穆佐郷の古塚発見と義天公墓伝承の検討、木主修礼・廩禄給付
安永六年十一月二十一日(記文)、同月二十八日(修礼記事)、発掘は安永三年正月、後記は翌年夏五月/原整理番号 1509/整理ID 1509
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概要
穆佐郷古塚記として、安永三年甲午正月、日向州穆佐郷の悟性寺で地を掘った者が、七尺まで入って古塚を得たと記す。壙の四周に石を重ね、石䃭(石偏に感の原字)で覆い、中に大甕を置いていた。開いて見ると枯髏があり、金鈴一・香爐一もあったが、誌銘が失われ人物を識別できなかった。土地の人は以前、義天公の塚が寺にあったと伝えたものの場所は失われ、父老が見に来てその塚ではないかと考え、状況を本府へ報告した。本府は太史川上親敷と副史東郷實包を現場へ遣わし、二人が壙内を観察したが、確かな徴証はなかったとする。寺僧に元の場所で納め埋め直すことを命じ、周文の故事に従い、石を立て親敷に記させた。親敷は旧記が寺と義天公を関連付け、龍伯公譜には穆佐の仏寺に義天二字の刻があったとすることから、その仏寺は悟性寺ではないかと考える。一方、旧地は草莽丘墟となり残碑も断片で、何を証拠とするのかとの留保を述べ、事情を石に書いて観る者に示すとする。寺名には悟性寺・吾性寺の両表記がある。記文は安永六年丁酉十一月二十一日、本府太史川上親敷謹撰。続く記事は同月二十八日に義天公の木主を修め、櫝に納めて旧所へ置いたと記し、修理・栽樹の注を付す。南林寺住持泰禪和尚が焼香し、番頭平田新左衛門成政が代拝した。同寺に石碑を建て太史川上平右衛門親敷にその事を書かせたこと、翌年夏五月から義天公の斎食に毎年廩禄三石を供したことを載せる。発掘、人物比定の伝承と留保、記文の日付、木主の修礼・焼香代拝、碑と毎年の給付を分ける。後の祭祀を、出土した枯髏が義天公の遺骨と確定した証拠にはしない。
登場人物
太史川上親敷(平右衛門の原記事)、副史東郷實包、義天公(島津久豊の原注)、龍伯公(島津義久の原注)、泰禪和尚(南林寺住持)、番頭平田新左衛門成政、父老(無名)
宛先
独立宛所記載なし
キーワード
安永三年正月古塚七尺石䃭大甕枯髏金鈴一香爐一、義天公伝承と徴証無、安永六年十一月二十一日川上親敷記・二十八日木主修礼泰禪焼香平田成政代拝、翌年五月歳給廩禄三石
冊子頁
541~542頁
読込量
中
面白さ
★★★★★
(4)451~615頁(安永4~天明元).pdf