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追録8-No.779-3今井・梅北の米沢謝罪出向・弾薬輸送・会津戦況見聞報告旧記雑録暫定版・確認中

米沢藩世子の謝罪出向と弾薬輸送を伝え、会津城下の戦況・見聞を報じる

九月19日認、当月11~16日戦況と18日見聞、先月22日出兵等の回顧/原整理番号 779の3/整理ID 779-3

確認度中
この文書は暫定版です

現在、内容を確認中です。概要・人物・宛先・キーワード等は後日修正される可能性があります。

概要

会津城下在陣の今井一兵衛・梅北休兵衛が九月十九日に認めた報告。米沢藩の謝罪歎願で世子一人と従士十五人ほどが大惣督宮仁和寺様の新発田陣営へ出向き、宿陣前を歩行して通った様子を伝える。積み込んだ弾薬は届きつつあるが遠路で不自由とし、乗船した英船の帰りには封書を託す予定を述べる。会津方面は先月二十二日に白川口兵が急に進み、連日の激しい砲戦ののち十六日に城下へ入ったと報じる。当十九日に新潟に着いて新発田へ回り、仁和寺宮の上方への移動予定や米沢口へ出張する薩州三小隊等の配置を伝える。十八日に会津城下へ回って死骸が多く、士小路と市中が焼けて道具が散乱しているのを見たと述べる。東西の情勢はまだ分からないとし、戦死手負の人数は別紙で届いた旨を承知したと記す。戦況・見聞・評価は両人の報告として示す。

登場人物

今井一兵衛、梅北休兵衛、米沢藩世子一人・従士十五人ほど、大惣督宮仁和寺様、薩州三小隊、藝州・土州・新発田・小倉の兵、病人、陸軍所掛

宛先

陸軍所掛御役々衆

キーワード

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冊子頁

599~600頁

読込量

中

面白さ

★★☆☆☆

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(4)450~620頁(慶応4~明治元).pdf