太夫人島津氏の墓表と、山本正誼の碑陰文
安永六年丁酉十一月朔日(墓表)、同月癸亥(碑陰文)/原整理番号 1501/整理ID 1501
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概要
題は太夫人島津氏墓表で、題の八字は本文の列にまたがって大字で掲げられる。既に葬ってから三十三年として、子の懋昭が墓表を立てたと記す。太夫人は諱都美、島津氏、右馬頭忠将の後裔で、家は代々垂水を領し麑府に居住した。父の名は貴儔、自称備前、老いて自号靜山翁、太夫人はその嫡女とする。先君に嫁いで二年で没し、延享二年十一月七日、十九歳、法名は正覺院殿貞範妙雅大姉、墓は隅州加治木の長年寺にあると記す。祖夫人から聞いた人物評として、温恭慈恵、上に仕え下を慈しみ、平居幽閑で言笑を慎み、操縵・書札を好み、世俗の紛華を好まなかったことを載せる。男子は懋昭一人で、母の没時には生まれて才二日だったと記す。その後の嗣位襲封と、母の慈顔を知るに及ばなかった悲しみを述べ、安永六年丁酉十一月朔日、男・従四位上中将薩隅日三州守兼領琉球国源懋昭記と署す。近侍掌務臣山田明遠が薫沐拜書したと記す。続く碑陰文は、墓表を作った公が知学事臣山本正誼に碑の陰を書かせたものとし、夫人は圓德公の元配で、公が初め公族島津久季の嗣となったためその邑加治木へ葬られたと説明する。公が爵を襲った後、夫人の主を福昌寺祖廟へ祔し、諸侯の礼で祭ったことを、母以子貴の義として述べる。末は安永六年歳次丁酉冬十一月癸亥、知学事臣山本正誼謹記。編者注は原碑による補入、原碑文十行と篆字の区別を示す。
登場人物
太夫人都美、右馬頭忠将、島津貴儔(備前・靜山翁)、源懋昭(重豪、御譜表示との対応)、山田明遠(近侍掌務臣)、山本正誼(知学事臣)、圓德公(原呼称)、島津久季
宛先
独立宛所記載なし
キーワード
太夫人島津氏墓表、都美貴儔嫡女・靜山翁、延享二年十一月七日・十九歳正覺院、子懋昭生才二日、墓長年寺、十一月朔源懋昭記山田明遠書、碑陰十一月癸亥知学事山本正誼記・圓徳元配久季嗣加治木葬福昌主祔
冊子頁
539~540頁
読込量
中
面白さ
★★★★★
(4)451~615頁(安永4~天明元).pdf