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追録5-No.902御譜記事旧記雑録暫定版・確認中

重年公御譜記事

〈寛延四年〉六月二十日以降/整理ID 旧記雑録追録5_文書0902

確認度高
この文書は暫定版です

現在、内容を確認中です。概要・人物・宛先・キーワード等は後日修正される可能性があります。

概要

重年公御譜は、前大樹吉宗が四月下旬から不豫となり、翌月も癒えず、六月二十日に江戸西城で六十八歳で薨じたと記す。閏六月十日夜に東叡山へ葬り、有徳院殿と諡し正一位太政大臣を贈った。薩摩へ訃報が届くと、重年は番頭肝付弾正兼昌、継豊は物頭鎌田一藤太政苗を使者とし、閏六月十一日に両使が鹿府を発つ。西海・山陽・東海道を経て七月七日に江戸芝邸へ着き、八日に酒井忠寄・秋元凉朝らの宅を訪ね、重年・継豊の弔書を届けた。追記は重年が兄宗信の封を襲い、継豊から当家伝来の家系・文献・宝器を譲られたことを記す。閏六月二日に府城対面所でそれらを拝覧し、記録官川上平右衛門親央が諸品と枢機書を持って進席し、その由来を説いたという。

登場人物

徳川吉宗(有徳院殿)・島津重年・島津継豊・肝付弾正兼昌・鎌田一藤太政苗・酒井左衛門尉忠寄・秋元但馬守凉朝・島津宗信・川上平右衛門親央

宛先

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キーワード

吉宗、有徳院殿、六月二十日、六十八歳、閏六月十日葬送、東叡山、弔使、閏六月十一日出発、肝付兼昌、鎌田政苗、七月七日江戸着、重年、継豊、宗信、家系・文献・宝器、閏六月二日拝覧、川上親央

冊子頁

307~308頁

読込量

小

面白さ

高

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(2)166~310頁(寛延2~寛延4).pdf