛門金郷、十八日に四本井藏堯安を遣わし、家治・大御所へそれぞれ太刀一腰・馬代黄金一枚を献じたと記す。家治から縮緬二十巻、御台所から縮緬五巻を拝領し、重豪が芝邸で使者を接待、継豊は謝恩の書状を送った。継豊は八月中旬からの病が悪化し、九…
追録5-No.2415 重豪 家治ノ将軍宣下ヲ賀ス(御譜記事)
重豪公御譜に、九月二日、家治が将軍宣下を受け、正二位内大臣に任じられ、牛車・兵仗を賜り、淳和・奨学両院別当・氏長者に補されたと記す。重豪は早朝に登城し、大広間で式席を待った。四日は諸侯が西城で大御所家重へ宣下の賀儀を述べたが、重豪は病で登城できず、留守居を松平右京大夫輝高・松平右近将監武元の邸へ遣わ…
追録5-No.2416 松平武元書状(今朝の折一合献上の披露)
武元が九月五日、松平薩摩守へ、今朝献じられた折一合を披露したと返答する。「一段之御仕合」と伝える。
追録5-No.2417 徳川家治御内書(重陽祝儀の小袖一重到来)
家治公が九月七日、薩摩少将へ、重陽の祝儀として小袖一重が届いたことを喜ぶと伝える。詳しくは秋元但馬守が述べると記す。
追録5-No.2418 松平輝高書状(重陽祝儀の小袖一重献上の披露)
松平右京大夫輝高が九月七日、松平薩摩守へ、重陽の祝儀として使者を通じて献じられた小袖一重を披露したと返答する。「一段之御仕合」と伝える。
追録5-No.2419 重豪 登城シ将軍宣下ヲ賀ス(御譜記事)
重豪公御譜に、九月十五日から十八日の将軍宣下の賀儀に、重豪が十六日早朝に登城して家治へ太刀・馬代を献じ、西丸の家重や御台所にも贈物を届けたと記す。病により自ら老中邸へ挨拶できず、家老樺山左京久智を遣わし、側用人・若年寄にも使者を立て、太刀・馬代などを贈った。十八日は家治から縮緬二十巻、御台所から縮緬…
追録5-No.2420 堀田正亮外三名老中連署状(祝儀の能見物・長袴着用六半時登城指図)
秋元但馬守・松平右近将監・酒井左衛門尉・堀田相摸守が九月十九日、松平薩摩守へ、今回の祝儀として翌々日に能が命じられたので見物するよう、上意を伝える。長袴を着用し、六つ半時に登城するよう指図する。
追録5-No.2421 重豪 家治将軍宣下ヲ賀ス・御臺所叙任ヲ賀ス(御譜記事)
重豪公御譜に、九月二十一日、将軍宣下の祝儀の能に重豪が早朝から登城し、大広間で家治に拝謁したと記す。舞曲三番が昼に及び、帝鑑の間で食事を受けた後、さらに能を見て再び拝謁し、退出した。翌二十二日は御台所の従三位叙任を祝う登城の日だったが、重豪は病欠し、留守居を老中武元・輝高、側用人板倉土佐守勝清の邸へ…
追録5-No.2422 松平武元書状(御台様叙位祝儀の樽肴献上披露)
武元が九月二十三日、松平薩摩守へ、御台様の叙位の祝儀として、使者を通じて献じられた樽肴を披露したと返答する。「一段之御仕合」と伝える。
追録5-No.2423 松平輝高書状(御台様叙位祝儀の樽肴献上披露)
輝高が九月二十三日、松平薩摩守へ、御台様の叙位の祝儀として、使者を通じて献じられた樽肴を披露したと返答する。「一段之御仕合」と伝える。
追録5-No.2424 松平武元書状(両御所機嫌伺い・干鯛一箱献上への返書)
松平右近将監武元が九月二十二日、松平大隅守へ、両御所の機嫌を尋ねられたことに答え、ますます健勝なので安心するよう伝える。干鯛一箱の献上について、各々に相談して披露し、「一段之御仕合」と返答する。
追録5-No.2425 松平輝高書状(両御所機嫌伺い・干鯛一箱献上への返書)
松平右京大夫輝高が九月二十二日、松平大隅守へ、両御所の機嫌を尋ねられたことに答え、ますます健勝なので安心するよう伝える。干鯛一箱の献上を披露し、「一段之御仕合」と返答する。
追録5-No.2426 鎌田政芳外二名家老連署書状(有邦院遺髪高野奉納の相談)
高橋縫殿・鎌田典膳・鎌田隼人が九月二十五日、樺山左京・嶋津主鈴へ、有邦院の遺髪を高野山へ送る件について、国元で相談して返答するよう求める。妙心院は遺髪を分けて準備しているが、圓徳院の遺髪を送らなかった先例があり、義岡弾正の認識と家老側で承知する内容が異なると述べる。尾張・水戸・加賀などの先例を調べ、…
追録5-No.2427 菱刈實詮返書(有邦院遺髪高野奉納への返答)
菱刈藤馬が十一月六日、家老三名へ、有邦院の遺髪を高野山へ送る件は、浄岸院の意向を太守に伝え、既に同意を得ていると返答する。圓徳院の時は送らなかったが、妙心院が準備した有邦院の遺髪については扱いが異なり、国元もその意向を承知しているので、今から変更し難いと述べる。太守は孝心から菩提供養のため石塔などの…
追録5-No.2428 松平武元書状(両御所への恐悦・御鷹之雲雀拝領への謝意に返答)
松平右近将監武元が九月二十五日、松平大隅守へ、両御所の機嫌がよいことを喜ぶ旨をもっともと受け止める。松平薩摩守が上使を通じて「御鷹之雲雀」を拝領したことへの謝意も承知し、書状の趣旨を各々が一覧したと知らせる。
追録5-No.2429 松平輝高書状(両御所への恐悦・御鷹之雲雀拝領への謝意に返答)
松平右京大夫輝高が九月二十九日、松平大隅守へ、両御所の機嫌がよいことを喜ぶ旨をもっともと受け止める。松平薩摩守が上使を通じて「御鷹之雲雀」を拝領したことへの謝意も承知し、書状の趣旨を承知したと知らせる。
追録5-No.2430 島津重豪届書(上総入道妹の参宮終了・国元帰着)
松平薩摩守が十月四日、亡高祖父である同氏上総入道の妹について、参宮を済ませ、先月六日に国元へ着いたとの知らせを受けたと届け出る。妹には「於榮」と人物注が付されている。
追録5-No.2431 島津重豪申渡書(隅州卒去後の領国仕置・家老中から諸役人への指示)
重豪が十月、家老中へ、家督相続時は幼少だったため領国と琉球の仕置を隅州に委ねるよう上意があり、長く在国する隅州を頼もしく思っていたが、思いがけず死去したと伝える。来年の暇を願い出ているので、領内の静謐を保ち、万事に心を配って正道に勤め、先代からの指示を守り、諸人の心服を得るよう命じる。万事は従来の指…
追録5-No.2432 重豪 継豊ノ病ニヨリ官醫ヲ乞フ・家治 継豊ノ病ヲ問ハム(御譜記事)
十月七日、継豊の病気急変を知らせる飛脚が江戸へ続いて到着し、驚いた重豪は幕府の許可を得て官医村田寿菴を薩摩へ派遣した。八日に家臣税所小右衛門篤見、道役の歩行士十一人、軽卒十三人と出発したが、十二日に継豊の訃報が江戸へ届いたため、浜松宿へ早使を出して呼び戻し、寿菴は二十一日に江戸へ帰った。十月七日には…
追録5-No.2433 堀田正亮外三名老中連署奉書(病気上聞・養生の上意)
秋元但馬守凉朝・松平右近将監武元・酒井左衛門尉忠寄・堀田相摸守正亮が十月七日、松平大隅守へ、病気のことが上聞に達したと伝える。油断せず養生するよう上意があったと知らせる。
追録5-No.2434 松平輝高奉書(病気言上・養生の御諚)
松平右京大夫輝高が十月七日、松平大隅守へ、病気のことを言上したと伝える。油断せず養生するよう御諚があったと知らせる。
追録5-No.2435 幕府申渡書(大隅守病気による医師村田寿庵派遣通知)
十月七日の幕府申渡書で、同氏大隅守が国元で病気のため、願いのとおり医師村田寿庵を派遣するので、その旨を承知するよう伝える。朱書に「松平薩摩守に」と宛先が記されている。
追録5-No.2436 將軍再ヒ継豊ノ病ヲ問フモ既ニ逝去ス(御譜記事)
十月九日、家治と家重は再び継豊の病気を尋ねる奉書を下し、家治は粕漬鯛も贈った。酒井忠寄に託し、岩切六右衛門・平城休左衛門、歩士二人・軽卒六人が江戸を発って昼夜兼行で十一月四日に鹿児島へ着いたが、継豊は既に死去していた。両御所から二度にわたり贈られた奉書と鯛、駅路証印を新納藤右衛門・伊勢権九郎に持たせ…
追録5-No.2437 継豊ノ二十七日ノ梵儀ヲ修シカリモガリス(御譜偈頌記事)
継豊を弔う僧侶の偈頌を、起龕・鎖龕・点茶・点湯・奠湯・下炬の葬儀儀礼に沿って収める。南林寺疎山・興国寺大龍・恵燈院州屋・降盛院穆峰・常珠寺献山・永興寺徹獅・福昌寺教州が、それぞれの儀礼の句を述べる。薩摩・大隅・日向と琉球を治めた仁政と武威、君臣の義、孔子・孟子の政道に沿う徳行をたたえ、隠居後の病と六…
追録5-No.2438 堀田正亮外三名老中連署奉書(療養の上意・粕漬鯛下賜)
秋元但馬守凉朝・松平右近将監武元・酒井左衛門尉忠寄・堀田相摸守正亮が十月九日、松平大隅守へ、病気がすぐれないと聞いたので油断せず療養するよう上意を伝える。あわせて粕漬鯛が下されたと知らせる。
追録5-No.2439 松平輝高書状(療養の御諚)
松平右京大夫輝高が十月九日、松平大隅守へ、病気がすぐれないと聞いたので油断せず療養するよう御諚を伝える。
追録5-No.2440 重豪、代継祭ヲ献ス(御譜記事)
十月十二日、継豊の訃報が江戸へ届くと、竹姫は髪を切って浄岸院と号し、関山新左衛門に託して薩摩へ送り、継豊の棺に納めたいとしたが葬儀に間に合わなかった。十一月二十六日に継豊の石塔が完成し、遺髪を安置して浄岸院の遺髪も同じ場所へ納めた。十月十四日、家治は戸田采女正氏英を芝邸へ遣わして弔問し、重豪へ香奠銀…
追録5-No.2441 島津重豪代継祭文(大練忌)
重豪が曽祖父継豊の大練忌に献じた祭文で、九月二十日の病没と十月四日の玉龍精舎での火葬・埋葬を述べる。江戸で公務に当たるため棺に付き添えず、葬儀を執り行えなかった悔いと、孝行が及ばなかった悲しみを記す。大練忌には族臣貴儔を代理にして供物を備え、霊前で祭を行わせる。韻文では累代の三州統治と継豊の仁徳・武…
追録5-No.2442 島津貴儔祭文(中陰)
島津備中貴儔が継豊の中陰に献じた祭文で、九月二十日の病没と十月四日の玉龍精舎での火葬を述べる。領地の僧を招き、供物を整えて霊前で祭を行う。韻文では文武の徳、家臣の統率、仁政、忠孝と禅への信仰をたたえ、別れの悲しみと無常を述べる。香と供物を捧げ、諸縁を覚って霊光の境地へ至ることを願う。
追録5-No.2443 島津忠紀祭文
島津周防忠紀が継豊を悼んで献じた祭文で、病が重く医療の効なく九月二十日に亡くなったことと、臣民の深い悲しみを述べる。自身も葬送に従い、生前に受けた恩を忘れられないと記す。領地の紹隆寺の寺主を招き、供物を整えて霊前で祭を行い、継豊の仁政・武徳、子供への慈愛をたたえる。韻文では六十歳での死と別れを嘆き、…
追録5-No.2444 島津忠通祭文
島津因幡忠通が継豊を悼んで献じた祭文で、隠居後の病が治らず九月二十日に亡くなり、月初四日に仏教の葬儀を営んだことを述べる。継豊の魂が苦しみを離れて安らかな境地へ至るよう願い、君臣の礼と同根に生まれた親愛の情を記す。領地の光臺寺の僧を招き、福昌寺で供物と祭文を捧げる。韻文では三州統治や遠方まで及んだ威…
追録5-No.2445 島津久定祭文
島津若狭久定が継豊の中陰に献じた祭文で、病が治らず九月に府城の便殿で亡くなり、十月に火葬されたことを述べる。久定は深く追慕し、領地の頭院の大乗寺の寺主を招いて祭壇を整え、供物を捧げる。韻文では文武の働きと君臣の心の通い、生前に受けた厚い恩を振り返り、主君を失った悲しみを秋の景物に託す。祭の供物は薄く…
追録5-No.2446 島津久尚祭文(中陰)
島津大學久尚が継豊の中陰に献じた祭文で、病が治らず九月に府城の便殿で亡くなり、十月四日に玉龍精舎で火葬されたことを述べる。久尚は領地の僧を集め、供物を供えて霊前に祭文を読み上げる。韻文では三州の統治、琉球の来朝や海外との交わり、礼楽と累代の家業をたたえる。旧居の月や葬送の風景に悲しみを託し、霊が薄い…
追録5-No.2447 島津久亮祭文(中陰)
島津圖書久亮が継豊の中陰に献じた祭文で、病が長引き、神仏への祈りも効なく九月に亡くなったことを述べる。福昌禅寺へ棺を移して仏式の葬儀を終え、中陰には領地の僧を集め、水菜や水草などの供物を整えて霊前で祭を行う。韻文では文徳・武威、民を安んじる仁政、家業を継いだ功をたたえ、死を親の喪失にもたとえて深く悲…
追録5-No.2448 島津久芳祭文(中陰)
島津又七郎久芳が継豊の中陰に献じた祭文で、国務を離れて十余年になる継豊が病を得て九月二十日に府城の便殿で亡くなったことを述べる。福昌禅寺へ霊輿を送り、十月四日の夜に仏式の葬儀を終え、中陰には領地の僧を命じて山菜や野の供物を整え、霊前に祭を行う。韻文では国と民の統治、礼法、政事の公平さ、広く及んだ恩沢…
追録5-No.2449 島津久丘祭文(中陰)
島津内膳久丘が継豊の中陰に献じた祭文で、医薬の効なく九月二十日に府城の便殿で亡くなり、福昌禅寺で仏式の火葬を営んだことを述べる。領地の僧を集め、精進の供物を整えて霊前で祭を行う。韻文では温良・恭倹、日々の内省、仁政と民の安寧をたたえる。主君との別れを深く悲しみ、香と供物を捧げて霊の照覧を願う。