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追録5の目録

暫定版です。原文との照合により、概要や文書の区切り等を修正する場合があります。

全2,955件中 1101~1200件・12 / 30ページ

  1. 追録5-No.1083 秋元凉朝書状

    秋元但馬守凉朝が五月十六日、松平薩摩守重年へ返答する。大納言の機嫌がよいことと、三月十四日の東叡山至心院霊前への参詣を重年が喜んだ旨を了解し、紙面の趣は言上したと伝える。重年公御譜中・正文在文庫の注があり、No.1082継豊宛返書とは御譜出典と宛先が異なる。

  2. 追録5-No.1084 島津継豊参府延期許可礼状

    五月廿一日付の継豊の謝状は、公方・大納言の機嫌を喜ぶ挨拶に続き、自分の持病がなおすぐれず、来年夏まで国元で療養してから参府したいとの願いを、同氏薩摩守重年が提出したことを述べる。願いどおり命じられた旨の奉書を受け、ありがたく思うと伝える。宛先は堀田相模守・酒井左衛門尉・本多伯耆守・松平右近将監・西尾…

  3. 追録5-No.1085 島津重年参府延期許可礼状

    五月廿一日付の重年の謝状は、公方・大納言の機嫌を喜ぶ挨拶に続き、同氏大隅守継豊の持病がなおすぐれず、来年夏まで国元に滞在して療養し参府したいと伺った件を述べる。願いどおり命じられた旨の奉書を受け、ありがたく思うと伝える。重年公御譜中・扣正文在家老座の注を持ち、堀田・酒井・本多・松平・西尾・秋元の老中…

  4. 追録5-No.1086 酒井忠寄書状

    酒井左衛門尉忠寄が六月十二日、松平大隅守継豊へ返答する。酷暑に公方・大納言の機嫌を尋ねたことに対し、両者はますます安全なので安心するよう伝える。鰹節一箱の献上は各人で相談して披露し、一段の御仕合であったと通知する。継豊公御譜中・正文在文庫の注を持つ。補記年号は「宝永二年」に「ママ」を添えるが、目録で…

  5. 追録5-No.1087 秋元凉朝書状

    秋元但馬守凉朝が六月十二日、松平大隅守継豊へ返答する。酷暑に公方・大納言の機嫌を尋ねたことに対し、両者はますます安全なので安心するよう伝える。鰹節一箱の献上は披露を遂げ、一段の御仕合であったと通知する。全上としてNo.1086と同件を受けるが、各申談の文言はなく、補記年号は宝暦二年である。

  6. 追録5-No.1088 酒井忠寄書状

    酒井左衛門尉忠寄が六月十二日、松平薩摩守重年へ返答する。酷暑に使者をもって公方・大納言の機嫌を尋ねたことに対し、両者はますます安全なので安心するよう伝える。琉球布一箱、砂糖漬天門冬一器、赤貝塩辛一器、琉球泡盛酒二壺の献上は各人で相談して披露し、一段の御仕合であったと通知する。重年公御譜中・正文在文庫…

  7. 追録5-No.1089 秋元凉朝書状

    秋元但馬守凉朝が六月十二日、松平薩摩守重年へ返答する。酷暑に使者をもって公方・大納言の機嫌を尋ねたことに対し、両者はますます安全なので安心するよう伝える。琉球布一箱、砂糖漬天門冬一器、赤貝塩辛一器、琉球泡盛酒二壺の献上は披露を遂げ、一段の御仕合であったと通知する。全上としてNo.1088と同件を受け…

  8. 追録5-No.1090 有徳院位牌安置と法要記事

    公御譜中の記事は、前年八月廿二日に重年が先例に従って有徳院殿の霊牌を薩府南泉院へ仮安置し、廿三~廿五日に四十九日と百箇日の忌の儀礼を行ったと記す。有徳院は朱記に徳川吉宗、霊牌彫刻には上野住の親章(姓の字形未確定)の注がある。当年六月十四日に改めて南泉院へ奉安、十六日に遷座、十七日に供養し、この日重年…

  9. 追録5-No.1091 有徳院一回忌香奠献上記事

    東叡山で有徳院殿の一回忌法事を営むため、継豊が当年六月二十二日に使者を遣わし、御香奠白銀二枚を献納した記事。使者の固有名は記されない。

  10. 追録5-No.1092 酒井忠寄書状

    酒井左衛門尉忠寄が六月廿五日、松平大隅守継豊へ返答する。公方の機嫌がよいことと、四月廿日に東叡山御霊前へ参詣したことを継豊が喜んだ旨を了解し、紙面の趣は各人で相談して上聞に達したと通知する。全上の出典表示と正文在文庫の注を持つ。使者の用向きは本文に記されない。参詣日は四月廿日、返書日は六月廿五日で、…

  11. 追録5-No.1093 酒井忠寄書状

    酒井左衛門尉忠寄が六月廿五日、継豊側の書状へ返答する。公方・大納言の機嫌がよいことへの喜びを了解し、継豊の持病がなおすぐれないため来年夏まで国元で療養して参府したいと同氏薩摩守重年が願い、願いどおり命じられたことへの謝意を承知する。紙面の趣は各人が一覧したと伝える。「全上」の表示を持ち、本項に宛名は…

  12. 追録5-No.1094 酒井忠寄書状

    酒井左衛門尉忠寄が六月廿五日、松平薩摩守重年へ返答する。公方の機嫌がよいことと、四月廿日に東叡山御霊前へ参詣したことを重年が喜んだ旨を了解し、紙面の趣は各人で相談して上聞に達したと伝える。重年公御譜中・正文在文庫の注を持つ。No.1092継豊宛返書とは御譜出典と宛先が異なる。参詣日は四月廿日、返書日…

  13. 追録5-No.1095 酒井忠寄書状

    酒井左衛門尉忠寄が六月廿八日、松平薩摩守重年へ返答する。公方の機嫌がよいことと、四月廿九日に増上寺御霊屋へ参詣したことを重年が喜んだ旨を了解し、紙面の趣は各人で相談して上聞に達したと伝える。全上として重年公御譜の出典を受ける。

  14. 追録5-No.1096 酒井忠寄書状

    酒井左衛門尉忠寄が六月廿八日、松平大隅守継豊へ返答する。公方の機嫌がよいことと、四月廿九日の増上寺御霊屋参詣を継豊が喜んだ旨を了解し、紙面の趣は各人で相談して上聞に達したと通知する。継豊公御譜中・正文在文庫の注を持ち、No.1095重年宛返書とは御譜出典と宛先が異なる。参詣者は公方で、参詣日は四月廿…

  15. 追録5-No.1097 秋元凉朝書状

    秋元但馬守凉朝が六月廿九日、松平大隅守継豊へ返答する。公方・大納言の機嫌がよいことへの喜びを了解し、継豊の持病がなおすぐれないため来年夏まで滞在して療養・参府したいと同氏薩摩守重年が願い、願いどおり命じられたことへの謝意を承知する。紙面の趣は令承知候と結ぶ。No.1084の継豊謝状に対応する返書とみ…

  16. 追録5-No.1098 西尾忠尚書状

    西尾隠岐守忠尚が七月五日、松平大隅守継豊へ返答する。公方・大納言の機嫌がよいことへの喜びを了解し、端午の祝儀として時服と御肴を拝領したことへの謝意を承知する。紙面の趣は各人で相談して上聞に達したと伝える。継豊公御譜中・正文在文庫の注を持つ。品数は記されない。

  17. 追録5-No.1099 秋元凉朝書状

    秋元但馬守凉朝が七月五日、松平大隅守継豊へ返答する。公方・大納言の機嫌がよいことへの喜びを了解し、公方から端午の祝儀として時服と御肴を拝領したことへの謝意を承知する。紙面の趣は言上したと通知する。全上としてNo.1098と同件を扱うが、贈り手を従公方様、結びを及言上候と明記する。数量は本文にない。

  18. 追録5-No.1100 幕府老中ら連署状

    西尾隠岐守忠尚・松平右近将監武元・本多伯耆守正珍・酒井左衛門尉忠寄・堀田相模守正亮が七月六日、松平大隅守継豊へ連署で返答する。生見玉の祝儀として黄金十両を献上した件は披露を遂げ、一段の御仕合であったと伝える。継豊公御譜中・正文在文庫の注を持つ。黄金の金額は十両と記され、馬代などの用途の記載はない。

  19. 追録5-No.1101 秋元凉朝書状

    秋元但馬守凉朝が七月六日、松平大隅守継豊へ返答する。生見玉の祝儀として黄金十両を献上した件は披露を遂げ、一段の御仕合であったと通知する。全上としてNo.1100と同件を扱うが、差出人は秋元一名である。五名連署のNo.1100とは別の、秋元一名の返書である。

  20. 追録5-No.1102 幕府老中ら連署状

    西尾隠岐守忠尚・松平右近将監武元・本多伯耆守正珍・酒井左衛門尉忠寄・堀田相模守正亮が七月六日、松平薩摩守重年へ連署で返答する。生見玉の祝儀として黄金十両を献上した件は披露を遂げ、一段の御仕合であったと伝える。重年公御譜中・正文在文庫の注を持ち、No.1100の継豊宛書状とは御譜出典と宛先が異なる。末…

  21. 追録5-No.1103 秋元凉朝書状

    秋元但馬守凉朝が七月六日、松平薩摩守重年へ返答する。生見玉の祝儀として黄金十両を献上した件は披露を遂げ、一段の御仕合であったと伝える。全上としてNo.1102と同件を扱うが、差出人は秋元一名である。

  22. 追録5-No.1104 島津重年琉球中山王使者到来届

    七月六日付で、琉球中山王から有徳院への弔意を公方・大納言へ申し上げるため鹿児島に使簡が届けられ、その書簡を使者に持たせて差し上げるので、よいように取り扱ってほしいと願う。宛先は堀田相模守・酒井左衛門尉・本多伯耆守・松平右近将監・西尾隠岐守の五名と、秋元但馬守である。目録は島津重年書状とするが原本に差…

  23. 追録5-No.1105 島津重年琉球中山王使者到来届

    重年公御譜中・正文在右筆所の七月十一日付届書。中山王の継目御礼のため使者を差し上げたいと申し出たところ、先規どおり許されたので、使者が従者を伴って同日鹿児島に到着したと五名の老中へ報告する。例どおり旅支度をさせ、六十日余を費やす間に準備が整い次第、順次出発させる予定を届ける。朱書には届書三通の提出、…

  24. 追録5-No.1106 西尾忠尚書状

    西尾隠岐守忠尚が七月廿日、松平大隅守継豊へ返答する。今回東叡山で有徳院一回忌の法事が執行された際、使者を通じて香奠を献上した件について、その趣を言上したと伝える。継豊公御譜中・正文在文庫の注を持つ。本書に香奠の具体的な品目や金額は記されない。七月廿日は返書日で、法事執行日自体の記載はない。

  25. 追録5-No.1107 西尾忠尚書状

    西尾隠岐守忠尚が七月廿日、松平薩摩守重年へ返答する。東叡山で有徳院一回忌の法事が執行された際、使者を通じて香奠を献上した件について、その趣を言上したと伝える。重年公御譜中・正文在文庫の注を持ち、前No.1106の継豊宛返書と同内容だが、宛先と御譜出典は重年である。本書には品目・金額を明示しない。

  26. 追録5-No.1108 佐土原島津忠雅の継豊見舞記事

    退休後の継豊が病気のため寛延二年以来たびたび幕府へ願い出て、温泉療養のため薩府四配館に留まっているなか、前年、日州佐土原城主島津加賀守忠雅が薩府へ来て継豊の起居を問うことを願い、許された記事。当年七月二十五日に忠雅が居城を発ち、高岡・高城・都之城を経て二十七日に福山、二十八日に船で薩府へ入り客舎に宿…

  27. 追録5-No.1109 幕府老中ら連署状

    西尾隠岐守忠尚・松平右近将監武元・本多伯耆守正珍・酒井左衛門尉忠寄・堀田相模守正亮が八月四日、松平薩摩守重年へ連署で返答する。八朔の祝儀として使者を通じて太刀一腰と馬代黄金十両を献上した件は、披露を遂げ、一段の御仕合であったと通知する。重年公御譜中・正文在文庫の注を持つ。

  28. 追録5-No.1110 秋元凉朝書状

    秋元但馬守凉朝が八月四日、松平薩摩守重年へ返答する。八朔の祝儀として使者を通じて太刀一腰と馬代黄金十両を献上した件は、披露を遂げ、一段の御仕合であったと伝える。全上として前No.1109と同件を扱うが、差出人は秋元一名である。

  29. 追録5-No.1111 松平武元書状

    松平右近将監武元が八月十八日、松平薩摩守重年へ返答する。公方・大納言の機嫌がよいことへの喜びを了解し、中山王継目御礼のため使者を差し上げたいとの申し出が先規どおり許されたことへの謝意を承知する。使者が従者とともに去月十一日、すなわち七月十一日に鹿児島へ着き、例どおり旅支度をして準備が整い次第順次出発…

  30. 追録5-No.1112 秋元凉朝書状

    秋元但馬守凉朝が八月十八日、松平薩摩守重年へ返答する。公方・大納言の機嫌への喜びと、中山王継目御礼使を先規どおり差し上げることが許された謝意を了解する。使者が従者とともに去月十一日鹿児島に到着し、例どおり旅支度をして準備が整い次第順次出発させる旨を承知し、紙面の趣は言上したと通知する。全上としてNo…

  31. 追録5-No.1113 松平武元書状

    松平右近将監武元が八月廿六日、松平大隅守継豊へ返答する。公方の機嫌がよいことと、東叡山で有徳院一回忌の法事が執行され、六月廿日に御霊前へ参詣したとの知らせを継豊が喜んだ旨を了解する。紙面の趣は各人で相談して上聞に達したと伝える。継豊公御譜中・正文在文庫の注を持つ。公方の御霊前参詣日は六月廿日、返書日…

  32. 追録5-No.1114 秋元凉朝書状

    秋元但馬守凉朝が八月廿六日、松平大隅守継豊へ返答する。大納言の機嫌がよいこと、東叡山で有徳院一回忌の法事が執行され、六月廿日に御霊前へ参詣したとの知らせを継豊が喜んだ旨を了解する。使者が差し越されたので、紙面の趣は言上したと伝える。全上として前No.1113を受けるが、本書冒頭の安否対象は大納言であ…

  33. 追録5-No.1115 松平武元書状

    松平右近将監武元が八月廿六日、松平薩摩守へ送った返書。相手の書状を披見し、公方がますます御機嫌よく過ごしていること、有徳院の一回忌法事が東叡山で執行され、六月廿日に御霊前へ参詣したとの知らせを相手が喜んだことを承知する。紙面の趣は各人で相談して上聞に達したと伝える。 冒頭に「重年公御譜中」「正文在文…

  34. 追録5-No.1116 秋元凉朝書状

    秋元但馬守凉朝が八月廿六日、松平薩摩守重年へ返答する。大納言の機嫌がよいこと、東叡山で有徳院一回忌の法事が執行され、六月廿日に御霊前へ参詣したとの知らせを重年が喜んだ旨を了解する。使者が差し越されたので、紙面の趣は言上したと伝える。「全上」としてNo.1115と同件を扱い、本書には薩摩守宛名がある。

  35. 追録5-No.1117 御預犬の取扱い申渡

    宝暦二年申八月の口達之覚。諏訪邦兼、原表記勘解由の申渡で、近頃御預犬を傷つける件が相次いでいると指摘する。病気の犬、またはやむを得ず支障のある場合は状況に応じて取り計らうものの、軽率に傷つけることは許されないので、今後は念を入れるよう通達せよと命じる。日付は年・月のみで日を記さず、特定の預かり人宛名…

  36. 追録5-No.1118 毎朔条書の周知申渡

    宝暦二年九月、鎌田典膳政昌が毎朔御条書の周知について申し渡したもの。御留守中にも二、三度は広めるよう先年すでに命じられていたため、毎月初めに周知するよう改めて指示する。この旨を御右筆に申し渡し、承知すべき人々にも伝えるよう求める。日付は年・月のみを記す。

  37. 追録5-No.1119 堀田正亮書状

    堀田相模守正亮が九月六日、松平大隅守継豊へ返答する。公方・大納言の機嫌は変わりなく、いよいよ安全であるので安心してほしいと伝え、あわせて献上された干鯛一箱について、各人で相談して披露を遂げ、一段の御仕合であったと通知する。継豊公御譜中・正文在文庫の注を持つ。

  38. 追録5-No.1120 秋元凉朝書状

    秋元但馬守凉朝が九月六日、松平大隅守継豊へ返答する。公方・大納言の機嫌は変わりなく、いよいよ安全であるので安心してほしいと伝える。あわせて干鯛一箱を献上した件は披露を遂げ、一段の御仕合であったと通知する。全上としてNo.1119と同件を扱うが、差出人は秋元一名であり、各申談の語はない。

  39. 追録5-No.1121 堀田正亮書状

    堀田相模守正亮が九月六日、松平薩摩守へ送った返書。相手の書状を披見し、公方・大納言の御機嫌を尋ねたことに対し、両者はますます御安全であるので安心するよう伝える。併せて、相手が「干鱠残魚」一箱を献じた件を各人で相談して披露したところ、一段の御仕合であると通知する。 末尾に九月六日、堀田相模守正亮の判、…

  40. 追録5-No.1122 秋元凉朝書状

    秋元但馬守凉朝が九月六日、松平薩摩守へ送った返書。相手の書状を披見し、公方・大納言の御機嫌を尋ねたことに対し、両者はますます御安全であるので安心するよう伝える。併せて、相手が「干鱠残魚」一箱を献じた件を披露したところ、一段の御仕合であると通知する。 末尾に九月六日、秋元但馬守凉朝の判、松平薩摩守殿の…

  41. 追録5-No.1123 徳川家重御内書

    徳川家重の九月七日付御内書。重陽の祝儀として小袖一重が到来したことを喜んで見たと伝える。詳しいことは松平右近将監が述べると記し、文末を「可述之也」とする。 家重公墨印の表示と薩摩少将殿の宛名があり、宝暦二年・九月七日は朱注で示される。出典・保存注は「継豊公御譜中」「正文在文庫」で、本文の宛名は「薩摩…

  42. 追録5-No.1124 秋元凉朝書状

    秋元但馬守凉朝が九月七日、松平大隅守へ送った返書。重陽の祝儀として、相手が使者を通じ小袖一重を献じた件について、披露したところ一段の御仕合であると通知する。文末は「恐々謹言」である。 冒頭に「全上」、末尾に九月七日、秋元但馬守凉朝の判、松平大隅守殿の宛名がある。宝暦二年は朱注による。

  43. 追録5-No.1125 徳川家重御内書

    徳川家重の九月七日付御内書。重陽の祝儀として小袖一重が到来したことを喜んで見たと伝える。詳しいことは松平右近将監が述べると記し、文末を「可述之也」とする。 家重公墨印の表示と松平大隅守殿の宛名があり、宝暦二年・九月七日は朱注で示される。出典・保存注は「重年公御譜中」「正文在文庫」で、本文の宛名は「松…

  44. 追録5-No.1126 秋元凉朝書状

    秋元但馬守凉朝が九月七日、松平薩摩守重年へ返答する。重陽の祝儀として使者を通じて小袖一重を献上した件は、披露を遂げ、一段の御仕合であったと伝える。「全上」の出典注と薩摩守宛名を持つ。No.1125御内書の宛名は大隅守で、本書とは宛先が異なる。

  45. 追録5-No.1127 島津重年書状(中山王宛)

    少将重年が九月九日、中山王へ返答する。書状を拝見し、前年有徳院が亡くなったことを悼んで見舞いとして榮野川親方を差し越し、目録に記された品々を贈られたことについて、入念な配慮をありがたく思うと伝える。重年公御譜中・正文在琉球國國司の注を持つ。弔意は前年の有徳院死去に関するもので、本書は当年の謝状である…

  46. 追録5-No.1128 島津重年書状(琉球人退避の伺い)

    重年が九月十一日、本多伯耆守らへ届ける。今回江戸へ呼び寄せた琉球人の滞留中、自身の居宅近辺に火災が起きた場合は、高輪・品川・大井の三か所の屋敷へ退避させたいと申し出たことを記す。三か所にも支障がある時は愛宕下青松寺へ立ち退かせたいと願い、そのとおり仰せ渡されたので承知したと報告する。全上・扣正文在右…

  47. 追録5-No.1129 島津重年書状(琉球封王使)

    九月十一日付の重年届書。琉球中山王が代替わりしたため、大清国から封王使を請う先規があり、中山王が大清へ願って、封王使が来る丑年に渡来するようにしたいと申し越したことを記す。その件を先例どおり行うように命じたので報告する、と結ぶ。全上・扣正文在右筆所の注を持ち、末尾は御名で特定の宛名は記さない。封王使…

  48. 追録5-No.1130 琉球使節を伴う重年の参府と吉宗への弔書取次

    宝暦二年の夏、中山王尚穆の襲封謝恩使今歸仁王子と副使小波津親方が薩府へ来ており、九月十一日に重年が琉球使正副と従者九十四人を伴って居城を発ち、江戸への参府に向かった記事。家老義岡相馬久中・島津主鈴久郷、側用人本田久米右衛門親房・二階堂林左衛門行通、福山平太夫安都、近習役河野安之右衛門通古らが従い、監…

  49. 追録5-No.1131 堀田正亮外四名老中連署返書

    西尾隠岐守忠尚・松平右近将監武元・本多伯耆守正珍・酒井左衛門尉忠寄・堀田相模守正亮が九月廿六日、松平薩摩守重年へ連署で返答する。有徳院の死去に際し、中山王から公方・大納言へ弔意を申し上げる書翰が鹿児島へ届けられ、重年が使者に持たせて差し越した件について、その書翰を一覧して言上したと伝える。書翰を返送…

  50. 追録5-No.1132 秋元凉朝返書

    秋元但馬守凉朝が九月廿六日、松平薩摩守重年へ返答する。有徳院の死去に際し、中山王から公方・大納言へ弔意を申し上げる書翰が鹿児島へ届けられ、重年が使者に持たせて差し越した件について、その書翰を一覧して言上したと伝える。書翰を返送するので先方へ渡すよう命じる。全上としてNo.1131と同件を扱うが、差出…

  51. 追録5-No.1133 琉球使節を伴う大坂出発・伏見到着

    宝暦二年壬申十一月八日、重年が琉球使と従者を率いて大坂の仮館を出発し、川をさかのぼってその夜は枚方に泊まり、翌九日に城州伏見の仮館へ着いた記事。諸役人が船を出して河流に沿って配置し、琉球使の船を警衛させる扱いは先の行程と同じであった。重年は伏見の仮館で二日滞在した。

  52. 追録5-No.1134 本多正珍返書

    本多伯耆守正珍が十月十一日、松平薩摩守重年へ返答する。公方・大納言の機嫌がよいことへの喜びを了解し、重年が参勤のため去月十一日、すなわち九月十一日に国許を出発して、中山王から差し上げる使者を同行させたという届出を承知する。紙面の趣は各一覧之事と結ぶ。全上・正文在文庫の注を持つ。

  53. 追録5-No.1135 秋元凉朝返書

    秋元但馬守凉朝が十月十一日、松平薩摩守重年へ返答する。公方・大納言の機嫌がよいことへの喜びを了解し、重年が参勤のため去月十一日に国許を発ち、中山王から差し上げる使者を同行させたとの届出を承知する。全上としてNo.1134と同件を扱い、結びは紙面之趣令承知候である。去月十一日は九月十一日の国許出発日で…

  54. 追録5-No.1136 本多正珍返書(月光院逝去)

    本多伯耆守正珍が十月廿六日、松平薩摩守重年へ返答する。月光院逝去を聞き、言葉もないとした重年の弔意を了解し、そのために代替わりの儀はなく、機嫌にも変わりがないので安心してほしいと伝える。紙面の趣は各人で相談して上聞に達したと通知する。重年公御譜中・正文在文庫の注を持つ。月光院には、家継生母・勝田氏と…

  55. 追録5-No.1137 秋元凉朝返書(月光院逝去)

    秋元但馬守凉朝が十月廿六日、松平薩摩守重年へ返答する。月光院逝去を聞いて言葉もないとした弔意を了解し、そのために代替わりの儀はなく、機嫌にも変わりがないので安心してほしいと伝える。紙面の趣は言上したと通知する。全上としてNo.1136と同件を扱うが、差出人は秋元一名、結びは及言上候である。

  56. 追録5-No.1138 本多正珍返書(琉球使節赤間関着)

    本多伯耆守正珍が十月廿八日、松平薩摩守重年へ返答する。公方・大納言の機嫌がよいことへの喜びを了解し、重年が中山王の使者を同行させ、長州赤間関に着船したとの届出を承知する。重年公御譜中・正文在文庫の注を持ち、紙面の趣は各一覧之事と結ぶ。赤間関への着船日自体の記載はなく、十月廿八日は返書日である。

  57. 追録5-No.1139 秋元凉朝返書(琉球使節赤間関着)

    秋元但馬守凉朝が十月廿八日、松平薩摩守重年へ返答する。公方・大納言の機嫌がよいことへの喜びを了解し、重年が中山王の使者を同行させ、長州赤間関に着船したとの届出を承知する。「全上」としてNo.1138と同件を扱い、「紙面之趣令承知候」と結ぶ。十月二十八日は返書日であり、着船日は本書に明示しない。

  58. 追録5-No.1140 伊勢貞起・鎌田政昌連署知行目録

    重年公御譜中、正文在島津因幡忠郷の今和泉領知目録。揖宿郡今和泉544石3升8合5夕4才、新西方村574石4斗7升3合9夕6才、岩本村456石2斗1升2合7夕2才、頴娃郡小牧村1465石3斗1升1合9夕8才、池田村561石2斗2升1合8夕8才、利永村を列挙し、合高3601石2斗5升9合8才とする。利永…

  59. 追録5-No.1141 島津重年書状(高野山蓮金院宛)

    少将重年が十一月五日、高野山蓮金院へ発給する判物。中納言家久の代に当家の宿坊として興隆させ庄園を寄附したことは当代にも変わらないので、先祖の牌寺内の修造などを従来どおり、少しも緩め疎かにしてはならないと命じる。重年公御譜中・扣正文在右筆所の注を持つ。包紙には高野山蓮金院・少将重年の表示があり、当日大…

  60. 追録5-No.1142 酒井忠寄返書

    酒井左衛門尉忠寄が十一月九日、松平大隅守継豊へ返答する。公方・大納言の機嫌がよいことへの喜びを了解し、重陽の祝儀として時服と御肴を拝領したことへの謝意を承知する。紙面の趣は各人で相談して上聞に達したと通知する。継豊公御譜中・正文在文庫の注を持つ。数量は本文に記さない。

  61. 追録5-No.1143 秋元凉朝返書

    秋元但馬守凉朝が十一月九日、松平大隅守継豊へ返答する。公方・大納言の機嫌がよいことへの喜びを了解し、重陽の祝儀として時服と御肴を拝領したことへの謝意を承知する。紙面の趣は言上したと通知する。全上としてNo.1142と同件を扱うが、差出人は秋元一名、結びは及言上候である。数量は記されない。

  62. 追録5-No.1144 酒井忠寄返書(月光院逝去)

    酒井左衛門尉忠寄が十一月十一日、松平大隅守継豊へ返答する。月光院の死去を聞き言葉もないとした継豊の弔意を了解し、そのために代替わりの儀はなく、機嫌も変わらないので安心してほしいと伝える。紙面の趣は各人で相談して上聞に達したと通知する。継豊公御譜中・正文在文庫の注を持つ。

  63. 追録5-No.1145 秋元凉朝返書(月光院逝去)

    秋元但馬守凉朝が十一月十一日、松平大隅守継豊へ返答する。月光院の死去を聞き言葉もないとした弔意を了解し、そのために代替わりの儀はなく、機嫌も変わらないので安心してほしいと伝える。紙面の趣は言上したと通知する。全上としてNo.1144と同件を扱うが、差出人は秋元一名である。

  64. 追録5-No.1146 重年公御譜(伏見出立と東海道通行)

    同年十一月十二日、重年が伏見の仮館を出発し、江州・濃州を経て東海道の駅路を進んだ記事。通行のため伝馬百匹と担夫六百五人が与えられた。朱書は、寛延元年の担夫が六百二十四人であったことと、今回は請いにより十九人を減らしたことを補記する。出典は重年公御譜。

  65. 追録5-No.1147 酒井忠寄返書(増上寺参詣)

    酒井左衛門尉忠寄が十一月十二日、松平薩摩守重年へ返答する。公方の機嫌がよいことと、去月十四日、すなわち十月十四日に増上寺御霊屋へ参詣したことを重年が喜んだ旨を了解し、紙面の趣は各人で相談して上聞に達したと伝える。全上・正文在文庫の注を持つ。参詣日は十月十四日、返書日は十一月十二日である。

  66. 追録5-No.1148 酒井忠寄返書(小熬海鼠献上)

    酒井左衛門尉忠寄が十一月十三日、松平薩摩守重年へ返答する。公方・大納言の機嫌は変わりなく、いよいよ安全であるので安心してほしいと伝え、あわせて小熬海鼠一箱を献上した件は各人で相談して披露を遂げ、一段の御仕合であったと通知する。全上の出典注を持つ。

  67. 追録5-No.1149 秋元凉朝返書(小熬海鼠献上)

    秋元但馬守凉朝が十一月十三日、松平薩摩守重年へ返答する。公方・大納言の機嫌は変わりなく、いよいよ安全であるので安心してほしいと伝え、あわせて小熬海鼠一箱を献上した件は披露を遂げ、一段の御仕合であったと通知する。全上としてNo.1148と同件を扱うが、差出人は秋元一名である。

  68. 追録5-No.1150 秋元凉朝返書(琉球使節大坂着)

    秋元但馬守凉朝が十一月十三日、松平薩摩守重年へ返答する。公方・大納言の機嫌がよいことへの喜びを了解し、中山王の使者を同行させて去四日、すなわち同月四日に大坂へ着船したとの届出を承知する。全上の出典注を持ち、紙面之趣令承知候と結ぶ。大坂着船日は十一月四日、返書日は十三日で、No.1130の大坂着の記事…

  69. 追録5-No.1151 酒井忠寄返書(東叡山参詣)

    酒井左衛門尉忠寄が十一月十六日、松平薩摩守重年へ返答する。公方の機嫌がよいことと、去月廿四日、すなわち十月二十四日に東叡山の深徳院御霊前へ参詣したことを重年が喜んだ旨を了解し、紙面の趣は各人で相談して上聞に達したと伝える。重年公御譜中・正文在文庫の注を持ち、深徳院には家重生母・大久保氏の補注がある。

  70. 追録5-No.1152 堀田正亮外四名老中連署返書(大納言疱瘡快癒)

    西尾隠岐守忠尚・松平右近将監武元・本多伯耆守正珍・酒井左衛門尉忠寄・堀田相模守正亮が十一月廿五日、松平大隅守継豊へ連署で返答する。大納言の疱瘡が快癒した祝儀として使者を通じて目録どおりの品を献上した件は、披露を遂げ、一段の御仕合であったと通知する。継豊公御譜中・正文在文庫の注を持つ。目録の具体的な品…

  71. 追録5-No.1153 秋元凉朝返書(大納言疱瘡快癒)

    秋元但馬守凉朝が十一月廿五日、松平大隅守継豊へ返答する。大納言の疱瘡が快癒した祝儀として使者を通じて目録どおりの品を献上した件は、披露を遂げ、一段の御仕合であったと通知する。全上としてNo.1152と同件を扱うが、差出人は秋元一名である。具体的な品目・数量は本書に列挙されない。

  72. 追録5-No.1154 堀田正亮返書(大納言疱瘡)

    堀田相模守正亮が十一月廿五日、松平薩摩守重年へ返答する。公方の勇健への喜びを了解し、大納言が疱瘡に罹ったが軽症であったと聞いて重年がめでたいと思った旨を承知する。なお使者を遣わして機嫌を尋ねた件に対し、大納言はいよいよ順調に快復しているので安心してほしいと答え、紙面の趣は各人で相談して上聞に達したと…

  73. 追録5-No.1155 秋元凉朝返書(大納言疱瘡)

    秋元但馬守凉朝が十一月廿五日、松平薩摩守重年へ返答する。公方の勇健への喜びを了解し、大納言の疱瘡が軽症であったと聞いてめでたいと思った旨を承知する。使者を遣わして機嫌を尋ねた件に対し、いよいよ順調に快復しているので安心してほしいと答える。紙面の趣は言上したと伝える。全上としてNo.1154と同件を扱…

  74. 追録5-No.1156 堀田正亮外四名老中連署返書(重年の祝儀)

    西尾隠岐守忠尚・松平右近将監武元・本多伯耆守正珍・酒井左衛門尉忠寄・堀田相模守正亮が十一月廿五日、松平薩摩守重年へ連署で返答する。大納言の疱瘡が快癒した祝儀として使者を通じて目録どおりの品を献上した件は、披露を遂げ、一段の御仕合であったと伝える。全上の注を持つ。No.1152継豊宛と同じ用件の、重年…

  75. 追録5-No.1157 秋元凉朝返書(重年の祝儀)

    秋元但馬守凉朝が十一月廿五日、松平薩摩守重年へ返答する。大納言の疱瘡が快癒した祝儀として使者を通じて目録どおりの品を献上した件は、披露を遂げ、一段の御仕合であったと伝える。全上として前No.1156と同件を扱うが、差出人は秋元一名である。No.1153継豊宛とは宛先が異なり、本書は重年の祝儀献上への…

  76. 追録5-No.1158 酒井忠寄書状

    酒井左衛門尉忠寄が十一月廿五日、松平大隅守へ送った返書。相手の書状を披見し、公方・大納言がますます御機嫌よく過ごしていることへの喜びを承知する。また、琉球中山王の使者を召し連れ、去る四日に大坂へ着船したとの知らせを了解したと伝える。紙面の趣は各人が一覧したとし、「恐々謹言」で結ぶ。 冒頭は「全上」、…

  77. 追録5-No.1159 堀田正亮返書(琉球使節岡崎着)

    堀田相模守正亮が十一月廿七日、松平薩摩守重年へ返答する。公方・大納言の機嫌がよいことへの喜びを了解し、中山王の使者を同行させて去十九日、すなわち十一月十九日に参州岡崎駅を通ったとの届出を承知する。重年公御譜中・正文在文庫の注を持ち、紙面の趣は各一覧之事と結ぶ。岡崎通過日は十一月十九日、返書日は廿七日…

  78. 追録5-No.1160 秋元凉朝返書(琉球使節岡崎着)

    秋元但馬守凉朝が十一月廿七日、松平薩摩守重年へ返答する。公方・大納言の機嫌がよいことへの喜びを了解し、中山王の使者を同行させて去十九日に三州岡崎駅を通ったとの届出を承知する。全上としてNo.1159と同件を扱うが、紙面之趣令承知候と結ぶ。前項は「参州」、本書は「三州」と記す。岡崎通過日は十一月十九日…

  79. 追録5-No.1161 重年公御譜(家重からの御刀拝領品目録)

    重年公御譜中・正文在納戸方の記録。家重から重年へ拝領した刀一腰、来國真、象眼銘代金二十枚、折紙あり、長二尺三寸を掲げ、赤銅七子に金銀若松色絵の三所物、二重金無垢の鐔、切羽、縁、柄頭角黒塗、柄鮫白糸巻、鞘黒塗、小刀志津三郎兼氏、金無垢の鵐目、下緒、紫緞子の御袋白緞子裏・紫の緒房付きなどの装具を列挙する…

  80. 追録5-No.1162 重年公御譜(琉球使節と江戸着)

    同年十二月二日、重年が琉球使と従者を率いて江戸の芝邸へ到着した記事。翌三日、用番の老中西尾隠岐守忠尚の邸へ出向いて将軍家の安否を伺い、続いて家治の執政秋元但馬守凉朝の邸で家治の安否を伺った。同日、松平右近将監武元が上使として芝邸へ来て遠来を労った。重年はその後、老中各人の邸へ出向いて謝礼した。出典は…

  81. 追録5-No.1163 島津重年書付(当分養子願書返却)

    十二月三日、重年が西尾隠岐守へ、前年の暇を得て帰国する際に酒井左衛門尉へ提出した当分養子願書が返されたので受け取ったと謝する。全上・扣正文在右筆所の注を持つ。併載の西尾返書も同日付で、前年酒井に提出した願書を返すと薩摩守へ通知し、上包の封・脇付などを記す。後の注は寛延四年未四月の帰国前に酒井へ願書を…

  82. 追録5-No.1164 徳川家重下賜米書付

    重年公御譜中・正文在文庫の米目録。朱書の宝暦二年申十二月六日と、米二千俵という品目・数量だけを掲げる。本文には差出人署名・宛先・下賜理由を記さない。米二千俵を掲げる独立の目録である。目録の米二千俵とNo.1165の廩米二千俵は対応するが、使者・場所・謝礼訪問は本書にない。

  83. 追録5-No.1165 重年公御譜(米二千俵拝領)

    同年十二月六日、大御目付伊丹兵庫頭直賢が上使として江戸の芝邸へ来て、重年に廩米二千俵を与えた記事。琉球使を率いて参府した際の先例による下賜であり、重年はその後、老中各人の邸へ出向いて謝礼した。出典は重年公御譜。

  84. 追録5-No.1166 老中連署通知(参勤御礼の登城)

    西尾隠岐守・松平右近将監・本多伯耆守・堀田相模守の四名が十二月十一日、松平薩摩守重年へ連署で通知する。翌十二日の五半時に登城し、参勤の御礼を申し上げよと命じる。全上・正文在文庫の注を持つ。登城時刻は「五半時」と記される。通知日は十二月十一日、登城予定日は翌十二日である。

  85. 追録5-No.1167 家来二名御目見通知

    全上・正文在文庫の御目見通知。家来二人の御目見が仰せ付けられたので、その二人を召し連れて出るよう命じる。本文には家来の氏名・身分、日付・差出人署名・宛名を別記しない。No.1166の登城令に続けて掲載されるが、本書自体に日時・四名署名の記載はない。

  86. 追録5-No.1168 重年公御譜(参勤御礼と献上)

    同年十二月十二日、重年が老中の教諭に従って登城し、黒書院で家重に拝謁して述職の礼を謝した記事。重年は家重へ太刀一腰・馬代白銀五十枚・白縮緬二十巻、家治へ太刀一腰・馬代白銀五十枚を献上した。家老義岡相馬久中・島津主鈴久郷も、それぞれ家重へ太刀一腰・馬代白銀一枚・紗綾二巻、家治へ太刀一腰・馬代白銀一枚を…

  87. 追録5-No.1169 継豊公御譜(御鷹の鶴下賜と送達)

    退休後、病気のため寛延二年以来在国して四配館で温泉療養を続ける継豊へ、宝暦二年十二月十三日、家重が鷹の捕らえた鶴一隻と老中奉書を与えた記事。西尾隠岐守忠尚が駅路の証印を出し、継豊の家臣横山新右衛門安當・汐湯次郎左衛門盛尊が歩士三人・軽卒数人の警衛を伴って即夜江戸を発ち、東海・山陽・西海の駅路を昼夜進…

  88. 追録5-No.1170 老中連署書状(御鷹の鶴送付)

    西尾隠岐守忠尚・松平右近将監武元・本多伯耆守正珍・堀田相模守正亮が十二月十三日、松平大隅守継豊へ連署で通知する。公方・大納言の機嫌はよいので安心してほしいと伝え、御鷹の鶴を拝領することとなったため宿次で差し越すと知らせる。全御譜中・正文在文庫の注を持つ。本書に鶴の数量は記されない。

  89. 追録5-No.1171 西尾忠尚宿次証文(御鷹の鶴送達)

    十二月十三日付、西尾隠岐守の印を持つ右宿中宛の証文写。状箱と鶴一壺を江戸から薩州鹿児島の松平大隅守の所へ届け、返札を持って来るので、江戸の月番老中へ必ず持参せよと命じる。全上・写正文在文庫の注を持つ。返札を江戸の月番老中へ持参するよう命じる。鶴の送達単位は「一壺」と記し、No.1169の「一隻」とは…

  90. 追録5-No.1172 堀田正亮ほか老中連署状(琉球使節登城)

    西尾隠岐守・松平右近将監・本田伯耆守・堀田相模守の四名が十二月十四日、松平薩摩守重年へ通知する。翌十五日の四時に中山王の使者を召し連れて登城し、御本丸が済んだ後は西丸にも召し連れて出るよう命じる。さらに、熨斗目と長袴を着用するよう指示する。重年公御譜中・正文在文庫の注を持つ。登城時刻は「四時」と記さ…

  91. 追録5-No.1173 重年公御譜(琉球使節の拝謁と献上)

    同年十二月十五日、重年が老中奉書に従い琉球使今歸仁を伴って登営し、大広間で家重に先に取次の拝謁を行った記事。今歸仁は中山王の献物を捧げて家重に拝謁し、老中が厚遇する旨を重年へ伝え、重年から今歸仁へ伝達した。重年は謝礼し、家臣島津主殿久憑も家重に拝謁して太刀一腰・紗綾二巻・馬代白銀一枚を献じた。同日、…

  92. 追録5-No.1174 西尾忠尚書状(増上寺参詣伺いへの返答)

    西尾隠岐守忠尚が十二月十六日、松平大隅守継豊へ返答する。公方の機嫌がよいことと、十月十四日に増上寺御霊屋へ参詣したことを継豊が喜んだ旨を了解し、紙面の趣は各人で相談して上聞に達したと伝える。継豊公御譜中・正文在文庫の注を持つ。参詣者は公方で、参詣日は十月十四日、返書日は十二月十六日である。

  93. 追録5-No.1175 西尾忠尚書状(寒中伺いと献上品)

    西尾隠岐守忠尚が十二月十六日、松平大隅守継豊へ返答する。寒中の公方・大納言の機嫌は変わらず、いよいよ安全であるので安心してほしいと伝え、あわせて鯛一箱の献上について各人で相談して披露を遂げ、一段の御仕合であったと通知する。全上の出典注を持つ。使者の口上や祝儀の目的は本書にない。

  94. 追録5-No.1176 秋元凉朝書状(寒中伺いと献上品)

    秋元但馬守凉朝が十二月十六日、松平大隅守継豊へ返答する。寒中の公方・大納言の機嫌は変わらず、いよいよ勇健であるので安心してほしいと伝え、鯛一箱の献上について披露を遂げ、一段の御仕合であったと通知する。全上としてNo.1175と同件を扱うが、安否は益御勇健御儀、結びは遂披露の表現である。

  95. 追録5-No.1177 西尾忠尚書状(蜜柑・炙鮎献上)

    西尾隠岐守忠尚が十二月十六日、松平薩摩守重年へ返答する。今朝、蜜柑二箱と炙鮎一箱を献上した件について、披露を遂げ、一段の御仕合であったと伝える。重年公御譜中・正文在文庫の注を持つ。末尾は忠尚判とし、裏書に西尾隠岐守忠尚の表示がある。

  96. 追録5-No.1178 秋元凉朝書状(蜜柑・炙鮎献上)

    秋元但馬守凉朝が十二月十六日、松平薩摩守重年へ返答する。今朝、蜜柑二箱と炙鮎一箱を献上した件について、披露を遂げ、一段の御仕合であったと通知する。全上としてNo.1177と同件を扱うが、末尾は凉朝判、裏書は秋元但馬守凉朝である。

  97. 追録5-No.1179 堀田正亮ほか老中連署状(琉球人音楽と帰国の暇)

    西尾隠岐守・松平右近将監・本多伯耆守・酒井左衛門尉・堀田相模守の五名が十二月十七日、松平薩摩守重年へ連署で通知する。翌十八日に琉球人の音楽が命じられ、さらに暇を与えられるので、四時に彼らを召し連れて登城するよう命じる。本丸が済んだ後は西丸へも召し連れ、熨斗目・長袴を着用するよう付記する。全上の注を持…

  98. 追録5-No.1180 徳川宗睦書状(継豊の寒中見舞いへの返答)

    尾張中将宗睦が十二月廿三日、松平大隅守継豊へ返答する。書状を拝見し、寒気の時期にも継豊がますます無事であるとの知らせを喜ぶとともに、自分たちも無事であると伝える。なお念を入れて気遣われたことをうれしく思うと謝する。継豊公御譜中・正文在文庫の注を持つ。

  99. 追録5-No.1181 西尾忠尚書状(東叡山参詣伺いへの返答)

    西尾隠岐守忠尚が十二月廿五日、松平大隅守継豊へ返答する。公方の機嫌がよいことと、十月廿四日に東叡山深徳院御霊前へ参詣したことを継豊が喜んだ旨を了解し、紙面の趣は各人で相談して上聞に達したと伝える。全上・正文在文庫の注を持つ。参詣者は公方で、参詣日は十月廿四日、返書日は十二月廿五日である。

  100. 追録5-No.1182 重年公御譜(将軍父子への国産馬献上)

    同年十二月二十五日、重年が参勤の慣例により、家重へ国産馬二匹、家治へ一匹を献上した記事。家重宛の元注は、一匹が黒毛・四歳・四寸・隅州末吉牧・古具附、もう一匹が栗毛・四歳・四寸・薩州の牧場の馬と記す。家治宛の一匹は黒栗毛・三歳・二寸・隅州福山牧と注す。重年は老中各人へ奉書を投じ、その後に献上した。出典…