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追録5の目録

暫定版です。原文との照合により、概要や文書の区切り等を修正する場合があります。

全2,955件中 2601~2700件・27 / 30ページ

  1. 追録5-No.2536 重豪、諸所ニ放鷹遊猟ス

    七月二十七日、願いにより樺山久智・鎌田政昌の家老職を免じ、多年の労を嘉して政昌に終身の食として田禄百石を賜る。八月四日、島津久峯の席を久亮の上に進め、久暢・久金を家老に任じて久金を左中と改名させ、五日に四本庄蔵を近習役、高橋七郎右衛門を物頭に任じる。二十一日、国頭按司ら五十人を招いて前栽と琉球踊を観…

  2. 追録5-No.2537 松平武元書状

    松平右近将監武元が七月二十九日、松平薩摩守へ、大御所の病が治らず薨去したと聞き、言葉もないという書状の趣旨を承知したと返答する。そのため使者を遣わして機嫌を伺ったことに対し、変わりはないので安心するよう伝え、書面の趣旨を同僚と相談して言上すると知らせる。武元の判を伴い、松平薩摩守殿に宛てる。

  3. 追録5-No.2538 松平武元書状

    松平右近将監武元が八月朔日、松平薩摩守へ、使者を遣わして公方の機嫌を伺った書状を読み、公方は無事なので安心するよう返答する。書面の趣旨は同僚と相談して言上すると伝え、武元の判を伴って松平薩摩守殿に宛てる。

  4. 追録5-No.2539 井上利容書状

    井上河内守利容が八月三日、松平薩摩守へ、献じられた鯛一折を披露し、一段の御仕合であると返答する。利容の判を伴い、松平薩摩守殿に宛てる。

  5. 追録5-No.2540 酒井忠寄外三名(幕府老中)連署状

    井上利容・秋元凉朝・松平武元・酒井忠寄が八月四日、松平薩摩守へ、生見玉の祝儀として献じられた黄金十両を披露し、一段の御仕合であると返答する。四名それぞれの判を伴って連署し、松平薩摩守殿に宛てる。

  6. 追録5-No.2541 酒井忠寄外三名(幕府老中)連署状

    井上利容・秋元凉朝・松平武元・酒井忠寄が八月六日、松平薩摩守へ、八朔の祝儀として使者を通じて献じられた太刀一腰・馬代黄金十両を披露し、一段の御仕合であると返答する。四名それぞれの判を伴って連署し、松平薩摩守殿に宛てる。

  7. 追録5-No.2542 松平武元書状

    松平右近将監武元が八月十五日、松平薩摩守へ、萬壽姫君の七夜の祝儀として、使者を通じ目録どおりに献じられた品を披露し、一段の御仕合であると返答する。品目・数量は記さず、武元の判を伴って松平薩摩守殿に宛てる。

  8. 追録5-No.2543 酒井忠寄書状

    酒井左衛門尉忠寄が八月二十日、松平薩摩守へ、惇信院家重の法事を営むにあたり、使者を通じて献じられた香奠を増上寺に奉納する旨を言上したと返答する。忠寄の判を伴い、松平薩摩守殿に宛てる。

  9. 追録5-No.2544 井上利容書状

    井上河内守利容が八月二十七日、松平薩摩守へ、尾張中納言宗勝の逝去を聞き、言葉もないという書状の趣旨を承知したと返答する。これに伴う機嫌伺いに対し、無事なので安心するよう伝え、書面の趣旨を同僚と相談して上聞に達したと知らせる。利容の判を伴い、松平薩摩守殿に宛てる。

  10. 追録5-No.2545 島津重豪書状

    重豪が八月二十七日、酒井左衛門尉・松平右近将監らへ、公方の健勝と御台が今月朔日に無事に姫君を出産したことを喜び、祝儀を申し上げる使札を呈し、折を見て御前へ取り次ぐよう求める。秋元但馬守・井上河内守への宛名と、松平右京大夫・側用人板倉佐渡守への別の使札書式を掲げる。付記では、右京大夫を老中連札の末に記…

  11. 追録5-No.2546 井上利容書状

    井河内が八月二十九日、松平薩摩守殿の留守居へ、国許到着の御礼使者である島津又七郎を、翌朝五ツ時に城へ差し出すよう命じる。併せて「自分之御礼」も申し上げるため、その旨を承知するよう伝える。

  12. 追録5-No.2547 幕府指図書

    増上寺の惇信院家重の霊前へ銅燈籠を献じるよう、松平薩摩守に命じる。寸法は有章院家継の仏殿に献じたものと同じとし、来年二月上旬までに完成させるよう定める。宝暦十一年八月の朱書を伴うが、日付と独立した署名は記されていない。

  13. 追録5-No.2548 島津重豪書状

    重豪が松しま・たか岳・うら尾・いは頼・砂野・はつ崎・瀧川へ、公方と御台の健勝を喜ぶ。慈徳院十三回忌に際し、浄岸院へ御尋として御重のうちが贈られたと聞き、自身もひとえにありがたく思うと伝える。その礼を御台へ申し上げ、折を見て御前によく取りなしてほしいと頼む。宝暦十一年の朱書を伴うが、月日と独立した署名…

  14. 追録5-No.2549 島津重豪届書

    重豪が九月三日、巡見上使神保帯刀の病状と死去を届ける。帯刀は病気が少し快方に向かい、八月十日に日向諸県郡の志布志を出立して薩州出水の米ノ津へ移ったが、滞在中の薬用も効かず、二十七日に青山七右衛門・花房兵右衛門が到着して容体を見届け、二十八日から重くなり二十九日に死去したと記す。二使は去る晦日に領内を…

  15. 追録5-No.2550 重豪、伝来ノ系譜重器ヲ観ル

    重豪が江戸で家統を継いだ際、継豊は、旧例では譜系・重器を譲状と目録に付して渡すが、自身の隠居から時がたち、重豪が襲封した今は政教の及ぶ物すべてが重豪の所有であるとして、旧例によらず帰藩時に自ら観覧するよう、人を介して伝えていた。九月四日、府城の対面所に家系文献と代々伝来の重器若干を備えて重豪が観覧す…

  16. 追録5-No.2551 徳川家治御内書

    家治が九月七日、薩摩少将へ、重陽の祝儀として小袖一重が届いたことを喜び、詳しくは酒井左衛門尉が述べると伝える。家治公墨印の表示と、宝暦十一年の朱書を伴う。

  17. 追録5-No.2552 酒井忠寄書状

    酒左衛門が九月十二日、松平薩摩守殿の留守居へ、国許到着の御礼使者である嶋津又七郎を、翌日四ツ時に城へ差し出すよう命じる。署名には酒井左衛門尉の注が付されている。

  18. 追録5-No.2553 島津重豪書状

    重豪が九月十五日、酒井左衛門尉・松平右近将監・秋元但馬守・井上河内守へ、公方と御台の健勝を喜ぶ。先月七日に萬壽姫君の七夜、同十五日にその祝儀が万事首尾よく済んだと聞き、まことにめでたいと祝い、その旨を申し上げる使札を送る。松平右京大夫への使札も同様とし、板倉佐渡守宛には「右同案」とする書式を掲げる。

  19. 追録5-No.2554 家治、重豪ノ初メテ国ニ帰ルヲ問フ

    九月十八日、酒井忠寄が留守居佐久間源大夫盛邦へ、家治が重豪の初帰国を尋ね、宿次奉書・駅路証印で塩鮭十尺を下すと伝え、田中孝右衛門守邦・児玉小六實興らが護送して十月十八日に鹿城へ着いた。重豪は報翰と証印を川上親春・南郷兼品らに持たせ、両人は十一月十七日に江戸で武元へ報告・返納し、謝恩使の島津久般も二十…

  20. 追録5-No.2555 酒井忠寄外三名連署状

    井上河内守利容・秋元但馬守凉朝・松平右近将監武元・酒井左衛門尉忠寄が九月十八日、松平薩摩守へ、公方が健勝なので安心するよう伝え、家督後の帰国後も無事かと尋ねる。御尋として肴一種を下すと知らせ、四名の署名にはそれぞれ判の表示を伴う。

  21. 追録5-No.2556 島津重豪書状

    重豪が松しま・たかをか・岩橋・うら尾・いは瀬・いさ野・はつさき・たき川へ、公方・御台・萬壽姫君の健勝を喜ぶ。家督後初めて帰国したことへの御尋として、宿次奉書で肴一種を拝領し、懇ろな厚遇をありがたく思うと伝える。礼のため表へ使者を出し、内々からも謝意を申し上げたいので、御台・萬壽姫君にも伝え、折を見て…

  22. 追録5-No.2557 酒井忠寄書状

    酒井左衛門尉忠寄が九月二十二日、松平薩摩守へ、公方の機嫌を伺う書状を読み、公方は健勝なので安心するよう伝える。献じられた干鱠残魚一箱を同僚と相談して披露し、「一段之御仕合」と返答し、署名に判の表示を伴う。

  23. 追録5-No.2558 酒井忠寄書状

    酒左衛門が九月二十四日、松平薩摩守殿の留守居へ、国許到着の御礼使者である嶋津又七郎を、翌日四ツ時に城へ差し出すよう命じる。本文には「酒左衛門」の署名が記されている。

  24. 追録5-No.2559 酒井忠寄外三名連署状

    井上河内守利容・秋元但馬守凉朝・松平右近将監武元・酒井左衛門尉忠寄が九月二十五日、国許到着の礼として使者を通じて献じられた芭蕉布二十端と樽肴を披露したと返答する。使者が御前へ召し出され、念を入れたことを喜ばれたと伝え、四名の署名にそれぞれ判の表示を伴う。独立した宛名は記されていない。

  25. 追録5-No.2560 酒井忠寄外三名連署状

    酒井左衛門尉忠寄が九月二十八日、松平薩摩守へ、公方の健勝を伝える。増上寺で惇信院の法事が済み、七月二十八日に御廟所へ参詣したことを聞いて喜ぶ旨と、それに伴って使者を遣わしたことを承知し、書面の趣旨を同僚と相談して上聞に達したと返答する。本文の署名は忠寄一名で判の表示を伴い、目録の「酒井忠寄外三名連署…

  26. 追録5-No.2561 一門宗族家老長臣等重豪ノ入部ヲ賀ス

    この年、重豪の初帰国を祝い、一門・宗族・家老・長臣は先例に従って各自の屋敷へ迎え、膳を供してもてなす。神寺廟院の住持も各々の院室に迎えて饗応し、これを旧来の慣例と記す。割注には、三国の家用を倹約しているため、その儀が少し延引した旨を記す。

  27. 追録5-No.2562 諸士御膳進上之次第

    題に十一月二十五日と記す諸士御膳進上の次第で、門内外の番・床棚の飾りを先例どおりとし、五ツ半時に対面所へ出座して、備中・周防・因幡の相伴役、島津杢・家老・若年寄・大御目付らの着座、礼、役別の服装を定める。茶と熨斗、能三番を経て、孝行の間での菓子・染物・茶、巻物の拝領と中西長兵衛・有川仁平太の楽屋での…

  28. 追録5-No.2563 酒井忠寄書状

    酒井左衛門尉忠寄が十月朔日、松平薩摩守へ、八月朔日に御台が安産して姫君が誕生したことを聞き、喜ぶ旨を承知したと返答する。御台と姫君の機嫌を使者に伺わせた件について、二人とも無事なので安心するよう述べ、書面の趣旨を留守居を通じて申し上げたと伝える。署名には判の表示を伴う。

  29. 追録5-No.2564 秋元凉朝書状

    秋元但馬守凉朝が十月四日、松平薩摩守へ、公方が健勝であると伝え、そのことを喜ぶ旨を承知する。御台の安産と姫君誕生をめでたく思い、使者を差し越したことも承知し、書面の趣旨を同僚と相談して上聞に達したと返答する。署名には判の表示を伴う。

  30. 追録5-No.2565 島津重豪伺書

    惇信院の薨去に際し、中山王から機嫌伺いの使翰を当地へ送り、次使者で江戸へ差し越す先例について、翌申年の御代替祝儀の琉使召連れとの兼ね合いを江戸で相談させた伺書。松平右近将監への内意伺いに対し、不順ながら先例があるため来夏に使翰を出すよう伝えられたと記す。親方使者で当地へ書翰を送る筋を申し渡し、次使者…

  31. 追録5-No.2566 重豪、家宣ノ法事ニ供薦ス

    同年十月十四日、増上寺で文昭廟家宣の五十回忌法事が営まれる。重豪は翌日、三原源五左衛門直郷を遣わして白銀十枚を献じ、参拝させたと記し、直郷には表用人の代わりに番頭が行く旨の注を付す。

  32. 追録5-No.2567 島津重豪書状

    重豪が十月十八日、酒井左衛門尉・松平右近将監・秋元但馬守・井上河内守へ、公方の健勝を喜び、家督後初めての帰国への御尋として宿次奉書で肴一種を拝領した礼を述べる。島津筑後を差し上げて礼を申し上げ、目録のとおり献上するため、しかるべく指図するよう頼む。松平右京大夫宛には献上するのでこの書式になる旨、板倉…

  33. 追録5-No.2568 幕府指図書

    十月二十一日、松平薩摩守の家来へ、用件があるため翌日の五ツ時に名代一人を熨斗目・半袴で登城させるよう命じる。名代の書付も提出するよう指定し、独立した署名はない。

  34. 追録5-No.2569 在国ノ重豪、領知判物ヲ受ク

    十月二十二日、在国の重豪に代わり島津淡路守久柄が登城し、家治の黒書院で酒井忠寄から薩摩・大隅・日向諸県郡・琉球の領知印章を拝受し、老中・側用人・若年寄各邸で礼を述べ、松平乗佑・戸田氏英へも使者を遣わした。二十五日、新納藤右衛門時峯らと軽卒が印章を護送し、十二月二十一日に鶴城へ到着すると、重豪は拝受し…

  35. 追録5-No.2570 徳川家治領知判物

    家治の領知判物は十月二十一日付で、薩摩少将へ、薩摩・大隅両国と日向国諸県郡内の百六十四箇村、高六十万五千石余、さらに琉球国十二万三千七百石を充行し、代々の例に従って領知するよう命じる。目録は別紙にあると記し、家治とする人物注・花押の表示、正文の宛名と包紙の同じ宛名を伴う。

  36. 追録5-No.2571 重豪、領知目録ヲ受ク

    十月二十八日、留守居岩下佐次右衛門方峯が松平乗佑の館へ赴き、乗佑・戸田氏英の列席、表御右筆組頭山中傳五郎廣英の在席のもと、氏英から重豪の領知目録を直接受け取り、留守居使者を通じて酒井忠寄へ報じた。十一月六日、普請奉行伊集院六左衛門兼尚が目録を護送し、岩切源太左衛門ら歩行士三名と軽卒を伴って芝邸を発ち…

  37. 追録5-No.2572 松平乗佑・戸田氏英連署領知目録

    松平和泉守乗佑・戸田采女正氏英が十月二十一日付で出した領知目録で、薩摩・大隅各郡の村数・石高と、日向国諸県郡内百六十四箇村の村名を列挙する。諸県郡分は十二万二十四石五斗八升、三国分の都合は六十万五千八百六十三石六斗三升とし、その外に琉球国諸嶋十五嶋・十二万三千七百石を掲げる。今回提出された郡村の帳面…

  38. 追録5-No.2573 秋元凉朝書状

    秋元但馬守凉朝が十月二十一日、松平薩摩守へ、公方が健勝であることを喜ぶ旨を承知したと返答する。八月七日の萬壽姫君の七夜と同十五日の祝儀が済んだことをめでたく思い、使者を差し越した件について、書面の趣旨を同僚と相談して上聞に達したと伝える。署名には判の表示を伴う。

  39. 追録5-No.2574 島津重豪書状

    少将重豪が十月二十三日、中山王からの書状への返答として、公方の御代替に使者で祝儀を申し上げる件を伺ったところ、先例どおりにするよう仰せ出されたことを記す。中山王がそのことをありがたく思っている旨の書面を江府へ申し上げたと伝え、署名には御判の表示を伴う。

  40. 追録5-No.2575 島津重豪書状

    少将重豪が十月二十三日、中山王へ、家督後初めて帰国の暇を仰せ出された祝儀として、喜屋武按司を遣わし、太刀・馬代白銀百両と目録どおりの品を贈った件に礼を述べる。行き届いた心遣いを喜ぶ旨を伝え、署名には御判の表示を伴う。

  41. 追録5-No.2576 島津重豪書状

    少将重豪が十月二十三日、中山王へ、有邦院殿の卒去に際して国頭按司と圓覺寺を遣わした旨の書面について、行き届いた心遣いへの礼としてこの書状を送ると伝える。署名には御判の表示を伴う。

  42. 追録5-No.2577 島津重豪書状

    少将重豪が十月二十三日、中山王へ、有邦院殿の卒去に際し、国頭按司を通じて別録どおりの品を贈った件について、行き届いた心遣いへの礼としてこの書状を送ると伝える。署名には御判の表示を伴う。

  43. 追録5-No.2578 島津重豪書状

    重豪が十月二十三日、酒井左衛門尉・松平右近将監・秋元但馬守・井上河内守へ、公方の健勝を喜ぶ。帰国の暇を賜った礼に島津又七郎を差し出したところ御前へ召し出され、さらに自分が御暇の礼を申し上げた際には巻物を頂戴したことへの謝意を述べる。松平右京大夫には礼を申し上げるとして文面の結びを替え、板倉佐渡守には…

  44. 追録5-No.2579 島津重豪書状

    重豪が十月二十三日、酒井左衛門尉・秋元但馬守・井上河内守へ、初めて帰国の暇を賜った礼として使者に献上物を持たせたところ、首尾よく披露されたと知らせを受けたことに謝意を述べる。御奉書の趣旨をかしこまって承知し、その礼を申し上げるため飛札を送ると伝える。末尾の朱書は、御着城に伴う書状を大御所の薨去により…

  45. 追録5-No.2580 酒井忠寄外三名連署状

    井上河内守利容・秋元但馬守凉朝・松平右近将監武元・酒井左衛門尉忠寄が九月二十五日、松平薩摩守へ、国許到着の礼として使者に献じさせた芭蕉布二十端と樽肴を披露したと返答する。使者が御前へ召し出され、念を入れたことを喜ばれたと伝え、四名の署名それぞれに判の表示を伴う。No.2579の行間朱書で、校注はNo…

  46. 追録5-No.2581 秋元凉朝書状

    秋元但馬守凉朝が十月二十八日、松平薩摩守へ、公方が健勝であることを喜ぶ旨を承知したと返答する。御台が引き続き無事で、八月二十二日に萬壽姫君の三七夜祝儀が済んだことをめでたく思う旨を承知し、差し越された使者の書面について同僚と相談して上聞に達したと伝える。署名には判の表示を伴う。

  47. 追録5-No.2582 島津重豪加冠仮名書出

    十月二十八日、重豪が嶋津長壽の加冠に際し、仮名を正次郎とするよう書き出す。本文は「加冠」「宜為」と長壽・正次郎の名を掲げ、末尾に御判の表示を伴う。

  48. 追録5-No.2583 島津重豪書状

    重豪が松しま・たか岳・いは橋・うら尾・いは瀬・砂野・はつ崎・瀧川へ、有邦院の一周忌に際し、公方と御台から御尋として淨岸院へ品が贈られたと承知し、自身もありがたく思うと伝える。御台にもその礼を申し上げ、折を見て御前へ謝意を取りなすよう頼む。年月注は宝暦十一年のみで、月日と独立した署名は記されていない。

  49. 追録5-No.2584 重豪、一門諸士山伏等ニ膳食ヲ与フ

    十一月、重豪が先例に従い、一門以下の諸士と寺院・山伏らに膳食を与えたと記すが、諸士については諸郷に及ばないと注記する。その後、諸士が重豪へ盛膳を供したことを記し、続く記録に各儀礼の次第を掲げる。

  50. 追録5-No.2585 島津久亮申渡書

    圖書が十月、家督後初めて帰国した重豪の膳進上と饗応について、翌月四日は一門と納殿役人に一汁三菜、普請奉行以下の諸役人に一汁二菜の料理を与え、能を催すと申し渡す。六日は諸士に一汁二菜、九日は諸士から重豪へ二汁三菜の膳を進上し、能を御覧に入れる。十三日は在国の寺院・山伏らを御目見させ、護摩所で一汁三菜の…

  51. 追録5-No.2586 家臣招宴次第

    十一月四日の一門・一所持・諸役人への饗応について、門内外の番と床・棚の飾りを先例どおりとし、重豪は五ツ半時に対面所へ出座する。備中・周防・因幡・大身分・島津杢、家老・若年寄・大御目付らの出迎えと礼、能三番、茶・菓子・染物の供給を定める。書院などの席と役職・身分に応じ、一汁三菜または一汁二菜、銚子三篇…

  52. 追録5-No.2587 島津久亮申渡書

    圖書が十月、重豪の初帰国に伴う翌月五日の花尾山参詣について、大乗院への前日連絡、川田筋の休所・仮茶屋、六ツ時の出立を定める。四本の道具・馬・駕籠、先供十五人、小姓五人・医師二人などの供揃えを指定し、一之宮で青銅百疋を納め、平等王院を経て花尾山へ向かう。白銀十両の奉納、神前での幣・神酒・土器の授受、梨…

  53. 追録5-No.2588 島津久亮申渡書

    圖書が十一月朔日、重豪の家督後初帰国を祝う四日の料理・能に際し、一所持以下の諸士が折一合・樽一荷を進上するよう申し渡す。盛具は軽く調え、塗檜重一組・手樽を同じ諸士から楽屋へ進め、同じ品一組を能拝見者に下すと定める。進上品と楽屋への品は御物の取替えで調え、返銀も含めて先例どおり扱うよう命じる。

  54. 追録5-No.2589 島津重豪入部稲荷社社参次第

    家督後初めて帰国した重豪が十一月三日に稲荷社へ参詣する次第を定め、初穂として金子二百疋を納める。神前で神楽を奏し、別当寶持院が幣を差し上げ、諏方神主が詰めて祈願するよう指定する。盛塩は御小姓から差し上げると定める。

  55. 追録5-No.2590 島津重豪入部社参日記

    重豪の初帰国に伴う社参次第で、十一月三日の稲荷社では初穂金子二百疋・神楽・幣・盛塩を、五日の一之宮では青銅百疋と本田出羽守による幣を定める。花尾山では白銀十両を納め、大乗院による幣・神酒・土器の授受、梨御廟所・愛染堂参詣、初穂百疋、平等王院での二汁三菜・島津主鈴の相伴、僧侶の御目見と進物を定める。十…

  56. 追録5-No.2591 重豪 諸所ニ出遊ス(記事)

    十一月朔日の萩侯使者来訪、二日の河添・貴儔別荘、三日の稲荷廟・鏑流馬、四日の公族以下への饗応・散楽、五日の花尾廟、六日の荒平狩猟、七日の柁城・長年寺訪問を記す。七日には貴儔の庶子で重豪の母方の叔父である末川七之進將親が死去し十日間服喪し、二十~二十二日の桜島滞在、二十五日の諸士献膳・散楽、二十六日の…

  57. 追録5-No.2592 重豪 花尾権現ニ参詣ス(記事)

    十一月五日、重豪は花尾権現に参詣して白銀十両を納め、拝礼後に神社・寺院の廟堂を巡拝した。平等王院で休息し、兼住する大乗院住持が進めた盛饌・酒・菓子を受けた。同日、東俣村に鎮座する一之宮大明神にも参詣し、膝着として青銅百疋を納めて拝礼した。

  58. 追録5-No.2593 大般若経寄進記

    大乗院三十一代住持堯然が十一月六日、重豪による稲荷大明神への大般若経寄進の由来を記す。城東五社の一つで島津家が代々崇敬する氏神に、初帰国した重豪が先君の政道を継ぎ、民への恩沢と神の加護を願い、有司に経巻・仏像・経函等を調えさせて奉納したと述べる。毎月六日を恒例とし、大乗院壇主が僧十三人を集めて神殿で…

  59. 追録5-No.2594 島津久定申渡書

    若狭が十一月七日、九日に予定していた諸士からの膳進上と能を御覧に入れる儀礼を延期すると申し渡す。新たな日限は追って知らせるので、承知して漏れなく伝達するよう命じ、署名に島津久定の人物注を伴う。

  60. 追録5-No.2595 島津久亮申渡書

    圖書が十一月、二十二日は護摩所で寺院と山伏に料理を下し、二十五日は諸士から膳を進上して能を御覧に入れると申し渡す。先の通達どおり、準備その他の事項を先例に従って整え、関係する役人にも伝達するよう命じる。

  61. 追録5-No.2596 松平輝高書状

    松平右京大夫輝高が十一月十一日、松平薩摩守へ、公方の健勝を喜ぶ趣旨をもっともとする返書を送る。使者を立てて参勤時期を尋ねた件について、書面の趣旨を承知したと知らせる。

  62. 追録5-No.2597 松平武元外二名(幕府老中)連署状

    井上河内守利容・秋元但馬守凉朝・松平右近将監武元が十一月十一日、松平薩摩守へ、公方の健勝を喜ぶ趣旨をもっともとする連署返書を送る。使者を通じて参勤時期を尋ねた件を上聞に達したところ、来年四月中に参府するよう仰せ出されたので、その旨を承知するよう知らせる。

  63. 追録5-No.2598 松平武元書状

    松平右近将監武元が十一月十四日、松平薩摩守へ、文昭院の五十回忌法事に際し、使者を通じて香奠を献じ、増上寺へ奉納した件について返答する。その趣旨を言上したと知らせる。

  64. 追録5-No.2599 松平武元書状

    松平右近将監武元が十一月十八日、松平薩摩守へ、公方の安否を尋ねた書状に返答し、公方はますます健勝なので安心するよう伝える。併せて献じられた小熬海鼠一箱を各人と相談して披露したところ、「一段の御仕合」であったと知らせる。

  65. 追録5-No.2600 松平武元書状

    松平右近将監武元が十一月二十一日、松平薩摩守へ、公方の健勝と九月二十三日の増上寺方丈・惇信院御霊前への参詣を承知して喜ぶ趣旨を、もっともとする返書を送る。書面の趣旨を各人と相談して上聞に達したと知らせ、惇信院には徳川家重の人物注を伴う。

  66. 追録5-No.2601 島津久亮申渡書

    圖書が十一月、二十五日の諸士による膳進上に際し、島津玄蕃は近習番所上の間、大身分と部屋栖は梅の間で膳を受けると定める。大御目付以上・其身独礼・寺社奉行・勘定奉行・与頭・番頭・一所持・寄合は家老座で一汁三菜と香物、側表用人・町奉行・近習役・寄合並・納殿役は御用人座で一汁二菜と香物を受ける。普請奉行・無…

  67. 追録5-No.2602 島津久亮申渡書

    圖書が十一月、二十五日の諸士による膳進上に際し、相中から折一合を進上し、染物重と手樽を楽屋へ届けるよう申し渡す。盛具等は軽く調えるよう指定する。諸士相中の膳進上と能の御覧に伴う進上物や楽屋への品は御取替で調え、返銀その他の扱いを先例どおり伝達するよう命じる。

  68. 追録5-No.2603 島津久亮申渡書

    圖書が十一月、二十五日の諸士相中による膳進上と能の御覧に際し、月次御礼に出る者は熨斗目・半上下を着けて五ツ時に登城し、家督の者には昼一度の賄いを下すと申し渡す。寄合以上の二男・三男と寄合並の嫡子には能見物を許し、半上下で登城させる。城内勤めの筆者と小役人にも見物を許し、半上下を着用させる。表方へ伝達…

  69. 追録5-No.2604 島津重豪加冠仮名書出

    島津重豪が十一月二十八日、喜入虎次郎の加冠に際し、仮名を善之助とするよう書き出す。「加冠」「宜為」の文言と日付・両名を掲げ、島津重豪とする人物注を伴う花押がある。

  70. 追録5-No.2605 島津重豪加冠仮名書出

    島津重豪が十一月二十八日、嶋津萬助の加冠に際し、仮名を與十郎とするよう書き出す。「加冠」「宜為」の文言と日付・両名を掲げ、御判がある。

  71. 追録5-No.2606 島津重豪加冠仮名書出

    島津重豪が十一月二十八日、平田袈裟次郎の加冠に際し、仮名を新左衛門とするよう書き出す。「加冠」「宜為」の文言と日付・両名を掲げ、御墨印がある。

  72. 追録5-No.2607 松平武元書状

    松右近が十一月晦日、松平薩摩守殿の留守居へ、宿次による御尋の御礼使者嶋津筑後を、翌朝五ツ時に御城へ差し出すよう命じる。筑後自身の御礼も申し上げるので、その旨を承知するよう伝える。

  73. 追録5-No.2608 幕府指図書

    松平薩摩守の家来嶋津筑後について、乗物の利用を願いどおり認め、誓詞には及ばないとする。目付へ乗物の断状を差し出すよう命じる。

  74. 追録5-No.2609 松平武元書状

    松平右近将監武元が十二月二日、松平薩摩守へ、萬壽姫君の御色直を祝って使者を通じ目録どおりの品を献じた件に返答する。品を披露したところ「一段の御仕合」であったと知らせ、萬壽姫君には徳川家治の娘とする人物注がある。

  75. 追録5-No.2610 松平武元書状

    松右近が十二月六日、松平薩摩守殿の留守居へ、宿次による御尋の御礼使者嶋津筑後を、翌日四ツ時に御城へ差し出すよう命じる。

  76. 追録5-No.2611 松平武元外三名(幕府老中)連署状

    幕府老中四名が十二月七日、松平薩摩守へ連署で返答し、公方の健勝を喜ぶ趣旨をもっともとする。家督後の帰国の無事を尋ねる趣旨が宿次奉書で伝えられ、肴を拝領したことへの謝意を承知したと述べる。御礼使者嶋津筑後を通じて献じられた樽肴を披露したところ、筑後は御前に召し出され、心遣いを喜ばれたと知らせる。

  77. 追録5-No.2612 松平武元書状

    松平右近将監武元が十二月十一日、松平薩摩守へ、増上寺で文昭院の五十回忌法事が執行され、公方が十月十四日に御霊屋へ参詣したことを承知して喜ぶ趣旨を、もっともとする返書を送る。書面の趣旨を各人と相談し、上聞に達したと知らせる。

  78. 追録5-No.2613 島津重豪寄進状

    少将重豪が十二月十一日、波平安周の刀一腰を寄進する。「右奉寄進者也、仍状如件」の文言と御判を掲げる。

  79. 追録5-No.2614 島津重豪寄進刀拵書

    波平安周の刀一腰について、長さを二尺四寸五分半と記す。「御銅二重金」、白鞘、今織の袋と房付緒を挙げ、刀の拵え・付属品を示す。

  80. 追録5-No.2615 松平武元書状

    松平右近将監武元が十二月十九日、松平薩摩守へ、公方の健勝を喜ぶ趣旨をもっともとする返書を送る。蜜柑二箱と炙鮎一箱の献上を各人と相談して披露したところ、「一段の御仕合」であったと知らせる。

  81. 追録5-No.2616 松平武元書状

    松平右近将監武元が十二月十九日、松平薩摩守へ、使者を通じた寒中の御機嫌伺いに返答し、公方はますます健勝なので安心するよう伝える。併せて献じられた琉球紬十端と鰹節一箱を各人と相談して披露したところ、「一段の御仕合」であったと知らせる。

  82. 追録5-No.2617 島津重豪小城権現社参覚

    家督後初帰国した重豪の、十二月十九日の小城権現参詣の次第を定める。膝着として白銀一枚を進納し、別当善聚院が幣を差し上げて祈願する。盛塩は小姓が差し上げるよう指定する。

  83. 追録5-No.2618 島津重豪福ケ迫諏方社参覚

    家督後初帰国した重豪の十二月十九日の福ヶ迫誠方社参詣では、膝着として金子二百疋を納め、小姓が盛塩、普賢院が幣を差し上げ、本田出羽守の勤めは先例どおりとする。本地堂に参詣して青銅百疋を納め、小姓が盛塩を差し上げ、普賢院書院で菓子・茶・たばこ盆を受ける。普賢院を御目見させ、膳部二汁三菜を進上させて白銀一…

  84. 追録5-No.2619 島津重豪請書

    重豪が十二月二十一日、酒井左衛門尉・松平右近将監・秋元但馬守・井上河内守へ、公方の健勝を喜び、領知判物拝領の礼を述べる。十月二十二日に名代の嶋津淡路守が御前へ召し出され、上意により判物を賜り、早速国許へ届いて頂戴したことをありがたく思うと伝える。礼使として種子嶋蔵人を差し立て、詳しくは口上で申し上げ…

  85. 追録5-No.2620 島津久品申渡書

    主鈴が十二月二十一日、御用達以下の諸役人相中による初帰国の祝儀の進上について、肴代金三百疋を添え、御物を御取替で調えて翌二十二日に進上するよう申し渡す。取仕立・返銀その他の扱いは、使番ほか関係役人へ先例どおり伝達するよう命じる。

  86. 追録5-No.2621 島津重豪書状

    重豪が十二月二十一日、まつ嶋・たか岳・岩橋・うら尾・いはせ・砂野・はつさき・たき川へ、公方と御台の健勝を喜ぶ。十月二十二日に名代の嶋津淡路守が御前へ召し出され領知判物を賜り、早速国元で頂戴した礼として、使者を通じて目録の品を献上したので、折を見て御前へ取りなすよう頼む。なお書きでは表からも申し上げる…

  87. 追録5-No.2622 島津重豪加冠仮名書出

    島津重豪が十二月二十六日、新納金之丞の加冠に際し、仮名を郷太郎とするよう書き出す。「加冠」「宜為」の文言と日付・両名を掲げ、御判がある。

  88. 追録5-No.2623 徳川家治御内書

    徳川家治が十二月二十七日、薩摩少将へ、歳暮の祝儀として贈られた小袖一重の到来を喜ぶと返答する。委細は秋元但馬守が伝えるとし、家治公の墨印がある。

  89. 追録5-No.2624 島津重豪加冠仮名書出

    島津重豪が十二月二十八日、加冠に際し、仮名を彌市郎とするよう書き出す。「加冠」「宜為」の文言と日付・仮名を掲げ、御判があるが、対象者の幼名は記されていない。

  90. 追録5-No.2625 島津重豪加冠仮名書出

    島津重豪が十二月二十八日、仁禮小市の加冠に際し、仮名を小吉とするよう書き出す。「加冠」「宜為」の文言と日付・両名を掲げ、重豪公の墨印がある。

  91. 追録5-No.2626 芝邸火シ重豪参勤ノ途ニテ帰国

    宝暦十二年、重豪は正月元日から三日まで喪中のため賀正を受けず、四日に自ら羽衣を舞い、六日に尾畔の放鷹、九日に荒平、十三日と二十二日に吉野の狩猟へ出た。二十二日は島津久亮ら家老・近習・納戸役らと従者三十人ほどが鎧を着けて従い、十八日の上士踊、二十三日の下士踊、二十五日の上下町踊も見て、二十六日に袖判で…

  92. 追録5-No.2627 島津重豪吉書

    重豪が正月元日の吉書に、長生殿で春秋が留まり、不老門の前で日月が遅く進むという漢句を記す。続けて「君が代は千世にやちよにさざれ石の巌となりて苔のむすまで」の和歌を掲げ、日付と御判を添える。

  93. 追録5-No.2628 松平輝高書状

    松平右京大夫輝高が正月七日、松平薩摩守へ、若菜の祝儀として鯛一折を献上した件に返答する。品を披露したところ「一段之御仕合」となったと知らせる。

  94. 追録5-No.2629 島津重豪吉書

    重豪が正月十一日の吉書で、神社仏閣の修造・興行、勧農への専念、国々の年貢徴納の三箇条を掲げる。この三箇条の趣旨に従って沙汰するよう命じ、御判を添える。

  95. 追録5-No.2630 松平武元外二名連署状

    松平右京大夫輝高・井上河内守利容・秋元但馬守凉朝・松平右近将監武元が正月十一日、松平薩摩守へ連署で返答する。年頭の祝儀として使者を通じて献上された太刀一腰と馬代黄金十両を披露したところ、「一段之御仕合」となったと知らせる。

  96. 追録5-No.2631 島津重豪御判物拝領次第

    正月十五日の御判物頂戴祝いは、書院で月次御礼と御目見を済ませて御座の間へ出座し、備中・隼人を相伴とする。吸物と小謡三番、土器・銚子・盃を進め、備中から肴を御前へ差し上げ、備中・隼人に盃と肴を下して再び御前へ進め、杢・家老・若年寄・大御目付へも盃を流す。流した肴は備中が保持し、土器は末席の大御目付が頂…

  97. 追録5-No.2632 入部中ノ重豪、士踊ヲ見ル

    家督後初めて帰国した重豪を祝い、翌宝暦十二年の春、府下の士が旧例に従って長寿を祝う小踊を献じた。城門前に桟敷を設けて重豪が観覧し、正月十八日は五番・六番の二組、二十三日は一番から四番の四組の士が踊り、当日は諸士へ杯酒を与えた。二十五日には上下町の町家も旧例に従って踊を行った。

  98. 追録5-No.2633 上下士踊之次第

    上下士踊は天候に応じ、四ツ時に上踊を城門橋の辺から厩へ、下踊を加治木家跡屋敷角から島津内膳屋敷の方へ集合させ、首尾と人数を御用人へ届ける。御側廻は桟敷の御座末段に詰め、先供十五人と道具・長刀、家老・若年寄・大御目付・寺社奉行・勘定奉行らの席と見物場所を定める。折一合・三種二荷を進上し、目付が踊場を差…

  99. 追録5-No.2634 上下町踊之次第

    上下町踊は正月二十三~二十五日のうち天候に応じた一日、四ツ時に城下御小屋場外の繋前へ人数を揃え、首尾を町奉行から御用人へ届ける。桟敷入りにたばこ盆・先供十五人・道具・長刀を整え、見物や詰め方は士踊と同じとし、町奉行と目付が踊場を指図し、御意に応じて踊を繰り入れる。出座前に年寄二、三人と町座筆者を召し…

  100. 追録5-No.2635 島津重豪袖判直書

    重豪が正月二十五日、家督を滞りなく継いで初めて帰国したことに伴い、領国の者へ訓戒する。公儀の政道を重んじ、万事を慎み、国の仕置は先代どおりとし、先代が申し付けた条々を忘れず堅く守るよう命じる。花押を掲げる。