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追録6-No.759記事旧記雑録暫定版・確認中

重豪、途次長崎を巡遊し帰国する記事

明和八年五月二十八日~翌年正月二十日(記事所載日)/原整理番号 759/整理ID 759

確認度中
この文書は暫定版です

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概要

帰国の暇を賜った重豪が五月二十八日東都芝邸を発ち、家老樺山久智、大目付格赤松則正・二階堂行旦、側用人關山金郷・島津久連、近習役村上範村らが従った。東海道(伊勢路の注)を経て六月十五日伏見の仮館へ着き、二十一日早朝に発ち川船でその夜大坂へ着いた。二十七日大坂を発ち播州路を経て七月朔日坂越へ着き、同日乗船、八日豊前大里で上陸、九日に発った。国元から迎護の大備二十八人を遣わして待たせ、鎗二十本・弓十張・鉄炮二十挺で隊を組み護送した。長崎は中国商船などの出入りする都会で諸侯が変事に備えること、重豪も東都出発前に幕府へ見分を申し出ていたことを記す。七月十六日長崎の仮館へ着いたが狭いため、あらかじめ命じて新造した仮館に宿泊した。十八日奉行所へ赴き将軍の安否を伺い、数日間、中国人・阿蘭陀人の館と神祠・寺院・勝地を見分した。詳細は所司の行人簿に載るため略すとし、接遇時の贈与と慰労の賜物にも触れる。八月九日長崎を出帆し、風に従い領内阿久根へ着き、十八日府城へ帰った。翌日、番頭末川織衛久敉を謝恩使として鹿府から東都へ遣わした。久敉は豊前小倉から上ノ關まで船で行き、無風のため上陸後、藝州緒方から再び乗船して大坂へ至り、東海道を経て九月二十一日東都芝邸へ着いた。十月朔日、月番の松平康福邸と西丸の阿部正允邸へ告げ、ほかの老中・若年寄にもそれぞれ報告した。十一月朔日登城し、重豪に代わり芭蕉布二十端・三種二荷を献じた。家治が白書院にあり牧野惟成が奏者を勤め、久敉自身の謁見のため太刀一腰・馬代白銀一枚・紗綾二巻を献じ、井伊直則が奏者となった。西城でも三種二荷を献じ、阿部正允に謁見し、小出英常へ太刀・馬代白銀一枚を託して自身の進幣とした。五日再び登城し、檜之間で板倉勝清が奉書を捧げて縮緬二巻を賜り、小出英常が授けた。同日阿部正允邸でも奉書を受けた。十五日東都を発ち東海道、大坂から小倉への船路を経て陸行し、翌年正月二十日本府へ帰って復命した。出典は重豪公御譜中。

登場人物

重豪、樺山左京久智、赤松造酒則正、二階堂蔀行旦、關山軍兵衛金郷、島津登久連、村上桂馬範村、末川織衛久敉、松平周防守康福、阿部豊後守正允、家治公、牧野豊前守惟成、井伊兵部少輔直則、小出伊勢守英常、板倉佐渡守勝清

宛先

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キーワード

五月28芝邸出発、六月15伏見21川船大坂27播州路、七月朔坂越8大里9発16長崎18奉行所、28人迎護・鎗20弓10鉄炮20、館内寺社見分、八月9出帆18府城、末川久敉謝恩使九月21江戸十月朔報告十一月朔献上芭蕉布20端三種二荷・自身太刀一腰白銀一枚紗綾二巻、西城三種二荷、5奉書縮緬二巻15発翌正月20復命

冊子頁

286~287頁

読込量

中

面白さ

★★★★★

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(2)173~309頁(明和4~明和8).pdf