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追録5-No.974御譜記事旧記雑録暫定版・確認中

家重、重年入部ノ安否ヲ問ヒ

〈寛延四年〉九月十九日/整理ID 旧記雑録追録5_文書0974

確認度高
この文書は暫定版です

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概要

九月十九日、家重が重年の襲封後初の帰国を祝い、安否を問うため佳肴一種、鮭十尺を賜った記事。老中本多伯耆守正珍が江戸留守居山澤小左衛門盛福を自邸に呼び、老中宿次奉書と驛路證印を渡した。比志島孫左衛門國泰・谷山孫右衛門通音、歩士三人・軽卒六人が警衛して同日芝邸を発ち、東海・山陽・西海路を昼夜休まず進み、十月十五日に薩府城へ着いて重年が拝戴した。同日、山本利兵衛秀命・調所八左衛門恒堅が重年の謝書と驛路證印を携えて執政へ赴き、軽卒六人も従った。重年は一門島津周防忠紀を謝恩使とし、継豊も物頭中江九衛門員張を同行させた。秀命・恒堅らは西海・山陽・東海道を経て十一月十一日に江戸へ着き、山澤盛福の案内で武元へ重年の報翰を呈し、正珍の證印を返納した。忠紀は九州の駅路から豊前小倉、大坂、東海道を経て十八日に芝邸へ着き、二十一日に酒井忠寄へ家重宛の連署、秋元凉朝へ家治宛の連署を届け、西尾忠尚へ両公宛の格書と書状を渡した。十二月朔日、忠紀は白書院で重年の献物二種・雙樽を家重へ献じ、家治にも謝恩を伝え、松平周防守康福が奏達した。忠紀自身も太刀一腰・馬代白銀一枚・紗綾二巻を献じた。続いて西城で朽木土佐守玄綱を奏者とし、重年の献物一種・雙樽と、忠紀自身の太刀一腰・馬代白銀一枚を献じた。十二日に召されて登城し、檜之間で武元から回翰を手渡され、紗綾三巻を拝領した。青山因幡守忠知が奏達し、十三日には西城で武元から、十八日には西尾忠尚の邸で回翰を受けた。二十九日に芝邸を発ち、東海道を経て翌三月二十五日に薩府へ帰り復命した。

登場人物

島津重年・徳川家重・本多伯耆守正珍・山澤小左衛門盛福・比志島孫左衛門國泰・谷山孫右衛門通音・山本利兵衛秀命・調所八左衛門恒堅・島津周防忠紀・島津継豊・中江九衛門員張・松平右近将監武元・酒井左衛門尉忠寄・秋元但馬守凉朝・西尾隠岐守忠尚・徳川家治・松平周防守康福・朽木土佐守玄綱・青山因幡守忠知

宛先

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キーワード

家重、重年、鮭十尺、奉書、驛路證印、比志島國泰、谷山通音、歩士三人、軽卒六人、山本秀命、調所恒堅、島津忠紀、中江員張、謝恩使、白書院、西城、二種雙樽、一種雙樽、紗綾三巻、回翰、復命

冊子頁

329~330頁

読込量

中

面白さ

高

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(3)311~473頁(寛延4~宝暦4).pdf